Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2017年2月

2017-02-28 | Weblog-Index


三段論法で評価する 2017-02-28 | 文化一般
スキー場をかすめるツアー 2017-02-27 | アウトドーア・環境
春の気分に満ち溢れる 2017-02-26 | 女
春の準備をするこの頃 2017-02-25 | 生活
夏タイヤについてのファクト 2017-02-24 | 雑感
春の躁がやって来た 2017-02-23 | 暦
日本国民への警鐘 2017-02-22 | マスメディア批評 TB0,COM4
やらかしてくれる人 2017-02-21 | アウトドーア・環境
完走するための栄養分 2017-02-20 | アウトドーア・環境
メスナー爺さん世代 2017-02-19 | アウトドーア・環境
北壁登攀の準備? 2017-02-18 | アウトドーア・環境
頂上へと一気登り降り 2017-02-17 | アウトドーア・環境
ヴァレンタインの朝の夢 2017-02-16 | 女
スイスの山小屋で露天風呂 2017-02-15 | アウトドーア・環境
バイロイト音楽祭ネット予約 2017-02-14 | 雑感
苦み走るようでなければ 2017-02-13 | ワイン
旅行負担の総決算 2017-02-12 | 雑感
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音
雪道でツアースキー靴を試す 2017-02-10 | アウトドーア・環境
喉をガサガサやる 2017-02-09 | 生活
銀の細工の仇の薔薇 2017-02-08 | 音
三分咲はまだかいな 2017-02-07 | ワイン
小屋から出でて小屋に入る 2017-02-06 | アウトドーア・環境
熱帯びた鬱陶しさ 2017-02-05 | ワイン
Alternative facts 2017-02-04 | 歴史・時事
山小屋での静かな休息 2017-02-03 | アウトドーア・環境
高熱に魘されて計画する 2017-02-02 | 生活
喉を鳴らし書類を置く 2017-02-01 | 雑感
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三段論法で評価する

2017-02-28 | 文化一般
竹で木を継いだような歪な構成で上演されたのがピーター・セラーズ演出のアンティオペラ「ルグランマカーブル」らしい。その一度目の挑戦であったザルツブルクの初日はグロテスクのみがサロネン指揮によって強調されていたことで、作曲家リゲティの怒りをかったのを目の辺りに見た ― それ以降全集録音は取り止めになって、この指揮者の欧州大陸での活動は限られることになったのが事実だろう。だから演出家にとっては不幸にも大きな称賛を浴びるまではいかなかった。しかし今回はサイモン・ラトル指揮の演奏会形式でヴァイオリン協奏曲などが歪に挟まれたことなどと、何よりもフィルハーモニカ―が中々の熱演をしたようで、より抽象化されたそれが大変上手くいったようだ ― 核廃棄物などが意匠として使われているようだが、原子力マフィアだけでなくアンティ原子力マフィアが扱われているようでとても興味津々である。ベルリン以外でも公演があったが北ドイツに限られて態々出向くほどでは無かったので、デジタルコンサートでの映像が楽しみである。

チャイコフスキーの悲愴交響曲のお勉強を始めた。先ずは参考資料として三種類の録音を流した。小澤征爾指揮ボストン交響楽団、フルトヴェングラー指揮ベルリナーフィルハーモニカ―、ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィルハーモニー管弦楽団の演奏など代表的な録音である。一番楽譜に忠実に丁寧に情報を取り出して演奏しているのはフルトヴェングラーの1938年のSP録音原盤だった。傷はあっても演奏技術的にもサウンド的にも、恐らく歴代この交響楽団が残した制作録音の代表的なものではないか。第一楽章などは本場ものとは違っていることは分かっていても交響曲芸術としてとても優れたものだ。しかしその他の楽章ではどうしてもブラームス作曲などのように聞こえてしまって明らかにリズムの譜読みが間違っていることが分かる。ムラヴィンスキーの演奏はその点は間違いなくても、三楽章のスケルツォなどは流しているところもあってリズムが弛緩するところもあり、旅先のヴィーンでの恐らく一発勝負の録音だから仕方ないのかもしれない。また弦の合奏などは超絶技巧なのだが木管楽器などの音色や合わせ方などは当時の流派らしく、またプロレタリアートの簡易な音楽になってしまっている。それでもダウンボーでの弱起から最初のテーマの全体的な意味付けが明晰になって、流石に当時最もこの交響曲を指揮していたであろう巨匠の実力が示されている。小澤の演奏は期待していたほどに細部や対・内旋律などが浮かび上がらなくて、軽やかさどころかとんとん拍子の浪花節になっていて失望した。当時日本で言われていたようなニュートラルな演奏解釈などでは決してなく、ツルツルテンテンの管弦楽演奏になっていて、伝えられるところの一音一音、一点一画もゆるがせにせずのトウサイ先生流とは全く異なるということだろうか。

フルトヴェングラーの超名録音で思い出したが、丸山眞男の愛読書が宇野功芳著「フルトヴェングラーの名盤」とは気がつかなかった。考えてみれば当然の帰結なのかもしれないが、あの二人が全く結びつかなかったのである。これだけを考慮しても、吉田秀和よりも宇野功芳の方が褒賞に値するのは言うまでもない。「丸山眞男音楽の対話」に載っている手書きのメモを見るとこれ程熱心に宇野の文章を読んでいる人物こそが日本を代表する学者なのである。

ネットを見ているとミュンヘンの座付き管弦楽団が17席も募集していた。世代交代もあるのだろうが、管楽器などを中心に先ずはキリル・ペトレンコの下でオペラをやって、力がある人はベルリンのフィルハーモニカ―にでも行こうと思う人がいてもおかしくはないと考えたのだろうか。少なくとも今ならば可成り優秀な若い応募者が集まると考えたのかもしれない。少なくともあと数年はまだまだ上手くなる管弦楽団であるから楽しみである。



参照:
魂をえぐる天国的響きに 2016-06-13 | 雑感
耐え忍ぶ愛の陶酔の時 2014-04-21 | 音
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スキー場をかすめるツアー

