Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2021年3月

2021-04-29 | Weblog-Index



毎分心拍数とピッチの関係 2021-03-31 | 生活
新音楽を浪漫する 2021-03-30 | 音
夏時間明けに様子を窺う 2021-03-29 | 暦
まだまだ遠い目標点 2021-03-28 | マスメディア批評
これからの動機付け 2021-03-27 | 料理
合意形成の行政機構の確認 2021-03-26 | 歴史・時事
アーモンド咲き乱れる頃 2021-03-25 | アウトドーア・環境
PCR検査すると陰性に 2021-03-24 | マスメディア批評
見事な手綱の捌き方 2021-03-23 | マスメディア批評
夢のような倒錯した舞台 2021-03-22 | 音
全員検査陰性の感染対策 2021-03-21 | 文化一般
花咲かさない爺さんの念 2021-03-20 | 生活
あまり記憶に残らない指揮 2021-03-19 | マスメディア批評
状況を俯瞰する 2021-03-18 | 暦
コロナ収束への工程表 2021-03-17 | 生活
心拍52でノンレム睡眠落ち 2021-03-16 | 生活
コメディの為の音楽の神髄 2021-03-15 | 文化一般
愚公山を移すの如し 2021-03-13 | 文化一般
24時間の最初の計測 2021-03-12 | 生活
箍が剥がれない様に 2021-03-11 | 雑感
針の様に指に刺さる髪 2021-03-10 | ワイン
夜明けとなる大飛躍 2021-03-09 | マスメディア批評
殆ど移民の為に酸素吸入 2021-03-08 | 歴史・時事
コロナ禍は夏までに終息 2021-03-07 | 料理
先を見通す下調べ 2021-03-06 | 雑感
文化的催しへの工程表 2021-03-05 | 文化一般
指数50から100の狭間 2021-03-04 | 歴史・時事
決断の前日の情報 2021-03-03 | 雑感
飛び立つ白鳥と同一化 2021-03-02 | 文化一般
またまたTacetの芸術 2021-03-01 | 女
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配達された新品のLP

2021-04-29 | テクニック
湯舟の栓のゴムパッキングを替えた。栓のヴァルヴが壊れて閉まり難くなってから20年以上経っている。お湯が少々漏るのは仕方がないと思っていた。流し湯みたいなもので、それほど長い時間でも無く、お湯が溜まるのが早ければそれ程無駄にしている印象は無かった。年に数回使うぐらいだ。

それでもこの冬は使っているとお湯の抜け方が早いと思うようになったので、手元にあるパッキングセットから適当なものを選んで嵌めてみた。無理やり伸ばして嵌った。太過ぎるので栓が浮く感じになるが上から押さえつければ締まると思った。接着して入浴を楽しみにしていた。

ある時湯舟の縁に乗せてあるそれを見るとゴムが取れていて切れていた。思い掛けない結末だった。そそも栓は下からばねで引っ張る形になっていて、開閉がヴァルブで出来た。そのばねは掃除か何かの時に伸びて剥がれてしまった。更にヴァルブの開閉に力を入れている中にその部分も壊れた。あまりいいシステムでは無かった。

仕方が無いので違う目的、確かCDプレーヤーのトレー開閉装置の為に購入したVべルトが大きさが合わずに余っていてそれを使ってみようと思った。大きさが合うのは無かったのだが、長いものを切って縫合するした残りがあった。これを適当な長さに切って瞬間接着すると元々の溝に嵌った。それでも細過ぎるので止水出来るかどうかは分からない。必要ならば二本重ねれば良いと思った。

先ずは実験をすると三十分ほどしても水が漏れていなかった。久しぶりに入浴した。なにが違うかというと、お湯を損失するだけでなくて、入っているときに抜けないので、湯温があまり下がらない。それがなによりもだった。そして漏れる水音も無く、慌てて上がる必要もない。満足な出来だ。そして水を抜く時に指で引っ張ると張力で中々剥がれなかった。これは間違いないと思った。べルトがどれほど保つか分からないが、先ずは完璧に使える。

そのパッキング類と同じ袋にゴム足などが何種類か入っていた。詰め合わせセットを購入したからなのだが、それが使える事に気が付いた。先日CDを何枚か購入、更に月末までの注文へと物色していて、プレーヤーを点ける度に回転モーター部分が唸ることが気になる。通常は聞こえないのだが鳴っているのを知っているからだ。振動を上手く抑えるとピックアップ能力にも貢献することは予想可能だ。なによりも僅かでも箱鳴りを止めたい。その下にショックアブソーバーとして使ってみることにする。なにが変わるかは、耳で確かめてみればよい。備え付けの足から乗せている台に伝わってそれが戻って来て箱が共鳴していた。だから上から押さえつけても駆動部に影響を与えるばかりか効果は少ない。

確かに音は変わった。音の密度が変わる。確信が持てれば接着剤で貼り付けてもいいと思う。数百ヘルツの唸りだったので、硬質のゴム足でカットできる。こういうのがオーディオ趣味で、忙しくライヴに通っているとそうした余裕も時間も無い。手っ取り早く参考資料の音源を鳴らすだけで、オーディオから愉悦を感じようなどとは思わない。

そのCDもなぜか日本では評判の悪い旧EMIのものを聴いてみた。録音はDGとは異なって評価の高いEMI録音であるが、その悪評判の理由が分かった。どうもデジタル初期にハイレートマッピングが為されていないような感じで44Bit44.1kHzの音しかしない。だからSONYのスーパーマッピング48Bitなどの音の方が爽やかである。ハイレゾを聴き慣れた人には自明かも知れない。

LPが届く。先ずは梱包を吟味して、盤を観察してみよう。JPCからは早速一割引きのオファーが入っていたが、安いものには効かないだろうと思う。5ユーロ以下で適当なものがあればやぶさかではないが、少なくともCD以上な価格を出すつもりはない。



参照:
四半世紀ぶりにLPを 2021-04-27 | 生活
縫合したゴムベルトで駆動 2016-06-10 | テクニック
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抱かない間違った野心

2021-04-28 | 
フランクフルターアルゲマイネ新聞のクリスタ・ルートヴィッヒ訃報を読む。どこの訃報記事も同じような内容が重なるのだが、なんとなくその視点に共通点も見付かる。

なぜ彼女がプリマドンナで無かったのかに関しての興味がそれだ。ここではその若い頃の判断と声の特徴に言及されている。一つはその声色は決してとてもバランスが取れた声では無かったという限定である。フランクフルトやダルムシュタット時には「ドンカルロス」のエボリ姫や「ヴォツェック」のマリーを歌ったというが、自身その高声が凸凹道だったと述懐している。

