昨日はベルリンでの記者会見の時刻あたりからアクセスが増えた。てっきり「安倍政権支持層とギリシャ人を扱った」ことが掲示板等で話題になったものと勘違いしていた。実際は、昨晩のディ・ヴェルトツァイテュングのネットに、信用できる情報として、楽員選挙の結果としての推挙が報じられていたのだった。しかしラディオの文化波では「結果は漏れ伝わらなかった」ともあったので、それは特ダネ的な内部漏洩情報だったのだろう。
日本語で「キリル・ペトレンコ」を検索しても、前日までは八年ほど前に日本語で伝えていた「ドイツ音楽紀行」のコーミッシェオパーの新人指揮者としての紹介記事と、CPOのCDの紹介と、私の記事以外では、フランクフルトやミュンヘンでの公演感想記事、それ以外には情報伝達記事しかヒットしなかった。意外にNHK等でも放送されているバイロイトでの公演での反響も少なかったのだ。それが一夜にして就任報道記事がネットを席巻することになる。
改めて、あまり興味がなくて観ていなかった、フィルハーモニカ―のバーダー氏による
インタヴュー映像を観る。ここ三年ほどはこうしたインタヴューも受けてもいなかったようである。以前見たイスラエルでの英語のそれとはまた違い、とても興味深かった。特に管弦楽のサウンドに関する問いかけで、「どのようにしてそこまで明白なサウンドを準備しているのか?」との問いかけだった。フィルハーモニカ―の間でもわずか三度しかなかった登場の練習で話題になっていたようだ。それは、先日ミュンヘンの劇場でもアシスタントの女性指揮者が語っていた、最後の最後まで厳密な目標が希求される練習としていたものである。
それに対して答えて、「楽譜を読む」ことで、必ずしもピアノでの試し弾きや経験則からの音響などではないとしていて、まさしく現代の大管弦楽団の可能性に深く係わる仕事であることを明確にしている。これは今回の推挙においての芸術的に重要な判断材料であって、20世紀に横行したような「指揮者の作る管弦楽サウンド」に形容される「指揮者の音楽」や「市場に受けるサウンド」とは一線を画すとされるところである。
そのように準備されて練習の指揮台に上がるので、到達する段落ごとに時間配分されており、無駄な時間無く、時間軸にそって弛まなく練習が進行し続けることを楽団員はとても喜んでいる。この辺りに目標へと逆算して行く姿勢は、12月のズル休み演奏会土壇場キャンセルからこの月曜日の朝九時から十二時までの電話での承諾までが全て予定通りに進んでいるかに見える時間マネージメント能力なのだろう ― そもそも時間の芸術家がそれを十分に把握できない限りどうしようもないのだ。
そして、スクリャビンなどのプログラム構成に関しても、その可能性の掲示と同時に、聴衆に対する教育的な配慮に触れており、まさしくこれが楽員への教育でもあるのだ。昨年12月のコンサートのキャンセルには裏があるのは当然だったが、「圧倒的な推挙でないと嫌だ」とした指揮者ティーレマンの単純さと対照的で次元の異なるタクティックスがそこに見え隠れする。どのような分野であろうと150名相当を指導していくには、マネージメント能力が必要であるが、それが自由業である職人の集まりとなると猶更カリスマ性などの単純なものでは治まらない。
このインタヴューでもう一つ興味深かったのは、個人的な質問でその故郷に関する質問への回答である。特にシベリアの本来の故郷とはパセティクな繋がりがあり、ボーデンゼーから東ドイツ、ベルリン、また現在も母親の住む国境に近い南ドイツへと語られ、最後には親戚の住むイスラエルが挙げられる。イスラエルに関しては、当地での英語のインタヴューで、全くヘブライ語が話せない様子だったので、通常のユダヤ系ではないと感じていた。実際に「地学的な故郷に関しては容易に言えない」としており、なかなか複雑な社会的な背景が示唆されている。イタリアではユダヤ系ロシア人のマイスキーとも共演している。
新聞には、いつの間にかティーレマン一味になっていった女流評論家ではない者が、文化欄でその成り行きを伝えている。コントラバス奏者で団員長リーゲルバウワーの電話での早い進行と、今後の成り行きを予想している。バイエルン州の文化相は、ベルリンでの決定に迷わされること無く、既に提示している2018年以降のバイエルンの音楽監督の契約延長を希求し、ペトレンコにも努力して欲しいとした。
ペトレンコがミュンヘンで語った正式の表明は、「この気持ちをなんと捉えようか、歓喜であり、大変な幸福であり、更に畏敬と不安の混ぜ合わさったとなるだろうか。この特別な管弦楽団に恥じない指導者になるため、あらゆる力を駆使して、大きな責務と期待を自覚しています。そしてなによりも、管弦楽団員と一緒になって多くの芸術的な至福の時を、我々の厳しい仕事の成果として、我々の芸術的意味ある人生を満たすものとして望みたい。」とある。
面白いのは、往年の歌手であるアニア・シリアがこの指揮者の見識と、その愛される存在であり且つ妥協無き正確さを指摘して、「誰もが、出来る限り彼のために一生懸命になるのは、彼を失望させたくないからなのです。」と賞賛している。勿論ご主人は彼のドホナーニ氏であるから、このロシア出身の指揮者が既にドイツのこの業界社会に深く関わっていたことを証明している。やはりバイロイトの騒動は、ただの「大人子供」達の嫉妬程度の話ではなかったのだ。
参照:
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