Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2014年1月

2014-01-31 | Weblog-Index


笑窪が嬉しいダウントー 2014-01-30 | 雑感 TB0,COM0
07年産を吟味、11年産を試飲 2014-01-29 | ワイン TB0,COM0
ドイツ経済の社会的機動力 2014-01-28 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
春に向け足元を整える週末 2014-01-27 | 生活 TB0,COM0
後ろ向きに考えてみれば 2014-01-26 | ワイン TB0,COM0
腕がパンパンになる日々 2014-01-25 | 生活 TB0,COM0
印象に残る追悼文の数々 2014-01-24 | 雑感 TB0,COM0
原発なんてどうでもよい? 2014-01-23 | 文学・思想 TB0,COM0
見苦しい日本国大使の反論 2014-01-22 | 歴史・時事 TB0,COM0
日本の情報統制の進行? 2014-01-22 | 歴史・時事 TB0,COM0
ドグマに至らない賢明さ 2014-01-21 | 文化一般 TB0,COM4
すべては金で動くのか? 2014-01-20 | 雑感 TB0,COM0
今週も燃焼しきれるか? 2014-01-19 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
数えきれない小役人的味 2014-01-18 | ワイン TB0,COM3
二つめのチョークバック 2014-01-17 | 生活 TB0,COM0
身体の、「村上春樹」の変化 2014-01-16 | 文化一般 TB0,COM0
時代錯誤への対抗軸 2014-01-15 | 歴史・時事 TB0,COM0
日本人の心理と思考 2014-01-14 | 生活 TB0,COM0
六級に誘うための疲れ方 2014-01-13 | 生活
電装系の弱いドイツ車 2014-01-12 | 雑感 TB0,COM0
もう一つ、2007年産 2014-01-11 | ワイン TB0,COM0
バルコンからの冬籠り 2014-01-10 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
愈々佳境のプラトー現象 2014-01-09 | 雑感 TB0,COM0
老支那人と小日本人 2014-01-08 | 歴史・時事 TB0,COM2
年に鼻を突っ込む 2014-01-07 | ワイン TB0,COM0
二人の阿保のミックス 2014-01-06 | マスメディア批評 TB0,COM0
安全を内部留保するために 2014-01-05 | 雑感 TB0,COM0
EUのエネルギーミックス 2014-01-04 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
麹の扱い方だけではない 2014-01-03 | ワイン TB0,COM0
大した名誉市民の元旦 2014-01-02 | 暦 TB0,COM0
大晦日も静かに更けて行く 2014-01-01 | 暦 TB0,COM0
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消えた踵のエラ張り

2014-01-31 | 雑感
続いて靴の話である。注文したトレイルランニングシューズが二種類届いた。双方ともスイスのマムート社製である。一つはMTR201MENと呼ばれる最初期の製品で、昨年の四月に購入して、既にメッシュに穴が開いている。丁度左足の小指の付け根の下ぐらいである。プロフィールも擦り減って滑りやすくなっていた。半サイズ小さなものが83ユーロと出ていたので飛びついたのだった。そしてよくよく考えるとやはり小さいので、もう一つ現行と同じサイズであるUK8のMTR201ProLowという95ユーロで出ていたものを急いで注文したのだった。

後者は前者の後継商品であるが短期間に後継商品を出したのは前者に十分な自信がなかったからでもあろう。しかし、そうした過渡的な商品らしく数少ないネット情報では靴の重量が重くなっているような記述がみられた。そしてその名前と丈夫になったということぐらいの認識でそれほど興味は湧かなかったのであるが、オファー価格があまりに魅力的だったのだ。

さて、同時に両方が届くと真っ先に後者の新しい方の商品を試着した。大きさも形状も同じで、材質が固くなっている分足に丁度のサイズであった。そして重さをはかると、なんと片足326Gということで、現行の靴の334Gよりも僅かにだが軽くなっている。これならば全く迷うことなく最初からこの商品を狙うべきだった。

形状が同じと書いたがそれは足入れ部分だけで、シャモニの氷河で最も問題となった踵部のエラが完全に消えていて、その波状からイボイボ状になったプロフィールと共に丸くカットされているのである。これで雪の上のツボ脚歩行でも完璧である。更に、切られて二つにカットされた底の形状と共につま先の屈曲点がより先端で明確になっている。これこそ、我々つま先走りと岩場の歩行で求めるシューズの特徴なのである。

また踵の支えも強化されている様で申し分ない。そして何よりも破れた場所がカヴァーされるような補強が張られていて、私が偶々どこかで引っ掛けて破ったのではないことを示している。B787ではないが、工業製品は所謂新生児疾患があるのは当然で、それを如何に直していくかが工業家の腕次第なのである。

そして、最も最初に発注して送り返したUK7.5のミシン仕事の粗雑さは殆ど見られなくなっていて、スイス人が漸くシナ人労働者を教育できていることを知るのである。今や安物のローレックスも中身はシナ製であり、シナで最も売り上げを上げる訳であるから、スイスとシナの共同作業は欠かせない。

最終的には走ってみなければわからないが、ネットに書いてあるように走行感は大分違っている筈だ。とても楽しみである。もう一つの安売りの古い商品は足入れしてみて、小さいことを再確認して早速送り返した。実はその業者はネット上での名前は異なっていても、昨年発注した業者と同じようで、商品自体は同一ではなかったが同じ商品の同じサイズを二回も送り返すことになった。

今回安売りで購入できた新しい靴の業者はベルリンの業者で、支払いを間違って直ぐに電話をすると、なかなか機転が利くようで、素早い対応をして呉れた。ネットショッピングは基本的にはこちらから電話をすることは殆ど無いのだが、こうした対応を経験すると次からもそこのオファーに興味が湧くようになる。なにせ、過渡的な商品ゆえか流通している数も少なく、近々発表される新製品との狭間になっていてほとんど話題になっていなかった商品だけに自分自身で試すのがとても楽しみなのである。さて、一年もってくれるだろうか?