因みにこの新聞は2018年に大きなインタヴューをしていて、その内容は他紙や放送局でも今回引用されている。その時のインタヴューアーがこれを書いているケスティング氏である。

それでベーム博士にダルムシュタットで請われてヴィーンに移ってからは、それ故にケルビーノだけを歌う様にアドヴァイスされたようだ。それもあって二年後にはタイムズ紙でブリギッテ・ニルソンと並んで欧州の歌姫とリストアップされたという。そして1959年にビングのもとでメトデヴュー、しかしその二年間で12回のみケルビーノでしか登場しなかった。

その後「影の無い女」でのバッラクの妻、バイロイトでの更なるソプラノへの依頼があり、バーンスタイン指揮でのイゾルデは録音オーディションまで始まって、「間違った野心」として固辞した。そのバーンスタインは、彼女がブラームスを歌えば最高、シュトラウスで最高と、ヴァークナーでまた最高、自作の「キャンディード」で「兎に角、最高の歌手」と語った。

その裏では、レオノーレを歌った後で声が枯れて医者の世話になったという。東京の日生劇場のこけら落としの後もそうだったのだろう。

ここでは代表的録音として、ブラームスの「アルトラプソディ」、「ツィゴイナーリーダー」の情熱的で、哀愁に富み、豪放にそして優しくの声の変化を、同じくマーラー「亡き子を偲ぶ」、録音の古典ヴンダーリッヒとの「大地の歌」。

シュヴァルツコップと組んでのヴォルフの歌曲「イタリア歌集」においても意識的なニュアンスを避けて成功している。そして、著書にあるが、あまり知られていなかったのは1971年の声帯裂傷の不幸で、それを繰り返した。

しかしザルツブルクの最終舞台1993年8月9日のお別れ公演では聴衆は誰もお別れとは思まなかったぐらいで、済々としていたと、シュトラウスの「モルゲン」というプログラムだった。これは既に先日言及したように、ここでも若い時の声の膨らみこそなかったが、決してそういう惜別を感じされるものでなかったと評してあり、なるほどそうだったと自分自身の記憶を振り返る。実際にクリスタ・ルートヴィッヒ自身、これで毎日声の健康を考える必要が無くなったと解放されたコメントを残しているようだ。

引退後はカンヌに引っ越して、その後ヴィーンに戻っていて、93歳で亡くなっている。個人的には93年以降もザルツブルクで見かけたが、シュヴァルツコップの様にその顔立ちは直ぐに分かっても目立つプリマドンナでは無かったことはよく覚えている。



参照:
Sie war einfach die Beste, JÜRGEN KESTING, FAZ vom 25.04.2021
あれから深々と三十年 2021-04-26 | 女
歴史に残るようなこと 2019-09-17 | 文化一般
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四半世紀ぶりにLPを

2021-04-27 | 生活
ヴュルツブルクに電話した。予約券の支払いに金券を使うためだ。金券を使うこと以上に情報収集を考えて、締め切り日近くまで粘った。それで二週間延長が分かり、より状況がはっきりするまでとあった。同地のモーツァルトフェストは市が運営しているので、バイエルン州の意向も分かる。つまり、5月から始まるので、前半は吹っ飛んでしまうだろう。6月のどこから動くかである。

サッカー欧州カップからすれば6月15日開催が決まっているので、ラインハルトゲーベル指揮の夜となる。しかし「イドメネオ」公演は11日である。もし根拠も無しにとなると本当に許せないことになる。判断如何ではゾーダー知事の政治生命が掛かっていると思われる。

ルートヴィヒスブルクの音楽祭の方も見た。ここはバーデンバーデンの延期の日程に重なっていたので、初日の券を購入していなかった。オクサーナ・リニヴが祝祭管弦楽団を振って「大地の歌」で開幕の予定だった。これも5月6日なので当然のことながら中止になって、現地から中継されることになった。但し大編成の「大地の歌」では無くて、ジョンケージ「4分33秒」と田園交響曲となった。楽団は寄せ集めでどの程度になるかは知れないが、楽しみである。特にケージの作品は11月にキリル・ペトレンコが振って話題になったので、それ以上に何かが出来る自信があるのだろう。お手並み拝見と行きたい。「田園」も勿論楽しみである。ネット中継でArteも中継する様なので話題性は逆に高まるかもしれない。

先行き不鮮明と同時に車中のラディオは既に優先接種第二グループの接種の終了が見えて来たことから、5月中旬からは打ちたい者が皆打てるようになるらしい。早く50%の分岐点へと乗せて欲しい。ドイツの場合は二本目の接種期間が守られるようになっているので、半数の二本終了は比較的他国と比較しても早めに完了すると思う。

ファイザーもモデルナもアストラゼネカと同じように血栓になるようだが若干比率が少ないようだ。なんでもいいから半数の人が自己犠牲で接種を終えてくれると話しは早い。死者も重篤者もごっそりと減れば後は公衆衛生上の扱いだけになる。

四半世紀ぶりに新譜LPを発注した。最近はCDよりもLPが出るようになったらしいので興味はあったが、リストを見てもこれというようなものが手ごろな価格では見つからなかった。一番欲しいのは買いそびれたアナログ録音盤だ。オペラもいいと思う。しかし実際にはそのような贅沢な商品は出ていなくて、嘗てLPを収集していた人が飛びつくようなものは少ない。あっても当時よりも高価であってはつまらない。

見つけたのは安売りのオルフェオ盤で、ミュンヘンでの録音などが多かったが殆ど購入出来ていない。そして発注したのもデジタル録音だった。CDなどで購入した方がお得でいいのだが、二枚で僅か12ユーロ以下で、なんと送料無料なら邪魔になっても試しに買っておきたかった。CDへと進む発売のあの当時でも例えば日本で新品一枚1000円では絶対売っていなかったと思う。外盤処分でもこれならば最低1500円ぐらいはしたと思う。

しかもその内容二枚ともフィッシャーディスカウのリーダーで、LPを引っくり返すぐらいが丁度いい。プフィッツナーとツェルター一枚づつ、前者はヘル、後者はライマンの伴奏である。どうしても手が出る。これで曲がりなりにも、アイヴス、ヴィーナーシューレ、その周辺と面白いところのLPが結構揃った。

そもそも最後に中古であってもLPを購入したのは前の世紀ではないかと思う。先ずはその梱包やジャケットや盤質など細かくチェックしてみたい。



参照:
とても参考になるLP 2019-10-17 | 音
新LP一枚5ユーロを切る 2019-10-16 | 生活

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あれから深々と三十年

2021-04-26 | 
先日購入した7枚のCDの6枚の音出しが済んだ。なによりも気が付いたのは久しぶりにCDプレーヤーやLPなどから流れる音響の快さだ。それは192kHzのハイレゾ音響のHiFi感には及ばないが、如何にもオーディオファンや所謂メディア音楽オタクには喜ばれそうなモドキな響きが良い。勿論そこに録音再生芸術の美的な美しさがあって、その事なしには誰もオーディオやメディアを購入することなどは無い。逆にPCオーディオで生放送や生中継のハイレゾダウンロードなどを繰り返しているとそのような趣味の世界からは遠ざかるばかりで、リスニングルームでの偽音楽体験とは尚更遠ざかることになる。

