Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2005年2月 

2005-02-28 | Weblog-Index


逃げた魚は大きいか [ アウトドーア・環境 ] / 2005-02-28 COM0, TB0
首に綱をつけてエスコート [ 生活・暦 ] / 2005-02-27 COM0, TB0
ライキョウ‐白ワインのご相伴 [ 料理 ] / 2005-02-26 COM2, TB0
賢明で理知的なもの?! [ 歴史・時事 ] / 2005-02-25 COM7, TB2
そんなに気を付けないで! [ 生活・暦 ] / 2005-02-24 COM2, TB0
咽喉許過ぎても [ ワイン ] / 2005-02-23 COM2, TB1
微睡の楽園の響き [ 文学・思想 ] / 2005-02-22 COM1, TB2
葡萄種ピノ・グリ [ ワイン ] / 2005-02-21 COM2, TB0
バロックオペラのジェンダー [ 音 ] / 2005-02-20 COM5, TB4
デジャブからカタストロフへ [ アウトドーア・環境 ] / 2005-02-19 COM7, TB2
詭弁と倹約 [ 料理 ] / 2005-02-18 COM4, TB1
お休みの所をお邪魔して [ アウトドーア・環境 ] / 2005-02-17 COM4, TB1
咽喉から手が出る [ 料理 ] / 2005-02-16 COM0, TB0
切妻のドアをそっと開け [ 文化一般 ] / 2005-02-15 COM3, TB0
自宅よりも快適な車内[ 歴史・時事 ] / 2005-02-14 COM0, TB0
不毛の土地の三つの星 [ テクニック ] / 2005-02-13 COM4, TB1
強精ビールとチョコレート [ 料理 ] / 2005-02-12 COM0, TB0
現代人の断食 [ 数学・自然科学 ] / 2005-02-11 COM5, TB0
高地の寒い冬を埋葬 [ 歴史・時事 ] / 2005-02-10 COM4, TB1
灰の水曜日の前に [ 文化一般 ] / 2005-02-09 COM6, TB1
非俗物たちのマスケラーデ [ 文学・思想 ] / 2005-02-08 COM0, TB0
アレマン地方のカーニヴァル [ 生活・暦 ] / 2005-02-07 COM16, TB8
また次の機会にね [ 女 ] / 2005-02-06 COM2, TB0
黒い森のスキーサーカス [ アウトドーア・環境 ] / 2005-02-06 COM6, TB1
マイン河畔の知識人の20世紀 [ 文学・思想 ] / 2005-02-04 COM2, TB0
ワイン商の倅&ワイン酒場で [ 文学・思想 ] / 2005-02-04 COM2, TB0
タペストリーの12ヶ月 [ 生活・暦 ] / 2005-02-03 COM5, TB0
「ワイン飲み競争の絵」デジタル登記 [ 歴史・時事 ] / 2005-02-02 COM4, TB1
ワイン療法の今昔 [ ワイン ] / 2005-02-01 COM6, TB1
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逃げた魚は大きいか

2005-02-28 | アウトドーア・環境
珍しく、未明から吹雪いて消え切らぬ雪に更なる積雪を見た。アルゴイ地方のオーバストドルフへと、深雪を滑りに行く計画変更を余儀なくされた。日曜未明の道路は、除雪されてなくてスキー場近郊の景色のようである。轍を作りながらバイパス道路に出ても、アウトバーンに出ても状況は変わらなかった。6時過ぎの幹線アウトバーンも一面雪景色で、車線ラインが一向に見えなかった。この巡航速度では時間が掛かり過ぎリスクが高い。

目的地を変更して北シュヴァルツヴァルトのバーデン・バーデンを目指す。夜が明けた日曜の町も交通量は少なくひっそりとしている。そこから国道500号線を登り始める。下りのことは考えずにカーブからカーブへと慎重に高度を上げる。メーリスコップと云う小さなスキー場に到達。Tバーリフト設備は停止していて、客待ちをしていた。クレジットカードで、€15の4時間券を購入する。相変わらず雪足が衰える様子はない。外気零下摂氏8度以下であった。新雪の湿度は高いが、気温が低く満足の好く条件であった。そのお陰で一枚斜面に関わらず、飽きずに時間の限り楽しんだ。

夜間吹雪いた事で、早朝の出発への緊張も手伝って、ベットの中で風音にそっと耳を傾けていた。昨年夏のオッツタール山行でのブラスラウワー・ヒュッテの夜を思い出す。翌朝、同行者全員にとって技術的に可能な限り最も興味ある頂を目指す夜だった。未明に稲妻が輝き、地を揺るがす雷鳴が轟いた。寝たふりをした一隊は固唾を呑んで状況を見守っていた。夜中の狸寝入りである。そうして時間が経過する中、洗面所へ向かう序でに小屋から戸外へ出てみた。深く雪が積もって、漆黒に白いものが激しく舞っていた。

