ベートーヴェンの生誕250周年記念祭に新聞は何頁もスペースを割いている。第一面は別に最も大きい記事は文化欄の第一面である。そこには、年初めにあった学術的な発表の内容を既知のこととして扱っている。
つまり、楽聖は決して共和主義者ではなかったこと、それどころか啓蒙された絶対主義者であって、それがジャコバンのパリではなくてヴィーンへと向かわせたものであったとしている。だからマウレリィツィオ・カーゲルやハインツクラウス・メッツカーが描くような音楽の中に社会秩序の転覆を誘発するような革命家でもなく、平等という事に視点が注がれた。
哲学的にもカントに心酔していて、社会的責任の中での人間的な自由、コミュニケーションの中での個人的な自己表現、知的な扱いなどに重きが置かれる。それは芸術的に、個性であり、動機であり、やり直しであったりとなる。
音楽的には、カリスマ性と理性が共存することになり、それが理念であると共に構造となる。その平等への視点は、音楽的に市民にも興味を引くものであり、貴族を前にして音楽家として哲学家や学者や文学者と同等に向き合う存在となる。純器楽曲においてその内容を与えつつ、決して実験的でも大胆でもなく、寧ろ簡素に明確に表現したとなる。実験的な行いは同時代者の先駆的な仕事を踏襲したとある。
前夜祭としてボンからベートーヴェンナイトをテレコムが中継した。そこでもヴァインベルガーとかの曲が演奏されたが、まさにそういう楽曲だった。新聞には、ピアノソナタのお手本としてムツィオ・クレメンティーが挙げられている。常に簡易であるべきという言葉を第九交響楽のスケッチに書き込んだ楽聖にとって、実験は教育的な目的があってもそれ自体が目的とはなっていない。
それが、つまり理性に導かれた精密な進行と同時に力強さは複雑と単刀直入という事の二面性を獲得して、大衆動員力としてその成果を示すこととなっているとされる。
上の文章にある正確ゆえに東ドイツでは西ドイツ程には重要視されなくなったとある。西ドイツからの生中継を観て、まさしくボンこそはその共和国の首都だと思い起こす。当地の文化的な活動もそこに居座ったテレコムなどによって支えられている。当地のオペラ劇場の座付管弦楽団も最近は放送に乗ることも少なかったので、久しぶりにオーボエソロの山本啓太の顔を観た。元気そうでなによりである。劇場の合唱団も三月から初めての仕事だったらしい。間隔を空けて合唱幻想曲を歌っていた。どのような気持ちだったろうか。
L. van Beethoven. Except from the Finale, Symphony N.9
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今日に合わせてウクライナの古都レムべルクの昨年の音楽祭の第九のフィナーレがアップされた。オクサーナ・リニヴが主催するモーツァルトの息子をメインとする音楽祭である。そこでのボンのベートーヴェン音楽祭にも客演したウクライナのユース管弦楽団の演奏である。
実は先日、指揮者フルトヴェングラーのベルリンでの1942年と有名なバイロイトので1951年の第九を聴き比べた時に、バイロイトの音楽を引き継ぐのはこの女流指揮者のリニヴしかいないと確信していたので、その指揮を聴けるのは喜びだ。当然のことながら技術的には恐らく最初の所をカットしなければいけないほどだったのかもしれないが、予想通りの指揮をしていて、昨年のベルリンでのペトレンコ指揮に欠けるものがそこにある。
祝祭の二日目に大統領の祝辞に続いて指揮をする予定のダニエル・バレンボイムでは到底至らなかった自由闊達なベートーヴェン像が聴かれるところである。この女流に期待されるところはまさにそこなのである。彼女がインタヴューで女性指揮者に求められるものとして挙げたのはカリスマ性であった。
参照:
Immer einfacher werden , Jan Brachmann, FAZ vom 16.12.2020
九月のドイツよりも悪い 2020-11-26 | マスメディア批評
改訂版イタリア交響曲 2020-11-22 | 文化一般