Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2010年5月

2010-05-31 | Weblog-Index



退屈凌ぎに将来への新たな一歩 2010-05-31 | 試飲百景 TB0,COM4
裁かれる武士道の真実とは 2010-05-30 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
ドロップアウトする人たち 2010-05-29 | 雑感 TB0,COM0
日々の営みに立てる十年の大計 2010-05-28 | 生活 TB0,COM2
ああ無情、無常に流れる時 2010-05-27 | 暦 TB0,COM0
晴天の後の久しぶりの夕立 2010-05-26 | 暦 TB0,COM0
ぶらさげてなさい、ボックスボイテル 2010-05-25 | ワイン TB0,COM6
上から臨んで、下から仰ぎ見る 2010-05-24 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
煙に捲かれるナルシスト 2010-05-23 | 生活 TB0,COM0
とっても危険で、ちょっと面白い 2010-05-22 | 雑感 TB0,COM0
その質に至っていない企業哲学 2010-05-20 | テクニック TB0,COM0
キリストの昇天に飲む「神の棺桶」 2010-05-19 | ワイン TB0,COM0
徐々に回復して来た腹具合 2010-05-18 | 料理 TB0,COM0
農民国から帰宅する都会人 2010-05-17 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
対話を喚起する報道の趣味 2010-05-16 | マスメディア批評TB0,COM0
芸術を理解するには趣味が肝要 2010-05-15 | ワイン TB0,COM0
共感とは異なる心的な理解とは 2010-05-14 | 女 TB0,COM0
語学的な差異と記号論的なそれ 2010-05-13 | 文化一般 TB0,COM0
日常の営みを認識するということ 2010-05-12 | 文化一般 TB0,COM0
土産の土産話を聞かせてね 2010-05-11 | 女 TB0,COM0
模範的旧制高校生のような日曜日 2010-05-10 | 生活 TB0,COM2
隠れビオデュナミニに驚愕する 2010-05-09 | 試飲百景 TB0,COM2
掻き回されている言語脳 2010-05-08 | アウトドーア・環境TB0,COM2
異文化の非日常をかける少女 2010-05-07 | 女 TB0,COM0
ボルドーワインで温まる五月 2010-05-06 | 生活 TB0,COM2
有難うでは済まない政治の世界 2010-05-05 | 雑感 TB0,COM2
炭酸水を吟味する無礼な男 2010-05-04 | 生活 TB0,COM6
とても面白い文化的な繋がり 2010-05-02 | 文化一般 TB0,COM0
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

退屈凌ぎに将来への新たな一歩

2010-05-31 | 試飲百景
新たな道への第一歩であった。ドイツのワインの将来への道程の一つに違いない。少なくとも、当日のブュルクリン・ヴォルフ醸造所当主挨拶にあった1994年からの取り組み、つまり高名なフランスのビオデュナミの使徒によってその道に出会い、更に地形も気候も似ているブルゴーニュ式の地所のクラス付け、つまりテロワールを重視したリースリングの栽培と醸造へと踏み出したときに既にこの道は意識されなくとも刻まれていたとしか思われない。

その新しい道こそが、天然酵母を使った香り高い本格的な辛口ワインの醸造への道であり、それを実現させるためになしたビオデュナミーを意識した渾身を込めた葡萄栽培の長い道程であったとも言える。当主の話に昨年にも増して強い意志が漲り一種の迫力を醸し出したことでも分かるのは、「ローマへの道」を歩んでいる自信や自負があるからに違いない。

我々は必ずしも早期に判定を下す必要はないのであるが、既にここまで積み重ねてきた着実な軌跡をそこに見れば、道の続く先の方へと雨上りの轍のようなものが自然に浮かび上がってくるのである。個人的には必ずしもそれほど近づくことなく適当な距離を置くどころか批判も交えてここまでそれを追って来たのであるが、そのような客観性が必要では無くなるほどの実績として、そのワインの品質を目の辺りにすれば、感慨深いものがある。その豊かに実る葡萄を一目見るならば、少なくとも土いじりをする者ならば、そこまで追詰めた葡萄の品質に気付かずには居れないであろう。

先日試した土地名のワイン即ちオルツヴァインの素晴らしさから、直ぐに地所名のワイン即ちプリミエクリュと呼ばれるラーゲンヴァインの品定めを始めた。どれも来週から瓶詰め作業が行なわれるという最終の御披露目で本当の意味での樽試飲であった。瓶詰め作業が始ると少なくとも四週間ほどは注入の圧力によって掻き廻されて本来の姿には戻らない。暫しの別れなのである。

