家内の叔母は、御殿場市にその連れとともに眠っている。何ですか墓地の契約は20年ごとに更新するのだそうで、その二人には子供がなく、契約は家内の姉となっているそう。
家内の姉も寄る歳に逆らえず、あちこち不便さを感じるようになったよう。
そこで、義姉たちは、熟慮の上、墓地契約の途中だが、子供たちに迷惑を掛けてはいけないので、永遠の共同墓地に移し、墓じまいをしようと考え、先日その行事を行った。
私共は、それに参加できず、14日(日曜日)お墓参りに逗子から直接御殿場市に向かった。
横横高速道路逗子ICから上がり、東名高速道路御殿場ICまで約1時間30分。東京からとほぼ同じほど。
御殿場インターを下りてナビゲーターに従って進むが、番地までの詳細なところはわからなかったが運よく交番に出会い、新しい共同墓地のある場所を車を止めて聞く。お巡りさん、東京から来た者と話したら、丁寧に教えてくれた。
以降、墓地駐車場まで一度の間違いもなく到着した。
車を降りると富士山がきれいに顔を出している。家内は、「大きい富士山だ」といつもの言葉。実は家内は戦時中、この御殿場の叔母さんの家に疎開したことがあるので、「窓を開けると大きな富士山がいつも観られた」といつも申していた。
墓地の駐車場から望む富士山。
車を駐車場に入れ、来た道をやや戻ると、右に共同墓地に通ずるやや広い道路に。
右に折れまっすぐ進むと共同墓地に突き当たった。この墓地のお寺さんはここにはなく、やや遠く離れているようだ。
富士山をバックにしてややこんもりした共同墓地。二人でお線香に火をつけ、家内が手を合わせている。
周りを一巡したのち、別れを告げ、車を動かした。
家内が前のお墓を観に行きたいと申すので、車を走らせた。
見覚えがあるのでスムースに進む。7~8分ほどで到着。
おじさん、おばさんの名前と亡くなった日付、年齢が刻まれている。(花立てのステンレス缶は共同墓地の方に持って行かれたとのこと)。
おじさんが先に亡くなって、高校教師だったため、おばさんが「本を広げている」この模様のお墓を造ったもので、「自分がなくなった時に右手に自分の名前等を入れてくれ」と姉に遺言していたので、後日、姉が遺言通り石屋に依頼してできたものとのこと。
おばさんは94歳まで生きたと記されている。亡くなってから10年になるようだ。
残念なことです。
朝が早かったので、ここの駐車場で一休み。
午後1時20分過ぎに御殿場を出発。逗子に向かった。
東名高速道路御殿場ICから上がり逗子に進んだ。来た道を横浜町田JCTまで戻ればよかったのだが、ナビゲーターに従って進んだところ、鎌倉を通るコースを選んでしまった。
14日は鎌倉祭りで、道路が規制されていることを知っていたので、御殿場に来るときは、やや遠回りだったが横浜町田JCTを選んだのにすっかり忘れていて、失敗。
道路はどこも渋滞。 しょうがなく、江の島に向かい、海岸沿いに出た。
ここでも渋滞。ノロノロ運転。
やっとの思いで逗子海岸に到着。う~んと先に我がマンションが見える。
到着したらなんと午後5時30分過ぎ。3時間半もかかってしまった。
もうぐったり。
ベットに潜り込んだ。