実際の副調節の音はマイクロフォンからその場の音響をモニターするだけなので本当にHiFiなのだが、そうした夢の世界の音とはまた遠い。とても即物的な世界である。そこに初めて聴衆もいないところで音楽美が宿る。

言及したベルリンのイエスキリスト教会でのジュリーニ指揮の録音も素晴らしかったが、アバド指揮のマーラーの交響曲三番はまた別な意味でとても興味深かった。音響は1980年の黄金のザールのようだが綺麗に捉えられていて美的なのだ。それゆえに同シリーズのシカゴでの録音に比較して、音楽的にもあまりにも鮮烈に演奏しようとしていて、現在のマーラー解釈からするととても時代を感じる。要するに音楽のセマンティクな意味が欠落していて、演奏解釈として最早通じない。おかしなことにカラヤンが振ったマーラーの交響曲とそれ程遠くないところに位置する。但しエサペッカサロネンなどが指揮する明らかに音楽のイデオムを無視したものとは全く異なる。ショルティー指揮などよりも即物的でも、より中欧のイデオムに根差した音響となっている。

なるほどアバドは最晩年に「千人の交響曲」を振ることを拒否したのだが、彼の譜読みからすれば最早何もそこに引き出す内容も音楽も無かったのはこうして容易に理解できるようになった。こちらが勝手に無いもの強請りをしただけだった。そのお蔭で死の年にもバーデンバーデンでモーツァルトを振りに来たが行かなかった。「レクイエム」の指揮にも失望していたからだった。

20世紀に活躍したメゾソプラノのクリスタ・ルートヴィッヒが亡くなったようだ。存命とは知らなかった。最後に聴いたのがザルツブルク音楽祭最終公演だった。1993年8月9日月曜日だった。それから三十年ほど経過している。その時に余り券があったので誘ったグラーツのおばあさんは生きているのかどうか。お礼に軽食を御馳走になった。確かピーターセラーズの講演で知り合ったのだと思う。オペラ歌手が脱ぐことは、「その人に覚悟があれば構わない」と話していた。今から考えると久しぶりに若い男とデートとなったので興奮していたのだなと思う。こちらはその話しぶりに「グラーツの人でしょ」とベームとの共通点を見つけたと嬉しくなっていた。

当夜のプログラムに纏めてあったように、音楽祭には「魔笛」の第二の侍女としてまた「アリアドネ」の作曲家として1955年にデビューしている。調べてみると前者はフルトヴェングラー指揮のプロダクションとの歌手の重なりがある。後者はベーム指揮でデラカーザとショックが歌っている。

そして最後の出場はシューマン、マーラー、ブラームス、リヒャルト・シュトラウスとそのものこの歌手のメインレパートリーであろう。マーラーはその年に二番の交響曲を歌ったのを聴いている。流石に若い時ほどの声に精彩は無かったと思うが、まだまだ歌えていたのは間違いが無い。

個人的には、ベーム博士の晩年にブラームスのアルトラプソディーを歌っていたのが印象に残っている。活躍時期もあってか彼女の深々とした声はまさにアルトだった。勿論様々な録音ではやはりベーム指揮の「コシファンテュッテ」のドラベラは外せない。全盛期は1960年代だったのではなかろうか。それを考えるとオペラこそは記憶していないが、日本公演でも日生劇場の杮落しのレオノーレぐらいでしか歌っていないのかもしれない。
Christa Ludwig bei Alfredissimo

Das Lied von der Erde: VI. Der Abschied, "Die Sonne scheidet hinter dem Gebirge" (Contralto)




参照:
公共放送の義務と主張l 2005-12-24 | マスメディア批評
詐欺の前に凍りつく聴衆l 2012-08-19 | 文化一般
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四回目のキャンセル

2021-04-25 | 雑感
バーデンバーデンから手紙が入っていた。内容は5月の計画がキャンセルになったことと、その理由に5月16日までの州の規制そして連邦政府の決定と挙げられている。両方とも駄目だったという事でもあろう。

これまでベルリナーフィルハーモニカー公演は都合四回キャンセルされたことになる。あとから考えれば最初の決定でもう一週間程猶予を貰って開催していればという気持ちが強い。二回目の2020年11月追加公演は感染の広がりから難しいと思った。しかし数日日程が違ったら可能だった。三回目の今年も状況から難しかった。追加公演も感染対策が遅れてチグハグとなった。

安全性からすれば最初の時に人数を半数に制限していたなら全く問題は無かったと思う。しかしあの時点ではノウハウが欠けていて結果論でしかない。いつも数日日程がずれていれば可能だった。復活祭に行うという祝祭という事で宿命的だ。

一方で新たな衛生コンセプトを提出して更に大掛かりな上演が出来るようにするとある。ネットニュースでは特に英語のものなどは出任せの取材をしていない情報が流れているが、再開は夏6月初めになるかどうか、後半にはヴィオッティ指揮のスペインの楽団がオッテンザムマーのソロで入っている。

夏のセガン指揮の欧州室内管弦楽団もまだ日程が出ていない。7月末のゲリギーエフ一団の「トスカ」引っ越し公演辺りがその狙いだろう。

聖霊降臨祭にはSWRを振る筈だったエラスカサドに代わってマナカルダが振るという。ピアノはシュタットフェルトである。それならティートュス・エンゲルでもよかったではないか。無観客で四日間ほどやるので、シュタットフェルトのリサイタルを入れたとすると、もう一日誰を入れるのか?

