Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2019年9月

2019-09-30 | Weblog-Index


その美学には至らない 2019-09-30 | ワイン
指揮者無しが上手く行く 2019-09-29 | 文化一般
料金が嵩む郵便 2019-09-28 | 雑感
撮影準備に満足な散髪 2019-09-27 | 生活
これを最後に橋を渡る 2019-09-26 | 雑感
キリル・ペトレンコと共に 2019-09-25 | マスメディア批評
多様的に活発になること 2019-09-24 | マスメディア批評
中々お目に掛かれない様 2019-09-23 | 試飲百景
隠密のラインの旅 2019-09-22 | 試飲百景
身体に染みついた味 2019-09-21 | ワイン
雪辱を果たす様な気持ち 2019-09-20 | 女
思索の向かうところ 2019-09-19 | 文学・思想
卒業宣言をする価値 2019-09-18 | マスメディア批評
歴史に残るようなこと 2019-09-17 | 文化一般
フクシマ禍から蜂の巣へ 2019-09-16 | 文化一般
熟成させる時間が必要 2019-09-15 | 雑感
ここに定着する印象 2019-09-14 | 音
アルコールも欲しくなる 2019-09-13 | 試飲百景
クラウドに上げるデータ 2019-09-12 | ワイン
管弦楽練習の立ち合い 2019-09-11 | 音
ラトルファンの嘆き 2019-09-10 | 音
彼方の閃光を目指して 2019-09-09 | 生活
再び求道的な感じ 2019-09-08 | 女
玄人が足元を見ると 2019-09-07 | 雑感
adagio molto e cantabile 2019-09-06 | 音
ブカレストからの生中継 2019-09-05 | 音
ルツェルンでの視界 2019-09-04 | アウトドーア・環境
限り無しに恨み尽くす 2019-09-03 | 女
逸早くする次の準備 2019-09-02 | 雑感
コンツェルトマイスター 2019-09-01 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その美学には至らない

2019-09-30 | ワイン
ロンドンからの生放送を少し聴いた。録音したので楽しみだが、ユロスキーが指揮したフィルハーモニカーの演奏で、先日も同じブリテンの協奏曲を違う管弦楽団とソリストで演奏していたがこんなに違うのかと思った。何よりもソリストの程度が全然異なった。流石にユリア・フィッシャーと先日のシュタインバッハ―では音楽の程度が違った。管弦楽もそれに合わせたのかフィルハーモニカーの演奏がドイツの放送交響楽団よりも遥かに良かった。

嘗てからの評価されているようにロンドンのフィルハーモニカーはジムフォニカーよりも技術的にも落ちる筈なのだが、音楽的にはユロスキー指揮のそれの方がラトル指揮のそれよりも充実している。ブリテンのあの曲であそこまで内容的に掘り下げられるともはや誰も他の人は太刀打ち出来なくなる。ベルリンではそこまで至らなかったのはソリストと管弦楽団の両方に責任があったとしか思えない。

ここでユロスキー指揮フィルハーモニカーの最後のツアーのプログラムを確かめる。ブリテンはチェロ協奏曲をケルンでやるようだ。ソリストは知らない。コンサートツアーで一番近くを訪れるのはフランクフルトでそれ以外は遠い。ショスタコーヴィッチの11番交響曲を演奏する。生では初めての曲である。それにしてもこの指揮者は、芯から劇場的な感覚があって、ミュンヘンでの活躍が本当に楽しみだ。

シカゴ交響楽団の中継録音を聴いた。ドヴォルザークの新世界を確かめたかった。来年の欧州ツアーに持ってくるからだ。しかしムーティ指揮のこの演奏はが指揮と相まって楽団の不器用な面も垣間見えて良くない。曲想だからと言うのはあっても、チェコフィルが演奏するよりも遥かに難しいことをやって貰いたいのだが、そこまでやろうとしていない。型通りの演奏しかしていないので決してショルティー指揮時代の美学には至らない。恐らくビュシュコフがチェコフィルを指揮すれば大分良くなうのではなかろうか。

確か同じようにフィラデルフィア管弦楽団がアジアツアーに持って行くので先週末に演奏している。中継録音はまだ流れていないが、指揮も違えば管弦楽団ももっと細かなことをやっていると思う。是非中継録音で聴き比べてみたい。

そろそろ暮れまでの音楽お勉強計画を立てたい。「死の街」は総譜もあり、音源もスカラ座のものがあるので、初日に挑む材料は充分だ。あとは、同じ日の「ペネロープ」に総譜があったので、音源を探そう。同じユロスキー指揮で「眠れる森の美女」の準備といったところだろうか。

2016年産ゲルュムペルを開けた。丁度瓶詰め後二年経過で開いている筈だ。開いてはいた、そして飲み頃は始まっていた。杏子系の味は仄かで、まだまだ新鮮だった。初日はジャガイモとレバーソーセージ、二日目は猪のザウマーゲン風と食事にも遜色はなかった。

そしてそれだけにそれほど将来性が高くないので、ちょこちょこと開けて行けばよい。十年どころか五年以内で飲み干せばよいだろう。しかし色が示すように葉緑素が多いので、そんなに簡単に熟成香が出てくるわけではなさそうだ。つまり他の醸造所のものも2016年はそろそろ開けて行ける。



参照:
二流と一流の相違 2018-01-30 | ワイン
スレンダーながら多層的な23歳 2014-10-16 | ワイン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

指揮者無しが上手く行く

2019-09-29 | 文化一般
朝一走りで疲れた。眠くて仕方がない。時計は電池が空になっていたので、万歩計で走った。寝起きが悪く、寝坊したので早く終えたかったが、結構時間を掛けた。習慣になっているので疲れが残ることは無いのだが、眠い。

面白い記事が出ている。ドレスデンのシュターツカペレの支配人が辞任する話だ。既にザルツブルクでの決定発表前に突然の発表だったようだ。夏の間に画策していて、ヴィーンのシムフォニカーの支配人への渡りを付けていた。

22年間支配人を務めていたヤン・ナストは語る。そもそもの難しさは座付管弦楽団が長きに亘って管弦楽団として独立したIDを確立していった構造上の問題で、その発展も終わりに達したとしている。我々外部から見ても、彼の仕事であったシノポリ指揮でのシュターツカペレ公演でも座付としての問題点が明らかであった。恐らく歴史的には1930年代のベーム博士が指揮していたころの演奏が技術的にも頂点だったのに違いない。

