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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2011年3月

2011-03-31 | Weblog-Index



割れ窯に慰めなどあるのか? 2011-03-31 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
グリーンピース発表によると 2011-03-30 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
なにが嬉しくて被爆したいのか 2011-03-29 | 雑感 TB0,COM0
遥か遠く福島への認識の侵食 2011-03-28 | 文学・思想 TB0,COM0
福島から明日が変ってくる 2011-03-27 | 歴史・時事 TB0,COM0
共同体に警報が鳴り響くとき 2011-03-27 | アウトドーア・環境 TB0,COM3
福島一号機制御室の英雄たち 2011-03-26 | マスメディア批評 TB0,COM2
日本人よ、恥じを知れ! 2011-03-25 | マスメディア批評 TB0,COM2
首都圏に退避勧告が出た時 2011-03-24 | マスメディア批評 TB0,COM0
プルトニウムはまだかいな 2011-03-24 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
風評より遥かに恐ろしい風雲 2011-03-23 | マスメディア批評 TB0,COM0
はなの憂鬱 - 情報操作 2011-03-21 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
健康・環境被害とは風評なのか? 2011-03-19 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
ハイエナ経済のバベルの塔 2011-03-18 | 歴史・時事 TB0,COM4
パニックの裏側の集団心理 2011-03-16 | 歴史・時事 TB0,COM2
脱東京、脱原発、脱近代 2011-03-16 | アウトドーア・環境 TB0,COM5
救援活動を終了、帰国へ 2011-03-15 | マスメディア批評 TB0,COM2
ルフトハンザ成田発着最終便 2011-03-15 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
これでまた、時間が加速した 2011-03-14 | アウトドーア・環境 TB0,COM7
輪番停電という外出禁止令演習 2011-03-13 | マスメディア批評 TB0,COM4
福島の最終作戦に固唾を呑む 2011-03-12 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
東京への旅行を控えるように 2011-03-12 | マスメディア批評 TB1,COM2
東電は真実を隠している 2011-03-12 | アウトドーア・環境 TB0,COM4
地震を感じて目が醒めた一日 2011-03-11 | マスメディア批評 TB0,COM5
雑巾を絞るか、体を絞るか 2011-03-10 | 雑感 TB0,COM0
勝手に風呂敷を広げる面白さ 2011-03-09 | BLOG研究 TB0,COM0
休肝日が続く今日この頃 2011-03-08 | ワイン TB0,COM0
バラの月曜日に済ましておくこと 2011-03-07 | 暦 TB0,COM2
旬の音楽を格安で発注する 2011-03-06 | 生活 TB0,COM2
腰痛に、その原因を想いながら 2011-03-06 | 雑感 TB0,COM0
まさに春は虚の状態の季節 2011-03-05 | 生活 TB0,COM0
足に合うイタリアの靴型 2011-03-03 | 生活 TB0,COM0
前近代の取り込みは医学の発展 2011-03-02 | 数学・自然科学 TB0,COM0
ツ・グッテンベルク国防相辞任 2011-03-01 | マスメディア批評 TB0,COM0
脱リビア、脱毛、脱貧困 2011-03-01 | 歴史・時事 TB0,COM0
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割れ窯に慰めなどあるのか?

2011-03-31 | アウトドーア・環境
メルケル首相が菅総理に電話を掛けたようだ。官邸の発表によると「情報の公開」を求めたようで、それに対して「十分な伝達を約束する」と答えたと言うことだった。その内容に関しては現時点ではそれ以上の情報は手元にないが、メルケルは暗に情報公開として日本国民への民主的人道的な配慮を求めたに違いない。官僚はしらばくれてかどうか判らないが、肝心の内容が伝えられていないどころか、「おかしな英語での情報の伝達」などに梃入れしているのはどうしたことだろう。

ドイツ連邦共和国では日本のNHKが伝えるよりも早く肝心な日本語の情報は全てそのまま在外公館や情報活動をも担う報道や研究機関を通してオンタイムでドイツ政府の情報となっている。英語による情報は在日外国人のためのものだろうが、昨日も川崎在住のドイツ人のリスナーがSWR第二のストリーム放送を聞いてコメントを寄こしていた。彼は通常の日本人よりも福島のことを知っている筈だ。

グリンピースの報告を受けてIAEAが日本政府に注意をしたようだが、それよりも興味深いのは再臨界の話題であろう。特に三号機に注視すべきではないのだろうか。大きな爆発に繋がらないのは、その場合は既に窯の底が割れていて、建造物も崩壊しているからだろう。もし水蒸気爆発となっても猛烈な放射線を浴びた熱湯が飛び散るような状況になるのだろう。兎に角、割れ窯となった時点で格納庫上部の負力は現在のように多少はあったとしても大量の水が津波の如く決壊するのではないだろうか?もっとも安全な方法は建屋ごと大きなプールに水没させてしまうことだろうが、既に地下に水が満ちていることでも分かるように建造物の土台自体もあまり密ではなさそうだ。

要するに溶解した五トン単位の燃料棒の一部が底に落ちて、それが熱を放って穴を開けている状態から、特に膨大な比率のプルトニウムのMOX燃料を使っている三号機では危険度が高まる。それは長崎などの原爆に使われるプルトニウム239は、その塊が僅か5.5キロを越えた時点で再臨界が始ると言われているからだ。これは一般的なウラン燃料の二号機などでも燃料棒一本辺り二三キロのプルトニウムが生成されるようだが、MOX燃料炉では若干事情が異なる。

