正月早々、ふるさと佐渡真野出身の同級生石塚 勝さんから公益財団法人日本武道館発行の月刊「武道」が送られてきた。
石塚さんは、大学を卒業し、一度商社に勤務したが、“書くことが好き“ が頭から離れず、数年遅れて毎日新聞社に入社。当初から勤務先は本社のある関西地方、定年(当時は57歳)まで務めた。東京に戻り、上記日本武道館にしばらく勤務していた。
日本武道館勤務卒業十数年になるが、その縁で今でもこの月刊「武道」が送られてくるんだそう。
その月刊「武道」の令和3年1月新春号に、宮田亮平文化庁長官(ふるさと佐渡出身)と日本武道館会長(元衆議院議員)高村正彦先生との新春特別対談「道を極める」の記事が載っていた。
石塚さん曰く。「対談内容に、ふるさと佐渡で過ごした少年時代の佐渡の風土に育まれた美意識から始まって東京芸大学長までの出来事、そしてイルカをモチーフにした理由等が語られているので、先生からイルカ作品を造ってもらった君に読んでもらいたいと思って・・・」。
対談記事の初ページ。自宅にA-3のコピー機がないので記事の一部が切れてしまってごめんなさい。
対談記事は16ページに渡っている。
宮田先生と高村先生は、共に大学時代少林寺拳法部に入部していたこと、そしてその少林寺拳法の奥深さを芸大生に知ってもらいたいため機会あるごとに宣伝したこと、ドイツ留学で日本の芸術技術の素晴らしさを発見したこと、代表作「シュプリンゲン(飛翔)を発表したこと、「芸術とは・・・」、そして最後に読者へのメッセージとして「良い出会いのチャンスを見逃さないで」で締めている。
この対談を呼んで、まさに「文化芸術」の価値、力を改めて知らされたような気持になった。
一度機会があったら武道館発行「武道」の新春号を読んでみてください。何か得るものがあるかと思います。
〈追記〉
去る9日、NHKテレビで放映された「ブラタモリ」が、石塚さんの最後の勤務地だった宮津地方の天橋立を取り上げていたので、放映が始まるとすぐに石塚さんに「今NHKテレビで天橋立をやっているよ」と知らせた。
石塚さんは、すぐにテレビを切り替えたようで、「懐かしいところと重要な記事がたくさん放映された。とても懐かしく・・・」と今日、御礼の手紙を送ってくれるとともに、新聞OB会に投稿した「一地方記者の歩み」11ページに及ぶ自分史にあたる記事を送ってくれた。
その記事を読ませてもらったところ、私の知らなかったことが数多く載っていた。特に卒業後すぐに毎日新聞社に入社と聞いていたが、数年間ある商社に勤務し、30歳で毎日新聞社に入社したこと、同社に定年までいたこと等が記されていた。
この記事からは、彼が大変ご苦労なさったことが記されており、今でいう忖度することを知らない真面目一方、サラリーマンの宿命みたいなものを感じられる。
今回、その記事を読んで私の文中に間違いがあったので、訂正させていただきました。