フランクフルトのバッハの会では、ヴァイマール・ケーテン時代の管弦楽が中心に演奏された。今シーズンから始まった会員向きのオリエンテールングでは歴史的演奏実践にも触れていた。冒頭は遅れて聞けなかったが、面白かったのは1930年代のコンセルトヘボー管弦楽団演奏の組曲二番ロ短調の録音だった。演奏自体はとても優秀な演奏で、メンゲルベルク指揮の管弦楽団がベルリンのフィルハーモニカ―などとは違う程度の演奏をしていたのを確認した。とてもあれだけのアンサムブルは新世界でも当時なかったであろうと思わせて、そのバッハ演奏の歴史的な意味を改めて知った。
要するに楽譜を正確に音楽しているのだが、バロック音楽における研究や演奏実践が戦後にベネルクス諸国でリヴァイヴァルしてくる源泉のようなものをそこに紹介した。組曲における舞曲的な要素を、その音楽リズムの記譜化されていないものを、ヴィーナーヴァルツァーの三拍子と比較して説明する手腕も中々優れていた。もう一つの柱は、チェンバロ協奏曲の音楽とそのカンタータへの発展の説明だったが、様々な楽器の使い方と、装飾の付け方などへとなかなか意欲溢れる内容で、短い時間ながらなかなか充実していた。
当日の演奏は、ジョルディ・サヴァール指揮する「再統一の味」と名付けられたプログラムであった。そこで再統一されるのは、バッハが倣ったイタリアとフランスのバロック音楽としてもよいかもしれない。そこで演奏されるのはロ短調とハ長調の組曲二曲とニ短調のチェムバロ、二つのヴァイオリンのための協奏曲である。
特に印象に残ったのは、あまり知らなかったチェムバリストのピエール・アンタイで、恐らく今までも楽団の中で弾いていたのを聞いているのだろうが、今回は協奏曲を含めてその音楽がアンサムブルの中で中核を占めていた。流石にレオンハルトの弟子である。一楽章アレグロでのヴィオラとの絡みは、今まで経験したことのないバッハ演奏で、グールドがピアノで弾く時よりもそのチェムバロの鋭く早い音響が中音域のオブリガートと織なす、ピエール・ブーレーズ作曲のライヴエレクトロニックばりの音響を試していた。そうした現代的なサウンド感覚も含めてレオンハルトには全くない種のもので、その意味からは完全に師匠を超えているのかもしれない。
明らかに緩いアンサムブルのサヴァールの音楽がこのような通奏低音によってもしっかりと支えられることで、フルートトラヴェルソを吹いた兄弟のマルク・アンタイの演奏する組曲においてもなかなか微妙なバランスとテムポを表出できていたのかもしれない。通常のフルートでは音が立ち過ぎるのだが、このように演奏されることで、なるほど従来の演奏形態よりもサウンドが豊かになることも事実だろう。
コレルリ、ヴィヴァルディとそしてフランスのルイ王朝の音楽がどのような形でバッハによって統合され結実しているかを音化する演奏会としてはこれで大成功といえるのだろう。このような演奏よりも遥かに精妙な古楽器演奏アムサムブルは幾らでもある訳だが、決して鄙びた響きでもなく、超現代的なサウンドがこうして齎せるのはやはりサヴァールの音楽性ということに違いない。
最近は大ホールで活躍が目立つ演奏家であるが、反面嘗てのようなビックリおもちゃ箱のような奇想天外さは影を潜め、その一方でこうした純器楽的なバロック演奏を披露しているのであるが、同時に際物にならないようなぎりぎりの線をしっかりとこうした演奏家が守っている感じが強かった。
そして、2009年の同じ楽団の演奏会の記録を読み直す。その時はブランデンブルク協奏曲ではブーイングが聞かれたようだったが、なによりも組曲では結果が逆になるのは分かっているようなものだ。そのもの楽譜には一切表現されていない舞踏の音楽こそがその中心であるからだ。メンゲルベルクが意外にもとても素晴らしく楽譜に忠実に演奏をしていて、そして今では全く楽譜に書かれていない音楽こそが学術的に忠実な演奏解釈なのである。そして、そのリズム感覚などの際どさこそがサヴァールの最大の持ち味であることは間違いない。
先日のキット・アームストロングのリサイタルに続いて、十分に刺激的なバッハ演奏実践で、もし現在のバッハの最前線を体験しようと思うならば、このフランクフルトの演奏会シリーズしか他にないだろう。
参照:
開かれた陽画の舞踏会 2009-01-23 | 音
きっとアームストロング 2016-01-15 | 音
知的で刺激的なバロック音楽 2015-10-17 | 文化一般
ピエール・ブレーズ追悼記事 2016-01-08 | 文化一般