参照:
新製品試着の歯痒い気持ち 2013-04-12 | アウトドーア・環境
靴を雪上で徹底テストする 2013-07-22 | 雑感
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笑窪が嬉しいダウントー

2014-01-30 | 雑感
クライミングシューズが届いた。イヴォルヴの「シャマン」である。朝から晩まで試着の連続だ。先ずは履き心地を確かめると、店頭で試着した夕方とは違って、大分心地が良い。二足で立つと普通に立てて、痛みが走らない。店頭では、UK8.5では暫くしても立ち上がると痛くて、びっこでしか歩けなかったのである。届いたUK9はそれ程ではなかったが、薬指当りの傷みは起立すると気分が悪かった。

それだけで、UK9ならば問題なく履けることが確認できた。そうすると今度は大き過ぎないかという心配である。そこで、手元にある新品のポンテスIIのUK7を履くと寧ろ指先が押さえられるのだが、一年前に店頭で朝晩と二回試着した経験が甦った。

最初はつま先のゴムが固くて痛かったのが、足を着地して指を突っ張る感じにするとゴムが延びて応えてくれるのを感じて、頑張って足を広げると靴が広がる感じになったので指が当たっても決断したのだった。そして今回のシャマンもつま先はゴムである。もしかすると伸びて、現在使っているポンタスIIと同じように長い距離でも登れるようになるのか?

そして、箱をじっくりとみる、ポンタスIIの方には、「人工皮革はほとんど伸びないので、常にフィットし続けるようになっている。」に続いて、「ラインの無い本革は半サイズほど伸びる可能性がある。」と言い訳してある。しかし、今度の箱には、「人工皮革は伸びない。」とあり、「先ずは、運動靴のサイズを試して、その辺りを試してから決めろ。」とある。しかし、箱の製品が対応しているかどうかを差し置いても、この二種類の靴の材料の使い方はそれほど変わらない。

運動靴のザイズは、まさに今私が新しいトレイルランニングシューズ選択に頭を痛めているところであり、明日二種類の靴が二種類の大きさで配送される予定である。基本的には、EUR41の靴下で、EUR42ならば使えるということなのだが、靴の形状によって当たり方が異なり、からなずしもどちらが良いとは限らないのである。今回もそれに匹敵する、UK7.5とUK8を発注したのであった。前者は現在使っているものより小さいのでどうしても指が当るが使えないことは無い。後者は、発注した商品が現在使用中の物と足形が変わっていないならば問題なく使えるのだ。

それからすると、現在使用中のポンタスIIは、出来る限り小さいものを購入したのであった。そのお蔭でこの靴の能力を完璧に引き出している心算だ。勿論、発案者のクリス・シャーマのように、5.15が登れる訳ではないが、とても素晴らしいあらゆる技術を駆使できる靴なのだ。

それに比較すると今回の靴は、ダウントーと呼ばれる爪先が下がっている靴であり、土踏まずが湾曲しているだけでなく、先端は太く厚くなって、指を曲げて収まるようになっている。つまり、足も指も伸ばせないのである。その分、スペースが取ってあるのだが、それでも小さめの靴であると、曲がったままの指の背が靴の合成皮革に当たって痛い。だから店頭では、無理して指を押し込むものではないとアドヴァイスを受けた。なるほど、UK7辺りから何とか足は入るのだが、指が特に薬指当りが押し付けられて、しっかり起立できないのである。曲 がった指の背で比較を外へと押し込む力は全くと言っていいほど働かず、指骨が曲がったまま当たるだけなのだ。

そこで、外側の長さを測ってみた。荷重していない湾曲した状態では、24.5CMと到底足の大きさに至らない。因みにポンテスIIの方は24.5CMある。荷重した状態で漸く同じぐらいの長さになる。つまりその状態で指が伸びきっていると考えても良いのだが、実際は若干異なる。それは、底の親指の付け根の当りに笑窪が入っていて、どのような状態になっても親指は曲がった形で荷重するようになっているからなのだ。そしてその状態で親指が靴の爪先にしっかりと食い込んでいれば良いと思われるが、どうだろう。少なくともその状態で骨が当たるようであると小さ過ぎるだろう。

それでも、親指以外の爪先は基本的には曲がったままで靴先に捻じ込まれているので、足形によっては当たり方が異なるに違いない。いずれにしても力が先端に集まれば問題ないのだが、最初から傷みも少ないようなものはズカズカにならないかも気になるのである。

少なくとも足の荷重の仕方は、現行の乗り込むものとは異なって、庇の下で爪先で突っ張るような突くような感じとなるのだろう。だから爪先で立つというようなことはあまり考えないで良いのではないか。兎に角、室内壁では全くこれで問題は無いだろうが、ボルダーではどうなのだろう。現行の靴が箱のように騙しが効きにくいので、扱いやすそうだが、サイズを含めて上手に使えるだろうか?使ってみなければわからない。

定価約130ユーロが103ユーロであるから、一足室内壁用に必要であり、ポンタスIIを大事に使いたいので、どうせ強い靴を買う必要があった。店頭で試したUK8.5を再び試してみるのも悪くはないだろうが、その価格差16ユーロと駐車場料金を考えると、今回手に入れたメードインUSAで決断しても良い。どのような靴でも百ユーロでぐらいはするので、本格的なダウントーを先ずは庇で試してみよう。



参照:
ゴムの柔らかさを変えてみる 2013-03-27 | 生活
新しいゴムでの雑念など 2013-10-17 | 雑感
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07年産を吟味、11年産を試飲

2014-01-29 | ワイン
2007年産のリースリングを開けた。今回はPCのダイデスハイマー・ランゲンモルゲンである。結論からすると先日のゲリュンペルよりも物足りなかった。理由は、柑橘系の酸ではなく、独特のミネラルが魅力であるリースリングであり、今までも楽しめたそれが瓶熟成として大きく開花した印象を与えなかったからである。

なによりも石灰の影響が丸くなってしまっているので我々リースリングファンからすると物足りない。こうなれば完全にフィルンになって落ちこぼれそうな色香を放つまで寝かせる方が良さそうである。2008年春の瓶詰めであるから、現時点で六年弱なので、もう二年ほどで開き切るだろうか?