そして肝心の寄付か金券への変換のお願いが書いてあった。既に2022年分は購入していているので、いつの時点で寄付にするかの決断だけだ。それほど金に困っている様子はないので、もう少し様子を見てみよう。

もう一年寄付しておけば、少なくとも再来年の情報は少しだけ先に入る。それだけだ。11月に去年の様に埋め合わせが入るのかどうか、極東公演次第である。2023年復活祭は「影の無い女」上演と予想されるが、ヨーナス・カウフマンが出る訳でもないのでそれほど早くは売り切れない。皇后と皇帝を誰が歌うのか、演出が誰かが焦点。あまりこれと言った名前は浮かばない。ドラマティックな歌を歌える人は男女ともそれほど多くはない。

ミュンヘンから地元紙が伝えている。ゾーダー知事がサッカー欧州選手権にミュンヘンのアリアンツアリーナに少なくとも二割の収容で6月15日に開催することを決めたという。つまり、同様に文化関係でも日程を約束しない限りは、バイエルン憲章に書いてある通り「文化国バイエルン」では無くなり、政治家としての信頼が喪失してしまうだろうとしている。

つまり国立劇場やガスタイクに少なくとも400人の聴衆を集めての日程の確約をすべきであるとした。具体的にはオぺルンフェストシュピーレの新制作「トリスタン」を確約しろという事にもなる。既に言及したようにそれがまだ為されていないから配券が出来ていないのである。

400人という数字は2000人に二割を掛けただけだが、劇場の減員座席図からすれば500人となり、それが未だに確約されていないことがこの記事から証明されたことになるだろう。現実的に5月初めにはそれ以上は望めない。そして接種が進んで来て状況が好転しても800人から1000人の間だと思われる。申し込んだ中で一枚か二枚配券されれば御の字だろうか。

これからすればやはりバイロイトは無観客になる可能性がとても高い。合唱を客席に入れて歌わせると面白いと思う。



参照:
Wenn Markus Söder glaubwürdig bleiben will, Robert Braunmüller, AZ vom 24.4.2021
五月以降の見通し 2021-04-23 | 暦
コロナ収束への工程表 2021-03-17 | 生活 


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伊達の安全策は止せ

2021-04-24 | テクニック
尾身先生の会見を生で流していた。会議で決まったことの中にマスクの話題があった。マスクに関しては個人的にも最も興味があったので、何を言うのかと思っていた。何でも無くいいマスクをしましょうと言うお薦めでしかなかった。今更、綿布、ウレタン、不織布で出来るだけ不織布にしましょうと言う話しだった。日本は昔からマスク大国と見られていたが、アベノマスク時に給食マスクが配られていたことで、一挙にまやかしであることが世界中に知られた。

ウレタンに比較すれば濡らせば遮蔽力はあるだろうが、火事場で逃げるのとは異なる。未だに日本では国民全てに不織布マスクを供給できるだけの力が無いのだろうか。個人的には布を巻くだけで良いと言われた時にKN95を使ってスーパーで買いものをしたが、既にドイツでは公共交通機関では全員がFFP2以上が義務付けられている。要するに日本のような伊達マスクを使っていると罰せられる。

背景には、変異ウイルスが明らかに空気感染力があるという知見に基づいている。そこまでは尾身先生も言及するのだが、伊達マスクも無いよりはマシという事で禁じようとはしない。彼自身も咳の正しい仕方も身に付いておらず、日本以外では罰せられるべき感染病の世界的権威者になっている。

強い制限無しには大阪に見られるような医療崩壊で今後も大量に死なないでもいい死者を誰も防ごうとしない。まさしく未必の故意で、彼の森鴎外以上に責任を負う事になるかもしれない。

ベルリン工科大学のヘルマンリッチェル研究所のスタディーを見れば意味が分かる。市中での空気感染の危険性が数値となってでている:

劇場オペラ美術館 30%収容でマスク着用 0,5
女性美容院マスク着用          0,6
劇場オペラ美術館 40%収容でマスク着用 0,6
近郊公共交通マスク着用 0,8
スーパーマスク着用 1,0
映画館 30%収容マスク無し 1,0
買い物10平米に一人収容 1,1
映画館 40%収容マスク無し 1,1
食事処 25%収容 1,1
フィットネスジム 30%収容マスク着用 1,4
体育館市民スポーツ 50%収容マスク無し 1,5
長距離バス 3時間乗車 50%乗車マスク着用 1,5
多人数事務所 20%収容マスク着用 1,6
水泳プール 2,3
食事処 50%収容 2,3
ハイスクール 50%収容マスク着用 2,9
フィットネスジム 50%収容マスク無し 3,4
ハイスクール 50%収容マスク無し 5,8
多人数事務所 50%収容マスク無し 8,0
ハイスクール定員収容マスク無し 11,5

空気感染の広がり方から再生産数を計算したもので、0,5では一人感染者がいても0.5人にしか感染しない。11,5では11.5人に感染する。

オーストリアが5月18日の全面開放を正式に発表した。まだ三週間あるが、テストや接種証明で殆ど自由化される。但し催し物も屋内では最大1500人迄、屋外で3000人と規制が設けられている。但しレストランでもFFP2防御マスクの装着義務は変わらない。収容率は50%としているので昨夏のザルツブルクよりは悪い。変異株に依っての空気感染の強さへの知見がそこに明らかとなっている。

オーストリアのティロルは今も封鎖されたままで、そこでの変異株の猛威は未だに消え去っていない。反対に西のフォーアールベルクなどは早くから規制が緩和されている。もっと早めに州毎の閉鎖押しておけばこのようには広がらなかった。同じような状況は各国にもある。

これで予定通りザルツブルクの聖霊降臨祭が開ける。しかし、ホテル等は5月一杯休んでいるところが多い。最も重要なのはドイツからの旅行者である。予定では接種済みカードか陰性テストで問題なく国境を通過できる様にしたいらしいが、抗原検査の不確かなものと接種による免疫が消えてしまう事から、これも伊達の安全策となる。




参照:
Corona-Studie: Geringes Infektions-Risiko in Theatern und Kinos, WDR3 vom 13.02.2021
未だ遅くないマスク選び 2021-02-06 | 生活
FFP2のパン屋さん 2020-12-22 | 暦
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五月以降の見通し

2021-04-23 | 
朝一番で現金引き出し機に向かった。流石に直っていた。一先ず安心だ。車の燃料も何とかなりそうなのでパン屋に向かった。久しぶりに買いたいだけ購入して、更に車に設置している小銭をデポした。

風が強くて寒かった。調子が悪いので出来る限り負荷を一定にして上ったつもりだ、その分下りは負荷を掛けられたが、結局前回よりも遅かった。上り下りのトレイルランニングでは一定負荷では走れないので、早いところは早くの方が短い距離では早く着くようである。

今回の国会決議から大統領署名となった時限法案の感染防止法の影響があって、頭ごなしに新陽性者指数100を超えることで制限が直ぐに掛かるという事になる。つまり、3月にベルリンで試みられお手本となったテュービンゲンのパイロットプロジェクトも否定されることになった。

今後は選挙戦も絡んで脱コロナを如何に上手に描けるかが政治家の成果になるだろう。保健相スパンやバイエルン知事の様に幾ら声を上げても最終的には有り難がられない。緑の党や自由党の様に自由を叫んでも後の祭りである。

よって水曜日にはバーデンバーデンの復活祭延期プログラムも中止になった。更に楽天的に見られていた聖霊降臨祭も吹っ飛んだ。代わりに予定されていたSWR交響楽団が無観客中継するという事だ。人気ソリストと交渉中というが、指揮者がヘラスカサドで、ブニアティシュヴィリから誰かに代わりそうである。サラオットぐらいか?