2001年にベルリンで指揮中に亡くなったジョゼッペ・シノポリが生きていれば、2013年から音楽監督としてゼムパーオパーから現在のベルリンのフィルハーモニカーのDCHのようにネット中継されていたという。興業的にも管弦楽団としても大きな可能性を逃したことになる。

そのあとを繋いだ先頃引退したハイティンクは年齢を理由に短期的な予定で、そのあとを受け持ったルイージとは今度10月からのヴィーンでともに活動するようだ。そして、この支配人がティーレマン抜きでもザルツブルクの復活祭に出たいとした張本人でもある。そして数時間内にはザルツブルク州がそれに反応した、「ティーレマン無くしてシュターツカペレも無い」と。

この背後事情は大枠の契約書内容とは別に興味あるところだったが、これである程度理解できた。ティーレマンは在任期間中に七人ものアシスタントを変え、その契約の権利として年間四つの公演と二つほどのツアーのプログラムを定めていたが、支配人との合意が充分に取れていなかったとなる。そこで経済的な損失があり、スポンサー問題になってきているようだ。要するにVWの関係だ。

その状態を称して、シュターツカペレがコンサートを開く意味が問われていて、「理髪師」か「ギゼレ」でも演奏した方が価値があるのではないかの議論が必要になって来ているという。つまり今のようなことならば座付楽団として仕事をした方が価値があるだろうという事だ。

実際にティーレマン指揮のコンサートはドイツ国内では精々千人を超える程しか集客力が無い。だから極東まで行ってコンサートをするとなると、もう管弦楽団の方には割りが合わないという。そしてナストは、「シェフがいない時、合わせて六年間が一番いい成果が出た」とハッキリ言う。要するに通常の管弦楽団とは比較できない。

そしてヴィーンでの抱負として、若い人の管弦楽団であることと、ヴィーナーフィルハーモニカーとは違って公共的な支援を得ているというのだ。フィルハーモニカーは商業的で企画に限界があると断定する。これは我々フィルハーモニカーファンにとっては意外な見解で、そもそもアマチュア―楽団であるから金儲けだけで、それ以上には箍が嵌められていても自己制御可能なものと思っていた。

勿論シュターツカペレの商業的な方針を考えるときにはやはりヴィーナーフィルハーモニカーが参考になるという事なのだろう。そして、ティーレマン指揮のシュターツカペレは最早興業的な価値が無くなったという事でしかない。実際にザルツブルクも二三年先を見ればもう駄目だと語っていた。どんなに毎年日本へとツアー公演をしても全く割に合わない。



参照:
卒業宣言をする価値 2019-09-18 | マスメディア批評
多様的に活発になること 2019-09-24 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

料金が嵩む郵便

2019-09-28 | 雑感
モーゼル中域で大捜査が行われた。ヘリコプターが飛び交い、650人もの警察官が突入した先は地下五階のNATO基地だった。そこにあったのはコムピューターサーヴァーで、数十台が回っていて、幾つかが押収されて、数人が逮捕された。

犯罪容疑は、あらゆる犯罪にそのサーヴァーが使われたという事らしい。所謂ダークネットとされるもので、トアを使ってコンタクトされて、麻薬組織の売買、武器、チャイルドポルノその他の情報がそのサーヴァーを通じて取り交わされていたという。捜査に五年を費やしての大突入だったようで、第一報を床屋の放送で耳にした。

主犯はそこの払い下げられた連邦国防軍の土地を購入して使っていたオランダ人で、既にシンガポールに高跳びしているらしい。いづれ捕まるだろうが、元々オランダの犯罪組織と繋がりのある人物であったようだ。今後一軒一軒と犯罪要件を洗っていくので長期的な追求となるという。

どうも2016年11月の独テレコムルーターへの一斉の攻撃もここからされていたというから、被害はなかったがそこから攻撃されたことになる。

地元の長もまさか国際的先端産業が地元にと自慢だったろうが、蓋を開けてみると只の犯罪組織だったという事になる。

発注した切手が届いた。一つはクララ・シューマン生誕200年の170セント、もう一つはカスパー・フリードリッヒの「寂しい木」145セントである。十枚づつ発注するので合わせて31.50ユーロとなった。145セントはエルプフィルハーモニーのを多用していたが、最近は郵便料が高くなって、消費スピードが上がり過ぎたので他のものを調達した。週末にマンハイムに向けて5.40ユーロ分は発送しなければいけない。直ぐに無くなって行く。



参照:
気に入りだしたシナモン 2016-11-30 | テクニック
放送管弦楽団あれこれ 2019-02-09 | 雑感
東向きゃ尾は西に 2018-10-12 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

撮影準備に満足な散髪

2019-09-27 | 生活
朝遅れ気味に床屋に出かけた。既に二人が座っていて、やりて婆一人がやっていた。予定が違う。少し遅れ気味に出かけたのは手伝いの人が来るのを待っていたからだ。そして後で来てくれと言われた。仕方が無いので時刻を約束して出直しとした。

朝の車中のラディオの香港の古楽音楽学生がゲストで話していた。トロシンゲンの学生の様で、将来的には、通常の管弦楽団の様な堅い仕事が無いので教育者の準備をするという事だった。現在の香港を称して、返還後最初は香港民の為に統治していたが今は違うと話していた。

元々連邦共和国へと学びに来たのもそうした背景があり、今後も音楽的にも政治的にも同じようにドイツに居たいと話していた。このように言われると香港は、昔の香港とは違うのだなと実感する。

さて約束の時刻に床屋の出かけると助っ人が入っていた。待った価値があった。しかし二人の客を扱っていたので二三分待った。しかし助っ人のおばさんは三度目ぐらいで、これは嬉しい。伸び具合が分かれば経験豊かな腕のある美容師ならば更に巧く散髪出来る筈だ。

実際に鋏を使う割合がふっと増える。やりて婆のようにバリカンでやってしまうのは下手な散髪である。嘗てから散髪屋はバリカンをあまり使わなかった。出来上がりはこちらが望んでいた通り - 邪魔になると言った通り -、後ろも短めに横も前も梳いてくれた。やはり腕が違う。

