Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2020年12月

2020-12-31 | Weblog-Index


壊れた30年物ミーレ洗濯機 2020-12-30 | 生活
音楽監督ティーレマンの去就 2020-12-29 | マスメディア批評
夜な夜なの摘み食い 2020-12-28 | 雑感
慎まやかな祝祭の夜 2020-12-27 | 料理
クリスマスイヴの夢 2020-12-26 | 音
利いているか男の勘 2020-12-25 | マスメディア批評
紐付きを嫌がる人々 2020-12-24 | マスメディア批評
暗黒に射す一条の光が 2020-12-23 | 暦
FFP2のパン屋さん 2020-12-22 | 暦
死が忍び寄る世界観 2020-12-21 | 文学・思想
悪影響を与える検査 2020-12-20 | 暦
待降節最後の週末 2020-12-19 | 暦
意思疎通力の効果 2020-12-18 | 暦
カリスマ性と理性の共存 2020-12-17 | マスメディア批評
ワクワクの集積オペラ 2020-12-16 | 音
コンセプトが欠けていると 2020-12-15 | マスメディア批評
一月の宿をキャンセル 2020-12-14 | 生活
メルケルの啓蒙的演説 2020-12-13 | マスメディア批評
明日から完全ロックダウン 2020-12-12 | 生活
ハードランディングへの対応 2020-12-11 | 暦
徒労が招いた脱力感 2020-12-10 | マスメディア批評
ミラノの紅白歌合戦 2020-12-09 | 女
指数200を超えると 2020-12-08 | 生活
虫干しにするファイル 2020-12-07 | 暦
鳥肌が立つ膨らむ夢 2020-12-06 | 生活
コロナ陰謀論の非合法化 2020-12-04 | 歴史・時事
へったくれも何もなく 2020-12-03 | 雑感
来夏を夢みたい気持ち 2020-12-02 | 生活
あれは何年前の雪だろう 2020-12-01 | 雑感
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壊れた30年物ミーレ洗濯機

2020-12-30 | 生活
右肩が壊れた、左手首を壊した。洗濯機が壊れた。ミーレの30年物の洗濯機である。前回の時も可成り暴れ回っていたことは気が付いたが、今回は流石に放っておけずにシャットダウンした。偏りを除き、減量したり色々試しても駄目なので、天板を開けると明らかに挙動が変わっていた。

ドラムは四本のばねで宙づりになっていて、一本は掛け直したことがある。一度はVベルトを交換したことがある。今回はドラムが浮き上がってくる。つまり下の抑えが効かなくなっている。そこで横倒しして調べると、二本のシュックアブソーバーで支えられていて、一本が折れていた。これでは天板を打ち破るほどだ。

そこで、先ずは外したが、ドラムの方が浮いていて、手も入らなく、レンチで回しても緩まない。面倒なので、諦める。回すと火花が飛び散るほどで流石にこれは危ないと思った。どれほどに強いモーターを使っているのだ。

それで100kg近いものを動かすときに無理をした。一時はそれぐらいの体重があったものだが、それはやはり無理になると改めて気が付いた。クライミングには体重は強敵だ。

修理してもまたどこかに無理が掛かりそうで、断念した。ベルトでも39ユーロしていたので、これは80ユーロ以上だろう。そして年末買いを入れることにした。次号機の選択だ。ミーレはやはりよい。これに関しては誰も異論がない。しかし同じ意見がネットにもあった。三十年も使えば最高の技術でも時代遅れに、特にエネルギーや水の消費量では水準が落ちてくるというものだ。幸い当時1800マルクほどを出して購入したが、資を取った。同時に振動とかではやはり満足とはいかないことになっていた。それなら最長15年で半額でもいいではないか。

技術先端のボッシュと共同制作のジーメンスを発注した。ドラムが小さめで、なによりも手頃な価格だ。商品的には中共のハイヤーなどの方がいいのかもしれないが、使ってみたことが無かったので、そのプログラムなどに期待したい。なによりも上手く動けばとても静かで夜でも使えるようになっているらしい。来週の木曜日に配送されて、古い洗濯機も持って行ってくれるのが大切だ。

その仕事をしながら床を拭いたりして、前日に放送されたラトル指揮「トリスタンとイゾルテ」を流していた。やはり管弦楽が喧しい、それに負けまいと特にイゾルテのヴェストブロークの「馬鹿声」が喧しい。あれを何時間も聞かされたものだから参った。その後もペトレンコ指揮でも同じような歌い方しか出来ないのも分かった。

当時バーデンバーデンでも「声楽付き楽劇」として評価はあったのだが、オペラを最高の所で体験するようになると、ラトル指揮の楽劇などは音楽の一面を表しているに過ぎないと分かる。当時のバーデンバーデンの興業師の支配人のモットーも舞台は音楽を邪魔しない程度の認識だったので、そうした高度な音楽劇場などは求められておらず、聴衆も多くは到底その程度には至っていなかったのだ。

その後のベルリンでの演奏会上演のDCHでのアーカイヴのインタヴューにこの時の舞台の映像が幾らか含まれていた。全く興味が無かったので気が付いていなかったのだが、これはこれで貴重である。




参照:
耐えるか、白物家電のBMW 2009-11-19 | 生活
声楽付き楽劇「トリスタン」 2016-03-22 | 音
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音楽監督ティーレマンの去就

2020-12-29 | マスメディア批評
ベルリンからバイロイト音楽祭に関しての情報が出て来た。文化大臣グリュタース女史が来年以降の音楽祭に関して発言した。通信社情報が一斉に流された。

文化大臣のレトリックは次の様だ。困難なことは分かっているが、何時までも放っておくことはならない。問題は、理性的で効果的な組織構造としている。

現在進んでいる祝祭劇場のリフォームを支払っていることから、誰が決定権を持つべきとはしないが、多くは税金から資本が出ているので、聴衆にどのように訴えかけるかにあるとして、国内的に世界的に重要な音楽祭として、聴衆が期待するものに相応しいのか?、現在の音楽祭の組織で最高の芸術的水準を齎すのに対応しているのか?と問うている。

そしてここ暫くはいざこざが時々起こっているとして、組織の規約を今日に合わせるべきではないかとしている。

ベルリンの新聞のネット欄は、ここで元祖音楽監督ティーレマンの去就について取り上げていて、その年末までに失効する契約延長が為されずに新たな契約がオファーされている報を挿んでいる。一方、文化相は、芸術監督カタリーナ・ヴァークナーのこれまでの仕事を具体的に評価して、今後もヴァークナー家を組織の中で規定して行く必要を語る。要するに首に紐を付けるという事と同時に、既にカタリーナと仲直りしたパスクエ夫人追放、キリル・ペトレンコへの妨害、主要歌手との契約破棄、アンドリス・ネルソンス虐めなどの責任をティーレマンに押し付けるという事にもなる。

