9月3日~6日まで3泊4日の日程で、家内と北陸金沢、能登半島一周の旅に出かけた。
もう新車購入から15年になる車(トヨタマジェスタ2000年製、総走行距離約9万。出発前にはエンジンオイル等交換整備)で、3日午前8時に自宅を出発。6日帰宅までの走行距離1274㎞の旅行を、4日間に分けて整理してみたいと思う。
今回、この旅行を企画するきっかけは、血縁のない一老人のお墓参りに行きたい が・・・。
ちょっと長くなるが、この計画の主目的であるお墓参りについて述べておきたいと思う。
十数年前に、それもその数カ月ほど前に知り合った弁護士から、「身寄りのないこんな女性(当時70歳の前半だったか?)がいて、下落合にある病院の近くに住みたい と申しているので、探してもらいたい」との話があった。
詳しく聞いてみると、金沢出身で、父が事業をしていたが、急死。後を継いだが、手におえず廃業。家屋敷を売却して東京に出てきて、その弁護士先生(女性)にすべてをお任せして「後見人」となってもらっていた。フランスに留学、フランスの空港会社に勤務、役員の秘書の傍ら通訳をしたこともあり、本の好きな知的な女性であった。
女性は、しばらく賃貸マンションに入っていたが、この地域が気に入り、弊社の近くのマンションを購入して住みだした。
一人身ゆえ、家内が時々食べ物等を持参して伺い、話し相手になっていた。弁護士の先生もマンションに来る度に会社に立ち寄り、「いつも面倒を見てくださって・・・。近くにいるので安心だわ」と申してくださり、以降家内とは、近況を取りあっていた。
数年前に「一人身では危ない」と察知したので、先生と相談して、病院の老人ホームに入居させた。ホームに入った以降も家内は、時々見舞いに行き、話し相手となっていたが、昨年中ほどからおかしなことを言い出すようになった。そして、この4月中ほどに逝去。享年89歳。
弁護士先生は、こちらに迷惑をかけては と考えたようでこちらに知らせることもなく、事務所の人達で火葬にしたとのこと。(自分で十数年ほど前に、永代供養墓を生まれ故郷の金沢寺町地区に建立していた)
6月初めに、先生からメールが入り、女性が遺言を残していたとのこと。『○○さんには大変お世話になった。わずかですがあげてもらいたい』と記してあったと。 家内と相談して、『遺志を素直にいただこう』となり、家内の振込先を連絡。
8月初旬、先生から「納骨が終わった」との連絡が入ったので、金沢にお墓参りに行こうとなったものである。
以上が金沢に行くきっかけとなったものです。
3日午前8時前に自宅を出発。上信越道路を通って金沢に直接向かった。途中休憩を入れて、一度の渋滞もなく午後2時過ぎに金沢に到着。
まず、金沢駅を見学。
JR金沢駅 兼六園口にある「鼓門・もてなしドーム」。
ナビゲータを頼りに寺町5丁目交差点にある「妙典寺」に向かう。お寺さんには、前もって、「伺いする」旨の連絡を入れている。但し、ここの住職がこの5月に亡くなったとのことで、「お坊さんはいません」とのこと。
妙典寺入口。車は玄関から入れるとのこと故、直接乗り入れた。
奥さんに挨拶。お墓まで案内してもらう。奥さんは、アルツハイマーで右手が動かないと申していたので、おかえり願い、家内とお墓掃除を始める。墓石の台座には苔が僅かでしたが生え出している。
生前に自分で建てたお墓。
「永代墓」としてお寺さんに永代面倒を見てもらうのだそう(生前本人から伺った)。お花を添え、「安らかに」と手を合わせる。
しばらくお寺の周りを見学、奥さんに別れを告げて寺を後にする。
ホテルに入るにはやや早かったので、近くの「鈴木大拙館」に向かう。「美術館に入ってゆっくり」と言う時間はないので、庭の周りや北陸放送本社ビルの裏庭を見学。
鈴木大拙館の池「水鏡の庭」
北陸放送本社ビルの裏庭「松風閣庭園」。旧加賀八家筆頭「本多家」の屋敷地だったとか。
何か京都に来ているような錯覚をする。
午後5時前となったので、金沢駅近くのホテル「金沢マンテンホテル」に向かう。
ホテル最上階の12階の部屋に通される。ホテルはすべて「大風呂のあるところ」として、JTBのるるぶで予約していた。
食事は夕朝ともバイキング。壱日の疲れを癒やした。
ところが夜10時過ぎから、屋上のエアコンがかなり大きな音を発する。フロントに電話すると、「ここしばらく使用していなかったのですが、客から「部屋が暑い」との苦情があり、スイッチを入れたとのこと。
頭に響く音で我慢できず、部屋の交換を申し出る。7階に移動させられた。(うちばかりでなく、隣の部屋の人も荷物を抱えて移動していた)。それから寝付けずとんだ災難に合う。
明日は、「壱日金沢市内観光の計画だからまあいいか」と自分に言い聞かせて、しばらく起き、日記を付ける。