ヴァッヘンハイムのアルテンブルクは、どれほど売れたかは分からないが、2008年産においては一押し商品であった。それが、今年は前座を務めている。特に樽試飲となると、そのミネラルの出方が楽しめなくてまるで沈んでいるような感じで、もっともその表情が分からり難かったリースリングであった。二つ目にはゲリュンペルを試すが、これはまるで90年代の前半を思い出すようなシャープさで、その殆ど刺すほどのスパイシーさはまるでダイデスハイムのヘアゴットザッカーを思い起こさせる。そしてここでもオルツヴァインに続いて残り味に苦味が残る。その苦味の正体は如何に?それにしても気泡も全く無いこれだけ活き活きとして香り高い天然酵母醸造のリースリングがあっただろうか?否!

次ぎのゴールトベッヒャルが今回の御披露目の瞠目すべき成果のハイライトであったろうか?その塩味は、レープホルツ醸造所のそれ以上で、いつも見慣れたあの地所からのこのミネラル風味には驚いたと同時に、昔半辛口などで馴染んだそれに再開したノスタルジーのようなものを感じたのである。流石に涙を零すところまでは感動しないが、既にワイングラスの中には涙が潜んでいたのである。その分、酸の効き感は薄く若干甘めに感じるのは、如何にに三位一体のバランスでリースリングの味覚がなり立っているかということを示したに過ぎない。この根っ子こそが深く、ビオデュナミのせいかと言われるとなるほどとしか思わないほど、その深くの地盤から来ているミネラル風味であることはその何の変哲も無い地所からして明らかだ。要するに渾身で葡萄を育てることで、葡萄の方が素晴らしいお返しをしてくれたことになる。

ルッパーツベルクのホーヘブルクは今まで殆ど購入した事の無い地所からのワインであるが、酸が効いて、清潔に凛と角が立っている今年の典型的なリースリングであった。あまりに気持ち良いので思わず大量注文しようと思わせたぐらいである。そして、この辺りから後味に苦味を感じ無いものが続出して来たのに気がついた。

そして、ダイデスハイムのランゲンモルゲン、昨年は酸が表に出たので人気がなかったが、今年は2007年に続いて間違いなく買い手が殺到するワインである。この熟成すると白檀風味の黒飴のような味になるワインが、今年は素晴らしく小またが切れ上がってキュートで美しいのである。これだけ最初が美しいとその後を知っているだけに後が怖くなるほどの美少女リースリングである。

これだけ述べれば、同じ樽試飲で供された特級地所からのワインつまりグランクリュについて触れる必要もないだろう。まだ二か月以上は木樽で眠ることになる。要するに熟成を重ねる。それでもガイスビュールも綺麗で細身、アルコールを強く感じたカルクオーフェン、酵母臭を感じたペッヒシュタインと、殆ど成功は手中にしているのを確認するのだが、同時にあの気になっていた後味の苦味がもはやここには全く無いことに気がついた。

そのペッヒシュタインの土壌の恩恵こそが、あの石切り場の作業にあったとは知らなかった。そこで掘り出された黒い玄武岩は、建物や道路のプラスターなどに使われただけではなかったのである。百年前ほどにそこの石屑が、今ペッヒシュタインと呼ばれるドイツでも重要な特級地所にばら撒かれて現在の土壌となったようである。奇しくも、愛好者を沢山持つ二つの地所ダイデスハイムのホーヘンモルゲンとフォルストのペッヒシュタインが人工的な手を持って素晴らしい土壌化しているのは何とも面白い。そしてその当時は現在のようなテロワールを出したワインのためではなくて、只黒い石が熱を集めるとしか考えなかったに違いない。その考え方の傾向は、二十年前までそれほど変わらなかったとも言える。その横にある地所が塵箱ゲリュンペルなのもなんとなく予想出来るのである。

実は、それに関しては醸造責任者と激論を交わしたのであった。「あんたは、直ぐ構造化して考える。木樽とかステンレスとか、そんなものじゃないんだよ。フォン・ブールにはブールのやり方があるんだ。天然酵母とは関係無い話でね。」と苛立ちはじめるから、「僕が興味あるのはね何処でどのように判断して決断されるかなのですよ」と反論する。そして、「それなら、グランクリュには出なくて、プリュミエクリュに出る後味の違いの違いはなによ」と質すと、「それは完全に木樽を使っているかステンレスの樽が混じっているかだよ」、「ほら、それよ!」。