既に昨年からカタリーナはティーレマンへの圧力を掛けていて、連邦政府の意向通りに動いていたようだ。要するにいつものようにティーレマンが癇癪を起こして出て行っても良しとの戦略通りに動いた ― ザルツブルクの様に骨抜きになるまで居座るのだろう。更にカタリーナが病に倒れてから虚言を公言したことのその旨が徐々に分かって来るのではなかろうか。要するにゴネルことで条件闘争へと進めたかったようだが、ここまで大臣から圧力が掛かると大人しくするのかどうか。

モニカ・グリュタース大臣はキリル・ペトレンコと顔を並べて、コロナ禍で苦しむフリーランサーの為の寄付活動を後押しした。私も一緒に名前を出来るだけ売った。それだけでも彼女が何をするべきかは分かっている筈だ。

次のペトレンコ指揮の楽劇「指輪」は復活祭と言われていたが、現実的には毎年一つづつでも大変だと思っていた。時期柄舞台神聖劇「パルジファル」は五年先にはやるだろうが、その夏には新制作でバイロイトに返り咲も夢物語ではなくなった。

来年は通常全32公演を22公演で縮小して行うと大臣が語ったようだ。入場制限はまだ分からないという事で計画が進む。恐らく三分の一ぐらいから可能な限り追加販売をしていくという事らしい ― 払い戻し無しなら五分の一からが安全。オクサーナ・リニヴ指揮のアスミク・グリゴーリアンのゼンタでの新制作「オランダ人」も合唱のPAなどハイブリット上演は決まっているので、寧ろ確実に配券して貰えそうな二年目を楽しみにしたい。「ヴァルキューレ」でズビン・メータなどが振るならそれもいいなと思う。

朝早くパン屋に向かった。小雨勝ちの所で外で待っていて入る時にネットウァーマーのマスクを上げるのをすっかり忘れていた。偶々限られた人にしか見られなかったが、喋ると横から見られたので明瞭に声が聞こえたのだろう。誰一人も注意してくれなかった。警察などが入ってきたら50ユーロの罰金だった。屹度怖いアンチコロナ政策のクヴェーア―デンカ―の親仁に見えたのだろう。雨雲レーダーを見て出かけたのでお蔭さまで濡れずに走れた。土曜日のこりを取るためにも丁度よい。パン屋は年末ではなくて土曜日も開けることが分かった。つまり大晦日の木曜日の後にも買える。

クリスマスのリースリンググローセスゲヴェックスの「キルヘンシュトック」2009年は色も結構ついていたが、若々しさも充分だった。胡椒風味や杏風味が玄武岩交じりのスパイシーとして2009年特有のふっくらした果実風味に乗る。しかし価格三倍もするようなブルックリンヴォルフの独最高価なグランクリュとの差は大きい。それだけの複雑さと大熟成は期待出来ない。当時はまだワイン醸造所フォンブールのオーナーは先ごろ亡くなった指揮者のツグッテンブルクだった。



参照:
Monika Grütters: Bund stellt Strukturen der Wagner-Festspiele infrage, Zeit vom 28. Dezember 2020
理不尽そのものの主張 2020-07-27 | マスメディア批評
敵はバイロイトにあり 2018-11-14 | 文化一般
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夜な夜なの摘み食い

2020-12-28 | 雑感
祭日二日目の土曜日。夜は幾つかの放送を摘み食いした。一番興味があったのは、ライプチッヒのゲヴァントハウスで1988年にマズーアの指揮で行われた「ナクソス島のアリアドネ」のコンサート中継録音である。初めて聞く音源で、公演のこともあまり知らなかった。

部分だけを聴いたが、先ずはジェシー・ノーマンの歌を聴いて、恐らく当時が頂点で、その後ザルツブルクで聴いた1990年代にはもうその輝きは無かった。なるほど声が楽に自然に出ていたので評判になっていた筈だ。もう一人のエディタ・グルベローヴァもツェリビネッタとしては最終時期になるのかもしれないが巧さもあり、最盛期と変わらぬ聴きものになっていた。

ユリヴァラディ、フィッシャーディスカウ夫婦も出ていて、東ドイツとしてはとても華やかな演奏会だったことが知れる。ライプチッヒの人は壁が開く前からこうしたものを経験しているのだから、その後もやはり意識が田舎者とは大分異なるのは納得である。

それにしてもこれだけの面々を集めながらのクルト・マズーアの指揮は残念極まりない。あのブロムシュテットが楽団を引き受けた時は酷かったと言っていたが、久しぶりに聴いて来日公演の生中継なども思い出した。ゲヴァントハウスに来るまではハレやエアフルトなどでも振っていたようだが、如何にも田舎の歌劇場指揮者という感じだ。

壁が開いてから大統領候補に推す声もあった。東ドイツで民主化への声を上げていたからのようだが、あの実力であれだけのキャリアーにのし上がったのは政治力があったという事なのだろう。今年になってから彼のセミナーに参加したアクサーナ・リニヴの侮辱への悪評などを聴くと、大統領にならないで良かったと思うしかない。連邦共和国の恥になるところだった。それにしてもニューヨークのフィルハーモニカ―も政治的な人事しかしないのだろうか。

次の摘みは、フランスからパリで録音された「ラインの黄金」の巨人族の場面を聴いたが、予想通り汚い音を出していた。同地の座付楽団の程度は分かっているが、ジョルダンが振ると汚さ満開だ。インタヴューでの発言内容には甚く感心したのだがアンサムブルオペラをパリで完成させていたとは到底思えない。まだ年末に続くのでちょこちょこ覗いてみようと思う。

急いでヴィーンからの放送でピノックの指揮する昨年のジュネーヴでの「メサイア」を聴いた。音響的にも素晴らしかったので最初に戻って録音して最後が切れた。それでもフライブルクのバロック楽団の演奏としても出色の出来だと思った。指揮者のトレヴァー・ピノックは最近比較的話題になっていて、何故かと思っていたのでなるほどと合点した。

日曜日の晩に放送される楽劇「トリスタン」の演奏会中継録音の日付を確認した。2016年3月31日は、バーデンバーデンでの復活祭の本舞台公演四回後で、ベルリンでの初日だった様だ。その資料を調べる為に探した。そこで気が付いた。2020年はコロナでキャンセルが続いてその前のものも含めて整理する心理的な余裕もなかったが、中止になったものも含めてアーカイヴ化しておかないといけないと思った。

特に復活祭は、バーデンバーデンに移ってから最初から出かけているので、サイモン・ラトルからズビン・メータを挿んでキリル・ペトレンコへと変わっても、また祝祭劇場の支配人が変わっても記録としては重要なものだと気が付いた。

