日本では大変話題となっているフィギアスケート中継を観た。ヴァンクーバーの場外も韓国と日本のパパラッチの狂想曲がけたたましいと新聞に載っていた。毎度のことであるが、話題つくりをして足掻いても、つまらないマスメディア業界が生き残る伝手などはない。そして、嘗てのサッカーの日本代表選手の場合のように、億の金を安藤選手などが稼いでいると盛んにその莫迦らしさが強調される。
しかし、その安藤選手が最も採点に不満の残るところだろうとオイロスポーツの独版は同情する ― あのクレオパトラの演出はその前の化粧までを一気に理解させる明確な意思を伝えるに十分である。そして、その他はある得るべき順当な結果になったとする。圧勝した金メダリストのキム選手にはなにも文句の付けようがないが、高得点に価する以上にあまりにもやすやすと安全圏で遣り終えてしまわれると不満が残るだろう。今回はじめて観る日本で人気の浅田選手はそれに比べて、― 前回トリノで年齢制限で話題になっていたのは知っているが ― その根性が表れているようで面白かった。
表彰式での彼女の表情を称して、「彼女の心の内を尋ねてみたい」とアナウンサーはコメントして、競技前から結果はある程度予測されていて尚且つ完敗に終わった順当で立派な二位であるのに、潔くそれを受け入れられない表情をそのように至極好意的に評した ― SPの番組ではキャリフォルニアに住む全欧優勝者カロリナ・コストナー選手が英語で十二分に胸の内を静かに伝えるのに対して、大抵の極東アジア人がなかなか英語でそこまで表現出来ないとしていたが。
FAZが書くような「よりによって、影で火花を散らす、日韓両国の選手対決」が背景になっているとは思わないが、想像するにジュニア時代からの因縁のライヴァル関係であるからだろう。しかし、こうした状況でドイツのスポーツ選手がくどくど述べる自己正当化のプロテスタンティズムのいい訳 ― 米国トヨタのレンツ社長が公聴会で自己責任を最初に否定して(刑事)責任の免責を宣言するのと同じである ― を聞かされる訳でもなく、夏のオリンピックであったイランかどこかの選手のメダル投げ事件が起こる訳でもなく、そこには悔しさが体一杯に溢れていて皆目を見張った。本来ならば母親の死からの銅メダルで三文オペラ仕立ての主人公となるロシェット選手が引くほどのそれはある意味見ものであった。
一カットを観たペアー競技のマーラーの交響曲アダージェット「愛の歌」といい、他人の死といい、「レクイエム」などの選曲が、新聞の書くように「死と仮面葡萄会」の趣を強くした。トリノにおいては病身のパヴァロテッィーの「トューランドット」の曲などがあっても全くこうしたムードはなかった。これらを総合するとよほど北アメリカのあの辺りは、湿気た気質が充満していてかなり情動的なような感じがする。それとも時代がそうした気分を醸し出しているのか、良く分からない。
まさに、先日のカール・オルフ作曲「寺子屋オペラ」に関連して「泣きの文化」と評した日本学のレーゼ氏の、また当夜のプログラムにジョン・ダウが書いた江戸時代に「ちり紙が売り切れて価格高騰した」エピソードではないが、日本人は朝鮮半島から来た文化としてまた独自の湿気た気風からそれを持っている。その証拠に、今でも日本人は洟を盛んに啜る。なにも氷の上の競技者だけでなく、うどんを啜りながらも汁に混ざらない様に啜り続けるのである。ある人にいわせると外に出してしまうか、中に細菌諸共吸い込んで片付けてしまうかの差だとなるが、あの白いマスクの不思議もここにあるのだろう。一体、世界の殆どの消費をする日本人はそのティッシュペーパーをどのように使っているのだろう。
そしてそうした国民性は、時代のムードと共に複雑な形で形成されている。豊田社長の合衆国公聴会での状況にも ― それ以前に事の端となった会社の対応に ―、 幾ら想像力を働かせても真意を察することができないような顔が読めない複雑さがある。要するに、グローバル化した世界では、マスメディアによって膨大な金子が動き、本来ならば誰もが兼ね備える力すらを働かすことが出来なくなるまでに退化させる社会構造がある。
フィギュアスケートの画面で、まだまだ素朴なロシア人選手や表層的な米国人などがカメラの前で叫ぶ態度はたとえその言語が分からなくともその要件や意思が良く伝わるのだが、トヨタのスポンサーを受けているような安藤選手の「ありがとうございました」は気の毒にも今や普通には受け取れなくなってしまっている。それほど日本などは社会が複雑化している証拠であり、先ずはこうした経済システムに問題がある。
そのように考えると、空気を支配していた雰囲気こそがどうしようもない社会の、時代の鬱陶しさであると気がつく。やはりTV視聴は御免である。
参照:
ヴァンクーヴァー女子フィギュアショートプログラム、
浅田真央選手 ヴァンクーヴァーオリンピック 銀メダル (日々雑録 または 魔法の竪琴)
ここ数日に思った徒然 (うさたろうの 気儘なフランス散歩)
「ヴェネツィア派の誕生」と歴史的リアリズムの現代的意味 (toxandoria の日記)
TOYOTA、豊田章男社長の英語 (tak-shonai’s Today’s Crack)
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