Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2019年8月

2019-08-31 | Weblog-Index


分かり易い筈の蟹の横歩き 2019-08-31 | 音
中央スイス周辺を展望 2019-08-30 | アウトドーア・環境
藁の匂い漂う村にて 2019-08-29 | 料理
無料前座演奏会の光景 2019-08-28 | 音
ルツェルンの最初の夜 2019-08-27 | 暦
三本足プラグは必携 2019-08-26 | 生活
お前はアホかの今は昔 2019-08-25 | マスメディア批評
歓喜へ歌への対照と構成 2019-08-24 | 音
ダブルヘッダーの予定 2019-08-23 | マスメディア批評
プログラミングの決定権 2019-08-22 | マスメディア批評
ブランデンブルク門を臨む 2019-08-21 | 歴史・時事
予備の電球を探す作業 2019-08-20 | 生活
指揮科教授のバイロイト 2019-08-19 | 音
次元が異なる名演奏 2019-08-18 | マスメディア批評
聴衆の一体感を再確認 2019-08-17 | マスメディア批評
アホをギャラリーする 2019-08-17 | 文化一般
近くて遠いバイロイト 2019-08-16 | 雑感
ちょっと自慢な光景 2019-08-14 | 生活
一万回も呟いたか 2019-08-13 | SNS・BLOG研究
記憶を呼び起こすために 2019-08-12 | 雑感
Kawaiiからは遠い運命 2019-08-11 | 歴史・時事
週末の片づけもの 2019-08-10 | 生活
巨匠ショルティの美意識 2019-08-09 | 音
脚光度ピカイチの女性 2019-08-08 | 女
鳴かぬなら突いてやろう 2019-08-07 | マスメディア批評
今は昔と感じること 2019-08-06 | 雑感
嫌いなMP3の報復 2019-08-05 | テクニック
修正される中継録音 2019-08-04 | 生活
超弩級の中継放送録音 2019-08-03 | 音
励起させられた覚え 2019-08-02 | 音
初代改め元祖の方がよさげ 2019-08-01 | マスメディア批評
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「一聴瞭然」の蟹の横歩き

2019-08-31 | 

ルツェルンでのコンサート評も出た。まだ最後のブカレストでの〆は分からない。ザルツブルクでの批評もざっと読んだ。様々な批評や印象を総合すると、同じような反応が初日の「ルル組曲」で起きていて、その分第九で喝采となっている。

ザルツブルクとルツェルンの聴衆を比較する心算は無かったのだが、日本からの旅行者がルツェルンのそれが冷たいとしていたので少し想像してみた。同じことは批評の中にもあり、ザルツブルクの聴衆は「パユやらマイヤーとかオッテンサムマー、ドールなどを初めて生で聞く人が多くそれだけで感動する」としている。これはある意味正しいだろう。実際私自身がパトロンをしていた時にもザルツブルクではオペラだけで、大管弦楽団コンサートは祝祭劇場では一度招待で出かけただけだった。要するに少し聴衆が異なるという事だろう。そもそもヴィーンの人がザルツブルクで態々コンサートを訪れる必要も無く、ミュンヘンのホールの無いコンサート難民が主となっていると思う。

だからあのルツェルンの人材派遣業者が招待したような場違いな人が沢山いた初日のルツェルンの晩と事情は変わってもその質はさして変わらない。それでも「組曲」が受けなかったというのにはまた別の理由がある。

同時に第九に関しては軒並み高級新聞等もそれを批評するのに苦心していて、バイエルン放送局のライポルト氏が正直に「(第九終了後の)その観客の反応には驚いた」つまりもう少し古楽器風の演奏をして欲しかったからだと言うように話している。また他のオーストリアの新聞は「三楽章は、木管楽器も休み、気持ちよく過ぎてしまう」と明らかにルツェルンでの演奏の様には行かなかったことを示すと同時に四楽章が合唱ソリスツとともに素晴らしかったことを伝えている。特に独唱陣がデクレッシェンドできる制御を賞賛している。

