Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

過去を学ばなければいけない

2016-12-17 | 文化一般
年の瀬も近づいてくると今年のベスト何とかというのも見かける。今年は個人的にはオペラ年だった。モルティエー監督時代のザルツブルクでも三演目も価値ある新制作を立て続きに経験することはなかった。「サウス・ポール」、「マイスタージンガー」と「マクベス夫人」とどれも記憶に残るものだった。条件が整えば再訪してみたい前二作だが、最後の一つはどうであろうか?

承前)実演体験後初めて初日の新聞評などを再読する。オペラ評論家女史の文章だがなぜか多くを音楽や管弦楽団や指揮者について費やしている。不思議に感じた。特に興味深かったのは新校訂された楽譜についてであって、それによると過度なドラマ化を避けた初演版を校訂したものとある。アンチテーゼとしてヤンソンス指揮演奏などを思い浮かべたのだろうか?それ故か、「他の指揮者がするように、一寸した手の動きでアクセントをつけてフォーカスさせて、個性を出していた」としながらも、「音楽が内包する真実を、音楽的な今日から過去のそして未来への論理性で、明らかにしていた」とその音楽性を絶賛している。当日のプログラムには楽譜については明記されていない様だが来年にかけての一連の上演で同じ貸し譜が廻るのだろう。

その演出面での良さについては既に触れたのだが、中々後を引く音楽劇場となっていたことは確かであり、あの雲の形にしても雷雲だったのかそれともとかなどと北国特有の高い霧などを思い浮かべると切りがない。それでも新聞は、「あまりにも正確に夢の如く音楽と合わせる登場人物や群衆の動かし方の熟練ぶり」に触れて、そこでも、「ペトレンコ指揮の正確な音楽によって登場人物の矛盾した性格が集合的に表出された」と、結局音楽的な成果を寄与させている。まるで私がいつも女史の論評を批判していることに答えたかのような書きぶりである。

当然のことながら、ここでその内容に触れるならば、プログラムにあるようにゴーリキのいう「学ばなければいけない、国やその過去を、現在を将来を学ばなければいけない」とするように、音楽創造の内容もそこにある。こうして、この作品を体験すると少なくともこの交響作曲家の第一番から四番の交響曲を避けて通れなくなる。特に出世作第一番の才気と第四番の音楽語法を見ていくと、同時にアルバン・ベルクが「ヴォツェック」と原作「ヴォイツェック」の表題を読み違えた原因を作った自然派フランツォーゼと作曲家の接触など、その創作裏事情の興味深いことが分かって来る。

創作に関する作曲家の手記を読むと分かるように、警察官の場面を原作に書き加えており、そうした社会的な風刺とグロテスクなどを上手にバランスを取ろうとした意識がそこからも窺い知れるのである。

その1920年代30年代のソヴィエトの事情はそこに生きていない限り追体験しようと思っても複雑でどうしようもないのだが、それは1960年70年代のドイツ社会民主主義共和国においても同じことである。そして今、そうした人達が連邦共和国大統領、首相、そして最高齢の演出家としてミュンヘンで喝采を浴びているという事情もここ連邦共和国に生きていない限り分かり難いと思う。

その意味からすると、二十世紀は遠くなると思う反面、我々が生きてきた時代がこうして音楽劇場作品としてその真実像を反照することで、益々あの冷戦時期には我々は一体何を考えて何を見た心算になって生きていたのだろうと三省するしかないのである。彼らから見ると我々は、この舞台のように企業家の工場の片隅のバラックの中で、管理され抑圧された生活を送って来たということでしかないのであろう。(続く

Trailer LADY MACBETH VON MZENSK – Conductor: Kirill Petrenko


参照:
意志に支配される形態 2006-01-05 | 音
初日の放送で何を聞くか 2016-11-28 | 文化一般
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可処分所得三割増の一年

2016-12-16 | 
霧が出ていて、走るスピードも出なかった。それでも登りが可成り楽に走れる様になっていて、降りには直ぐに加速できる。明らかに心肺機能が鍛えられちている、高山でのスキーが楽しみだ。天候もあり、週末の疲れがあったので、久しぶりに走ったが、腸の調子が急激に変わった。ここのところ肉類も食さなかったのであまり便通も良くなかったが、一挙に身が軽くなった。

車のラディオが伝えていた。合衆国の幾つかの州で教師の銃の携帯を認めるということである。それによって不慮の場合は加害者を射殺して被害を最小に止めるのである。教育の場で武装して相手を黙らせることには合衆国でも抵抗があったのだろう。

新聞を見ると連邦共和国の今年の可処分所得が被雇用者で35%、雇用者で25%昨年度よりも増えたというから素晴らしい。これならば目標のインフレ率が正しいことになる。労働市場の好調からこれだけの所得増になっている。今後のドイツの企業の状況を考えても先進工業国としてはトップクラスの成長が期待できるような数値であり、その経済的な眺望は開いている。

日本とは大違いである。そもそも貿易輸出国であるドイツの場合は資源が無く、その付加価値の差額でしか富を生まなかった訳であるが、日本の場合は国内市場も大きくその余力で貿易黒字を築いてきたに過ぎない。ドイツはEU市場をものにしたのに対して、一方日本は高齢化と少子化で国内市場が縮小している。そして所得増どころか所得が減少してきているとなると、企業も何もかも日本経済に将来性などないのが分かる。少なくともドイツの差は一気に開いていくに違いない。このような結果になることは四半世紀前以前から分かっていたのである。

可処分所得がこれだけ増えれば何を購入するか、どのように投資するかで個人は勿論社会の今後の豊かさが変わって来る。正しくそこがドイツ社会の強さであり、それは母国に投資する外国人労働者においてもその堅実さはあまり変わらないであろう。



参照:
行ってみようよTTIP DEMO 2015-10-09 | マスメディア批評
憧れの移民国ドイツ 2014-05-23 | 歴史・時事
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カンボジア風バッハの破壊力

2016-12-15 | 文化一般
ラディオの番組でバッハのチェロ組曲が流れた。それを弾いているのは子供の時にカンボジアからドイツ社会民主共和国に貰われてきた人である。どういう経歴の人かは知らないが技術的に素晴らしくカンボジア風に弾いている。彼の話しの様に「バッハをアジア風に弾く」というそのものの殆んどカンボジア語の特徴丸出しのバッハなのだ。彼のドイツ語も子供の時から使っていたとは思えないほどカンボジアの発生発音そのものだ。ブラジル風バッハとかスイングバッハとかいうよりも一寸面白いと思った。こうした音楽の強さには、日本風バッハを意識していないスズキのバッハにはないものだ。鈴木のバッハの洗練とは比較の仕様がないとしても、そうしたクロスオーヴァー文化の方法が日本風なだけで本質は変わらないということなのかもしれない。カンボジア風バッハの破壊力はスズキメソッドを遥かに超えている。要するにバッハの破壊力ということになる。

