Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2009年1月

2009-01-31 | Weblog-Index



教皇の差し出す巨大な鏡 [ マスメディア批評 ] / 2009-01-31 TB0,COM0
もう一寸濃いのが欲しい [ 試飲百景 ] / 2009-01-30 TB0,COM0
緑への細やかな手順 [ アウトドーア・環境 ] / 2009-01-29 TB0,COM0
急遽夜なべして繕いこと [ 生活 ] / 2009-01-28 TB0,COM0
真っ赤にいこる夏の火鉢 [ 女 ] / 2009-01-27 TB0,COM0
新極右翼親仁に学ぶこと [ マスメディア批評 ] / 2009-01-26 TB0,COM0
素朴さ炸裂のトムちゃん [ マスメディア批評 ] / 2009-01-25 TB0,COM7
移住する衣に適う身体 [ 生活 ] / 2009-01-24 TB0,COM0
開かれた陽画の舞踏会 [ 音 ] / 2009-01-23 TB0,COM2
「I have a dream」の効用 [ 歴史・時事 ] / 2009-01-22 TB0,COM4
休肝日は化学療法日 [ 生活 ] / 2009-01-21 TB0,COM3
幼児化の文化教育政策 [ マスメディア批評 ] / 2009-01-20 TB0,COM4
言葉さえ浮かばぬお料理 [ 料理 ] / 2009-01-19 TB0,COM4
週末に出会う人の面々 [ 生活 ] / 2009-01-18 TB0,COM0
凍て付いた果汁の古木 [ ワイン ] / 2009-01-17 TB0,COM2
べとべとしたミルク煮米 [ 生活 ] / 2009-01-16 TB0,COM0
ネット演奏会の幼児保育 [ 文化一般 ] / 2009-01-15 TB0,COM0
尋常ならない拘りの音 [ マスメディア批評 ] / 2009-01-14 TB0,COM0
サウナに入って飲みたい [ アウトドーア・環境 ] / 2009-01-13 TB0,COM0
天を仰ぐ山寨からの風景 [ 文化一般 ] / 2009-01-12 TB0,COM2
半日の作業で得たもの [ 音 ] / 2009-01-11 TB0,COM0
PC飲酒運転の事後処理 [ アウトドーア・環境 ] / 2009-01-10 TB0,COM0
押さえられた雪上の音 [ 音 ] / 2009-01-09 TB0,COM4
無兜・飲酒への恐怖 [ マスメディア批評 ] / 2009-01-08 TB0,COM0
冷気に彷徨う一時間 [ アウトドーア・環境 ] / 2009-01-07 TB0,COM2
大脳辺縁系に伝わる記憶 [ 文化一般 ] / 2009-01-06 TB0,COM6
放言、よー、観てみよー [ ワイン ] / 2009-01-05 TB0,COM4
足元の覚束無い散歩道 [ 暦 ] / 2009-01-04 TB0,COM2
感受性に依存する認知 [ 文化一般 ] / 2009-01-03 TB0,COM4
人道的公正への感受性 [ マスメディア批評 ] / 2009-01-02 TB0,COM2
日の出のときだろうか [ 雑感 ] / 2009-01-01 TB0,COM4
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教皇の差し出す巨大な鏡

2009-01-31 | マスメディア批評
ローマ教皇がまた謝罪している。ヨゼフ・ラッツィンガー程腰の低い教授は少ない。今回の件は、所謂破門されていた伝統派の先日来の復帰とその一人リチャード・ウイリアムソンの発言に端を発している。

この21日にスェーデンの放送局に語ったウイリアムソンの、アウシュヴィッツにおけるナチのガス室有無を否定する発言は既にレーゲンスブルク検事局より「扇動の罪」により訴追されているようだ。

当然の事ながらユダヤ教会の批判は激しくヴァチカンとの関係を破棄したが、あまりに稚拙なヴァチカンの外交姿勢が囁かれている。

この右翼グループの聖ピウス十世司祭講は、ヨハネ・パウロ二世の時にも頭痛の種であったようで、1970年にフランスのマルセル・ルフェーブルにより創立されてから、世界で500人の司祭と六十万人の信仰を獲得していると言われる。

フランス革命後の政教分離によるライシテや無神論のナチスのファシズム、共産主義の弊害に対抗する戦いが保守派の考え方の基本となっている。今回の発言の内容は、所謂修正主義者のものと些か違うように響くのだが、それはどうしてだろうか?

先ず前提として、ナチス・ドイツによるホロコーストの事実よりもそれらのイメージこそが大切であり、戦後冷戦構造の中で合衆国発の映像文化などで盛んに共産主義者におけるそれとの重ね合わせが盛んに行なわれたことはある年齢以上の西側に育った者ならば影響として身についている。

個人的にはドイツ民主共和国との係わり合いで、その事実に覚醒する事になったのだが、こうした覚醒なしには実感し難いような大まかな印象操作の方が、大衆高等教育を受けた者に向って差し出される似非実証主義よりも遥かにその影響力は大きい。

人道に反する行為を証明をすることは現在においてもなかなか容易ではなく、なおさら過去に遡るときに遥かに困難であるのは想像できる。旧帝国日本軍の蛮行でさえ書類としての証拠が少ないのであるから、全く異なった次元で精緻に一点の曇りも無く行なわれた国家社会主義思想に準ずるそれに第一次資料がないのは当然なのである。ドイツ帝国鉄道のユダヤ人輸送の書類自体でさえ非常に丁寧に作られていて、必ずしも蛮行とは判断し難いのである。

むしろ、それ故に合衆国を筆頭とする大衆を狙い分かり易く印象を植え付けさせるための専門的な作業が丁寧に行われた事も疑いない。同じような次元で、2001年9月11日の印象は世界のお茶の間で共有されたことも事実であり、如何に大雑把な印象がなににも増して重要であるかはこれで理解出来る。

さて、最近ホリーウッド制作の映画などを観るようになると、そうした大衆が共通してもち得る印象の操作についてどうしても興味を持つようになる。そうした中で、歴史感覚であるとか、世界観とかが形成される過程こそに注目することになる。

今回のローマ教皇の謝罪は、教会の権威を下げることはあっても決して上げる事ではないのだが、事象全体に注目することで「世俗世界」をローマ教会という途轍もなく大きな歴史鏡に映し出すことが可能となる。まさに、ここにカトリック教会の今日的な文化的意味合いが存在する。プロテスタンティズムのみでは、まるで片目に眼帯をつけたようで覚束無いのである。



参照:
素朴さ炸裂のトムちゃん [ マスメディア批評 ] / 2009-01-25
感受性に依存する認知 [ 文化一般 ] / 2009-01-03
テッド・ハガード元牧師が同性愛を拒絶 (虹コンのサウダージ日記)
国家の基礎としての聖書 (作雨作晴)
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もう一寸濃いのが欲しい