天然酵母を使う事よりもそれ以前に「葡萄の状態が良かったから、2008年産に比べて亜硫酸の使用量が増えておらず、寧ろ減っている」と元来モストに亜流酸を使う必要の無い状態の説明に続いて、安定剤的な使用も問い質し、窒素を上手に使う事で木樽での安定を図る点など、そして温度の話しになると、「天然酵母だけではないが放っておくと三十度を越えてしまうので冷却するが、その温度は明かせない」とかなりのところまで情報を引き出した。

そして結論的に構造化させて貰うと次のようになる。天然酵母であるかないか以前に、健康な葡萄であることを前提として、木樽のなかで時間をかければかける程、窒素のその表面を覆いながら?自然な穏やかな酸化を進ませることで、望まれない味覚の要素のみならず生物化学的な反応を排除して行くということになろうか。それどころかベクサーと呼ばれる味覚に否定的でしかない反応もそれによって牛耳ることが出来るとはじめて知った。要するに今まで不完全な形で商品かされていた天然酵母醸造ワインは、その葡萄が不健康であったか、経済上時間足らずで見切り発車的に商品化して仕舞った場合も少なくないのであろう。

そうこうしていると素人相手に弟子の説明があまりに力が入りすぎているのを心配してか師匠である四代目の親方クノール氏が心配そうにやってきた。

「素晴らしいですよ。こんな天然酵母醸造の辛口は知りませんよ」、
「全然変わっていない?」
「全然、嘗てのような香りと清潔さはそのままで、寧ろ複雑さが増してますよね。五年も掛かったって聞きましたが」
「そう、やりはじめて色々試みて、五回以上造っているよ」
「そして、長持ちするでしょう」
「その筈だが、それはこれからのことだから」

如何に針の秒針を先に進めるには、職人に限らず全身全霊を掛けた仕事によってしかなされないかである。親方は一日に五回も六回も樽を見に行ったと皆は語る。将来を見る事にしか営みはないのである。来年は、このような健康な葡萄が出来上がるとはあまり期待出来ないので今年の良い酵母を採取して、今年の秋のために選別無菌培養して2010年産の醸造に備えるという。留まることを知らない伝統の継承者でもある。

醸造責任者はいう。「同じことをやっていても退屈だからね」。

気がついて投稿の数を見ると99回目の試飲百景となった。奇しくも、こうした記念碑的なリースリングで、これだけ深くその蔵での仕事を探れたので、試飲体験の大きな区切りとなったような気もするのである。そしてこれで新たな「リースリング道」へと歩みを進められるかと思うと希望に胸が膨らむ思いがする。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裁かれる武士道の真実とは

2010-05-30 | アウトドーア・環境
新聞FAZのサイトに「裁きを受ける武士道」とあって何事かと思った。先の独日協会の例会で映画化された「葉隠れ」の話を聞いて、嘗てのナチドイツ時代のオイゲン・へーリゲルのような動きがあるかなと感じていたからだ。だからこの見出しを読むと、武士道オタクがなにかをやらかしたかと思ったのである。

しかし記事をみるとBUSHIDOと呼ばれるバンドがあるようで、その男が警察を「操り人形」、「猿」とやじって侮辱罪で告訴されたという。その他にもゲイグループの行進をやじったとかで、音楽活動に準じた一種のパフォーマンスのメッセージが罪を問われて、一万ユーロ以上の罰金を受けたとある。

肉体的暴力でないのでその程度の額で済んだようだが、EU自体は反警察への犯行の罪を重くしようとして、一方連邦共和国はその必要はないとしている政治情勢で、若干興味を引く事例であるだろう。

しかしこうしたパフォーマンスをする輩には最も罰金が有効である。その罰金の金額とパフォーマンスの効果で採算が合うかどうかを考えれば、馬鹿な事例は少なくなるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドロップアウトする人たち

2010-05-29 | 雑感
先日、毎年のカソリック教会からの離脱が増え続けていると新聞にあった。昨年は、少年少女への性的暴行問題の顕著化で更に増加した。カソリックの場合その入信自体の動機が薄い信者を繋げおくのは難しいだろう。そしてなによりもその教会自体だけでなく、その紀律が現在の一般通年から隔離し続けている。しかし一般受けするような教会では直ぐに権威を失う。大変なディレンマである。先日泥酔運転で失脚したプロテスタントのケースマン女史がミュンヘンで開かれた教会合同の大会に堂々と出席していたことが伝えられていたが、これなどはあまりにも現在の社会のキャリア志向の人間が如何に無恥厚顔と密接に結びついているかというまさにこの宗教自体が現在の社会を体現しているのを余すことなく示している。

ドイツにおけるカトリックの信者数は間違いなく低下している。教会へ行かない教会税を支払わない者が増えれば、どうしてもキリスト教民主同盟の支持基盤も徐々に薄くなる。その政党のゆっくりとした支持低下率は、カソリック教会の信者数の低下に比例しているのかもしれない。