「逃がした魚は大きい」と云う言葉がある。しかし、目標の実際を熟知しているとあまり惜しいとは思わない。代償効果も働く。代償行動を生むためには、本来の目標の本質を正しく計れなければならない。錯覚を起こさないための情報量が鍵を握る。未知なるものへの期待と錯覚は紙一重である。期待よりも分析が必要だ。

今冬の一番の冷え込みのようである。イタリア料理屋の今日のお勧めは、魚と野菜のグリル盛り合わせである。フェンネルなどの野菜も素晴らしい。白ワインのフラスカッティに美味であった。逃げなかった魚は小さい。



参照:
旬のフェンネル [ 料理 ] / 2005-03-21
ライキョウ‐白ワインのご相伴 [ 料理 ] / 2005-02-26
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首に綱をつけてエスコート

2005-02-27 | 生活
郊外の幹線道路から町へ入るところに、50キロ制限の交通標識とその下に「狂犬病注意」の標識を良く見る。犬を飼っていないのであまり良く知らないが、このような標識は森の中にもあり「エキノコックス」への注意を同時に呼びかけている。それらは大抵、犬などを散歩させて自宅へ帰る道もしくは森を彷徨するために車からおりて歩き出す所などにある。

狂犬病は、ギリシャ神話にも多数扱われる程恐れられていた。ギリシャ人やその後のローマ人医学者の検証なども多く残されていて、これだけで大きな研究対象になるようである。野良犬狩りや祭りなどが記されている。聖アウグスチヌスは、「狂犬病は悪魔の仕業」との意味付けた。これに対して塩とパンを祭られた聖フベルトスが狩人や守る事になっている。

人間に感染して「人間性が変わって凶暴になる」、「涎をたらす」、「水を怖がる」などの症例を経て死に至る。ヴィールスによってもたらされる病である。パスツールによって予防接種が行われるまでは、犬の舌の駆除をするに留まった。18世紀には、フリードリッヒ王によって大々的に予防策が講じられている。

現在でも主にアフリカやインド・中国では年間四万人から七万人が犠牲者になっているといわれる。欧州内での死亡者は年間30人程度で、ドイツで最も新しい犠牲者は12年前に遡る。狩猟林業関係者よりも農業関係者を中心にバイエルンなどでは更に数人の感染が伝えられている。同じように狐を初めとする野生動物が感染源となるエキノコックスの幼虫も一旦体内に入ると駆除出来ない事が知られている。

シュピーゲル誌の最新刊を待合室でぱらぱらと捲った。驚いた事に26歳の女性が臓器移植手術で狂犬病にかかって死亡したというのである。移植で高名なハノーバーの医学高専病院で、アメリカから迎えた狂犬病の専門医の処置の甲斐もむなしく死亡した。マインツの大学病院の話が載っている。臓器手術の症例が増えれば、成功率も高くなり、死亡率は減るのであるが、最近は「失敗例」が急増しているという。臓器ドナーの不足で、不健康な臓器提供が増えている。麻薬常習者やHIV 陽性などはルーティンの検査で分かるが、死角にある狂犬病などは一刻を争う移植では十分に検査出来ない。専門家諸氏に対応と考え方を伺ってみたいものだ。

野生の動物は、出来る限り隠れて都合の悪い遭遇を避けるものである。つまり、野生の小動物が攻撃性をむき出しに噛み付いてくる時、その動物が狂犬病にかかっていると思わなければならない。ハノーバーにはライネ(Die Leine) と云う川が流れている。これをもじった言葉遊びがある。

Wo führt ein Mann die Frau an der Leine? (男が女性をライネ川沿いにエスコートするのは何処?)

これは、

Man führt den Hund an der Leine。(犬に綱つけて散策する)

と掛けたものである。普通はハノーバーと答えるのだが、今回は実にお気の毒な事例と交差するので卑近な例を参考に回答と質問を変えたりして遊んでみる。
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ライキョウ‐白ワインのご相伴

2005-02-26 | 料理
今更、食べ物で驚くようなことはないと考えていた。思い上がりであった。初めて意識してフェンネル・ウイキョウを食べた。緑の種として香辛料に、特に花粉は天使の香辛料と呼ばれて貴重らしい。お腹に優しいハーブ茶として、ペパーミントとミックスして飲んでいるが、野菜として食べた覚えはなかった。肉厚の球根を塩水で茹でて食した。

本来地中海の植物のようだが、中世には修道会の園で育てられた。ラテン語の藁foeniculum vulgareから名づけられている。アニスやクンメルもこの一種と云う。

何故驚愕したかと言うと、白ワインにこれほど合う野菜は無いと思うからである。殆んど分からないほどの苦味と、煮た薄塩が好いのである。ソースも何もいらない。湯から上げてそのまま食したら良い。

白ワインもブルゴーニュからアルザス、リースリング、グリューナー・フェルティナー、イタリアワインからギリシャワインまで何でも良いだろう。特に、ピノ・ブランやヴァイス・ブルグンダーなど酸味が少なく往々にして苦味のある白ワインも是非試してみたい。



参照:
旬のフェンネル [ 料理 ] / 2005-03-21
逃げた魚は大きいか [ アウトドーア・環境 ] / 2005-02-28
一杯飲んでタミフル要らず [ その他アルコール ] / 2005-11-21
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賢明で理知的なもの?!