2009-01-30 | 試飲百景
2007年産の飲みごろのワインが底をついて来たので年始参りをかねて出かける。特にキャビネットクラスの飲み頃のものがなくなってしまった。年始参りはお客さんがするものではないが、そこは一杯飲もうという魂胆が先行する。

残念ながら一軒目のフォンバッサーマン・ヨルダンでは、新しいものはアイスヴァインしかなかったので試飲しなかった。もう少し気の効く店員ならばお神酒代わりにハーフワイン38ユーロほどのそれを飲ましただろうが、新人はまだ駄目である。どういうややこしいお客さんかは流石に分かっているようだが、まだ修行すべきだろう。結局一セントも落とさずに退散したが、今年は三月に入ってしかそれもソーヴィニオンブランなどが出るだけで、今一つ客引きの方法を考えるべきだろう。

2007年産は、2008年産が本格的に出回る四月まではまだまだ楽しまなければいけないのだ。しかし、多くのキャビネットは谷に入りつつあって、新鮮さも失われつつ熟成もしていない状態となっている。

ダイデスハイムの地所の二箇所を陽の射す中を新調の見繕いで気持ちよく歩いてから、久しぶりにビュルックリン・ヴォルフを訪ねる。前回の訪問は11月に友人の買物につきあったときなので二月も出入りしていないことになる。責任は友人が送ったワインが無事二週間で到着した事を告げなかった無礼千万に尽きるのだ。お蔭でキャビネットクラスの興味ある商品ヴァッヘンハイマー・オルツヴァインをスェーデンの業者にさらわれて買い逃してしまった。

それでも、幾つか試飲する事が出来た。そして日本へ送付のコンディションの打ち合わせも出来た。郵便事情の話となると、どうしてもドイツとイーストアングリア地方との荷物のやり取りの話しになる。

「昔は、ロイヤルメールと言えば世界で一番早くて信用置けたのにな」と言うと、ノーリッチ出身の英国人は:

「民営化で駄目になっちゃったから、ブリティッシュ・レールでも遅れてばかりだし」と、「昔からと違う?」と切り返したかったが言葉を飲むと、

続けて、「オバマがいないからな。あれをやったのはゴードン・ブラウンだからな」と悲観するので、

「それは、色合いの深さが明らかに足りないよねー」の英国流の大笑いをする。

グーツリースリングとゴールドベッヒェルとゲリュンペルとそしてレッヒベッヒェルを試飲する。最初のものに比べて二つ目のものの酸が活きていて、それをゲリュンペルと比べるとやはり物足りなく丸まってしまっている。最後に飲んだものは薬草のようなペトロのような或いは渋味の塩気があって現時点では寝かすために買うのは憚られ、今楽しむよりも分からない先に期待したい気持ちになるリースリングであった。グーツリースリングを試しに二本とゲリュンペルを買うが、あとのものが今も新鮮で美味いのは当然であって、買い付けておきたいが先立つものがない。
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緑への細やかな手順

2009-01-29 | アウトドーア・環境
オバマ大統領は、この月曜日にEPAを訪れた。そして、各州の排出ガス規制の洗い直しプロジェクトの点検を指示したという。特にカリフォルニアのシュヴァルツネッガー知事からオバマ次期大統領に書かれた手紙で、子ブッシュに否認された処置の撤回を求める要望は、その見直し点検の代表的なものになるだろうか。つまり2020年までの目標値を2016年へと繰り上げるを旨の要望が、先の大統領令?を覆して再び受け入れられるかどうかの判断がなされるようだ。

この遡って再び判断が覆されると言う可能性は、例えば農産物の価格上昇を招いた誤まったバイオエネルギー利用の利権構造に乗っかった、自国のみならず悪の枢軸国の利権に纏わる政治家や企業や投資家を悉くドミノ倒しのように否定する政策となる。

今叫ばれている、グリーン・ニューディール政策において、石化燃料からの脱却と同時に、経済危機を脱する雇用や投資だけでなく、経済支援政策の一環として旧産業の生き残りのセレクションがなされることが好ましい。

昨年12月に独緑の党の環境相トリティンが発表した論文がある。それによると市民の生存権に関わる温暖化対策での合衆国の12年間に及ぶ遅れを一挙に取り戻すのは不可能だが、オバマ政権は民主党が過半数を占める議会運営においてもクリントン政権の轍を踏まない様に推進することが肝要であり、EUはそうした合衆国事情を配慮しながら戦略的にオバマ政権に対応する必要があるとしている。

同時に経済危機を言い訳とした、逆行や緩和はEU内にて一切認めるべきではないと、合衆国が本格的にポスト京都条約へと動く必要性を、途上国に実施を義務付ける必要性から強調する。

いづれにしても、オバマ政権が考えないといけないのは、各々のプロジェクトの詳細を発表していく順序や手順であろう。例えば、自動車産業の今後を考えるにしても、環境のレギュレーションと対にして、尚且つ雇用拡大と、環境に優しい新車への援助や古い車の使用禁止などを組み合わせていく細やかな配慮が必要になる。

同時に家屋等の環境に対応した改築や情報社会資本の充実なども巧く組み合わせる事で、最も重要なエネルギー源の転換への科学技術振興への集中を投資環境面からもサポート出来ると言った具合に、EUで成功している環境事業の発展に一段と拍車を掛けれる事が可能となろう。



参照:
ENERGY AND THE ENVIRONMENT (The White House)
Obamas "Green New Deal" von Jürgen Trittin (DGAP)
温暖化への悪の枢軸 [ マスメディア批評 ] / 2006-11-17
「I have a dream」の効用 [ 歴史・時事 ] / 2009-01-22
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急遽夜なべして繕いこと

2009-01-28 | 生活
一週間以上かかって小包がやっとついた。郵便のおばさんに言うと、ネットで配達状況を見たら分かると言われて確かめて見た。ドイツ国内に着いてから配達までの時間は、約18時間ほどであった。つまり同時に出した略同じ重さの同じ箱の小包の双方とも国内所要時間は変わらない。

なぜか英国内でさらに四日間もどこかで彷徨っていた事になる。かつてはロイヤルメールは世界一早い郵便システムとして有名だったが、システムの老朽化や組織上の問題があるのだろうか。その点は北米からの撤退など大きな経済問題を抱えながらもドイツェポストとDHLの民営化された組織は非常に速やかに動いている。

早速、待ちかねたセーターを合わせてみたりと忙しい。なるほどケンゾーの綿のそれは糸番手が細く、伸縮するようになっている。そのため脱ぐ拍子にみしみしと糸が千切れた。フィットさせているので脱ぐのに気を付けないと直に分裂しそうである。早速針と糸を出して繕うが色が違うので目立ちそうである。色を揃えて繕い直さないといけないかもしれない。袖の付け根であるから、地下鉄にでも乗って手すりを掴まない限り見えないかもしれないので、実際上はあまり関係ない場所だ。しかし、最初からこの按配ではどう考えても万年セーターにはなり得ない。何シーズンもつか楽しみである。それにしても素材や手の込んだ縫製からすれば比較的安く感じるのは、1:0.9のユーロとポンドの為替のおかげだろう。