その前に開けたのがゲオルク・モスバッハー醸造所の「雑食砂岩」の2011年物である。先日、レープホルツ醸造所の2011年「雑食砂岩」が殆ど出来上がっていたので、試してみたくなったのである。全くコンセプトも製法も異なる醸造所であって、後者の2011年物は弱いアルコールの「オェコノミラート」が悪い年とされているので、余計に早めに開けてみたのである。本格熟成には少し早かったが、十分な可能性を確認できたので、春以降の楽しみである。

さて、モスバッハーの方は、土壌がヴァッヘンハイムの一部など比較的低地のものが多いと見えてミネラルには十分な魅力は無かったのだが、アルコール13.5%の分厚さは十分に楽しめた。アルコールを感じさせない果実風味と2011年の完熟葡萄を堪能できた。そして記憶では比較的安価だったのだ。レープホルツと価格と質でとても良い勝負をしていた。これで、2011年を徐々に開けていけることを確認できた意義が大きい。

2007年産に戻れば、本格的な石灰の入っていない土壌のリースリングは偉大な瓶熟成を示しつつある。2001年と匹敵するだけの将来性が期待できるが、残念ながら手元にはペッヒシュタインなどそれほど在庫がある訳でない。石灰含有のホーヘンモルゲンもあるのだが、ブリュクリン・ヴォルフ醸造所も完全に天然酵母へ100%と移行する以前のものなので、追加購入は思案のしどころである。

ピート・シンガーが亡くなったと、情報が目に入った。日本は今漸く市民運動が定着してきたかに見える。要するに失われた二十年どころか、文化的には半世紀後を追いかけているのが日本なのである。このまま、亀とウサギの駆けっこであり続けるのかどうか、世界から注目されるところなのだ。



参照:
もう一つ、2007年産 2014-01-11 | ワイン
2007年に鼻を突っ込む 2014-01-07 | ワイン
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ドイツ経済の社会的機動力

2014-01-28 | アウトドーア・環境
靴を注文したりしたので、その現行の靴の大きさへの関心もあり朝駆けした。霜は降りていなかったが、昨夜からの霙で、また陽が射してきたので冷えていた。案の定、走行面は濡れていてとても悪かった。

靴下は何時もの通り厚めのものを履いていたので冷たくはないのだが、手袋と帽子は欠かせなかった。ゆっくりと足元を気を付けながら上がっていくと、結構足にしっくりと来ているのである。勿論薄めの靴下を使うと緩すぎるのかもしれない。それでも爪先が丁度触れるようなこの大きさはそれほど悪くないことを再認識する。一つ小さめの靴を注文したが、そのような感想から同じ大きさの新しいモデルも安売りになっていたので発注した。どちらかを返品しなければいけないが、室内であれやこれやと考えるには悪くない。

峠まで上がっても息が上がらないような走り方が出来るようになったのは我ながら天晴で、嘗てはそれが出来なかったのだ。要するにテムポやピッチをさほど意識しないでもスピードをコントロールする術が身に付きだしたようである。それに前日の急坂とは異なり余裕をもって登れる坂の傾斜なのだ。しかし峠への到着時間は、24分、3600歩とそれなりの速度なのだが、楽しみながら登れるのが嬉しい。

下りに期待していたのだが、結構疲れも感じてスピードは出なかったが、これも億劫になることなしに淡々と走れるようになってきた。最後の直線に至ると、下からMTBが上がってくる。地下づいてみると、なんと私の密かなライヴァルの白髪の老婆である。今まではノルディックウォーキングで、しばしばストックを持って走っていたのだが、ついにMTBに手を出したようである。年金を叩いて購入したのだろうか、それともいつも見かける息子のプレゼントか?

恐るべし高齢化社会である。実年齢は分からないが息子の年恰好を見れば七十代から八十代であることは間違いない。運動量や運動能力と健康は比例しないが、あんな老人がウロウロしている社会はやはり人類の進化と呼んでも良いのではないか。こちらもいい年して中学生の修業のようなことをしている訳で、もはや嘗ての社会的な意味の転換がライフスタイルを超えて大きく初まっていることを知るのである。

駐車場に着いたのは、40分、6140歩で、全く冴えないのだが、二日続けて良い汗を掻くことが出来た。明日辺りは、クライミングシューズも上手く行けばトレールランニングシューズが二種類届く。それらの靴次第でまたまた良い動機付けが出来るのである。スポーツ業界は今後とも侮れないと感じた。それも十分にドイツ経済の機動力となる。



参照:
春に向け足元を整える週末 2014-01-27 | 生活
せっせっと我慢の毎日 2013-09-02 | アウトドーア・環境
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春に向け足元を整える週末

2014-01-27 | 生活
頂上まで走ろうと思ったが、足も疲れてきたので緑のベンチで折り返した。2480歩、17分は全然良くないが、走り方が良くなっているのを自覚してきている。要するに心肺の具合などでいつでも仕切り直せる強さがついてきた。そして下ってきて、4200歩、29分には驚いた。走っているときから下りなのに普通に走れるのに驚いていたが、もしかすると下りの走り方が本格的になったのではないだろうか。明朝、時間があればパン屋の帰りに峠越しで走り下りて来てみたい気持ちになった。

帰宅して車庫に車を入れて靴を調べると、足の外側の爪先に穴が開いていた。メッシュであるから破れやすいことは想像していたが、走りながら底のプロフィールがちびっているので購入は次のアルプス行の前にと考えていたが、流石に穴を開いた靴ではみっともないので、ネットを探した。マムートのMTR201MENである。

昨年購入したのが四月だったので一年ももっていないが、大分歩いて、走った。その時の価格は割引で119ユーロ越えであったが、見つけたのは84ユーロ以下であった。その差は35ユーロ以上と予想よりも安くなっている。そして、その時は発売されていなかった同じ色のUK7.5サイズが安売りとなっているのである。こうなれば飛びつくしかないのである。

UK7では少し窮屈で走りには使えてもアルプスでは使えないと考えていた。今年はこの靴で長い距離を歩く予定は入っていないので走れる靴があればそれでよいのだ。そして現在使っているUK8では分厚い靴下を履かないとしっくりこないようになっているので、大きさは先ずこれで間違いないだろう。

昨年ドロミテから帰って来てからそのプロフィールの摩耗の仕方が明確になってきたので安売りを探していたのだが漸く見つかった。先日も室内壁で人を確保していて足元が滑りそうになったので、気になっていたのだった。十か月使用で83.95ユーロは決して安くはないのだが、運動着と運動靴を履く時間が嘗てとは桁違いに長くなってきているので、少々の投資は仕方がないのである。シャツを着る時間が減ってきている訳でその分は節約できている。