つまり、核分裂素材としてウラン235が使われて、そこに遠心分離で再処理されたプラトニウム239が中性子をゆっくりと撒き散らすのだが、実際にはそこにプルトニウム240が混ざっていると言われる。この同位体は原爆では慎重に取り除かれる。なぜならば、これが混じっていると予定よりも早く点火してしまうからなのである。三号機では十分な量の溶解が進んでいることは十分に推測出来、再臨界の可能性も高いのだろう。

因みに1971年まではプルトニウムは自然には存在されていないとされていたが、十億個のウラン原子に対して一つぐらいのプルトニウムが混ざっているのが発見された。しかし、地上におけるプルトニウムは99.9%以上が1945年から1962年までに行なわれた核実験のもので世界中に三トンが拡散している。そして今回はどれほどのプルトニウムが福島から世界に放たれるか世界の注視するところとなる。

再臨界しても環境に与える影響が少なければ問題はないのだが、福島の現状から見ると、再臨界が確認される時は既にチェルノブイリの被害規模を越えているように予想される。レベル7越えということであろう。

川崎在住のドイツ男性のリクエストはバッハのマタイ受難曲の終わりのコーラスであった。この芸術作品を日本人への慰めに送りたいということだったが、本当に慰めなどあるのだろうか?



参照:
Gefährlich und vielseitig, Das Element Plutonium, Robert Gast, FAZ vom 30.3.2011
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グリーンピース発表によると

2011-03-30 | アウトドーア・環境
朝十時のラジオニュースの冒頭、グリーンピースの日本政府への要請が報じられた。それによると40KM圏内の地域での独自測定で高い放射線量が出たことから避難地域を拡大せよと言うものである。

SPEEDIシステムでも分かっているが、実際は同心円状には汚染地域は広がらないので、特定の地域などをその都度行政単位で加えて行くのがよかろう。風向きや天候によって刻々と変るのは、今最も日本人に観覧されているドイツ気象庁のサイトでも分かるが、実際には塵などが溜まることも問題であり、一喜一憂するのではなく、危険な地域からどんどんと退避させて行くのが人道的な配慮である。

自主避難というが、様々人によって事情があるので、行政が責任を持って避難を推奨していかないとこれまた様々な不公平が生ずるのである。命や健康を天秤に掛ける不公平感としては健康保険程度の問題ではないのである。こうした不公平感がパニックとなった時に大きな火種となりやすく、現在方々で繰り広げられているデマ宣伝がそれを再臨界へと導くに違いない。そうした配慮を持って、先行して行政は責任ある姿勢を取るべきである。

因みにグリーンピースは世界的に最も信用できる環境監視団体だけでなく、権威すら持ちはじめているので、こうした活動はノーベル平和賞に匹敵するものである。日本では日本人の知能程度に合わせて、反捕鯨団体ぐらいのつまらない団体の印象しかもたれていないかも知れないが、今後こうした環境監視団体の活動は世論を左右する重要な条件となるに違いない。
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なにが嬉しくて被爆したいのか

2011-03-29 | 雑感
本日用事があって地元の動物・植物食品衛生局の局長を訪問した。話の中で日本のほうれん草のことを挙げた。放射線を浴びていると輸入出来ない場合などは、チェルノブイリで経験済みで、今回は丁度反対方向の制限となると話していた。正直なところ今の日本は笑いものである。先月ぐらいにBBCの番組で長崎・広島の被爆者がブラックユーモアになっていたとして日本人が抗議していたが、現在の放射線好きの日本の現状は、広島長崎の被爆をも愚弄し兼ねない嘲笑の対象でしかない。

自衛隊が子供騙しの放水をしようが、消防隊が決死の努力をしようが、職業的社会的責任を感じて原発に居残る人間も全てカミカゼで片付けられる。笑いものである。

東電は設備投資さえしておけば、水素爆発を食い止められたと言われている。FAZの情報であるからドイツの会社が何年か前に水素抜きのオファーを出したにも拘らず相手にしなかったようだ。爆発さえしていなければ今のような垂れ流しは避けれたのかもしれない。

なにが嬉しくて、何度も何度も懲りずに放射線を浴びているのかと思わせるからである。それどころか、食品などの安全基準のハードルを引き下げようとするスーパーの親方の魂胆などは、食料の供給不足の問題よりも将来的な日本の農業や業業などを全く考えていない証拠である。一旦基準を落としてしまうと、食品どころか工業製品までメード・イン・ジャパンはチャィナとと同じぐらいに危ないとなって、産業を自滅させることになるのだ。

サルコジ大統領が東京を訪問すると言う。今時来京するのは香具師しかいない。フランスのエネルギー政策もあるのだろうが、余程のリベートを受け取って商売をしようという裏があるに違いない。

ユダヤ人の医師グループが被災地で献身的な医療をしているという。咄嗟には思いつかないが、なにか黙示録にその行動の原典となるものが見つかるのかも知れない。いづれにしても終末がそこで語られる。

日本人一人一人にも健康な環境で健康な生活を営む権利が憲法で保障されている。しかしなぜ日本人はそれを強く主張しないのか?死の恐怖に追いやられた人間は無気力になるか、暴走するかのどちらかであろう。節電などとほざいているときではないのだ。



参照:
パニックの裏側の集団心理 2011-03-16 | 歴史・時事
ハイエナ経済のバベルの塔 2011-03-18 | 歴史・時事
健康・環境被害とは風評なのか? 2011-03-19 | アウトドーア・環境
はなの憂鬱 - 情報操作 2011-03-21 | アウトドーア・環境
風評より遥かに恐ろしい風雲 2011-03-23 | マスメディア批評
プルトニウムはまだかいな 2011-03-24 | アウトドーア・環境
遥か遠く福島への認識の侵食 2011-03-28 | 文学・思想
輪番停電という外出禁止令演習 2011-03-13 | マスメディア批評
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遥か遠く福島への認識の侵食