ヘッセン州知事ローランド・コッホの政界引退が今週の最大のニュースであった。若手保守政治家の旗手と言われながら、アンゲラ・メルケル首相の政治力に及ばなかった。この政治家への興味が全くないので専門的な解説は一切読んでいないが、彼の場合も典型的な保守政治と呼ばれるものの魅力のなさを体現していたように思われる。実際の政治手法は、ネオリベラリズムをも上手に使った経済運営をもとに保守的な政治思想を実現することであろうが、それは従来のエスタブリッシュメントの社会秩序の将来を担うどころか保守することには直接に繋がらないこともあり、こうしたところにチグハグな保守政治思想が右往左往するのは現在の先進工業国の社会に共通している。

住居の共同管理会の会合があった。吹雪の冬の日に特別に集まった件、即ち一人の持ち主である管理費未払いの者の所有するガレージと建造物の地下の競売の件の報告があった。こうした共同管理会が競売されるものに一体化して競売で落とす例はあまりないと言うことだ。長年、支払い不履行で負債に負債を重ねる自己破産者と関わってきたがこれで絶対回収不能な負債の山を議論することはなくなった。

そのご本人は、抜けぬけと娘に家業の不動産屋を継がせて、大きな広告面に会長として紹介されているのが面白い。裁判所にその広告面も参考物件として示されたようだが、その広告内容は本人の破産状況とは相容れない。それどころか、会の者が先日彼の車を見たと言う。それによるとメルセデスのCクラスでナムバープレートも確認された。おそらく娘さんの名義になっているのだろうが、破産者の方が破産していない者よりも豊かそうな生活をしているというのもなにも珍しい事でもなかろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日々の営みに立てる十年の大計

2010-05-28 | 生活
朝飯前に8.1KMを一時間半近くかけて歩いた。いつもの回遊コース群では、谷の詰めに最も急坂のある高度差二百五十メートル以上を一気に登るコースである。森の中は、雨降りのような水滴の落下音が騒がしいが、雨は降っていない。昨夜までの雨がゆっくりと地上に落ちて来ている。

温度が低いゆえか、蒸し暑くも、足元が殆どぬかるむこともなく快適である。そして急坂へと足を進める息が軽い。大抵は億劫になる急坂であるが、心拍数は十分にトレーニングになるほど上がり、汗も掻き出したものも比較的軽快に登り終える事が出来た。基礎体力が上向いている証拠でもある。先々週、幾らか高地で過ごした影響もあるかも知れ無い。

最近は、誰それが病気だとかの話題が多く、今日も一人の知人がこの月曜日に亡くなったと聞いた。教職についていた人で年金受給前に亡くなった。昨年の今頃膵臓癌が発覚して、この日が来ることは分かっていたのだが、奥さんやまだ若い娘さん、そして妹さんのことを考えると気の毒である。これから定年後の生活を楽しみ、娘さんやいつかは初孫の誕生などを楽しみにしていただろう。

健康ばかりは本人も含めてこれはどうしようもないが、やはり基本は毎日の生活感が重要であると思う。そのライフスタイルに関しては人其々なのだが、やはり病巣があろうがなかろうが健康的な感覚というの存在する。ここ数年心掛けている散歩もその一つで、消極的には運動不足解消と共に、積極的には自然に増えてくる運動量を加算していくと十年単位ではかなりの体力が養成されることをある程度計算している。

体力強化と称して無理してジョギングなどをしなくなったのも、長く続けられる運動と長期計画達成を目指してのことで、膝などの故障やその他の継続性を危うくする運動を避けているのである。継続は力なりで、こうした手ごろな運動を繰り返すことで、基礎体力向上と同時に様々な運動能力を養うこと並びに将来への能力低下を極力押さえることが可能となる。

それでも不慮の事故や大病の疾病などは避けられるわけではないが、少なくとも健康な生活感が得られる内にそのような生活を営むように努力するのは道理からしても心理的にも決して間違いではないだろう。

買って来たばかりのパンに、これまた取って来たミンチローフの薄切りでの朝食が美味い。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ああ無情、無常に流れる時

2010-05-27 | 
新聞にジックリ目を通す暇が無い。大した仕事もしていないのに、時間が足りない。夏場になると冬季と違ってどうしても外にいる時間が長くなる。まともに散歩もしていないのになぜ時間がないのであろう。

やはり外を歩き廻っているようではあまり勉強は出来ない。閉じ篭っていれば出来るものではないが、少なくともより長い時間は取れる。

益々、夏至に向けて日は長くなる。色々としたいこともあるのだが、夏も終わる頃にはなにも出来ていないかも知れ無い。殆ど無常に時が過ぎそうである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晴天の後の久しぶりの夕立