写真を撮るまでに少し時間があるので、落ち着いてくるだろうか。ヘアースタイルで輪郭が大分変わる。結局伸びてくると変わってくるだろうが、一度もいい時が無いとこれは困る。状態が悪くなっても床屋に行く気が失せる。心付けをはずんで18ユーロ渡した。先ずは満足である。

ザールからのリースリングの二本目を開けた。まだ堅い感じがする。2015年程ではないがしっかりしてはいるのだが、もう一つ足りない。やはり酸も弱めで、風味も薄荷の清涼感がある位で、まだまだ開いていない。印象としては偉大な年度では決してないが酸が効いている限り悪くはないであろう。



参照:
すっきり気持ちの良い夏 2019-07-18 | 生活
これを最後に橋を渡る 2019-09-26 | 雑感

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これを最後に橋を渡る

2019-09-26 | 雑感
マンハイムの劇場から宣伝メールが来た。再演「影の無い女」は重要な楽劇とかあったが、見るまで言うな!そもそもマンハイム劇場の実力でこんな難しい曲が出来る訳が無い。写真が付いていたが如何にも下らなさそうである。それどころか来年はリヒャルト・シュトラウスターゲを開催するというから余程頭の悪い劇場である。サイトを見ると演出は知らない人であるが、ゲストとして染物屋の女将にキャスリーン・フォルスターだからだら下がりの音楽が続くのだろう。本当にローカルのオペラ劇場なんて要らないと思わせる。

NHKでサントリーホールからの中継の一部を聴いた。ニールセンの方は小編成で管弦楽団の実力がよく聴こえた。特に今回はチューリッヒのトンハーレのコンツェルトマイスターが率いていることからその比較がとてもし易い。少なくとも日本では日本の管弦楽団の弦は世界最高水準だとされているようだが、トンハーレと比較して決して優れていない。何回か言及しているようにトンハーレのヴァイオリンの後ろの方はお遊びでいい加減な弦を弾いているが、総じてそんなに悪くない。少なくとも先日のヴィーナーフィルハーモニカーのブルックナー七番よりは遥かに立派な演奏を一年前のハイティンク指揮でしていた。なるほどロンドンのシムフォニカーの弦も下手であるが、フル編成で特殊な弓使いなどをして合わせられないという事で、やはりそれは普通のレパートリーになれば違うのは分かっている。つまり単純にアインザッツが揃う揃わないの問題などでは無くてどこまで個々の技術が高いかでしかない。勿論練習時間の相違や何よりも指揮者の相違が大きいが、同じ指揮者とコンツェルトマイスターでトンハーレとN響を比較すれば、弦だけでなくて他の管楽器も比較しやすい。

ワイン街道をダイデスハイムに車を走らせた。写真のアトリエを訪ねるためだ。様子を見に行ってそのままいけそうなら予約をとろうとした。そして前を通って、浦島太郎の様に現実に目を覚ました。今時誰がフィルムやプリントの為に写真屋さんに行くのか?考えてみれば当然過ぎることなのだが、店の周辺が衣替えしてあるのを見て初めて気が付いた。完全に太郎呆けである。

調べてみると今度は同じ人がいつも行くパン屋の近くでアトリエを開いていることが分かった。電話すると来週また再開するという事でヴァカンカンス中のようだ。どうせ散髪屋に行くことを決意したので、出来上がりまでどれぐらいかかるか知らないが、待ってみることにした。大都会ならば証明写真などはセルフサーヴィスで取るのだろうが、流石に近所には駅ぐらいにしかないだろう。態々そこに行くぐらいならばやはり撮って貰いたい。

先ずは散髪だ。現状で行けるかと思ったが、やはり不揃いで駄目だ。写真と同じような感じならばそれはそれでちょっと怪しく、写真と違って散髪していたならばそれでも怪しい。それならばせめて写真だけでも怪しくない方が証明写真が有効に活きる。

前回スイスに行ったのが今の車での最後の国境通過だったと思う。次までには新車を調達しなければ流石に無理だ。発注、製造、納入されるまで繋ぎがなんとかなりそうになって来たので、落ち着いて発注の準備が出来るようになるか。いずれにしても最後のオットーモーター車となる。こんなに早く変わるとは思っていなかったので、自分の車としては四台目で、次は自動運転中心の乗り物となるだろう。エンジンは勿論ハイブリッドカーとなるが、車種の関係で4リットルか3リットルとなるだろうか。

オプションの面白い機構として外部音を遮断するものがあって、ノイズキャンセリングではないようだが遮音が効いていて、窓の雨音などが聞こえないという。以前ならば関心を持ったのだが、ノイズキャンセリングのイヤフォーンを運転時に使うようになって興味が失せた。カーオーディオも通常以上のものは求めない。運転の安全上の情報を例えば雹とかその他の風切り音とかで受ける代わりにセンサーを通してというのもあり得るだろうが、やはり外と直接繋がっていた方が安心で、特に道路状況の把握は重要である。

その他で欲しいと思うのは常時ハイビームのLEDヘッドライトで、夜間のアウトバーンを手動切り替え無しに走れるとなるとこれは大分助かる。闇の視界さえ効けば夜間は週末などは本格的に飛ばせる。当然オンタイムの交通情報とスピード制限で自動的に速度を落とすシステムも欲しい。居眠り運転警報並びに運転制御も安全の為には投資したい。



参照:
古工場の中の演奏会場 2018-09-25 | 文化一般
無駄なアイロン掛け仕事 2009-10-27 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キリル・ペトレンコと共に

2019-09-25 | マスメディア批評
郵便局が訪ねて来た。輸送の売込みのDHLかなと思ったが違った。要件は、9月7日に書き留めが配達されて、しかし受け取りなどがはっきりしていないというのだ。覚えが無いのだが、郵便物が一つもどされたのは知っている。また、ミュンヘンのティケットは入っていたが、これには受け取りが無い。どうも話が合わない。最近独郵便局からの配送が怪しくなっている。そういうと、ドイツ語も解らない人だから、今日も幾つかの件を明らかにするために回っているのだという。なるほどここ暫く訳の分からない人が郵便配達となっている。明らかに移民で、それも寧ろ難民に近い感じの人たちなのだ。それ以上はあまり悪くは言いたくなかった。郵便局が何を考えてどのような方針でいるか知らないからだ。人件費削除と経営上の方針ならば苦情するのだが、難民保護となるとまた違う。