取り分け20ポンドしない商品見本のシャツはお買い得であった。ご用達マークは見慣れたものであったが、包装紙では一つ少なくなっている。良くみるとクイーンズマムのそれが無くなっているからだと分かった。彼女が亡くなったのは、2002年であるから既に約六年間も服を買っていなかった事になる。道理で襤褸を纏っていた筈だ。

ということは、今回展示品としてさらに襟に二つ汚れがあって安売りとなっているのは、やはりそれ以前の骨董品であるとわかる。さらに横に赤い縞が入ってケッターキーフライドチキンのような少々下品な雰囲気だから売れ残ったのだろう。しかし、素材といいゆったりとした裁断といいこれほど快適な仕事着はあるまい。

なるほどこのブランドは細々と三百年以上も英国王室の戴冠衣装を請け負っているのみならず今でも大学は当然のこと英法曹界の正装の作業法衣まで担当していれば固定客層というものが必ずあって、大量生産しないでも商いが成り立つのだろう。崩壊した筈の衣装における権威や階級については改めて考えよう。それとも次の購入希望リストには鬘を書き込むべきか?英国の貴族院議員達も頭に載せているハイドンの頭のようなあれである。

それにしても通常の価格ならば、シャツとセーターが殆ど同じ価格で、安売りになって、そのシャツとタイが同じ価格になっているのも面白い。ドイツの冬はまだ寒いので、厚いロングコートが必要である。腰の紐のほころびも纏り縫いして来年以降の冬に備える。
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真っ赤にいこる夏の火鉢

2009-01-27 | 
外食などはなにが入っているか知れたものではない。外食産業の舞台裏を多少は知っている者なら、その見解にブレはないだろう。中華料理屋などは不潔の極みであって、ゴキブリの飯を別けて貰っているようなものだ。それは商売の材料で生活している華僑家族の経営する店だけではない。中国製は、品質よりもなによりも毒が入っていないと真性ではないのである。日本食材についても何か発言しても良いが、極右親仁のようになるから止めておこう。

中共が早速オバマ政権に噛み付いた。就任を控えたティモシー・ゲイスナー経済相の中華イェンの切り下げを牽制したところから、もう反撃に出たのである。そうした構造は、日本を含むアジア経済が精神的に合衆国経済に依存していて、オバマ政権のプロテクション政策に神経を尖らせているからに違いない。

現にシンガポールの輸出量は12月で前年比21%、タイで15%、台湾にいたっては33%の低下が顕著で、中共政府が大きな危惧をもっていて、手っ取り早い経済対策として切り下げを使うと見られているからである。

なにやら高度成長以降の日本の行政のあり方や保守政治と言われるそれの苦肉の策を思い起こさせる。

勿論、合衆国にとっても中国市場は重要であり、ワシントンの研究所では日本に次ぐ米国の債務国である中国をして「十年前の強い金融状況ではない合衆国の新政権が中国に対する姿勢としてははなは賢明ではない」とする一方、「外務省もホワイトハウスもまだ重要な中国への姿勢を持っていないので早急な判断はすべきでない」として希望を持って辛抱したいとしている。

ヒラリー女史に、ばしばしと、誰も手を出したがらない夏の火鉢の中共に対して、ライス女史と訴追されるラムスフェルド元国防相を合わせたほどの悪役振りを期待するのは私だけだろうか?

中国人はそのみすぼらしい服装で分かるとした偏見が今でも昨日の仲間から聞かれたが ― 良く考えると私の服装の方が遥かにみすぼらしい、それに親中派として答えると極右翼親仁のような話なっていくので思い留まった。
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新極右翼親仁に学ぶこと

2009-01-26 | マスメディア批評
昨日は朝から出かけて日が暮れるまでプファルツの森を歩いて帰ってきた。帰りに右翼発言で顰蹙をかう酔っ払いの親仁に出くわした。あとで考えると、あの親仁には同じように列車で出会った事があるような気がする。なぜか馴染みがあるのだ、次ぎ会うと完全に友人扱いになってしまうようで少し恐ろしい。なんと言っても、おそらく日曜日毎にただのような切符で安い飲み屋に遠方まで出かけて気炎を上げている親仁だから、我が将来の姿を見るようで恐ろしい。今日はなんと公の場所でSS関係者の話題にまで及んだから、タブー無しの右翼野郎である。

離婚裁判で妻の「被害者への同情の安物感情を呼び起こす名演技」の被害者でもある自らの置かれた環境からの激しい連邦共和国や州政府攻撃だけならば、僻みたらたらのルサンチマン心情とも取られ、ただ情けない下らない人物像にしか映らないのだが、その中に唸らされるとまでは至らないが、真実を突いた発言が混じるので始末が悪い。

ドイツは外国人の子沢山のために福祉財源を使って、失業や老人への配慮が足りないとか基本的にはNPDなどの主張と変わらないのだが、そうした理不尽の原因を、「高等教育が大衆化すればするほど馬鹿になる」とか、どこの誰かさんが主張するような意見をぶちかまされると、なぜこの人がこんなに正論を吐くのだと驚かされるのである。

印刷工になる前に生活や趣味のためにワイン作りをしたということで、「農薬塗布のワインに高い金を払うやつがいるのが悪い」とか、「おかしなワインは口当たりが悪くても、あとで頭に来るとか」、「フランスの赤ワインは有機農業でなければ農薬だらけでどうしようもない」とか、「昔は古いワインが良いとされたが、最近は新鮮なワインでなければ飲めない」とか、「レストランで四ユーログラス一杯に払うなら一リッター瓶で買えるわい」とか、これまたどこかで聞いたような事を仰る。

「リースリングの酸は胃に来るから駄目という達が、フランスの農薬入り赤ワインでインポテンツになった」との衝撃珍発言 ― 「甘いリースリングで糖尿病」はこれは私の節 ― もあり、住んでいるワイン街道北端のキルヒハイムのワイン女王シルヴィア・ベンツィンガーの実家のレストランの価格表を見て「樽出しであんな値段は、幾ら有名人のご実家とは言っても払うのがいかんから、価格表を見て通り過ぎる」とか、人に腹の中では笑われるような話も入れながら、トルコ人の重要な商売であるデュナー攻撃に出るところは、なんとなく小泉元首相のポピュリズムに似ていて、本当の右翼よりは質が落ちるが大衆扇動効果はなるほど高い。

「イスラム教徒は我らクリスチャンを憎んでいるからな。あのヨーグルトソースはスペルマが入れてあるんだ。ランダウでもノイシュタットでもバットデュルクハイムでもそれが確認されとる」と来ても、誰もそんな阿呆な事をいいなさんなとは思わずに、内心「それもありえるわい」と思わせるところが、ドイツにおけるモスリム問題の核心を突いているのである。だからこそ、小泉ポピュリズムが大成功して、こうした元も子もない発言が明日からトルコ人の店の売り上げにやはり悪影響を及ぼすのである。

要するにこの親仁の発言内容はよくある安物の青少年がネットで使うような右翼発言の一種なのだが、もう少し考えてみればそれらが殆ど一次証明とか学問とか宣う修正主義者の屁理屈と裏腹であり、ポピュリズム政治家の発言の基礎を支えている考え方やその理屈の展開の仕方である事が分かるのである。そしてそれらを利用しているのが大衆ジャーナリズムと定義しても良かろう。

モスリムにどんな白の一次証拠を用意しろと言うのだ?被害者の人格の尊厳を宣ながら、人格をどのようにショー化しようというのだ?世論を誘導して扇動するために不確かな感覚に訴えかけるのだ。それを、中立という旗印に放置しておくマスメディアとは一体なんだ?

