景勝地 「 明神池 」 は笠山の東麓にあり、
その昔笠山と本土との間に砂州ができて陸続きになった時、
埋め残されてできた池です。
大池、中の池、奥の池の三部分からなり、
池は溶岩塊の隙間を通して外海とつながっており、
外海の干満に応じて池の水も増減します。
貞享3年( 1686 ) 萩藩2代藩主毛利綱広が、
毛利元就が信仰していた安芸の厳島明神を勧請して分岐、
これにちなんで明神池と呼ばれるようになりました。
地元の漁師たちが漁の安全と豊漁を祈願して奉納した魚が繁殖し、
マダイ、イシダイ、ボラ、エイ、スズキなど池の中には様々な近海の磯付き魚が泳ぎ、
天然の水族館とも呼ばれています。
池の北側に弁財天が祀られていることから、
昔は弁天池、また、藩主の茶室が建てられていたことから、
御茶屋の池とも呼ばれていました。
周囲は安山岩の溶岩が積み重なり、老樹が生い茂る景勝地です。