ルツェルンにおいても幻の滞在だけでなくて、座る筈だった座席やその他の資料なども今後の参考になる。暮れの大掃除代わりに時間を作りたい。

クリスマス前に購入した砂糖が掛かっている物が予想以上に良かった。固くならないだろうことは予想通りだったが、日時が経っても可成り美味い。今迄も買ったことはあるのだが、数日楽しめるとなると安上りで、来年のクリスマスにも欠かせなくなりそうだ。



参照:
クリスマスイヴの夢 2020-12-26 | 音
歯を食いしばって耐える 2020-11-21 | 女
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慎まやかな祝祭の夜

2020-12-27 | 料理
目論み通り頂上コースを走った。朝八時半頃に出かけて、50分で走っていたところを一時間以上かけて走った。気温は摂氏1度ぐらいで寒くは無かったが、頂上帯は霜柱だけでなく雪が残っていた。海抜600mに近ければ当然かもしれない。

調べてみると前回は8月16日ころの暑い頃だったので、それよりは大分楽だったかもしれない。パン屋が休みに入るので、その間に二度ぐらい走れるかどうか。

ヴィデオで摘み観たラインラントヴェストファーレンでのアドフェントコンツェルトのラディオ放送を聴いた。ソプラノのゴルダ・シュルツが良く歌っていた。かわり番こにクラウス・フローリアンフォークトと渡り合っていた。いつもの歌の癖はあったが音程も安定していたと思う。シャローン・カムのクラリネットも自由自在だった。

管弦楽団はポップスなどもやっているような第二楽団だと思うが、それなりに効かせ所も作っていたのは指揮者のオクサーナ・リニヴの功績だと思う。番組のインタヴューで、シュルツとはミュンヘンで仕事をしてよく知っていて共演を喜んだとしていたが、フォークトとは初共演だったらしい。

いつものように英語の歌となると俄然自由度が増して、楽団も慣れているのかリニヴの指揮でとても気の利いた音楽をやっていた。ベルリナーフィルハーモニカーがどこまで出来るかは分からないが、リニヴとシュルツで素晴らしいヴァルトビューネが出来ると思った。再来年ぐらいはこの二人ではないのか?

クリスマスの食事は例年通り栗入りのザウマーゲンだ。マッシュポテトを付けないで野菜のヴィルシングに専念したところいつもよりも素晴らしく出来上った。先ず八百屋で大きさよりも捨てるところない小振りのものを選んだのが正解だった。瑞々しく甘みもあり、調理もサクッと色が変わらない内に柔らかく食せた。それだけでも開けた2009年産のグローセスゲヴェックスが楽しめた。

ザウマーゲンの栗は若干もそもそしていたが、栗を拾った時からその傾向があったのだと思う。ある意味実の熟成が進んでいたのだろう。甘みはあったが、若干口に残る感じもあった。こりこりの方がやはり美味いだろう。

ワインに関しては最後の一滴まで飲み干してから書きたいが、選択は2009年のふっくらしたリースリングという事で、食事には最高に相性が良かった。

食事に関しては不満は全くなかったが、なにか例年と異なるのはその勢いというか意気込みで、コロナ禍で悩まされてからは皆そのような気持ちでここまでやってきているので、まさしく慎まやかな祝祭となった。

それで決して不満も無く寧ろ様々な意味での満足感や充実感もあった。それでも平時以上にカロリーを取ったことでもあり頂上コースで汗を流して、日曜日に備えるのである。



参照:
暗黒に射す一条の光が 2020-12-23 | 暦
表情のヴィヴラート 2020-08-16 | 女


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クリスマスイヴの夢

2020-12-26 | 
クリスマスイヴには虹を見た。朝走っていた辺りに落ちている。お告げだった様だ。クリスマスの朝起きて、前の晩に続いてPCを開いた。新たに入れたAdd-onsのvpnで前夜は開かなかったオンデマンドのページが開いた。どうもオンデマンドが完了しておらず新たに上がっていた可能性がある。

23日にローマから生中継されたクリスマスコンサートの映像を観る事が出来た。ラディオで聴いて思っていたよりも良かった。なによりもサウンドが昔からのRai3やイタリアのLPのハイ上がりの音ではない。やはりラディオ放送は今でも巷の安物ラディオに合わせたおかしなイコライザーを掛けているのだろう。その証拠にこのオンデマンドのサウンドはノイトラールでaacの標準的な音響である。これで音色とも評価が可能となった。

先ず何よりもオベロン序曲では指揮者のキリル・ペトレンコはまるでボックか何かの様にニコニコ顔で飛び回っていた。あんなに嬉しそうな顔を見たことも無い、やっぱり恋をしているのだろうか?

ヴェーバーはもしかするとミュンヘンで取り上げるかとも思っていたのだが、結局そこまでの余裕は無かった。主要レパートリ-ではないロマン派の作品をどのように取り上げるかが来年の開幕の主題だったが、シューベルトの大ハ長調交響曲と共に大きな意味を成す。

プロコフィエフでのイゴール・レヴィットのピアノは耳で感じたことを目で確かめただけだが、ロシアのネイマウスらのピアノ楽派がプロコフィエフを弾くとああなるのかどうかはよく分からない。ペトレンコの指揮に於いては、三番を聴いているが、その方向性は変わらない。ツアーではロシア人の女流が弾くことになるが、恐らくそちらの方がより精妙な演奏になると思う。繰り返しになるが、レヴィットの演奏でのパガニーニの主題のような良さは矢張りここには見られないかもしれない。

さて、大ハ長調交響曲はとても興味深かった。録音の音量を弄ったりしていて序奏部のクレッシェンドなどがおかしくなっていたが、長めにアゴーギクを掛けたりで全体の構成とその意味がよく分かるように指揮していた。だからどこにいるのか分からなくなるというよりも明らかに前があって今があって後があるというような時間感覚がある。

確かチューリッヒでフォンドホナーニが指揮した時には反復を省いたりしていて、そのコンセプト自体が若干不明瞭になっていた。しかし一方ではローマのこの演奏では明らかに動機がそこまでセマンティックな色付けされていなかった。ペトレンコはイタリア語でアーティキュレーションでトライしろと発破をかけていたと思うが、それ以上に繰り返しなどでアドリヴ的に入れて来たと思う。画面を観てもう少し見直してみたい。それによって先へ先へと進む推進力と同時に楽員が発止と演奏出来ていたと思う。まさしく最後に賛辞を送っていたのはそれだと分かった。

当然の事、一つ一つの楽想の磨きと音がベルリンのフィルハーモニカーでは全然異なってくると予想されるが、少なくともペトレンコがこのセントチェチーリア管弦楽団と特別な関係にあることは分かった。想像するに音楽監督パパーノと楽団と三者の関係でトレーナー的な任務を得ているのだろう。世代交代もしっかりしているような楽団で、恐らくパパーノも個人的にも望んでいるのだろう。雰囲気を見てもヴィーナーフィルハーモニカーに時間を割くぐらいならこちらの方が価値がありそうだ。