金曜日には先日店頭で試したクライミングシューズを発注した。ネットで更に安いオファーを見つけたからであり、自宅で朝晩とゆっくり足を入れてみてそのサイズと履き心地を試してみたくなったからである。価格は店頭価格の119ユーロよりも16ユーロほど安い103.92ユーロなので、足さえ合えば韓国製でも購入する心算である。この二足が上手く使えれば、今年はもうどのような靴も買う必要はなくなりそうである。

シナ発信の金融経済への不安が表れてきた、週明け月曜日は更なるフォールが予想される。FAZなどによると10%ほどの修正の動きは盛り込み済みのようであるが、晩夏までと言われていたバブルも早めに修正が入ることで逆に長引くのか、それとも一挙に円高に振れて安倍政権崩壊がカウントダウンとなるのか、興味津々である。兎に角、二年間ぐらいで四割の値の動きを期待できる市場は珍しい。キャリートレードである。



参照:
新製品試着の歯痒い気持ち 2013-04-12 | アウトドーア・環境
トレイルランニングに使える靴 2010-10-29 | アウトドーア・環境
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後ろ向きに考えてみれば

2014-01-26 | ワイン
先日パン屋への坂道を走らせると、二人連れの子供がいた。夕方であったからあまりよくは見えなかったが、どうも後ろ向きに坂を上がっているように見えた。サイドミラーで確認すると間違いなかった。もしかして、彼らもちびまる子ちゃんにあるように、「後ろ向きで坂を上ると疲れない」と思って試していたのだろうか。

つまらないワインを飲むには、人生は短すぎると文豪は言ったが、つまらないにワインを書くのはそれ以上に無駄である。しかし、後ろを振り返ってみて過去の過ちを繰り返さないためにも、肝に銘じるためにも書き残す。2007年産シリーズである。ここで登場は半辛口のザールのリースリングである。当時、フォルストを訪れていた、離婚前のシュロース・ザールシュタイン醸造所の奥さんと初対面して、2007年産は特別だと言うことで対面販売で購入したものである。結論からすれば、時間が経てば辛口のようになるというのは誤りで、寧ろ甘くなっていた。酸が引っ込んでしまっているからである。

原因は、最早わかっている、酸が十分に分解していなくて、シュペートレーゼと呼ぶにはあまりに早めに収穫されていて、リンゴ酸などが飛んでしまうからである。要するに瓶熟成に耐えるようなワインではなかったということである。要するに、いつもの半辛口ワインで、安物のワインだった。

シュロース・ザールシュタイン醸造所が駄目な醸造所だと認識したのは最初で最後の訪問の時だったが、旦那はどうも葡萄の酸の分解や熟成には興味がないようで、寧ろ醸造所内でのケミカルの使い方に興味があるようだった。彼が習ったワイン醸造というものがそうしたもので、その後もあまりブドウの栽培には興味が向かなかったものと思われる。

酸が十分に分解していない一般的な半辛口は、腐りも少ないから、リンゴ酸が当初は効いていれば新鮮な清涼飲料酒として楽しめるのかもしれないが、それだけの価値しかない。直に酸が落ちてしまうと、残された糖が目立つだけで、古い梅酒と同じシロップに近づくだけなのである。そこまでは甘くはないとしても、このようなワインをして、ザールリースリングだとか嘯いている者などがいることをあるのを考えると、如何にその酸の本質が十分に理解されていないかを知ることになる。

甘口のリースリングでも、貴腐とその酸の量感や分解などが見事に為されていない限り、瓶の熟成などはほとんど期待できなくて、倉庫の肥やしとなるだけなのである。本当に十年単位で瓶熟成の進む高級甘口リースリングを輩出する醸造所は実際は数えるほどしかなく、毎年その価値のある葡萄が収穫されているのではないことを知るべきなのだ。

半辛口は基本的には二年以内に消費すべきで、甘口の炭酸が残っているようなものも二年以内の消費が原則である。先ずは瓶詰め後二年以内に試してみれば、その耐久力は明らかになる筈だ。その時点で酸が引っ込んでしまっているものは飲み干すべきなのである。

その原則からすれば上のリースリングも、酸が十分に効いていたのは試飲した時ぐらいで、二年目に判断できなかったのは後の祭りである。この原則は辛口にも共通していて、二年目に酸が引っ込んでしまっているようなものは飲み干すべきで、最初に試飲した時にその酸の質で判断できることなのである。鋭く、鮮やかなリンゴ酸などが主体のリースリングは早飲みということで、試飲して比較すると誰でも分かるのである。そしてそのようなリースリングを買い込むと金をどぶに捨てるに等しい。更に倉庫の肥やしにすると含み損が増加するだけなのである。



参照:
新春の日常をじっくり味わう 2013-01-08 | マスメディア批評
古臭いことに拘るよりも 2012-11-19 | ワイン
継続的に体で覚えるもの 2008-08-28 | 生活
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腕がパンパンになる日々

2014-01-25 | 生活
室内壁、27日、28日、29日目は、日、水、金曜日となった。日曜日は独日協会の新年会の前の午前中に二時間ほど登っただけだ。新しくなった屋根まで上がるオヴァーハングの長目のルートを登った。水曜日は、以前は腕力が尽きて二回目の挑戦でも最後のアンカーにザイルを掛けられなかった長いオヴァーハングが、同じ5.10でも大分容易になっていた。というよりも、チョークを使うようになって手掛かりが滑らなくなったので、楽になっただけかもしれない。

金曜日は、上海マラソンマンに付き合って、新しい庇を登ったが、結構きつかったのは腕力だけの問題で、ザイルを掛ける力量が大分付いた。庇の下の足場を使うのが腹筋が必要で容易ではなかったが、ザイルにぶら下ってしまっているので、それほど問題ではなかった。なるほどレッドポイントでは難しい。

彼に聞くと日曜日に「農民」が六級マイナス相当のところを、私が辞退した後で、登ったということで、とても素晴らしい進展である。日曜日に来ていた、私のライヴァルは途中で断念したというから、彼の力量の付け方はとても素晴らしい。