書留での経験はパリからの郵便に対して署名を求められたので受け取り拒否したことがある。これなどは署名を求められたので拒絶可能となった。流石にその後は郵便を送り付けられることは無くなった。勿論中味は知っていて、支払いに関して見解の分かれていた請求書だった。先方からすると踏み倒しという事になるのだろう。

さてバーデンバーデンの新シーズンに伴って新支配人へのインタヴューが地元紙に載っている。バーデンバーデンへの印象付けに今まで出ていたブラームスに加えてクララ・シューマンとポリーヌ・ヴィアルドにディラッソが出てきている。ディラッソはミュンヘン宮廷なのは分かっているが、知らなかった。調べてみるとなるほど現存する地元の交響楽団の前身をバーデン公の楽団とするとそこの指揮者がディラッソ―のミュンヘンでのトロボーン奏者だったとある。つまりラッソーの曲を演奏していたのだろう。百年後の17世紀には現在も観光対象となっているノイエシュロースでオペラ上演をしている。それどころかベルリオーズやリストに始まりバルトークやフルトヴェングラーなど殆どの超一流音楽家が指揮台に立ったり共演している。本当だとすれば、その伝統の一部はカールツルーヘなどに取られてしまったという事だろう。現在は無料の温泉街のバンド程度である。

更にSWR交響楽団を聖霊降臨祭のレジデンス楽団と指定して、ここが重要だが色々な指揮者で演奏してもらうとある。先ずはクレンツィス祭りの二回目をやるが再来年は既に他の指揮者が決まっているという事だろう。指揮者如何では嘗ての様にもっと興味ある企画になるかもしれない。少なくともブーレーズフェストなどになるとどうしてもシュトッツガルトの合唱団と共に欠かせない。

以前は大物指揮者がシュトッツガルトで振っていたが、合弁後は誰もいない。エッシェンバッハやノーリントンでは人を集められない。ケント・ナガノでも限界がある。さて誰が登場するのだろうか?嘗てはショルティやジュリーニなどが定期的に振っていたことからすると匹敵するような大物がどこにもいない。バレンボイムやメータも関係ない。意外に年寄りが駄目になって仕舞っていることがよく分かる。

ドルトムントの時の関係で音楽家に声を掛ければ、バーデンバーデンに芸術的な創造環境として滞在したい人が多いとしているが、ネゼセガンもネルソンズもそんな暇はない。サロネンもフィルハーモニア管弦楽団との最後のツアーのマーラーの九番もがら空きである。誰も浮かばない。

ザルツブルクの騒動に関しては、我々の方がよく分かっているので、一寸苦笑いで観ている一方、ザルツブルクでのティーレマンの貢献を思うと残念で、中々難しい決断だったと思うとする。しかし一方で、様々な楽団との企画はあり得ることで、当然一つを区切りをつけて行く道理はあると考える。

そしてベルリナーフォルハーモニカ―との関係では、現時点ではしっかりと契約期限の2022年まで履行して、そこで条件を話し合うという事だ。しかし、キリル・ペトレンコとの間で更なる芸術的な企画があり、それは更に行くことを物語っている。ペトレンコと一緒に素晴らしい企画を紹介して行くので、とても楽天的に考えていると語る。



参照:
Neuer Baden-Badener Festspielhausintendant blickt gelassen auf die Saison, Isabel Steppeler, BNN vom 24.9.2019
真剣に音楽を分かち合う 2019-03-17 | 文化一般
「キリルと高度に一致」 2019-02-05 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多様的に活発になること

2019-09-24 | マスメディア批評
口内の炎症は治まった。それでも朝がつらかった。思い切って一走りして、シャワーを浴びると、この二年ほどは暑さもあまり感じることも無く、更年期障害かなとも思った。毎年季節の変わり目には熱を出して、全身の痛みで眠れぬような思いをしなくなった。それは嬉しい事なのだが、反面穏やか過ぎるような気もする。室内の換気方法や陽射し避けを工夫したことから、過ごしやすい生活になったのはいいのだが、どうも無呼吸症のような症状も強くなった。要するに朝がつらい。

朝無理をしてでも走ると目が覚める。特に夜中にアメリカからの放送などを自動録音しているとどうしても明け方目を覚まして電源を切ったりする。すると二度寝になって益々朝が苦しい。嘗ては血圧高目で早朝に目が覚めてトイレに行くような時期も数年前にあった。これはこれで夜尿症気味で、加齢を感じさせるのだが、今はそれ以上に眠い。これはこれでまた異なる弊害のある症状となって表れる。

IDカード用の写真を撮らなければいけない。眼鏡は間に合わないが、散髪をどうしようかと考える。まだ何とか写真には耐えられるがさてどうしよう。出来れば11月末から12月初めまでに次回の散髪時期を当てたい。上手い人がやってくれるならば散髪後に写真を撮った方がよいだろう。証明写真類は出来る限り悪相にはならない様に配慮しておくとそのカードの威力が出る。今までの経験で服装なども出来る限りその基準で考える。要するに美男子とか美女とかはどうでもいいのだ。

ザルツブルク復活祭音楽祭次期支配人バッハラーがこの間の裏話しも語っている。情報として流れていたように、夏季にバイロイトをそこの元祖音楽監督に会うために二度も訪れている。つまり二人で話しているのだろう。しかし何度も宛てた手紙に対しては一度だけ女性秘書が答えているというから、最初から負けている。それであの公開の文章だから最早なんら救いようがない。このような人物がマネージメント職に就いてはいけない。

そして、ティーレマンを惜しむ声があるのも想定通りで、追い出したと責められる張本人として、「最初の評判は、ザルツブルクにジェラール・モルティエ―が就任した時にも潰すと言われたが、どうなった?多様的に活発になった、それは今も変わらない。」と話す。

実際にミュンヘンでケント・ナガノを追い出した時も、「キリル・ペトレンコを連れてきて、決め付けられた、しかしその半年後にはよくも連れて来たと英雄扱いだ。」と自らの経験を語る。

そして、この辺りでは世界に三つほどしか超一流管弦楽だがないと思われているが、コンセルトヘボー、ベルリナーフィルハーモニカー、BRなどから始めて、サンタツェチーリア、シカゴなどと加える。ロシアのチャイコフスキー、イタリアのプッチーニ、ドレスデンでシュトラウスとどこにも無い事をと挙げて、コンタクトも経験もあるから実現へと動き初めて、分かっていると語る。そもそもティーレマン指揮の「エレクトラ」を拒絶したぐらいだから、思い描くはメスト指揮シュターツカペレのシュトラウスだろうか。そして一流の楽団はここに来たがっていると思うと話している。さてどうだろうか?