「マゼッパ」はベルリンで一日だけ無観客で上演する心算のようだが、人件費を考えると損失だろう。バーデンバーデンの友の会ぐらいにはただで見せて欲しいが、それどころではないとも思える。

ミュンヘンのオペルンフェストシュピーレは、四週間遅れて5月10日に配券を始め月内に終わらせ、残り物も6月12日に発売とあった。理由は座席数が決まらないからだが、削減数でも確定しなかったとすれば厳しい。500人で売り出して、競争率最高の「トリスタン」が五回で2500席、ざっと半分をスポンサーなどに配って、1500席ほどの抽選。

今回は満席は不可能で、最高2000のところを1800人も難しく、精々800席ぐらいだと思われる。すると残りは一晩300席ぐらいだ。それをネット販売すればよい。出来なかったのは500席が確定できなかったとしか思われない。可成り厳しいことになりそうで、入券は本当に難しい。我々が若干有利なのは、最終的には海外からの訪問者が昨年ほどではなくても少なくなることだろう。

ヴュルツブルクのモーツァルトフェストも支払いを済ませなければいけない。週明けでもよいがそれほど進展する気配もない。少なくともキャンセルの為には払いたくないのだ。なぜならば昨年の金券を使うためにも注文したようなものだから。それでも貴重な座席を別けてくれたので行かなければいけないという使命感も強い。



参照:
コロナ収束への工程表 2021-03-17 | 生活
愚公山を移すの如し 2021-03-13 | 文化一般

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教養講座のような内容

2021-04-22 | 
注文したCDが届いた。ずっしりとした印象で、なぜかなと思った。全てウニヴァ―サルの二種のレーベルのもので一つ一つの製品が重い。ブックレットも三カ国語でパージ数も標準だと思うが、最近はプラスティックケースも珍しくなったので、またCD自体も印刷が分厚い。デザインはLPなどのそれに準拠したものはそれなりの金が掛かっている。

先ずは早速3.99ユーロの価値を確かめるためにポリーニのスケルツィの音出しをした。久しぶりにずっしりとしたしかし若干籠ったようなピアノの録音を聴いた。1991年にミュンヘンのヘラクレスザールで録られている。9月であるから演奏会の前後なのかもしれない。

ジャケットの写真も当時のポリーニで白髪がぼちぼちの壮年期のもので、このピアニストの頂点の頃だと思う。籠った音の意味は録音の技術や会場だけでなくて、現在のショパンコンクール出身者との差で余計にそのように感じるのかもしれない。とても興味深い。

続けて、ジュリーニ指揮の「死者の為のレクイエム」を流す。とても素晴らしい録音でベルリンの教会で録られている。そしてフェストヴォッヘンの86年でなくて三年後に録音されていることに気が付いた。その年に再演されたかどうかは知らないが、演奏はやはりとても素晴らしいもので、遅れて録音された背景をカラヤンの権力の弱体化との関係で推測が出来る。これだけの演奏だから録音させなかったのだろう。カラヤン時代に聴いたフィルハーモニカーの演奏では出色だったからだ。

二年前の同じ楽団でのムーティ指揮のそれと比較すると、やはりジュリーニ指揮の楽想の彫塑が全く異なる。これもポリーニの演奏と後継者らとの比較ではないが、技術的には二十年前よりも明らかに良くなっているのだが、これだけの音楽を引き出している人は中々いない。

放送でベルリンからメータ指揮のブルックナー第九とヴィーンから「パルジファル」の双方とも無観客公演が流れた。偶々前後したのでとても面白かった。

先ずはメータ指揮がヴィーナーフィルハーモニカーを振る時よりもよりヴィーナーな演奏になっていて、ブルックナーにしては柔らか過ぎるぐらいに感じた。なぜだろうかと思っていたのだが、ヴィーンでのフィルップ・ヨルダン指揮を聴いていてその差がよく分かった。

ベルリナーフィルハーモニカーがメータ指揮で演奏すると独特のバランスで鳴るという事なのだが、それが彼のスヴァロフスキー門下のアナリーゼの細かさだと改めてヨルダン指揮を聴いて理解した。ヴィーンの伝統と言ってもいいのかも知れないが、フィリップ・ヨルダンの事細かでとても素晴らしい30分程のガイダンスを観て、逆にそこに欠けているものがとてもよく分かった。

教養講座のようなとても懇切丁寧な内容なので改めて紹介したいと思うのだが、楽曲の全体構造とその動機の扱い方、そしてオーケストレーションのミックスにも言及していて、この新音楽監督の楽譜の読み方がよく分かる。新聞評でもヨルダン指揮ヴィーナーフィルハーモニカーは評価されていたので、その歌手への批評と共に真の核心は何処にあるかを指摘しないと駄目だと思う。

まさしくメータの指揮がある種の伝統を受け継いでいるのはそこだと思う。嘗てフルトヴェングラーが自らの論理で楽曲の有機性を追求して新たな響きを創造した様には当然のことながら容易にはならない。

ヨルダンの読み方は父親の残した楽譜の書き込みとチューリッヒかどこかでの本当に基礎的なアナリーゼに立脚したものだろう。それでも調べてみるとそこら中でこの舞台神聖劇を振っていて、それどころかバイロイトでも振っている。

今迄この作品を立派に振った指揮者は殆どいない。ジュリーニの弟子のネゼセガンもとても苦労していた。そしてスイングさせていた。しかし二幕の花の少女たちのリズムはアメリカ風にという楽匠の指示があったというのをヨルダンが語っていた。これは取り分け面白い話しだった。



参照:
脱コロナへの分岐点 2021-04-19 | 文化一般
首が座らないやつら 2019-04-28 | 雑感
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気掛かりな若年層の重篤化

2021-04-21 | 文化一般
バイロイトの市長が今年のヴァークナー音楽祭について話している。最も気になっているのは収容人数で、今まで出ていた数字は900人、450人、200人の三種類らしい。バイロイト市には大株主として、初日の入場券の11%が配券される。

その中から赤絨毯を闊歩するゴォツャルクなどが招待されるらしい。つまり例年ならば200枚程度。同様に友の会、州政府、連邦政府へと配られるので半分以上は招待席となるのだろう。つまり、今回減員されると致し方がないという。僅か22枚となると悪夢だという。

同時に今回のバイロイト音楽祭は有限会社にとっては何とか入場収入を出して損失を埋めたいとしている。その人数が毎回900人ならば計算通り、しかし450人なら厳しい。200人では儲けが出ない。

