再演「ボリス」の為のお勉強をしている。版のことなど面倒なこともあるが、少しづつものになってきた。序に久しぶりにクラウディオ・アバド指揮「ボリス・ゴドノフ」の録音も聴いてみた。同時に同じプロダクションを夏に再演したヴァレリー・ゲルギーエフ指揮のザルツブルクデビューのプログラムも出してきた。券をみると上階の15列目20番なので第六ランクだった。
Mussorgsky: Boris Godunov - Abbado, Kotscherga,Langridge,Lipovsek,
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ヴェルニッケの代表的な演出であるがあのいつも尖がったような舞台も嫌いで、「権力も何もないわ」と思わせ、先端恐怖症にのみ訴えかけるものだった。しかしこれの場合は大きな鐘を置けたので幾らかはそのコントラストをつけられていた。1997年であるから当時のロシアの状況を思い起こす。そして録音はそれよりも早く1993年の収録であった。恐らく楽団の力量もその後上がっていて大成功した上演での方が良かったに違いない。復活祭上演のオペラではカラヤン時代も含めて有数の出来だったに違いない。
そうした前提を踏まえても、アバド指揮は全くよくない。その歌い方もせかせかとしていて十分に練習が出来ていないことが丸わかりで楽譜を十分に読み込めていない。ムソルグスキーの「禿山に一夜」などの原典版を指揮したりと独自のロシア音楽解釈は有名であったが、やはりここでは全く読めていない。こちらがロシア音楽に関する見識が増えてきたこともあるのかもしれないが、少し歌えばまるでベルカントの様にしか歌えない指揮者ではどうしようもない。
その点、新制作「ボリス」のヴィデオでのティテュス・エンゲルの指揮は見事である。版のこともあって、委嘱新曲との繋部分の重ね方やその組み立ては再度細かく審査してみたいが、「(自分こそが)演出に合わせて解釈を変える指揮者だ」と豪語する以上にそのロシア音楽の作り方もそして音色の出し方も素晴らしい。例えば小節の切り替わりや休止を利用しての場面展開や間の置き方は憎いほどで、流石に音楽劇場を意識すると指揮もそうなるのだと感心する。だから曲を楽譜通りに一気に前から後ろへと流すという強迫観念よりもその音符を一つ一つそれこそスヴァルフスキー分析をして、正しく音楽内容を音化するという事に全ての目標が定められている。こんなに丁寧な指揮が出来るのも、拍を深くしてゆったり感を以て演奏できているからだとよくわかる。そしてやはりシュトッツガルトの座付き楽団は上手い。
BORIS: Trailer | Staatsoper Stuttgart
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これを聴くと恐らくエンゲルは遠くないうちにバイロイト音楽祭でキリル・ペトレンコを圧して代表的な顔になると思う。その指揮もレパートリーを絞っている分取り分け細部まで明晰でカルロス・クライバーのいい面を思い起こさせ、その楽団にも仕事をさせる指揮ぶりは悠々としてハンス・クナッパーツブッシュに近い。もう少し親切に舞台にキューを出してもいいと思うのだが、場所がより大きな舞台になるとより緊張感のある舞台となる秘訣なのかもしれない。
こうなればロシアの上手い指揮者の演奏を聴きたいと思って、キリル・ペトレンコ指揮録音がどこかになかったかと調べるのだが見つからない。2014年にミュンヘンでナガノ指揮がマディア化されている演出を再演している。時期が時期であるからプーティン大統領の顔も登場するが政治家の一人としてであるようだ。
しかし、2020年新制作された「ボリス」には歴史的な流れの中での権力者としてその顔が舞台に登場している。そのプロダクション自体はベルルーシにおけるロシアの覇権が一つの時代背景として扱われていて、ソヴィエトからの流れとして描かれている。
Teaser: BORIS von Modest Mussorgski/Sergej Newski | Staatsoper Stuttgart
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参照:
歴史のポリフォニー今日 2022-02-23 | 文化一般
エンゲルが降りてきた 2021-11-01 | 音