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承前)誰もが納得する12音音楽。ヘンツェがそのクイントの基本音列に託したものは。今回ベルリンのテムペルホーフで催された新制作「メデューサの筏」のプログラムにはその様なことは書かれていない。それは制作のコーミッシェオパーというのが抑々ドイツ語の上演でどのような人にも理解可能の上演をとしているからだ。
先日も話題になっていたロンドンのナショナルオペラカムパニーも英語の上演で有名であって、ロンドンから撤退ということでその存在意義が再び話題になっていたのと事情は似ている。
だからインタヴューに応えて指揮者のティテュス・エンゲルもそれ程難しいことは語らない。但し、抑々の音列とその扱いは徐々に自由に扱われていくと語っている。恐らく全てはヘンツェの基本コンセプト其の儘だったと理解する。
この作品の創作は68年の学生革命と共にある。あの学生運動を幾らかでも身を以て感じていた人は、学生や労働組合などの運動に対して取り残された人たちがいたことを知っていて、そしてそう言う人たちの為にこの作品が創作されているということである。
つまり音楽的には12音音楽技法を使いながらも如何にそのドグマから解放されるかという大きなモットーがまずその創作意思としてあった。それが「フィナーレにおける技法の形を残しながらの60音のメロディーになって」とエンゲルは語っている。
勿論舞台では様々な台詞からバロック風の歌までの中で、マイクに向かって話すことで、増強されてスピーカーから流れることになり、音響的に反響が強く合唱や特に管弦楽の全奏が抜けるような響きとはならない。それをして、この指揮でフィルハーモニーで演奏されていたならなどというコメントも見受けられた。しかし12音音楽における基本音列から反行、逆行などもある程度頭に描けれていたならば全く問題がなかった。各紙で揺るがせない透明感とそのリズム的な精査と絶賛されたところでもある。
そしてこの制作がなぜこうした24万リットルのプールを取り囲む形で、こうした音響的な特徴を持った場で以って企画されたかをより認識すべきところである。1400人規模の表と裏に分かれたスタンドの間のプールにおいて劇が進み、仕手役にボートに乗ったダンテの神曲のカローンの渡しの船頭役がいる。そしてクライマックスでイエスが海を渡る。
まさしく、総奏にて音響的な団子が発生したとするならばそれはヘンツェの作風がドグマから解放されていたということにならないのだろうか。兎も角、初演時に問題となったチェゲヴァラへの「ホホホーチミン」の歌はここでも歌われることはなくてもオスティナート風に奏されてとても大きなフィナーレを形作っていた。受け取るのは聴衆であって、その反響こそが目されているのである。
長短調性システムから解放されてその響きが大きな会場に響き渡る。演劇的には格納庫の大きな扉が開きだして、外に止まっている案内人の車がフォローミーと先導する、何処に?(
続く)
Das Floß der Medusa in Tempelhof - première
Premiere von „Floß der Medusa“ in Tempelhof am 16.9.2023
Komische Oper Berlin - Das Floss der Medusa - Hans Werner Henze
Das Floß der Medusa | Trailer | Komische Oper Berlin
参照:
オペラの前に揚がる花火 2023-09-19 | 雑感
漆黒の闇があったから 2023-09-15 | 歴史・時事