2017-02-27 | アウトドーア・環境
スキーツアー二日目且つ最終日は車でタンハイマータールの標高1000㎜のスキー場に向かった。オーストリアであるが高度もあり、始めはスキー場を上がるので登るのが早い。スキー場でいえばツェベルンに当たるのだが、当日はFISのコースで大回転もやっていたぐらいに、三ツ星にしてはなかなか良いスキー場だった印象がある。それほどスキー場の大きな斜面を上がるのに汗を掻いた。そこから林間に入って、次の大きな谷に出る。そこから頂上稜線までも空荷の割に結構苦しかった。標高2000㎜になると傾斜が強いとやはり息苦しい。高度順応とはまた異なるようだ。昨年のモンスーンにアンナプルナ地域を三週間かけてトレッキングしてきた弁護士がいたのでペースが落とされていたのでなんとかなった。若い人だけとなると息が上がっただろう。どうも前回の気管支炎症の影響が残っていたのは帰宅後でも早く走れないことからしても説明がつく。来年ぐらいにはスキーパンツも新しく軽くしたいと思う。傾斜が弱ければ足を前後させるだけなので重さは感じないが上に上げる形になると重さと嵩張りが邪魔になって来た。呼吸器を冷やさないためにもマスクなども考えた方が良いかもしれない。

それでも頂上到着は滑れる場所であり全く問題はなかったが、引き返し尾根の鞍部に下りて昼休みには風を避けなければいけなかった。陽射しが強く春スキーのような塩梅だったが、尾根筋に吹く風は強く冷たかった。どうしても下部で汗をびっしょりと掻いているので、こうした時の保温などももう少し小まめにやらなければいけないと感じた。最近は嘗てとは違ってそれほど汗を掻かなくなったつもりだが、平素のランニングでもある程度以上の負荷を掛けると発汗するのと同じく、陽射しの強い時の冬のアルプスでは発汗も考量しなければいけない。

出発する時に気づいたのだが、前夜のごたごたの移動の時にストックの皿が一つ外れてしまっていて使い物にならない、そこでお休みしている親方のレキのものを借用した。先にバネが付いていてショック吸収できるものなのだが、少し重く振りが良くない。それほど問題はなかったが、バネは雪の上では不要に感じた。

徐々にバックルを締めれるようになってきたので、この日一日中は三つ目を比較的しっかりと締めた。それでも最初の急傾斜の谷状のところでは岩が出ていて雪を落とすだけで上手に滑れなかった。その下の広いところも上手く板が抜けなかった。コケはしなかったが息が上がった。まだまだ上手く滑らせていない。

その下の斜面では先ほどまでヘリコプターが着地して怪我人を収容していた。そこを止まらないように滑り降りて、登りで通った樹林帯に入る。思っていたよりも板をコントロールできたので、一度枝に引っかかりこけた以外には転ばずにスキー場まで下りてくることが出来た。弁護士も一度足をとられていた。スキー場の斜面を下りながらやはり疲れを感じていた。昨晩の長く希望の無い谷の下りで疲れたのだろう。



参照:
やらかしてくれる人 2017-02-21 | アウトドーア・環境
頂上へと一気登り降り 2017-02-17 | アウトドーア・環境
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春の気分に満ち溢れる

2017-02-26 | 
春の気分に満ち溢れている。ワインの地所は霜が降りて、陽射しに照らされている。森の中ははまだまだ冬の気配である。どうも今年になって初めての峠攻めのようだ。前回は大晦日らしい。どれぐらい体調が復活しているかなと思ったが、走り始めると左足の土踏まずに血行の悪さを感じるほどだったので決して良くなかった。登り21分45秒、降りて来て34分は予想よりも悪かった。前回よりも悪かった。一方体重はスキーから帰って来てから70㎏を割っているようで喜ばしい。そして以前のように力が入らないでスカスカするようなこともなくなってきている。あのスカスカ感はある程度の年齢にならないと分からなかった感じで、40歳代になるまでは感じたことが無かったものである。あの感じが最近は無くなってきているので基礎体力がついてきているのだと思う。幾ら痩せてもあのスカスカ感があると健全なダイエットとは言えない。

幼稚園児のような感じだったのが、彼女とやっと最近は漸く高校生のような感じになって来た。幼稚園児のような気持ちになれるならば、それよりはハイテーンの方が年齢的には近いのだが、まさか胸キューンものの気持ちになるなどとは思ってもみなかった。映画などでは回想シーンで描かれるところなのだが、記憶を呼び起こすようなそうした感情ではないのだ。そこで自分が正に体験しているのである。そして特定の過去の記憶に結びついていないのを確認するような体験なのである。

ユリアの方を見つめていると、少し時間をおいてこちらを笑顔で見返した ― 前回は視線を彼女の背景にやっていたのだが、彼女が自分が見つめられていると思って、こちらを向いて視線を確かめた、そして今回は確信をもってその視線を享受していたのだった。彼女の満足そうな表情には抗しがたい。私は一瞬にして高校生になってしまった。彼女の実年齢は、なるほど、そこから数年しか経っていないわけだが、まさか自分自身が郷愁でもなんでもなしにそのような気持ちになるとは想像だにしなかったのである。

なるほど既に20歳半ばにもなるとそのような純な気持ちを持つこともなくなっていたのである。とても不思議で、タイムマシーンとかなんとかで主体が過去に旅をしたりとかとは異なる全く未曾有な感覚なのだ。それにしても彼女とここまで信頼関係のようなものを築くのにとても時間が掛かっている。なるほどこちらもとても用心深いのであるが、彼女がそれ以上であるのを認識した思いである。

先日来インターンの女医さんやら学校の先生やら同じ年齢層の女性とも過ごす時間があったのだが、なかなかこうした情感を持ち合わせているような女性は居ないだろう。そして今回のような経験をさせてくれた。そのような彼女を放っておくことなどは最早考えられない。