そのような話を聞いていたのは、農民とサファリクラブで知り合いの南プファルツで80年代に新ルートを開拓して名を挙げた、現在プファルツのクライミング協会の会長である。怪我をしたらしいが、それでも今でも5.12を登り、我がドイツアルパイン協会の養成室内壁の最も難しいルートを作っている人とその奥さんである。地元の一流クライマーである。彼らも同じセクションの仲間なので、彼らの主催するクライミングのプログラムに参加することも考えているが、先ずそれに応えるだけの実力を付けたい。

それが、5.10の克服であり、どのような状況でも登れるほどの実力、要するに私自身の最終目標である。庇でヘイヘイ言うのをじっくり見られたが、まあ、こちらの現時点での実力であるから仕方がない。水曜日に腕がパンパンになったが、またそこを使うことになって、全身が疲れた。



参照:
二つめのチョークバック 2014-01-17 | 生活
六級に誘うための疲れ方 2014-01-13 | 生活
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印象に残る追悼文の数々

2014-01-24 | 雑感
クラウディオ・アバド逝去への追悼文章が沢山載っている。追悼記事自体も既に紹介した速報とは別に改めて書かれている。そのビューニック女史の記事内容はあまり面白くなく、それどころかライヴの良さを語っているのだが、その主旨は分からない。あれほどもさもさしていて、会場にアピールすることの無い指揮ぶりは視覚的に一般聴衆を魅了するものではなく、その演奏の自由度の選定もチェリビダッケのようなものではなく、あくまでも音楽的な技量を要求されるものであったと、ルツェルンでザビーネ・マイヤーのソロなどを聞いて良く分かった。

寧ろプローべなどでの徹底して聴き合う姿勢とプレッシャーの掛け方は嘗てのジョージ・セルなどのものと似ていて、あくまでも民主的な職業的な姿勢で行われたものという相違があるだけのものである。それほどやらなければプロフェッショナルでも至らない次元があるということだ。

それらを含めて、ルツェルンでの体験を考えると、上手く行かないことも珍しくはなく、それがライヴの臨場感ということになるようだが、資金さえ掛ければとても完成度の高い制作録音がなされたことも事実であった。そのような数々の録音を鳴らしていると、飽く迄も想像力を湧き立たせるような仕事やレパートリーしかしてこなかった可成りストイックな面も浮き彫りになる。

「シモン・ボッカネグラ」などのプロダクションはストレーラの演出と共に金字塔的なものであることは間違いないが、その録音自体も決して侮れない。また、「春の祭典」の和声感覚の鋭さは、チェリビダッケが同じ交響楽団を叱咤激励してやらせていたもの以上にシャープであり、完成度の次元が異なる。

さて、追悼文で特に印象の残ったのが、ベルリンの後任者であるサイモン・ラトルのそれである。要約するにはあまりに惜しいので全文を翻訳する。

引用始め

私たちは、一人の偉大な音楽家、偉大な人を失った。既に十年も前以上に、我々は話したものである、クラウディオ・アバドは病気を生き延びることが出来るのだろうかと、そしてその病気が彼を奪ったのだ。その代り、彼は、そして我々は類稀な彼の芸術のあらゆる側面を集約したような(人生の)秋を享受することが出来たのである。数年前に彼は私に言った、「サイモン、病気はね、とても恐ろしいものだったが、その結果は決して悪いことだけではなかったのだよ。なんていうか、まるで自分を聞くというのかな、胃が無くなった分まるで体の中に耳が出来たようなんだよ。上手く言えないが、なんかすばらしい肌触りなんだよね。そして、音楽が僕を救ってくれたのは間違いないんだよ。」。クラウディオ・アバドは時代を超えて偉大な指揮者だった。彼の晩年の演奏実践はこの世のものを超えていた、そしてそれを体験できて、皆とても幸せだと認知した。私には個人的に、いつも彼は太っ腹で愛らしかった。それは私の指揮生活の最初からで、その心からのユーモアあふれるお付き合いは、終最後の金曜日まで続けられた。彼は、深く私の心に、そして思い出に生き続けるだろう。

引用終わり

心の籠った追悼文で、こうしたところにラトルの人柄が表れている。そして、肌触り感覚はまさしくアバドの音楽に今一層感じる、音楽の力なのだ。ユルゲン・フリム、ミヒャエル・ヘフリガー、ヴォルフガンク・リームに並んで、ダニエルバレンボイムのそれも載っている。そこで興味深かったのは、彼がアバドに出会った1950年初めにはザルツブルクでグルダのもとでピアノを習っていたというのである。このことを全く知らなかった。後年ヴィーナー・フィルハーモニカ―を指揮してのフリードリッヒ・グルダとの共演は子弟共演だったのだ。



参照:
ドグマに至らない賢明さ 2014-01-21 | 文化一般
第八交響曲をキャンセル 2012-05-09 | 文化一般
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原発なんてどうでもよい?

2014-01-23 | 文学・思想
細川都知事候補の政策会見が大きな話題となっている。個人的なことは別にして、その政治的姿勢は良く知らない。それでも、村山発言と並んで細川発言というのがシナの情報で出てくるところをみると、田中派系統で米国から邪魔にされている存在なのだろう。もし、スローフードの細川が東京都知事となると日本は本当に変わってくるのかもしれない。そうしたとてもマグマの突出のようなものが感じられる会見であった。

これで、共産党の支持拡大と保革の対立という事態ではきっぱりなくなった。未知の政治的な状態に至る可能性が出てきたが、米国の陰謀に負けずに日本人がどこまで耐えられるかが問われているに違いない。本当に自主独立の道を歩めるだろうか?