この恩恵を受けたのもイタリア国内向きの映像が観れたからだ。新たなVPNはクロームブラウザにインストールしたEarth VPNというものでとても使いやすい。英国BBCは独自の方法で使えないようだが、イタリアやフランスやスイスやオーストリアがあって、既にいくつかは確認した。問題は、速度は速いながらも、同地のサーヴァーの稼働状況によって不安定さがあるという事だ。



参照:
メンデルスゾーンの響き 2019-11-16 | 音
2023年以降の計画の発表 2020-04-25 | 音
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利いているか男の勘

2020-12-25 | マスメディア批評
一日中雨だった。朝も夜明け前だけはしばらく上がったが、それに遅れて短い距離しか走れなかった。それでも車は結構停まっていて、熱心に雨の中を傘をさしたりして常連さんが歩いていた。長めに走って濡れたくないので、週末に取り返す心算で短く切り上げた。足元が悪くて足に来た。

パン屋でも外で待たずに入れたので良かった。色々と月曜日までの分を購入して更にクリスマスプレゼントのヌードルを貰ったので白い手提げに一杯にしてトランクに隠していると、常連の親仁がサンタクロースみたいだなと。

それから肉屋に行って発注したものを引き取った。余分に干し肉とレヴァーのパスタートと牛肉薄切りを購入しておいた。週末には豚に飽きて青椒肉絲にしても良い。肉屋の再開は1月11日なので日持ちする物はそこまで楽しめる。

ローマからの生中継を聴いた。キリル・ペトレンコが夏のオープニングのプログラムの練習にサンタチェチーリア管弦楽団を振った。来年11月の東京公演で裏プログラムとして指揮する可能性が強い。最初のヴェーバーのホルンから特徴のある歌い込みをする楽団だなと思った。トリノの交響楽団ともミラノの座付楽団とも大分異なる。プロコフィエフのピアノ協奏曲一番もサイモンラトルが若い時にガヴリーロフとの共演でLP化していた曲だ。ピアノのレヴィットのいつもの音楽だが、さてこの曲の演奏としては放送ではとても評判が良かったが、日本公演で演奏したラフマニノフと比較してどうだろうかと思った。詳しく聴き直してみたい。そして最大の関心はシューベルトの大ハ長調交響曲だった。

様々な点を吟味しなければいけないのだが、この演奏会で終始感高い声で歌っていたペトレンコの頑張りも目立った。その最後に10秒ほどの沈黙が曲中のゲネラルパウゼ以上に印象深く、そしてなによりも演奏会前や後でのペトレンコが楽員にイタリア語で話していたことだ。オフで聞こえていただけであまり聞こえなかったが、結構喋り慣れていて驚いた。そうなるとどうしても我々が思うのは、「え~、イタリアにガールフレンドいるの」だ。勿論オペラや音楽用語でイタリア語は勉強しているだろうがそれとは違った。

そこから思い浮かぶのは、話題のローザ・フェオーラである。来年は五月のスペイン旅行のオイロ―パコンツェルトだけでなく、復活祭でも共演することになっている。既に「三部作」で共演していた。なんとなく思うだけなので、プライヴェートには関心が無いが、ただの男の勘である。

彼女の写真が載っているのが、先日のスカラ座からのガラ中継への文化欄の批評である。イタリアが古い劇場などでも早くオンラインストリーミング化を進めた背景には、ローマの政府がそのプラットホームの構築を進めたことがあるとしている。同時に1985年のアバド指揮ノーノ作「プロメテオ」の時とは変わって、その劇場のエピック劇場としての意味が変わってきているという事にある。今回のTV局の演出に関しては肯定的で、BR放送局などの批判とは異なる高尚なところでその創作を捉えていて、同時にそのスポンサー陣が示すようにデラックスさが売り物だったとしている。それは劇場が金満家の為に上演するというのではなくて、意匠としてのそれであって、実際にアルマーニ、ヴァレンティーノ、ドルツェガバーナなどの衣裳を着て、それを魅入る人の為にあるとしている。こういうのを読むとその内容が高級紙に相応しい文化欄のトップであり、国民総動員新聞の故吉田秀和や故柴田南雄の書く当時の朝日新聞の程度を比較することになる。



参照:
ミラノの紅白歌合戦 2020-12-09 | 女
「ヤルヴィは一つの現象」 2018-05-13 | 文化一般
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紐付きを嫌がる人々

2020-12-24 | マスメディア批評
八百屋に行って小鉢を貰って来た。毎年花などを貰えるのだが、今年はどうなるかと思っていた。常連さんはプレゼントを知っているので、例年のように混んでいた。店の中ながら囲むように列が伸びていた。しかし普通の八百屋とは異なり店舗面積が大きいのでそれほど密にはならなかった。

今年は木曜日が24日で、25日がクリスマス初日、土曜日が二日目で、月曜日までお店は休みとなる。例年ならば集中するのだが、今年はロックダウン中で月曜日から時間があって、多くの家庭では早めに済ましていて、若干ゆったり感もあった。何処の街も同じような様子だ。

雨がちで天候は良くないが、暖かいので助かる。木曜日早朝にパンを買いに行って、走ってから肉屋で注文したものを受け取る。最終日なのであまり人は並んでいないだろうという事だ。二週間程休みになる為にあまりものを物色してくる。

雨雲の合間に走らなければ濡れてしまって、体調を壊す。早めにレーダで確認してから出かけなければいけない。

クリスマス前の水曜日にバイロイトから発表がなされた。また同時に発表が曖昧だった30日のジルフェスタ―コンツェルトの中止発表があった。双方とも指揮者のクリスティアン・ティーレマンに係るものである。

前者は年末に契約が切れる元祖音楽監督契約を延長しないという婉曲的な発表だった。音楽祭の新広報ヘルマンは、何らかの形で繋がりをもって行きたいとして「新たな契約」を準備しているという事である。そしてその任務に関しては詳しく規定して行かなければいけないとしている。

芸術監督カタリーナ・ヴァークナーとの話し合いにここまで乗ってこなかったのはまさしくこの点で、その任務の定義に同意が取れなかったのであろう。一つの報道にあるように、今迄に他の指揮者に対しての失礼な態度などで、その度を越した公私混同を縛って仕舞おうとの力に対して反発していたのだろう。

ザルツブルクの復活祭音楽祭の時もそうだったがごねて悪い結論へと、嘗てドレスデンのオペラ劇場で新任になるドルニー支配人を追い落した時の様にはもう誰もついてこない。一方では昨年母親の急死で急遽キャンセルしたゲルギーエフに指揮を代わって成功したりとの肯定的な評価もあるために、一方的に首にするわけにはいかないというのが州などの立場だった。

