YouTubeの視聴数は94と伸びなかった。バーデンバーデンに比べて明らかに弱いのだなと思った。確か三分の一かの会員を失ったのはフランクフルトだったと思う。決して悪い聴衆ではないのだが、街の性格柄結構薄情な感じが強い。
Liederabend: Marlis Petersen und Stephan Matthias Lademann
ブラームスの一番は交響曲でも協奏曲でもなんでも同じくとても力んだ一番と開放された二番の対照がここにもあって、二番はバーデンバーデンの住居だったリヒテンタールの女性Agatheの音名が使われていると初めて知った。
Das Belcea Quartet spielt Brahms II | Internationales Musikfest Hamburg
またはこの番組でこれだけの演奏が流れた記憶が無い。昨年生で久しぶりに聴けなかったのが残念であるが、到底昨今の指揮者ではここまで弾かせられていない。最後に聴いたのがマゼール指揮だと思われるが、現地の評でもそれ以上に素晴らしく楽団が鳴った歴史的なことと評されていた。
Bruckner Symphony No. 7, New York Philharmonic, Haitink
二曲目には「ブルレスケ」を持ってきて、先ずはそこでピアノを弾いたブッフビンダーが80回も弾ているとある。またストラヴィンスキーはサヴァリッシュ指揮で演奏した様だが、まさしくヴェテランピアニストである。「ティムパニーが最初から目立って、ピアノはその間に弾くだけだよ」と、特別な指使いのエヴェレスト登山のような沢山の音符を弾く。
Im Gespräch mit Rudolf Buchbinder
ストラヴィンスキーは「プルチネッラ」の全曲が演奏された。普通は組曲しか演奏されないので、それなりの意味はあった。ユロウスキーは、一般的にはこの曲はネオクラシズムの先端と捉えられているが、そうではなくてポストモダーンの先駆けとしている。同様の見解は「ばらの騎士」新制作時にも語られたが、まさしくポストモダーンとカテゴリーして歴史化するところで、我々の時代がそこから漸く次の世界へと動いていることを実感させる。
Einführung von Vladimir Jurowski zum Konzert Strawinsky x 6: III „Pulcinella“ am 20. Mai 2021
具体的にはコムポニストというのは文字通り組み合わせる仕事であるが作曲家は発見者としていたこと、そして全く異なったニュアンスを与えた作曲とバロック素材を使った創作だとしている。
Probe zum Strawinsky-Festival - „Pulcinella“ mit Vladimir Jurowski