そうした初日に比較して二日目のシェーンベルクがハイライトだったとライポルト氏。この曲がなぜより容易な筈の「組曲」に比して大成功したかは、人によればコパチンスカヤの演奏を挙げるがそれはそれ程正しくないのはバーデンバーデンで同一プログラムを聞いて知っているからだ。但し管弦楽団があの時よりも更に上手に付けていたのは、ルツェルンを聞けば明らかだった ― 11日のラディオ放送で確認可能である。しかし実際にはルツェルンの近代的なシューボックス型のホールの音響によって格段に表現の可能性が広がったのも明らかなのである。

これがどれほどこの楽曲の本質を知るために重要だったかは体験すれば「一聴瞭然」であり、疑いの余地が無い事実である。そして僅かの残響の音の尾に次の拍の音を綺麗に重ねるつまり縦横に繋がるという事でしかないが、いかに正確に拍から拍へと移していくかの必要性が知れる。所謂点描的な扱い若しくは音色旋律的な扱いが12音楽法での管弦楽技法で重要になる。その意味からもベルリナーフィルハーモニカーの管楽器陣は見事に一言に尽きる。勿論弦楽陣の対位法の歌わせ方や反行などの表現は息を飲むばかりで、とてもではないがここまでの表現意欲はフィラデルフィア管弦楽団にはない。彼のゲヴァントハウス管弦楽団の内声の様にではなく、重要な線として出てくるところの合わせ方はここの積極的なヴィオラ陣の魅力でもある。

またもや昨年と同じように二日目の始めから大名演を繰り広げたのを思い浮かべ、またコンツェルトマイスターの相違について囁かれたのを、朝の森の中を走り乍考えた。そして水曜日から気になっていたコントラバスなどの試し弾きの音からして昨年とは異なっていたことのその不思議に一つの仮説が浮かび上がった。

具体的には昨年よりは格上の座席で尚且つ初日と二日目は若干席が横に五つほどずれたのだが、二日目には昨年と同じような響きが戻ってきた事への不思議の原因である。この仮説は、同時に「組曲」の「カニの前後上下」への動きの鮮やかさの方が遥かに誰にでも分かる筈なのだが、あまりにも理解されなかった不可思議の回答にもなっている。そしてその仮説がいよいよ確からしくなってくる。(続く

 

参照:

十二音の対位法の映像化 2013-12-20 | 音

次元が異なる名演奏 2019-08-18 | マスメディア批評

 

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中央スイス周辺を展望

2019-08-30 | アウトドーア・環境

病的に眠い。帰宅は写真撮影さえされていなければ無事出来た。いつもバーデンバーデンからフランスに入って、プファルツに入るとほっとするのか眠くなる。最後のアウトバーンのスタンドの所で車を停めた。直ぐにぐっすりと眠りに入ったが、眼を覚ますと十分も経っていなかった。すっきりした。ルツェルンの会場kklの駐車場から出たのが21時45分ぐらいで予定よりも早かった。午前様も2時過ぎを予想していたが、1時過ぎの帰宅が可能となっていた。結果は1時20分ぐらいだった。眠気覚ましは会場においてある無料のリッコラーとハーブティーだけだった。

朝から宿で荷造り、無料のコーヒーを下に取りに行き、水をヴォルヴィックのペットボトルに汲みに行く。結局前夜はレストランで食事できなかったので、手元にあるパンの残りと干し肉、チーズなどで冷えたビール二缶と残りのリースリングで平らげた。朝食抜きで10時のチェックアウトを目指す。朝一番でゆっくりと時間を掛けたのでストレスなく終えた。

そこから駐車場で無料Wifiを使うが、陽射しが出ると暑くなってきた。この周辺は兎に角森が無い中央スイスの谷部の特徴が出ている。それで結局森の木陰を求めてのドライヴとなった。前々夜に試したワイン所を目指した。しかし失敗だった。結局湖の周りを一周して森を見つけて狭い道を走って、林道入り口に車を停めた。そこでコープで購入したサラダ類を食した。ひと眠りしてから、シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲の楽譜に眼を通した。

結論として来年もこの宿を狙う。だから周辺を走ったのは今後の参考になる。方向を変えると動植物保護区域になっていて、次回はそこを試してみたい。しかし今回の細い道も車が一時間に一台ほどしか通らなかった。地元民しか通らないので、停めてたところにも夫婦連れがジープで来て一時間ほどして帰ってくるとシュタインピルツなどを集めていたので見せて貰った。

そして現在位置を確認すると宿と直ぐ近くまで戻って来ていることに気が付いた。湖を一周して片方の丘陵地帯の裏側に当たるからだ。それなら細い道をそちら側へと抜ければ、あとは道も良く知っている。時間を計ってkklへと向かえれることが知れた。途中帰宅の準備として燃料を30リットルほど加えておいた。公演終了後直ぐに帰宅の準備が整ったのだった。序でにもう一度朝出たホテルの駐車じょぷまで戻り、Wifiを使わさせて貰った。来年ももっといい思いをさせて貰いたいと思う。因みに宿代は三泊で226フランであるから、とてもお得だった。

 

 

参照: 

来夏の宿を予約する 2018-10-30 | 雑感

藁の匂い漂う村にて 2019-08-29 | 料理

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藁の匂い漂う村にて

2019-08-29 | 料理

泊まっている村で朝一番に買い物をした。前夜は街の真ん中にあるレストランで食事をした。ネットで比較的評判が良かったところだ。その前に買い物に行く予定が、大誤算に見舞われた。スーパーが閉まっていたからだ。第九の楽譜を見ていて遅れた。

午前中に一度市内まで出かけてサクソフォーンのジェス・ジラムのデビューコンサートだった。以前は別の湖に沿いの教会でやっていてそこでの演奏会は何度か訪問した。最後は作曲家ヘンツェと一緒にラトル指揮のベルリナーフィルハーモニカーでの晩の演奏会に招待されていた時だった。既に何番だかの交響曲初演にも接していたのでヘンツェと並んで彼の曲を聴くのは遠慮した。あまりお世辞も言えないと思ったからだ。嫌いではないが、当時の自分としては殆ど評価の仕様がなかった。恐らく今でも評価はそれほど変わらないのではなかろうか。機会があれば三島のことを話そうかと思ったぐらいだ。

そして新しい会場を試してみたかった。想定以上に良かった。スイスの場合は室内楽は殆ど教会で演奏されるので、ノウハウもあるのだろうが、楽屋もなくスクリーンで囲んであるだけだが、音響は素晴らしい。現在離接の僕位の家が出来上がると、楽屋になるのだろう。予約席なので上の二列目で条件も良かったかもしれないが、残響も綺麗に乗って明快だった。木曜日に時間があればもう一度出かけたい。

演奏とプログラムは良かったが、なるほどテノールサックスの巧さはこちらの認識を変えるほどだったが、如何せんオーボエなどと比較するともう一つの細やかな表現とはならない。仕方ないのかもしれない。

さてスーパーが閉まっていたのは田舎だからだ。いつもフランクフルト在住者などにはワイン街道は田舎だから店が早く閉まると笑われるのだが、まさか18時30分で軒並み閉まるとは思ってもいなかった。だから昼の帰りに買わなかったのだ。所変わればで仕方がない。それで買い物を翌朝にしておいて食事とした。そしてあたった。

そこで見つけたのが前菜の藁で香りをつけた干し肉で、更についてきた白卵のメレンゲにまた味がついていた。後半のフォカッチャソフィア・ローレン風も全然悪くなかった。スイスドイツ語圏ではサン・モリッツ等のグラウ分電地方と合わせてトップクラスの食事だった。味付けがとても良かった。後半のそれには唐辛子ソースが付いてきていて、ニンニクが欠片ごと漬け込んである。だから豆板醤のマネをしたのではないかと尋ねておいた。そしてワインをそれに合わせて先ずはテッシンの白そして地元の谷のドルンフェルダーと三杯も飲んで、ビールも二杯のんだ。64フランは安くはないが大満足だった。それどころか夜遅くまでやっていて、水曜日は23時までならまず問題なく温かいものが食せるという。難民にならないように、また明日来るということにした。これは大きな加点要素だ。この村の常連になっても良いと思った。

 

 