参照:
ヘアースタイルフェティシズム 2017-01-13 | 女
手に取るポッケの小石 2016-07-19 | 女
厳冬の大晦日の過ごし方 2017-01-01 | 暦
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春の準備をするこの頃

2017-02-25 | 生活
久しぶりに森を走った。雨などが降っていたので帰宅後はじめてだ。スピードコースを試した。坂を上がり始めると直ぐに厳しく感じた。気管支の痒みも消えていないので咳が出るのだが、走り続けるとそれ以上に全身が厳しくなってきた。足の土踏まずも以前ほどではないが左足に少し違和感を感じた。酸素が回らなくなって来たりと普段ではありえない厳しさがある。どうしてこうなのかは分からないほどの久しぶりの辛さであった。理由は分からない。疲れなのかもしれないが時間も経過している。気温は摂氏8度と高かったが、風が強く、パンツを脱ぐ気は全く起きなかった。

春の強風が夜中中吹きまくっていた。明けるとと晴天で陽射しがあったので、気温はそれほど上がっていないが、久しぶりに籠もり部屋を出て、デスクに座る。冬の間でもこうした木漏れ日を楽しむような時があるのだが、今年はあまりにも春らし過ぎる。謝肉祭が後にずれれているので余計にそのように感じるのかもしれない。二月も終わろうとしているから、四旬節で寒の戻りとなる感覚とは大分違う。

このような時に備えてラズベリーパイも設置してあるので、籠もり部屋のノートブックをそれのVNCで中継する。文句なしに使える。但し久しぶりに目の辺りにするベンキューのモニターの位置が高過ぎてまぶしく感じるので、そろそろウィッシュリストに入っている机に固定するモニタースタンドを準備しておかなければいけないと思った。

暫く温度計としてしか使っていないと元に戻す方法を忘れてしまっていたが、何とか時計もターミナルも戻すことが出来た。要は、.config>lxsession>LXDE-piでターミナルをオートスタートしないようにして、データーの書き出しを.bashrcを編集して元に戻しておけばよい。そしてインターネットに接続して時計を合わせるために、 dhclient -r wlan0で IPアドレスを解放してdhclient wlan0で再設定する。序にソフトのアップグレード、アップデートもしておいた。これでまた直ぐに冬篭りから戻れる準備となる。



参照:
弁証法的な辛い生活 2016-12-10 | テクニック
未来へのルーティン 2016-10-25 | テクニック
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夏タイヤについてのファクト

2017-02-24 | 雑感
自動車会社のマンハイム支店から電話があった。預けてある夏タイヤが擦り減っているので準備しておこうかというオファーだった。価格を聞くと一本180ユーロという。既に書いているようにブレーキディスクを交換しなければいけないのでそれを優先に考えていて、まだ冬タイヤで走るので全く考えていないと、一週間先にもう一度電話して貰うことにした。交換のアポイントメントなどとは別の話で準備しておくということだったが、問題になっているのは後輪の溝の深さだった。左右其々2mmと3mmということで法律上の規制値1.6mmまではまだあるが、それ以下となると警察沙汰になるというのだ。

つまり後輪二本を交換すれば事足りる。但し同じプロフィールでないとあまり良くない。面倒だが資料を調べてみるがコンティネンタルの商品名が思い出せなかった。それでもネットを調べると大体分かった。こうした事務仕事が面倒なのだが、電話が掛かって来た時にファクトを話せる。

ネットで購入するとコンティプレミウムコンタクト5の同じ大きさのものが100ユーロ以下で買える。つまり二本で360ユーロと190ユーロでは大違いだ。取り外しなどの一回の手間を入れてもまだ安くつく。電話が掛かって来たので、先ずは商品名を確認した。その通りだった。「あまりにも高すぎるから自分で調達する」として「先に持ち込もうか」というと、それならば「もう少し走って夏場に取り換えればよい」ということになった。最初からそれならばブレーキディスクの方が高額となるので、要らない心配をしないで良かったのだ。200ユーロの買い物予定と、タイヤ交換時に470ユーロの出費では全く意味が違う。

ヤフー日本を見ていると最年長指揮者の死亡記事が載っていた。スクロヴァチェフスキーというポーランドの指揮者でポップス管弦楽団と合併されたザールランドの放送交響楽団を指揮していた人である。車中で同地のラディオ放送からブルックナーの交響曲を明晰なサウンドで指揮しているのは何回か聞いている。しかし2000年以降になってネット情報が日本からも充分に入ってくるまでは正直全く知らなかった指揮者である。アメリカのミネソタで名を挙げた指揮者で欧州に戻って来るまでは無名だったのだから当然かもしれない。

バイエルンの放送協会の朝の番組で死去に伴うインタヴューが少し流れていた。最も興味深く聞いたのは前の大戦で爆弾が近くで炸裂したために両手を怪我して志望していたピアニストになれなかったことについて、「幸運だった」というところである。理由は技術がそこまで至っていなくて、技術を学ぶことに興味が無かったからだというのである。こうした言い方がまた「ドイツの正直さ」とは異なる「朴訥なポーランド人」らしさである。そして、作曲をしたかったのだが生活が出来ないので経済的理由から指揮者になったというのも面白い。少なくともこのインタヴューからの印象はとてもよい素直さで、同じ程度の指揮者ならば世代は異なるがヤノスキーよりもこちらの方に関心が向く。

ブルックナーとの出会いも六歳の時に窓の外から聞こえてくる七番のアダージョだったと言う。要するにヴァークナーへの葬送曲である。兎に角、ブルックナーを得意にしていたのはこれで分かるのだが、ヤノスキーに比較するとミネソタで死亡したことを見ると欧州でよりも合衆国での方が過ごしやすかった人なのだろう。そうした人がブルックナーなどを得意にしていたというのも面白い。



参照:
再び安全なゴム使用の話 2006-11-26 | 雑感
距離の伸びそうな冬模様 2011-10-25 | 料理
驚愕ラズベリーパイ3 2016-10-22 | テクニック
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春の躁がやって来た