最終判断を延ばした理由はそこにある。既に照明の予行練習は終えて、例年の様に6月には音楽的な練習が始まる。合唱団が歌う場所の空調は整えられた。

あとはワクチンの接種状況に大きく左右されるとなっている。最新の情報によればイスラエルの例を見るように接種が市民の過半数を超えたところで、大きく感染者数も死者数も改善されるらしい。それが五月一杯とされていて、六月には先が見えてくるとされている。場合によっては900人入場も可能となるだろう。

但し気掛かりなのは、変異株の影響で明らかに若年層の重篤化が確認されている事である。病歴の無い50歳以下の者が人工呼吸器に繋がれていることの意味は大きい。死者は老人の比率の方が多いようだが、ECMOなどを必要する者も接種の済んだ80歳以上は少なくなって、弱年齢化している。

同様な傾向がブラジルやチリなどで観察されていて、ICUの半数以上が重篤化した若年層者であるとされ、所謂ブラジル変異の強毒化と同様の状況が起きている。

また子供が強制的に学校で検査することから、バイエルン州下フランケン地方のヴュルツブルクでも全体の新陽性者指数の倍の指数が児童生徒に拡がっていて、若い両親の家庭での連鎖を呼んでいるらしい。学校閉鎖が必要とされる所以である。

近辺ではハイデルベルクが指数100を超えたことも明記しておきたい。長く低水準であったが、崩れる契機があったのか。大クラスターなどの情報は出ていない。ここ地元ワイン街道も急上昇こそなかったが128と中々下がらなくなってきている。

ザクセン州は全ての州民にアストラゼネカが準備されて、打ちたい者が打てるようになった。早く過半数になって、激減するといい。



参照:
捲った古いプログラム 2021-04-20 | 雑感
相似となっている風景 2021-04-12 | 雑感
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捲った古いプログラム

2021-04-20 | 雑感
朝起きして現金を下ろしに行った。土曜日から壊れたままだった。フランス程ではないがドイツの最も問題点で、週末には現金引き下ろし機でさえ直らない。それも郵貯銀行の下ろし機で、恐らく郵貯専用機は動いていたのだろう。親会社ドイツェバンクのカードでは確かめようがなかった。

夜明け前に起きていたのだが、もう一つ寝起きは良くなかった。睡眠は時間的には取れていたが深みは限られていたと思う。就寝時にメールなどを貰うと精神衛生上良くない。

走りもそれなりに努力はしたのだが、心拍数ばかり177まで上がっていた。計測間違いではないと思う。その割に歩測を抑えたので177spmしか出ていない。更に歩幅も伸びていないから36分以上掛かって仕舞った。

未だ片付けられていないが、劇場やコンサートのプログラムを捲った。なにか思い出せないことがあると、印刷物を見て驚いて思い出すことばかりだ。全く忘れているというか気が付かないことが多いのは過去に聴いた歌手である。まだ新人ならば嘗てのバルトリの様に最初から違っていたのでしっかり記憶されている。しかし資料が見つからない。マンハイム周辺での面白いものを見つけた。

一つはナチョナルテアターのアンサムブルの写真に駆け出しのころのミヒャエル・フォレが出ている。トローヤンの新作オペラに乗っていたかどうか。少なくとも1990年のマイヤーのクンドリー、ハンス・ゾーティンのグルネマンツとは一緒に出ていなかった。マイヤーはその後にもバーデンバーデンでのケントナガノ指揮でも聴いている。十八番で安定はしていたのだろうが殆ど記憶に残らない歌である。

流石にまだディアナ・ダムロウは入っておらずマズーラがアンサムブルに属していた。驚いたのは専属のような形でクラウス・グートが所属していた。これは全く気が付かなかった。一体どんな仕事をしていたのだろうか。もしかするとトローヤンの新作の演出か。

シュヴェツィンゲンの音楽祭でのスヴェトラフ・リヒテルの協奏曲を合わせていたのはエッシェンバッハ指揮SDR交響楽団だった。メインのサンサーンスのヘ長調の協奏曲は克明に覚えているのだが、後半のガーシュインのへ長調は改めて驚いた。思い出すとやはりしっくりこなかったのだ。

ベルリンに移ると、フィルハーモニーでラトル指揮でショスタコーヴィッチ八番を聴いて、同じ時刻にコンツェルトハウスでアシュケナージがRIAS交響楽団で同曲を振っていたので、そちらの方がよかったかなと思っていた。でも前半にブレンデルがモーツァルトの最後の協奏曲を弾くとあって、それも聴きたかったのだと思い出した。演奏はもう一つだったからこそ忘れてしまっていたのだろう。



参照:
「憎悪され、愛されて」 2018-10-02 | 文化一般
新年遅くまで次々と 2020-11-08 | 暦

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脱コロナへの分岐点

2021-04-19 | 文化一般
日曜日のお昼に大統領主催の式典があった。コロナ禍で亡くなった人達を追悼する会である。ちょこちょこ生中継を観たが、教会からジャンダルムマルクトのコンツェルトハウスに場所を移して、遺族らが故人の事などを語っていた。市民の殆どの人は周りに犠牲者が居ても特に詳しくは知らない。しかし、そこで様子が語られる。それで十分なのだ。

土曜日にラディオでこうした追悼式の意義を専門家に問うていた。どのような形で催されるかは分からないので様々なやり方があるとしていた。特にテロや事件などはその現場に献花されたりというのは欧州ではダイアナの事故死以降の事とあった。確かにそれ以降道端などでも事故現場で献花や十字架が以前にも益して目につく様になったと思う。

そして何よりもなぜこの時期に催されるのか、今後も死者が続くではないかという質問がなされた。尤もである、まさしくそこが肝であろう。教授は、今だからこそもう一度市民の心に問いかけて、団結して行くことも必要なのだと答えた。勿論、これで一里塚と出来て、同時にスペイン風邪の時も振り返られるように今回もそのマイルストーンを置くという事が必要だと語った。

つまり社会的にこれを機にして、新たな次元に入って行けるという事で、その中には接種によってもへらない数の死者を社会がどこまで受け入れられるかが問われる。三百人が毎日亡くなるような事は受け入れらないが、週末の様に数十人ならばどうだろうかという思いになる。今回の追悼式がそうした数から生身の人間へと眼を移すことがはかられているのだが、社会としては何らかの決断が迫られている。つまり脱コロナへの大きな出発点になるのである。
Gedenken für die Corona-Opfer