参照:
卒業宣言をする価値 2019-09-18 | マスメディア批評
音楽劇場のあれこれ 2018-03-08 | 女
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中々お目に掛かれない様

2019-09-23 | 試飲百景
口内が喉まで荒れている。週末の試飲会後に酷くなったのだが、酸とは関係なかったようだ。軽い風邪ひき症状だろう。喉雨で誤魔化しているが、このまま何とか治まって欲しい。流石にTシャツは走るときだけだが、体温調整も上手く行っていないようだ。今晩辺りは茄子を熱くして、また生姜などを効かして食事としたい。

書き忘れていたことがあった。週末の試飲会断章だ。今迄は軽食がどんどん出て来たが、もうでなくなったばかりか、先にデポ金を取るようになった。私はいつも忘れて払わないが、要するに立食パーティーにただでと言う輩が多かったのだろう。訪問客も減った。フランクフルトの顧客を持つといっても結局はこの程度だ。

今回は丸いバーに暫く行ったり来たりしていて、一人の男に気が付いた。酔っぱらってはいないが何となく閉鎖的な感じの男だ。反対側に立っているときに、その男がいた付近に老夫婦が座った。そして男が帰って来て、「グラスはどこ行った」と叱責する。「友達のグラスで、誰がワインを飲んだ」と乱立している空きグラスを覗く。

そして老夫婦も「片づけたのじゃないかな」と当然のことを言うのだが、男は興奮気味にグラスを除いて「どこだ」と騒ぐのだ。流石に爺さんも「気が違っているよ」と席を横にずらす。おかしな男がその場を外した。

こちらも正面から見ていて、おかしなことを言うなと、老夫婦と視線を交わして、「飲み過ぎているのだろうよ」というので「見てたよ、どうせ只じゃない」と私らしいことを言って援護した。

そして更に男の様子を観察していた。そして気が付いた。男は一人だと。中々本物の狂人にはお目に掛かる機会は少ないが、これは完全にサイコものだと分かった。身なりなどは若干乱れた感じはあるが、普通である。そして泥酔している様子はなかった。

そして後で考えると、自分自身は金も払わずにただ飲みしているが、当然あの男は早い時期から予約していて金を払っている。こちらは当然購入して返金されることしか考えていないが、30ユーロを払って飲みに来る者もいるのだろう。するとあの男はグラスが無くなっているので本当に怒っていたのかもしれない。新しいグラスに注がせればよいのだろうが、買わないとなると三杯目にはそっと出しになるのだろう。

ズビン・メータ指揮イスラエルフィルのベルリンでのコンサート評も良かった。ヴァイオリニストに関しては賛否両論あった。子供の弾くようなメンデルスゾーンを弾く親仁ギル・シャハンをどう思うかの違いかもしれない。音色も含めて狙っているところが正しいかどうか、少なくとも個人的には20歳の若造の様な演奏をしたカヴァコスよりは理があると思うが、見解の分かれるところかもしれない。管弦楽団の弱さもあるので放送の日によってはツアー中でもあまりよくなかったりするが、確かにこの日は上手く行ったのかもしれない。



写真:グレーフェンベルク2016年産アイスヴァイン、フルボトル430ユーロ



参照:
隠密のラインの旅 2019-09-22 | 試飲百景
眠れなくなる射幸心 2019-06-06 | 試飲百景
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隠密のラインの旅

2019-09-22 | 試飲百景
ワインを試飲してきた。天気が良かったので、気温も例年並みに上がった。それでも気持ちよかった。渡しも思いの外長く待ったが、その間対岸の船着き場も確認出来て、ジークフリートではないが向こう側へ呼びかけたくなった。ホルンを吹くところだろう。

今迄に無く視界も効いたので、メッテルニッヒ家のシュロースヨハニスブルク、ずっと右にエルトヴィレの城郭、その山の方に薔薇の名撮影でも使われたエバーバッハ修道所、さらに右にキードリの村の後ろ側にグレーフェンベルクの斜面が明るく見える。

ワインを取りに行く序でにいつものおっさんにその話しをすると、新しく植えたところは畝の幅を広げてあるという事だった。機械を入れやすいからと説明したので、「手摘みでしょ、だから作業ね」と重要なところを指摘しておいた。勿論説明としては、「日当たりも良く、風が抜けるように」まで加えなければいけないが、倉庫番の親仁を教育するまでの必要はない。但しグローセスゲヴェックスは平方当たりの収穫量は落としてあるからとポイントだけは加えておいた。

醸造所に行って細々と教育するのがVDP会長の隠密と言われる所以で、買い物をして無料で指導までしてくるのだから余程の大人好しである。しかしそうすることでこちらもインサイダー情報を貰える可能性が強いので、益々詳しくなる。

さてワイン自体は想定した通り、斜面の上の地所であるテュルムベルクが一番良かった。他の人を見ていてもそこへ杯が進んでいた。音楽でも同じだが、そうした好みと言うのは決して外れたものではないのである。

グレーフェンベルクは悪くはなかったがやはり酸が効いていない。予約しておかなかったのはそれを予想していたからだった。そして今年の収穫状況からすると2019年は良くなる可能性が強い。

2016年のアイスヴァインも試したが、こちらはかび臭かった。2013年にも似ていて、一般的には嫌われる要素だが、要するにハーブ風で甘さが隠れるのがいい。

グーツリースリングはやはりコクが無くてつまらない。安かろうでがぶがぶ飲む生活は辞めた。そして次のヴィラージュのオルツリースリング「キードリッヒ」は残糖を5.9gまで押さえてあるので悪くはない。兎に角酸が効いていないのであまり強い作りでは仕方がない。更に上の石灰土壌のクロスターベルクは重みがあって喉に引っかかる感じが悪かった。それ以外ではシャルタやテュルムベルクのシュペートレーゼなどまあまあだったが、買えるようなものはなかった。

