週初めから、倒産の話を纏めておく。ドイツにおいても所謂ハイエナ・バッタ野郎の被害が金融危機によって表面化して来た。
日本でも伝えられて話題となったであろう汽車モデルの歴史的なメルクリン社の倒産のみならず、支払不能の波の後陶器のローゼンタール社も倒産した。また衣料で世界に名を成したミュンヘンのボス社も、皮肉な事に経営基盤を強化されるために入り込んだヘッジフォンドの資金で負債超過に追い込まれた。
それどころかアドヴァイサー料として累積負債額55ミリオンのうちの大半にあたる44ミリオンユーロを四年間で計上していたのは、このフォンドグループからのアドヴァイザーであったと、比喩ではなくハイエナバッタ野郎の実態を管財人は語っている。
また極東生産委託によっての商品の質の低下をここでも嘆いたボーデンゼーの衣料メーカーシーサー社も、ライセンス生産などの営業不調から一割の自己資本へと転落して、株式保有を誇る操業者によっても何一つ迅速な対応が行なわれず在庫を抱え支払不能となった。カイーザースラウテルンのミシンメーカープァッフ社も倒産した。また、ドイツ各地に直売店を持つ大手靴メーカーサラマンダーもイタリアの会社へと身売りされた。
エンドユーザーにその商品価値を嘆かれるような品質低下を招く生産者は、その市場での不調を一時的には投資家から集めたとんでもない金を潤沢に使う事で凌ぐことが出来るが、自転車操業宜しくの運営はこうした金融危機を以って終止符を打つ。
勿論会社を潰すのは暢気な創業者家族だけではなく、園芸機具で有名なプファルツのヴォルフ・ガルテン社などの場合はアンドレアス・ヘンシェンに売り払ったばかりに、会社はスイスへと移転させられ挙句の果てに倒産に追い込まれた。ヘンシェンの方は今後はパートナーのケース・ヘルシーとともに軍需産業に専念すると言われる。
ヒューゴ・ボス社の場合も154ミリオンユーロの稼ぎに対して、445ミリオンユーロの配当をフォンド会社ペルミナに支払わなければいけなかった状況自体が異常なのである。シーサーのオーナーも他の会社の操業家族なども幾ら一定の資本比率を維持していても違法に売り逃げでもしないかぎりその莫大な財産も殆ど無と化すのである。
メルクリン社の場合は顧客であり愛好家であるポルシェ社の社長ヴェンテリン・ヴィーデキントすら倒産への判断を下したようで、ハイエナの輩が他の判断を下す訳がない。
それでは、上場の制限を厳しく行なって世界上場企業の数を著しく搾り、尚且つ労働組合以外には多数の株式保有率を許さないとする規制を設けたとして、健全な自己資本と個人的な投資関係を中心にした地域に根ざした資本投下や経済活動を進めて上手く行くかというとそれもなかなかそれも難しい。
伝統的なワイン醸造所の身売りなどが頻繁に囁かれている。昨日耳にした話では保存の利くワインでまた日本でも有名なルップレヒト醸造所が既に身売りされていると言うことで、なるほど先日古いワインが業界関係者を集めて試飲された話はこうした背景があったのだと後になって知れた。
その他バートデュルクハイムの醸造所シーファーが身売りに出ていると言う。規模を予想すると、恐らく一ミリオンユーロぐらいではないかと思うが、どれほどの経済的な価値があるかは何とも言えない。高級ワイン団体VDP加盟の醸造所であり、評価本などでは比較的良い判断が下されていたようだが、正直どれだけ価値のある地所を所持しているかでその価値は決まってしまう。その味筋からしてに最新設備があるとも思われず、また少々の大きな地下蔵や屋敷があっても、通常の不動産として運用しなければ ― 嘗て4ミリオンマルクでオファーが出されていたヴァッヘンハイムのヴォルフ醸造所は屋敷内にいくつものアパートメントを完成させているが ― 醸造所としての価値は決して良くないであろう。
要するにワイン醸造を真面目にやろうと思えば、オーナーは地所や地下蔵に絶えず目を配りパーソナルを把握していないと良いもの作れないのである。家業として相続するのでなく、こうした物件を投資対象とすればそれ相応の利潤が求められる。その利潤を求めないものは馬鹿の趣味人とされる。
しかし実業家だビジネススクールだとか言って紳士面している輩の手からはまともな製品や文化は生まれない。企業家などは元来職人か商売人でしかない訳でそれ以上のものを求めることが既に間違っている。それ以下でも以上でもないのである。
それでは良い商品を提供しているからお家安定かと言えばやはりそれは違う。最近とんでもないような噂を聞くようになった。つまり、生産から離れて如何に財産を管理しているか運用しているかの問題となると、何人も現在の卑劣な投資環境から逃れることはできないのである。どんなに歴史があり、膨大な不動産や生産施設などを所持していても、その余剰している財が本来の生産のために投資されずにこうした金融商品として財蓄がなさされているとすれば、一瞬にしてそれが容易に相殺されてしまう。まさに企業百年説の根拠でもある。
恐ろしいのは、それによって伝統や文化も一瞬にして崩壊してしまうことであり、それは第一次世界大戦での社会変化に匹敵するのではないだろうか?恐慌云々よりも歴史的には遥かに重要な視点であると考える。
参照:
Marken im Strudel ihrer Schulden, Susanne Preuss, FAZ vom 14.2.09
イナゴの大群-FAZを読んで 2005-05-05 | 数学・自然科学
資本主義再考-モーゼとアロン(3) 2005-05-04 | 歴史・時事
新調パジャマの裾直し 2007-11-23 | 生活
貧しい村と産業基盤 2006-09-27 | 生活
サラマンダーに遭遇 2006-03-27 | 数学・自然科学