フランクフルトのバッハの会から知らせが来ていて、総会のプロトコールとして2018年までのプログラム予定がある。ヘルヴェッヘやキット・アームストロングが戻ってくるのは良い。しかしグルノーブルのバッハは頂けない。何よりも良いのは、コストの割には入場券収入が増えていて赤字にならなかったことだろう - 客席の状況から信じ難いが。伝統的な団体は凌ぎ方を心得ているのかもしれない。

先ほど成功した通電ステージS3からのサスペンド起動の遠隔操作である。電源を切っていて、そこに繋いであるラズベリーパイの為に、テーブルステープルの電源オンにするとワークステーションまで起動して驚いた。BIOSで電源消失の場合に再び電源が来たときはオンにすると設定してあったからだ。三種類設定があって、その他に「前の段階に戻す」というのがあり、オフにするというのもある。オフに設定しておくと遠隔再起動にはならないようで、中間の設定にする。しかし、その場合も最初だけは手動で起動させなければいけない。そのあとは電源が入っている限り、何回でも起動が可能となる。

使わないときは主電源を切ることが前提であり、ラズベリーをモニター端末として使う度にワークステーションが起動するのも厄介であるので、この辺りが妥協策である。必要な時は最初だけは手動で起動させて、当分必要が無ければ主電源を落とせばよい。こうして同時にラズベリーの電流とワークステーションのスタンバイの電流を遮断すれば旧年以上に節約可能な筈である。それでなくても、グーグルキャストやDACなどの電流が流れる時間は増えていて、ダブルモニターなどで余分に点けているので、総合的に増減を調整していかなければいけない。シナモンのPCやモニターやスキャナーの電源部にもスイッチを挟んだので不必要な時には待機電流も流れないようにした。



参照:
歌心のないドグマの響き 2012-05-29 | 音
軽く回り過ぎるエンジン 2016-12-02 | 雑感
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Wake-On-Lanで使うXP

2016-12-14 | テクニック
Wake-On-Lan(WOL)というのを試してみた。停止しているPCを上げて使うようなコマンドを送る機能である。遠隔操作の一種であるが、他のVNCやRDPとは激しく異なるのは電源が入っていないWLANの中のPCを立ち上げさせる操作ができることである。

但しEthernetでなければいけないので一機しか相当するものがない。それもXPでその機能が付いた最初期のもののようなので本当に作動するのかどうかも分からなかった。それ故に今まで試していなかった機能なのだが、ラズベリーパイにそれを作動させるマジックパケットを送信するプログラムがインストールされていたので試してみたくなったのである。

BIOSを見ると訳の分からない項目、On w/ MBA (Managed Boot Agent)があるのは知っていたのだが、これを有効にして、XPのネットアダプターのプロパティーを調整する。しかしそれらしきものが指定できない。調べてみると一般的にレアルテークのものが使われているようで、該当のワークステーションには3COMのカードが付いていて、全く肝心のレアルテークは出てこない。 そこでルーターを新規したときについてきたカードが一つ余っていることを思い出した。独テレコムが配布したもので大したものではないと思っていたが、これを使ってWOLを成功している人がいるので試して見ようと思った。実際基盤にはレアルテークとあったからだ。

早速それを挿入して、ドライヴァーを準備する。ドライヴァーは安心なものが見つからなく、付属しているのはフロッピーだけである。フロッピーを試してみるが上手くインストールできない。そして嵌まり込んだままになってしまった。そうしているうちにレアルテークの番号が分かったのでメーカーのサイトに行くとXP用のドライヴァーがあった。レアルテークは最近アップサムプリングでお世話になっているが、中々良心的なメーカーのようである。

そして最新のドライヴァーを問題なくインストールした。しかし期待していたWOLに関する設定がないのである。これで動かなければハードの問題であると思ってラズベリーから試してみると起動した。そしてドッキングステーションノートブックにもWOL2という小さなソフトを入れるとこれでも問題なく動いた。そしてタブレットのアンドロイド用のソフトも使ってみると、ここからも問題なく動いた。そしていつの間にかアダブターのプロパティーにWOLが入っていた。

これ程問題なく動くならば早くから使っていおけばよかったと思う。しかし十年以上前はリモートコントローtル機能自体が危険だと思っていた。今ほどのWLANの中の安全性とかファイヤーウォールとかには無頓着な時代だった。それでもスタンバイの電流は十何年間も流れ続けていたのである。そして今年の夏になって初めてコンセントにスイッチを入れるようになったのである。勿論WOL機能を使おうと思えばオンにしておかなければいけないが、311以前はスタンバイのその程度の電流などには関心がなかったのである。そして今スイッチを入れている時だけWOL機能を使うようになったのである。

WLANのWoLANと呼ばれる機能も最近は一般的なようで新しいノートブックなどではその方向でも使うように検討しておかなければいけない。なるほどインターネットでの起動なども使っている人が増えているのもなるほどとも思った。



参照:
プロテスタンティズムの焦燥 2016-12-07 | マスメディア批評
未来へのルーティン 2016-10-25 | テクニック
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電光石火の笑いの意味

2016-12-13 | 
「マクベス夫人」に関連して、「ショスタコーヴィッチの証言」検証のリチャード・トラースキンのエッセイを摘み読んだ。新制作のプログラムに挟まれていた小冊子である。一連の初演からの評判や批判そしてプラウダ批判を受けての、戦後の再上演、そして1970年代の「証言」を受けての初演版の再上演などについて触れてある。時制を踏まえて一連の動きを見ていくと興味深い。

今回の新制作の特徴の一つは極力グロテスクな表現を避けている演出とありのままの音楽にあると思うが、前史である原作まで遡るときに、丁度ジキル博士やフランケンシュタイン博士に相当するというが、それが所謂自然主義文学であって、そうした創作表現であるとなる。つまりロシアのアヴァンギャルドなどとは一線を隔すことになって、まさしく今回の制作の核心に触れる。

演出面においては、フェルゼンシュタインの流れを汲むハリー・クッパーのそれはイタリアのストレータス演出などに近いリアリズムの円熟した舞台であった訳だが、このオペラの本質的なところにおいてとても的を得ていたということになる。

我々の知る限り、既に米国初演のメトロポリタン歌劇場においての上演においてもポルノフォニーと評されたように曲解されていたのは間違いない。勿論ト書きなどを正確に表現するとそのようになる訳であるが、それでも音楽的に見ても違和感を覚えるのではなかろうか。

まさしく既述したような死から性への開放が一条の光のように輝くのがまさに旧制から革命へと開放される精力なのである。作曲家はその原作の革命へのエネルギーをスターリンの圧政下の中で舞台表現化しようとしたことは間違いない。それが、ポルカやヴァルツァーとして、またチグハグで「間違った音」として表現されているというのも確かであろう。そうした一連の表現方法が「証言」によって、そして亡命後のロストロポーヴィッチ夫妻の演奏実践などによって新たに曲解されたということになる。その夫妻も後年「証言」について否定的な見解を表明していたというから、亡命直後の事情をそこに感じる。