2005-02-25 | 歴史・時事
オペル工場一時操業休止といってもGMの意向ではなかった。米大統領の訪問の空前の警戒のためであった。何も熱狂的なマインツ市民に揉まれたケネディー大統領の訪問を思い出さなくとも、父ブッシュ氏の当時の冷めた歓迎が思い出される。その少し前にゴルバチョフ氏をスパイヤーに訪ねた時の絶大な関心と違い、父ブッシュ氏はある日ワイン街道の隣町にやってきて気が付かぬ間に帰って行った。

ライン・マイン界隈の交通規制を伝えるラジオを聞きながらフランクフルト市内へと入った。フランクフルトに着くと何時ものマイン河の湿気に係わらず珍しく雪が少なかった。

アルテオパーは、フランクフルトで最も重要なコンサートホールである。空爆を受けた19世紀後半のオペラ劇場の廃墟に多目的ホールが作られた。三つのホールでオペラを除くあらゆるコンサートが開かれている。このオペラ劇場の歴史は、19世紀初頭のプチ・ブルジョワーに遡るという。劇場新築に向けて創立されたのが、「ミュゼーウム」という「人間性溢れる文化の粋を集めた美的文化の融合と推進」をモットーとした協会である。約半世紀後にコンサート主催母胎となっていく。このようなケースは各地にあり、劇場を除く室内楽から管弦楽団までの活動はこうして催される。各地の重要な催し物の多くは、そのような伝統的な協会が主催している。フランクフルトではモットーが柱の上の桁に掲げられた。:

„Dem Wahren Schönen Guten“ 「真実なものに 立派なものに 良きものに」

些か、古典的で1880年の時代を考えれば保守的に響く。ある意味、現実の世界にはそれが消え失せていたからこそ、劇場に理想を掲げたのだろう。古典的な調和は、啓蒙主義からも導かれるが、なによりも人間性の均整と発展が基本にある。

後期バロックのバッハのロ短調ミサが催された。このミサ曲は、ライプチッヒのトーマス教会の職務に不満を感じたプロテスタントのバッハが、カトリックのザクセン宮廷に仕えるための試金石として1733年にカトリック典礼文に作曲草稿したものが土台となっている。さらに晩年作曲家は、旧自作をミサ典礼文に宛がいルネッサンス期に御馴染みであった所謂パロディーミサ曲の様に完成させていく。しかし実際には、典礼文の的確な音符化や構成も多く、その複合的な構築がこの大曲を余計にバロック風にしているかもしれない。ドレスデン宮廷のために具体的に作曲されたものが、実際は当時の教会でも宮廷でもなく、100年後の1835年のベルリンで初演された。このような作曲過程や演奏形態に、他の晩年のオラトリオにも増して、当時の典礼形式を越えた教会外でのプロテスタンティズムの発露を見ることが出来る。

そしてそのような音楽文化が19世紀の近代社会のコンサートホールで受容されて、少しづつ形を変えながら今日の催しへと引き継がれていく。啓蒙主義を源泉とする劇場活動と双璧である。日常生活をも一部犠牲にした前代未聞の警戒態勢の中、三千人近い聴衆が殿堂に会同した。在るべきモットーの下に、我々のモラルを各々が考えたのではないだろうか。
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そんなに気を付けないで!

2005-02-24 | 生活
このところ、今冬で最も多く雪が降っている。温度が高いので、今更根雪とはならないが積もる。明日までにまた新雪を得たなら「近くの山での初スキー」を試してみるのも好いかもしれない。昨晩は、フランクフルトのアルテオパーで例会があったので午後六時前に車を出した。雪が石畳に数センチ乗っているだけなので、地面に定着していない。車庫から頭を出してブレーキを踏むとその雪の層毎滑った。緩くブレーキを踏んだためかABSは効かなかった。もう少し噴かしていたら前の車に突っ込んでいた。出だしから怖い思いをすると、どうしても慎重になる。