2017-02-23 | 
春がそこまでやって来ている。春一番である。色々と準備をしなければいけない。先ずはロシア音楽勉強をチヤイコフスキーの悲愴交響曲で一旦終えることになる。まだその復活祭まで四旬節の期間があるが、これもあれよあれよという間に日が経ってしまうだろう。この曲も最後に生で聞いたのはレニングラードフィルハーモニーをムラヴィンスキーが指揮した時だった。今回のお勉強で深く楽曲に迫れるだろうか。少なくとも第五番をキリル・ペトレンコ指揮で体験したので、それを参考にすれば予め第六番も楽譜の読み方が大分わかる筈だ。

バーデンバーデンでの発券状況に不思議に感じた。何と最初の二三ヵ月殆んど出てしまったキリル・ペトレンコ指揮の演奏会よりも出だしが悪かった翌日曜日のサイモン・ラトルの方が殆んど売り切れている。状況からすると他のオファーと組合されて買券されたようで、業者が纏めて購入したのだろう。やはり、多くの大衆にとっては今でもサイモン・ラトルの方が知名度が高いから当然の市場の構造なのかもしれない。やはり、バーデンバーデンは、ミュンヘンともベルリンとも違うのは当然だろう。

そのミュンヘンの歌劇場の2017/18のプログラムの先情報が出ていた。先ずは関心のあるキリル・ペトレンコ指揮の新演出は二つで、その他は「ニーベルンゲンの指輪」再演ということだ。集客力があるので経済的な意味も大きいのだろうが、そこまで再演するとなるとライヴ録音でも残すのかもしれない。クリーゲンブルクの演出はケント・ナガノ音楽監督時の新演出だったが、再演でこれだけ集客力があればとても効率が良い。2018年7月のオペラ祭りに合わせて来るのだろう。カーネーギーホールの為の「ばらの騎士」も三回ほどあるに違いない。

興味津々の二つの新演出は状況からするとヴァークナーはないだろう。リヒャルト・シュトラウスは伝統を立て直して継承するという意味で、まだ一つ二つはあるのかもしれない。過去のミュンヘンでの演奏実績を見ると音楽監督就任以前からロシアオペラもボリス、オネーギン、ピケダーメなどやっている。チャイコフスキーやムソルグスキーを就任中に新制作する可能性も強いがさてどうだろう。「モーゼとアロン」は是非取り上げて欲しいが、その他にも20世紀の古典が存在する。いずれヴェルディなどイタリアものも一つぐらいは加わるのだろうか。古典ではハイドンなどは指揮のテクニックからしても興味深い。

ヴィーンでの「ばらの騎士」のヴィデオ映像を観た。カルロス・クライバー指揮で日本でも公演したものと同じであろう。予想通り、ミュンヘンでのそれよりも価値が低かった。なによりもヴィーンそのままで上演されているのでパロディーの在り方が全く時制的な視座の相違だけになってしまっていて、そこで奏され歌われるヨーデルもヴァルツャーもなんら意味を持たなくなってしまっている。なるほど日本の聴衆がその夢のような響きに陶酔したのも分かるそのもの観光地の歌芝居のような次元になり下がっている。まるでオーヴァ―アマルガウの四年に一度の受難劇と変わらない。そこで思い出すのが日本では録音やヴィデオで得た複製品の情報のそのままを芸術の本質と認識して、その通りの本物を目の辺りにして満足するという芸術需要の特徴がここでも当てはまる。観光情報のそのままを現地で確認してその他の現実への感覚を遮断して満足するというあれであり、芸術における感性とは一切関係が無い。それにしても天才指揮者カルロス・クライバーはどう見ても躁鬱の病に侵されていたとしか思えない映像で、流石に日本公演の後は躁の自身の非芸術的な行いを考えるとより鬱に落ち込んで仕舞ったのがよく分かる記録である。



参照:
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音
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日本国民への警鐘

2017-02-22 | マスメディア批評
フランクフルターアルゲマイネ新聞は、音も無く迫る日本国の変革に注意を促している。それはフランスのルペンや合衆国のトラムプのようには目立たないが、確実にやってきているというのだ。この新聞としては珍しい名前が出ていて、ハムブルク大教授ガブリエレ・フォークトへの取材と、ジェフ・キンストンら専門家共著の新刊「現代日本の報道の自由」(Press Freedom in Contemporary Japan)などを参考に記事を綴っているのは編集者アクセル・ヴァイデマンである。

フォークト教授が言うように、今進められている回帰的なつまり安倍首相の「日本を取り戻せ」のスローガンに代表される日本会議や伊勢神宮を代表とする神社本庁の考え方を日本国民の多くは支持していないとして、現在音も無く進む変革への警句としている ― これは一部で囁かれている右翼革命であるという認識に近い。

具体的には、憲法九条に代表される合衆国占領以降の骨抜き教育や社会を21世紀に適応した憲法に変えようとする動きである。それに対してプロパガンダ組織である日本の報道機関が全く手も足も出なくなってきているということへの強い疑念が示される ― この件に関してはガウク前大統領が日本訪問した節の発言では事の軽重が逆になっていたが、なぜ今こうした見解がこの政財界にも大きな影響を与える新聞で大きく紹介されているのかがとても興味深い。

恐らくそれは前記の新刊本に書かれているようなNHK司会者の更迭やそこに存在する黄色本とよばれる政府に対して配慮したハンドブックの内容がジャーナリズム業界で大きな話題となって、また朝日新聞のような未だにリベラルと思われている新聞のお手上げ状態を見かねての発言であろう。我々ジャパンウォチャーにとっては今更と思うことでもこうした研究本が出ることで世界の言論になるということだ。

