Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引2023年09月

2023-09-30 | Weblog-Index


制作者の目、その選択 2023-09-29 | 文化一般
あまりに素朴な田舎の味 2023-09-28 | 料理
カラヤンサーカスの音響 2023-09-27 | 音
いい時に手をつける 2023-09-26 | 試飲百景
クリックトラックの接点 2023-09-25 | 音
長い旅の終わりに 2023-09-24 | 雑感
長短調性システムの解放 2023-09-23 | 音
旧産業からそして今 2023-09-22 | 文化一般
音の摂理とその奔流 2023-09-22 | 音
再び北上する旅支度 2023-09-21 | 生活
迎へ酒の酔いがまわる 2023-09-20 | 料理
オペラの前に揚がる花火 2023-09-19 | 雑感
連邦共和国文化圏各々 2023-09-18 | 文化一般
漆黒の闇があったから 2023-09-15 | 歴史・時事
故コール元首相のご愛好 2023-09-14 | 生活
いざ芸術島に渉るか 2023-09-13 | 文化一般
特産の弦の表現力 2023-09-12 | 文化一般
ロマティック交響曲トリオ 2023-09-11 | アウトドーア・環境
モンツィンゲンの垂直試飲 2023-09-10 | 試飲百景
フィナーレの在り方について 2023-09-09 | 音
迫る20年ぶりの長距離運転 2023-09-08 | 生活
言及不必要な禁則など 2023-09-07 | 音
ブラームスの先進性から 2023-09-06 | 音
ターキーサタデーナイト 2023-09-05 | 料理
旅絵日記週末編 2023-09-04 | 文化一般
旅絵日記一時帰宅編 2023-09-02 | 雑感
見事な素材とその出し方 2023-09-01 | 雑感
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制作者の目、その選択

2023-09-29 | 文化一般
雑誌「オペルンヴェルト」の昨シーズンのアンケート結果が発表された。またもや昨年の指揮者はバーデンバーデン復活祭で「影のない女」を指揮したキリル・ペトレンコとなり、ティテュス・エンゲルの二回目の授賞とはならなかった。並列にもならなかったのにはそれなりの原因があるだろう。

その他目ぼしいところでは、「戦争と平和」が昨年の最高の上演となり、座付き楽団もミュンヘンのそれが授賞した。演出家も「戦争と平和」のチェリカノフの授賞でこれは妥当だろう。

それで分かるように、ウクライナ侵攻で時事に合わせた演出の修正を余儀なくされたことが評価にも結び付いた。それに引き換え「アシジの聖フランシスコ」には時事性が欠けていたのだろうか?

先日放映された新制作「アシジの聖フランシスコ」のドキュメント「鳥と歌う…」を一時間かけて観た。想定されていたような聴衆の体験を映像化するには至らずメーキング映画になっていた。勿論それを観ることでそこで体験した人々はそこで何が起こっているのかは回想できるのだが、一般の視聴者にとってはどうだろうかとなる。

例えば、環境問題に対する姿勢も聖フランシスコの詩や行いを越えてどれ程のメッセージ性があったかが疑問となる。その後にルツェルンで指揮台が狙われるとなるならば、余程のことをしないと主張を鮮明にすることは難しい。番組においても衣装を市内から集めというような説明はされているのだが、上演を通してその環境に配慮というような主張を通すことは難しく感じた。

しかし、主目的な野外音楽堂迄皆が歩いて少し苦労をして至るという行いに意味があったことは示されている。聖フランシスコが山へと登る時について来た者の喉が渇き泉を出現させて、そして聖傷へとの逸話を思い起こさせる。その様な観想の情景が幾つかそこに映される。

ある意味この演出が所謂読み替えなどとは程遠いリアリスティックなもので、体験を通してという現代的な哲学に組している。やはり環境テロとは一線を画している。高度な芸術はそれでよいのだ。

同様なことは音楽的な行いについても全く同じであり、そこで映されているのはなによりもシロフォンなどの打楽器と厳密な練習を行って、それを各パートに繋げていくということをエンゲルが語っている。なるほどそれはメーキングの行いでもあるのだが音楽表現として最も基本的な行いでもある。

そうしたことをしっかり評価できる人が少ないのである。音楽ジャーナリストや評論家と呼ばれるような人は制作の現場をあまりに知らな過ぎる傾向があり、正しく芸術を評価することが出来ないという結果を生じさせている。

番組は、何度か話してその笑顔を絶やさなかった制作主任のジルヒャー女史を中心に据えてドキュメントを綴ったのはまさしくそうした制作者の目であり、選択なのである。



参照:
八時間に及ぶ千秋楽公演 2023-08-09 | 音
天使が下りてくる歌劇 2020-09-29 | 音
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あまりに素朴な田舎の味

2023-09-28 | 料理
ベルリンのオペラ劇場の次期音楽監督が決まった。予定の指揮者パパーノの調印発表が遅れていたのでおかしいと思ったのだが、結局ベルリン出身のティーレマンとなった。既にの公職追放並みに前連邦文化大臣からも叱責を受けていたので、継承はないと思われていた。しかし国立歌劇場は州の管轄のようで、連邦政府が関係しないのは嘗てのベルリナーフィルハーモニカーがそうであった時と同じである。そしてその担当者はアフリカ系ドイツ人のユニヴァーサルレーベルのマネージャーがこの間にその任についていた。以前は左翼党の管轄だったので、状況が変わっていたのだった。しかし最終的には来年同じように就任する新支配人に決裁権があって、彼女とそして州の書記官の女性が今回の契約にあたったとされる。そこで給与から職務迄がんじがらめにして発表に至ったらしい。

やはり大きな選考理由には集客性があるとされていて、当然のことながら専門にしているヴァ―クナーやシュトラウスなどの新制作が為されるのだろう。それによってバイロイトの方で新たな動きとなれば喜ばしいことである。要するにベルリンは地方の小規模の劇場として継承されることになる ― 実際に嘗てティーレマンが西側のドイツェオパーベルリンを辞める背景にはバロックオペラ座にする予定だった国立劇場にバレンボイム音楽監督が就任して予算を集中させたことがあった。

既にベルリンでのイムプレッションは纏めているが、そのティーレマンもインタヴューで尋ねられるように東ベルリン風の田舎臭さが顕著で、まさしく現在の首都ベルリンの冴えない感じを体現することになる。他の芸術に関しては言えないのだが、少なくとも芸術音楽に関してはベルリンのフィルハーモニーも残念な事であり、地方都市の一つでしかないだろう。

次回は一月に再訪する予定であるのだが、パンコウ郊外に宿を入れてある。ミッテからは15分ほどであるが、そこに車を停めておいてパークアンドライドするのもいいのかもしれない。どちらにしても宿がベルリンの北側になるのでこちらからは一時間以上長くかかるだろう。時間があればベルリンに入る前に今迄夜行フェリーでしか知らない北海を見てくるのもあり得るかと思っている。先日泊まったポツダムの南の村の人は景色は綺麗だけど何もないと話していた。海まで出ないと意味はなさそうだ。

そこの宿で土曜日は晩に備えてブランチとした。既に開けた煮凝り化していたアイスバインの缶詰にインゲン豆を合わせた。本当はザウワークラウト化したマメを使うようだが暖かければ煮凝りが溶け出す。それで十分で煮凝りに煮込んである脚其の儘の皮を上手くナイフで切ってやれば小さく盛り付けられる。

故コール首相こうした食し方を何処で学んだのかは知れないが、恐らく家庭でアイスバインをグリルして保存しておくというような食生活があったのかもしれない。彼の母親の世代とすると若くても20世紀初頭が恐らく19世紀の女性なのだろうから、こうして一度焼いたような食料を何日にも別けて食するというような知恵があったのだろう。

そしてその素材純粋の味わいは、これまた煮豚に負けない程にニュートラルな味のリースリングに最高の食事となった。残念ながら昼なのでアルコール無しで楽しめた味覚であるから間違いない。



参照:
漆黒の闇があったから 2023-09-15 | 歴史・時事
故コール元首相のご愛好 2023-09-14 | 生活
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カラヤンサーカスの音響

2023-09-27 | 
ベルリン行きの目的は幾つかあった。どれもこれも互いに係り合っているのだが、そこから簡単な話題となるのが新フィルハーモニー正式にはシャローン建築の1963年に杮落としとなり今年築60年のフィルハーモニーの音響である。

先ずは、今迄座ったことがない良さそうな座席を図面や写真から選択して確保した。今迄は舞台に向き合うブロックAやCとか天井桟敷DサイドのFとかしか知らなかった。若しくは記憶がない。そこで今回はブロックBとFを試してみた。また、休憩時に今まで知らなかった特別席にも出かけて舞台からの音を聴き撮影もした。

興味のありどころは、今シーズンにあたって指揮者ペトレンコが嘗てのカラヤンサウンドの克服を明白にしていて、そのサウンドこそは新フィルハーモニーの音響に伴った指揮者カラヤンの解決策であったという認識があり、ペトレンコがシェフに就任してから旧フィルハーモニーへの回顧そしてそのシューボックス型ホールへの憧憬が示されてきたからだ。これは、度々言及しているように、ルツェルンのまたは今回ルクセムブルクで、そしてイザールフィルハーモニーでシューボックス型のその音響の音楽的秀逸が証明された。

さてワインヤード型の新フィルハーモニーをどう評価するか。先ずは1960年初頭としてはあの建築も会場もスーパーモダーンだった。今でも素晴らしい。肝心の音響もコンサート専用ホールとしては決し悪くはない。天井桟敷迄音も飛び距離感もシューボックス型のよりも近くに感じるぐらいだ。そして音の分離がとても良くて、各声部が通りやすいのは見事である。まさしくそれがワインヤード型の特徴である。

そして、現在のような精密なシュミレーションも不可能だったあの時期に比較的フラットで癖のない響きを得ていたフィルハーモニーは素晴らしかった。しかし、同時に全奏ではパーンとキノコ雲の様な音響が立ち昇る。たとえ残響を上手に処理していたとしても、恐らく音の減衰はその容積と収容人数に当て嵌めて合格線に達していると感じた。今回は会場が満席ではなく最大規模の編成だったのでその点も評価出来た。

そして低音を時差強調するカラヤンサウンドが出来上がった、低音の反射の無い発散はやはり音楽的な多重性を描くのは不可能にしていた。それがミュンヘンでの確認事項でもあった。なるほどサイドの席からはコントラバスなどは近くて、比較的ゴリゴリと聴こえるのだが、如何せんバランスが悪く、音楽的な評価は難しい。舞台に近くて舞台上の反射板も活きていて比較的そうした音響には近くてもそれでは駄目である。

そこからの生中継が吊ってあるセンターマイクを中心に上手く録れているのはこれでも分かるのだが、会場では場所によって大きく異なるというのが常連さんのお話しで、フランクフルトアルテオパーでの音響が素晴らしかったというその気持ちもよく分かった。壁がない分残響感も限られていてサラウンドな感覚で音楽に深く包まれるという感覚からは程遠い。そして同時に近代的な音楽がそこで上手に作られるということもその音楽の多層性ということではあり得ないと結論した。想定と大きく外れることも無かった。

ペトレンコ指揮フィルハーモニカーには新たなシューボックス型の今日的なホールが必要である。さもなければ本当の名演はベルリンでは生まれにくく、ツアーにて体験しなければ難しい状況は今後とも続くと思われる。



参照:
ブラームスの先進性から 2023-09-06 | 音
ハルマゲドンの巨匠現る 2023-08-13 | 音
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いい時に手をつける

2023-09-26 | 試飲百景
ラインガウワインの試飲会を何とか済ませた。今年は旅行が多かったので未だグランクリュ解禁後の出かけられていない醸造所がある。早速メールを出しておこう。月末にでも立ち寄れるか。

だからルクセムブルクに出かける12本詰めの段ボール箱が届けられていて不意を突かれた。醸造所に試飲がてら取りに行って木箱で欲しいと思っていたからだ。それ程日程がたちこんでいたので手が回らなかった。

そこで木箱を貰うのとそのものダース買いとなった2021年産グレーフェンベルクの一年前の試飲に続き、再度リリースを迎えた熟成度を試した。僅か12本しかないところで一本でも無駄には出来ないのでこうした試飲会でじっくり味わっておかないと今後の発展が確信できないからだ。

グランクリュワインの場合は基本的に瓶詰から二年は寝かしておく。既に一年経っているのでもう一年は開ける意味がない。しかし試飲すると想定外に熟成が進んでいてとてもうまかった。2021年は長雨で九月の好天での熟成と決して容易な年度ではなかったので、ストレスはあったのだろうが、抑々リースリングは天候が悪いぐらいの方が可能性が高まる。即ち気温温暖化でのリースリングは本当の味を出さない。

そこで問題となるのは如何に長く葡萄を下げておいて酸の分解を待つか。同時に秋の長雨になれば腐るだけである。そして貴腐なりが生えてくるといい辛口ワインとはならない。要するにこのワインはそのギリギリのところでの収穫となっていたのだろう。昨年は気が付かなかった若干のポトリテュス風味のようなものが出てきているのだが、健康な果実であったことは疑わない。それによってアイスヴァイン風の干しブドウ味と切れのいい酸が同時に楽しめる。そして一年経って幾分黄ばんだと思う。しかし、同時に葉緑素の色でもある。そして酸が効いている。

嘗てならばこうした既に出来上がった感じのグランクリュワインを取らなかったのだが、何年寝かすかどうかは考えずにいい時に手をつけることを学んだ。永遠に駄目なものは駄目なのだ。それよりは寿命が半分でもこれ程素晴らしいものに投資しないことはありえない。因みに高品質のグローセスゲヴェックスは最低8年は瓶熟成を見込め、新鮮さも20年程楽しめる。

一年前に試飲した時に確信をもっていたのでそれは自慢でもあるのだが、ここまで熟成が進んでいたのは想定外だったとなる。それ自体が否定されるべきことではなくて、来年の今頃一本空けて愉しんでみることで最終評価へと近づけるだろう。少なくともこの醸造所のグローセスゲヴェックスでは頂点であった。

そこでミネラルは豊富なのだが2022年度は酸が弱い分どうしても退屈になるので、奥さんにお願いして2021年のラインガウワーリスリングを別けて貰うことにした。僅か6本で悪いのだが、これはこれで上のワインを開ける時にパイロットワインともなりえる。そして早速開けてみると酸が効いていて新鮮で決して悪くはないのである。そこでも親方に話したのだがザールでも態々2021年物を所望したということで、明らかにリースリングの為のヴィンテージだったのだ。



参照:
冬タイヤ装着への準備 2022-09-20 | 暦
ロックダウンの延長 2021-01-05 | 生活
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クリックトラックの接点

2023-09-25 | 
承前)ボッフムのヤールフンデルトハレでの演奏会が未来に開かれていればとしたのは指揮者エンゲルである。その真意は自身がフリージャズから音楽を始めたのでこうしたジャズバンドと交響楽団と合唱というようなフォーメーションが将来的に一般化する為の布石になるかもしれないという意味合いだった。

兎に角、大規模のフル大管弦楽団と20人を超えるジャズメン、25人規模の合唱団が同じ舞台で演奏するのである。その音のパレットは更にエレクトロニクスで増強されたり制御されたりするので遙かに多彩となる。

通常の大管弦楽団の継続に疑問が投げかけられる時に「フージョン」によってより広い市場が拓かれて経済的にも機能するフォーメーションが築かれるというような気の振れたことを言う人物ではないので、その真意は音楽的な将来性ということである。

今回のプログラムの三曲とも各々の大管弦楽とビッグバンドとの関係を創作の背景にしていて、各々の曲において新たな視座が示唆されることになる。上の未来像を語る時に最もその過去からの大管弦楽の伝統を儀式として見せるのがドナウエッシンゲンの初演に続いての再演だったステンアンデルセンの「トリオ」だった。

この曲はデンマークの放送局の全面的な援助で可能な限りの作品を創作するとしたらというプロジェクトで、過去の映像や録音などのリゾースを使って新たな作品とすることにして、その最大のアーカイヴのSWRのもの全てから選び出したものだった。ビッグバンドのも含めてそれらの音源に何一つ楽譜を書き加えることなく、短いセクエンスを生の演奏で繰り返しそれをコラージュの様に繰り返し重ね合わせていく手法が取られている。

作曲家の言葉によると、同じ管弦楽団でもその音ややり方が時代でも異なっていて、同じような楽団が同じカルロス・クライバー指揮の「魔弾の射手」やチェリビダッケ指揮のまたシェルヘン指揮の練習や本番の風景を繰り返してもまた差異が生じる。それを素早く三人の指揮者がクリックトラックをヘッドフォーンで聴くことでバトンを渡していき、またそのアーカイヴの録音の雑音などを通しても聞こえる違いというのが認知される。ビッグバンドにおいても同様で、長くても二秒も続かないような短かなセクエンスで感じられる世界が背景にある。そして切り替えが素早く繰り返されるとどちらがどちらが生か過去かが分からなくなり認知が歪む。
TRIO excerpt #1


この40分以上の大曲は、メタムジークと称される様な音楽の為の音楽であると同時に、明らかに従来の歴史的な認識を新たな認識へと為すとして、NDRのインタヴューでエンゲルが答えるのが上で言及したような第三の道であり得るかもしれないとする見解であった。

要するに従来のような指揮者が出て来て、拍手を受けて、観客に挨拶して、そして最後には終止の音を奏でて拍手というような世界が客観化されることで芸術の世界からは最早消滅するということでしかない。

しかしまさしくそれが丁度月初めに演奏されたベートーヴェンの交響曲八番の冒頭で茶化されていたことであり、この全く活動を別途にする二人の指揮者で奇しくも数週間のうちに大々的に示されたことが全くの偶然であろうか。私たちはまさにそこにいる。(続く



参照:
ブラームスの先進性から 2023-09-06 | 音
バイロイトのアンデルセン 2020-08-11 | 音
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長い旅の終わりに

2023-09-24 | 雑感
土曜日に一連の旅程をすべて終了した。泊まりでもない近場であるが、帰宅翌日のことなので、全体の計画で考えていた。15時に帰宅後、18時過ぎの雨の前に走っておくのも忘れなかった。当日朝は辛くて酒の廻り方に影響すると思ったからだ。帰宅後に身体を使って、長距離ドライヴの疲れをとるのは重要だ。

想定通り先日安く27ユーロで購入したスイス高級ブランドシーサーのセカンドブランドの長袖パジャマに袖を通した。ジャージの厚めなのだが、サイズ切れで大き目のを購入したので襟ぐりも大きめで風通しがいい。だから厳寒には寒いのだが、晩夏から秋の初めには使いやすいと考えた。その通り、夜中に目を覚ますこともなく朝までぐっすると寝れたのは身体を動かしたからだけではなかった。睡眠はとても大切だ。

お陰で、結構まわっていたが無事帰宅できた。しかし、この一連の旅行ドライヴで一枚も路上記念撮影がなかったかどうかの自信はない。未知の路でナヴィが落ちていたり工事現場関連での速度制限に引っ掛かっている可能性は否定出来ないからだ。最近は赤い閃光も無く撮影されていることがあって疑心暗鬼が高まっている。結果は10月末までに出る。その間に一度ミュンヘン往復があるが、こちらは状況が分かっているので注意どころも分っていて撮影は避けられる。

エンジンオイル消費もまずまずで、燃費も総計して悪くはなかった。この間の平均料金は187ぐらいで、受け入れられる額であった。総走行距離3000kmぐらいだが、これで交通違反料がなければ勝ちだろうか。なによりも廃車寸前の車が使えたのが嬉しい。最後まで動かせば動かすだけ金が戻ってくるようなもの。

肉屋のSクラスを買い替えて行っているオヤジに、よく動いているねと言われると、最早うれしい。まさしく心は、動かすだけお得の感覚になっていて、見た目云々の虚栄とは全く無関係の境地に入ってきているからだ。以前のBMWも特殊中古で買って三十万キロでメーターが止まってそこから直線走行が難しいまで結構走ったので、それに近づいている。大崩れしなければ大台は行くと思うが、カロッセリーの状況は22年と古くなった分よくないが、廃車にするのが全然惜しくない状況まで動いて欲しい。

ベルリンへの途上ではオートクルーズ機能が駄目になって足でアクセル踏まないといけないので攣りそうになるなと思ったら、想定通り電源を一度落としたら直った。走行中に食事をしたり新車では厭われるような使い放題の使い方をしているので、旅行中に立ち往生しない限り新車買いたてよりもずっと気持ちがいいのである。

強いて言えば電動駆動が全くない為に、路地裏などでも音を立てることが気になるのと、その音が大分大きくなっている事、排気ガスが匂うようになって来ていることぐらいで、車内環境は振動と音は増えていても、ノイズキャンセルイヤフォーンをしていれば快適である。空調も能力が落ちてないので助かった。

ミュンヘンからの帰宅後にエンジンオイルを調整していたら、ラジエターの前に空いたオイルのポリタンが挟まっていて驚いた。何時からかは分からないが、それ程ひえが悪くはなからなかったが、キックダウンでスカスカする状況との関係がありそうだ。気化で戻らなくなってしまう状況があったかもしれない。



参照:
旧産業からそして今 2023-09-22 | 文化一般
迫る20年ぶりの長距離運転 2023-09-08 | 生活
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長短調性システムの解放

2023-09-23 | 
承前)誰もが納得する12音音楽。ヘンツェがそのクイントの基本音列に託したものは。今回ベルリンのテムペルホーフで催された新制作「メデューサの筏」のプログラムにはその様なことは書かれていない。それは制作のコーミッシェオパーというのが抑々ドイツ語の上演でどのような人にも理解可能の上演をとしているからだ。

先日も話題になっていたロンドンのナショナルオペラカムパニーも英語の上演で有名であって、ロンドンから撤退ということでその存在意義が再び話題になっていたのと事情は似ている。

だからインタヴューに応えて指揮者のティテュス・エンゲルもそれ程難しいことは語らない。但し、抑々の音列とその扱いは徐々に自由に扱われていくと語っている。恐らく全てはヘンツェの基本コンセプト其の儘だったと理解する。

この作品の創作は68年の学生革命と共にある。あの学生運動を幾らかでも身を以て感じていた人は、学生や労働組合などの運動に対して取り残された人たちがいたことを知っていて、そしてそう言う人たちの為にこの作品が創作されているということである。

つまり音楽的には12音音楽技法を使いながらも如何にそのドグマから解放されるかという大きなモットーがまずその創作意思としてあった。それが「フィナーレにおける技法の形を残しながらの60音のメロディーになって」とエンゲルは語っている。

勿論舞台では様々な台詞からバロック風の歌までの中で、マイクに向かって話すことで、増強されてスピーカーから流れることになり、音響的に反響が強く合唱や特に管弦楽の全奏が抜けるような響きとはならない。それをして、この指揮でフィルハーモニーで演奏されていたならなどというコメントも見受けられた。しかし12音音楽における基本音列から反行、逆行などもある程度頭に描けれていたならば全く問題がなかった。各紙で揺るがせない透明感とそのリズム的な精査と絶賛されたところでもある。

そしてこの制作がなぜこうした24万リットルのプールを取り囲む形で、こうした音響的な特徴を持った場で以って企画されたかをより認識すべきところである。1400人規模の表と裏に分かれたスタンドの間のプールにおいて劇が進み、仕手役にボートに乗ったダンテの神曲のカローンの渡しの船頭役がいる。そしてクライマックスでイエスが海を渡る。

まさしく、総奏にて音響的な団子が発生したとするならばそれはヘンツェの作風がドグマから解放されていたということにならないのだろうか。兎も角、初演時に問題となったチェゲヴァラへの「ホホホーチミン」の歌はここでも歌われることはなくてもオスティナート風に奏されてとても大きなフィナーレを形作っていた。受け取るのは聴衆であって、その反響こそが目されているのである。

長短調性システムから解放されてその響きが大きな会場に響き渡る。演劇的には格納庫の大きな扉が開きだして、外に止まっている案内人の車がフォローミーと先導する、何処に?(続く
Das Floß der Medusa in Tempelhof - première

Premiere von „Floß der Medusa“ in Tempelhof am 16.9.2023

Komische Oper Berlin - Das Floss der Medusa - Hans Werner Henze

Das Floß der Medusa | Trailer | Komische Oper Berlin




参照:
オペラの前に揚がる花火 2023-09-19 | 雑感
漆黒の闇があったから 2023-09-15 | 歴史・時事
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旧産業からそして今

2023-09-22 | 文化一般
ボッフムから帰宅した。これを以て八月、九月の旅行を完遂した。計9泊の旅だった。次の泊りは十月中旬のミュンヘンである。

往路はほぼ予定通り着いたのだが、やはりケルン周辺の工事に巻き込まれて街の中の河沿いを走った。それ以前に対岸にも再び戻ってしまったりで、無駄な距離や時間を費やした。当初の計画では一度飛行場へと河を渡って其の儘であった筈なのだが迂回路などに巻き込まれたのだ。だから帰りは北側からクレフェルトに出てライン河の左岸を走った。その方がこちらの領域に早めに戻れる。距離も若干長いだけで、走行時間的にはストップアンドゴーが一度だけコブレンツの前であったぐらいだった。兎に角、人口密集ではベルリン周辺の比ではなくケルンから四方八方へと密集している。だから車もちょこまかと走ってまるで日本のような運転手が多い。鬱陶しい。

宿はル―ル河の畔の低地にあって、オーナーの住んでいる1階のアパートメントで50平米あって新しくなっていて綺麗なのだが、家屋の背後が崖で、河川沿いの路が結構の幹線で昼間の交通量が多く、道路脇からの出入りにチャンスを伺う必要があるぐらいだった。更なる減点は湿気が多い場所でなんとなくかび臭い。折角リフォームしてあって綺麗なのだが、余程管理しないと直ぐに朽ちた感じになるのだろうと思った。あの周辺で何をする為に借りるかはよく分からない。歩いたり自転車に乗る場所も限られそうである。

往路の車中でも元マンネスマンの製鋼工場がフランスの会社に売られていたのが全て閉鎖になるとあった。元炭鉱、そしてオールドインダストリーのあの一帯は斜陽であるが、未だに人口が多い。家屋なども皆朽ちた感じであり、旧東ドイツとはまた異なるが、やはり裕福な感じは全くない。だから余計に商業地のデュッセルドルフなどが華やかな高級品があるところとなるようなのだが、それも知れている。

それで以て、そうした工場跡を利用して文化施設が作られてフェスティヴァルなどが行われていて、人口過密の場所柄だけの催し物となっている。故モルティエ博士も当初に関わったトリエンナーレもその代表的な催し物である。

場所も土地柄もやりがいのあるもので、ご当地の社会を反映したような施設の使われ方が為されているものだと思う。それを確認するのも旅行の目的の一つでもあった。演奏会自体は、参加しているNDRのビッグバンドなどの関係もあって、可也大規模な陣容であって、この点でも先日のベルリン・ミュンヘンでの演奏会以上であった。

また指揮者のティテュス・エンゲルは、演出家マールターラのアイヴスの未完の作品を指揮してそれが商品化されていることで、モルティエ博士の系譜でもあり、この音楽祭では一定の支持者がいたようであった。先週のベルリンの新制作「メデューサの筏」やその前の新制作「アシジの聖フランシスコ」のような大感動を呼び起こしたこととは別に演奏会のおいても一定のという印象なのである。勿論一度でも経験していたならばその後の授賞や瞠目すべき活躍の情報が耳に入って来やすいということはあると思う。

音楽的に、八月末から九月へのそれらの催し物の意味が関連して大きな経験となったことは確かであり、世紀を超えた大天才指揮者と今世紀前半を代表する指揮者の競演ということで、なるべくしてなって、現在の大音楽芸術が一望されることになった。



参照:
再び北上する旅支度 2023-09-21 | 生活
音の摂理とその奔流 2023-09-22 | 音
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音の摂理とその奔流

2023-09-22 | 
ボッフムに出かける前に触りを書いておこう。ベルリン・ミュンヘンにて音楽的に得たことの詳細については多岐に亘るので時間が必要である。だから詳細には至らないがイムプレッションとして書き留めておく。

先ずは、ベルリンで二回聴いて、三回目にミュンヘンで聴いたクセナキス作曲「ジョンシェ」1977年の演奏は、大管弦楽団の今後を左右する出来だった。ベルリンでの演奏もそれなりの成果を挙げていたのだが、初日は明らかに違った。二回目から多くに別けられた分奏の弦楽陣もそのイントネーションをしっかり合わせて来ていた。

一部には、その奏法から非西洋な音程関係が作られて、東洋的な音楽システムで奏されると考える向きもあり、実際には初日にはその様な演奏となっていた。ある意味偶然性の音響でもあったのだが、それを制御することで何が生じたか。それ以前にベルリンでの演奏会前レクチャーにおいて、特に二部の「スピーカーを通すよりも生の方が喧しい」と紹介されていた。まさしくクセナキスの音楽に付き纏う無機的であまりにもシャープな響きとして捉えられていた。多くの人がそうした物理的な響きとして捉えていた音楽である。

そして、場所をワインヤード型のベルリンのフィルハーモニーからシューボックス型のミュンヘンの会場に移して、全ては全く変わった。なによりも舞台一杯の管弦楽団 ― こうした大人数をツアーとして宿泊代だけで今までで最大規模の費用の演奏会と叫ばれているが、それがその会場ではとても重層的に響いた。当然のことながら低音が左右背後の壁から跳ね返ってくるので、そこに中高音が綺麗に乗ることになる。どのような音程関係でもそうした低音の倍音成分が全体の音に干渉するのはよく知られている事である。そこから何故作曲家がこうした不安定な音程の「クラウドの群」を発声させたかの答えがそこにある。要するにワインヤード型の壁の無い発散する音では実現しない音響であり、これが西洋音楽の長短調システム支配を越えた音の摂理とその伝統である。

それによって出来上がった音の壁は、まさしくベルリナーフィルハーモニカーの特徴であるその音の波であり、ペトレンコが指揮台で圧倒される奔流としたものだ。今まで誰もこの後期ロマン派時代に創設された楽団の個性がこのように圧倒的なクセナキスの音の津波の総譜を完全音化するとは想像だにしなかったに違いない。

その音響的なそして伝統的な音楽的な効果は、ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーが演奏した作品においての頂点であった。なるほど昨年のマーラーの交響曲七番においてはペトレンコ指揮によって博物館に追いやられたと評されるほど、最早今後何らかの可能性をそこに見出せなくなっていたのに対して、このクセナキスの演奏は今後大管弦楽団が存続するにおいてのメインプログラムはこうした音響であってこそと思わせる名演であった。

先にもシェーンベルク作曲「管弦楽の為の変奏曲」の演奏において、そうしたマーラ―の交響曲以降の作品がメインレパートリーになったと言及したのだが、そこからこうしてその次世代の響きが漸く創作から半世紀に近づくことで現実化してきた衝撃は大きい。聴衆も高揚したが、管弦楽団もそして指揮者もそれを皆感じ取ったに違いなかった。(続く



参照:
小夜曲と火祭りの喧噪 2022-11-24 | 文化一般
フィナーレの在り方について 2023-09-09 | 音
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再び北上する旅支度

2023-09-21 | 生活
再び旅行の準備である。今回は一泊であり距離もミュンヘン往復よりも60kmほど短い。しかし途上でケルンの環状があるのでシュトッツガルトと同じように注意しなければいけない。宿に14時着の目標なので、幸いケルンは木曜日お昼時の空いた時刻に通過可能だ。
しかしヴッパータール前のレムシャイドというところで渋滞が予想されている。恐らく工事渋滞だろう。318kmで3時間30分の所有時間なので、休憩時間を入れて4時間を見ておけばいいだろうか。ボン迄が2時間ぐらいなのでケルンから残り1時間を上手く走られればよい。10時に出ればなんとかなるだろうか。

演奏会はボッフムのヤールフンデルトハレで20時からなので、18時に出ても15kmを20分ぐらいの所要時間である。夕立が予想されていて、所要時間よりも衣装の問題になる。今度はジーンズで行く準備をしておきたい。所謂同時代音楽演奏会であり会場も会場なのでベルリンのテムペルホーフよりもその方がいいようにも思う。しかしこうした演奏会にはいつも仕事着のスーツで当然のように出かけていたので、ジーンズの方が個人的にはお洒落になって仕舞うのだ。しかし事後の飲食などを考えると雷雨だけでなく動きやすい。

プログラムがアップロードされていて終演は2時間10分後となっているので22時10分である。やはり田舎そうで、帰路に食事できるところも少なそうである。すると握り飯とパンを車中食として持参するとして、夜食をどうするか?ワインの残りとビール一缶を持って行けばよいのか?一番いいのは、23時迄開いている店で一杯引っ掛けて、軽く何かを摘まめれば一番早く事が済む。最低夜食は車中ピクニックの残りとビール一缶と朝食兼用にもなるクラカウワーで済ましてしまうというのも手軽でよいかもしれない。

そして、宿から車で4分のところに6時に開店するなかなか良さそうなコンディトライがありそうだ。となると、早寝してキッチンを専ら朝食に使うことを考えると一番安く楽しめるのではなかろうか。バターを持って行くのと紅茶類、お土産にケーキ類を買うか。復路も11時に出れば15時には着きそうなので、丸29時間の外出となる。

燃料はまずまずの価格、つまりミュンヘンで入れたのと同じ185,9セントで満タンにした。距離からすれば余裕で往復可能な筈だ。往路は下りで飛ばして復路は低速定速でエコ運転で戻って来たい。エンジンオイルはもう100㏄足すかどうか。ベルリン・ミュンヘン行で走行距離2000kmとして殆ど500㏄を消費していた。多く入っていた粘度の薄いものが燃えて垂れる傾向があるので、現在継ぎ足している粘度の高いものの消費量は減るかもしれないが燃費は若干悪くなるかもしれない。往復700kmとして200㏄程は消費するだろうか。

月曜日に帰宅後に走り、水曜日に走ったので、週末に一度となる。土曜日は試飲会に出かけるので、やはり金曜日に帰宅後に走っておきたい。但し週末から秋空となりそうで天候は回復するが涼しくなって、八月の様に長袖長ズボンに戻る予定である。そしてその後は秋空がいつまで続くのか。



参照:
故コール元首相のご愛好 2023-09-14 | 生活
連邦共和国文化圏各々 2023-09-18 | 文化一般
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迎へ酒の酔いがまわる

2023-09-20 | 料理
金曜日は結構酔いが残った。ワイン街道からベルリンへの旅行、そして久しぶりのベルリン、宿への帰宅の彷徨など疲れてビールとワインを開けた。予定よりも遅れての食事だったので、缶詰も開けなかったのだが、翌日に残った。深い眠りともならなかった。結構否定的な感じが付きまとった。しかし、朝のパンを購入しておく仕事があったので、早めに買い物に出かけたのだが、村の一件目はスーパーに併設で見るからに不味そうだった。

そこで、次の反対側の村へと行ってみた。そこには数年前までは有名なパン職人がいたようで新聞にも辞める時に惜しむ記事が出ていたようだが、ポツダムの外れにあたるのだろう。その後に小奇麗な店が出来ているのだが評判が悪い。それでもスパーよりはマシだろうと思ったが、広場で市場がたっていた。そこで駐車に苦労すると、近所の住宅街も見れてよかった。自然の中にある瀟洒な住宅街で、東独の党関係の人が週末に住んでいたに違いない様な感じだ。そしてヤクザな感じのお兄さんからいいパンを買えた。金曜日朝に購入してそして今火曜日にも未だおいしく食せる。ここまでのは初めてだ。前に購入した若い叔母さんが酵母について質問するとワイン酵母と答えていた。普通の百姓パンなのだが、バターを付けるだけで幾らでも食えるのが不思議。塩気が丁度いいのだろう。そしてパサパサにならない。手渡された時から焼き立てではなくしっかりしていた。恐らく南ドイツとはまた別の伝統があるのだと思う。一時間ほど時間を掛けたがとても価値がある朝の買い物となった。

そこで朝食後身体を休めた。あまりお勉強する元気もなかった。旅行疲れだろうと思う。ミュージウムインゼルに行こうと思っていたが、駐車して歩かないといけないことに知って、取り止めた。街の中を歩くのは苦手である。そして外回りは歩いたこともある。目的の展示館に車でいけないならば価値がないと思った。要するにベルリンは車の街ではない。

夜のコンサートの生中継があるのでタイマー録音しようと思ったが失敗した。前夜には成功していたので注意が足りなかったようだ。あまりお勉強するだけの意欲も無くて、今度は道が分かっているので、給油するだけの時間を見て出かけた。それでも18時に駐車場入りするにはまだ時間が空いた。そこでフィルハーモニーに並ぶティーアガルテン通りのアデナウワーハウスから始まる日本大使館やらが並ぶご近所でゆっくりと停車などをしていたのだった。

今回は宿までの帰路の給油を先にしておいたので復路ではポツダム広場に出て、ブランデンブルク門の前を通過した。前回の時は工事中で走れなかったので門の前の路を走るのは初めてだった。これでロンドンのバッキンガムからビッグベンやチャーリングクロスなど、またパリでは凱旋門やシャンゼリゼなど概ねの首都の中心地は車で走ったことになる。それらに匹敵するところは欧州にはないだろう。ベルリンは比較に為らない田舎だけれども。

流石に二日目はナヴィが落ちないように凱旋道路を突っ切って、そして間違えずにA100に入った。だから宿にも11時前に戻って来て、付け合わせのインゲンマメは塩茹ですればいいように準備してあったので問題なく、あとは故コール首相の好物缶詰を開けるだけだった。完璧かと思ったが、二本目を開けて一杯継いで冷やしておこうと思ったら、突き刺したコルクが長過ぎて、冷蔵庫の棚から床に転げ落ちら。下のタイルでは瓶が割れた。そこそこのヴィラージュリースリング一杯しか飲めなかった。酔いが回っていたか?



参照:
漆黒の闇があったから 2023-09-15 | 歴史・時事
故コール元首相のご愛好 2023-09-14 | 生活
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オペラの前に揚がる花火

2023-09-19 | 雑感
ベルリンの最終日は夕方まで宿で過した。静かなところなので、晩の初日のお勉強をしていた。しかしあまり楽譜を見る時間はなかった。完全版の楽譜がないこともあり、また完全テキストもないので、少なくとアウトラインと作風について情報を集めていた。そして初めての場所に出かけるので、再度駐車場所などを研究していた。なによりも少し歩かないといけないのでジーンズで出かけることにして、現地で駐車の可能性を試してみることにしていた。

飛行場のそれも一番格納庫の道を隔てて反対側は、大きな警察所や税関などが並んでいる。安全性は高いのだが、反則を取られる可能性も高い。ゆっくり調べようと思って、早めに出たつもりが、折からの当局に殺害されたイラン人女性へのデモンストレーションがあって、大混雑していた。そこから外国人居住区が近いこともあるのだろう。ベルリンの街の風景は大阪とかアジア風のカオスが至る所にあるのだが、あの辺りになるとイスタンブールよりもどこか中東の様な感じもある。

なんとか18時半には予定通りの駐車場所迄至ったが、先ずは格納庫まで走ってみて地図などにはない駐車の可能性を調べる。既に開場前には送り付ける車なども路肩に停車している。更に進むと高級車から急停車して背広の若者が二三人がサッと下りて後部座席のドアを開けた。マフィアの風景だったが、横にモスクがあって、ベルリンのアラブのボスだと直ぐに分かった。前日にはティーアガルテンシュトラーセの日本大使館廻りを「事前調査」したのだが、公用車ではなかったがあの近所のアラブ首長国連邦などの大使館筋だったかもしれない。勿論ドイツで最もユダヤ人が多く住んでいるのもベルリンである。

この先は外国人居住区のノイケルンというところでUターンして、サイドの道を覗いてみた。警察のところは住居者等は進入可になっていたのだが、右折してしまったから仕方がない。石畳を先に進むと車検場もあってパーキングメーターもあった。格納庫のある管制灯台からも遠くないと確認したので、先ずは1ユーロで駐車して、コインで10ユーロも無かったので、先ずは会場を覗いてみることにした。距離としては400メートルぐらいかもしれないが横断歩道があって、徒歩4分程は必要だった。それでも地下鉄駅の駐車よりははるかに近い。しかし石畳だったので靴も傷むので着替えて靴を履き替えるほどでもなかった。抑々そういう場所でもない。それに上着がいるような気候でもなかった。知っていたらベストでも着ていただろう。

両替を何とかして、コインで残りの2時間15分の駐車切符を買う。欲も土曜日の22時迄集金するなと思うが、近いところで見つかって嬉しかった。今後来ることもないとは思うのだが、いい場所は見つかった。開演前には花火が遠くで揚がり、何よりも広々とした滑走路の風景は気持ちがよい。まるでヴェルサイユか何かのような気分で夏日和の週末だったから決して雰囲気は悪くはないのである。

この飛行場はナチの時代にヒトラーにより作られたらしい。往路にはクーダムに入る時にナヴィが落ちてしまって慌てたのだが、飛行場標がまだ道標に出ていて助かった。今でも一部は使用しているようで、全くそのことは考えてもみたことがなかった。お陰で大きな混乱がなくアプローチできたのである。



参照:
連邦共和国文化圏各々 2023-09-18 | 文化一般
漆黒の闇があったから 2023-09-15 | 歴史・時事
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連邦共和国文化圏各々

2023-09-18 | 文化一般
ミュンヘンから帰宅した。ホテルを珍しく9時半頃に出て、到着予定時刻は13時15分前であったが、安いスタンドを探してダッハウの収容所跡の辺りまで走って、結局もとにい戻りで17km程余分に走った。それでもおあファルツと同じぐらいの価格だった。だから次のボッフム行へ満タンは入れなかった。

前夜は協会の奢りとなって一杯飲ませて貰ったので、結構絶望的だったアルコールと食事探しの必要がなくなり、ゼクト三杯と水とブレッツェル二つだけで夜食とした。そもそも朝からケシのケーキ一切れとパンにバターを塗ったものを数枚食して、若干お野菜を詰め込んだだけだったので、一日の食事量としては何年振りかで少ない量だった。そのお陰で目覚めも睡眠不足に限らずよかった。