2010-05-26 | 
聖霊降臨祭の二日間、暑い日が続いた。それでも日陰にいれば大変気持ち良かった。しかし湿気は高かったのだろう。夕立となった。

激しい臭いが一気に立ち上る。苔むした臭い、埃っぽい臭い、堆肥のような匂いなど様々である。花粉などがこれで落ち着きそうである。

それにしても南国のようなしっとりとした気持ち良い夕刻である。厚手のTシャツと半ズボンではなく、長ズボンで過ごせるこの気持ち良さ。

まるで昔米国TV映画で観た薄着で過ごせるナイトライフのようだ。鳥の囀りと、このゆっくりと進む時間がとても嬉しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぶらさげてなさい、ボックスボイテル

2010-05-25 | ワイン
昨晩自宅でアスパラガスを食した。今年になって初めてのことである。やっと暖かくなって、それらしい気分で、屑をサラダにして食した。なかなか美味い。

その時に開けたワインが先日客人としてバッサーマン・ヨルダン醸造所の試飲会に呼ばれていたフランケンのルドルフ・フュルスト醸造所産のジルファーナーであった。職人風のオーナーが自らのワインを紹介していた。全部で七種類、リースリング二種類、ジルファーナ一種類、赤のブルグンダー四種類であった。フランケンには珍しく、唯一雑食砂岩の地域でワインを栽培している。要するに一般的なフランケンヴァインが、貝殻石灰を中心として黄土などの混ざったどちらかというと酸を丸めてしまう土壌で、辛口と称して残糖値を下げることで独自のワインを市場に送り出している中で、異色の醸造所である。

さてそのリースリングは、酸はそれほど高くなくとも糖が低い分かなり強烈な酸を感じる。それはそれで良いのだが、どうも地所が不味い雑食砂岩以上でも以下でもなさそうで、辛口仕立てにした分濃くも無い。2008年産チェントグラーフェンベルクのグランクリュも試したが、とても三十ユーロもするワインの内容とは思えず薄っぺらかった。規定通りの収穫量の圧縮をしても遣れば遣るだけその素性が明らかになるようでつまらない。同じように辛口し立てにするにしてもせめてレープホルツ醸造所のようにもう一つ追詰めたリースリングにして貰いたい。

その意味ではフランケン地方特産のジルファーナーのボックスボイテル入りのものに、貝殻石灰のものとは異なるシャープな味と香りで興味を持ったので、特別に一本だけ手持ちのものを譲って貰ったのだ。

他の赤ワインも、特筆することの無いピノノワールであったりと、木樽を使って熟成させている割にはどれもこれも薄っぺらい。どうも糖を押さえ、酸を際立たせることで高貴なワインが出来上がると勘違いしているような節もある。昨年に同じように登場したアスマンハウゼンのケスラー親方のものは流石に一級品であったが、これは話しにならなかった。

そこで、家でじっくりと特別なジルファーナーを吟味する気持ちになったのである。結論からすると、ドイツ高級ワインの底辺を探ることが出来た。要するに、ドイツにおけるワインはリースリングあってこそで、ジルファーナーではどのようにひっくり返ってもショルドネーなどのフランスのそれに対抗出来ないということである。

フランケンの最高級の地所が貝殻石灰などで丸くなったワインしか育たないのは、これはフランスの石灰混じりの地所と全く変わらないが、気候的には彼の地よりも落ちるフランケン地方で、それ以上のものを生産するのは殆ど不可能に近い。今回のジルファーナーの12ユーロも出せば、ブルゴーニュで手練手管の素晴らしいシャルドネーが購入出来るだろう。要するに、雑食砂岩であろうが貝殻石灰であろうが黄土であろうが、ジルファーナーにそれ以上のものを望むのが間違っている。要するに国際的な競争力は殆どないだろう。

また辛口と評判のフランケンのリースリングにしても所詮貝殻石灰土壌を特徴としている限り、それ以上のリースリングでないことは端から分かっている。フランケンヴァインのボックスボイテルという丸型の瓶に、その流通上の取り扱い難さに関わらず、拘らなければ商売が出来ないのも事実であろう。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上から臨んで、下から仰ぎ見る