これによって延長では無くて新たな契約のオファーへと期限が無くなったために、2021年は登場の予定もなく、2022年における登場の契約もまだ締結されていないとなる。何らかの契約は形だけのものになるのであろう。そうした背景があるからこそ、来年デビューの初めての女性指揮者オクサーナ・リニヴも「是非、ティーレマンにお会いしたい」と慇懃に語っていたのだった。

同時にZDFの方から、恒例のゼンパーオパーからのジルフェスタ―コンツェルトの放送中止が発表になった。聴衆を入れられない無観客放送になることは分かっていたが、その発表も遅れていた。同時に音楽監督のティーレマンはそれでもやるつもりだと先日までシュピーゲル誌で語っていた。しかし発表されたのは健康を守るために断念するとして、過去の録画を流すことになった。

元々ベルリンでサイモンラトルが指揮していて独公共放送のARDとZDFの間で綱引きがあって、どちらが本番の31日に生中継するかの競争があった。ベルリンにドレスデンが加わって来た。結果ARTEが本番でZDFが前日となった。そして今年はバーデンバーデンからARTEの前にARDがSWR放送管弦楽団を生中継することになっていた。結果はARTEはベルリンから予定通り、ARDは三カ所で収録して放送、ZDFは再放送となった。その背景には、ティーレマン指揮で売り込もうとしていたシュターツカペレドレスデンが国内でも観客を動員出来ないことからその市場価値を全く失ってしまったことにある。



参照:
Bleibt er Musikdirektor? Thielemanns Zukunft unklar, PNP.de vom 23.12.2020
ZDF-Silvesterkonzert aus der Dresdner Semperoper abgesagt, ZEIT vom 23.12.2020
暗黒に射す一条の光が 2020-12-23 | 暦
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暗黒に射す一条の光が

2020-12-23 | 
クリスマスイヴから年末までの番組表などを探索する。年始はまた別にすると、年内では年末の予定に変更があったようで、ZDFのドレスデンからの中継があるのかどうか。音楽会自体はキャンセルになっても全く放送の宣伝が無い。番組枠は使っているようだが、そもそもARTEとの間でジルフェスタ―争いをして破れた経過から、最近では音楽監督ティーレマンがヴィーンにいて代わりのメストが指揮に入った時ほどのハイライトは無かった。バイロイトの方は年内で元祖音楽監督を辞めるとして、ドレスデンの方でも動きがあるのか。シュピーゲル誌に「先ずはPEGIDAの扇動者扱いされて議論も出来ない」と不平を述べているようだが、今回のコロナの爆発も同様の連中の陰謀論が招いているのは間違いない。

その元祖音楽監督にお会いするのを楽しみとしていると語っていた来年デヴューのオクサーナ・リニヴが指揮した待降節19日のコンサートの中継がクリスマスの朝に流される。待降節コンサートは当時の知事で後に連邦大統領になるヨハネス・ラウによってはじめられた催し物の様だ。よって今年もラッシェット知事が訪れていたらしい。

豪華キャストの教会でのコンサートで、ゴルダ・シュルツ、フォークト、シャローンなどの歌手や演奏家が次から次へと出てくる。やはり公的に運営されているだけの催し物である。同日夜にはラディオでも再放送される。

楽団は西部ドイツ放送協会の第二楽団であるが、曲目からすれば小編成でありそうでそれほど問題はないであろう。またまた気の利いたものを聴かせてくれると思っている。

スーパーにも出かけたが、天気は冴えないものの車外気温計が摂氏15度ほどになっていた。それは暖かい。一方息苦しさなどもあり体調はまだ回復しない。

愈々連邦共和国の指数が197になったので騒いでいる。なぜならば通常は200で強い規制に出る、つまりドイツ全国をもう一段と外出禁止にしなけらば話が合わない。指数50以下は五つの地域しか残っていない。最後のベルリンよりも北の地域も大分感染が広がった。最もアルプスのスキー場から遠いところだった。既に200を超えてオーストリアを上回った。このまま進めばポルトガルを抜き英国、スイスへと近づく。

一方ここワイン街道などは125で落ち着いている。つまり今まで感染していなかった所の数字が上乗せになってきている。例えばベルリンの300に近いところの隣の地区ポツダムは36で東京の31とほぼ変わらない。

しかし本来ならばクリスマスどころでは無くて規制を強化しなければいけないようになった。全く予想していなかったことだろう。その代りに警察を巡回させると方針を出した。これで分かったことは、新年1月10日には到底ロックダウンを終えられないどころか、強化する必要が生じた。学校をどのようにするかの判断に迫られる。もうこのままでは死者の数にブレーキを掛けられなくなる。

ドレスデンの横のマイセンの火葬場の映像が激しい。同地は数字からすると448で637のバウツェンなどに接している。地獄絵で、真新しいお棺が焼却炉の入り口に足の踏み場も無い程立て積されて、順番を待っている。今迄247人程しか亡くなっていないようだが、ここ暫くに集中しているのだろう。

春のイタリアとの相違は治療を受けて亡くなっているだろうということぐらいだろうか。流石に近くでこのようになればコロナは陰謀だとでもしていた連中の知り合いも亡くなって行って、その時に初めて現実に目覚めるに違いない。ザクセン人としてはとても情けない事だろう。

ビオンテクのサーヒン教授が、インタヴューに応えて日曜日から始める接種に期待と誇りを語っていた。同時に英国での変異に関して僅か1%の変異なので、抗原に対応する1270のアミノ酸のワクチンが効かないことは無いとしている。しかし調査に二週間かかり、もし必要ならば改良に六週間かかるという。

少なくとも変異したものは感染力はあるようで、それが既にドイツにも入っている可能性は低くないとされていて、決して軽視できなくなってきている。日本政府も英国からの入国を止めたようだ。



参照:
死が忍び寄る世界観 2020-12-21 | 文学・思想
ポジティヴ移民サーヒン? 2020-11-17 | 雑感
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FFP2のパン屋さん

2020-12-22 | 
パン屋を買いに行った。あれと思っておかみさんや売り子の顔を見るとマスクが違った。今回ドイツやオーストリアで一部で義務付けられているマスクの最低の基準を満たしているFFP2マスクである。

欧州の基準EN149で、防護呼吸マスクの格付けとして三段階ある。FFP2はその真ん中で、最高11%少なくとも8%以上の気密度が求められる。その中でフィルター効果がウイルスなどを防ぐのか、つまりエアロゾール対応となるのかなどで種類がある。まだ呼気の吹き出し口があるものもある。呼吸をしやすいようにしてある。

今回のロックダウンから老人ホームなどへの訪問で義務付けられ、またドイツでは満年齢60歳以上の人には無償で数枚配られたのがFFP2マスクである。因みにそれまではドイツでは口と鼻を被い顎を隠すだけでマスクの着用は義務付けられていなかった。だから自作マスクが推奨された。