また「日本会議の研究」著者菅野完への日本会議の正会員からの脅迫電話がYOUTUBEにアップロードされているとして、それを取り巻く状況を紹介している。また、アパホテルの客室に置いてあって、シナの「微博」で炎上したような内容の書籍でも日本では問題にならないこと、そうした正会員が2014年秋の時点で全国会議員722人中289人もいるというニューヨークタイムスの記事も紹介している。それでも大多数の日本国民の抵抗の声はいつものように静かであるとしている。

2014年秋に発生した坂本フランクフルト総領事のFAZ本社強襲事件以降この新聞の安倍政権への批判記事は巧妙なジャーナリスト的な記事に終始していたが、ここにきてガウク大統領訪問以降にベルリンの外交部の日本担当で何かの変化があるのだろうか?あり得るとすれば、トラムプと安倍の関係からEUの新たな軸足のあり方に変化があるのだろうか?題して「国民不在の島国」。



参照:
Kein Volk ist eine Insel, AXEL WEIDEMANN, FAZ vom 21.2.2017
自虐的国家主義安倍政権 2015-07-24 | マスメディア批評
異常なI’m not Abeな事態 2015-04-30 | マスメディア批評
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やらかしてくれる人

2017-02-21 | アウトドーア・環境
予定より一日早く帰宅した。予想通り、あとで追加参加した家具親方がやらかしてくれた。石切り場でどうなるだろうと話していた通りになった。自分自身は準備しつつ慎重に完走の可能性を考えていたが、そこまで分かっている者ならばこのようなことにならないとは言えないのがこの世界であり、不慮の事故の可能性を下げることはアウトドーアスポーツの基本中の基本である。

早朝3時30分起床、4時30分に親方の家前で集合、40分四人同乗で親方の運転で出発、6時15分シュツッツガルト空港でスキー教師女性をピックアップ、ヒンデンランクの駐車場に到着、バスでオーバーストドルフへ移動、世界的に有名なスケートリンクの横のロープウェー片道で登山、そこから出発した。スキー場上部の新雪スキーの出来る斜面の横を登り、鞍部上のところから先へと進む。そして雪原を超えて向こうの谷への鞍部に登りつく。休止を挟んでニ時間半ほどだったろうか。

そしてシールを剥がして初滑降の準備である。自身の靴の調子は履き始めから気温が高かったのかとても良かった。期待が高まる。それでも最初の斜面では息が上がって仕舞った。滑りが悪い。それでも前回の総オープンとは違って三つ目のバックルを締めれるようになってきたので大分スキーがコントロール出来るようになっている。シールを付けたまま少し斜面を滑らせても安定している。荷物もこの程度ならば滑りには影響しないが太腿には堪える。

谷向こうの大きな斜面の頂上の岩山の下に今夜の寝床の小屋がある。先ずは降りる谷が覗き込めるようになるまで滑り降りた。降りてそして長い登りが待ち構えているのである。スキー場の荒れた上級者コースのような小さな滝があった。雪が悪いのかと思って落ちていったが重めだったが普通だった。そして親方を待っていると。躊躇しているようだった。そして意を決して降りると思うとこけて「糞ったれー」と、いつもの悪態をついた ― 大抵この使い方をする者は自分自身が「糞ったれー」であることに気が付いていない。何でもない歩くほどのスピードで膝を捻っているだけだったのだが、15㎏近い荷物で足を痛めている ― 技術が無いのに体力でどうにでもなると考えているのが話にならないのだ。そのようなことははじめから分かっている筈なのだ。それが予想出来ないのがこの手の人に多い。自分自身も「やらかさないことはない」のだが、流石に山に関しては経験が上回っているので大抵の状況は想定可能である。そして山登り関連では最もこの想像力が重要であることを習ってきたのである。だから通常以上に準備を怠らない。

厳しい山登りの経験があまりなく、そうした想像力が働かない者はかなり多い。所謂カミカゼ登山者と呼ばれる者で、それは独アルパイン協会のメソッドを網羅しても駆逐できない。それは全ての危険性が数限りないからで、経験値が高い登山者ならばそうした一つ一つの小さなエラーが致命的になることを知っていて、そのようにして初めて想定外の事象に備えることが可能になるのである。逆に言えば、そうした不慮の事象を如何に避けていくかのゲームもしくは確率論的な精査がアルピニズムの醍醐味なのだが、スポーツクライミングによる大衆化で嘗てのエリートによるそれが共有されていないのは致し方が無い ― 経験豊かな者がそうした手合いに厳しい眼差しを送るのはこれゆえであり、それらは自然淘汰される者と考えられても不思議ではない。一般社会を見ればわかるように、やはりそこまで想像力豊かな人々は広義の意味でエリート層でしかないということである。

結局親方はスキーを断念するどころか歩いて降りることもできない。下の林道の終わりに辿りつくまで、事故発生から救助隊のスノーボービルに収容されるまで二時間が経過していた。結局我々も10㎞ほどの谷を滑り、スキー靴で歩いて降りて来る。ヘッドライトで凍り付いた地面を照らしながら下の町に辿りついたのは19時過ぎだった。親方が収容されてから更に四時間以上経過していた。その後車までタクシー移動して、インネンシュターットの病院の緊急搬送棟に親方を迎えに行き、親方と夕食にする。ギリシャレストランでラムを食した。

スキー教師の友人のインターン女医の住んでいる看護婦寮に皆で泊めてもらう。本来の夕食であったスパゲティートマソースを食して雑魚寝する。薄着では寒かったが山小屋よりは暖かかっただろうということで、朝食も予定通りのものを各自が食する。予定外のシャワーを同行の弁護士は浴びたが、殆んど山小屋と同じような感じで二日目を迎えることになる。

親方は松葉杖で街に居残ってもらい我々は軽装で一日だけの代替の目的地を目指すことにした。朝食も充分の量が取れて、予定外に前日にラムと赤ワインまで楽しめたので、想定外の長い下りの疲れなどはあるものの体調を壊すことはなかった。



参照:
完走するための栄養分 2017-02-20 | アウトドーア・環境
メスナー爺さん世代 2017-02-19 | アウトドーア・環境
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完走するための栄養分