久しぶりにCDを発注した。全部で7枚である。来月発売のミュンヘンの劇場出のライヴ録音を買い物かごに入れた後、調べているとウニヴァ―サル関連が棚卸をしていた。先ずはウィッシュリストに入っていた安売りのポリーニ演奏のショパンのスケルチが3,99ユーロならば序でに発注して送料無料にしようと思った。その繋がりで調べていると二枚組6,99、7,99が出てきたので一通り見た。

数種類購入希望が見つかったので、慌てて来月発売を発注する必要もないと思った。そうなると最低20ユーロを購入すればより売り上げに協力できる。安売りCDで購入したいと思うのはPCM録音初期でLPを買い損なった制作ものである。そういうものが自然に目に入る。

先ずはクラウディオ・アバドがシカゴとヴィーンでマーラー録音をしていたもので手元にはシカゴでの六番のLPがあり、当時の楽団の実力をそれ以前に録音していたショルティ指揮のものと比較できるという贅沢なもので、PCM録音になったヴィーンでの三番にも興味があったがLPでは買えなかったのである。全盛期のジェシー・ノーマンが歌っていて、CDでも二枚組になっているので中々安くはなっていなかった。7,99ならと手を打った。触りを聴くとヴィーナーフィルハーモニカーも当時はまだよい時代ではなかったかと思う。録音も良さそうである。その後のフェストヴォッヘでの「グレの歌」の演奏などを思い浮かべる。

同じように当時生で経験していて、そもそもCD化されているのも気が付かなかったジュリーニ指揮の今度はベルリンのフェストヴォッヘでの「死者の為のレクイエム」も同じ価格であったので、これもあの時の音が聴けるかと思うと、教会で録音されているようだ。それでも触りの音はあのゴリゴリした低音が鳴っていて、明らかにカラヤンサウンドとは異なるものが聞こえる。一昨年かに復活祭でムーティ指揮を聴いて、ジュリーニのロンドンでの旧盤録音に価値が無くなって仕舞ったので、もう一度新盤で比較してみたい。

最後のアイテムは、タカーチュ四重奏団のブラームス全集とシフのピアノで五重奏が入っているのが6,99ユーロ。ブラームスの全集は、様々あるのだが、手元にあるものを含めてそれ程魅力的な録音は無い。タカーチュの初期メムバーでの録音らしいが、触りを聴くと中々良さそうで、それにも興味がある。〆て26,96ユーロ。



参照:
モニターの前の評論家 2020-05-04 | 文化一般
あまりにも壊れ易い世界 2020-02-23 | 音
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骸の上で商売をする

2021-04-18 | 
オペラ指揮者ティーレマンのBR交響楽団デビュー無観客演奏会を観た。期待されたのは独墺作品における次期首席指揮者サイモン・ラトルの弱点を埋めれる指揮だった。結果はそこまでは行かなかった。

オープニングの「ヴィーナーフィルハーモニカーの為のファンファーレ」ぐらいの曲ならば本領が発揮されていたと思う。しかし音響自体は鈍く、楽団の方も間隔が空いているので仕方が無いのかもしれないが、決まらない。アンサムブル上の特徴もあるが、ヤンソンズ後遺症の共通したものも感じる。その点流石にラトルが振ると違うのだ。

インタヴューで面白いことを話していた。指揮の動作が小さくなるほど良いということで、クナッパーツブッシュ程になればそれは良いけどと、それは長時間のオペラ指揮での省エネ指揮の極意だとしていた。特にバイロイト音楽祭で身に付くとしていた。小さい動作で始めればまだ次があるかと思わせて、「もっともっと効果」が出るというものだ。

そこでミュンヒェンにいたのに指を加えて放送交響楽団の方を見ていたというが、楽団を名指しすることなく、余程フィルハーモニカーに対しては悪口しか出てこないのだろう。

もう一つ、そうして経験を積むと指揮が巧く出来るようになるというのとは反対に、若い時は楽師を信用できないので上手くいかないというのがあった。まさしく一昨年の「影の無い女」が「副指揮者」の力を借りて上手く行ったように、任せることが出来るのは年季だろう。ティーレマンの若い時のどうしようもなさを聞いているので、そうなんだろうなと思う。比較的長くアシスタントなどをしていたようだが、出来の悪い職人も時間を掛けるとなんとかものになるということか。

シューマンの作品におけるテムポルバートの話しをしていたが、メインレパートリーとされるロマンティックな曲での指揮がもう一つ冴えないのは、そうした意識で以って指揮しているからだとよく分かる。テムポとリズムの関係は一生やっていても身に付かないに違いない。

生演奏を聴いた十八番とされるブルックナーの交響曲五番でもやりたそうなことは分かるのだが、それが実際にフレーズの中で正しいアーティキュレーションとして音楽にならない。要するにまどろっこしい。

残念ながらあの指揮ではどこの放送交響楽団を振ってもあまり相性が良くないだろう。やはり座付楽団とかローカルの交響楽団で振っている方が価値がある。ラトル時代になってこの人が振っても新ホールが満席になるとは到底思えない。ミュンヘンの故カイザー教授が彼の何を評価したのか分からない。フルトヴェングラー指揮はこんな不細工なものとは違う。勿論カラヤンの器用さは更々無い。

朝一番でポストに投函して自動引き下ろしへと出かけたが故障中だった。現金を下ろせなくて困った。幸いパン屋の金だけは何とかなったので手数料を払って他所で下ろすことは無かった。銀行の支店が無くなって他に方法が無くなると郵便局だけでは心もとない。また月曜日の早朝に試みるしかない。現在現金しか使えないのはパン屋だけになって肉屋などそれ以外はカードで済むようになった。コロナ化がキャッシュレス化を進めた。

昨秋、特恵日本公演をしたヴィーナーフィルハーモニカーはクルツ首相が菅首相に電話したことで入国したが、今回ヴィーン市の特恵でミラノ公演を控えたヴィーナーフィルハーモニカーが接種を済まして問題になっている。命の危険に曝されている人達を差し置いての接種だった。それも現在日本滞在中のムーティ指揮でのミラノ公演をキャンセルすると違約金が発生するという理由での要請だったらしい。昨春には特別に演奏をする許可をクルツ首相に申し入れて、オーストリア政権のコロナ対策に甚大な影響を与えた。ヴィーナーフィルハーモニカーはどれほど多くの骸の上で商売をしているのか、その道義が問われる。



参照:
新音楽を浪漫する 2021-03-30 | 音
殆ど移民の為に酸素吸入 2021-03-08 | 歴史・時事
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定員の三割入場者に賭ける

2021-04-17 | 文化一般
バイロイト音楽祭が先行した。一週間前に出ていたバイロイトでの会合後の記事からすると、本来のプログラムを維持しながらも無観客中継公演になる可能性も強くなった。