理由は本格的な防護マスクの供給に問題があったのと空気感染よりも飛沫感染を押さえ注意を促すためのマスクとして考えられたからである。近郊交通機関で1.5mの距離が取れない場合もそうした被いをすることで問題が無いとされた。

しかし今回は公共交通機関の利用を可能な限り抑えることが言われ、そして防御マスクが推奨されるようになった。理由はそれらから考えられることは簡単で空気感染が主な感染経路として認知されてきたからであろう。

食料品関係で義務づけられたかどうかはまだ分からないが、先日までは床屋等でもサージカルマスクで許可されていたので、ロックダウン解放明け後の新年は変わってくるだろうと思う。

個人的にも春先にはNK95をスーパーでも使っていたが、息苦しくもあり、夏になるとサージカルの方が涼しかったので使用を止めていた。今後再び使うかどうかは市中の感染度に依るだろうと思う。しかし効果のあるマスク程長時間着けていることは困難になる。

クリーヴランドからの放送を録音して流した。2004年に新音楽監督のヴァルサーメストがベートーヴェンの大曲「ミサソレムニス」を指揮したものだ。同地の管弦楽団では四回ほどしか演奏していなかった様で、ジュージ・ショー、セルが各々一回指揮、マゼールが二回指揮に続く演奏だった様だ。

当時メストが我々のバッハの会でロ短調ミサ曲を現代楽器で指揮したのを聴いて感心して、その指揮者の実力を見直す機会となった。ここでの演奏でも合唱の扱い方なども上手く、同時に管弦楽団をよく鳴らしている。ソリスツ陣では若いヨーナス・カウフマンのテノールが目立つ。

しかし総体的には後年の管弦楽団の精緻さは無く、丁度前任者ドホナーニ監督時代程度の演奏である。「どの部分も意味がある作品だ」と本人は当時解説した様だが、今なら更に素晴らしい指揮が出来るに違いない。セルも一度しか取り上げられなかったという様に、もう一度メストがこの作品を取り上げる事があれば、その評価が完全に歴史的にこの管弦楽団の頂点として広く認識されていると思う。

冬至であった。これで少しづつ昼が長くなってくる。年が明けると新春らしくなる。春が少しづつ見えてくるようになる。森の中は暖かく摂氏8度で、久しぶりにパンツを脱いでショーツで走った。



参照:
伯林疫学研究所長の妄言 2020-08-19 | 文化一般
意思疎通力の効果 2020-12-18 | 暦
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死が忍び寄る世界観

2020-12-21 | 文学・思想
来年のオパーフェストの宿を予約した。7月である。ミュンヘンも旅行シーズンに関わらず郊外のお気入りのアパートメントホテルに四泊入れておいた。盛夏であるから涼しいところがいいのだが、耕地は広がっていても森に囲まれた村ではないのでなんとも言えない。車で少し出て行けば湖畔地帯なのだが、室内にいる限り涼しくはないと思う。

そのように特別に景勝地でない分静かな夏の昼下がりを過ごせるのではないかとも夢想している。兎に角安く、200ユーロほどで押さえておいただけで、変更は幾らでも出来る。そもそもティケットももし時間が空いた時の遠足先もまだ決まっていない。ただただミュンヘン近郊に足場を固めておく準備だけである。

例年は陽も長い時期であり、人込みは暑苦しいので、日帰りをしたのだが、来年は前音楽監督キリル・ペトレンコが指揮台に立つ最後の機会なのでどうしても出来るだけ通おうと思っているからだ。そもそも何が予定通り開催されて、どれほどの人が集うかも全く分からない。その分先行予約で狙っていた場所が取れたのだろう。

英国で確認された変異型のコロナで、様々な憶測などが流れ、特にビオンテクのワクチンが目指すスパイクが利かなくなるとして危惧されている。まさにそこが変異を起こしているようで、するとなると全く効かなくなるかと思うと、一部では問題が無いという声も出ているので分かり難い。

どうも重要なののは選抜的に変異しているのではなくて、偶然にという事のようで、大きな長期的な広がりにならないと認識したが違うのだろうか。

兎に角、日曜日の午後にWTOの欧州への勧告が流されて、英国からの感染を喰い止める対処を白とある。早々に一水を別けて向かい合うベルギ-やオランダは早速着陸拒否を出したようだ。その後イタリア、オーストリア、又陸水空のフランスは遮断の検討に入った。そして欧州内で調整してという事でマコン大統領とメルケル首相が電話会議をして欧州を期限をつけて英国に対して閉鎖する意向を固めた。

独交通省は、基地へ帰港の飛行機のクルーを除いて、英国からは一切の移動を止めた。例外は荷物そのものだけとなる。零時から年末31日までを一先ず期間とした。アイルランドなども先ず48時間交通を遮断する。

観戦力の強さだけならば、感染を遅らせるように努力するだけで事足りるかもしれないが、万が一現在接種が進められているワクチンを無効化するようなことがあれば大変なことになるので、保守的にあらゆる可能な防御策を進めるしかない。その可能性に欠けるしかないとされている。

その新株が感染拡大すれば既に現在の死者数急増からしても厳しいところで医療崩壊が待ち受ける。恐らくその事だけでこの一年間で最大の危機を迎えることになる。更に来週から始めろうとしている接種がどこかね効かなくなってくるとすれば最早打つ手が無くなり、完全に敗北となる。

20時30分にローマから通信社経由で情報が入ってきたようで、数日前にローマのフォミチーノ空港に英国から到着した二人組に新株コロナが確認されたとある。防疫が容易でないことは分かっているが、既にどれほど入っているか?独国内では確認されていないというが、発覚してくるとなると恐ろしい。

既に10月からの第二波の感染速度は尋常ではなかったので、更に高速化するとなるとは逃げても逃げきれないような感染力と考えても良いだろう。青天の霹靂というほどまでに見通しが明るかった訳ではなかったが、ここで来週から始まるワクチンが効かないとなれば絶望というしかない。ここまで来て本当に感染病は怖いなと思わされた。弱者でなくても身近に死が忍び寄るのを感じるかもしれない。



参照:
音楽劇場の舞台設定 2019-11-20 | 文化一般
adagio molto e cantabile 2019-09-06 | 音
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悪影響を与える検査

2020-12-20 | 
パン屋に行ってストレーンを購入した。小切りでは最後で、大きいのが一つ残っていた。毎年直前になって購入しようとして遅れることがあるのはそのためだ。だからぱさぱさになっているかと思ったら、バターのたっぷり加減で全く問題がなかった。3.50ユーロでケーキよりも高いが何回か食せるので満足だ。

