しかしカールツルーへのバーディシェシュターツオパーの方は、なんと二年前にヴィーンでしか上映されなかったユヴァ―ル・シャローンのアニメを使った「賢い女狐」を上演している。ルクセムブルクまで二時間かけて行ってクリーヴランド管弦楽団でそれのアニメ無しのコンサート形式を聴いたのだが、アニメが心残りとなっていた。反面、ラトル指揮のベルリンのフィルハーモニーカー演奏とは比較にならないような上質の演奏を聴いたので、今更三流の音楽は「お耳汚し」になるだけだ。救いはドイツ語上演なのでニュアンスも大分変わり、不愉快になることはないと思う。日程などを見ていると、行けそうな日があって、調整卓の横で10ユーロの席に出かけることにした。なんといっても五十分でドアーツードアーで観れると思っていなかったアニメを体験できる。ノイズキャンセルで耳栓をしてみるわけにもいかないが、この価格なら少なくとも映画に行くつもりでと思って券を買っておいた。屋根の下で、視覚さえよければ文句がない。どれほどのワイド画面を体験可能か?音は隣で卓の空冷ファンが回っているぐらいが丁度よい。と言いながら音楽監督の腕も現在の管弦楽の程度もしかと見極めてくる。昨年のマンハイムよりもいいかどうか?
Franz Welser-Möst über Leoš Janáčeks Oper „Das schlaue Füchslein“
そしてヨーナス・カウフマンへの拍手はいつものように控えめだ。しかしその歌唱は彼の活動領域やその人気市場の広さとは裏腹にとても通向きである。そもそも彼の名前が私の目に入ったのはYouTubeで偶然見たマネ劇場での「ファウストの業罰」の名唱と名演技であって、本当はそうした分野こそが独断場だと思う。歌劇的であるよりも器楽的であり且つ名演技となる。声の質とか何かは評価すべきところが違うと思う。詳しくは、もう一度細かく確認したいと思うが、拍手を見れば分かるように、ゲルハーハーのように舞台で大向こう受けしない、そのような技能である。
La Damnation de Faust - Jonas Kaufmann
私の昂ぶりというのはそこにあって、交響曲や四重奏曲、器楽曲では感じない、とてもベートーヴェン的な固執そこからの解放というのがこの演出ということにもなる。しかしそのヴィデオなどではとんでもなく下らない演出制作で、あれだけの歌手を集め乍おぼろげな記憶によれば全く成功しなかった制作だと思う。その指揮がとてつもなく悪い。そして今回は全く異なる音楽になる。更に推測すると前半の固執はとんでもないところまで行きかねない。しかしあの舞台の動きを見ると自ずとそれにも限界があると思う。そして二幕の最初からカウフマンの歌は当時とは全く異なる歌唱になると確信する。カムペの歌においてもそうで、迷宮から解き放たれるとは何か?そのように考えるとこの演出でも創作の本質的な音楽に迫れると信じている。
Trailer FIDELIO at the Bavarian State Opera
さて、燃料代は安くなったといっても往復11時間半ほどのショートジャーニーの価値があったかどうか?恐らく今後管弦楽団演奏を評価する場合に活きてくると思う、様々なことが感じられた演奏会だった。昨年の五月にあれ程の成果を聞かせてくれた指揮者パーヴォ・ヤルヴィを初めて生で聞いて色々と示唆を受けることがあった。往路の車中でもそのブレーメンでの演奏ヴィデオやパリで演奏を聞いていたが、期待よりも疑心暗鬼が広がるばかりだった。
European Concert 2018 Bayreuth BPO Paavo Jarvi MP4