2017-02-20 | アウトドーア・環境
今回のスキーツアーは久しぶりに食事を持ち込む山登りである。前回は十代の時だったと思う。最後は単独で冬の壁に挑もうといた時だった。あの当時読んでいたボナティーの本などに壁の中での食事のことなども書いてあったと思うが、欧州ではどのような食料を持っていくのだろうかと思い描いていた。日本では当時はまだまだ朝からインスタントラーメンに餅を煮込んだ力ラーメンのようなものが一般的だった。

今回も軽く乾いたパンを探したのだが、メスナーが地元のパン屋で調達するようなものはなかった。色々と考えているうちに、パンにはバターやその他を塗らなければおいしくないので、あっさりとそれは断念した。色々と探して朝食に問題なく食せそうなのはワッフルで、それだけでは重くなるのでそれを補足する軽いものを購入してみた。もう一度数などを厳選してみたい。ソーセージは一対は焼き太ソーセージを干したものだから、それを食すると同じだけの栄養がある。朝食に少しでも齧れれば結構な力になるだろう。

行動食はいつものようにナッツ類とドライフルーツとジーフィーである。夕食は二食用意されていて、スパゲティーともう一夜は何になるのかは分からない。アルコール類が無いので出来るだけ清涼感を得るためにもいつも使っているハーブティーを行動時と共に小屋でも飲めるようにしておく。また朝食時にはリプトンのティーバックがあるので、四袋あれば濃い紅茶を楽しめるはずだ。スーパーで時間を掛けて探してレモンのエキスを購入したが、これも何かに移して重量を更に抑えたい。ポケットにはのど飴も持っていきたい。

その他では最小の衣服以外には、旅行用のサンクリームと歯磨き粉のミニュチュアーサイズを購入した。安くはないのだが重さには代えられない。歯磨きはどうしようかとも思ったが清涼感にも結び付くので持っていくことにした。タオル類も断念する。その代わりに濡れトイレットペーパーが全てを補ってくれると期待している。それだけである。

夕食の荷物分け前と飲み物二リットルがそれに加わるのである程度の重量にはなる。初日に夕食は半分になり朝食も半分になるので、二日目には少しでも身軽になるのを期待している。荷物を背負って登って、滑り降りて、最後まで完走出来るか?

実は最終日にはミュンヘンからのラディオ中継があると思っていたのだが、そのアカデミーコンサートは二日分を三月に改めて放送するようだ。今まではそのようなことはなくてただの生放送であったが編集の可能性を残すことになる。少なくとも良い方を選択できる。理由は分からないが、音楽監督キリル・ペトレンコがそれを望んだということには間違いない。演奏上で危ないところがあるというのだろうか、それとも何か永久保存の目的があるのだろうか?兎に角、生中継ではなくなったので、スキーツアー最終日に村に下りて早めのバスに無理して乗って駐車場まで戻ってこないでもよくなった。



参照:
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メスナー爺さん世代

2017-02-19 | アウトドーア・環境
先のスキーツアーでの我らがメスナー爺さんのことも書いておかなければなるまい。1947年生まれそうだから本物よりは三つ若い。影響を強く受けずにはおれない世代だろう。我々の世代の時には岩に関しては全て終わっていたので、ヒマラヤに行かない限り直接の影響は限られていて、精々ソロクライミングと七級概念がまだまだ通用している一方、既にヨセミテからの影響を受けていたので、直接的な影響は殆んどなかった。しかし親仁の場合はプファルツの岩登りなどでもああした孤高の試みというのを無視できなかった筈である。

だから今回若い室内から始めたクライマーとの議論は大きな世代間ギャップを明らかにした。若いお兄ちゃんは言う。プファルツの砂岩地帯の「一本目のハーケンが遠くて危険で仕方ない」と、少なくとも「室内から室外へと全く繋がりが無い」と苦情する。勿論親仁は、「登れない者はそれだけだ、終わり。」と切り捨てる。

これには事情があって、現在の地域を管理する組織は過去のパイオニア時代を尊重して必要最小限のハーケン等しか設置していない。その過去というのは何も開拓時代だけでなく、鉄の時代を通しても決してハーケン連打とはしなかった地域のフリークライミング志向があって、同じ砂岩のザクセンと共通している。つまりそうした支点の設置は砂岩においては自然を壊すものでしかないとなり、フランケンのユラそれとは大いに異なるのである ― だから言う「フランス風にハーケン連打されている国境を超えたエルザスに入って登れ、終わり。」。反面、メスナーの指す七級以上の核心部にはまた確保のスタンドにはハーケンが打ち込まれている。

しかしクライミングホールで始め世代にとっては最初の支点に至るまでが何もなくて簡単に試すということが出来ないようになっているので苦情しているのだ。また旧世代にとってはそれをどのように対処していくのかがノウハウであって、クライミング談議はそれで盛り上がるのは今でも変わらないのである。

メスナー爺さんの面白いのは、世界中の山を登っているようだが、自慢のようにしてビバークの話が加わることで、如何にメスナー世代のそれであるかというのがよく分かる。メスナー自体もスピードを上げるためにもソロ登攀となっていったのではあるが、当時の感覚としては時間切れ日没でビバークなどというのが結構話題になっていたのも事実である。自分自身も壁の中で何夜寒い夜を過ごしただろうと考えると、充分に重い荷物を背負ってゆっくりと登っていたことが思い出された。

新世代の人にその辺りの事情まで分かる筈がないと思うが、その若い世代も氷河を適当に渉って、その後に直ぐドイツからの登山者が同じ場所で氷河に落ちて遭難したという話をしていた。「偶々幸運だった」というのが皆の感想で、トレースを残して後の者が落ちたという責任もあったかもしれないというのはあり得ることなのだ。



参照:
小屋から出でて小屋に入る 2017-02-06 | アウトドーア・環境
久しぶりに疲れを感じた日 2013-06-14 | 生活
人類の将来の進展のために 2012-12-02 | アウトドーア・環境
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北壁登攀の準備?