結局可成り飲んで、帰宅後も飲んで、若干残る感じがあった。こういう時の原因はアイスヴァインに帰す場合が多い。

朝早く起きて、摂氏気温11.5度の森の中を走った。少し早めだったが、陽射しも強く、結構気持ちよかった。汗を掻いて、窓を開け放して、サンルーフを開けっ放しで走るとやはり目立つ。

土曜日は、仕事をしていて少し遅れたが、ミュンヘンのティケットネット一般発売の列に並んだ。新制作「死の街」の二日目の公演一般発売だった。初日の券を貰っているので、必要ないのだが今後の参考の為に情報収集をした。販売方法が若干変わったからで、重要な情報を得た。何時も絶えずこうしたノウハウの為の情報はアップデートしておかないといけない。



参照:
夕暮れの私のラインへの旅 2017-09-29 | 試飲百景
ラインガウへの途上で 2015-09-27 | 試飲百景

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身体に染みついた味

2019-09-21 | ワイン
ナーヘの火山土壌のリースリングを開けた。二本目だろうか?2013年産で残り物を購入したもので、人気が無かったものだろう。年度もあまり評判の良い年ではない。だから葡萄の出来がもう一つで若干糖分を残し気味にしてあって、旨すぎる割りにもう一つ深みも無く品質も冴えなかった。ホールンダーとか花の香りがして、要するにごくごく飲めてしまうような高級ワインは駄目なのである。

ルツェルンからの再放送の録音を聴いていて改めて面白いと思ったのは、コパチンスカヤが学生時代の先輩ペトレンコを「二十二三の時から今も変わらずインテリ」と語るところよりも、パユが質問に答えて、「ラトルとペトレンコの優劣を付けたいわけではない」としながらも結構上手に差異を表現していた。

それによるとヴィーンで習ったペトレンコには身体に中欧の音楽が染みついていて、それはラトルとは違うところだという。これは差し障りが無いだけでなく可成り本質的な表現ではないかと思う。ラトルのように頑張って音楽から音を作らないでも、其の侭持っているというのだ。

それが本当にヴィーンで養われたのかどうかは、元々ユダヤ系ロシア人に私が持っていた先入観念であって、「ラインの黄金」の最初の数分で消え去ってしまったものだが、それをおかしなイントネーションとはせずに音化としたのは名回答だ。

バイロイトから申込書が届いた。八月に詳しく新しい秩序立てを調べたので細かく書かれているところも大体分かっている。それに比較して、新制作やらキャストに関しては殆ど情報がない。ペトレンコだって、二十年以上前から聞いていた人とは中々一致しなかったぐらいだった。

さて、土曜日は九月のグランクリュ解禁試飲会の最後となる。恒例のラインガウである。天気もよさそうで船で渡るのも楽しい。例年夕方にゲリラ的に出かけただけだが、要件は渡し船の現金や燃料も入れて済ましておいたので、ゆっくりと早めに出かけて、醸造所でワイン付きの立食としてもいいと思う。酔い止めに朝食に豚スープのヌードルでも摂って出かけようか。念のために熱い飲み物だけは復路の為に持って行った方がよいかもしれない。それだけで大分酔いが醒める。



参照:
石橋を叩いての樽試飲 2015-06-08 | 試飲百景
12本選択するとすれば 2016-09-26 | 試飲百景
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪辱を果たす様な気持ち

2019-09-20 | 
ペトレンコ指揮ルツェルン音楽祭第二夜実況録音再放送の前にユジャ・ワンを観た。昨年初めて生で聴いたが、聴けば聴くほど驚かせられるピアノである。来年はデュオであるが初リサイタルを聴けるので楽しみである。女流で未だ嘗てここまで弾けた人はいないと思う。生誕二百年のクララ・シューマンなども才女だったようだが、このような技術も楽器も当然無かった。そして音楽的にもとても高度で、受ける背景も正攻法で非常に程度が高い。そもそも男性で今あれだけ弾ける人いるのだろうか?

ツィンナダリ音楽祭からの生中継は、ショスタコーヴィッチのトラムペットとの第一協奏曲だった。あれだけの演奏に合わせようとするとシャニ指揮のヴァルビエールの楽団もよくさらっていた。アンコールで指揮者との連弾でスラブ舞曲集を弾いたが、指揮者のロマンティックな音楽性も良く出ていて、指揮と同じようないい加減さもよく分かった。

女流の指揮者では、やはりヨアンナ・マルヴィッツが表彰された。昨シーズン最も優れたオペラ指揮者として女性で二人目、そして最年少の受賞である。十代からオペラ劇場に入っているので、それだけの覚悟があったと語っている。現場に慣れろである、習うより慣れろである。

確かに音楽的な基礎教育や高等教育は別にして、劇場の仕事は徒弟修業の様なものであるから、その程度の指揮者が殆どで、飛びぬけて才能のある指揮者がいないのがオペラ界である。カペルマイスターなどとはやされるのも、その才能の無さの反照でもあり、如何に職人的な仕事が重要でそれ以上ではないかという事も物語る。

だから、フルトヴェングラーやペトレンコなどが指揮をするとあまり立派過ぎて劇場的な感じが出なくなる。ペトレンコがカラヤンを称して、自分自身と同じで小さな歌劇場で修業を積んでそれをものとしたというのも穿った見方をすれば、その技量やその利用をよく見定めていることでもある。

マルヴィッツ指揮は、フランクフルトでの客演新制作の「メリーウィドー」の評判が良く、ペーターセンの歌唱があって、生で体験できた。同じように評判だったペトレンコ指揮の新制作「トスカ」を聴き逃した雪辱を果たした。指揮に関しては若干力が入り過ぎて上手く振り切れない感じがあったが、新任のニュルンベルクでの指揮の映像を見ると長い腕と指揮棒を活かしてよくなっている印象もある。基本的な技術は変わらないのだろうが、大きな劇場やホール等で振るようになると意識して変えて行くものもあるのだろうか。

兎に角、早めに次回のミュンヘン行の日程が決まったお蔭で、マルヴィッツの新シーズンでのフランクフルト公演の安い席を確保しておいてよかった。二度目のバリコスキー演出の「サロメ」は初めから売れ行きが良かったが、フォーレ作曲「ペネロープ」の方は通にはより関心の集まるものだろう。

