現在、更地と化した中原狐塚古墳
かつて古墳があった場所に少しだけ墳丘の面影が残っている
久留米市田主丸町地徳2740、善院バス停の東300mの農地の中にあり、
墳丘は失われ、古墳は撤去され更地になっている。
20年ほど前に存在した狐塚古墳の石室は、
羨道前側と前壁の部分を覗いて良く残っていて、
壁画も良好に保存されていた。
全長11.5m、後室長3.5m、幅2.9m、高さ3.5m、前室長1.8m、
幅2m、高さ2.2m、羨道幅1.7m、高さ1.6mの大型石室で、
後室はやや胴張り状、側壁を持ち送って高い天井を構築していた。
壁画は後室奥壁、左右側壁、袖石、見上げ石、前室左右側壁、
袖石、羨道側壁に赤・緑(青)色で、
同心円紋、三角紋、靫、船、人物などを多数描いています。
石室は2002年の筑後川流域の装飾古墳公開を最後に、閉鎖されている。