個人的に気になるのは弱小の緑の党の姿勢である。なるほど宇都宮候補を逸早く推薦したのは間違いではなかったが、党勢を伸ばして、最終的にはこうした名士でなくてもに立派な政治家を巷から輩出していくようなボトムアップの政治へと転換できるように緑の党はいずれ躍進しなければいけないのである。

その意味から、市民団体が細川を支援していく過程で、緑の党が共産党に寄り添うような形になるとやはり不味い。その反面、現在の立場で現実路線を説くよりも、理想を説く方が重要なことは分かるのである。しかし、ここでもし安倍政権の信任のような形になれば日本の政治に今後到底可能性が無くなることは分かっているのである。選択の余地はもうないのではないか。

正直な話、個人的には毎日眺めている原発フィリップスブルクではないのでどうでもよいのだが、軍事力と同じで日本は原子力発電を維持できるだけの社会的な智慧が無い。だから日本人には軍も原子力も無理なのだが、本当は軍事力も核エネルギーも欠かせないと思っている。でも日本には両方とも無理なのである。

IWJの岩上氏などは、TPPも秘密保護法も全て同じ方向でなければ脱原発も出来ないと言うが、それはあまりにも賢いイデオロギー的な論理であって、もし皆が同じように考えるとすればそれはイデオロギー以外の何ものでも無くて、狂人の全体主義でしかないということだ。現実政治や社会はそうしたものでは無い筈だ。



参照:
ドグマに至らない賢明さ 2014-01-21 | 文化一般
すべては金で動くのか? 2014-01-20 | 雑感
時代錯誤への対抗軸 2014-01-15 | 歴史・時事
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見苦しい日本国大使の反論

2014-01-22 | 歴史・時事
ネットのニュースを見て、古い新聞の山を探し分けた。在独日本大使が読者コーナーで一週間前の在独中共大使の書いた記事に反論したものだ。先ず、中根猛大使のお便りを読んで、問題の記事に戻った。なかなか外交的な立派な品位のある文章である。

平和を危うくする日本

十二月二十六日に安倍晋三総理は、シナやその他の国々からの警告に拘わらず、第二次世界大戦の戦犯らを祀る靖国を訪れた。ここ暫く、世界の注意は中日関係に向けられている。会談や講演で、私はしばしば尋ねられる:どうしてそこまでシナは日本の総理に怒らなければいけないのか?なぜ七十年も経ってるのに、シナと日本はドイツとフランスのように和解できないのか?

靖国は、第二次世界大戦において、日本の軍国主義の精神的な道具として、シムボルとして、侵略戦争や日本の植民に寄与した。今日に至るまで、「その侵略は正当なものであった」と、そこでは理解されていて、公に表明されているのである。A級戦犯十四人が、そこでは英霊として祀られていて、それは軍国主義の極端なプロパガンダの提示となっている。安倍が総理大臣として、靖国に参るということは、侵略の犯罪人を宣伝するということであり、右翼に属するということを明らかにすることでしかない。日本は、戦後七十年を経た今日も侵略の歴史を正しく理解して、それに向き合うことが出来る状態ではないのである。その狙いは、国際的な日本の軍国主義の正しい審判を放棄して、第二次世界大戦の結果に従っての戦後秩序に疑問を呈するということにある。

正しい歴史認識だけが、将来を形作るのである。日本によって引き起こされたシナへの侵略戦争は、シナ人に多大な苦しみを与えた。日本の侵略軍は南京虐殺や多くの他の残忍な行為を起こした。三千五百万人のシナ人が生命を奪われ、直間接に六千億ドルもの巨大な損害を与えた。日本はシナの隣国であり、我々は日本人民と普通の近隣関係を構築したいと望んでいる。1972年には国交が回復されたとき、シナの指導者は、戦後の補償は断念するという重要な決断をしたのである。その理由は、シナへの侵略戦争の責任は一部日本の軍部にあり、日本人民自体が戦争の被害者であるという立場に立っているからである。しかし、安倍はその歴史的な義務を負うことを拒んでいるのだ、歴史的責任を認めることを拒んでいるのだ、それどころかである、A級戦犯に跪こうとしているのである。

安倍の靖国訪問は、日本の軍国主義の犠牲者となったすべての国々の人民に第二次世界大戦の結果と戦後秩序に対して新たな挑戦を示しているのである。安倍の態度は、日本をとても危険な方向へと導いている。それは、とても危機感を以て、この地域の和平と安定を危うくして、アジア諸国と人民の激しい反発や反対運動を呼び起こす。安倍の行為は、中日の政治的基盤の真の崩壊と破壊である。そしてそのことが、同時に日本がアジア諸国間で信頼を得ることのできない原因となっているのである。

日本政府の態度は、ドイツのそれの著しい対称となっている。我々は、過去に直面して、それをしっかりと乗り越える勇気のあるドイツに尊敬を抱いている。もし日本が、ドイツのようであったならば日本はアジア諸国とまた世界の信頼を和解を得たに違いないのである。

反ファシズムの国際的な戦いは、戦後秩序を、シナ人の血と生命の犠牲で購った。我々は、日本が侵略の歴史を修正することを決して許さない、日本が歴史の回転を逆転することを決して許さない。我々は、全ての国々と歴史的な正当性と世界平和を尊重することを目指しているのである。

史明 
Shi Mingde
Japan gefährdet den Frieden, FAZ vom 14.1.2014

これを読めばわかるように、とても理に敵った文章であり、その内容も先日同じFAZでジーモンス氏が正月に書いた、戦後秩序を体現する中華人民共和国の国際社会での堂々とした発言である。これに対して日本国外務省の大使は何やら靖国を申し訳なさそうに混ぜながら、中共の覇権主義を突いているが、もはやこうした国連常任理事国然とした発言の前にはまるで朝鮮人の犬の遠吠えに近いものである。万が一、安倍政権がこの路線を推し進めようとすれば国連からの脱退など国際社会からの完全な離脱しかないのである。北朝鮮並の在独大使の反論は見苦しいだけでなく、全く話にならない。



参照:
日本の情報統制の進行? 2014-01-22 | 歴史・時事
老支那人と小日本人 2014-01-08 | 歴史・時事
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日本の情報統制の進行?

2014-01-22 | 歴史・時事
魚釣島紛争や安倍政権の対中関係から調べ物をした。そこで思い出したのが小平の日本訪問、それも唐招提寺での関西の放送局での中継風景であった。鑑真像を祖国へとの当時の森本長老が小平の袖に掴る情景である。とても象徴的な情景で、ニクソンが北京に降り立った時よりも、田中角栄の毛沢東との面談や周総理との会談などよりも記憶に鮮やかである。

YOUTUBEで日中国交回復の映像を纏めたものを観た。当時は、報道されていなかった裏話も交えて、幾らかは思い起こした。しかし、大平が外相で、重要な役割を果たしていたことは全く記憶から落ちていた。大福戦争の末に総辞職で命を落とす経過も、発注した孫崎氏の本に触れられているだろうか?

中でも興味深かったのは、台湾問題で、中米関係として日米安保条約の担保としての台湾の日本からの不可侵が保証されていていることである。当時は、反覇権主義が朝日新聞などでも最重要課題として宣伝されていたと記憶するが、実際は日米安保条約が網を掛けていたとは知らなかった。成程、沖縄返還がなされて、まだそれほど経っていない時期であることを考えれば、こうしたことも理解できるのである。

そして大日本帝国の侵略戦争であったとする表現は避けられたものの、十分にその意味が盛り込まれているとするのは当然で、当時の日本の反対勢力の意識も良く分かる史実である。そして、その後の朝日新聞などを代表とする日中友好ムードの過度の演出へと繋がっていくのだった。

ここからも分かるように、日中国交回復における議論が、その反対派の意見も含めて十分にメディア上で交わされたとは思われない状況は、今日の日本のジャーナリズム不在を考えれば当然のことであろう。特に冷戦下の所謂50年体制の保革均衡の政治体制からすれば、十分に内容ある議論などは不可能であったのは当然であったろうか?

このような情報量に比較して、その後の小平の来日に関してはなぜかあまり日本側の情報はネットで殆ど見つからないのである。その理由は全く不明であるが、中共側の情報量の豊富さは驚くほどで、その位置づけが全く中日で異なっていることが一目瞭然となっている。

つまり、小平の訪日は、中共側にとってはとても大切な出来事であり、魚釣島の件も次の世代に引き渡すとした日中の合意を決して隠蔽していないのである。それは公然とした事実であるのだが、なぜか日本では殆ど情報操作されているようにしか思えないのである。先の日中国交回復からの継続性は何時の間にか日本では破棄されていて、国交回復時点の反対派の主張が多くの若い日本人の認識となっているのである。明らかに洗脳教育が、江沢民時代の反日教育以上に進んでいることが証明されているようである。

もはや日本人で、そのマスマディアの報道内容を信じる者には余程呑気な人しかいないと思われるが、経済力だけでなくて情報量で中共の方が日本よりも大きくなってきている証拠であり、如何に日本が退化して行っているかの表れに違いない。



参照:
1972年"北京の五日間"こうして中国は日本と握手した
1978年小平訪問日本全程實錄 妙答釣魚島問題 (YOUTUBE)
老支那人と小日本人 2014-01-08 | 歴史・時事
上から目線でしょうか? 2013-12-04 | マスメディア批評
終わり無き近代主義 2005-09-03 | マスメディア批評
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ドグマに至らない賢明さ

2014-01-21 | 文化一般
東京都知事候補宇都宮健児から反原発市民団体が細川陣営へと流れている様で、その一本化交渉も座礁に乗り上げているという。日本共産党の党大会の報告は比較的詳しくフランクフルターアルゲマイネ新聞で掲載されていたが、コミニズムのドグマから脱却できていない限り、共産党の推薦を得ている宇都宮陣営は一本化への道を歩まないに違いない。なるほど氏の言明は筋が通っているが、本人は共産主義者でなくともその主張を一点も揺るがさない限りドグマと呼ばれても仕方ないであろう。丸山真男の共産党批判のようなものが未だに有効なのは脱構造の時代に全く理解に苦しむものである。FAZ新聞は、共産党大会の結果を踏まえてそこに一点の希望を持たせていたがさてどうなることだろう。

ユーロコミニズムの一角にあった指揮者クラウディオ・アバドが亡くなった。夕方のラディオの討論番組はシュライバー氏など評論家に加えてベルリンのコントラバス奏者を交えて追悼番組としていた。興味深かったのはミラノの緑化運動に関してで、そのことは知らなかったが、現在もその延長で緑のビルなどが話題になるのはとても面白い。

昨年末のバーデン・バーデンでのコンサートも券が余っていたにも関わらず出かけ無かったが、それを後悔していない。プログラム変更で詐欺行為で苦情を本人にしようと思った二年前のルツェルン音楽祭のエグモントのそれが全てであった。あのような演奏実践はもう二度と体験できないと感じた。全く異なる次元での音楽表現であったのだ。ヴィーンの楽友教会での「グレの歌」も懐かしいが、やはりスカラ座の東京公演での「シモン・ボッカネグラ」がとても貴重な経験であった。このようなヴェルディ―のオペラ体験は二度とできないと思われる。

番組でもこれらの作業は彼一人の業績ではなく、今後とも最も重要な功績として後世に伝えられるであろうルイージ・ノーノの演奏実践も作曲家だけでなく芸術監督やポリーニなどの演奏家共々の協調作業によって初めて為されたものであるという確認が話された。我々を含めて皆が楽員から聞くように、とても評判の良い親仁タイプの人物像であったが、ルツェルンのそれは一度失敗をすれば二度とお呼びがかからないようなとてもとても厳しいビジネスライクの集まりであって、斎藤記念の同窓会とは全く異なったプレッシャーの中での同志の集合であったというのである。

そうした厳しさは、残されたオペラ録音などにも表れているが、レコード会社との確執は強く、金は要らないから思うようにやらせて呉れというものであったようだ。そのような厳しさは音響の設定にも表れているのはロンドンやミラノでのとてもデットな音響に如実に表れている。それに相当するような演奏がルツェルンのそれであったのだ。

ロッシーニ・ルネッサンスにしても、ヴェルディのそれにしても、クラッシックラディオのようなものなら自分の名前を使わないで置いて呉れというような芸術への厳しい姿勢と商業主義への強い抵抗は貫かれたようである。そうした主義主張が東京や北京でのルツェルンの管弦楽団との演奏旅行に繋がっている様で、そこにはユーロコミニズムのイデオロギーが感じられる。と同時にドグマとまではならない賢明さがあったのだ。

その厳しさは、自分の描いたハーモニーが出せないことで、指揮を下りるとかの行動に繋がっているとされて、特に晩年は興行師泣かせだったに違いない。その意味からも、もはや自分の思うままに管弦楽団を作るような時代ではなく、集中したプローベで其の域に達することが出来るかが問われていたわけで、発病後の行動がもともと本人の求めていた活動であったことも理解できる。



参照:
Die Stille nach der Musik (SWR2 Forum)
Der scharfe Rundblick eines Leuchtturmwächters, Gerhard Koch, FAZ vom 21.1.2014
すべては金で動くのか? 2014-01-20 | 雑感
時代錯誤への対抗軸 2014-01-15 | 歴史・時事
少しでも良いように変える 2013-12-29 | アウトドーア・環境
詐欺の前に凍りつく聴衆 2012-08-19 | 文化一般
コメント (4)
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すべては金で動くのか?

2014-01-20 | 雑感
注目の名護市の市長選は現職が勝ち抜いたようで、ありとあらゆる力を使って住民運動と共に基地移転に歯止めを掛ける。安倍政権に大きな痛手を負わせるだろう。これで、東京都知事選への流れが生じるのだろうか?稲嶺陣営の当選後の踊りの風景は圧巻であった。

日本人はもっとこの人たちの発言に耳を傾けるべきで、鳩山元首相などだけに任してしまっていたのが間違いであったのである。魚釣島もシナと沖縄との関係での支配構造を考えれば、石原らの馬鹿な考えも生まれる筈がない。

世界から、沖縄は金で動くと思われていたので、琉球人民の名誉を守るような選挙結果となったのも当然のことであろう。男性よりも女性の投票者数が多かったのも興味深く、移転阻止に向けて世界中の関心が集まる中での抗議行動が今後大きく繰り広げられるに違いない。独立運動などというような強い覚悟があるならば、徹底して沖縄県民が不条理と戦うことで、日本全部を変えるような大きな無暴力革命がおこるような予感さえしてきた。

こうなればもはや安倍は役に立たないと、ワシントンは見切りをつけるのではないだろうか?徳洲会事件捜査が再び活発化するのだろうか?都知事選に向けて目が離せなくなってきている。そもそも沖縄県知事を金で黙らさせたことで、交換条件宜しく靖国に行って世界中から叩かれた安倍政権が、見切りを付けられるということで、アベノミックスの終焉の時期のカウントダウンが始まったとみるのが妥当ではないか。昨日も円買の相談を受けたが、日本の消費税上昇と秋口までの市場の動きにも目が離せなくなってきている。兎に角、キャリートレードではないが四割の値の動きは通常以上の投機であり、博打である。

自動車クラブADACのアンケートの誤魔化しが表面化して、大きなスキャンダルに発展する可能性が出てきた。米国の検査機関のそれと並んで世界的に最も影響力のあるテスト機関としても、またドイツ最大の圧力団体としてもADACは君臨してきた。今回のものは会員の人気投票の結果の水増しであったのだが、その信用性が揺らぐことで、世界で最も信頼の高かったクラッシュテストの結果も調査される必要が出てきた。因みにADACは公式スポンサーにトヨタが入っていることから、この方面にも大きな関心が及ぶことになる。



参照:
歴史を導くプロパガンダ 2009-04-05 | 歴史・時事
小馬鹿にした弁明の悲惨さ 2009-12-26 | マスメディア批評
少しでも良いように変える 2013-12-29 | アウトドーア・環境
反産業主義ではない防衛思想 2012-01-12 | アウトドーア・環境
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今週も燃焼しきれるか?

2014-01-19 | アウトドーア・環境
今週も大分登った。日曜日の午前中にも登れば可成りの量になる。木曜日は休んだが、水曜日の小雨勝ちの中でボルダーリングに行ったのが結構疲れた。午前中は陽が射していて乾いていたからだったが、翳って来ると寒かった。

何時ものトラヴァースの場所を先ず繰り返して練習した。完全に掴めたが、そのころには手が凍えてきだした。比較的易しい方の課題であるが、これが身に付けば5.10の垂壁などは問題なく登れる筈だ。

その後、隣のライストテンヴァントを試みたが、もう一つ課題がはっきりしなかった。帰って来てから調べると、割れ目をそれを使わずに登るのと、それを手掛かりに横を登るのと、下左方から右上方へと抜けるのが代表的なものらしい。次の機会に試してみよう。

そこから下の林道まで下りて、今度は次のブロックを下から探して見る。一度若いお兄さんが試していたアレックスブロックに再会した。最下部にあるので狙いを定めて降りて行かないと見つからない。それを試してみるが、手掛かりは分かっても下半身を合わせるところまではいかなかった。これものちに調べてみるとVIDEOがあったので今後の参考になる。

その上のルッツヴァントは濡れていたが、VIDEOを見ると、その課題は理解できた。乾いたときの楽しみである。とても素晴らしいボルダーの壁である。

そこから右方向に上がってくるとポッペルブロックなどがあり、そのまま上方へと登ると、次の降り口のところに突き当たった。これで駐車場所からのアプローチの仕方が徐々の呑み込めてきた。今回は全部で二時間ほどうろうろしていたが、課題を決めて目指せば一時間ほどで熟して帰って来れるだろう。頻繁に行きたい。

金曜日は、「上海マラソンマン」と早めに初めて二時間びっしりと登った。この13日からのルート再編成の期間に当たり、新しいものは待ちが出来ていたが、目ぼしいところは熟した。兎に角、水曜日の腕の張りなどが残っていたのだが。5.10以下ならば初見でもなんとかなるのは実力だ。彼もなんとか六級マイナスをリードしたのは良かった。隣の「農民」も六級を登っていた。彼とは〆に、新しい五級の場所を一緒に登ったが、彼の講評がとても技術的に精緻になってきていて、明らかに高度な技術を身につけてきていることが認知できた。可成り我々仲間の実力が上がってきていて、この調子ならば外でも可成り高度な場所をやれる状況になってきている。

新しいチョークバックを使った。腰に下げていると直ぐに使ってしまう。そして力を掛けることが出来る。室内の特性もあるだろうが、これで可成り登れる技術難易度が上がってしまうのは間違いないようだ。要は、その難易度ではなくて体の動きの練習だということを肝に銘ずるべきで、おかしな練習をしていると大きな失敗に繋がりそうだ。

あまりにも疲れていたのと、これで十日以上走っていないことを思って、頑張って朝早くパン屋の序に走った。僅か3300歩、20分でも霜の中をうっすら汗を掻いた。走り方もとても良くなってきている様で、ゆっくり走るコツが身に付いた。



参照:
冬至過ぎてクリスマス休み 2013-12-23 | 生活
清々しい冬の風に吹かれて 2013-10-18 | アウトドーア・環境
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