東の大鳥居跡の説明板
左側の鳥居台座跡
右側の鳥居台座跡
左側の狛犬
右側の狛犬
岩岳川の向こうに求菩提山が見える
修験道が禁止となる明治時代の初めの頃まで、
求菩提山をはじめとする霊山には聖域として厳しい禁止事項がいくつも定められていた。
結界という範囲を定めて、
その中心 ( 山頂の上宮 ) に行くほど規制は強くなり、数も増えた。
求菩提山には外から順に六峰、四至、東西大鳥居、構、山門、
第二鳥居、第三鳥居、の七段階の結界が知られている。
ここがかつて東の大鳥居があった場所で、
これに対して西の大鳥井は築上町寒田にあった。
大鳥居は第三段階の結界であるが、
山の入口という意味合いのもので、規制はそれほどなく、
付近の住民は普通に生活が出来たということである。
その後、東の大鳥居は道路の拡幅にともなって昭和30年ごろ、
求菩提山の山門下に移築され、鳥居があった場所には台座だけが残されている。
また、この場所が鳥井畑と呼ばれるのは、大鳥居の傍 ( はた ) からきている。