2010-05-24 | アウトドーア・環境
岩山の上まで上がった。高度差五百メートル近くあった。最初の三百メートルがガレていて歩き難くく、汗も掻いた。そこから鞍部へと湿った谷の詰まりのようなところを登り、岩壁の裏側の草原のようなところを再び岩壁の方へと戻ってきた。その辺りから、足元に気をつけるようにと、底知れ無い洞穴が開く石灰岩特有の場所を通過した。登ってきた高度だけ、岩壁基部まで深い。ケーヴィングをするとしてもかなりの深さになることが知れる。その洞穴から今度は地上へと流れる水が自然の炭酸水になっている。昨年はじめてケーヴィングらしきを体験したが、そこまで下へ深いとなると戻ってくるのも大変そうで、あまり入ってみたいとも思わない。特に山の中で下向きに穴が開いているようなところは、上から落ちるものも下に溜まっているだろう。自らも塵やその他と同じように落ちて行くのは嫌である。

フランスの仲間から面白い話を聞いた。姪が名古屋に行って日本語を勉強してきたと話していた。既にフランスに戻って仕事を探して居るようだが、日本滞在中に家族なども日本見物をしたようで、どうも上高地周辺も訪ねたようである。最近は、経済活動の重要さから中国学に人気があるとおもいきや圧倒的に日本学や日本語への興味が高まっていることを肌で感じている。一つには漫画の影響もあるのかも知れないが、中国への一般的関心がそのまま日本の文化的特殊性への門戸を開いているようである。中国への関心が急に萎えて、それが日本学へと向わせる構造も面白い。マコンの仲間には東京駐在をした息子の父親も居るが、我々の仲間に同じように横浜駐在をした友人を訪ねた人の弟も居た。いづれは、日本アルプスで独仏友好の集まりをしなければいけないと冗談も出るほどである。

参照:とても面白い文化的な繋がり 2010-05-02 | 文化一般
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

煙に捲かれるナルシスト

2010-05-23 | 生活
ナルシスの群生を彷徨った。水仙の群生などはそれほど珍しくはないと思うのだが、そこはアルプスにも近い、天気さえ良ければモンブランを望むことが出来るジュラの千メートルも越える高地のことであった。確か、関西では淡路島の水仙などが有名で、日本での最後の初夏だったかそのあたりをマシーンにかかる塩水を気にしながら二輪でツーリングしたのを思い出す。その気候の相違には少なからず繋がらない面がある。

フランスの旅では、もう一人の仲間が病に侵されていることを聞いた。詳しくは誰も語らないが、彼はチェーンスモーカだったから肺癌に違いないだろう。最後にあったのが一月末であったからそれから病巣が発覚したのだろう。年齢も癌年齢の最初の方にあり、体力的には老齢化している感じはなかったのだが、彼自身の独特のいらいらするような心理状態を思い出して語る者もいる。

私自身は、最初からそうした印象を彼に持っていて付き合っていたので、その点には特に気にならなかったが、そのいらいらと比例するような感じでタバコだけでなく葉巻まで岩壁の上で燻らす状況には特に注目していた。なるほど何十年も前の山の仲間ではザイルで人を確保しながら一服していた光景は極一般的であり、テントのなかでも燻らしていてもそれほど大きな問題とはならなかった。それどころかマリファナらしきものまで持ち歩いているヨセミテ帰りのヤクザな者も居なくはなかった。

しかしそうした状況は大きく変って、山の中で煙草を燻らす者も今は少数派となっている。だからか彼が燻らす煙が少しは懐かしさも誘ったものである。手元に彼が岩壁の上で燻らす写真がある。そう言えば、彼はクルニーでは裸で宿舎の玄関を歩き回っていてカウンターの中の女性に叱られていた。病気の彼のことと同じぐらい、朗らかで人気のある彼の奥さんのことを語る者が多い。誰もが同じようにその夫婦のなんとなくアンバランスさが気になるようで、言後にそうした雰囲気が強く感じられる。

他の集まりでも同じような年頃で肺癌を宣告されて一切治療を断念して、直ぐに退職した者が居る。我々の前に態々顔を見せることは無くなったが、大分前に元気にしていると聞いた。術後の予後が無い分、元々体力があり運動していた者ならば、現在の症状さえ悪くなければ日常生活はそれほど変わらないのかもしれない。詳しくは知らないが、それ故に却って彼の場合はかなり症状が悪化していたとも想像される。

気象の座学などがなかなか呑み込めなくて苦労していた彼の姿を思い出すと、大変心労の多いだろうその奥さんとともに大変気の毒な気持ちになる。嘗ての山仲間と異なり、それほど高齢でもないのだが、山に逝くというよりは病に倒れるというのが廻りに多いのもどんなものだろうか?自分がそのような仲間に入っているというのが気に入らない。



参照:
水仙…ナルシスの花の香 (壺中山紫庵)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とっても危険で、ちょっと面白い

2010-05-22 | 雑感
とっても危険な回転車に引っ張られる緩んだベルトをヴィデオ撮影した。マフラーでも引っかかれば、其の侭持っていかれるだろう。フランス語の分からない親仁達が覗きこむ。まるでスプラスティックな映像を見るようでちょっと面白い。



参照:
観光資本化されている近代工業 2010-05-21 | テクニック
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

観光資本化されている近代工業

2010-05-21 | テクニック
南ジュラ山地のセルドンという町で遊んだ。そこはロゼーのシャンペンだけでなく、銅細工で有名である。その工場を見学した。驚くのは、近代が其の侭残っている工場である。二十世紀の初めにはまだ何十人もの人が働いていた、そのままの工場で今も観光客を相手にしながら生産を続けている事である。ドイツでは考えられない初期近代化其の侭の、太い皮のベルトが撓みながら回る光景をはじめて見た。

それを其の侭観光客を入れて動かすところも大胆極まりなく、フランスは凄いなと思わせる。恐らくフランス人にとってはああした施設は老朽とは映らずにクラシックと映るのだろう。とても危険なのであるが、事故が起きた様子もない。我々の仲間が、「どうもフランス語が分からないようですね。注意して上げてください」と声の大きなドイツ人として注意されていた。日本人から比べると遥かに注意深そうなドイツ人でも、ここへ来ると殆ど呆けているようにしか見えないから面白い。

辻調の辻芳樹さんか誰かがここを訪れているようだ。なるほど手で打った銅の鍋類は三つ星レストランでは欠かせない調理道具なのだろう。我々素人には手入れもあり大変使い難そうだが、細かな火の使い方が出来るのだけは良く分かる。

最も興味深いのは、その動力を水車から引っ張っている動力系で今でもそれが使えるようになっているのは驚いた。水車小屋などは結構頻繁に見ていて、近所にも無いことはないのだが、そうした製紙工業や粉付き小屋のような実際に使われている施設は、産業自体の崩壊から殆ど跡形もなく無くなっている。その点で、フランスの山奥でこうしたものが、再び観光資源件特産物として産業になっているのはとても面白く。それが近代工業であるというのが、結構この二十一世紀の今日を映し出しているようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その質に至っていない企業哲学

2010-05-20 | テクニック
先日のフランス行の行き帰りはレクサスのSUVに乗せて貰った。400hとか呼ばれるハイブリッド車である。何よりも良かったのは町走行などの流しの時のノッキングすれすれにエンジンが吹かない快適さと、僅かにアクセルを戻すときに充電してくれる心理的な嬉しさ、山下りのエンジンブレーキ充電の楽しさだろうか。

正直、車としては、ブレーキの制御も悪そうで、環境音の音作りも全く出来ていないので、高級車として求められる品位は無い。更に座席ももう一つ上手く合わせる事ができなかった。車高が高い車なので弾くようなアルファロメオ的なバネの造りは仕方がないが、同じような価格で空気ばねを使う高級車がある事を考えれば決して割り安な車ではないだろう。

それにしても、ハイブリットの複雑な制御は見事なもので、初物を出す限りそれだけのソフトウェアーの不良はあって当然と思われ、その制御が完璧になるには大分の年月と事故が不可欠なのも理解出来た。エアバス社の初期のコンピュータ制御が不良で大型旅客機が墜落したのも記憶に新しい。

少々の犠牲者が出ようとも保証金を支払うことで、パイオニアワークを市場で定着させようとトヨタが考えても、それに見合うだけの十分なほどの市場があるならば不思議では無い。

しかし、そうした企業精神や開発の方法や哲学は、どうしても好きになれない。それは丁度その車が高級車として今一つその質に至っていないことと相似しているように思われる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キリストの昇天に飲む「神の棺桶」

2010-05-19 | ワイン
フランスへ持って行ったヘアゴットザッカーは好評であった。特にワインを知っているフランス人からは、かなりの評価を頂いた。グラスを掌で包むように香りを楽しみ、パフューンなそれを確認した者もいた。如何にフランスの白ワインではなかなかここまで多彩でありながら、自然な香りを放つものは無いであろうことを示した情景であった。まさに辛口リースリングの真骨頂である。

もちろん私の魂胆には、地元民であるドイツからの仲間に、現在のミッテルハールトのリースリングが到達しているその高みに目を開いて貰う目的があり、これも予想以上に成功した。「ダイデスハイムからフォルストへの地所はもっともドイツで重要なグランクリュだろう」と、バート・デュルクハイムのワイン醸造所の娘に言わせた時は、我が意を得たりと思った。

地元に住んでいても、スーパーで適当なワインを購入したり、敷居の高く無い農協へと出かけて安いワインを試飲購入するのが普通であるからだ。もちろん経済的な背景もあることであり、地元の者にとってはワインなどは必需品の一部であって、嗜好品ではないので、価格が大切である。

しかし、同じような価格帯でも、そのワインが美味いとか不味いとかの議論を越えて品質に目を向けるとき、その質の違いに誰もが気がつくのである。当然ながら、それだけの苦労をして育てた葡萄であるからそれだけの価値はあるのだ。

また、ドイツ語のグローセスは、フランスのグランに比べるとそこまでの意味合いがないので上手くいかないと言う批判もあったので、それはクリストマンVDP会長にも伝えたいと断わっておいた。しかし、現実にはそうしたワイン、つまり現在のグローセスゲヴェックスの達している域が分かって無いだけではないかと逆に考えた。ワインを知らずに何を言っても始らない。まるでフランスのグランクリュワインの世界と同じである。

ジュラの石灰岩の岩場で一日楽しんだのであるが、その足元にはシャンペンになるロゼが植えられていて、多くは古い葡萄であった。モーゼルなどと同じで頻繁に植え替える事が出来ないからであろう。そのシャンパーニュ風の発泡酒は飲む事はなかったが、何時かそのセルドンと呼ばれるものを口にすることもあるかも知れ無い。高度も五百メートルにいたる高地であり、酸は十分であろうが、その土壌は所詮石灰であり、それ以上のものでは無いのは地所を見ていて良く分かった。

嘗ての仲間であり、既に亡くなっていた共通の友人が「いつも炭酸割りのリースリングを飲んでいたな」とその想い出話をしながら、「悪いワインを飲むには、人生はあまりにも短過ぎる」と言って、お互いに堅い握手を交わしたときが今回の旅行のハイライトだっただろうか。




参照:
やはり経年変化の少ない酒質 (新・緑家のリースリング日記)
(前編)ドイツワインの会 by yokunさん @銀座房's
(中編)ドイツワインの会 by yokunさん @銀座房'sさん
(後編)ドイツワインの会 by yokunさん @銀座房'sさん (くまさんの食日記)
ドイツワインの日本での現状について思っていること (ヨーロッパ、ドイツワインについてのいろんなこと)
シャルドネでは世界最高峰とされる畑の前迄やって来ました。 (saarweineのワインに関してあれこれ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徐々に回復して来た腹具合

2010-05-18 | 料理
昨日とはかわって、今日はまた肌寒く、雨となった。昨日まで滞在していた南フランスも同じようであった。今日も同じであろう。

温度が低く、雨がちらつく週が続く。六月にあるような蒸し暑い雨でなくて、肌寒い雨である。暖房が欠かせない。その点は、アルプスに近く、高地とはいえ、ジュラ地方は暖かめであった。それでも岩壁の上まで高度差四百メートル以上を登り、地面に深く開く石灰岩特有の洞窟の穴を避けながら、村に下りて来て、再び態々滝の下まで滑り易い右岸を歩きながら辿り着いたときには完全に体が冷え込んでいた。

幸運にも前日に石灰岩の岩登りゲレンデを楽しんで、夜遅くまで打ち上げをした翌日のその日から、腹具合が特に悪くなった。体が冷え込むと下痢症状に近くなるのは毎度の事であるが、前々日の食事に出た白身魚のフライも腹に応えたのかもしれない。更に振り返ると、初日の晩飯に遅れて、中途半端なものしか食せなかったのことから不順な食生活が始った。

今回の宿泊は、夕食付きで、一泊32ユーロとかなり安かったのであるが、かなり大きな町に泊まったにしては、そのスポーツセンターでの夕食はかなりお粗末なもので、学校の食堂のそれよりも悪かった。皆、一様に口にする、「フランスで経験した最も悪い食事」には異議が無いであろう。

フライ類の揚げものが多く、まともな肉は一度も出なかったどころか、まともな野菜も一度も出なかった。今や何処の山小屋でも新鮮な野菜を欠くことはないのだが、フランスのナショナルチームを迎えるスポーツ施設の食堂としては驚くべき献立内容であった。

米食や烏賊リングなどは、その前に宿舎でプファルツからの肉類で前菜とした事で腹が膨らんでいた事もあるかも知れないが、残飯の続出であった。白身魚のフライも味付けは悪くはないのだが、無料の赤ワインをがぶがぶ飲みたくなるほどには美味くないのである。付け合わせはほうれん草であったが、これもあまり評判は良くなかった。やはり生野菜の新鮮さに欠けたからだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする