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承前)ブロムシュテットが語る「アインドイツュスレクイエム」の放送三回目である。先ずはソロが三楽章に突然現れてと語り始める。ラップランド出身の氷に閉ざされたところからやって来た才能のあるバリトンをここで聞けるのは喜ばしいとペータ・マテイを紹介する。そして詩編39を読み上げる。
「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。
5 見よ、あなたはわたしの日をつかのまとされました。わたしの一生はあなたの前では無にひとしいのです。まことに、すべての人はその盛んな時でも息にすぎません。
6 まことに人は影のように、さまよいます。まことに彼らはむなしい事のために騒ぎまわるのです。彼は積みたくわえるけれども、だれがそれを収めるかを知りません。
7 主よ、今わたしは何を待ち望みましょう。わたしの望みはあなたにあります。
ホルンとピチカートに伴われ、再び三音の運命の動機が現れる。そしてブラームスの上行・下行のメロディー作法を作曲家が過ごしたスイスアルプスの山並みに喩える。その具体的な形状の音化と捉えるのがとても面白い。それがまた内容であるアバンダンな孤独感と結び続けて語られる。
そして自らの人生がまるで束の間のようで何ら意味を持たないかのようだとの諦観を歌い、手の幅ぐらいでしかないと。悲観的なテキストであるが、それが現実だと語るこの指揮者が益々宣教師に見えてくる。まさしく新著の「宣教の音楽」そのものだ。
そしてフーガに至ると、歌謡曲と違うのはただの繰り返しではないと、そこで再び最初のSeligのメロディーが出てくるのだが、しっかりと「苦しみ」で和声が暗くなりと、そして神の御手にとなる。同時に管弦楽はまた別のフーガを演奏していているが、二重フーガでオルゲルプンクトが始まる。
そもそもオルガニストが踏みっぱなしにする、その上で美しく興味深い音楽が繰りひろげられる音楽の基礎低音だが、その音楽的な基音は、宗教的には何かと言えば、神だという。人々は最後の審判においても、それよりは下には落ちない*。人々が築くどんな美しい建造物も科学も詩も絵画も全ては創造主の掌の上でなされるのだ。そうした全ての装飾や美の基礎とは、ブラームスのオルゲルプンクトとは、「私にとっては、それは神そのものだ」と信仰告白をする。
1867年のこのフーガの初演は珍しく大失敗だったが、演奏したティムパニストはそれが大切だと思ってあまりにも強く叩き過ぎたので何もかも駄目になったが、ブレーメンで再演した時は大成功したという。そしてもう一つのフーガの五楽章を含めて全七楽章が初演されたのは1869年のゲヴァントハウスであったと語る。
ブラームスがこうした合唱曲を熟知したのはそもそも若い頃にコーラスを編成して ― 因みに彼の女好きで女性コーラスを編成したのだが、はは、生涯独身を通したけどね ―、パレストリーナやラッソーなどからよく学んだんだと、もう一つのフーガの六楽章は改めてということだ。
この三楽章をNHKでの演奏と比較して、このデンマークでのそれが悪いという人は皆無だと思う。アマチュア―とプロフェッショナルの違いで、ナジという歌手はパパゲーノで聞いているが人気があって忙しすぎるのか合唱団に引っ張られているのかここでは話しにならない。管弦楽団だけは必死に支えているが、よくもこんなキャスティングが今回のツアーになされたものだと思う。
なるほど、二重フーガなどは、ペトレンコ指揮のべルリナーフィルハーモニカーの演奏を待つしかないのだが、ブロムシュテットの様な信仰告白までの確信を持った指揮が可能なのかどうかは疑問である。ただ言えることは、これが正しく正確に表現されることで初めて確信となることは確かなのである。ヴィーンの人たちにブロムシュテットの語るような北欧プロテスタントな生活感情が分かる筈がない。少なくともここ中欧から見ていても、なるほどこの話を聞いて、北の果て出身の歌手の歌を聞いて、その厳しい環境の中での温もりを初めて感じることが可能なので、南欧の浮かれて華美な生活感とは全く異なる心情なのだなと体感することが出来た。とても素晴らしいシリーズである、更に続きが楽しみになった。(続く)
*Luther Der Prediger 3.17 Doch dann dachte ich: Am Ende wird Gott den Schuldigen richten und dem Unschuldigen zum Recht verhelfen. Denn auch dafür hat er eine Zeit vorherbestimmt, so wie für alles auf der Welt.
参照:
Herr, lehre doch mich, Herbert Blomstedt (HappyChannel)
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