2011-03-28 | 文学・思想
三月十一日にラッツィンガー教授の新著が発売されていたとは気がつかなかった。数年前に出版されたものの続きである。ヨハネの福音からも受難が扱われている。それどころではなかったので、今もそのような心理的な余裕はない、それでも四月になってから手にとってみる心算だ。

先週の火曜日にはバルタザー・ノイマン合唱団が初期からのお付き合いのあるフランクフルトのアルテオーパーで二十周年の演奏会を開いた。そしてバッハのカンターターを三曲披露した。

トーマス・ヘンゲルブロックのドイツ風の音楽作りは、今や殆どフルトヴェングラーを髣髴させる指揮ぶりから、ドイツの聴衆をも辟易とさせるほどドイツ風のそれも強くホモフォニーなバッハを奏した。そして、そうした演奏実践でなにを描いたかが問題なのだ。

「わが心に憂い多かりき」BWV21のそれによって慰めを得るなどは全く嘘っぱちである。偽善である。そのような慰めがないところに現実がある。今時、そしてその時、そのような音楽はもはや芸術でもなんでもなかろう。

私達はここで幾つかの名言を思い出さずにはいられない。

そこで、予定調和的な慰めや希望などに一筋の光明を見出すことすら叶わない。

「認識が生む苦しみの認識を禁ずる事も統治機構の一つである。」、更に続けて「真っ直ぐと伸びる道は、人生の喜びの福音から、 遥 か 遠 く のポーラ ンドの収容所の人間場へと続く。こうして、絶叫などは聞いていないと自国の一人一人のアーリア人に思い込ませる事が出来る。」(Theodor W. Adorno: „MINIMA MORALIA“ 1951)

「いさかいは起これり」BWV19において、悪魔と天使の弁証となるとき、そこに成就よりも顕現、そのことによって自己崩壊する逆説をそこに読み取る方が自然なのである。

そこで「アウシュヴィッツ以降に詩を書くことは野蛮である」とアドルノの有名な一節に続いて、「そのことは、どうして今日詩を書くことが 可 能 な の か と の 認 識 をさえも侵食しているのでもある」と、先を続けて読む、

「つまり進歩観の前提としての、今日その進歩を完全に汲み尽そうとする究極の顕現に、自己満足の観照に浸かっている限りは、批判精神がそれに優ることはないのである。」(Theodor W. Adorno: „Prismen. Kulturkritik und Gesellschaft“. München 1963. Seite 26.)

これが「黙示」と呼ばれる福島原発事故の姿なのだ。



参照:
フラッシュバックの共観 2007-05-29 | 暦
ヒロシマの生き残り 2005-08-06 | 暦
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福島から明日が変ってくる

2011-03-27 | 歴史・時事
朝から東電の誤報?に振り回された。暫らく収まっていた興奮が、今度は再び痙攣に似たものになった。半減期54分のヨード134などとは!完全なカオスである。

そうした興奮状態が福島後初の地方選挙ラインラント・プファルツとバーテン・ヴュルテンベルクでは選挙民を襲った。緑の党の躍進で、後者では第二党となって第三党の社会民主党との連立で自らの初の州大統領を輩出することになりそうである。前者でも第三党としてクルト・ベック首班指名に大きな力を持つようになった。連立構想では我々も反対署名したモーゼルの高速道橋建設反対へと弾みをつけた。連邦政府の事業であるから中立的な姿勢をとっていた州の立場を越えて、緑の党の声を尊重して住民投票で連邦政府のそれを覆す可能性までも選挙速報番組でベック氏が言及したことは象徴的であった。

バーデン・ヴュルデンベルクは、「高度な先進技術国日本においても原発を制御出来なかった」福島問題と、シュツッツガルトの駅前開発反対問題が重なって、緑の党が第二党となり本当の国民政党となった。

自由党は、欧州での急低落傾向の予想通り前者では議席を失い、後者でも僅かな議席しか獲得出来ない。ビューダレ大臣が「選挙向けに原発利用への配慮を訴えただけ」とオフレコが漏れて、更に信用を失った。

前者では、キリスト教民主同盟を代表して元ワイン女王のユリア・クレックナーが好感度を集めて将来へと繋いだ。反面ドイツの経済集積地であるバーデン・ヴュルテンベルクでのその牽引車としての国民政党が野に落ちる事でメルケル政権の政治力に大きな影を落とすことになった。

ZDFで本日東京で平常以上の大きな反原発デモ行進があったことが報じられた。世界は福島から変って来るかも知れない。夏時間が始った。日本との時差は一時間縮まって、七時間とより近づいたのだろうか?今回の選挙の炉心には福島があった。
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共同体に警報が鳴り響くとき

2011-03-27 | アウトドーア・環境
火曜日の音楽会のことはまだ纏めていない。今一つ落ち着かない。週末に地方選挙の投開票が行われるが、原発事故に関して自分のことととしてもう一度考えてみる。最寄の原発はフィリップスブルクの二号機である。ビブリスは二機とも既に停止している筈だ。スパイヤー近郊の1977年操業の第二機はMOX燃料なので、福島の三号機と同じであるが圧力蒸気型で、この点はモラトリウムで停止した1979年操業の沸騰水型の一号機と異なる。型や法式には一長一短があるようだがそれはどちらでも良い。問題は原発と住民の関係でしかない。

毎日そこから出る水蒸気を見て暮している。直線距離で三十キロほどなので丁度今回の避難地域の外輪に当たる。脱原子力が進んでいる西ドイツ国内で五十キロ以内に原発を持たない市民はどれぐらいいるだろうか?州の政策によってあまり作らせなかった州とそうでもない州の差があるぐらいだろうか。基本は住民の多い地域にはどうしても原子力発電所が必要とされた工業国の現状があるだろう。

さて、今回のように放射能漏れの事故が起こったとすれば ― レベル2までの事故は頻繁に起こっており、今年になってからも冷却水の損失など二回も小さな事故は起こっている ―、先ずは町の警報が鳴りひびくことは間違いない。年に何回も演習のそれが鳴り響いているのだからいざその時にならない訳がない。ある程度信用できる。地元の役所から避難指示などもでるかも知れないが、多くの者が緊急避難的に一刻も早く遠くへと向うに違いない。日蝕見学の時に大渋滞を経験したので、その時は車での移動は諦めている。

今回の事故でも分かるようにピカドン式に直接強い放射線を浴びることは先ずはないが、見晴らしが効くので、そのような事態では厚い壁の陰に隠れたり、地下に潜るしかないであろう。しかしなによりも起こり得るのは放射能性の物質が環境に放出されることで風向きや気候配置を見ながら慎重に方向を定めなければいけない。水蒸気が昇るようになってここまで届くには十分な時間がある。恐らく西へ谷を抜けて、山向こうへと進むのが良いように思われる。そこまで来たならば谷を更に進んでフランスへ逃げるか、場合によってはフランクフルトへと足を進めて飛行機で脱出するのである。フランクフルトは平野の北側に当たるので風向きとしては比較的安全だが、ライン河沿いは早く汚染され始めることも考慮しなければいけないだろう。

今回の福島の事故で気候配置や地形的な特徴に留意したが、粗その推測は的中していて、SPEEDIシステムよりも広範囲に渡ったマクロなシュミレーションは勘ピューターが優ったと自負している。おそらくそのコムピュータシステムでも十分に都内の汚染は計算されているのだろうがまだ公表されていない。公表されるときには殆ど首都機能は壊滅状態となっているだろう。

ここで従来あったような計測は全く役に立たない日本の特別事情が明らかになる。なによりも人口が密であることは周知の事実なのあり、容易に避難地域を拡大出来ない点が行政上もしくは人道上の最大の問題である。さらに、地形的に中山帯が多く、全方位の拡散を妨げることから、汚染の集中もおき易くと更なる地域へと汚染が運ばれる特徴は明白である。それはライン平野にも特徴として表れてオデンヴァルトとプフェルツァーヴァルトの間を汚染された大気が流れることになる。太平洋の代わりにフランス側から風が吹けば、シュヴァルツヴァルトを沿って二百キロ先のバーゼルまで汚染されるであろう。しかし、汚染の源は福島に比べれば可愛いものである。ある意味、今回の首都圏の汚染は特別な条件が災いしているのである。同様にフランクフルトも十分に汚染される可能性があり、そうなるとタウナスなどの中級山岳地帯で堰き止められて余計に具合が悪い。

そのように考えるとフランクフルトへ避難命令などなかなか出ないように、もしくは現在の関東平野の状況もそれ程悪いようには考えられるがどうだろうか?フランクフルトに危害が及ぶ前に、ハイデルベルクやカールスルーへ、更に四十万人のマンハイム・ルートヴィヒスハーフェンからバーデンバーデン、ハイルブロンなどの最寄の地域が危ない。それらは共同体独自の調査で退避などの行動ができる筈だ。要するに、自治が自主避難しやすい。フランクフルトやカールスルーへも場合によっては、欧州中央銀行をはじめとする機能や連邦裁判所などの機能を一時的に動かすことも十分に考えられる。要するに日本の首都圏のメガ大都市の場合は共同体の地理的な境界のみがあって連続的に続いていることが判断を難しくするだろう。福島県などの地方においは行政区毎に避難などの地域を設定出来たはずだが、二十三区内において仮に杉並区と中野区を別けても東電のグループ分けのようで意味がないように、多くの地域で自主判断など出来ないであろう。

因みに現在の新宿の低め安定の放射線量を毎時平均0.12マイクロSvとすると一日2.88、年間1051マイクロつまり1.05ミリSvとなる。これはドイツの原発からの平時年間放射線量0.1ミリSv強(法的上限値0.3ミリSv)の約十倍である。ドイツの原発周辺五キロ以内の子供の白血病の発生率が高くなることは証明されているので、この状況が続き都内の子供が ― 近隣県の茨城・千葉・宮城などの一部の子供は既に十分に危険な状態ではないのか? ― さらにレントゲンを浴び飛行機に乗って旅行して、汚れた水や野菜や魚を食すれば小児癌の発生率を確実に押し上げる筈だ。既に都内の子供を中心に医学的な統計資料の収集は始まったと思われる。こうした事実を必死に否定するのが似非学者やマスメディアを含めた十年後のことなどお構い無しの官僚組織なのである。



参照:
Krank durch AKW-Strahlung? (ZDF)
1時間ごとの測定結果 (東京都健康安全研究センター)
地震・事故:福島原発 :東京都新宿区 (原子力資料情報室)
健康・環境被害とは風評なのか? 2011-03-19 | アウトドーア・環境
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福島一号機制御室の英雄たち

2011-03-26 | マスメディア批評
話しは後先になるが、今回の事故で当初から問題となった福島一号機のGEの設計士の談話が載っていた。マルガレート・ハーディング女史がロンドンのジャ-ナリストで「ネーチャー」のブラムフィール氏に語った内容である。そこで、彼女は地震発生時に一号機の制御室にいた東電の管制官の判断を賞賛して英雄としている。

つまり、地震直後に迅速に対応したようなので、更なる大事故が防げたと言うものである。具体的には、電源が切れるブラックアウトのあと冷却システムが不能となり、圧力・温度共に急上昇して50トンに及ぶウラン燃料が完全に破損する事態だったと言うのである。最初のパレッツが高炉の底に落ちて溶解をしだした、この時点が分水嶺であったとする。この時点でなにも対応出来ていなかったならば、既に制御棒で核分裂は抑えられていたに関わらずその量から更に大きな発熱をして危険な状態に至っていただろうとされる。

そこで、全く盲滅法に消防車のポムプで水を注入してはどうかと言うアイデアが管制官に浮かんだのだと。しかし、もはや高炉のなかの圧は高く、水は炉には至らなかった。そして地震発生後24時間たって空気を抜くことで炉内の圧を下げたのだと。そして、燃料棒の酸化による水素ガスから建屋を完全に崩壊する爆破となったことをシュミレーション通りに示している。その後、他の原子炉も同じようになることは想定内であった。

ザッケーローニ監督の会見を観た。明らかに見えない敵に怯えている。今後東京で試合をやるとかになれば病気を理由に全日本のコーチを辞去することは間違いないであろう。全日本チームの最大の敵は関東での試合だろうか?国立競技場などは今後数年間は国内試合向けの地方競技場としてしか使えない。東京には大物はよほどの物好きでない限り誰も行かない。



参照:
Die Helden aus Reaktor 1, Vor der ersten Explosion wurde Schlimmeres verhindert, FAZ vom 25.März 2011
Margaret Harding: 'Everyone involved in nuclear science and technology is committed to a culture of safety' (CNN)
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日本人よ、恥じを知れ!

2011-03-25 | マスメディア批評
ラジオのニュースは衝撃的だった。福島三号機の圧力格納容器が壊れていると言う報告であった。これで大量のプルトニウムの汚染が確実となった。恐らく関東平野の土壌汚染は致命的でもう将来性は無くなる。そしてダイオキシンなど比較にならないほど広域に汚染されるに違いない。魚も何もかも全滅である。

世界で有数の汚染地関東平野の隅にある東京の歴史は終わった。もはやまともな人が住む土地ではなくなった。一体こんなことに誰がした。

NHKはネット配信を終了した。通常のプログラムに戻るというのがその理由だが、もはやその使命を終えたかに見える。ビジネス番組では、朝鮮人の孫社長に人道的配慮をもって早急な遷都を促されるぐらいである。日本人よ、恥じを知れ!日産の社長のような情緒の人物が一億円ものボーナスを受け取るのである。日本人よ、恥じを知れ!なんだ太鼓持ちみたい男が仕切るあの番組は、そもそもこの期に及んで、教養も教育もないような商売人に喋らすような番組を流すとは、そのあとのニュース解説の程度の低さ。日本人よ、恥じを知れ!
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首都圏に退避勧告が出た時

2011-03-24 | マスメディア批評
「首都圏に退避勧告が出た時のシュミレーションは出来ていない」と、知日家の教授は夕方の座談会番組で語った。彼ら日本学者は日本の公の資料を根拠にして、それで生計を経てているからこそ、そのようにしか答えられないに違いない。だから、フランスなどを中心として「日本食はもう食べられない、鮨は終わり」だとするような日本を世界の果てに追い遣るような立場には強く抗議する。なるほど元外務省の外高官などがEUの態度に抗議をした行動に呼応していて、彼らが如何に糊口を凌いでいるか良く表れている。正直個人的に知己もありながら連中を賤しいと感じることは侭ある。

政経の専門の学者ばかりであるので、主に経済的な影響や財政の今後が具体的に示されていた。特に目新しいことはなかったが、菅首相への好評価が興味深かった。その反面、政府の情報政策などが非難されていて、民主化へと社会で十分にオープンな議論の出来ていない政治への危惧が改めて示された。

財政においては、赤字国債と増税の可能性も検討されたが、印象に残ったのは特別財源としての増税で、個人的には東ドイツ援助への税金のようなものをイメージさせて、東北・関東復興税のようなものは悪くはないと感じさせた。

社会保障制度も触れられていたかも知れないが、疾病の増える原発事故の余波による公的医療保険制度の崩壊には触れられていなかった ― そもそも無駄な被爆を重ねる早期癌発見医療などはその保険支出額との収支からしてもただのハイエナ経済システムの賜物でしかない事を指摘すべきである。

さらに建設分野などでの大きな活力が期待されるなど、誰もが考えている復興への経済的なシナリオである。しかしそこにも遷都などが折り込まれておらず、あくまでも現在の福島がソフトランディングした場合の計算で、本日のNHKの放送内容と全く異ならない。

そして国民の節約・節電であるが、それは日本人のことだからやり遂げるだろうとする見解である。夏のクーラーは、寒いほどに冷してあるのを止めれるのみならず、完全に切ることが出来るかどうか?人の少ない地域や涼しい北海道に入植すべきであろう。そしてそこで今後の東北のようにシンプルライフをはじめるのである。

優秀な人材は劣悪な放射線から家族を護るために海外へと更に流出する。時々日本でTVなどで技術解説して、糊口を稼いで西海岸の自宅へとんぼ返りに戻れば快適である。東京に首都がある限り益々日本は空洞化して荒廃して行く。本日も東京脱出の波が絶えないことが夕方五時のニュースで報じられていた。それを伝えないのは日本の放送局だけのようである。それはなぜか?
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プルトニウムはまだかいな

2011-03-24 | アウトドーア・環境
ルートヴィヒスハーフェンからの帰路のラジオは悲観的な状況を伝えていた。IAEAの見解として、電気開通後の福島原発での状況分析によるものである。また情報元は分からないがプルトニウウムの飛散も報じられているようで、そうなると半永久的な環境被害を考えなければいかず、もしかするとチェルノブイリの事故レヴェルを越える可能性も残されている。私見としても上方修正も考えなければいけない。

プルトニュウムの発生は三号機のMOX燃料からなのだろう。二号機は穴が開いていて、一号機も温度が上昇して、更に五号機も冷却が長期間無人で安定しないとするとこれまた手が付けられない。関東平野には人が住めなくなる可能性すら想定しなければいけないようになる。あまりにも悲しい情景である。

そもそも日本の歴史において、中部関西地方に文化が築かれてその他の地域との格差が大きかったのは、朝鮮半島からの帰化人の影響範囲にも依存していたのだろうが、それだけ過去から受け繋がれていた歴史的必然というものがあったのだろう。

NHKは健康や環境に関する殆どデマ放送というべき情報を流していて、政府は情報操作によって出し方を政治的に調整している。次ぎに出してくるものは、どの時点で何だろうか?繰り返すが、そうした操作が出来るうちはまだ本当のカタストロフではないのである。新宿の大気はヨウ素の131の半減期などには関係なく日に日に悪化している。土地も水も何もかもである。


追記:「大人は放射能で癌にならない」とかとんでもない放送をNHKは繰り返している。なるほど因果関係をなかなか証明出来ないので話者を法廷に引きずり出し、民事保障を求めるのも難しい。しかし、こうした「何か」を玉砕体勢で護ろうとして被害を大きくする官公庁の連中を決して許してはならない。さらに海外向け英語放送では「教育の無い連中が過剰な反応をする」と如何にも米国でMBAをとったようななにも分からないNHKの大馬鹿者が国民を愚弄し続けている。「赤ん坊が水からだけで被爆している」と考えているのはやはり教育がないからか?



参照:
健康・環境被害とは風評なのか? 2011-03-19 | アウトドーア・環境
風評より遥かに恐ろしい風雲 2011-03-23 | マスメディア批評
はなの憂鬱 - 情報操作 2011-03-21 | アウトドーア・環境
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風評より遥かに恐ろしい風雲

2011-03-23 | マスメディア批評
昨晩はフランクフルトまで往復した。その価値があったかどうかは改めて記すとして、朝から車の中で聞いた原発関連ニュースをメモしておこう。

キールの危機管理の若い研究家が日本のそれをドイツの地方自治に委ねられたそれと比較していた。ちょぼちょぼとまるで雑巾から絞り出す水のように出す日本の情報の出し方を必ずしも否定的には捉えていなかった。なるほどそれによって前日差が少なくなり多くの場合は下がっているような印象を与えるその出し方でパニックを押さえようとしているのは当然であるが、パニックはカタストロフによって齎されることをその研究者は分かっていないようだ。先ず環境汚染や健康被害以前に原子炉をコントロールで来ているかいないかの見識の違いである。これなども生半可に日本のそれを評価しているので危ない。一種の風評被害である。

それにしても、皆が体内被曝を心配しているのに対して、放射線の透過率などを挙げて安心しろというNHKは殆ど霊感商法と同じような報道をしている。さらにヨウ素131の半減期を挙げて、新たに放射性物質が飛散していないと言う学者も健康被害の不安の話題に対してこうした修辞法を用いることは、これもよくある霊感商法の広告に顔を出す学者と全く同じである。修辞法のあり方で罪に問われないと思っている浅墓さである。

実際のところ十五日のそれを頂点として半減期の影響は見られる反面、新宿における放射線量の平均は日に日に高まっており、全くの想定内である。当然のことながらまだまだ始まりで現在の集約度では問題は少ないとしても、如何なる形にしても毎日盛大に放射能の強い水蒸気を盛大に噴出しているような現実では風向きによって、天候によっては、可也怖い生活を都内でも強いられている。

ドイツでは汚染された日本の食材が入る可能性は少ないと報道されているが、日本食の材料として貯蔵の出来る形で今後も輸入される可能性が強いので厳しい監視が必要になることには間違いない。

メルケル首相が原子力安全協会の席で、地震と津波被害の可能性のないドイツの原発において、二つのテロを危険要因として調査を求めた。つまり、旅客機の突入とサイバー攻撃である。この二つに絞ってよいのかどうかは議論のしどころに違いない。

今晩シュツッツガルトの四つの管弦楽団の日本人演奏者を触媒として合同のチャリティー演奏会が開かれると言うニュース、そして通電で情報が集まった分、さらに緊迫を増している圧の高まる炉心の情報や頻発する余震など深夜まで盛りだくさんの話題であった。
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はなの憂鬱 - 情報操作

2011-03-21 | アウトドーア・環境
「危機を乗り越える光明が見えてきた」とかの首相談話が出ている。正気だろうか?NHKも出来る限り、放射能被害から他の方へと関心をずらそうと躍起になっているようだ。この機に及んでは、政府は監督官庁組織に騙されていて、報道規制が敷かれていることは火をみるよりも明らかだ。企業のトップでも役人でも先の事などは一切考えていない。自らの保身だけで、逸早く定年まで逃げ通すことしか考えていないのである。

昨年の春に合衆国で修士号を取った友人が車中で語ったことを思い出す。日本人の環境に対する覚醒が、現在のエスタブリッシュ層にとっては、共産主義などとは比較にならないほど手に追えない思潮であると。日本人がそうした世界感を持つとき、彼らは自らが粛正されることを知っているに違いない。だからどんな卑怯な方法を使ってもそれを護ろうとする。

ハイキング仲間のコメルツバンクの元女子行員のメールには、地方新聞を読んで自らの感想を綴っている。「日本人はその重大性が分かっていないよう」で、「地震と津波ばかりを取り上げて、見えない放射能と隠された被爆に蓋をしてなにごともなかったように装っていることはとても怖いこと」だと。なるほど、「危機の中でも少しの間だけでも幸福に過ごせることは良いのだろうけれど」と考えて、ライン平野に臨むフィリップスブルクの水蒸気塔を恨めしく感じている。

昨日はアーモンドの花見祭りが賑やかに行なわれた。気温は一桁に近くても陽射しが強く、戸外で楽しく過ごせた。日本の「人体実験」のお蔭で一機はモラトリウムで停止されたが、危険度は変らないことは今や周知の事実である。それでも二機目がまだ十年近く操業され続けることは多くの人には意外に知られていない事実である。日本のそれほどのマルチは流石に少ないが、複数の反応炉を持っていない原発殆どない。そして、皆心のどこかで原子力発電所を感じている。どこか今一つはしゃいだ様子は感じられなかった。花の憂鬱である。

何度も辛酸を舐めながら、何時までも懲りない日本人。作っては壊す日本人。日本人には不可逆な事象を想像出来る者は少ない。似非学者のみならず、どうしようもなく頭の悪い民族だ ― 今や日本人は「海外では過剰反応している」と殆ど集団催眠のような状態に陥っているようだ。同じような状況はもしかすると終戦前にもあったのかも知れない。とても興味深い。そもそも医療や公衆衛生の過剰や健康食品への傾倒の日本人が今おかれている環境などをみると、民族全体が既に冷静さを失っており思考停止状態となっているのだろう。ゾンビと呼んでも差し支えないであろう。


追記:本日は二度も大きな吹き出しがあったようだ。日に日に食物連鎖の範囲と濃度は拡がり、高くなる。プルトニウムまでが発生しているとなると半永久的な環境汚染となるだろう。明日以降はより一層関東圏の環境がとても厳しくなるに違いない。それが事実である。
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健康・環境被害とは風評なのか?

2011-03-19 | アウトドーア・環境
放射能物質拡散による環境・健康被害の最新の国連部会の報告原稿の内容紹介が新聞に載っている。私自身大分寝れるようになり、ここ暫く福島の方も落ち着いているようなのでやっとそれを紹介する気持ちの余裕が出来た。これは避難地域や福島周辺、関東一円の住民にとっては最も関心のあるところだろう。少なくとも私自身にとっては、今回の福島の事故は環境汚染、健康被害の面では既に起きてしまったので、気持ちが落ち着いている。この後の最悪のシナリオは、再臨界やメルトダウンの進行から二号機などの釜の爆発的破損による都内での大パニックの発生や冷却プールの更なる強い放射能発散や溶解によって、敷地内から退却を余儀無くされ、手をつけられなくなり、全ての炉から強い放射線が発散し続ける状態が続くか、もしくは幾らか対症療法的に冷却を管理していても先数ヶ月のうちに再び強いマグニチュード8程度の余震が千葉沖ぐらいで発生して再び強い放射能が発生する状態が考えられるだけである。

また、発電所自体の閉鎖が決断されたようだから、ある程度処置された時点で、炉心を大量の砂で埋めてしまう遺棄隔離も検討されているようであるが、少なくとも其処へ行くまでの過程が永く当分は風向きなどによって関東一円も放射能をもった塵などが蓄積していくことには変わりない。前代未聞な不可逆な事象が展開している。だから、その程度の放射線量で一体どのような環境、健康被害が起こるかと言うことに人々の関心が集まる。そこで、燃えた黒鉛の塵としても放射性物質が北半球を廻ったチェルノブイリ原発事故の最新の報告書が最も参考になるだろう。最新と言っても四週間後に開かれるキエフでの発表原稿なので、その最終内容は少し変わるかもしれないと新聞は書く。

つまり冒頭の挨拶である1986年の史上最悪の民間原子力事故の字句が変わるかもしれないというのである。しかし、これも今回は世界に塵を撒き散らすことはないと言われており、仮に再臨界となっても東北関東一円のローカルな事故で納まるだろうとするシュミレーションを信じたい。場合によっては、中部・関西方面へも一時渡航禁止のような最悪の状況もパニックや被災者難民の扱い方によっては起きないとも限らない。もっとも恐れる悪夢の情景である。しかしこれは、刑事訴追や行政訴訟や民事裁判の責任を恐れた東電、管轄官公庁の秘密主義がなければ防げた大惨事なのである。

さて、チェルノブイリ事故では核分裂過程で暴走したために鎮火に時間が掛かり、その作業中に急性の被爆障害で二人の即死、134人の強い被爆のうち38人が死亡、さらに2006年までに19人が死亡した。それ以外のものも白内障や皮膚病、運動障害などに多くの者が苦しんでいる。その数字は決して新しいことはないが、しかし今回の発表では調査対象を従来の三十八万人に対して五十一万人と広げている。同様に環境被害の対象も十五万キロ㎡と、五百万人の居住地域が対象となっている。つまり炉心から480KM半径の地域となる。放射能被害の影響は半径600KM以上を考えるのが通常であるからだ。今回の福島の事故でもその距離以上となれば今後とも平常以上の放射能が検出されないに違いない。しかし、水蒸気爆発による放射能を含んだ塵は風向きだけでなく地形などの影響を受けるので、海岸線と平行する山並みの裾などに集まり、南へ北へとそれが沈潜、浮遊するに違いないから、全方位型の距離の二乗に反比例した放射能の低下ではなくむしろ集中が予想される。

さて、こうした環境被害はチェルノブイリの場合は多くの場所で現在も続いており、其々放射性物質の半減期などを待つしかないのである。例えば30KM圏内の立ち入り禁止地区においては、ヘルムホルツ研究所のヤコブ氏の調査によれば多くの地域で健康被害の基準値となる限度である年間一ミリシーベルト以上の汚染箇所が今でも広く残っていると報告している。チェルノブイリ原発ツアーなどが企画されているようだが、氏に言わせると「これは全く馬鹿げた話」だとなる。また、汚染された地域においても土地の改良や耕すなどして環境を好転されることが大切だと指摘している。要するに農業などを考えれば何世代にも渡って再生していくほかないということであろう。

健康被害に関すると、長い半減期を持つセシウム137は骨に溜まり、ストロンチウムやプルトニウム同位体も注視しなければいけない放射線物質となる。さらに比較的短命で過渡的なヨード131による甲状腺障害は、ミルクの汚染により、当初五百万人とされていたが一千万人に影響が及んでいることが新たに報告された。つまり当初の「暑いヨード」と言われるものの摂取ではない食物連鎖の中での放射線障害となる。

結果として、低年齢での原発事故の影響は甲状腺癌の多発として注目されて、それだけで新たに六千人の健康被害が確認されたと言うのである。以前は、癌によって死亡した人数が二千人だけであったから、こうした若い疾病の数が隠されていたというのである。

その反面、五十万人に及ぶ事故救助人員の状況は、僅かな白血病や白内障の増加だけであったとして、これで多くのチェルノブイリ被害に慄く市民を、そしてまた日本の市民を落ちつかせることが出来ようかとの記事は、まさに玉音放送以降初めて事故に際してメッセージを出した明仁天皇の言葉の効果に似たものを其処に見るのである。


参照:水や牛乳、当然ながら野菜で放射性物質が検出されたようだ。牛乳のキロ300ベクレルはドイツの一部の20の「許容値」に比べれば遥かに大きいが、医学的な見解は様々なようである。しかし今後関東平野の各地で異常な数値が検出されるのは想定内である。



参照:
Der nukleare Ernstfall, Wie viele Opfer?, Joachim Müller-Jung, FAZ vom 16.März.2011
パニックの裏側の集団心理 2011-03-16 | 歴史・時事
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ハイエナ経済のバベルの塔

2011-03-18 | 歴史・時事
ドイツ連邦政府は、既に在大阪神戸ドイツ連邦仮大使館を通じて、ドイツ連邦共和国国防軍の対ABC武器部隊の派遣を申し出ている。しかし、「日本政府の具体的要請がないということで動きようがない」と野党の質問に答えた。

この記事をみて考えたが、なるほど現在の状況でも炉の近くまで対応戦車を近づけて、尚停止してアームで作業は出来るだろう。しかし、現在の作業の中で何かできるかどうかはわからない。なるほどアームの強度などは十分にあるだろうが、設備を整えなければいけないだろう。但し同様なものが米軍の日本の基地に駐留しているかどうかも疑問である。米軍は無人偵察機で独自に空中の放射能を測っており、日本政府が低めに出すそれを誰も信じていないからこそ、最終的に80KMの避難域をホワイトハウスが出したとされる。

それにしても、あれだけロボットとか開発している日本の技術が水槽への水注入にすら使い物にならないようで、全く核災害に対する準備が出来ていなかったのが顕著となった。小さな玩具のようなものばかり開発しているからだろう。せめて鉄人28号ぐらいのものは欲しい。それでも筑波の研究施設が使えなくなることが今回の災害のもっとも大きな損失となるだろう。一極集中はなるほどそれなりの効率があった訳であるが、ネット化も進んでおり、既にそうした考え方は古いものになっており、効率のその考え方自体が一種のハイエナ経済の落とし子であるような気もする。

昨日の独日協会の例会での反応は、関東地方の人口をどのように各地に別ける事ができるかという疑問が出た。もちろん遷都の決定事項によって変わるだろうが、少なくとも日本海側に何らかの重心を移すのは難しいとなった。やはり豪雪のその気象は具合が悪い。北海道は寒すぎるとの声も出たが、むしろロシアとの外交的関係に左右されるだろう。少なくとも東京圏の多くの人は北海道に入植するべきである。

関東からの難民がいたらこちらでも受け入れても良いと言う人がいた。それぐらいなら、関西でも十分に受け入れられるのではないかと話した。

名古屋の存在は、東海沖地震や津波の影響がなければ重要になるだろうが、やはり京都を中心として首都機能を考えるべきであろう。九州の存在も対中外交の影響は受けやすいだろう。いづれにしても北海道との交通手段の確立が重要になるだろうか。

東北の太平洋側沿岸は、あまり地についた街づくりをしても仕方がない。むしろ今回のように波に洗われても構わないようなインフラストュルクチュアーを中心に、自然とその恵みで活きるような、むしろ石器時代のような居住のあり方を考察すべきであろう。全てが流されてしまった。農業も元々そうした土壌だったに違いない。

そもそも日本の文化は地震で全てが壊されることが前提となっている、霞のような文化である。なるほど、京都や奈良だけはそれでもある程度古い文化の上に皆が暮らしている所を見れば、やはりその上に新たな最新技術を駆使した脱近代の文化と街づくりをしていくべきであろう。東京のように江戸期に、明治、大正、昭和、平成期に新たなものが作られ壊されしていった都市は何時までたっても文化的な都市とはならない。残念ながらスカイツリーとか呼ばれるものは、東京に居残る者が毎日の生活の風向きを占う放射能測定塔となりそうで、まさに現代のバべルの塔でしかなくなってしまった。

東京などもうどうでも良い、最大の問題は筑波などの研究学園都市機能を関西に移せるかどうかであろう。



参照:
脱東京、脱原発、脱近代 2011-03-16 | アウトドーア・環境
パニックの裏側の集団心理 2011-03-16 | 歴史・時事
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