今回の新制作が何よりもそうした歴史的な靄を吹き払ってくれて、ショスタコーヴィッチ創作理解に大きな影響を与えるかもしれない。一つにはクッパーの演出こそがまさしく社会主義リアリズムのそれであり、そこには弁証法的な舞台空間が目されている。例えば日本などでは新劇とか呼ばれる舞台活動に近い、そうした劇場空間が作品として創造されていることであり、事細かな演出にそれが行き渡っている。演技指導での若い男との出会いと、その夫人の笑い顔には電光石火の一撃があり、この時点で天地がひっくり返るほどの革命と開放がなされていることを思わせる。それが結婚式での背後に立ち上る雲であって、その舞台の下では警察の官僚主義と不正のそれが描かれている - ここだけでもスターリン体制では到底許容することのできなかった舞台情景だったろう。

前述の笑いの演出について、その舞台指導風景がプログラムに詳しい。音楽的に緊張を作っている場面であるが、音楽的な内容については指揮者のキリル・ペトレンコが件のファゴットの一節はフォルテシモだと注意を促している。しかし演出的に見れば、最終幕を見ればシベリアの空に浮かぶ雷雲の一撃の萌芽をここに見ても決しておかしくはないのである。終幕の悲劇が「夜明け前」として開かれているのが「新劇」だ。(続く



参照:
楽譜が読めたならの持続力 2016-12-04 | 音
ポルノオペラは御免だ 2016-11-22 | 音
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日曜日の朝寝がよい

2016-12-12 | アウトドーア・環境
またまた自己記録更新である。日曜日の朝はラディオ放送もあり、天気も良くなさそうなので、土曜日の午後の晴れ間に出かけた。日没が16時25分頃なので、それまでに下りたい。久しぶりの午後の頂上攻撃なので記録が期待出来るほか、下りの心拍数を測ろうと胸にバンドを巻いた。気温も摂氏8度を超えている。

自宅で屈伸をしてから出かけたが、駐車場から走り出したときは16時になろうとしていた。十分なウォーミングアップは叶わなかったが、朝とは違い身体が出来ている。走り出しの軽い足取りは人に見せたいほどだった。急坂を9分ほどで乗り越えた。15分台で到達の緑のベンチでも速度を落とさずに第一の合流点に近づく、第二の合流点へも苦しかったが、少し前傾気味にすると心臓がより沢山の血液を送っているのが分かる。残念ながら登りでは心拍数は取れていないが、170越えだったと思う。それでも以前はへたる感じがしたのだが、今は違うのである。健康に良いか悪いかは知らないが、後で疲れが残らないので20年前に走っていたのと比べれば全く健康的だ。

林道の最後のカーヴから平坦へと最初の出だし同様に加速して、山道に入る。天気が良いのでハイキング爺婆も下りて来ていて、すれ違いざまに「ショーツで走っとる」と囁かれた。暖かいとはいっても頂上付近は寒い。そこでも加速して喘ぎながら頂上に到着して、一分ほどかけて心拍計を調整する。休むことにもなるが、タイムをそれだけ損もする。林道に出るまではそれほど飛ばせなかったが、そこに出てからはいつもの波はあるもの高速を保ったまま駆け続けた。最高速時速12㎞には満たなかったが、心拍数164を超え続けた。これが循環器系強化に繋がっているようだ。これを上のスピードの波と重ねると、落ちるときに心拍数も164へと落ちている。そこでピープが鳴るようにしているのもこの波状に関係しているかもしれない。最高が178まで上がっているのでこれをどのように見るかだ。丁度緩やかな下り傾斜を走行中で最高速ではないが、走る負荷が急坂よりも掛かっている。

呼吸は考えていても嗚咽が漏れる。夕暮れが訪れようとするのに急坂を上って来る二人組がいる。何かバンダナをつけて必死の形相で走ってくる奴がいると思っただろう。朝とは異なり天気が良かったので数組のハイカーや自転車野郎と遭遇した。自転車は暗闇が嫌なのか早めに下りて来ていたようで、彼らと競争することはなかった。下りで時速20㎞で走れるようになったら勝負は面白いと思う。上りの34分、下りて来ての54分とも完全記録更新である。

土曜日に走ったので日曜日はゆっくりと起きた。10時過ぎからラディオ番組が始まるが9時でもまだベットにいた。疲れが出たのだと思う。それほどではない筈だが、鼻水が異常に垂れた。量ではなく水が流れるように歩くときに下に垂れた。このようなことは初めてだ。寒い思いをしたわけではないが、積み重ねで名の通りの鼻風邪をひいたようだ。ラディオは2008年7月のバート・キッシンゲンでの音楽祭最終演奏会の中継録音からだった。レーピン独奏のラロの交響曲が二曲目に演奏されて、後半のラフマニノフがYOUTUBEに出ている演奏会の抜粋である。予想以上に面白かった。レーピンはヴェンガロフなどが出てきてあまり名前を聞かなくなったが、後者ほど趣味が悪くない。そしてこの曲はケント・ナガノとの録音など十八番にしているようである。それゆえか中々共演も成功しているように感じた。少なくともこの曲はスターン独奏ぐらいでしか聞いたことがないので、繰り返して聴ける録音が出来た。思っていたよりも興味深い曲である。



参照:
出遅れた朝の記録 2016-11-27 | アウトドーア・環境
糊代を残すストライド走法 2015-12-14 | アウトドーア・環境
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時計を合わせる学力

2016-12-11 | 生活
PISAの学力検査結果が巷を賑わしていたようだ。ほとんど興味はないがシンガポールが理科系で強く、北欧などが読解力があり、日本は国語力が無いというのが面白い。確かに読解力はあまり勉強の方法が無くて、言語能力の発展とともにあるのだろうから真面な会話があまりなされない日本人文化の中ではあまり伸びないのだろう。漫画が読解力を落とすことは理解可能だが、漫画を見ないでも私のように読解力が落ちてきていると思う人もいる。そもそも模試試験など成績でも最も国語が上位に至っていた筈なのだが、最近大分自信が無くなってきている。理由は分からないが、以前にもまして複雑な思考についていけなくなってきている感さえある - 所謂EQ値が低いとなる。要するに数式化出来ないような限定などの弱い話し言葉の真意が分からなくて、その主旨とその言語化されるところでの曖昧さなどがとても捉えにくくなってきているのである。おそらく放送などの話者にも曖昧なことなのだろうが、一体どのようなレトリックが使われているかなどまで考えていくと余計に分からなくなることが多い。その点、芝居や舞台芸術はそのあたりの思考が良く練られているだけに見渡せる。同様に下手な文章も同じような印象を受けることも多い。

承前)さて、USB温度計をつけてラズベリーパイをガレージで電源を入れた。すると今まで気が付かなかったパイロットラムプが点灯始めた。何かわからなかったが、どうもネットを探しているらしい。先に進みそうもないので、部屋に戻って、調べてみるとログが新たに書き込まれていなかった。そこで、ネットに関する設定を外していった。更にオートランの設定で、ネットらしいものを後にして、その上段に写し書き換えた。これでどうだ。