パン屋は年末から新年二週間休みだから、購入可能なのは木曜日までだと思うが、確認しておかないといけない。最低4回は購入する予定だ。

暗いうちに済まして、一っ走りして下りにライヴァルの婆さんと久しぶりにお連れの男性が後をついてきていた。しばらく見なかったねと声を掛けると言い淀んでいたので、怪我か病気でもしていたのだろう。二月程見なかったと思う。まあ復活で元気そうで何よりもだ。婆さんの方も口当てをしていてネックウォーマーでも購入したのだろう。冬はとても役に立つ。手袋とこれだけで、バンダナはまだしていない。零下数度になる時までは使わなくて済みそうだ。

その後にお揃いのヤッケを被ったような夫婦が走って上がって来ていたが、頬被りしていたので挨拶しても年齢不詳で分からなかった。初めて見掛けるような感じだった。

金曜日は、中部ドイツ放送局からミサソレムニスの中継録音が流れた。同時刻にミュンヘンからの中継があったブロムシュテット指揮の演奏である。最近は期待外れが続くので古い録音を聴く方が安心だ。二回録音をしていて、これはその二度目の制作録音の前後の実況中継で問題となるところをあまり感じさせない指揮だった。やはりよく分かっているという楽団の慣れも大きいのだろう。合唱も立派で、それだけでも価値があった。番組冒頭に流れたティーレマンの「ミサソレムニス」への思いの声が余分だった。

日曜日には同曲のクリーヴランドでの中継録音が流される。何時頃のものかは知らないがカウフマンやゼーリックなどが歌っていて贅沢である。問題はソプラノがどうか?これも録音しなければいけない。

先ずは夜中にボストンからの小澤指揮の「くるみ割り人形」が流れる。CD化された同じ音源かも知れないが、先ずは聴いてみないと分からない。手元にはプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」しかないので楽しみだ。寝ている間に上手く録音が出来るか。

11月末に放送のあったベルリンからの無観客演奏会のマーラー作曲一番四楽章フィナーレで激しい咳き込みがあった。何処から聴こえているのか注意深く聴いてみるとどうもホルンセクションの七人の一人の感じがする。男性で年配の人だろう。止めれないだけでなく胸からの咳でコロナが怪しまれる。例えPCR検査をしていてもこれだけ市中感染が酷いベルリンでは避けようがないと思う。クラスター化すれば狭い間隔と共に社会的に叩かれる可能性もある。

車中の放送で胎児の超音波検査が禁止になる事が報じられていた。過去にもその撮影によって奪胎などの契機になるとされていて倫理的に疑問視されていた。しかし今回は胎児に与える悪影響が、保険外の医学的に意味の無い検査によってもたされるという理由で新年から禁止になる。倫理的な問題となっている事象が医学的にも否定されれば最早議論にもならない。



参照:
待降節最後の週末 2020-12-19 | 暦
一月の宿をキャンセル 2020-12-14 | 生活
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待降節最後の週末

2020-12-19 | 
クリスマス前最後の週末となる。その前にストーレンを買っておいた。先ずはケシの実ストーレンである。通常のものに比較すると他の季節でも出るが、その次の通常のものを買えるか。朝起きしてパン屋で覗いてみよう。

朝走って、シャワーを浴びてマンハイムまで出かけると矢張り調子が悪くなった。このところの気温の変化もあるが、コロナウイルスの氾濫も気になる。背中が痛かったりと微熱が出て、更に気温が上がって晴れ間が見えると思ったら霧が出て余計に鬱陶しくなった。気温よりも陽の光が欲しい。中欧に住むまでは全く理解できない思いだった。

一月になると陽光が眩しい日があると思うが、オーストリアは24日までのロックダウンを決めた。流石に若いクルツ首相は新たなアイテムを出してきた。イソジンではなくてFFP2マスクである。スキー場を動かすのにバランスを取って、ロックダウン中の野外でのスポーツを奨励する。しかし、そのマスクと間隔を空けることが新基準として加わる。如何にもポピュリストらしいアイテムで、そこに集団の抗原テストを加えて、陰性証明で18日から自由になれるというものだ。

その陰性テスト証明で劇場にもコンサートにも通えるようになる。参加者の全員が陰性証明をもって五百人が集う事が可能となる。抗原検査だけでも陽性者が混じっていたとしてその確率は充分に小さいという事なのだろう。

金曜日の会見の最後の記者からの質問の所だけを少しみたが、しつこくそれは強制にあたらないかという事が問いただされていた。これは同時に呈された三段階の工程のコンセプトにも活かされているのだろう。まず最初に感染者数を抑える、そして全員検査を実施する、最後にワクチン接種を行って夏までに平常化するというものだ。

テストの段階で実施率を上げれば、最後の接種で同様と率を確保できるという計算なのだろう。当然接種しなければ何々が出来ないと出して来る筈で、如何にも内務省官僚出身の若いポピュリストらしい施策である。とんでもない全体主義なのだが、そこに緑の党が連立しているのがとても具合悪い。

当然のことながらそこまで国内を引き締めようとするのだから、国外からの入国を徹底的にコントロールする。無料の抗原テストを行うようだが、五日間の自己隔離が義務付けられるので、商用や通勤や里帰りなどの例外を除いては入国不可となる。

同様のルールは隣国ドイツ側からの国境の向こう側の買い物などへの制限もあるために、開いているスキー場へとの日帰り旅行を防ぐことになっている。

そもそも無理な話しだったがフォアアールベルクの一月のキリル・ペトレンコを指揮者に迎えてのマーラーの九番交響曲演奏会はこれで不可能になった。



参照:
年内の買い物を整理 2020-11-23 | 生活
伯林疫学研究所長の妄言 2020-08-19 | 文化一般
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意思疎通力の効果

2020-12-18 | 
マンハイムに寄った。ラインの橋の工事で回り道するので序でに繁華街も走ってみた。どこも車の交通量は春のロックダウンとは全く異なる。その差異は分からないが、恐らく認められている仕事の通勤が断然多いのだろう。そういうこちらも用件で走っているだけで通勤ではない。更に目抜き通りを通ってみたのだ。

先ず目抜き通りで気が付いたのはマスク着用義務と書いてあっても三割ぐらいの人はしていない。巡回して罰金を取っている様子もなく意味が分からない。その場のバス停などでも半分ぐらいはしていない。マンハイムは現在指数200を超えていて、更に厳しい地域になるのだが、その程度である。可成り規制が利かなくなっているのを感じる。タバコを吸っているお兄さんも完全に外していて、どこぞの偉い先生の様に片手でマスクをもってその間に煙草を咥える等なことはしていない。そもそもタバコのみの若い人にとってはコロナなんてそれ程には不健康ではない。どうもマンハイム市はやる気がなさそうだ。同時にクリスマスらしさも全くなかった。