会合後には昨年の券を寄付した者からは優先的に注文を取るということだったが、それが取り止めになって一般オンライン販売直前に優先するというものに変わった。理由として販売座席数が明らかにならなかったということで、最小の恐らく500人とかいうような数字も州から許可にならなかったのだろう。

バイロイトの祝祭劇場は楽匠ヴァークナーが国王ルートヴィッヒ二世にせがんで建造された其の侭が残っていて、音響の為に空調が導入されていない。よって、昨年も早期に音楽祭中止が決められた。そして今夏は接種やテストによって少なくとも間隔を空けることでの安全性が試みられた筈だ。

しかしここに来て接種後も自由を与えるような科学的な根拠が希薄になり、入場前の簡易テストの偽陽性、偽陰性が再び大きく取り上げられるようになったので、その劇場内での空気感染の危険性は著しく高く、感染を防ぐ手立てが無くなったとも思われる。テストよりもなによりも戸外で間隔を空けてという認識に再び戻ってきている。

観客者を100人とかに絞れば可能だと思うが、一回公演以上はしないだろう。プログラムで挙がっているのは新制作「オランダ人」、再演「タンホイザー」と「マイスタージンガー」、マルチメディア「ヴァルキューレ」、戸外での展示、先ほど東京で行われた「子供のためのパルジファル」、演奏会形式ヴァークナーの夕べぐらいである。

再演の二つは上演する価値が無く、その他を戸外若しくPVなどにして一回だけ上演するというのが妥当であろう。

今年は潤沢な入場券収入が無いと破産するとされていて、どう考えても流用資金にも困るようになるので、音楽祭有限会社の形態も変わる契機になるかもしれない。

個人的には昨年は希望するものが無いとしていたので今年は優先権は無く、管弦楽団も大幅に縮小されて、合唱もリモートになるので、今年は機会があれば「オランダ人」には潜り込めばよいと思っていたのだ。しかし今年も人数が減る若しくは無観客となると、また来年も通常ならば券を別けて貰えたのだが入手がそれほど容易ではなくなる。

先ずは、ミュンヘンのオペルンフェストシュピーレがどうなるか。劇場は空調も効いているので、それ程問題が無い。しかし、検査も接種もあまり影響しないとしたならば、精々500人が限界だと思う。同じバイエルン州のヴュルツブルクはそれほど空調の無いようなバロックパレスで三割以下で、100人ほどの聴衆に50人ほどの演奏家などだろう。やはり規模が多く入場者が多くなるとそこに陽性者が混じる可能性は高くなる。



参照:
通信社のインタヴュー記事 2020-10-01 | 女
これからの動機付け 2021-03-27 | 料理
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医療崩壊への感染拡大

2021-04-16 | 生活
ロベルト・コッホ研究所によると医療崩壊に進むようだ。既に手立てが追い付かないという。一部地域では計画手術等は見送られているようだ。最も注目すべきは、全酸素呼吸器の八割に至るコロナ重篤者で、新陽性者の多くは15歳から40歳代になってきているという事だ。

新陽性者ということは必ずしも症状が出ているとは思われないが、彼らが接種を受けるのは何カ月も先になる。同時に死者数も落ちて行かないという予測である。その理由は分からない。更に重篤者の一割は予後が悪く何カ月もかかる可能性があるという。

以上から今後も医療への負担は変わらないどころか頂点をこれから迎えるということらしい。こうした状況判断を含めて、明らかにドイツにおけるコロナ政策は完全に崩壊しだした。理由はよく分からないが、政治的な駆け引きが激しくなって、施策に影響してきているとしか思われない。

緩和政策の中で重要な要素となったのが抗原簡易検査の多用である。その信頼度から当然全員検査などにすれば一定数の誤りが起きることになるのは初めから分かっていた。更にスロヴァキアから始まりオーストリアで踏襲されたような全員検査も最終的にはPCR検査を全員に定期的にして行くしかないので、感染の予防にすら役立たなかった。オーストリアの緑の党の担当大臣が体調不良を理由にコロナ禍半ばで辞任するという責任回避しかなかったのは当然の帰結である。最初から失敗に終わることは火を見るよりも明らかだった。

ドイツにおいても週二回の無料検査など、また学校や職場での検査義務化などがあっても暫定的な方法でしかない。現在議論になっている学校閉鎖の条件を十万人中200人の陽性者数では甘過ぎるとあるが、検査すればするほど無症状者の児童の感染などが発覚するので追々数字も上がる。

少し考えれば分かることであるが、発覚して多くが感染しているとなるのを待って休校にするのか、予め休校にするのが良いのかは誰でも分かる公理である。結局検査は、尚更その為に会場前に集まったりすれば感染者を増加させ、感染抑止には繋がらない。

同様な夢物語は接種パスによって完全に自由を獲得できるというのがあるが、これも抗体が半年後には五分の一の人には消えているということからして、数か月前の接種などはなんら役に立たないことになる。

ここ二三日冷気の為でもあろうが胸に圧迫感があった。所謂肺炎風で久しぶりに出血風の感じでむかついた。但し天気も良く寒くともショーツ一丁で走れるので気持ちはよかった。コロナは健常者にとってはただの風邪でしかないが、やはり気持ち悪さはある。昨年10月ごろから快調だったが、上記されている様に半年もすれば抗体も弱まり、又変異株に対応出来るとも限らない。少なくとも感じからすると怠惰感や寒気はあったが、以前のような立ち眩みなどの神経的なものは無く、どちらかというと劇症な印象は受けた。

感染したとすればその可能性は限られたところで空気感染しかない。だから早速サージカルマスクからFFP2へとマスクを付け替えた。ここに来て再び、丁度一年ぶりぐらいに真面目にマスクをしようという気になった。

短いコースを走った。気温は摂氏二三度だったので、陽射しを浴びなければ結構寒かった。GPSが明らかに道から外れていて、正しい計測は出来ていなかったようだが、前回に続いて早かった。準備体操をしているときに森に入って行ったお座さん三人組が長いものを持っていた。弓か何かかと思っていたら裁ちバサミだったようで、新緑の木の枝を持ち帰るようだった。生花か何かにするのだろうか。

林道の下りで長く加速出来た。但し心拍数169でカーヴに掛かって落としてしまった。その後更に心拍数は上がった。負荷を落としても上がる現象を再確認する。更に帰りに工事中迂回路を通っていた車中で心拍上昇警報が鳴った。負荷を外して十数分後にも90を超えることはあるのだが、どうも100を超えるぐらいで警報が鳴るようだ。調べてみなければいけない。またペースの計算とGPSの読み込みポイント間の計算方法を見てみないといけないと思った。ラップの取り方ということでもある。



参照:
日本趣味とか極東ミックス 2021-04-14 | 文化一般
ヘブライ訛りの節回し 2021-04-09 | 音 
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