オバマ大統領は、ブッシュ政権の犯罪と国民の判断を訴追して責めるとは言っていないが、しかしそれを決して正当化していないという事が注目されている。上の親仁の口車に載せられそうになった我々仲間の化学博士のおろおろする戸惑いの顔をどこかで見たと思ったら、最近見たトム・クルーズの映画の中であった。



参照:
幼児化の文化教育政策 [ マスメディア批評 ] / 2009-01-20
「I have a dream」の効用 [ 歴史・時事 ] / 2009-01-22
素朴さ炸裂のトムちゃん [ マスメディア批評 ] / 2009-01-25
「一院制」などを煽る一部メディアと小泉・竹中ら (toxandoria の日記)
「“安さだけで買うな”“無駄遣いも必要”と言われても」 (関係性)
オバマは誇大妄想家 (虹コンのサウダージ日記)
ヨハン・ルックの2007年産ジルヴァーナ (新・緑家のリースリング日記)
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素朴さ炸裂のトムちゃん

2009-01-25 | マスメディア批評
トム・クルーズを映画館で二十二年振りに観た。なぜか、ハンブルクでトップガンを観て以来の再会である。生まれてこのかた映画館に十回も足を運んだ事があるかないかの人間としては、大変な頻度であり、映画はトム・クルーズ、宗教はサイエントロジーしかないというぐらいである。

昨年の「ノルトヴァント」に続いて同じ映画館で同じ料金を払って観た「オペラチオン・ヴァルキューレ」は、前者のパロディだかなんだか分からない四流作品に比べる術もなく、超一流のハリウッド作品であった。

映画自体は、制作発表からベルリン訪問やサイエントロジー禁止運動などを通じて話題を追ってきていて、特にクーデターの主人公たるクラウス・フォン・シュタウフェンベルクにおけるシュテファン・ゲオルクの影響などと多くの情報が流されたので無関心ではいられなかった。ロードショウ二日目に出かけた劇場は、その期待に反映した混雑を恐れたが、あのドイツ三流映画とよりは少し多い七人ほどのために上映された。

新聞評やスタッフとの座談会にあるようにシナリオのクリストファー・マキュリーや監督のブライアン・シンガーなどの映画制作の実力とトム・クルーズのキャラクターを魅せつけられたと言って良いだろう。さらにHPでのトレーラーの珍奇な音楽も全く耳に入らず、ドルビーサラウンドを効果音として使わない真の映画表現となっていたのには改めてハリウッドの技術程度の高さを再認識させられた。

FAZ新聞の社説は、全米で一千万を越える入場で韓国など世界中でこの事件の存在を知らしめた効果は大きいと、決してホロコーストの重荷から解放される訳ではないがとしながらも、昨今強く自負している戦後ドイツ連邦共和国が歩んで来た茨の道の成果をここにも見ている。ハリウッドが制作した「何をどのように考えてを描かない、何をしたかを映し出す」典型的な娯楽作品に対して、どうしてここまでの事が言えるのかそれを読んでいく。

先ずはこの映画が慎重に史実を起こしながら余分なものを加えず、極力トム・クルーズの映画としてフォン・シュタウフェンベルクに焦点が当てられた事で、再三に渡る映像化に比べてもその映画技法の秀逸さでハリウッド・リアリズムの最高域に達している。それを通して、同様な嘗ては砂漠のロンメル将軍などの誤まった英雄化とその偶像の崩壊とは一線を隔すクーデターの視点が出来上がっていて、歴史劇としての面白さを思う存分味あわせてくれるからである。

帰路の車中ではいつものようにドイツ・モナキーのヒットラーの神格化への影響が討論されていたが、一体ナチスドイツの多くは保守的であったり、伝統的ドイツへの憧憬を持った元帝国の軍事指導者や政治家、法律家や行政家、一般市民の良心の有無とナチスドイツの紀律を重んじた軍事ファシズム政権の関係に思いを至らせることが出来れば良いのである。

それならばゲッベルスがやったようなプロパンダ作品でしかないのだが、その違いは多くの点で構成的な映画表現がなされている点であろう。一例を挙げれば、シュタウフェンベルクが東部作戦本部たるヴォルフス・シャンツェにて二度目の試みで初めて導火線を切るのだが、その後の非常事態における ― これは軍事に係わらずなのだが ― 組織の命令系列の正統性と法的な正当性においてドミノ倒しのように勢力図が変わっていく面白さをスリル満点に描いている。

多少なりともこうした問題に関心を持っている者なら、ファシスト政権もしくは軍事力によって秩序が保たれている社会におけるクーデターのありかたを考えるであろうし、現代においては強健な軍事力以上に情報や警察力の内務行政によって民主主義的ではない社会が制御されている場合も「目には目を歯には歯を」のレジスタンス活動の可能性が模索される。現実に世界の殆どの民主的な政治が行なわれていない国々ではこうしたクーデターは政治的形態として日常茶飯に存在している。

この映画は、ブッシュ政権下に制作されたが、その得票の集票作業に始まって、その二期目政権においても「多くの良心の政治亡命者」を輩出した。だからこそそこにこうした歴史政治映画が制作された背景があるのだろうが、ブッシュ政権によってまたその傀儡の同盟国の政権を支持した選挙民の責任の取り方をも同時に問うている。

ヒットラー暗殺計画もドイツ人のアリバイとする観方もあるが、今回の映画化では最新の研究成果は活かされなかったとは言うが、名優ケネス・ブラナーが演じるトレチュコフのヒトラー暗殺の試みも重要な動きとして描かれていて、フォン・シュタウフェンベルク自体が人道的立場からユダヤ人迫害と当初から明白であった国家社会主義の暴力性への批判の行動として、政治や軍事的な動機を越えつつ暗殺後の正統的ヴァルキューレ計画を模索した面が十分に描かれている。

非常事態における情報の混乱する中で ― それはまるであの神戸地震の状況を思い起こさせたが ―、判断を迫られる局面が刻々と変わる状況の描き方は秀逸であって、政治につきものの、「もし」、「仮に」という状況が再現されるスリル感は最高級のものであった。時間は流れると同時に演繹的にその責任構造に遡れるのが歴史の記録に他ならない。

そのような意味で現代性をもった娯楽映画なのだが、そうした日々を我々が今日生きている現実をフラッシュバックさせる芸術性をも示していたと評価したい。

通常のドイツ映画館上演なのでドイツ語吹き替えであったが。ケネス・ブラナーのそれを除くとトムの甲高い声よりもドイツ語のそれが正しく雰囲気を伝えていただろう。化粧などもあるにしてもトムは若々しく子供のようにベルリンの外交政策担当アドヴァイザーと写っていた写真を思い浮かべる。新聞が書くように、トム・クルーズは馬鹿ではなくて、自分が出来る事を良く分かっていると批評されている。それでも撮影中サイエントロジーの方向へと導こうとアイデアを盛んに出していたという。冒頭のシーンは出来上がって最後に充分に練られて編集し直されたようだ。あのナイーヴさは、まさに先天的なもので、この映画でも素晴らしく活きていた。


追記:劇中使われるヴァルキューレの音楽はクナッパーツブッシュ指揮となっており、山荘の場面でヒットラーが騙されてヴァルキューレ計画に署名する段に、フォン・シュタウフェンベルクに向って「うううう、ヴァーグナーに造詣があるか?ナチョナルソシアリズムはな、ヴァーグナーが分かってないと十分に理解が出来んのだ」と呟く。



参照:
Operation Walküre – Das Stauffenberg-Attentat
正当化へのナルシズム [ 歴史・時事 ] / 2007-11-29
待ち焦がれた破局の興奮 [ アウトドーア・環境 ] / 2007-12-10
保守的な社会民主主義 [ 歴史・時事 ] / 2007-11-13
どこかで聞いたような話 [ 文学・思想 ] / 2007-08-09
高価な聖水の効用を信じ [ 生活 ] / 2007-04-01
カウチポテトの侍 [ 文化一般 ] / 2006-10-10
日の出のときだろうか [ 雑感 ] / 2009-01-01
「I have a dream」の効用 [ 歴史・時事 ] / 2009-01-22
コメント (7)
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移住する衣に適う身体

2009-01-24 | 生活
英国で購入して貰った衣料がやっと届いた。なぜか同時発送のもう一つの小包はまだである。明日ぐらいには北極回りで届くだろう。月曜日に出して金曜日は驚くほど遅い。嘗ては最も早かったブリティッシュ・ロイヤル・メイルであるが、なぜだろうか?

早速包みを開けるとオヴァーコートが出てきた。小さいのは、カーコートと呼ばれる半コートだからだが、細身と聞いていたが今も使っているバーベリーズのアウトレット商品とは比べ全く小さな感じがするので、厚手のセーターの上に急いで試着してみた。腕周りも腹周りもはちきれそうでボタンを閉めるのすら偲びない。

そこで薄手のサマーセーターに着替えたが、もう一つせせこましい。そしてシャツだけになって羽織るとやっと適切な感じがするが、胸を張ると襟元が浮きあがる。そしてサイズをみると40となっている。

一昨日着ていた紺のダブルのジャケットは、サイズ38で一時はボタンが閉めれなくなっていた。今はきっちりし過ぎながら着れている。どうも生地が横に伸びていて丈などが短くなっているような感じがするようで、やはりそのサイズは今後とも着れない事が分かっている。

早速英国に電話をして、着こなしや大きさについて話ていると、どうも現在万年セーターとして着ているものは今や時代遅れでどこにも売っていないようで、薄手のボディーコンシャスなものがセーターでも一般的になっていると言うではないか。なるほど今世紀に入ってから入手したパリのエルメス社製のそれは伸縮してフィットする薄地の化繊が使われている。

そこで、サマーセーターとは言っても今ゴミ箱に入れる前に着潰すために普段着ているものすら最近の冬物よりも分厚い事が分かった。なるほど、上のコートはそうした薄手のセーターやチョッキなどの上に着るものだと合点が行ったのである。

すると予てから非常に気になっていたG8などで各国首脳がノーネクタイで人前に出る不自然さが、この形のコートで解消される事が分かった。つまり、爺さん連中がチョッキやセーターの上に大きめのジャケットを羽織る風景でもなく、通常のジャケットにスカーフをするでも、タイをするでもない形がこれによって出来上がる。

御贔屓の店の半額セール商品であるが、大きさがハッキリしなかったのと着こなし方が分からなかったので戸惑ったが、その生地の風合いもブルーのチェックの感じも大変良く、今も世界にはああした毛織産業があるのだろうかと不思議に思わせる。私は、スローフードの信奉者では全くないが、こうした趣味はご用命のチャールズ・プリンス・オブ・ウェールズのそれに強い共感を覚える。

二十年以上前に英国に旅行した節にやはり衣料を買ったのだが、その時衣食住の特に衣に関して、日本では身体に合うものが見つからなかったに係わらずそこでは見つける事が出来たのであった。今から考えると大きめの長めのものをゆったりと着ていただけなのだが、日本にはそれに相当するものが皆無だったことは心理的に大きかった。現在でもドイツのそれに比べるとスイス人などと同じように小振りな英国人の衣料は身体に合いやすい。

なにも当時衣食住が移住の前提条件とも何とも考えなかったのだが、親近感のようなものをそうした外国に、全く身体に合わないものしか販売していない社会に比べると覚えるのは当然だろう。それに住の面では、日本の夏の無駄を感じている者にとっては、英国の夏は涼しくて今でも羨ましく思う。ここ十五年ほどはやはりドイツの住居環境から、特にワイン街道の気候からは離れられなくなって来ている。夏らしい夏や冬らしい冬、春の喜びは英国よりもここの穏やかな気候の方がどこよりも楽しめるからである。

洋服のサイズの変遷は、一番太っている時にも着れたものが、イェーガーの春向きジャケットでコンチネンタルサイズ52つまり英米42があり、その前に買ったであろうオースチンリードの茶のジャケットが40となっていて、これは一時ははちきれて着れなかったのだが、今世紀になってからダイエットの成果で普通に着れるようになっている。

その時の大きさが、今後も健康を考えると、上限とすべきだと考えている。現在使っているパジャマが54であることからすれば ― 一時は56を購入していた ―、やはり52か50もしくは42か40となるのだろう。1986年に西ベルリンのクーダムで購入したセーターが48もしくは38であったことを覚えているが、流石にこれは小さくなって着れなかったので早めに処分した。

現在は、誤ったトレーニング法によるのか腹筋肉を付け過ぎて胃のところが膨らんでいるが、これは衣服が痛まない様に一寸落とすべきかと考える。しかし、腕周りや胸回りはトレーニングすればするほど肉が付いて来そうなので、これが悩みの種である。まあ、ボディービルデュングをする訳ではないので、いに適う身体つくりを心がければ良いのだろう。

