クリスマスの待降節が始まり、各地で慈善鍋などの寄付活動が寒波の中繰り広げられている。パキスタンの地震では、津波被害時のような充分な援助が集まらないとアナン事務総長が溢している。前者の方が寒冷で厳しい冬を忍ぶ事が出来ない人が更に多く居るに違いない、後者のように全貌がメディアで伝えられて先進国からの多くの観光客が犠牲になったのとは大きく異なる。メディアの影響力の強さであると共に、平素からの交流やコンタクトの少なさが、このような不公平を生んでいる。
ここのところの寒波の到来で欧州の各地で被害が出ている様で、何も厳しい環境の中で危険な状態の人々が居るのはアジアの被災地だけではない。公的な社会の力の及ばない所は、世界の何処にでも存在するのである。行政は出来る限りの手を打たなければいけないのは当然であるが、そのような手落ちを放任している社会構成員其々に責任があるのも事実なのである。これは、なにも地域の問題ではなく地球規模の問題である。
先ごろ、以前に纏めた中国政策に関するコールハンマー氏のFAZ紙掲載の記事を、また其れに対する
在ベルリン中国大使館の
抗議文章を、メールで転送するために整理した。
「中華人民は侵略戦争の被害者であり、平和の重要性を知っている。日本を含む近隣諸国との共存に全力を挙げている。…この編集は、このような平和へ向けての我々の希望を無視して平和な協力関係への我々の努力を誹謗した。編集者の視点においては、被害者への侵略者と債務への苦悩者が、我々が決して受け入れる事の出来ないものとなっているのである。」
上の抗議は、9月2日付けでなされて、今回はその編集者の一人でありここでも紹介した張本人の一人ジーモンス氏が
北京から記事を投稿している。「中国人から我々は何を学べるのか」と副題をつけている。中国の資産格差は世界で有数の域に達しているのだろう。中間層が育って来つつある一方、最高級乗用車が世界で一番売れて、その一方その日の生活も儘ならず人身売買する貧民も数知れず居る。北京の文化状況も「ビル・ゲートとレイ・フェン」が現象を定義付けるとする。前者は、ハイテクの将来とその経済的成功が自分身らの生活の希望の鑑として映っている。後者は、「日本帝國の修身の本に載っていた死んでもラッパを離しませんでしたの木口小平」の赤軍における同僚で、社会の歯車や螺旋となることを良しとする人民の鑑として映される。両者を立ち並べたところに中共が存在するという。実際に、DVD等の正式版が発売される前に店頭に並ぶ1ユーロ相当の海賊版のコピーの山に混じって、「レイ・フェンに学ぼう」のTVゲームが発売されているという。
二十年代の「抗日5月4日運動」と八十年代の「天安門広場虐殺で終焉を迎える民営化」の始まる時代を対照させて、後者の時代を真の現代としている風潮が多いようである。また文化革命を時刻0秒とするのは思想的に解放された後継者が初めてなせた事であって、逆に九十年代の理論家や芸術家が好んで試みるように、「文革を行き過ぎた現代」としてその後の「対極化の中で乗り越えた」と理解するべきであろうか?と大きな疑問符が呈される。これは、九十年代を成り行き任せの時代とする論調に対応しているようだ。
実際の問題は、中共がアジアを個別外交によって制して、イスラム圏を多く抱える第三諸国とも 伝 統 的 に強い関係を築いて居り、アフリカ諸国では経済援助と経済投資で新植民地主義の政策を採っている事である。特に最近では、アフリカ人を奴隷のように10時間以上働かす中国人企業家が批難されている。中共は、グローバリズムの掛け声の下、国内の貧民層を底上げする為に発展途上国で搾取を繰り広げているらしい。それ故に、先ごろロシアにおいてネオナチのごろつきがアフリカ人留学生を襲っているとして、プーティン大統領がTVスタジオに呼び出されていたが、これなども中国の国際戦略を考慮すると、クレムリンが決して放っておけない政治問題なのである。
これは、国際的な人権問題としてだけではなく、国内の汚職や拝金主義への思想・規律問題と並んで、中共のエリート層に懐疑を引き起こしている。その社会システムは、ポストモダーンの非西洋文化圏を抱擁する思潮においても、テクノロジーとセットにして与えられるものである。中国の問題は、共産党の支配が依然として強いながらも、その思想的裏づけが弱まり尚且つ民族主義的な風潮を鼓舞していかなければならない事にあるのだろう。これが、官僚などのエリート層や知識人層と高学歴化していく一般民衆などの社会の様相として、本年の対日デモの時に見られたものではなかろうか。
中国政府にとっては南北問題は明らかな政治戦略であって、中国人が慈善などの精神行動を理解して、与えられたテクノロジーの恩恵からの富を公平に分け与える社会システム構築に、その精神を率先して生かして行く事は考え難く、今後も期待薄である。しかし、そこにしか国内のみならず国連などの国際機関の根拠と土台は無いのである。思想的方向性も議論も生まれない所では、六千年の歴史を繰り返していくだけしか能はない。これが、中国が対外的に中華思想を根拠とした覇権主義を、その先進の技術力と合理的な経済運営方法で強化した軍事力と経済力を以って、展開していくとしか思われない理由である。
大使館が抗議したコールハンマー氏の論調自体が、ポストモダーンの歴史観と言われるもので事象を極化させることで、それらを実体化させる多少の影の強調は致し方が無い。極東の民族主義者を吊るし上げて、彼らに扇動される利己的な民衆に問うているのだろう。「一体何のための合理化と効率化のシステム」なのだと。
それは恰もヴァーグナーの楽劇「神々の黄昏」で、その魔法の指輪を手に入れた者に「世界の災いが宿っているのです」と警告する様にである。
参照:
ポストモダンの貸借対照表 [ 歴史・時事 ] / 2005-09-02
終わり無き近代主義 [ 文学・思想 ] / 2005-09-03
根気強く語りかける [ 文化一般 ] / 2005-11-17
三角測量的アシストとゴール [ 歴史・時事 ] / 2005-07-01
新年の門付け [ 生活・暦 ] / 2005-01-06
連帯感膨らむ穏やかな午後 [ 歴史・時事 ] / 2005-01-03