兎に角ラズベリーパイを購入後最初の設定以降WLANでしか使っていなかったのである。以前の2まではケーブル接続だったのでこのようなことはなかったのであろうが、3になってからはWiFiが基準になっている。そのことを思い知った。そして試してみるが、さらなる問題が見つかった。ログファイルの名称である時刻をみているとおかしいのである。時計を見るとくるっている。二十分、三十分と遅れていく。どうもネットに繋がっていないとどんどんと遅れていくらしい。補助の電池が入っていないからだろう。電源を入れてネットが繋がったところで復活するようだ。しかしマニュアルで調整するのも大変なようで、インターネットに入ろうとしても駄目だった。諦めてそのままワイン蔵にもっていった。先ずは実験である。夜の九時過ぎから朝の九時過ぎまで次のように測定成功した。

2016/12/09 20:39:01 Temperature 10.25C
2016/12/09 20:49:01 Temperature 10.94C
2016/12/09 20:59:01 Temperature 10.94C
2016/12/09 21:09:01 Temperature 10.94C
2016/12/09 21:19:01 Temperature 10.94C
2016/12/09 21:29:01 Temperature 10.94C
2016/12/09 21:39:02 Temperature 10.94C
2016/12/09 21:49:02 Temperature 10.94C
2016/12/09 21:59:02 Temperature 10.94C
2016/12/09 22:09:02 Temperature 10.94C
2016/12/09 22:19:02 Temperature 10.94C
2016/12/09 22:29:02 Temperature 10.94C
2016/12/09 22:39:03 Temperature 10.94C
2016/12/09 22:49:03 Temperature 10.94C
2016/12/09 22:59:03 Temperature 10.94C
2016/12/09 23:09:03 Temperature 10.94C
2016/12/09 23:19:03 Temperature 10.94C
2016/12/09 23:29:03 Temperature 10.94C
2016/12/09 23:39:04 Temperature 10.94C
2016/12/09 23:49:04 Temperature 10.94C
2016/12/09 23:59:04 Temperature 10.94C
2016/12/10 00:09:04 Temperature 10.94C
2016/12/10 00:19:04 Temperature 10.94C
2016/12/10 00:29:04 Temperature 10.94C
2016/12/10 00:39:05 Temperature 10.94C
2016/12/10 00:49:05 Temperature 10.94C
2016/12/10 00:59:05 Temperature 10.94C
2016/12/10 01:09:05 Temperature 10.94C
2016/12/10 01:19:05 Temperature 10.94C
2016/12/10 01:29:05 Temperature 10.94C
2016/12/10 01:39:06 Temperature 10.94C
2016/12/10 01:49:06 Temperature 10.94C
2016/12/10 01:59:06 Temperature 10.94C
2016/12/10 02:09:06 Temperature 10.94C
2016/12/10 02:19:06 Temperature 10.94C
2016/12/10 02:29:06 Temperature 10.94C
2016/12/10 02:39:07 Temperature 10.94C
2016/12/10 02:49:07 Temperature 10.94C
2016/12/10 02:59:07 Temperature 10.94C
2016/12/10 03:09:07 Temperature 10.94C
2016/12/10 03:19:07 Temperature 10.94C
2016/12/10 03:29:07 Temperature 10.94C
2016/12/10 03:39:08 Temperature 10.94C
2016/12/10 03:49:08 Temperature 10.94C
2016/12/10 03:59:08 Temperature 10.94C
2016/12/10 04:09:08 Temperature 10.94C
2016/12/10 04:19:08 Temperature 10.94C
2016/12/10 04:29:08 Temperature 10.94C
2016/12/10 04:39:09 Temperature 10.94C
2016/12/10 04:49:09 Temperature 10.94C
2016/12/10 04:59:09 Temperature 10.94C
2016/12/10 05:09:09 Temperature 10.94C
2016/12/10 05:19:09 Temperature 10.94C
2016/12/10 05:29:09 Temperature 10.94C
2016/12/10 05:39:10 Temperature 10.94C
2016/12/10 05:49:10 Temperature 10.94C
2016/12/10 05:59:10 Temperature 10.94C
2016/12/10 06:09:10 Temperature 10.94C
2016/12/10 06:19:10 Temperature 10.94C
2016/12/10 06:29:10 Temperature 10.94C
2016/12/10 06:39:11 Temperature 10.94C
2016/12/10 06:49:11 Temperature 10.94C
2016/12/10 06:59:11 Temperature 10.94C
2016/12/10 07:09:11 Temperature 10.94C
2016/12/10 07:19:11 Temperature 10.94C
2016/12/10 07:29:11 Temperature 10.94C
2016/12/10 07:39:12 Temperature 10.94C
2016/12/10 07:49:12 Temperature 10.94C
2016/12/10 07:59:12 Temperature 10.94C
2016/12/10 08:09:12 Temperature 10.94C
2016/12/10 08:19:12 Temperature 10.94C
2016/12/10 08:29:12 Temperature 10.94C(終わり)



参照:
希望という自己選択の自由 2009-06-19 | 文化一般
終焉の引導を渡す使命 2005-11-09 | 歴史・時事
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弁証法的な辛い生活

2016-12-10 | テクニック
ラディオの教養番組での話が面白かった。そこでは教育者などの各種専門家へのインタヴューで内向性・外向性の話をしていて、東京で仕事をしたことのある女性教育者が面白い話をしていた。それによると「日本人では文化的に内向性が好まれ、今でもある年齢以上の指導的な立場の人は、自らは語らずに若い者に語らせることが良いとされている」とあって、「沈黙は金也」の文化があるということだった。そして文化圏によってその方向性が異なり、南欧などの外交性に比較するとやはりドイツは中間だというのである。

他の話者は、これはプロテスタンティズムの内省的な「辛い生活」を良しとしたルターの教えがあって、カトリックの影響での喜びとは異なるのだというのだ。そこで先日の鈴木氏の内容の無い語りを思い起こしたが、そうした喋り自体もプロテスタントだと私は感じたのである。少なくとも日本人ならばそこまで要らぬことは言語化しない。バッハの音楽をやっている人がこうした性格だというのがまた興味深い。実業の分野でもアメリカ化されて外向的な経営陣がドイツの企業を動かしているということであった。

承前)ラズベリーパイをログのように使う方法である。新たな課題は、電源を入れるだけで測定温度を表示させてその数値を指定した間隔ごとにログとして記録させることである。そして再び電源を入れ直してもそのログが消えないことである。

その為に選択した方法は以下のようなものである。

pcsensor -l600 -c > log-`date +%Y%m%d%H%M%S`

先ずはターミナルの中で所定のコマンドでドライヴァーを動かして、600秒毎に摂氏だけの温度を表示させて、それをログとしてその時刻の名称を付けて記録させるというものだ。これで二度と同じログが作成されないので上書きされることもない。

そしてこのコマンドをそのまま起動するには/etc/rc.localのexit 0の前の最後にそのままのコマンドを書き加えて最後に&を書けば問題なく電源を入れる度に、新たなログが出来あがる。扱いにくいviで読みだして書き込む。

いよいよこれで最終段階かと思った。しかしこのログは実際にターミナルが開いてそこでの反応が記録されるに過ぎない。つまり電源を入れて直ぐにターミナルを起動させないことには何一つ記録されない。つまり背後でコマンドが実行されていても何一つプリントされない。

そこでパイのターミナルLXターミナルについて調べてみると、意外に自動起動の情報が少なかった。その中で選択したのは最も多く情報のあった最も安定しているような方法だった。.config>lxsession>LXDE-piとフォルダを開けていくとAUTOSTARTがそのまま書き込める形であって、その最後部に上段と同じように@lxterminalと書き込むと自動的に開くようになる。

今度こそ最終段階である。先ずターミナルが開く、そこで自動的にコマンドが作動すればログが出来上がる。しかし出来上がらなかった。上の二か所に書き加えても駄目だった。そこでオートスタートの記事を見ていくと、今までとは異なる方法が書いてあった。そのものターミナルにコマンドを書き込むコマンドを与える方法である。

調べると、.bashrcを編集すればよいというのだ。そこの最後列にpcsensor -l600 -c > log-`date +%Y%m%d%H%M%S`と書き加えて、/etc/rc.localを元に戻した。これで電源を抜けばそのまま前のログの後が続けられ、再稼働すれば新たなログが書き込まれるようになった。

つまり、AUTOSTARTでターミナルが起動して、そこにコマンドが与えられて、コマンド通りにログにデータが書き込まれる。完成である。このようなラズベリーパイの運用では電源を外したり、モニターなどの端末が無いのが通常の使い方だと思うが、なぜかこの自動起動に関してはあまり情報がなかった。勿論スクリプトを製作してそれを始動させるのが真っ当な方法だとは思うのだが、堅牢に手軽に駆動させる方法も重要である。つまり最初のやり方の場合スクリプトをターミナルと関係無しに動かせばよいのだ。しかし、今回の方法で多くのセンサーなどの容易なモニターシステムのログアウトが可能になるので価値はあるだろう。しかし、いざ温度計を携行しようと延長コードなどを準備して地下に向かおうとして、先ずはガレージで実験したら上手くいかなかった。なぜだ!(続く



参照:
軽く回り過ぎるエンジン 2016-12-02 | 雑感
プロテスタンティズムの焦燥 2016-12-07 | マスメディア批評
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デジタル情報をものにする

2016-12-09 | アウトドーア・環境
昨晩はTVにトラムプ次期大統領と日本人が映されていたそうだ。安倍首相ではないということで、禿げ頭の男は誰かと思っていた。昨日の新聞を見るとトラムプとパートナーの孫社長の写真があった。思い浮かばなかった筈だ。

懸案のラズベリーを使った気温ログのシステムが漸く出来上がった。一月以上経過したが、実質的には数日間試行錯誤したことになる。懸案の検出される温度データーのログは問題なく取り出せることが分かった。ドライヴァーをインストールした時の中にプログラムが入っていた。よく考えてみればループを書くなど当然の作業であり、当然と言えば当然の機能である。READMEなどを読まないのが普通になっていて、珍しくコマンドのその後ろがサイトに書いてあって了解した。pcsensor -c -dとコマンドするとヘルプが出て「dはないが-l20で20秒ループでプリントされる」ことが分かった。以下のようなログが得られた。

pi@raspberrypi:~/Documents $ pcsensor -l60
2016/12/09 00:31:55 Temperature 38.86F 3.81C
pi@raspberrypi:~/Documents $ pcsensor -l600 -c

2016/12/09 00:32:43 Temperature 3.81C
2016/12/09 00:42:43 Temperature 4.25C
2016/12/09 00:52:43 Temperature 4.25C
2016/12/09 01:02:43 Temperature 3.81C
2016/12/09 01:12:44 Temperature 3.62C
2016/12/09 01:22:44 Temperature 3.44C
2016/12/09 01:32:44 Temperature 3.44C
2016/12/09 01:42:44 Temperature 3.44C
2016/12/09 01:52:44 Temperature 3.44C
2016/12/09 02:02:44 Temperature 3.44C
2016/12/09 02:12:44 Temperature 3.44C
2016/12/09 02:22:45 Temperature 3.56C
2016/12/09 02:32:45 Temperature 3.44C
2016/12/09 02:42:45 Temperature 3.44C
2016/12/09 02:52:45 Temperature 3.44C
2016/12/09 03:02:45 Temperature 3.44C
2016/12/09 03:12:45 Temperature 3.44C
2016/12/09 03:22:45 Temperature 3.44C
2016/12/09 03:32:46 Temperature 3.44C
2016/12/09 03:42:46 Temperature 3.69C
2016/12/09 03:52:46 Temperature 3.81C
2016/12/09 04:02:46 Temperature 3.94C
2016/12/09 04:12:46 Temperature 4.12C
2016/12/09 04:22:46 Temperature 4.25C
2016/12/09 04:32:46 Temperature 4.25C
2016/12/09 04:42:47 Temperature 4.25C
2016/12/09 04:52:47 Temperature 4.25C
2016/12/09 05:02:47 Temperature 4.31C
2016/12/09 05:12:47 Temperature 4.25C
2016/12/09 05:22:47 Temperature 4.25C
2016/12/09 05:32:47 Temperature 4.25C
2016/12/09 05:42:47 Temperature 4.00C
2016/12/09 05:52:48 Temperature 3.94C
2016/12/09 06:02:48 Temperature 3.81C
2016/12/09 06:12:48 Temperature 4.00C
2016/12/09 06:22:48 Temperature 4.12C
2016/12/09 06:32:48 Temperature 4.25C
2016/12/09 06:42:48 Temperature 4.25C
2016/12/09 06:52:48 Temperature 4.25C
2016/12/09 07:02:49 Temperature 4.25C
2016/12/09 07:12:49 Temperature 4.44C
2016/12/09 07:22:49 Temperature 4.50C
2016/12/09 07:32:49 Temperature 4.75C
2016/12/09 07:42:49 Temperature 4.69C

その前にはオフセットの記述が分かっていたので、時間の問題とは思っていたが、これで一先ず解決した。つまり図示化などしなくてもそのままログとして使えれば十分で、図示化はまた別の問題だったのである。しかしそれについて触れているようなサイトは見つからなかった。要するに皆実用的に使う以上に遊んでいるものだから自動的に図示化に進んでしまうのだろう。私が知りたいのは温度変化であり、その正確な温度への補正なども二の次なのだ。

そこでワイン蔵にこれを持ち込んで週末は温度変化を観測しようと思った。しかしはたと気が付いた。今ここで電源を落としてしまえばいったどのようにして上のコマンドを入れればよいのだろうかと。方法としては電源を落とさずにWLANの届く範囲でコマンドを与えた儘移動させることである。これは蓄電池がないと駄目である。もう一つは自動的に電源を入れると同時にコマンドを与える方法である。

これは例えばログインと自動的に上のプログラムを実施することはオートランとして可能だとしても、ワイン蔵から戻るときにまた電源を落とさないといけない。つまり観測結果を観るためにはもう一度上げると同時に新たなコマンドを与えてしまって、ログが消えてしまうことを意味する。それならばどうするか?(続く

日曜日の午前中にはバイエルン放送の交響楽団演奏会のアーカイヴからラロの協奏曲をキリル・ペトレンコが振ったものが流される。今まで耳にしたことがないものなのでぜひ聞いてみたいと思っている。何よりもアーカイヴのそのままの放送なので音質が良いので、YOUTUBEなどに出ているものとは違うのである。



参照:
震えるバルコンの測定 2016-12-08 | 暦
未来へのルーティン 2016-10-25 | テクニック
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震えるバルコンの測定

2016-12-08 | 
氷点下5度にもなると流石に寒い。期待した陽射しは上空の霧に遮られて暖かさには全くならなかった。放射冷却と上空の霧が重なるとこれ以上寒いことはない。手袋だけでなくて、バンダナも巻いて出かけたがそれでも寒かった。流石にパンツを脱ぐ訳にはいかず、柔軟体操をしている余裕もなかった。何よりも寒いからである。

体を温めるために走り出して、カメラも持って行ったが、陽射しが薄くあまり良い光景はなかった。風もなく、ラディオは暖かくなることばかりを告げているが、まだまだ寒い朝にそのようなことを聞いても暖かくもなんともない。

このシーズン初めてのパンツを履いてのジョギングだった。それでもランニングフォームが安定してきたので、それほど遅くもならずに走れるところもあったと思う。時計の充電池が上がっていて、計測はしなかった。出かける前に心拍計を付けようかとも思ったぐらいだがそれも冷たくてやめたほどである。室内もここ何日かは寒い。山の上には樹氷が白く輝いている。それでも車に戻ってくると汗を掻いてうなじが濡れている。それだけでも運動の価値はあるだろう。

WiFi温度計をバルコンにラズベリーパイにつけて設置しようと思ったが、就寝前の時間では技術的に解決しなかった。MRTGとRRDの差など全く分からない。それどころか温度計のドライヴァーの中に二秒毎にデーターを読みだすようにオフセット2などと書かれていることなど全く知らなかった。WATCHコマンドで呼び出してみて初めて分かった。そこまで準備出来ているならばログをとることも図示化することもそれほど遠くないと初めて分かった。

少し寒気が緩むようで、氷点を超える。それでも必要なのは冷凍庫だけでなく氷点下のバルコンの温度なので、必要なドライヴァーと修正してあるプログラムに拘らなければいけない。修正してある最新のものを組み合わせてシステムを完成するには知らないことを少しは学ばなければいけないのだ。GPS時計のログを読み込むプログラムを書きたいと思うのだがさてどれぐらい慣れが必要だろうか。



参照:
氷点下の峠を攻める 2016-12-03 | アウトドーア・環境
愛おしくて、侮れない 2016-08-23 | ワイン
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プロテスタンティズムの焦燥

2016-12-07 | マスメディア批評
昨日車中で聞いたラディオからである。リベラルな文化波からの内容で、若いドイツ青年がアフリカの援助で得た体験を語っている。アフリカと書いたが車中のことなので滞在地などは聞いていなかった。それでも重要なことは、青年も最初はパシフィズムの武器を持たない援助というものを想像していたようだが、現在の彼は「そのような考え方は冷戦時代のそれで、イスラム国などの現在武器を持たない活動はあり得ない」としている。

この発言で気が付いたのは先日訪日中に早稲田で講演して「日本は武器を持って責任を果たすとき」と提案したガウク独大統領の発言と通じるところがあるからだ。要するに日本で未だに隠れ蓑とされている九条と言われるパシフィズムに対する批判として認知することが可能である。勿論このラディオ番組の南ドイツ放送局の制作者は日本の九条信仰についても認識があるに違いない。

もう少し身近な問題として、フライブルクでの連続婦女殺人事件騒動から、町中の武器が売り切れたという話がある。婦女子にしてみれば何らかの防御武器を身につけなければ安心して外出できないとするのは当然だろうと確か上の番組の直前に話されていたと思う。

軍事力を使った治安維持と、日常の自己防衛手段とは異なるが、合衆国などの銃の所持問題などとも共通する思考もそこにはある。前記の青年が現場の感覚からそのように考えるようになったことも充分に理解もするのだが、一方では現実的な対応としての限界を感じてしまうのは当然ではなかろうか。

ここで注目しなければならないのは、ある意味特殊な信仰でもあるパシフィズムに対するこうした公な批判の声が大きくなってきていることであろう。ある意味、今までは真面な批判の対象とならなかったそれが議論の対象になってきているということかもしれない。そしてこうした動きの一方にはプロテスタンティズムを掲げる大統領や首相がいて、その政策こそが現実離れした理想主義から難民政策などが大きな問題となっていて、自己正当化しなければいけないという批判の矛先に立っているということだろう。

このブログのタイトルにあるように、関心を寄せてそのプロテスタンティズムを観察しているが、前教皇のカトリックの時世に続いて、ここでも国民の意識がそうしたプリテスタンティズム少しづつ乖離して行っていると肌で感じるのは私だけだろうか?

LINUXシナモンの最初の調整は一通り終えた。SAMBAは最小の形で、WIN8とファイル交換するように設置した。新しくSMB.CONFを書き込んだので勉強になった。再び遠隔操作の設定も、前回問題になったXfceを使わなくてもTIGHTVNCをインストールするだけでXrdpとして使えることが分かったので助かった。YOUTUBEの説明はMINT17に対してであって、MINT18はその点で改良されているのだろう。右クリックで打ち込みが出来、終了や再起動などもSHUTDOWNやREBOOTコマンドで可能なので全く問題なく遠隔操作が出来そうである。

久しぶりに今度は本格的にWiFi温度計が使いたい時期であり、再びラズペリーパイの方に戻ろうかと思う。こうして行ったり来たりしているうちに少しはLINUXの腕が上がるのではないだろうか。



参照:
違和感が消えるときは 2016-11-20 | 雑感
婦女暴行殺人事件の容疑者 2016-12-06 | 雑感
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婦女暴行殺人事件の容疑者

2016-12-06 | 雑感
フライブルクでの婦女暴行殺人事件の容疑者が逮捕された。二件の連続殺人がこれで解決するかもしれない。容疑者はアフガニスタンから2015年に親無しで入国した17歳の少年である。フライブルクでは600人ほどの同じような未成年難民を受け入れている。コンサートホールから線路を挟んだ教会公園では300件以上の事件が起きている。恐喝や泥棒などの青少年犯罪で、ケルンで起きた事件よりも以前から問題になっていたというのである。そこに今回EU官僚の娘でプフォルツハイム周辺から来ている医学生が強姦され、トライザムの川に投げ棄てられたことから、またそれ以前に近郊の女性がジョギング中に襲われて死体として発見されていることから市民の恐怖を煽ったということだ。

フライブルクをよく知っている者ならあり得ない事件と感じる。だから女学生が自転車でサッカースタディオの横を通って夜中二時に学生パーティーの後で自宅に向かう途中襲われたと知って興味を持った。なるほ自動車専用道に近い川沿いであり人気の少なさを考えると危ないと思うが、犯人もそれを知っての犯行だったのだろう。なるほどコンサートホールの周りはおかしな連中が屯していた筈だ。

シナモンLinuxの整備は徐々に進んでいる。先日の遠隔操作のインストールのためかシナモンの操作システムが消えてしまったので再インストールした。驚くべきことに短い時間で完全再インストールが可能となった。ネットを使わない再インストールでとても早い。

未だに解決していないのがSAMBAサーバーのセッティングである。先ずはその過程で気が付いたプリンターのインストールを試してみる。プリンターは必要ないのだがプリンターも動かせずにSAMBAでもないと思って設定する。これが中々面倒で、手っ取り早く機能しているもう一つのSUSEの設定を真似して行う。要するにルーター経由でプリンターにもIPアドレスが割り振られているので、そこに直接アクセスしただけでは動かないのだ。設定の形としてはそのアドレス付きとしなければいかないようで、マニュアルでこれを設定する自信はない。データーベースのドライヴァーを使って一度設定してしまえば思う通りに動かせるのだが、そこまでが複雑である。だからこのシナモンの良いところはマニュアルの設定と所謂GUIと呼ばれるグラフィック上での設定を交互に適宜使い分けが容易なところだろうか。WIN10以後をウインドーズを断念する決断をつけやすいOSである。

そして今度はスーゼの時のようにネット環境が不安定になったので、再び先日のハッカー攻撃かなとも不安になった。そこでdhclient -rでIPアドレスを解除して、同じように再取得して解決したので一安心。これはとても助かる、このコマンドがなければルーターを少々操作したぐらいでは難しい。そこで新しいIPアドレスでアップデートをする。

序にベットに向かう前に再びCHROMIUMをインストールした。同時に設定完了していなかったスーゼのこれを設定する。先日から調べていたクロームのルーター設定chrome://flags/#media-routerを外してやることで、キャスト転送可能となった。同じように今度は新しくインストールしたCHROMIUMで問題なくキャスト可能となった。64BitのPCならば最新のクロームブラウザが使えるのだが、32Bit機ではこの方法がよい。これでスピーカーなどを付けずに音を飛ばすことが出来るのでデスクトップの機動性が大きく高まった。IPアドレスを固定していなかったので、これを固定してここまで完成。



参照:
触る程度では必ずしも 2016-01-13 | 雑感
抑制不能の衝動の確信 2015-01-09 | アウトドーア・環境
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持続力を鍛えていくと

2016-12-05 | アウトドーア・環境
フランスで先日来話題になっていた写真家デーヴィッド・ハミルトンが自殺していたとあった。もしそれが80年代のことだったら世界のトップニュースになっていたに違いない。数日経ってから、折からの展示会中にパリの自宅で26日に死んで見つかったというのである。フランス公共放送の元人気司会者が12歳の時に暴行をはたらいたと公になって、それに反論してからから直ぐのことだった。ビニール袋を被って飲酒して風呂桶で見つかったという。

我々はどうしても同じようなスキャンダルの有名人として、なぜかここでもユダヤ系の「戦場のピアニスト」の映画監督ローマン・ポランスキーが思い浮かぶ。スイスのグシュタートで隠遁生活を余儀なくされたことを思い出す。理由は知らないが、上の写真家の場合はこの間に半生を過ごしたのコートダジュールから寒いパリに移って来ていたようだ。

前者の場合は趣味と実益を兼ねた仕事であったという訳だが、その写真家としての仕事とは異なって、当時でもローティーンの少女に暴行するのは罪であり、それを親や兄弟が金を貰って付き添ってくるというの間違いなく犯罪である。実際、今回の一連の経緯は担当大臣も言及したようなそのような犯罪事実があったことを傍証していることになるなのだろう。

子供の時からモデルとしてそこで仕事をしていたドイツ女優アンニャ・シュッテなどは、18歳の時に写真家から「おばあちゃん」と言われたと語っているようだ。そもそも彼女はこの写真家の好みのタイプである狐目のバムビのような女性ではなく、ドイツ人タイプの骨格なので、何事も問題がなかったようである。写真を撮るのにそこまでの熱意がなければいけないのかどうかは分からないのだが、なるほど自作映画作品の中で「モデルにする女の子を全て愛するらしいよ」という台詞を語らせており、またFAZの取材のジャーナリストが「いつも貼らせて頂いてました」と言うと、「君たちはポスターを持っていて、僕は女の子たちだ。」と答えたとある。

またまた自己記録更新である。14分35秒は21日の記録を13秒縮めている。上りも相変わらず足が滑ってどうしようもなかった。それでも7分で登れてしまうのは自信が付く。氷点下で週末よりは気温は高いが、湿気が高く、白く霜が付きっぱなしである。パンツを脱ぐには勇気が要ったが、準備体操中に少し温まる。それでも最後まで、ちびって来ているプロフィールの爪先が強く当たり冷えて来る。地面の温度が違うようだ。それでも足が動くのも柔軟体操のお陰である。ちょっとスキーの感じを感じられて嬉しいほどの地面からのショックの戻りがある。

今回の速さは、林道に入って数秒もしないうちに時速10㎞に至るほどその前から加速していたことで、最高速度も13㎞手前まで至っていて、最後まで持続可能だったことでの成果だ。マラソンの時速20㎞は不可能であるがもう少し時速15㎞ほどまで林道で走れるようになると、登りでも10㎞に至ることが可能ではないかと思うようになってきた。降りでも継続して負荷を掛けることで、心肺能力が高まってきており、同時に走れる足が出来てきていることから微かながら可能性が湧いてきた。これが高速ルートを走る目的である。

体重は70㎏を維持していて減量の可能性がないのだが、パンツのお尻がゆったりしてきていて、尻の肉が締まってきているようだ。意外に美容上の効果が出そうである。尻の大きさは構わないのだが、締まってくると腰から上が締まってくるような感じで姿勢が良くなりそうだからである。次に購入するジーンズが楽しみになる。腹や脇腹以上に締めるのが難しそうなところである。



参照:
これもヤリ手婆の腕捌き 2016-11-24 | 女
暈けた写真を撮ってみる 2014-12-16 | 雑感
公共放送の義務と主張 2005-12-24 | マスメディア批評
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楽譜が読めたならの持続力

2016-12-04 | 
ショスタコーヴィッチ作曲「マクベス夫人」上演での覚書。その二幕五場への間奏曲「パッサカリア」へと、これまた神父のシニカルな看取りの歌から続く。それが、その前には毒殺される御舅のソロヴァイオリンに伴われるご臨終の言いぐさと、犯人のお嫁さんのとってつけたような泣き女風の歌へから導かれる。そしてパッサカリア主題を持った間奏曲での四分の三拍子の付点八分音符十六分連符の繰り返される音型が、和声的にもクライマックスを迎えて、今度は三拍目へと十六分音符からスラーを掛けられる情景へとこの音型が導く。恐らくもっともこの作曲家が奏でた輝かしい響きとともに、局面が移っている。

劇では性から死へと推移であるのが常ではあるが、ここでは劇の最終局面を先行した死から性へと、ここにこの音楽劇表現が凝縮している。ここでは夫人の欲望に、一幕の夢心地の性への憧憬の三拍子の情欲を想起させて睦の第五場となり、先ほど毒茸のスープで毒殺した姑の亡霊が表れる。この間の音楽的な途轍もない持続力は、この創作の演奏実践で恐らく今まで聞かれたことのないものだと想像する。

そのパッサカリアの間奏曲の澄んだ和声から、情欲のシンコペーション動機の相似としてのスラーの音型が発展してフォルテッシシモに再び至る音楽運びの鮮やかさにショスタコーヴィッチの作曲の才気の全てを聞き取れるのではなかろうか - 一般的に聞かれる一幕におけるエクスタシーへの音楽と果てるトロンボーンのようなグロテスクな表現は、ここでは舞台と同じく、暗示に留まり全く強調されない。なぜならばそこに大きな意味はないからである。強いて言えば、包茎の指揮者のような早漏ではありえない持続力であるということだ。

少なくとも今回のように正しく演奏される限りにおいては、殆んどジョン・ウイリアムスの映画音楽になるようなキッチュな音楽表現はここには見出されない。それどころか、その響きの微細さにおいてオペラの歴史の中でも類稀な持続と表現がなされていて、なるほど第一交響曲で世界的に注目された作曲家であるが、このまま劇音楽創作活動が続いていたならば舞台作品で同僚のベンジャミン・ブリテンを軽く超えていたことは間違いなかっただろう。

こうした音楽表現だけでなくて、若干筋運びなどは凝縮され過ぎている感もあるが、これ程緊張感が継続するような音楽劇作品があっただろうかと思わせる。歌わないときにも出ずっぱりの主役の夫人役のアンニャ・カムぺの歌もロシア語の響きを除いては見事で、その演技指導の細やかさとともに芝居的な緊張感も与えていた。

もう一つ面白いのは、そのパッサカリアの最後は手元の楽譜では上記連符の繰り返しはチェロによって弾かれているがどうもオリジナルはファゴットのようで、モーツァルトの「魔笛」ではないがまさしく男根をイメージさせる楽器が去勢されているようだ。今回演奏に使われたのは批判的な校正の最新の初演版のようだが、出版社の実力からして、それがどれほどのものかは分からない。それでも、依然としてその楽譜の読み方を見なければいけない。例えば件の三拍子のそれがロシアのリズムにおいて、ヴィーンのそれとはまったく異なって読み取られるときにも、通常のリズム感覚では決して読み取ることが出来ないことになっている。今回のような譜の読み方を見せられると、一体ソヴィエトで教育を受けたとか何とか言っている超一流指揮者と呼ばれるような人々も全く楽譜が読めない人々となってしまう。



参照:
氷点下の峠を攻める 2016-12-03 | アウトドーア・環境
割礼禁止の判決下る 2012-06-28 | 歴史・時事
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氷点下の峠を攻める

2016-12-03 | アウトドーア・環境
日曜日にはミュンヘンからの中継がある。一週間で生で三回聞くことになるので、まだ暫くはショスタコーヴィッチ作曲「マクベス夫人」に取り組むことになる。劇場の駐車場に入れるのを遅らせたので駐車場料金は17ユーロにしかならなかった。これだけでの差額でダルマイールの何かが買える。少なくとも私は食事前にサラダが付けれた。

時間もあったために食事と買い物だけでなくてワイン棚なども覗いた。ドイツ・オーストリワインコーナでは。一番上にロベルト・ヴァイルの2005年物のアウスレーゼなどが置いてあった。なるほどこうしたところであの手のワインは売れるのだと分かった。それ以外はモーゼルワインが多く、フリッツ・ハークなどがあり、最上段はエゴンミュラーだったと思う。古いフォンブールなども置いてあってバイエルンとの繋がりを感じさせるが、プファルツはあまりなかった。

小旅行の疲れは癒せたかもしれない。それでも体を動かすまではしゃっきりとしない。数時間の乗車と寝不足は体調を崩す。歯茎が腫れ、反対側の鼻も腫れ気味になる。全ては抜歯後の後遺症であ親不知を抜くと大変なので、早めに健康なうちに抜歯してしまうという考え方が理解できる。それでも健康なうちに抜歯したじゃらと言って全く後遺症が残らないのだろうか、疑問である。

外気温は氷点下を大きく下回り、霜を避けるためにも朝寝してパン屋に行く。日曜日もあることであり、走るべきかそれが問題なのである。序に短いコースを走っても良いぐらいの気持ちで出かける。流石に冷えていて、駐車場には一台しか車が停まっていなかった。

思い切ってパンツを脱いで、手袋をはめる。時間をおいたので少しは暖かくなっているが依然氷点下を二度以上下回っている。ゆっくりと靴紐を締めていると車がやってきた。柔軟体操をしているうちの少しづつ体が温まってきて、これならば峠を攻めれると思った。何よりもそれで明日をお休みに出来るのが嬉しい。放射冷却でもそれほど体の硬さを感じることなくスタートした。

温もりを感じるうちに呼吸も激しくなるが、極めて順調なゆっくりとした足取りだ。20分で峠に達成できれば良いと考えて、最初の坂を力強く走り抜けそのあともテムポを守りながら加速する感じで走る。あとで調べてみるとその後に減速していて、逆コースの下りで加速するところでもある。要するに気が付かないほどの勾配になっているのだろう。さらに減速して粘るが、テムポを落とさないことに留意する。加速気味に長い坂を終えて、水平道で再び加速をして峠まで粘った。気持ちからすると攻めているので、坂に負けない走りが必要そうだ。時計を見ると19分2秒だった。出だしの状況からすると満足な数字で、記録達成が可能な到達時間となっている。

峠で減速することなく呼吸を強くして加速態勢に切り替え、時速8キロから一分ほどかけて時速10キロへと至る。その後は三件ほどの人とすれ違うが殆んどスピードを維持している。あの路面状況では可成りのスピードである。ラストは時速11キロまで上げて、自己最高記録30分32秒と、11月8日、22日の31分5秒を大きく縮めた。上りと下りのバランスが取れた。あと32秒縮めるのは容易ではない。少なくとも路面状況が好転しないと難しい。上りでの短縮可能性も午後に20秒ぐらいか?



参照:
ポルノオペラは御免だ 2016-11-22 | 音
代表的音楽家や演出家 2016-11-08 | 雑感
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