出来るだけ雪の開いている経路を辿って、やっとパリからニュルンベルクへと抜ける幹線アウトバーンへと出た。そこは大抵、除雪も早めに行われており、走行量と速度から比較的路面の温度が高い。外気温、零下2度ぐらいならば凍結は殆んどない。しかし相変わらずの雪模様なので視界が悪く、速度150KMぐらいで巡航した。速度を抑えると、ついつい他の事をしたくなるのが常で、ハンドフリーで電話を掛けた。ドイツの交通法規では、携帯電話は車のエンジンがかかっている限り駐車中でも御法度である。だから車内で電話を使う場合は、ハンドフリー装備が必要条件となる。暫くすると、ブルーの点滅灯が左前方に動いているのが見えた。ゆっくりとした左カーブになっていたのだろう、反対車線にあるようにも見えた。そのまま会話を続けていた。ところが実はそれが追い越し車線上に停止しており、目前へと迫ってきた。反射的に、減速しながら本線へと方向指示と同時に車線変更した。大型トラックの鼻先へと辛うじて出たようであった。二台の乗用車の事故を横目に、二台の救急車両を無事に遣り過した。会話は相変わらず続けていたが、流石に中断した。

ラジオを触って痛い目にあったことはあったが、電話に気にとられててというのは想像すらしていなかった。10年近く反則点数が付くようなこともなく、慎重に運転している。昨晩も、雪や凍結による路面状況に必要以上に気を囚われていた。だからその拘束から開放された時に気の緩みがあった。事故は、決して注意していれば起きないものではない。

同様な例を挙げよう。日本に滞在して、そこの左側通行を経験した駐在経験者の話である。彼は、その滞在期間中、右側通行から左側通行への転向に留意していた。そこで間違いを犯すことは一度も無かった。そして数年の駐在を無事終えて帰国した。日本でもそうであった様にそして嘗てそうであった様に、奥さんを隣に乗せて、勝手知ったる界隈で車を走らせた。左折してアウトバーンに入ろうとした時だ、奥さんは叫んだ。「逆走!」。アウトバーンの出入り口では、こうして死亡正面衝突事故がしばしば起きている。

フランクフルトへと更に車を走らせると、片側四車線の大幹線道路となる。対向車線でも雪のため事故が発生して救急車両がブルーの灯を点滅させている。上の事故現場でもそうだが、カーブした下り坂から直線道路または二車線道路からまたは四車線道路への道路条件の好転と、川沿いや風向きなどの部分的な悪条件が交差する地点で事故は起きているようだ。

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咽喉許過ぎても

2005-02-23 | ワイン
レチーナを再び飲んだ。前回は夏にお土産として貰ったので、清涼感を楽しんだ。今回は冬なので開けるのを躊躇っていたのだが、ギリシャの山羊のチーズと野菜のグリルに合わせてみた。結果は、如何しても冷やした液体が少し食道から胃に沁みる。決して潰瘍ではないはずだが、酸味がない分冷たさを感じるのである。辛口リースリングのように酸が強いと、既に口元から緊張してしまって、胃に達するまでの全ての経路が何処彼処警報を鳴らしながら用心をする。

それに較べるとこのようなワインが口に入っても、要注意の情報は送られない。だから冷たい水を突然飲んだときのような痙攣状態を食道が起こす可能性がある。冷たい液体は、消化器の内壁を突然通り過ぎて行く。ドミノ状に鳥肌が立つように、食道から下へ下へと流れていく。


古代ギリシャの味付け
 2004 08/12 編集

ギリシャの白ワインレチーナは元々アテネ近郊の特産である。松脂を混ぜてあるので、味に独特なトーンが加わる。今回、お土産として現地より運ばれた栓付きのハーフリッター瓶は、このワインに対する評価を著しく変えさせてくれた。どちらかというと悪酔いをさせかねないこの特徴も、辛口にスッキリと調合されていると美味い。特にぐっと冷やして飲むと、ビターな味となって清涼感を盛り上げる。当地では、コーラや水で割るという。甘みなく仕上げられたこの飲料は、ビールよりも後味が良く、ラムやニンニクなどの味付けの強いギリシャ料理にも最高に調和する。

古代ギリシャ時代にワインの保存や輸送を考えて、色々と試みられたようだ。そこで壺のワインの上から脂油をたらし蓋をすると保存状態が良いことが分かった。酸化を防止するのだろう。こうして出来上がったワインは、ウゾに並ぶギリシャの伝統的な飲料となる。折から彼の地で開かれるオリンピックTV観戦をしながらひっかけると大変おつなものである。青い空の下で繰り広げられる肉体の祭典が眩しい。
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微睡の楽園の響き

2005-02-22 | 文学・思想
漆黒の夜間の睡眠中に、メラトニンが働き機械で言えばクールダウン状態に至る事が出来る。クーリングの重要さは、臓器移植の低温での搬送処置に良く示されている。体温低下で細胞の回復が進むが、睡眠時間と創造力の相関は分からない。4時間のナポレオンか、12時間のアインシュタインか、居睡りだけのダヴィンチか、様々である。全睡眠時間の内に、成人で4~6時間の本格的な睡眠と、夢みるレム睡眠が含まれる事は良く知られている。本格的な休止に寄り添うエピローグのようなこのレム催眠中に、何らかの精神活動が可能なのだろうか。

フロイトの夢判断より150年以上前に、自分の見た夢を書き留めていった学者がいた。スエーデンの地質学者エマニュエル・スヴェーデンボリである。国王の命を受けて行政官としても活躍した大物学者であった。本人の宗教心から殆んど神がかりな夢がこうして固定される事になり、精神的危機を迎えたといわれた。ゲーテに描かれるファウスト博士に較べられる。深層心理とは言いながら、当時の見識豊かな自然科学者が見る夢は興味をそそる。

霊界では天使が仲介を努めて対話をするという。天使は母音しか発声しない。そこでは言葉は要らない。動作で全てが理解出来る。少年時代から言葉を出す前に正しく呼吸をする方法を練習していたと、本人は述懐している。情景は五感を持って体験される。だから音も光り輝く。

ある日、彼が町を行くとヴァイオリンとハープが奏でる楽の音を聞いた。そして彼は、霊に話しかける。「これは、病んだイスラエル王サウルを慰めたダヴィデの竪琴であり、最後はサウルを滅ぼして王位に着いた。」と、すると霊は、「音楽を聴いている限り、そこに何か悪徳があるとは思わない。」と答える。「これを書いている間、いつもその音楽が鳴り響いている。」と筆者は語る。

そして「全てのハーモニーこそが天上の喜びであり、管楽器は善への願望であり、弦楽器は真実と結びついている。全ての楽器と声は、精神的で天上的な感受性に呼応する。音響は、言葉よりも精妙な流儀で経験を表現する。」という。

天界では、音楽祭が催されて素晴らしい感興に満ち溢れる。広場には歌と音楽が、舞台の上では葡萄の蔓に囲まれて、管弦が三列に並ぶ。その両脇には歌手や合唱がそれを囲む。音楽は喜び一杯に朝から晩まで鳴り止まない。天使たちもしばしば集まり、金の王冠を形作り、人間と共に喜び一杯に声を合わせる。ダンテのパラダイスの情景がこうして繰り広げられる。

エマニュエル・スヴェーデンボリは、1747年から死の1772年まで度重なる世界の首都ロンドン滞在で、ヘンデルのオラトリオなどを体験したと予想される。特にヘンデルの「メサイア」は、1742年4月13日のダブリンでの初演以降、1759年の作曲家の死までの間56回の上演が記録されている。そのうち教会での上演は僅か12回であった。公演後にケイノウ公爵は、「これはエンターテーメントだ。」と作曲家に批評した。「残念ながら、私は聴衆を楽しませたかっただけです。」と答えたという。
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葡萄種ピノ・グリ

2005-02-21 | ワイン


ピノ・グリとかピノ・グリッジョとか呼ばれる白ワインの葡萄。ルーマニア産のシャドネーのキッチンワインを嘗て厳しく批評したが、今回は同じ販売元のピノ・グリジョを試す。相対的であるが、予想を超える出来栄えであった。価格は同じ€1.99なので、この評価の違いは甚だ大きい。しつこさも癖も無くて飲み応えがある。確かに調べてみると、イタリアのそれよりもアルザスのそれに近いと書いてある。

つまり文化圏からピノ・グリッジョと命名してあるが、味はむしろピノ・グリに近い。そしてアルザスでは、これをトカイ・ダルサスと、ハンガリーの高名なワインを意識して呼んでいる。そしてこの葡萄種をドイツでは、グラウワー・ブルグンダーもしくは1711年にそれを見つけたヨハン・ルーランダー氏の名に因んでルーレンダーと呼ぶ。ブルゴーニュでは、これをカべルネ・ブランに近いと云うだけで、何よりもアルザスの名産として扱う。お互いに他の地域に原産や特徴を譲り合う大変珍しい例である。挙句の果ては、米オレゴンでこのワイン生産の発展を挙げている。プァルツは、バーデン地方に並んでこの葡萄の産地であるが、名前からブルグンダー地方には敵わないと、誰もがそのように謙虚に考えている。

味は、もともと酸味が強いが秋には糖化してしまうので、どちらかといえば押し付けがましい。葡萄の皮の色も名のとおり灰色から紫色になる。

参照:ルーマニアのシャドネー [ ワイン ] / 2004-11-22
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バロックオペラのジェンダー

2005-02-20 | 
ファリネリと云う名前を、ご存知だろうか?昔、仕事仲間だった同性愛者がファリネリを描いた映画に感動してサウンドトラックまで持っていた。18世紀に大活躍した偉大なカストラートである。カストラートとは去勢のされた男性の歌手である。元々、カトリックの教会行事に女性が参加出来なかったので、多声のミサのための高音の声が必要になり、16世紀には少年の声を持ち体力と技術のあるカストラートを使った。それがバロックオペラ興亡に合わせて、18世紀に頂点を迎えた。

彼らはロンドンに招かれて、既に斜陽していたバロックオペラを作曲家ヘンデルらと幕引きをした。当時は、ザクセンから戴冠した英国国王の影響で上から下まで派閥を作り独特の社会状況があったようだ。ヘンデルもオペラ団を作りカストラートを使って宣戦している。しかし最終的には、オラトリオという断食期間に上演されるジャンルへと活動を集中させていく。バッハが中部ドイツの新教の教会音楽の伝統を引き継いで保守的な世界で、受難劇オラトリオを作曲したのと対照的である。

最後のカストラートは、二十世紀初頭に絶滅した。その後、この声部は裏声によるカウンターテノールによって受け持たれている。これを去勢の代用とすると、その表現力で本物を凌ぐ事は難しそうで、残念ながら十分に芸術表現出来る歌手は極々限られる。実際ファリネリ自身は、皇帝カール六世の伴奏で歌い好意に満ちた忠告を受けて、当時の華麗な技巧から情感表現へと重点を移行したという。ヘンデルのオペラやオラトリオにみる表現を調べるとその当時の彼らの実力が窺われる。ヘンデルの初期の仮面オペラ「アチスとガラテア」と、興行上ファリネリの対抗馬名カストラート・セネシーノを起用したその後のオペラは大きく違っていく。さらに後年オペラからオラトリオへと作曲家の興味も移ると共にカストラートも本来の宗教的な役目に戻って行く。

ナポレオンによって去勢が禁止されたのは有名だが、フランス革命の影響は意外に忘れ去られている。つまり低音は父性的であり、父性は性的な享受から遠ざかる事によって権威を維持したという封建支配構造が存在した。オペラにおいて高音は、低音の声とは反対に上声部として溢れる情感を細やかに表現する。社会状況が、芸術の構造に影響を与えるのは当然である。興味のある向きは、バロックから古典派への音楽的移行をここに辿る事が出来る。差異の顕著な作曲技法にまで深入りしなくとも、ボーマルシェの革命劇「フィガロの結婚」に作曲したモーツャルトの意図的な強調等(作曲家はほくそ笑みながら不敵な革命的メッセージを随所に散りばめている)や「ドン・ジョバンニ」における「バリトンの性」の活躍はその状況を端的に表している。

オペラの伝統の中で女性が男性を演じるズボン役というのがここでは併用されたりしていて、これが複数のカストラートの役と競演するのも面白い。これを商業主義の中での性の倒錯として捉えて納得してしまうと多くの事が謎のままに終わってしまう。ある時はカウンターテノールでは得られない青年的な力強さで、ある時は現代の中性的なアルトでは得られない清楚さを持って歌われた。この声部を欠く事が、ヘンデルの音楽の真価の再現を妨げているかもしれない。それが創造された当時の社会を背景とした、首都に同性愛を公然とした長を持つ今日の社会と同様に、広義のジェンダー論を芸術論・音楽論として考察展開出来る。
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デジャブからカタストロフへ

2005-02-19 | アウトドーア・環境
鳥のことに現を抜かしている内に、京都議定書が発効された。エネルギー供給や冷害の歴史を見ていると、この議定書がもたらす実質効果よりも誓いのような意義を持つものである事が分かる。そう思っていると新聞に、米国で研究生活をした地質学者がインタヴューに答えて語っている。

「米国抜き、中国の途上国免除では、効果は知れている。そもそもこれぐらいの温度変化は過去にもあり、少々温かくなるのは利点である。国際間で損得が出来て、それが報道されることから問題になるようになった。」と要約できる。正直に述べているのでグローバリズムの一面を白日の下に曝す。さらに「風力発電は投資額が合わないので、難しい。」と意見を述べる。

多くの人が原子力発電に関しては絶えず不安を持ちもしくは懐疑的な立場を取っている。その多くが代替がないので、現状を仕方なく認めていることも事実である。自身、発電所の見学に参加して、管制室から反応炉塔の中を覗き、制御棒のモニターを見て、食堂で昼をご馳走になって帰ってくると、如何に環境に優しい発電である事かが納得できた。放射能は、見えない、聞こえない、匂わないので快適である。塔の遮音の関係もあり、風力発電などより静粛で環境に優しい印象を持っている。

しかしあの9月11日以降、事情は大きく変わった。原子力発電所への航空機激突をまで考慮しなければならなくなった。先日、連邦大統領によって署名されると同時に憲法裁定を促した、民間航空機撃墜許可の法制化は現代社会の根幹に大きな矛盾を投げかける。ノーベル文学賞のギュンター・グラス氏ではないので非擬預言者的な発想はできないが、カタストロフへの次元の推移を想起させる。

カタストロフ理論もしくはブラックボックス理論として扱うと、パラメーターが限定できる。その書物が初めて翻訳された時、生涯初めて購入した書物であったことを思い浮かべると、購入の切っ掛けとなった度重なるデジャブを幾らか追体験できる。

9月11日の事件数時間前にコルマーからライン河を渡った。通常ではあり得ない小型自動小銃と双眼鏡を構えた対テロ体制であった。その物々しい仏国境警備の光景は、新たな体験となっている。幾つかの現象が少し多平面に連なる。

ドイツ国内の原子力発電炉の数は、米国、日本、ロシアなどに較べると遥かに少ないが、旅行をすると冷却塔の水蒸気が定期的に目に付くはずである。地理的に公平に連邦内に複数個もしくは炉毎に設置されているからである。見学した上の発電所は、小事故に続いて緑の党の力で閉鎖に追い込まれた。

それでも毎日、南側に冷却塔の水蒸気を遥か彼方に見て暮らしている。勿論メルトダウンなどの大事故が起これば、中都市ハイデルベルクだけでなく多くの大都市も、風向きにもよるが為す術はない。警報の試験は度々為されるが余り役立ちそうもない。車の移動とか避難とかは全く不可能だ。核シェルターももちろん無い。フランスで行われるプルトニウム再生を除く死の灰は、ライン河畔の地底深く黄金よろしく封印される。

地域エゴイズムから、原子力発電全面禁止の執行期限を待っている。しかしこれが実現できるかどうかは疑わしい。エネルギー消費の削減が鍵を握っている。フィンランドが、さらに多くの携帯電話機を作るためか原子力発電を復活させる。
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詭弁と倹約

2005-02-18 | 料理
断食の40日間 - 水鳥
2004 03/03 編集

魚は肉ではない。「水に馴染むものは全て魚なのだ」という珍説がある。ガチョウ、アヒル、カモなど水鳥。さらにビーバーなどの哺乳類にまで広がる。故に、これら全ては肉ではない。断食を「文字どおり」実行するに、魚肉で代替したソーセージなども中世からあったと云う。BSE問題で牛肉を食べなくなった三年前、注目されたのがダチョウの肉。代替ビーフとして、大量にタイから輸入されるようになった。ジューシーな柔らかな黒い肉で、ステーキにする。比較的淡白な味故に、重めの赤ワインでも軽めの赤いワインでもどちらにでも合う。


断食の40日間 - マウルタッシェ
2004 02/27 編集

ドイツ餃子もしくはジァーマン・ラヴィオリといわれるシャヴァーベン地方の料理。肉断食の期間、お得意の創造力を働かして、肉を中に隠して皮で包んでしまった。これで一回の肉断食を倹約することができる。肉の代わりにほうれん草などでダミーにすれば、材料費も倹約できる。

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お休みの所をお邪魔して

2005-02-17 | アウトドーア・環境
近代人が野鳥を害虫の天敵として積極的に利用して新たな連鎖が始まった。鳩とは反対に中世から忌み嫌われたのがカラスである。戦場で骸に群がる黒い姿を思い浮かべるまでもなく、現在もゴミ箱に駆け寄る黒い群れを方々で見かける。そしてこれが来ると、他の鳥が居着かなくなるというが、これは必ずしも正しくないらしい。雛を襲ったりする率は可なり少ないという。しかし何れにせよ中世においては、かれらは魔物の鳥と謳われて教会と対立する構図が生まれる。

中世の鳥は、必ずしも人家にのみ巣くったのではなくて、教会の塔などの安全な場所に生息した。20世紀のヴァイマール体制になってからも、シュヴァーベン地方のある町では、コウノトリのための巣箱が教会の屋根裏に提供された事がある。これを巡って政治的攻防がなされたと記してある。その他にも、中世から既に町にも住みだしていた知恵の象徴フクロウへの住居提供を目的として巣箱が教会の塔に取り付けられたりする。何度か、方々の教会の鐘撞き塔を探索する機会があった。そこの昼間も暗く、湿った裏梯子などを登ると、列を成してぶら下って眠る蝙蝠などにお目にかかれる。嘗てはこれの血液を薬莢に混ぜて詰めると命中率が高くなると狩人に信じられていたようだ。蝙蝠は野ネズミと並んでフクロウの好物であり、こうして吸血鬼は知恵袋との死闘を余儀なくされる。蝙蝠保護のためには、鐘撞き塔内の居住区を別にして出入り口を小さくしてという事らしい。

再び振り出しのブリューゲルに戻ろう。父ピエテル一世の下絵に従ってヴァン・デル・ハイデンが彫った版画がある。解体される大きな魚の腹や口から小さな魚が、さらにその口から小さな魚が続々と溢れて出てている。前景の漁師親子の会話として、ご丁寧にラテン語の格言の形式でわざわざ言葉が下部に添えられている。「息子よ、よくご覧。小さな魚は、大きな魚に飲み込まれているのだよ。」。さらに版元は、当時取り分け有名だったヒロニムス・ボッシュの署名を左下に付け加えた。これらの画像が示す食物連鎖の中では、遠景に絶えず鳥が飛び交う。
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咽喉から手が出る

2005-02-16 | 料理
ペスト菌の運び屋と疑われた渡り鳥がやって来ると、不吉な前兆と見做された。一方、当時の果樹園やワイン畑では、牛糞から女性の髪までさまざまなものが害虫駆除として燃やされた。山焼きによる土地改良と硫黄で樽を燻らすワインの製法が入り混じった害虫駆除のお呪いであった。中世初・中期の社会を象徴するのが、このペストの蔓延と不作である。中世人は野鳥を捕獲して、ネズミや野鳥に宿る蚤がペスト菌を運び、ペスト菌が中世人を襲った。食物連鎖もしくは天敵の連鎖である。

しかし中世末期になると食生活は、150日間の断食期間を除けば今日の飽食と変わらなくなる。この間の事情は、ヒロニムス・ボッシュの絵画に描かれている通り、当に「七つの大罪」のそのものである。一人あたり年間100キロの肉の消費は、ジャガイモがまだ無かった時代に魚のたんぱく質を凌いで重要な栄養源であった。貧富の差は、嘗て粥に対する肉・魚の食事であり量の差であったのが、都市化の波のなかで食料の質となっていく。低地の野生肉に対して高地の野生肉が、内陸部の断食期間においても、近郊の河川の沢蟹に対して良質の養殖淡水魚の差となって現れる云う具合に変わって行った。このことから、中世後期にも雛の新鮮な肉は、庶民にとっては咽喉から手が出るようなグルメ食材だったに違いない。因みに鳩の食用は平和の象徴として慎重に避けられていた。

町で二つの教会塔に次ぐ高さを保っていた我が家も、数年前に鳩の被害を被りだした。そこで屋根の大棟に長いブラシ状の針金を貼り付けて鳩が休む場所をなくしてしまった。こうして、鳩の大群は次なる屋根へと移っていった。鳩の大群は、騒がしさもあるが糞などをして天窓を汚すだけでなく樋を詰まらせたりする。そして、害虫駆除をしてくれて、美しく囀る数々の善良な鳥達を遠ざけてしまうのだ。それでも天窓からそっと顔を出して、鳩に手を伸ばしたりしたことは一度もない。(続く)
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切妻のドアをそっと開け

2005-02-15 | 文化一般
ブルューゲルの絵画の話題から陶器製巣箱を知ることが出来た。この16世紀フランドルの最も興味ある芸術家の作品は、情報量が多くて簡単には語れない。そこにある寓話性をひとつひとつ確認していっても埒が明かないので次なる機会を待ちたい。絵に描かれた中世の屋根の切妻に幾つもの巣箱が描かれているという指摘は、ありとあらゆる想像力を掻き立てる。

鳥類愛好家のホームページには、その想いを払拭するかのような断定的な見解が記されている。「害虫駆除を目的とした巣箱の原型であるこの壷は、16世紀以降の北ドイツからオランダでは、雛を捕獲して食用とするために使われていた。」と、いやに写実的な情景に読者を誘う。屋根の切妻の戸口を唐突に開けて、その屋の主であろう男が姿を現す。高みから周りをこっそりと窺がう。そして素早く壷に手を入れて、雛を取り出す。この罪状を裏打けする情報は、ネットでは容易に見付からない。しかし状況証拠は豊富である。

巣箱の目的は、少なくとも19世紀以降は中世以来盛んになった果樹園やワイン畑での害虫駆除を目的としてムクドリやシジュウカラを始終居つかせるために快適な孵化の環境を提供する事にあった。それらが食料とする害虫の駆除が目的である。それとは程遠い家屋の屋根に落下の危険を冒してまで壷を吊るのは、どう見ても可笑しい。中世の多くの人達が、あたかもジャック・タチ監督の映画「僕の伯父さん」のような風流を持ち合わせていたとは思わないのである。別な観点から見ると、繰り返し猛威を振るった黒死病の原因として、ネズミと共にこれらの鳥の巣が疑われて来た事実がある。それらに付く蚤がペスト菌を運ぶという。これについては遥か後の1950年代まで議論されていたようである。雛が巣立った後に、其処にいる蚤が家屋の方へ侵入してくるということは、現在でも注意書きとして記されている。(続く)
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