2017-02-18 | アウトドーア・環境
沢沿いをもう一度走った。最近は20分以上走っていないので峠を攻めよううかどうか考えたのだが、夕方に出かけなければいけないこともあり、前日の散髪でもう一度シャムプーする気もなかったので、沢沿いでお茶を濁そうと思った。それも奥まで行くならば20分は超えるので週に何度も走りたくはないのだが、まだ樵作業で通行禁止になっているなら手短に終えられる。但し20分には満たない。走り出して、ペースを上げようかどうか考えていると、直ぐに向こうから歩いてくる広告屋の親仁に擦れ違って、「奥までいけるぞ」と声を掛けられた。それならば丁度良い走りになる。沢の対岸では伐採作業で倒木の音がしていたが、こちら側の斜面は作業は終わっていて、大分森がすいていた。往路は結構いいペースで走れたようなので、復路も頑張った心算だがお辞儀をしていて、25分掛かった。23分台で走れているかと思ったが予想以上に速度が落ちていた。パンツの影響もあるのだろう。やはり上り勾配となると足の上がり方が重要になるようだ。

スキーツアーのリーダーから石切り場へのお誘いがあったので出かけてきた。通常はこの時期にはいくら暖かいといっても北壁である石切り場で登るのはまたどこかを壊しそうなので怖いのだ。それでも親元に帰っていて暇そうなので付き合った。勿論ツアーの食料買い付けの情報を得る目的もあったので、昼過ぎに約束した。

思っていたように隣町から自転車でやってきた。前回のツアーの後でティロルでアイスクライミングと雪を見に前の週末にもアルゴイに出かけているので、我々とは全く条件も何もかも違う。それでも気温が摂氏二ケタとなっていても前日は放射冷却で森の中の水溜りが完全に氷結していたように冷たい思いをするのではないかと思った。「北壁でもやる準備か?」と聞いたのは当然である。陽射しは強くてもまだ二月である。

身体を壊さないように出来るだけ力を使わないで登ろうとしたが、苔むした感じで摩擦が効かないので手が滑りそうになって余計に力が入った。六級のルートに苦労しただけでなくて、それ以外のも全く簡単ではなかった。それでも七級マイナスに挑戦しようというのだから恐ろしい。流石に断念した。夏と比べれば条件が悪くてどのルートも一つ二つは完全に難しくなっている。誰も登りに来ないのは当然であろう。

身長が2メートルほどあって体重が100㎏を超えているので、最初のハーケンで直接の体重を受ける金具を購入して、既に室内壁に二回ほど試したということだった。バウワーというメーカーの商品で、実際に使ってみると一挙に体重が掛からないので確保者が飛ばされないので良い。勿論自身の安全のために購入したようだ。

靴もサイズ50なので33㎝である。するとドイツでも市場でも限られているので、中々安くは手に入らないようだ。決していいことばかりではないというが、やはりクライミングなどでは手が上に届いたり、足が突っ張れたりするのは有利だろう。

腕や手の力を否応なく使ったので、入浴して揉み解しておかないと酷い目にあうかもしれない。直ぐには肩には来ないと思うがストックを持つ手が震えたらどうしようかと思う。兎に角もう故障だけはしたくないのである。



参照:
雪道でツアースキー靴を試す 2017-02-10 | アウトドーア・環境
釣べ落としの秋の競争曲 2016-10-02 | 暦
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頂上へと一気登り降り

2017-02-17 | アウトドーア・環境
最終日は一番厳しかった。理由は小屋から林道を滑り降りて、駐車場で荷物をまとめて更に1000m以上を登り、降りてくるという行程であったからだ。それも二人が最初から断念して、残りの四人は二人が30歳以下で、もう一人が40歳そこそこなのでペースが早い。それに二人が下で待っていて、帰りの時刻があるので、途中でたった一回しか休まなかった。頂上でゆっくり腰を下ろせたのが幸いだった。

それでも頂上稜線に出るところの最後の登りも間隔を開けて登っていくのだが、前の者が登るのを見届けるのに足を止めても、自分の番になるとそのスピードで急いで登り終えると、足を止めても息が激しくなる。それが何度か繰り返されて稜線に出ると思わず息を付くしか法が無かった。頂上だと思っていたのに、まだ稜線を絡めて進んでから岩山に登らなければいけなかったのだ。

頂上を目指すスキーツアーこそが醍醐味だと思っているが、岩の下にスキーをデポして頂上に登るまでの20mほどの雪壁が厳しかった。標高は2550mほどしかない筈で、初日にその標高には既に達しているので高度順応している筈だった。それが慣れないスキー靴でそこを登るとなると息絶え絶えになってしまった。原因は分からないが、それなりに酸欠状態に近かったのかもしれない。ラッシュタクティクスの厳しさだろうか。壁の登攀の場合は確保するときに休んで、息を整えることが可能なのだが、所謂連続登攀の形になるととても厳しい。

頂上で写真を撮ったり行動食を片付けていると息は完全に正常に戻ったのだが、降りるとなると雪壁で足元が上手に定まらなかった。フラフラするようなことはなかったので稜線自体は問題なく歩けるのだが、スキー靴で雪壁を降りるのに少し苦労した。正直ピッケルが欲しかった。靴に慣れていないこともあるのだが、そのつもりで選択した靴であるから不甲斐なかった。雪壁を下りてからもう少し先の方へとシールを剥がしてからスキーを滑らせて降り口へと向かう。滑りはもう一つだったが、谷に近づくころには何とかなって来た反面 ― 初日は腰が引けていたけど大分よくなったと若い兄さんに言われても ―、足が大分疲れて来ていた。それでも駐車場を後にしてから二時間半ほどしか経っていなかったので、可成りのスピードで1000mを上下したことになる。道理でばてた筈だ。居残りの二人が、「だから行かなかったのだ」と嘯いていた。助手席に乗って帰るだけだった。帰宅は渋滞に巻き込まれても20時頃着で、スイスの山の頂上に登って降りてきたとは信じがたいほどの感覚も山スキーらしいスピード感である。