偶々、その公演に続いて、アルテオパーでユロスキー指揮を初めて観ることになる。どちらも独語圏オペラ界を二分する指揮者と成ろう。マルヴィッツのオペラ感覚はユロスキーに負けないのではなかろうか。ワクワクさせる。今回の選考理由も、音楽家、聴衆、評論家皆を直ぐに夢中にさせる芸術という事だ。

再来年にバイロイト祝祭劇場で女性指揮者として初めて振ることは間違いないだろうが、二三年も振れば元祖音楽監督の出来ることは習得できるだろうから、元祖が必要なくなる。当然の事そうした思惑がある。ニュルンベルクでの任期はあと何年ぐらいで、ものとするかは未定であるが注目されるところで、手兵のアンサムブルを鍛えられるようでないと頂点には出られない。

先ずはその楽団の程度が分かっているフランクフルトの上演で二度目の実演を楽しみにしよう。特にそれも珍しいフォーレを振るとなると、どうしても大きな期待をしてしまう。

ルツェルンのkklが座席から写した写真にいいねを付けた。完全に特定されてしまう。余り悪用はされたくないが、来年以降の予約の際に便利を計ってくれれば助かるのだ。まあそこまでは細かな仕事はしていないだろうが、少し見れば毎年熱心に来るだろうなとは分かる筈だ。



参照:
次元が異なる名演奏 2019-08-18 | マスメディア批評
熟成させる時間が必要 2019-09-15 | 雑感
脚光度ピカイチの女性 2019-08-08 | 女
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思索の向かうところ

2019-09-19 | 文学・思想
ベートーヴェンの創作過程を思っていた。いつの間にかルツェルンでのガイダンスの感動が戻って来た。なにに感動したかも思い出してきた。8月28日19時30分始まりの演奏会の丁度一時間前から開かれたスザンヌ・シュテール女史の話しの内容だ。フェスティヴァルのテーマは権力だったので、プログラムにあるような社会学的な見地からの啓蒙思想の悪用だったかと思ったが、全く異なっていた。

既に触れたように子供の時から知っている聴覚の障害から第九の初演で指揮をしていて終わって拍手が一斉に湧いていても気が付かなかったというような話しがステレオタイプに染みついていて致し方が無いのだが、そのことを誰に充てたのか失念したが手紙の文章として手短に読み上げた。それで本会場の十分の一にも満たないような聴者が皆感動した。

どこに焦点があったかと言うと、聴覚障害で人とコミュニケーションを取るために大部残されたノートを使っていて、自身の発言は話せるので書かれていないような状況だった。そして益々内面へと創作の創造の世界が広がって行き、最終的には大変憂慮される創作者を取り巻く社会から環境から閉ざされ閉ざす形で創作が進んで行ったという事にある。一神教的な世界観を超えて、宇宙の果へと連なるような理想への恣意である ー まさしく心より出でてと言うのは、偽りの無い信条で、想いが通ずる。その意識が伸びて行く方向へと言葉が導く。そのことに皆が感動したのだった。

のちほどこの話しを纏めてみると、丁度指揮者のキリル・ペトレンコが楽団の前で話した内容と同じ方向へと意識を向かわせる内容だったのだ。実践を通したカント的美が問われる ー この間詳しく一連の公式ヴィデオを追ってきた人は、ここで指揮者が春から語り、そのブレーンの博士によって解説されていた悦び、ルル組曲への視座がここから発していて、指揮者の言葉の裏付けをそこに見出すだろう。そのインタヴューをシュテ―ル女史が予め知っていたのかどうかは分からないが、ベルリンの初日の演奏を聴いた耳には、この話しが妙にその演奏内容に通じていることを無意識に感じておかしな気持ちになったのだった。

こうした所謂「深い話し」は ― 嘗て日本の大木正興と言うベートーヴェンを得意にしていた音楽評論家が言うと「フカーイ」のだ ―、ボンのベートーヴェンフェストの監督ニケ・ヴァークナー博士のお得意の価値判断でもある。そして初日のその基調講演の報告が新聞文化欄に出ていた。そしてその内容が全く楽聖のそうした精神活動ではなく、以前ヴァイマールでやっていた彼女のお爺さんリストの話しになって仕舞うと批判されている。要するに楽聖についてその創作世界に付いて語っていなかったというのだ。

それは、なにもベートーヴェンだけでベートーヴェンを語る必要もないという事では矛盾しないのかもしれないが、全ては話し手の先入観念と独自の価値観でしか語られていないとあった。恐らく最早このヴァークナー家の人について語る必要もないのではなかろうか。座席占有率が新作演奏会でもないのに七割にしか届かない現実は、その会場難の問題があるにしても、少なくとも有名人演奏家を集めないというだけの興業上の問題ではない。

ペトレンコ指揮カウフマン登場のコルンコールト作「死の街」初日の一般発売が始まった。既に配券されていたので何となく十五分過ぎたぐらいに販売状況を見て驚いた。ベルリンへの就任が決まって以降の今までは音楽監督が振る新制作初日シリーズは、その時点では800超えくらいのウェイティング番号しか得られなかったが、400番超えを貰って、忘れてから一時間ほど経過した11時10分過ぎにもまだまだ配券されたものよりお得な券が買えた ― 「オテロ」までは30分以内で買えなければ完全に売り切れとなっていた。なるほど売り方を少し変えて、抽選外れの人に優先的に配券されるシステムに変わっている。しかしであるが、この珍しい曲の人気の無さである程度の低調ぶりは想定していたが、またシステムの変化があってもカウフマン人気でのこの出方は想定を遥かに下回っていた。正常化は喜ばしい。



参照:
adagio molto e cantabile 2019-09-06 | 音
「平和を」の心は如何に? 2019-02-22 | 女
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卒業宣言をする価値

2019-09-18 | マスメディア批評
ザルツブルク州の結論が出た。現音楽監督はあと三回の復活祭登場のみとなった。2022年に希望していて、新支配人と争っていた演目は手切れの土産として「ローエングリン」が叶った。しかし実際にその公演が実現するかどうかは疑わしい。

舞台はザルツァッハからエルベ河畔へと移った。来年四月エープリールフールの元祖バイロイト音楽監督の誕生日までに辞表を出すとか書いてあるが、ティーレマンは辞表を出すなど一言も発言していない。要するに依願辞職の要請をメディア辞令で出して、この先は分からない。

そもそも契約当事者はザルツブルク州とザクセン州であると書いてある。するとこのメディア辞令に反応するのはザクセン州でしかない。ザクセン州は2023年以降も留まりたい意向を出している。つまり、ザクセン州の当事者であるシュターツカペレドレスデンとその指揮者ティーレマンの間で来年四月までに決着を出す必要がある。

バイエルン放送協会は、第一報でティーレマン自体がドレスデンのゼムパーオパーで新制作を殆ど振ることも無く、喜んでツアーに出てシュターツカペレを振りたいとしても欧州以外への演奏旅行は骨が折れるとして控えたいとしていると伝えている。そもそも欧州ではティーレマン指揮シュターツカペレは殆ど客が入らない。二千人近い大ホールでの演奏会は不可能となっている。よって、オペラ公演を中心とした復活祭上演も80%の座席占有率とはならなかった。

故に万が一シュターツカペレが首を据え替えても余程の人でなければ、例えばネルソンズ指揮ゲヴァントハウス管弦楽団よりも魅力があって、容易に集客とはならない。思い当たるのは指揮者ヴェルサーメストぐらいではなかろうか?勿論ドレスデンでも活躍しなければいけない。

だからバイエルン放送局は、元祖音楽監督はバイロイトに専任して、そこでもう少し活躍すればよいとしている。

要は、今後の焦点はザクセン州の反応と指揮者との攻防となる。管弦楽母体のシュターツカペレ自体の中にも様々な反応はあるだろうが、そろそろ指揮者との間でごたごたしそうな塩梅だ。こちらも首を据え替えてしまうならばエープリールフールまでにザルツブルクと新たに延長の契約を締結しなければいけない。少なくともザルツブルク側は様々な管弦楽団でと言っているが、実際問題として復活祭中に幾つかの催し物を複数の団体と毎年纏めるので容易では無かろう。

今回の騒動の第一次の勝利者は現バイエルン国立歌劇場支配人のニコラス・バッハラーである。そして勝利宣言、「巨人同士の闘争なんてなかったよ、そもそも巨人などではなく、争ったことなんてなかった。」。

録音しておいた先日引退したハイティンク指揮のブルックナーを流している。丁度一年前にチューリッヒで聞いた同曲の演奏からすると大分酷い指揮になっているようだ。あの時はそれ程慣れていないトーンハーレの楽団であったが、大雑把であっても崩れるところはなかった。その十日ほど前にルツェルンで聴いたマーラーの九番はそれよりも悪かったがコンセルトヘボー管弦楽団が崩れることは無かった。

既に昨年の春ごろから転倒続出で引退は見えていた。少なくとも自宅のある地元のホールに於いてマーラーの惜別の交響曲を最後として振りたいと卒業宣言していたので地元の皆はこの指揮者とのお別れをしたのであった。そしてやはり引退発表するようになってから余計に気持ちが折れてしまったのだろう。



参照:
限り無しに恨み尽くす 2019-09-03 | 女
プログラミングの決定権 2019-08-22 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史に残るようなこと

2019-09-17 | 文化一般
「フィデリオ」の話題が出ていた。正確には「レオノーレ」の版の話しなのだが、気になってアンデアヴィーンのサイトを覗くと「フィデリオ」を歌う筈だったペーターセンの名前が無くなっていた。てっきり復活祭前に練習で歌うのかと思ったが計画が変わったのだろうか。小さな劇場でヴィーナージムフォニカーの演奏なら練習になりそうだったが、兎に角取り止めている。

キリル・ペトレンコ指揮で3F企画即ちFreude,Freiheit,Friedenの全てを体験しているが、一番厄介なのは二つ目の「フィデリオ」上演だと思っている。創作自体の難しさで演奏の難しさだと思う。ベートーヴェン年の最大の話題と成果の一つになると確信している。

新聞にロシアの演出家キリル・セレブニコフが旅行自由になったとあった。まだドイツへとは来ていないようだが、先ずは熱心に支援していたシュトッツガルトを訪れるのではなかろうか。どのような演出をするのかは知らないが注目である。

それ以上に重要なのはアイウェイウェイがドイツから英国に出国したことで、詳しくは知らないが、香港問題とも関係するのだろうか?ドイツでは子供のアイドルの様なトップスターだっただけに不思議に思った。

文化欄に作曲家ショスタコーヴィッチの伝記を書いたポーランドの作曲家クリストフ・マイヤーの一節がドイツ語訳されて紹介されている。最後に作曲家を訪問したのは1974年春の様で、それを最後に一年後の夏に訃報を聞いたというものだ。

未出版の楽譜を見せての中に弦楽四重奏曲14番と歌曲ツィクルスが入っていて、後者は筆者の作と全く異なっているとショスタコーヴィッチが説明したと言う。そしてそこに描かれているのが長年働いていた女中さんでアンナ・アヒュマトーヴァと言う人らしい。その訪問の際もコニャックのナポレオンの大瓶を出して、ナッツ類を提供して、そこで暫く座っていたらしい。既に録音もしてあってテープを回したようだが、演奏が悪かったらしい。

またマーラーの話しになって、どれもこれも好きなのだが、第一から三楽章を第六からフィナーレを弾いて上げたという。そして作曲家は言う。死ぬ前に30分の時間があれば、大地の歌から告別と10番を聴きたいと。まるでクラオタの様な作曲家だったようだ。

そしてお土産のLPを見つけて、トスカニーニ指揮の一番と七番は既に聴いていてよくないと、しかしもう一枚のロジェストヴィンスキー指揮ストラヴィンスキー「マヴラ」はいいと評価していた。机の上にはコニャックで、自身もソヴィエトの代議士で当日も礼儀のいい兵士の訪問を受けて、内務大臣に電話したというから、この作曲家の晩年の生活ぶりがよく分かる。

右腕はお湯を掛けられても感覚が無く、まともに動かなくて、左手を機械仕掛けのように動かして、益々視力が落ちて新しい眼鏡枠に分厚いグラスを入れていたようだ。




参照:
電光石火の笑いの意味 2016-12-13 | 女
TVドラマのような視点 2019-07-24 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする