Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2008年4月

2008-04-30 | Weblog-Index



糞にまみれる環境 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-04-29 TB0,COM2
自己確立無き利己主義 [ 歴史・時事 ] / 2008-04-28 TB0,COM0
昨年とは異なる今年 [ ワイン ] / 2008-04-27 TB0,COM11
禅の弓の道とは如何に? [ 歴史・時事 ] / 2008-04-26 TB0,COM0
感覚麻痺のバイリンガル [ アウトドーア・環境 ] / 2008-04-25 TB0,COM0
パラダイスに覗く花 [ 女 ] / 2008-04-24 TB0,COM0
行ったり来たりの逡巡 [ 生活 ] / 2008-04-23 TB0,COM2
クレーマーの楽しみ方 [ 雑感 ] / 2008-04-22 TB0,COM0
世界を支配する秩序感 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-04-22 TB0,COM0
滞日暴飲暴食忘備録 [ 料理 ] / 2008-04-21 TB0,COM0
女子供文化の先祖帰り [ 文化一般 ] / 2008-04-20 TB0,COM6
不思議な風景と惜別の情 [ 雑感 ] / 2008-04-20 TB0,COM0
古の都の薄い文化 [ 生活 ] / 2008-04-19 TB0,COM2
白夜に近い時差との戦い [ 暦 ] / 2008-04-19 TB0,COM2
自由や世界観の体臭 [ 生活 ] / 2008-04-17 TB0,COM0
吹き溜まりのような島国 [ 女 ] / 2008-04-16 TB0,COM4
日本語喋ってるでー [ 生活 ] / 2008-04-15 TB0,COM0
芸者の銭洗い弁財天 [ 女 ] / 2008-04-14 TB0,COM2
春雨じゃ,濡れて参ろう [ 雑感 ] / 2008-04-11 TB0,COM3
気がふれぬ中にお暇する [ 生活 ] / 2008-04-10 TB0,COM6
最終電車の未知を乗継ぐ [ 生活 ] / 2008-04-09 TB0,COM2
天下茶屋から堺の茶屋へ [ ワイン ] / 2008-04-08 TB0,COM2
大阪のまぶし飯三様 [ 料理 ] / 2008-04-07 TB1,COM6
エッフェルよりも通天閣 [ 文化一般 ] / 2008-04-06 TB0,COM6
ない、ありません! [ 生活 ] / 2008-04-04 TB0,COM0
近代社会の主観と客観 [ 雑感 ] / 2008-04-04 TB0,COM0
ハイ、そう思います! [ 文化一般 ] / 2008-04-03 TB0,COM4
水平線を越える視界 [ マスメディア批評 ] / 2008-04-02 TB0,COM0
時差ぼけ日誌四日目 [ 生活 ] / 2008-04-01 TB0,COM2
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糞にまみれる環境

2008-04-29 | アウトドーア・環境
マンハイムに山のズボンを買いに行った。価格は、169ユーロと張るが良いものが見つかった。

試着キャビンで靴の裏が汚れているのに気が付いた。ワイン地所を歩いているときに付いたらしい。藁に匂いを放つものが執拗にこびり付いている。

先日から、靴の横で髭などを剃っていると、同じような匂いがするので、どこも有機農業をやっているなと思ったのである。

なるほど、ビュルックリン・ヴォルフのアルテンブルクやゴルトベッヒェルは土地改良を今やっている。つまり馬糞などをふんだんにカクテルしてある。

小学生の頃に、園芸の授業と称して、像などの糞にふんだんに親しんだ。それ以後そのような趣味はなかったが、今や町へその匂いを振りまいて出かける身分になってしまった。

お客様カードに住所を教えると、ああ、近くに友達がいると面白がって呉れるのである。全くカウボーイーのようになってしまった。

帰りがけに銀行によって、貸し金庫から出て来ると車に35ユーロの警告金催促が張ってあった。いつの間に身障者向き駐車スペースになったのだろう!ああ、!!!

踏んだりけったりである。そのような匂いをさせて、若い女性でも口説こうとしているのが間違いだろうか。
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自己確立無き利己主義

2008-04-28 | 歴史・時事
「小日本などは原爆を東京や京都大阪に落として、皆殺しにしてしまえ」との言い草は、日常茶飯に博士号を持つような西欧や日本に住むシナ人の醜い口元から発せられる。なにもこれは、冗談でも、自虐的な態度から出ている言葉ではない。シナ人を理解する者としては、これを中華思想として受け止めるしかない。シナ人がこの世から消えない限りは変わらないからである。

「中国が送った三千人の民が日本を文明化した」とする史実はどうなのか、日本史などを学術的に習った覚えもないのでなんとも言えないが、朝鮮からの帰化人よりも直接中国からの指導者が日本を形作ったようである。

「大体、生ものを食するような連中は、野蛮人で、発展途上の文化である」と聞くとなるほどなと、彼らの卑しさが原動力となる「不可能と言う言葉の無い殆どカニバリズムのシナ飯」には勝てないと思うばかりである。

彼らをそうした卑屈な中華思想から、毛沢東でさえ救い出せなかったのであるから、彼らの主張に一利あるだろう。それは、アメリカナイズされたり先祖がえりのなかで行ったり来たりしている日本文化の卑小さのようなものを曝け出しているからである。

こうなれば、折角、携えて持ってきた小林秀雄の書籍を読んだのであるから一言二言コメントしておかなければいけないだろう。

端的に評すれば、シナ人が指摘するような未発達の卑小な日本の文化を代表しているようで、その内容たるや女々しくてまともな大人がそれも文化人が書くようなものではないと分かる。

我ながら恥ずかしい事に、著者が亡き母親に捧げたとある名著「モーツァルト」などは、そのスタンダールなどへの本歌とりを辿って文献を揃えていた形跡があり、十代の若気の至りとしても、船便で別送した弟子の吉田秀和のものと含めてあまりにもつまらないものを読んで喜んでいたものだと情ない。

後者の「言うことを言わぬ」どうしようもないものから比べると、小林のものは流石によりその狡猾な叙述法や時代背景をもった論壇での影響力も大きく、唯物主義と戦い、ベルクソンとかフランス象徴派が動員されて、挙句の果ては近代の綻びへと導いていて始末に悪い。しかし所詮は、独特の主観主義と言うような悪しき日本の伝統を築いていて、なんら役に立たない。今その詳細に触れる時間はないが、今日の日本を予測させるにたる文化的内容であると思われる。

現在の日本人は「自己確立していないエゴイスト」と称するのが良いと思われるが、そうした教育を為政者が望み、学術文化人達は環境を故意に曲解して自閉症のようにとどのつまりは其処に留まる。そうした社会を外から見ると、冒頭のような薄汚い罵りが生じてくるのである。

当然ながら、旧共産圏で教育された世界の人々と同じように、シナ人にも自由民主主義教育を施さなければいけないのだが、これはその社会のアイデンティティーに係わり、日本におけるそれと同じように為政者にとっても都合の悪い事なのである。



参照:女子供文化の先祖帰り [ 文化一般 ] / 2008-04-20
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昨年とは異なる今年

2008-04-27 | ワイン
一月振りのワイン地所散歩である。少し様子を見るだけに出かけたのだが、一時間半ほどふらふらしてしまった。

何よりも下草の緑が気持ちよく、肥料の匂いなどに交じって、強めの夕日によって草いきれな趣がある。

どの風景が美しいとかの特別なアングルはないものの、何処まで歩いて行っても気持ちよく美しい。

地所ウンゲホイヤーの上っ面からキルヘンシュトックとの境までやってくると、むっとした大気を感じた。案の定そこの蕾は今にも開きそうな勢いだった。なるほど局地気候とはそれだけの違いがあるのかと今更思うのだ。

そう思って、キルヘンシュトックの南面斜面を見るとなるほど蕾は開きかけているが、その上のイェーズイテンガルテンは未だなのだ。ゲリュンペルなどはまだ硬い。

五月の試飲会のお知らせが続々と入ってきている。その中に、先日の見本市プロヴァインにて、バッサーマンヨルダン醸造所の2007年産ライタープファードがプファルツで一番のお墨付きを得たとある。

このワインを日本で既に飲んだのは、おみあげで三月に持って返り、先日新居訪問の際に開けてくれた夫婦とザウマーゲンパーティーで第三夜にご招待したご夫妻の二件だけで、その他は先ず日本には居ないだろう。

評価は、一押しのキーセルベルクには明らかに届かなかったが、そのライタープファードとウンゲホイヤーが並び称されている事からも、キーセルベルクは現時点で世界最高のリースリングとした賞賛はそれらのレヴェルの高さから眉唾ものではないと言うことが分かっていただけるだろう。

それ以上に、ワインを飲みつけない人でも、正しくプレゼンテーションされれば、専門家諸氏並みもしくは以上に正しい評価を下せる事が証明された。
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禅の弓の道とは如何に?

2008-04-26 | 歴史・時事
話題のスパイヤーのサムライ展でアイヒャー氏の講演を聞いた。「侍の伝説と真実」と言っても弓道家の視点からなのでどうしても内容は偏る。弓道関係者以外の一般の聴衆にはどうであったかは疑問であるが、その専門領域における話は大変興味深かった。

アイヒャー氏の関心どころを知っている者としては、質問したい事もあったが、次から次へと質問が飛び、二つのマイクロフォンが飛び交い時間が迫っている事で遠慮した。

最も興味を引いたのはドイツ人オイゲン・へーリゲルと言う「日本の弓術」の作者で原題「弓術における禅」と言う書を認めた新カント主義者の功罪に触れた部分である。

当時弓道であった弓術を禅精神に基礎を置くのは鈴木大拙の書籍の影響が見られるのだが、弓道家阿波研造に教えを請うときに通訳が介した誤りとする「誤解」が語られた。

講演会後、道が禅になる不思議を質問すると、待ってましたかと言うように、ヘリゲルのナチ党の中での立場が説明された。そして、ドイツでは特に弓道の世界では、この書がバイブルとなっていることが説明されて、日本においても筑波の国際日本文化センターの山田奨治教授など若手の研究者によって、その問題が今やっと解き明かされて来ていることが報告される。

まさに、ナチズムの根幹にある鍵十字のイデオロギーは、神道精神よりも葉隠れ、そして禅仏教をこそ尊重する必要があったのだ。裕仁天皇が、ナチとの関係にあまり乗る気でなかった理由は意外にこうした所にあったのかもしれない。

飛行機に乗る前に、空港の座席に座って禅を組む若いドイツ人を見て、尚且つ独自の解釈をするプロテスタンティズムの思考態度を見る時、我々は様々な事を考える。


参照:
ミニスカートを下から覗く [ 文化一般 ] / 2007-09-17
白い的へと距離を測る [ 文化一般 ] / 2007-09-16
オカルト団ミュンヘン宇宙 [ 文化一般 ] / 2007-08-18
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感覚麻痺のバイリンガル

2008-04-25 | アウトドーア・環境
零時過ぎに目が覚めてしまった。お抹茶を飲み過ぎたせいか、そのタンニンのせいで味覚も皮膚感も麻痺しているようだ。そして目が疲れる。

床屋談義では、日本の気候以外に建築景気とその実体経済、トヨタ景気の中京経済と関西地盤沈下、老齢化による人口の都市集中が話題となった。前日のマンハイムでの話しでは、日本人の「世界観」恐怖症を話題とした。

前者は工業先進国共通の現象である反面、アシミレーションの進んだゾンビ化は日本に顕著であるとする。ライフスタイルや女性の草履顔コスメティックのみならず若い男性のモロコシ髭頭の漫画顔作りの特異性に、後者におけるその世界観が現れているようである。

日本人の流浪や転生の心情の典型を「方丈記」に見るのも良いが、そうした時空間がどのように現在のそこの風景に現れているか?それを環境と見るのかそれとも文化と見るのか。

床屋の親仁が言うように、時差の影響で集中力が無く、新聞も目を通すだけで精一杯である。携えた日本語の活字も流石にその字面といい内容といい段々と興味が失せた。こうして日本語を綴る事がなければ大分と離れて仕舞っているに違いない。

子供の頃からのバイリンガルは知らないが、文化的な根本までを含めると、本当のバイリンガルと言うのはありえないのではないかと考える。勿論言語によって、ものの言い方が変わる。

雨に濡れて今まで拡げていなかった先週の土曜日の新聞に「北京関係」の記事が出ている。長野の善光寺が聖火リレーの出発点を断わった事実とその背景、並びにコーラやサムスンなどのスポンサー企業の非協力が記事となっていた。なぜ、日本企業が自粛をしないのかなど伝えられずに不明の点は多いが、その後の善行寺への落書きの事件はまだ起きていないようだ。あの犯人は見つかったのだろうか?

北京大学では、外国人学生の夏休み中の厳しい国外追放が計られてれいると言う。企業駐在員や一般旅行者へのヴィザの交付も厳しくしてきていると伝えられている。その一方、上海中心に民主化への言論活動が活発になっているらしい。

日本語と欧米語のバイリンガルに比べても北京語と欧米語のバイリンガルは不可能に近いのがこうしたことからも証明されている。



参照:
Die größte Aufruhr der Geschichte, Mark Siemons FAZ vom 22.4.2008
史上最大暴乱记实 (凤凰論壇)
善光寺「宗教家として筋…」 (毎日新聞)
哲学を破壊せよ (A Prisoner in the Cave)
中国共産党の綱渡り (tak shonai’s Today’s Cracks)
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パラダイスに覗く花

2008-04-24 | 
階下に二月頃から住んでいる女性に花を頂いた。引越しの時に見かけていて、勿論若いスカッとした女性のこと、どうしても関心が募る。

旅行前に、留守中の事など野郎どもになにかを頼むのも面白くないので、彼女に声をかけた。その期間の彼女の仕事の事もあり快諾にも敢えて退散して、結局近所に永く住む爺さんに留守中の事を依頼しておいた。

そんな経緯で、爺さんには一寸したお土産を持参したのだが、残念ながら彼女にはなにも携えなかった。

そして、昨日朝、呼び鈴で起こされると郵便局のいつものおばさんが、先日日本を立つ前に送った小包を届けてくれた。そして、階下の女性へのアマゾンの配送を受け取ってくれないかと言う。大抵は、そのあたりに置いとけば良いものなのだが、それも本意に反するので大切に受け取っておいた。

そして、それを彼女が取りに来るのを待っていたのである。一言二言甘い言葉でも掛けてとおけば先ずは無難な対応かなと思っていたところ、思い掛けずのプレゼントを差し出された。

女性への贈り物としての花は決して考えない事もなくその効果などについてはしばしば話題になるが、女性からの花束は特別な機会でもなければ経験がないので虚を突かれた。先日の誕生日祝いの鉢への水やりを彼女に依頼しようと思っていたのであった。

そして、その花束のプレゼントには、予想以上に心が揺さぶられる。一輪挿しにはならないその花束を、今回携えた穴が開いている木箱の中に押し入れると、なんとぴったりではないか。

機嫌をよくして、早速野点を気取ってお薄を煎れる。明日はまた弓道名人による「侍の神話と真実」の講演がある。

「一体ここは何処なのか?」と時差ぼけの頭で考えるが、床屋の親仁と声を合わせるように「パラダイス」と言う外ない。
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行ったり来たりの逡巡

2008-04-23 | 生活
帰宅後初めてマンハイムに車を走らせた。隣接するルートヴィヒスハーフェンと合わせて五十万人のドイツの大都市である。二百万人を越えるベルリンの超大都市をのけると決して小さな町ではない。最初に欧州大陸を踏んだ節にも列車で通過して、このような汚い町には住めないと思ったものである。

実際、駅前の車の騒音などは日本のそれとは異なる重量級のものでディーゼルのチリなどを含めてあまり気分がよくない。こうして町に出かけると自宅のあるワイン街道が恋しくなる。

町を通る人々もフランクフルトのようにインターナショナルで洗練する事もなく、シュツットガルトのような活気やミュンヘンのような雰囲気もないのでつまらない。

車を運転しているとどうも視神経が上手くついていかないことに気がついた。ふらふらとして視野が狭まる感じがあり気分がよくない。なるほど、日本に到着した直後あまり表示などが読めずに苦労したのもこうした視野の狭窄などにもあったのだろうか。

そこで時差について話していると、時差一時間につき一日の順応期間が必要という説を聞いた。なるほど英国と大陸を行き来すると一日程は調子が悪い。

五日目の午後は、体温の上昇に気がつき温度の順応が難しく、眠たく、六日目の朝は四時過ぎに目が覚めた。

今回の旅行前に、壊れていた旅行鞄の取っ手を修理した。革で作れば良いとか、メーカーに修理させるのが一番とかいろいろな意見があったが、結局。であたりばったりで、日曜大工センターで一時間近くかけてネジなどを物色した。そして使えそうなものを試し買いした。

早速帰宅して、ネジ止めした場所に何を取っ手として使おうかなと考えていると、ガレージの奥に立てかけてあるスキーのストックに想いが行った。もしや開いているリベットの穴にネジが通るかと思ったら、案の定通った。これで決まりである。二つをかさね合わせると丁度取っ手となる。そして長さまで調整出来るのである。二時間を越える準備購入と作業であった。

時間に余裕は無くあせりながらも、あれやこれやと考えて、それを見つけ出したのは全く偶然であった。この取っ手を見た者皆の関心を引いたようで、このオリジナリティーはフランクフルトで大阪でこの荷物に携わった者皆の印象に残ったに違いない。

元々、取っ手を持って歩く時間などは限られているのだが、取っ手がないとやはりどうしようもなく扱い難い。そして、三十キロを越える荷物を運搬するとプラスティックを留めるアルミを使った部分は簡単に壊れてしまった。

内装の一部に穴を開ける事になったのだが、強度は以前にもまして強くなり、自重も少しばかり減ったようでまずまずこの成果には満足している。



参照:
多様な価値感を履く [ 生活 ] / 2008-03-24
世界を支配する秩序感 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-04-22
ハイ、そう思います! [ 文化一般 ] / 2008-04-03
ない、ありません! [ 生活 ] / 2008-04-04
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クレーマーの楽しみ方

2008-04-22 | 雑感
やっと朝まで熟睡できた。夜九時過ぎには、腎臓を含む煮豚を安物リースリングと共に楽しんだためか、起きていられずに就寝した。そして、朝五時前に目が覚めた。

日本からの帰路は、エコノミークラスのそれも幾らか空きのある後ろ部分に席を取らせた。勿論席が空いた場合は多数の席を独占するためである。しかし、嘗て有ったようにジャンボ飛行機で四つの席をベットにして使えるような状況では全くなかった。

するとエアバスの細身は、座席の狭さとして乗客に不便を強いる。飛行機自体は、そのエンジンの騒音も少なく飛行挙動も大変快適であるが、流石に座席は狭い。体格にもよるが、座って旅行するだけなら問題ないのかもしれないが、往路のように就寝とか、座席での業務とかとなると絶望的である。カメラひとつ置く場所がない。

ファースト然とした二メートルほど前があいている頻繁に使う最前席との差は甚だしい。早速ルフトハンザにご意見を認めた。客室乗務員達が厭な顔をするようなエコノミーに対する意見ではなくて、往路のビジネスクラスへのクレームを書いた。

杯が進まない燻し味のシャンパンやワインは、その折角の各々のチョイスに関わらず全体として清涼感を与えないものであった事、そしてそれが経費節約を乗客に押し付けたようにしか感じなかった事、名門ホテルのシェフがイタリア人と言っても何故にイタリア料理をドイツナショナルフラッグで食さなければいけないかなどを分かり難い字で書き殴った。

通路に立ちながら、日本円を片付けながら、ユーロと入れ替えている時に、落としたコインの残りを備え付けの袋に入れて募金に協力したのでそれをも一緒に渡した。コインが機体の後ろまで転がって行ったのは水平飛行に移っておらずベルト着用がまだ消えていなかったようだった。あの掲示も分かり難い。

帰りに出たリースリングはバーデンの安物でも悪くなく、ゼクトも甘いがいっぱいだけならそれほど悪くはない。エコノミーならそれほど文句を付けれないだろう。更に、乗客乗務員達は遊び呆けているので、物がある場所はバーとしてセルフサーヴィスに解放されている。A380のサルーンを髣髴させるそれは楽しい。兎に角、座っているとなにも出来るスペースがないので、出来る限り歩き回る用件を見つける。

幸いながら北海道までは気流の流れが悪く比較的揺れや小さなエアーポケットがあったが、その後は安定した。入口では、通常の三紙が提供されていたが、前席のオヤジさんが読んでいるFAZは見つからなかった。

搭乗後の出発が遅れているに関わらず、歓迎ドリンクが出て来ないので喉が渇いたのは不満であったが、食事は往路よりも復路の方が文句はなかった。トイレも地階の方が場所も多く、前部よりも快適と感じる。元は取れたか?

乗客は、廉いチケットを購入したフランス人旅行者も目に付いたが、多くは関西人だったようである。



参照:経費節減お粗末さま
[ ワイン ] / 2008-03-29
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世界を支配する秩序感

2008-04-22 | アウトドーア・環境
いよいよ山場のようだ。夕食後無性に眠くなり、三日目は22時どころか20時過ぎにはベットに入った。日本時間で徹夜明けの時刻である。ちょうど身体はそのような疲れで、夏時間で外は暗くなりかけている。寝ずにはいられない。

そして目が覚めたのは、未明の四日目の二時半であった。流石に前日の二度寝の後のように、目覚めた時に一体何処で寝ているのか分からず戸惑うことはなくなるだろうが、朝になって上手く起きれるかどうか、さてどうなるだろう。

身体の状況としては、前日と比べても日本時間ならば本来すっきりと目が覚めてしまうのではなく、やはり身体がだく、眠い感じがある。そして、脈がどうしても高めのようである。軽く頭痛があり、腹具合も収まりがもう一つ良くない。反面、滞日中は、特に多かった旅行前に比べるまでも無く、普段以上にアルコール量も少なく健康的だったのは事実である。

こうなると煎茶の出番である。夜中でも薄めにいれて一服とする。つい先日までの日本時間との差異は、その現実での差は実感出来るが、例えばネットの動きなどに見られる副次的な時間、謂わばヴァーチァルな時差はなかなか把握し難い。同時にそこでの生活感も少しづつ身体から抜けて来ているような感じがする。

湘南で、嘗て隣町に住んでいて尚且つエッフェル塔の下にも住んでいたエンジニーアが、「あそこはゆっくり時間が流れる」とこちらの時間を称していた。今こうして数多くの電話をこなして、片付けをしていると思いの外はかどる。体が軽く疲れ難い。一つには慣れた生活に戻ったせいもあるが、机の高さやモニターなどが気持ち良い高さにおかれて、電話一つが掛け易い環境にあるからだ。これはなにも特定の事務用品や事務所によらず、ドイツの生活は全てが秩序立っていて合理的に出来ているからである。

部屋を見回しても、良い物を安く売っていた頃のIKEAのソファーが快適におかれて、その高さや硬さが良いばかりか、お茶室効果までを出している。それに引き換え近代日本でのバランスは電線が這う家並みや乗用車のみならず全てが滑稽なアンバランスで見苦しい。

それは、裕福層がEクラスメルセデスの3.5Lの黒塗りの車を走らせようともそのステータスに匹敵する美しいシルエットを提供しないことにも典型的にも表れる。折角のハイヒールを履いていても室内に上がれば台無しである。

合理的な生活は、時間を長く感じさせるのみならず、美学の基礎でもあるようだ。なるほど、プファルツの町に車を乗り入れるとそこを歩く農民達の姿はどうしようもなく野暮ったい。それでも、東京銀座よりは遥かに全てが洗練されていて美しい。迎えに来た東ドイツ人が図らずしも語った。「あまり大きな都市には住む気はしない」と。それが意味するものは、ライフスタイルというよりもやはり「あるべき世界観」であるように思われる。秩序が支配する人間的な世界なのである。
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滞日暴飲暴食忘備録

2008-04-21 | 料理
滞日期間、選んで魚を食した。前回は鳥などを中心に食したが、今回は魚類かざるそばとバケットを食さない日は殆どなかった。

刺身は、都合数回食した。一夜はワインと一夜はビールや焼酎などと楽しんだ。刺身は、新鮮さだけでなくやはりある程度ネタを選ぶことが再確認出来た。

生魚に対する印象以上に途中から、廉く食せる焼き魚や煮魚に興味が移った。焼き魚定食などと嘗てならば全く食指が向かなかったものを熱心に探した。ネタの新鮮さも程ほどに食べられるのが良かった。

番外では、湘南のシラス丼など初めて食するものがあり、最近ネットラジオなどでよく耳にした「いかなごの釘煮」とは全く異なる新鮮な魚を楽しむ。いかなごも本物の新鮮な物を家庭で釘煮にすれば格別なのだろうが、なかなかそうもいかない。うなぎを日本橋でまた帰路の欧州上空で食した。

その他、季節がら竹の子やたらの芽、また茸など青梗菜が珍しい食材だったろうか。

薩摩揚げやはんぺん、揚げやとうふや納豆なども喜んで食したが、反対に肉類やトマトやルッコラなどには手をつけなかった。特に最後のものは、こちらの物とは写真で観る限り見栄えも違い、ゴマ味もしないようだ。

手の込んだ日本食もご馳走になるが、やはり珍しい食材ほど嬉しいものはない。また新しい日本酒も頂き、最高級な京の塩昆布も見た目以上になかなか量感があって未だに手元にある。

早速、帰宅後に米を炊いてみたが、見た目は異なってもなにひとつ日本のコシヒカリと変わらない。炊き方によるのだろう。価格は既にここに書いた。

アルコールは、手持ちのワインが限られていたゆえ、休肝日すら取れた。ビールはドライ系が最も上手く、冷しても飲めるのが特徴であろう。しかし、そのアルコールの質は必ずしも極上とは思えなかった。日本酒の中にもある程度の質を保ったものがあったのは確かであるが、ワイン以上に選択が困難な様子。焼酎類についてはなんとも言えないが、出来れば暖かくしても飲めるものが良さそうである。

日本の飲食は、冷たいもの熱いものが極端で、生ぬるいものなどが倦厭される。気候のせいと言ってしまえばそれで終わるが、寒いときには熱いもの、熱いときには冷たいものと、冷暖房の手薄な面を直接食事で補う感が強い。プロ登山家の故長谷川恒夫が山での食事を沸騰させずに適温で調理して燃料を節約したのは有名なエピソードだが、普通の日本人はそれが我慢出来ないのである。

また素材を味わうとした薄味の料理には改めて注目した。なるほどそれからすると強い味付けをするドイツの肉料理は味が強いとなる。しかし、肉を食するとき決して日本食も味が薄い訳ではない。むしろ醤油などが強くしつこい。一方塩気が多いと風評のドイツ料理においても、生野菜などになにもつけずに食することも多い。要は、煮豚や煮たザウマーゲンのように薄味で食するものはなかなかそこいらのレストランではお目に掛からないと言うだけである。
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女子供文化の先祖帰り

2008-04-20 | 文化一般
飲食・飲酒して夜十時前には眠くなった。煩雑で面倒な荷物を持って総武線から都内へと乗り継ごうと、一旦下車するとドアがしまって戻れなかった夢を見て目が覚めた。未明の三時過ぎである。しかし電車は赤かった。いつもの進行方向とは異なるが、なにやら乗り損ねた電車があったとは意識していなかった。

そこで躊躇して乗り遅れる原因となる荷物や一端下車した理由こそが肝要なのだ!

今回懐かしい銀座有楽町を訪れたのは全く偶然であった。嘗ての都営丸の内線での行動範囲に図らずも戻った。それほど長くない期間であったが中央線沿線に暮らしていた事を思い出した。

これで、富士山は見えなかったが、通天閣・京都タワー・東京タワー・神戸ポートタワーの全てを眺めた。横浜の桜木町の銀行街も叔父の所に歯を治しに行ったのが懐かしい。痺れた口元で頭取さんにも紹介された記憶がある。

北極圏遊覧飛行を経て、蒲焼をひつまぶしにして食べたあと、フランクフルトにザクセン上空から侵入した。出掛けの想いとは別にいつもの様にその美しさに感極まるものがあるかと思ったのだが、意外にそれはなかった。北極圏の光景があまりにも圧巻だったからだろうか。

あのアジアの雑然と混沌を逃れ、ハングルや簡略中国語が聞こえ見える日本は益々混迷を極めているとしか言いようがない。本物の民族主義者は、このような事態に文化的な発言をしているのだろうか?似非多文化主義や容易な先祖帰りは許されない。

どうしようもない感傷に溢れ、主観を持って「環境を洞察」する無秩序な日本の文化人は恥を知れ!

町を歩けばその管理された無秩序に目がついていかない。情報を整理されて始めてその内容を伝達する。アジア的無秩序は、無関心を呼びその環境を捉えがたいものにする。だから彼の文士が語ったように、「非常事態の最後に残るものは性欲という愛国心」しかないのである。

ハイデルベルクから車でプファルツを廻ってワイン街道に戻ってくると、なんとも人間臭く、歩いているものの姿が田舎臭い。初めて訪れた時の印象を髣髴する。しかしその田舎は、そこの方言と同じように、作られて保存されているものと直に気がつく。

ゴッホの絵のような肉眼で見れるガスに色づく太陽と強い日差しやベルクシュトラーセの緑の丘や山城のシルエットは、その軽く羽根が生えるような大気に何一つ感傷的な主観を与えない。そこにあるのは齎された秩序でしかない。自らの与えられた手をもって、意思をもって、計画されたパラダイス環境そのものなのである。

銀座のカウンターで「世界観」という言葉に身を震わせ布団を被って押入れに母体回帰をする、未発達なそれから自らの環境すら見れない婦女子の世界はここにはない。

何故に日本の宗教感は幼稚を極め、その思考や文化は幼稚なのか?その社会は、成人していないのか?

本棚に見つけたまだまだ処分していなかった「日本の文化人」の多くの本を船便で送る一方、未発達な思考の小林秀雄のものを持ち帰り、親日派としてそれを研究している。


参照:
痴漢といふ愛国行為 [ 雑感 ] / 2007-11-26
気がふれぬ中にお暇する [ 生活 ] / 2008-04-10
白夜に近い時差との戦い [ 暦 ] / 2008-04-19
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不思議な風景と惜別の情

2008-04-20 | 雑感
訪日前には、なぜか「帰ってくるのだろう?」と宣う者までいて、なにやらおかしな雰囲気を醸し出していたのかなと今思う。以前と比べても、旅行前になにやら特別感傷的な想いがなかった訳でもない。我ながら不思議に思っている。

敢えて言えば、日本での日程や段取りが直前まで決定していなかった状況を反映していて、出た所勝負の旅行であったからだろう。だからか上空からみた日本の不思議さ以上にドイツの空を離れるのが忍びなかった。

そして、今回は日本国内を旅行する予定は皆無であった。それでも建築中の写真などを見せてもらっていた友人の新築の家に、「どうぞ日本間を使ってください」と招かれていて、時間があれば立ち寄りたいと思っていた。

結局、第二週目に帰路のブッキングを変更して、滞在第三週目のフライトを予約した。滞在を延長するならば湘南の家を訪問する可能性を伝えていただけに、延長後直ぐの週末に訪問を決めた。その近所には、妻帯後初めて会う友人も住んでいて、残った最後の一本のワインを皆に飲ませたいと思ったのである。

既に報告した鎌倉見物はおまけのようについて来たのだった。今回の滞在の中でも予定外ということもあり束の間の休日を味わうだけでなく、旧交を温める事が出来て新鮮なワインの味も格別だったのである。

そして、新婚当時にドイツに滞在していて、スキーツアーにも何度もご一緒した奥さんやそこで生まれて十歳になる娘さんにも再会した。なんと言ってもそこで出された食事の数々は、その当時に一度お呼ばれしたものが、更に進化した料理の腕で図らずしも特にリースリングワインに推奨できる日本食の皿となって出されたのには感激した。

一つはたらの芽の天ぷらであり、もう一つは鯵の梅酢サラダであった。前者の苦味はむしろ苦味のきついジルファーナーなどの白ワインにも合うが、後者の梅酢との組み合わせは野菜独自の香味と共にリースリングにはなんとも見事な一品であった。

前者はフォン・バッサーマンヨルダンの2007年産キーセルベルクと食されて、この些かの素っ気無さを旨みに変える苦味を与えてくれたようで、現時点で最高のリースリングとして紹介したワインが日本で高い評価を得て満足している。後者はライタープファードの青林檎ともニワトコの花とも言われるフルーティーさを梅が押さえつつ際立たせてくれた。

その他に手作りのさつま揚げも素晴らしく、今後当方でレシピーを貰い研究する事にした。ちょっとした工夫で日本料理もドイツリースリングに合わせる事が出来るのである。

日本間の蛍光灯の下で旅の荷を紐解き、息子の嫁に感謝して胸を一杯にする三国連太郎紛する田舎から出てきた親父のような気持ちになって、蛍光灯の紐を引っ張って床についた夜であった。
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古の都の薄い文化

2008-04-19 | 生活
二度寝から目が覚めたのは八時過ぎだった。少し頭が痛いようなおかしな感じがする。旅行中の土産話については、想い出にに耽りながら後記するとしても、先ずはそこでお騒がせし、お世話になった皆様にお礼の気持ちを書き記しておきたい。

時差のみならず、土地や気候や文化の差異を体に残っている内に、それを記録しておきたいと思っている。その意味からも九千キロを12時間で移動する経験は貴重である。

日本へと持ち込んだように幾つかのお土産を自宅へと携えた。自分の為には茶碗を持ち携えたので、早速購入したお茶と空港で買った八橋を楽しむ。その徳力牧之助作の茶碗は、その油落としの技法からエンジニアの友人にプレゼントしようと思ったのだが、その薄い焼き物と特別な感じに気がついて自分でお薄を淹れてみたくなった。

お茶の缶に書いてあるように茶こしを通すといつも以上に泡が立ち甘みが増した。

徳力牧之助は、西本願寺の絵所の家柄で彦之助の四男とネットにある。この茶碗の面白さはなんと言っても油を流してある部分が緑に発色していて、お茶のように見えるところだろう。肉厚の薄さもその洗練に反して、扱い難そうと感じたが、思った以上にシックリと来て、持つ手も啜る口元も熱くはない。

その友人には悪かったが、お薄を淹れながら、これからもこれをマイ茶碗の列の筆頭に置いて楽しみたいと考えている。
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白夜に近い時差との戦い

2008-04-19 | 
帰宅して時差と戦っている。欧州と日本の時差で苦しんだ経験はそれほど多くはない。その数回にも至らない中でも、特に「旅先の欧州」での時差経験は後にも先にも一度しかない。二度目の欧州訪問から欧州に移住したからである。その後、新居住所から生まれ故郷の日本を往復して以降、欧州に永住している。そして、新しい故郷から日本へと旅行した経験すら今回を含めて二三度しかない。だから、欧州夏時間に伴う七時間「戻りの時差」は、この方三度目の経験である。

時差が人体に与える影響は大きく、その一回当たりの時差順応における寿命の短縮は医学統計上にも示されているように、あまり頻繁に経験するのは良くないとされている。三回でどれぐらいの寿命が縮まったことだろうか。三か月ぐらいだろうか、それとも半年ぐらいだろうか?

神戸を朝の8時前に出発後、大阪の高速道路の交通事故の為か飛行機への物資の搬入が遅れ、定刻より三十分以上遅れて、やっと11時前に飛び発った。季節がらか採られた大変北よりの航空ルートは、北海道沖へと北上したのみならず、シベリアを更にその北辺をかすめるが如く北極圏へと向い、バレンツ海や北極圏遊覧飛行を堪能した。思えば、初めて欧州に渡ったのがアンカレッジ経由の北極回りであったが、ロシアの北辺を飛んだのは今回が始めてである。

しかし、当初の遅れは季節風を北から避けても取り返せずにフランクフルトに到着。変則的な着陸ゆえか、Cターミナルに到着後、初めから八つ目ぐらいに荷物を降ろしてもらいながら、予約していたバス停についたときには既に16時半を十分ほど過ぎていた。

急遽、停まっていたハイデルベルク行きのマイクロバスの空き席を、ギリシャ・スパイン系の米国人とブロンド米国人娘他の米国人やルフトハンザのスチューワーデスに続いて乗車する。急いでマンハイムでのお迎えの約束をハイデルベルクに変更して19時過ぎに無事帰宅する。

入浴後に軽く食事をすると22時にはどうしても起きていられなくなる。目が覚めると三時間後の土曜日の未明一時にこれを書いている。



参照:
薄ら寒い夏時間への移行 [ 生活 ] / 2008-03-30
時差ぼけ日誌四日目 [ 生活 ] / 2008-04-01
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