ペトレンコ指揮ルツェルン音楽祭第二夜実況録音再放送の前にユジャ・ワンを観た。昨年初めて生で聴いたが、聴けば聴くほど驚かせられるピアノである。来年はデュオであるが初リサイタルを聴けるので楽しみである。女流で未だ嘗てここまで弾けた人はいないと思う。生誕二百年のクララ・シューマンなども才女だったようだが、このような技術も楽器も当然無かった。そして音楽的にもとても高度で、受ける背景も正攻法で非常に程度が高い。そもそも男性で今あれだけ弾ける人いるのだろうか?
ツィンナダリ音楽祭からの生中継は、ショスタコーヴィッチのトラムペットとの第一協奏曲だった。あれだけの演奏に合わせようとするとシャニ指揮のヴァルビエールの楽団もよくさらっていた。アンコールで指揮者との連弾でスラブ舞曲集を弾いたが、指揮者のロマンティックな音楽性も良く出ていて、指揮と同じようないい加減さもよく分かった。
女流の指揮者では、やはりヨアンナ・マルヴィッツが表彰された。昨シーズン最も優れたオペラ指揮者として女性で二人目、そして最年少の受賞である。十代からオペラ劇場に入っているので、それだけの覚悟があったと語っている。現場に慣れろである、習うより慣れろである。
確かに音楽的な基礎教育や高等教育は別にして、劇場の仕事は徒弟修業の様なものであるから、その程度の指揮者が殆どで、飛びぬけて才能のある指揮者がいないのがオペラ界である。カペルマイスターなどとはやされるのも、その才能の無さの反照でもあり、如何に職人的な仕事が重要でそれ以上ではないかという事も物語る。
だから、フルトヴェングラーやペトレンコなどが指揮をするとあまり立派過ぎて劇場的な感じが出なくなる。ペトレンコがカラヤンを称して、自分自身と同じで小さな歌劇場で修業を積んでそれをものとしたというのも穿った見方をすれば、その技量やその利用をよく見定めていることでもある。
マルヴィッツ指揮は、フランクフルトでの客演新制作の「メリーウィドー」の評判が良く、ペーターセンの歌唱があって、生で体験できた。同じように評判だったペトレンコ指揮の新制作「トスカ」を聴き逃した雪辱を果たした。指揮に関しては若干力が入り過ぎて上手く振り切れない感じがあったが、新任のニュルンベルクでの指揮の映像を見ると長い腕と指揮棒を活かしてよくなっている印象もある。基本的な技術は変わらないのだろうが、大きな劇場やホール等で振るようになると意識して変えて行くものもあるのだろうか。
兎に角、早めに次回のミュンヘン行の日程が決まったお蔭で、マルヴィッツの新シーズンでのフランクフルト公演の安い席を確保しておいてよかった。二度目のバリコスキー演出の「サロメ」は初めから売れ行きが良かったが、フォーレ作曲「ペネロープ」の方は通にはより関心の集まるものだろう。
偶々、その公演に続いて、アルテオパーでユロスキー指揮を初めて観ることになる。どちらも独語圏オペラ界を二分する指揮者と成ろう。マルヴィッツのオペラ感覚はユロスキーに負けないのではなかろうか。ワクワクさせる。今回の選考理由も、音楽家、聴衆、評論家皆を直ぐに夢中にさせる芸術という事だ。
再来年にバイロイト祝祭劇場で女性指揮者として初めて振ることは間違いないだろうが、二三年も振れば元祖音楽監督の出来ることは習得できるだろうから、元祖が必要なくなる。当然の事そうした思惑がある。ニュルンベルクでの任期はあと何年ぐらいで、ものとするかは未定であるが注目されるところで、手兵のアンサムブルを鍛えられるようでないと頂点には出られない。
先ずはその楽団の程度が分かっているフランクフルトの上演で二度目の実演を楽しみにしよう。特にそれも珍しいフォーレを振るとなると、どうしても大きな期待をしてしまう。
ルツェルンのkklが座席から写した写真にいいねを付けた。完全に特定されてしまう。余り悪用はされたくないが、来年以降の予約の際に便利を計ってくれれば助かるのだ。まあそこまでは細かな仕事はしていないだろうが、少し見れば毎年熱心に来るだろうなとは分かる筈だ。
参照:
次元が異なる名演奏 2019-08-18 | マスメディア批評
熟成させる時間が必要 2019-09-15 | 雑感
脚光度ピカイチの女性 2019-08-08 | 女