一緒に入っていた同じ店のタイも素晴らしく展示品安売りとは思えないのだが、最近の流行はこうした水玉にもあるのかと今更ながら驚く。なるほどオバマ大統領も最近の流行のを身に付けていた様に思う。



参照:
Clothing sizes (WIKI)
初夢お買物ウィシュリスト [ 生活 ] / 2008-12-27
フランス風名産品の味 [ 料理 ] / 2008-11-26
欧州からみる和食認証制 [ 料理 ] / 2006-11-03
とても攻撃的な話題 [ 雑感 ] / 2008-12-19
観られざるドイツ文学 [ 文学・思想 ] / 2007-11-07
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開かれた陽画の舞踏会

2009-01-23 | 
ジョルディ・サヴァールとコンセル・デ・ナシオンのコンサートを初めて聞いた。バロセロナ出身の音楽家サヴァールはバーゼルの音楽院で学んだ関係からもっと頻繁に接しているかと思ったが殆ど記憶がない。

プログラム自体は会の性格上バッハのブランデンブルク協奏曲から二曲が演奏されたが予想通りの出来で、その不満度はガーディナー指揮のバッハと双璧だろうか。最後の最後にブーイングも聞かれた。古楽器の演奏上の不安定さ以上にアンサンブルの基本がおかしいと思わせるものであった。要するにバッハの書法とその音楽実践が合い入れないのである。ブランデンブルクの協奏曲の一番とか二番とか呼ばれる編成の多い曲はどちらかというと、管弦楽組曲に挟まれて、人気の薄い曲ではなかろうか。それはなぜなのか?

通奏低音と上声部がコンツェルティーノとリピーノのように適当に漂う一番ヘ長調の好い加減極まりないアーティクレーションの冴えない演奏が続く中で、突如として精彩を放し出したのは四楽章のメヌエットであった。これほどに踊れる演奏はなかなか聞いたことはない。手元にある話題となったラインハルト・ゲーベル指揮の演奏の程度ではなく全く飛びはね弾み、さらに舞曲的なアクセントはモーツァルトのオペラに出てくる舞踏曲以上に影をもって音楽的な深みと味わいを醸し出す。あの楽譜からああした情報を引き出せなかったのはそもそもその舞曲らがあまりにも洗練されてしまって、そこで忘れ去られた土着的なものも本来は含まれていただろうと想像させるに足る解釈である。そうなると牧童や狩のトリオですら、バロック画の黒い背景にしたような牧草やポロネーズや森の情景となって、挙句の果ては牧歌や民族的なものを通りこして殆ど血生臭い風情まで響かせてしまうのだ。こうした演奏実践を体験すると、なるほど楽譜にはおかしなアクセントは付け加えられていないのが不思議で、他の演奏が全く正しくない事をやっているようにしか響かなくなる。それを称して音価にセマンティックな意味合いの有無で、開かれた作品か閉じられた作品かという相違となる。

このメヌエットを体験出来ただけでも価値があったと思ったのだが、期待していたヘンリー・パーセル作曲の「ザ・フェアリー・クィーン」がこれほど優れた曲だとは知らなかった。女王に捧げた曲は数多くあるが、シェークスピア「真夏の夜の夢」の付随音楽であるこれらの曲集で、舞台作品での作曲家の力量をここでも思う存分示している。特にパーセルのミニマル音楽に通じるような作曲技法の妙に、舞台裏から響くエコー効果まで手伝って、一向に満員とはならない大会場のお客さんを唸らすのである。休憩時には未だ発売されていないこの演奏の録音を求める人の列が出来るほどであった。

休憩後に演奏された同じへ長調の協奏曲二番は少なくとも最初の曲よりも会場で受け入れられる要素は強かったが、パーセルのあとで演奏されるとバッハのケーテンで演奏されたこうした如何にも管弦楽のための「閉じられた作品」が意図されていたように響き、反対にバッハが勤めていたプロテスタントの支配的な中央ドイツの文化が察せられて、少なくともこうした視点からするとバッハの音楽が辺境のものに留まっていた意味は実感できるに違いない。

それと対極にいるのが中央ドイツ出身のコスモポリタン作曲家ヘンデルの創作であり、機会音楽でありながらその最上質の芸術性を疑う余地はない。当夜はサヴァールの判断で当時のように様々な楽章が組み合わされてニ長調・ト短調の組曲としてHMV349が演奏された。ジョージ一世の舟遊びの慰めに演奏されたという。現代の庶民はきっと自分の好きな曲順でアイポットにこれを入れて出かけるのだろう。もちろん、ここでもメヌエットのだけでなくブレーなどの素晴らしい舞曲に心躍らせる。現代楽器に限らず古楽器にも散々演奏されて少々食傷気味のこの楽曲であるが、手元にあるマンコスキー指揮の演奏などより遥かに興味深かった。

最後はやはり最も期待の大きかったジャン・フィリップ・ラモーの舞曲を堪能できるオペラ「レ・ボレアーデ」組曲が演奏された。髭が長髪か分からない逆さ絵のような顔付きの打楽器奏者のパフォーマンスが大うけしていたのだが、これこそこれ以上にない舞踏性とそれが織りなすずれた和声感もその醍醐味を見せていた。パーセルの書法に二十世紀の作曲家アントン・ヴァーベルンを想起するとき、ラモーの音楽を同僚のアルバン・ベルクと比較してみたくなるのだが、現代楽器においてもラモーが演奏されたその和声感覚自体がこうして演奏されるとき遥かに示唆に富んだものとなる。

所謂クラシック音楽愛好家は今でもベートーヴェンの交響曲の聞き比べなどをするのかもしれないがそのような作業よりもラモーの古楽器による演奏実践の比較をすれば余程面白いと感じた。私自身、サイモン・ラトル指揮のザルツブルクでのオペラ公演、その手本となった再発見された楽譜の初演者であるエリオット・ガードナーの録音、ウイリアム・クリスティーによる抜粋の演奏会などと結構体験しているのだが、今回のサヴァールの演奏実践は上記の点で一線を隔していた。これならば、ジャン・ジャック・ルソーなどが攻撃した状況も更に実感出来るような気がする。

最初に提示した問いに答えたとは思わないが、この演奏会がネガの形でバッハとその環境の特殊性を十二分に示していて、それはトン・コ-プマンのマルコ受難曲が音楽芸術的な出来事であったように、バッハの名演奏とかそうした行い以上の意味合いがある。アンコールに応えてパーセルのマーチと更に「とても早いコントラダンス」が客席の手拍子指導の下指揮された。この曲を他の演奏と比べるだけでも途轍もなく拍子感覚が異なるのであった。



参照:
試聴22(Conterdanses tres vives)  (jpc)
夜空に輝く双子座の星達 [ 音 ] / 2007-02-27
円熟した大人の文化 [ 文化一般 ] / 2005-01-02
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「I have a dream」の効用

2009-01-22 | 歴史・時事
メルケル首相がグンタナモの捕虜の受け入れをオバマ大統領に申し出ると言う。新大統領のドイツ初訪問はバーデン・バーデンのナトー会議への出席になるようだ。

オバマ大統領の就任式は観なかったがそのあとの昼食会やパレードなどは一部をCNNで観た。エドワード・ケネディー上院議員はカリフォルニアワインを飲む前に倒れたようだ。就任演説は選挙中の演説内容と当然ながら一貫しているので特に触れる事もない様に感じたが、就任直後早速ロビイストへの天下り規制など競争の不公平を助長する秩序を改正し始めた ― 自由経済システムのための必要不可欠のコントロールである。誰もが考えても不公平と思われる真の自由競争への自由市場の活力を妨げる弊害を悉く排除して行くのだろう。所謂利権構造の清掃は暗殺への危険を高めるが、少なくともタブーを明るみにしていく作業は変革の他ならない。

誰もが思いながら実行に移せないまたは「子供のようなと馬鹿にされる発想と思われる」として発言出来ない事を実行に移すには、教科書に書いてあるような基本的な物事に疑問を抱いて基礎から考え試行錯誤と議論の中で進める大変高度で知的な作業が必要になる。オバマ新政権の特徴は、様々な事象をホワイトハウスの中で議論することで、なに一つ議論出来なかった前政権との差がそこに顕著に表れるとされている。問題があれば不可能と思われていることでもよりよい方法を模索して行く飽くなき追求こそが、人類の課題に他なかろう。その方法の形こそが文化であり、文明ともなるのである。

オバマ上院議員の選挙地盤であったシカゴでの政治初めの様子を読んだが、若きオバマは黒人解放運動の最先端でもあったシカゴの政治状況を最大限に使って今日に至る政治基盤を構築して政治力をつけた。オバマ旋風が吹きまくって以降ドイツでは、公共放送も高級紙も直裁には語らないが言語の背後や行間に、ナチスドイツが「解放」されたときから公民権運動までの合衆国がナチスドイツと比較出来るような社会であった事を示している。まだそれから半世紀も経っておらず、シカゴにおける白人居住区内の不動産の黒人への譲渡禁止など黒人ゲットーの法的な裏づけや黒人との婚姻の禁止など、現在においても全米の至る所で見られる差別はドイツ人旅行者が合衆国から持ち帰る土産話として尽きない。

欧州スタンダードである人権意識や社会秩序がオバマ政権によって共有出来るようになるのがなによりもの希望なのである。その点からも奴隷階層からの出身であるオバマ夫人ミシェルの立場や言動は黒人運動家にとっては大統領以上に重要であり注目されている。まだ妊娠やその他このファーストレディーが齎す話題は尽きないだろう。同時にオバマ大統領は、その婦人とのなりそめも読んだが、今後とも「キング博士の夢」を全米に分かり易く告げる手段として最も有効に使うに違いない。

同時に外交などの各々の政策実行においては、其々の担当閣僚が大きな全体方針の中で実務的に進めて行くことは、例えばヒラリー・クリントン外相のイスラエル贔屓を基本姿勢として継承されつつ、イスラム社会の尊重を打ち出しながら徐々に補正されていく事になると言われ、各々の閣僚に責任を持たせる方法は戦術的に非常に利口な方法である。

エネルギー担当の中華系の朱棣文教授のインタヴューの触りも聞いたが、一般的にその社会で常識と言われていることが実際は常識ではないと言う姿勢と、オバマ政権が押し奨めるコモンセンスとよりよい改革へのバランスの取れた変革が優れたコミュニケーションによってもたされるかが最大の問題なのである。

そうした逆転の発想とか容易に呼ばれるものなのだが、移動中のラジオでも聞いたが日本でのオバマ新政権への反応は、国交の回復を期待するイランなどとは異なり、プロテクトな市場への警戒感から不安混じりであるとされていた。黒船以来、西洋の世界秩序世界観を踏襲しながらも、未だに既得権や利権を重視した国政を執り行っている立法府や行政府どころか学術文化人になんら基礎的な問題に挑む知力が欠けているのは嘆かわしい。オバマ政権が採るであろう社会資本の充実の真の意味をすらどうも理解していないようにしか思えないのである。



参照:
ホワイトハウス
心に響く (NEXT DREAM 記憶と記録)
「ナチスと映画」飯田道子 (Mani_Mani)
キング博士の誕生記念日 (虹コンのサウダージ日記)
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休肝日は化学療法日

2009-01-21 | 生活
病気かと言われた。急に暖かくなって体調が優れず。雨勝ちの雪解けの中を歩くのを控えていたからだろうか?暖かくなると食欲は落ちる。それよりもなによりも二日間も休肝日を作っているのは一年以上振りではないか?

一昨日余ったコーラを、誰も飲まないと言うので2,5リッターほど持ち帰った。一つはゼロというライトよりも軽い商品でこれを開けて、もう一本は人にあげようと思ったら断わられた。

どうもコカコーラなどはあまり飲む人が居ないようである。アトランタの本社もあまり業績が良くはないと聞いた事がある。ドイツ最大のコンピューターソフト会社SAPなどはコーラ社があってこそ、そこのデーターベース製作で会社が成り立っているようなものである。発展途上国に更に販路を広げて忍んでいるのだろう。

個人的には、兄がインスタントラーメン世代でありコーラも同じように一時期良く飲んでいたように思う。味の素の毒性やコーラのそれが言われ出すようになってからあまり飲まなくなったと記憶する。初めだけは依存症状があったかもしれないが、直にどうしても欲しいとは思わなくなったのを覚えている。

久しぶりにゆっくり飲んでみて、ゼロの商品ですら後味の残糖感が良くないと思った。ワインを審査するのと同じように飲むと、味は当然の事ながら飲み心地も大変悪く、その常習性だけでなく、従来のタイプは胃が痛くなると言う症状も聞きつけた。確かに、胃が重くなって来てしくしくし出す。炭酸水では出ない症状である。

明らかに高級リースリングとコカコーラでは、健康飲料と毒物入り飲料ほどの差があるようだ。やはり毎日欠かさずにワインを飲むのがもっとも健康に良さそうである。今回の休肝日の後も特別アルコールが抜けたような感じもせずに、平素から比べると寧ろ体がだるく感じた。二日目も一向に差がなく、嘗て感じたような休肝日明けに飲みたいと思う気持ちが出ないのがいけない。

今日は散歩も出来た事であり、リースリングを飲みたくなる食事も準備したので無理にでもコルクを抜く。久しぶりで少し手が震えるが、コーラを飲んだ後でさえ、その自然飲料の風味はなんと素晴らしいかと思わせる。

おかしなケミカルやカフェインの入ったコーラを子供に飲ませるぐらいなら、ワインを飲ませるべきである。きっと脳の成長に良いに違いない。ここに良いお手本が居るではないか。


追記:本文とは殆ど関連はないが、アルコールが抜けている日々に医師の末っ子である幼馴染の消息不明の友人のことを思い出した。最後に会った三十年近く前の浮かぬ顔で表れた。こちらも再会までの間のことをあたり触りない範囲で話をするのだが、どうしてもあまりに変わり果てた話や境遇を耳にするのを恐れて話が噛み合わない。それほど情報を持っている訳ではないが、突然夢枕に立たれ気掛かりになったのである。今現在平安に暮しているのだろうか。
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幼児化の文化教育政策

2009-01-20 | マスメディア批評
日本の戦後民主主義もしくは占領政策の中での教育について東アジア研究所が纏めた冊子があった。小冊子であり内容に興味はなかったので持ち帰らなかったが、その根幹は家庭の教育などの教養によらない教育の大衆化であり、社会主義者の教育姿勢と両輪のようになって進められた教育政策は、米国式の実学による高学歴化への経済社会政策であったと考える。そうした教育の大衆化は、全世界的な傾向であって民主主義政策の根幹にあると同時にそれだけでは民主主義教育にはならないのは当然である。

BLOG「壺中山紫庵」にて「擬似的な二世・三世的な微温状況」として、「少なくとも出世できるのは、二世・三世に限られつつあるという現実が一層、歴然たるものになっている」と本来ならば上記のような大衆化社会が描く理像像とは正反体の現実認識が記されている。社会のあり方を考える重要な視点であると思われる。

同時にネットにおいて小泉元首相の主導で一院制議論へと選挙戦略上の撹乱策戦が始まったと報道されている。現在の日本社会の格差社会を明確にさせた張本人である政治家であるが小ブッシュとは異なり未だに国民に人気があるらしいのでどんな政治家なのだろうかと思う。

なるほど大衆化された国民の世継ぎ政治家等へのルサンチマンを巧く使う戦略で、経費削減や定数削減で従来から言われていた第二院不要論を挙げればベクトルを変換させてそこに不満が集約されて扇動できると考えているのだろう。郵政民営化などのアドバルーンの上げ方と非常に良く似ていてワンセンテンス・ポピュリズムとして、短絡化を押し進めた戦後民主主義教育の衆愚教育の成果を巧く利用している。

英国の貴族院のようなもしくは三部会のような機能が戦後民主主義から消えて仕舞いながらも上のような社会への現実認識が進んでいる状況からすれば、もし一院制を実施するならば、職業の自由に反する「世継ぎ議員の禁止」や「緑の党」が嘗て提案したような「議員勤続年数の制限もしくは当選回数の上限」もしくは「職業政治家の禁止」の条項を設けない限り、権力の集中が強化される。まさに大衆のルサンチマンの利用しながら、定員を減らすなどして権力の集中を意図した立案である。

そうした本質的な議論を第四の権力者達が展開しないのはまさに微温状況の社会であり、エリート教育がなされていない戦後大衆化を象徴する。なにも最近の総理大臣などが軒並み日本人の痴呆化幼児化を象徴しているだけではないのである。

裁判員制度の問題も色々とBLOG「Barl-Karthの日記」で読んだが、ああした市民を代表して裁定する委員を満遍なく選ぶ事が可能ならば、議論よりも採決とコモンセンスを重視した直接民主主義の感覚を取り入れた第二院を構成すれば良いのではなかろうか。各国会毎に無作為に選ばれた有権者が法案の可否を、公聴会風に開かれた第二院で採決するのである。現在問題となっているような給付金も否決されて、なにも国民投票までも必要としない案件に一般国民の意思を直接反映する事が出来るのではなかろうか。

裁判院制度の実態は、既に死体遺棄事件のなによりも商業的な利害を重視した報道姿勢やその裁判方法の結婚披露宴式ショー化への変革に表れているように、伝統的な被害者人格の崩壊と人間の尊厳の矮小化を押し奨める政策のようである。日本がこうした文化的な荒廃と退行現象を著しく示しているのは上記したような教育の大衆化の賜物に他ならない。



参照:
アナクロ“麻生マンガ【世襲内閣】”と“見得きり【世襲男・小泉】” (toxandoriaの日記)
「ナチスと映画」飯田道子 (Mani_Mani)
勲章撫で回す自慰行為 [ BLOG研究 ] / 2008-07-26
外人への機会均等違反 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-07-13
掛け値無しのLA大舞台 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-26
悪は滅びて、善は光り輝く [ 歴史・時事 ] / 2005-09-05
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言葉さえ浮かばぬお料理

2009-01-19 | 料理
独日協会の新年会であった。ただただ皆さんで注文した寿司を食べて、道具屋を出してという集まりである。

昨年は、変り種寿司トルテが出されて、寿司飯でない寿司の不味さのようなものを確認した。今回は、韓国蕎麦?に昆布サラダというちょっと面白いと思わせるものが供されたが、とても評判が悪かった。

準備の段階で昆布の堅さは良しとしたが、蕎麦がすでにもちゃもちゃしていたのを指摘すると、茹でて持ってくる内に伸びたと弁解していた。その時点で、この蕎麦は要らないと思っていた。

レンコンや蟹棒などかなり様々な材料を集めて、大分の時間を掛けて準備したことは明白で流石にそれ以上批判出来ないと誰もが思っただろう。

私の人格を知っているからか、「批評した?」とか聞かれて、「既にした」と答えていたが、正直「与えられるものは拒まないで総て胃に押し込んでしまう人間」が残してしまうという二十五年に一度もない経験をした。

今でも胃に収められなかった理由は分からない。二皿作って、一皿の殆ど手付かずとなったこの料理は一体なになのか?変り種料理は巧くいくことは少ないのだが、これだけ見た目には良くとも誰も見向きもしなかった料理は珍しい。

流石に私も、掛けてあげる言葉さえ浮かばなかったのである。新年から大丈夫だろうか?


参照:塩気の欠けた米国の話 [ 生活 ] / 2008-01-22
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週末に出会う人の面々

2009-01-18 | 生活
週末はケルン・デュッセルドルフで十五年振りほどに過ごす予定であった。客人が航空席の加減で空港から飛べなくなったので先送りとなった。食事処を調べたりして、既に用意できていた口の中はケルツユビールやアルトビーアの苦味が広がった。お天気は暖かくなった分だけ悪くなったので、次の機会に期待したい。

早速、日曜日に出席出来なかった筈の会への出席を連絡して、開いていた旅行鞄を閉じる。出かけるつもりであったから買い置きはないが、出たり入ったりするので大した影響はない。

夜は予定通りの会合に出席したが、明くる日早く出かける必要が無くなったので少しはゆっくりと出来た。今年の地元アルペン協会の予定などが紹介されて、普段はあまり見ない顔ぶれに挨拶出来た。それにしても、色々な催しに参加している内に何の指導的役を果さないにも拘らず顔の広い方になってしまっているのには驚いた。百人を越えるNPOは地元で一番大きな組織である。更に岩登りの仲間が外部にもいる事になる。
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