人出もこの時期としては少ないのだろうが、平日の時間帯では少し少ないぐらいで、日曜日とかとは全然違う。見ていると、食事を買って来て道端で食べている人や何かをラッパ飲みしているような人がいる。アルコールではないと思うが、仕事の間の昼休みの人などなのだろう。春に歯医者に通う時に感じた特別に許された感は皆無だった。あのような感じならば減少しないと思う。

地元ワイン街道は110台になっているので、もう少しで100以下に下がる可能性が出て来た。外で酒を飲まない様にすればそれ程増える要因はマンハイムのようにはないと思う。その間にはスパイヤーの指数502のような地域があって、地域差が激しくなってきた。動きさえ止めれば更に隔離されていく。

朝の一っ走りの時は風もあって陽も無くて気温よりは肌寒く感じた。午後には写真の様に久しぶりに陽射しがあって気持ちよくなった。土曜日にはもう一度晴れそうなので、窓を開けて掃除などが出来そうだ。

肉屋に寄ってクリスマスから年始の注文をした。既に遅いとか言われたが、そもそも注文品が事情通のそれなので問題なくイヴに取りに行けそうだ。

ベートーヴェンが洗礼を受けた日が1770年12月17日らしい。16日のウクライナの第九に続いてバイエルン放送協会が制作したニュルムベルクの劇場の音楽監督ヨアンナ・マルヴィッツによるレクチャーがアップされた。大好評だった第七番イ長調に続いて第六番「田園」へ長調が扱われた。先ず何よりも、進行役のマルヴィッツの喋りが素晴らしい。これに匹敵する指揮者はメトロポリタンとフィラデルフィアの監督を兼任しているネゼセガンぐらいしか知らない。
2. Online-Expeditionskonzert: Beethoven #6 "Pastorale" (Trailer)

2. Online-Expeditionskonzert: Beethoven #6 "Pastorale"


それも今回ボンの式典で大統領スタインマイヤーがヴィデオでのメッセージの内容や文化大臣グリュタースの言葉にあったポピュラリィティーとその明晰さに視点が行くようにもなっていて、その音楽分析的な事項以上に全体的な具体的印象を伝える内容と成っているのが見事である。逆に言えば、政治家までがそれを口にするには、まさしくコミュニケーション能力という彼らにも我々にも皆一様に求められているその天才性に触れる内容となっているという事だ。

明らかに250年祭をしてここまでの学究的なその趨勢を土台として、美学的にも社会文化的にもその位置付けが新たに定まってきていることを象徴している。恐らく50年前には、今回大統領が言及した東京からヴァ―ンクーバーへと演奏されるベートーヴェン像というのはまだ違う意味合いを呈していて、その象徴的な位置にカラヤンのメディアなどが文化経済的なミッションとして存在していたのである。



参照:
カリスマ性と理性の共存 2020-12-17 | マスメディア批評
来夏には全て正常化予定 2020-11-12 | 雑感
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カリスマ性と理性の共存

2020-12-17 | マスメディア批評
ベートーヴェンの生誕250周年記念祭に新聞は何頁もスペースを割いている。第一面は別に最も大きい記事は文化欄の第一面である。そこには、年初めにあった学術的な発表の内容を既知のこととして扱っている。

つまり、楽聖は決して共和主義者ではなかったこと、それどころか啓蒙された絶対主義者であって、それがジャコバンのパリではなくてヴィーンへと向かわせたものであったとしている。だからマウレリィツィオ・カーゲルやハインツクラウス・メッツカーが描くような音楽の中に社会秩序の転覆を誘発するような革命家でもなく、平等という事に視点が注がれた。

哲学的にもカントに心酔していて、社会的責任の中での人間的な自由、コミュニケーションの中での個人的な自己表現、知的な扱いなどに重きが置かれる。それは芸術的に、個性であり、動機であり、やり直しであったりとなる。

音楽的には、カリスマ性と理性が共存することになり、それが理念であると共に構造となる。その平等への視点は、音楽的に市民にも興味を引くものであり、貴族を前にして音楽家として哲学家や学者や文学者と同等に向き合う存在となる。純器楽曲においてその内容を与えつつ、決して実験的でも大胆でもなく、寧ろ簡素に明確に表現したとなる。実験的な行いは同時代者の先駆的な仕事を踏襲したとある。

前夜祭としてボンからベートーヴェンナイトをテレコムが中継した。そこでもヴァインベルガーとかの曲が演奏されたが、まさにそういう楽曲だった。新聞には、ピアノソナタのお手本としてムツィオ・クレメンティーが挙げられている。常に簡易であるべきという言葉を第九交響楽のスケッチに書き込んだ楽聖にとって、実験は教育的な目的があってもそれ自体が目的とはなっていない。

それが、つまり理性に導かれた精密な進行と同時に力強さは複雑と単刀直入という事の二面性を獲得して、大衆動員力としてその成果を示すこととなっているとされる。

上の文章にある正確ゆえに東ドイツでは西ドイツ程には重要視されなくなったとある。西ドイツからの生中継を観て、まさしくボンこそはその共和国の首都だと思い起こす。当地の文化的な活動もそこに居座ったテレコムなどによって支えられている。当地のオペラ劇場の座付管弦楽団も最近は放送に乗ることも少なかったので、久しぶりにオーボエソロの山本啓太の顔を観た。元気そうでなによりである。劇場の合唱団も三月から初めての仕事だったらしい。間隔を空けて合唱幻想曲を歌っていた。どのような気持ちだったろうか。
L. van Beethoven. Except from the Finale, Symphony N.9

今日に合わせてウクライナの古都レムべルクの昨年の音楽祭の第九のフィナーレがアップされた。オクサーナ・リニヴが主催するモーツァルトの息子をメインとする音楽祭である。そこでのボンのベートーヴェン音楽祭にも客演したウクライナのユース管弦楽団の演奏である。

実は先日、指揮者フルトヴェングラーのベルリンでの1942年と有名なバイロイトので1951年の第九を聴き比べた時に、バイロイトの音楽を引き継ぐのはこの女流指揮者のリニヴしかいないと確信していたので、その指揮を聴けるのは喜びだ。当然のことながら技術的には恐らく最初の所をカットしなければいけないほどだったのかもしれないが、予想通りの指揮をしていて、昨年のベルリンでのペトレンコ指揮に欠けるものがそこにある。

祝祭の二日目に大統領の祝辞に続いて指揮をする予定のダニエル・バレンボイムでは到底至らなかった自由闊達なベートーヴェン像が聴かれるところである。この女流に期待されるところはまさにそこなのである。彼女がインタヴューで女性指揮者に求められるものとして挙げたのはカリスマ性であった。



参照:
Immer einfacher werden, Jan Brachmann, FAZ vom 16.12.2020
九月のドイツよりも悪い 2020-11-26 | マスメディア批評
改訂版イタリア交響曲 2020-11-22 | 文化一般

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