帰路の340kmはベルリン行に比較すれば短いもので、更に道路事情もよく、道路の形状も殆ど頭に入っている。今迄三ケタ回数往復しているかもしれない。だから運転しながらナイフでパンを切ったり、殆どのことが可能となる。それでも月曜日の午前中で貨物自動車が真ん中のラインまで出てくるので結構危ない。

今朝は気持ちよく6時には起きれたので、そして今晩は完全に窓を閉めて就寝できそうで、出発当日も早朝に眠気無く森を走れそうな気がする。結局帰路シュヴァルツヴァルトのプフォルツハイムで10分ほどのストップアンドゴーがあったので到着は14時前になったのだが、途中で一度だけ車を停めて目を瞑ったぐらいでそれほど問題なく帰宅可能となった。やはりミュンヘンは近い。そして街も走りやすい。

ミュンヘンのホテルは北からのアプロ―チもシュトッツガルトからのそれも市街地へも近い絶好の場所にある。しかし、オクトバーフェストの祝祭原っぱの横を掠めるとは思ってもみなかった。出かけるホール自体が中心から外れているので全く考えなかったのである。それでも日曜日の夜ということで横断する歩行者の人数も限られていて、ベルリンで前日に遭遇したイラン人女性殺害記念パレードほどではなかった。そちらは如何にもベルリンらしい。ベルリンでの苦労と比較すると容易に20分ぐらいの遅れで駐車場に着いた。

奇しくも今回はベルリンの新フィルハーモニーとミュンヘンの新ガスタイクを同じプログラムで聴き比べることになった。これは音響を比較する事でもあるのだが、それ以上に音楽的な認識を深める意味でもとても大きな経験だった。更にベルリンでは近くの人などに声をかけたり、公演前のレクチャーに出たりして、その聴衆の質も吟味した。同じようにあまり馴染みのないミュンヘンのコンサート訪問者にも声をかけて様子を窺った。こちらは音楽以上に文化的な質の違いにもなる。

更に興味深かったのだは土曜日のテムペルホーフ飛行場の旧格納庫で開催されて大反響を呼んだコーミッシェオパーの公演に出かけてきた人々の質やその感じ方等これまた社会的にも取り分け興味深いもので、例えばオペラの殿堂であるミュンヘンの劇場に集まる人との差をも実感することになった。

木曜日には西北ドイツの炭鉱の街でのトリエンナーレに集まる人々のそれをも比較することで、これまた色々と浮かび上がるものがあると思っている。まさしくドイツ連邦共和国文化圏各々である。



参照:
Play Bigの新たな指揮者像 2023-07-20 | 文化一般
高度な音楽劇場の背景 2023-08-15 | 文化一般
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漆黒の闇があったから

2023-09-15 | 歴史・時事
旅絵日記首都再訪編。出発は7時45分には果たせた。6時前にスッキリと起きれたのが大きい。最も身近なアウトバーンで工事渋滞があり、カッセルでストップアンドゴーがあった。アイゼナッハへも渋滞した。三回ぐらいの遅れで、ライプチッヒ通過は無事であった。最初の休憩がアイゼナッハのバッハの家広告の前ぐらいだった。そこまで2時間45分ぐらいだったろうか。20分ほど遅れた。

宿に着いたのが、14時45分ほどで、アウトバーンを降りてから10分もかからなかっただろうが、家番号を探して、門前から電話したりして話したのが15時の10分ほど前だった。そこからオーナーとお話して、荷物を整理してSNSで第一報を送ったのが15時35分だった。

フィルハーモニーに18時に入る予定だったので、17時過ぎに出るようにして、実際に着いたのは18時前であったが、駐車場を探した。嘗ての場所は色々と建てられていて狭くなっていて、20台ほどしか停められなかった。それを探すのにティーアガルテンシュトラーセの道路脇に停めて、あの敷地を徒歩でぐるっと一周したら入り口が見つかった。それほどになってしまっていた。価格も公演料金で10ユーロであった。

先ずはともあれ19時の開場には余裕があったので良かった。公園前レクチャーにはそれなりの人数が集まっていたが、ジジババ主体で、プログラムも書いているクラスティング氏も座っていたのだが、中若年層が少ないのは仕事帰りで時間がないのか、それともそうした聴衆の関心事が全く異なっているのか判断できなかった。この件は改めて述べることにしたい。

往路もそうであったが、帰路は何故かナヴィが落ちてしまって苦労した。どうもベルリン周辺はGPSが弱いようである。理由は分からないのだが、なにか妨害でも入っているのかもしれない。まるで東ドイツのような雰囲気は、宿は当然のことベルリン全域に広がってきている。

20年前に二度ほど出かけたときは、まだ西ベルリンの趣がなんとなく残っていた。しかし今は首相府が長く東ドイツの女性の手のもとにあったためか、感覚的に明らかに東ベルリンの感じである。西ベルリンは西側のショーウィンドーと称されたように、西ドイツにはない華が徒花が咲いていた。それが無くなって道路がガタガタで、まるで昔聞いたポーランドのような感じがする。

兎に角、大都市らしくが雑踏がだけでなく、雰囲気が冴えなくなっている感じがする。おそらく全東ドイツから可也の人が集まってきているのか、西ベルリンの雰囲気を保っている人がぐんと減って来ている感じがした。要するに田舎臭い。

少なくともフィルハーモニーのテラスに出て、嘗て東西の壁への漆黒の闇を見つめたときのことを思い出したが、そのときには壁の向こうの暗く、冷たい感じの世界を感じていたのだが、まさに今はそのテラスの雰囲気がその両方を混ぜて東ベルリン風になった気持ちがしたということだ。それほど「ショーウィンドー」の時は、カラヤン指揮フィルハーモニカーも華やかな光を放っていたのだった。そういう文化的な価値観を担っていたのだった。

勿論それらは比較対象で初めて浮かび上がるものだろう。漆黒の闇があったからこそ、こちら側の明るさが眩しかった。西ドイツからはトランジットの列車で皆が西ベルリンを訪れたのだった。そして帰宅時には荷物を調べられていた。なぜならば特別税制が敷かれていて、西ベルリンから西ドイツへと密輸人がいたからだろう。



参照:
劇場に人を詰め込む方法 2020-05-13 | 文化一般
へったくれも何もなく 2020-12-03 | 雑感
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