参照:
小屋から出でて小屋に入る 2017-02-06 | アウトドーア・環境
スイスの山小屋で露天風呂 2017-02-15 | アウトドーア・環境
山小屋での静かな休息 2017-02-03 | アウトドーア・環境
エネルギー切れの十四時間 2017-01-28 | アウトドーア・環境
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ヴァレンタインの朝の夢

2017-02-16 | 
ヴァレンタインの朝、夢を見た。どこかのパーティーに行って、フランクフルトかミュンヘンかは知らないが、キャリアー志向のビジネスウーマンと歓談している。結構大柄でビジネスの枠乍ら可成りパーティーに合わせたボディーを強調する服装である。

辞去して派手な女性なので様子を見ていると、奥の方に行って、年寄りの相談役のような会長職の人たちに挨拶し乍ら、こともあろうに爺さんたちのズボンのサイドを掴んで下に摺り下しているのである。爺さんたちは驚きながらもこの女性の笑顔と愛想に相好を崩しておろおろしているだけである。それを見ていてとても品が無いドイツ女性の行儀の悪い典型で、とにかく元気なキャリアー女性だとは思い乍らも、なぜかその屈託無さと笑顔に魅惑されていたのだった。

自分も彼女の後を追って奥の方の嵌め殺しの窓に近づいて、彼女とバーを囲む形になった。足を組んでいる向かい側に座ると更にコケットな表情をして魅惑するのである。これはもう抵抗出来ないなと、会場から連れ出そうとしたところで夢が覚めた。

その彼女の顔は初めて見る顔なのだが馴染み深いのである。しかし、なぜその顔になっているのかは正直分からなかった。身長も心当たりよりも明らかに大きくほぼ180㎝に近く、そのままモデルになりそうな肢体なのである。とても不思議に思った。どうも昨晩に食した豚の顔などの栄養が効いたようで、これで完全に健康体を感じれるようになった。兎に角、スキーツアーに間に合ってよかった。

予定通り、朝一番で床屋に行った。相変わらずヤリ手婆ばあ一人で、入り口に髪結い募集の張り紙がある。当分一人で回すようで、予約以外の床屋などはこうして朝一番で押しかけないと時間もないであろう。

耳が隠れているということで、少なくとも二ヵ月はそのままになっていた筈だというのだが、どれぐらい空いたかはピンと来なかった。調べてみるとマダムが言うように、11月の末にミュンヘンでの「マクベス夫人」に出かける前だった。流石にプロはよく分かっている。髪形を作ったりするのは娘よりも大分下手であるが、まあこれは仕方がない。それ以前とはそれほど悪くはなっていないからである。

「一月は寒かったし、あまり邪魔ににならなかったからね」と言っておいたが、実際にあれだけ寒いと髪だけでも暖かかった。しかしこうして春の日差しが感じられるようになれば、寒くても鬱陶しいだけとなる。なによりも今度の山スキーは無人山小屋で素泊まりの三日となるので、極力軽快感と清潔感を保っていたかったのである。



参照:
これもヤリ手婆の腕捌き 2016-11-24 | 女
オージーの天狗裁きの朝 2016-12-22 | 生活
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スイスの山小屋で露天風呂

2017-02-15 | アウトドーア・環境
前回のスキーツアー以降風邪をひいたので更に無精になっていた。三回目のランニングだった。前回同様に沢沿いの奥が樵作業で封鎖されているので短いコース取りしか出来なかった。しかし前回とは異なり奥まで走り抜く意欲もあった。そして戻ってきたら軽く汗を掻いていた。漸く普通の運動が出来るようになった。まだ少し気管支に軽い炎症のようなものは感じるが、前回よりも標高の低いスキーツアーで問題になるようなことはないだろう。但し今回は荷物を担いだままであるからそれだけでも苦しい。

その間、熱を出したが大変苦になっていた歯茎の腫れがあまり目立たなくなっていた。この冬の寒気はこの炎症にあると考えているがこのまま炎症が少なく成ってくれるとありがたい。目下健康上の懸案になっていることであるからだ。それでもスキーツアーでの間には一日中全く感じなかったことを考えても心理的なものもあるようだ。少なくとも一日中運動をしていれば血行が良くなっていることもあるに違いない。

この辺りでジャクジーの写真でもあげておこう。まさかスイスの山小屋で露天風呂に入れるとは思ってもみなかった。地質学の学徒と一緒に浸かりながら、日本の火山地帯の話をしていた。要するにプレートの境には山があって温泉が湧いていて、アフタースキーにつきものだということだ。自分自身は山ほどにはスキーにはのめり込んでいなかったので、日本の大スキー場は知らないのだが、こんなスイスのスキー場もない山奥で露天風呂とは考えてもみなかった。それも予約さえしておけば無料でお湯を沸かしてくれるのだ。

燃料はどうしているかというと、ただ薪で沸かすので二時間近く掛かるようで、あとはモーターでバブルにしているだけだ。自分自身はシャワーを浴びてから入ったことになるのだが、後でシャワー室をのそくとシャワーを浴びていて、汚い連中と同じ湯につかったかと思わず叫ばずにはいられなかった。サウナでも同じなのだが、ジャグジーとなると無精なことをしている。風呂の浸かり方から教えてやらなければいけない。日本の温泉のことを話すとサルの湯治の映像は皆が見ていて、なるほどと思った。

日本にスキーツアーしたという人のまた聞きでは森林地帯が多かったというので北海道で滑ったのではないかと説明していた。実際に日本アルプスのスキー場で森林限界以上のピステはどれぐらいあるのか知らないが、二月の西穂高のスキー場を歩いて降りた印象では充分に森林限界の上だった記憶がある。



参照:
山小屋での静かな休息 2017-02-03 | アウトドーア・環境
小屋から出でて小屋に入る 2017-02-06 | アウトドーア・環境
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