宇佐から少し車を走らせ、中津へやってきました。
今回の旅行最後の目的地である、中津城に到着です。
中津城は、黒田官兵衛(如水・孝高)が築城しました。
中津川の河口に築城され、堀には海水が引き込まれているため、水城ともされ、今治城・高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられています。
官兵衛は瀬戸内海に待機させた舟をリレーすることにより、ここに居ながら上方の情報をわずか3日で得ていたそうです。
城内には黒田官兵衛資料館が設けられていました。
不思議なことに、事前に見た中津城公式ホームページには、江戸時代の大半ここを治めた奥平氏のことばかり記されて、官兵衛のことは載っていません。
中津城模擬天守は1964(昭和39)年、奥平家歴史資料館として奥平氏子孫が表取締役を務める中津勧業によって建てられました。
しかし、維持するのが大変となり、自治体か民間企業に売却する話しが出ているそうですが、上手く進んでいないようです。
このことが影響しているのでしょうか。
模擬天守
そもそも中津城に天守があったかどうか不明で、この建物は外観は萩城天守をモデルとしてつくられています。
天守最上階からの眺め
東には二の丸がありました。
西には中津川があり、
北はその河口が見えます。
奥平神社
椎木門跡
これも門の跡でしょうね。
北側の石垣
中央斜めの線より右は黒田官兵衛築城当時のもの
左側はその後入城した細川忠興によって積まれたものです。
このあと、新門司へ移動しフェリーに乗り込みました。
こうして、今回の九州の旅は、終了しました。