 

参照:




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無料前座演奏会の光景

2019-08-28 | 

ゲヴァントハウス管弦楽団演奏会前に前座無料コンサートに並んだ。昨年はラトル指揮のグルッペンの初練習を公開したこのシリーズは練習風景の公開であることが多い、今回はロマンティックと名付けてあったので本当はフルシャが指揮するシューマンが公開される予定だったのだろう。しかし最も合わせなければいけなかったエマニュエル・パユとのモーツァルトでザルツブルクから駆けつけたパユが時間のあるうちに合わせて予定が変わったということだろう。詳しい説明はなかったが、無料であり、それどころか通すということで誰も文句は言わない。私も予期していなかったので前から三列目に座った価値があった。

兎に角、一時間ほど並ばなければいけない。自由席で必ずしもおいしい席から埋まって行くのでは無いが、締切られると元も子もないので早目に並ぶ。一時間余裕を見込んでいたのだが、もう既に列は長かった。終わりにつくと、日陰が無くなっていたので、婆さんがこちらへ入れと日陰を勧めてくれた。そこからいろいろな話を聞いた。地元の言葉だったが、構造主義の音楽が好きで、バッハから二十世紀前半までとなる。脱構造となるとついて行けないとなる。有料のは地元の室内楽団の聞いたという。年齢は団塊の上ぐらいだからやはりそうだろうと思った。だからMeTooガッティやサロネンなどのプログラミングが如何に時代遅れな感覚であるかが分かる話しだった。

それで、最初は作業のオヤジが二人指揮台のところで打ち合わせしているなと思った。 背中は指揮者と直に分かったが、楽譜に顔をつけているおっさんは誰かと思うと、顔をこちらに向けるとパユだった。無料の演奏会なのでスイスの英雄の一人であっても皆がすぐに気がついたようではない。そこで司会のシュテール女史と打ち合わせしていたように、紹介されると子供用のクッション席から起き上がるという演出をしていた。そもそもそのクッションがなかったら私はかぶりつきに座っていただろう。流石になにか違うなと思ったので遠慮した。

なによりも興味深かったのは目と鼻の先でのパユの音と息遣いを見聞きしたことである。個人的にこの演奏家が多くのベルリナーフィルハーモニカーとソリスト両方で売っている演奏家とは違うと思ったのは生録のリサイタルの放送を車内で聞いたときからである、どのような管楽器も息遣いが命だが、同時に様々な教雑音も発する。位置重リード、二枚リードなど様々な技術的な問題があって、中々解決できない奏者も多い。その点からもやはりこのフルートは立派だなと思っていた。

そしてモーツァルトの協奏曲での強弱やアクセントの付け方など明白なリズム感の中で全てが決められていくのを身近で聞いているとやはり大したものだと感心した。その本人が話しの中で、愛用フルートについても語っていて14Kの金が一番合わせやすいと語っていた。つまり、ここではマーラー室内管弦楽団の木のフルートとも合わせるということで、モーツァルトが依頼主のアマチュアーの要請にも答えなければいけなかった苦心を語ってもいた。そしてシルヴァーでもなんでもいいが結局は吹く人によると至極当然なことを語っていた。

確か先輩のオーレル・ニコレは銀だったなと思ったが、確かにニコレも録音などでもその名人ぶりは知られているが、このパユほどに自由自在の表現の幅はなかったような記憶がある。その意味からも、パユの演奏を近くで見ていると音楽へとその有り余る技術が注ぎ込まれている感があってとても気持ちが良かった。フレージングの山やアーティキュレーション上の明白な聞かせ方もツボにはまっていて憎い。ここぞの音を一発で決めてこちらを向いて、どうだと視線を向けられると参りましたという気持ちにしかならない。

さて打ち合わせの当事者の指揮者フルシャは初めて生で聞くが放送等での印象はどれも良くなかった。確かにやろうとしていることは小編成であり身近で観ているのでよく分かったが、駄目だなと思った。そもそもパユとの打ち合わせでは、ソロからの要望に対して、声は全く聞こえなかったが、それは難しいな言う様な態度にしか見えなかった。日本で評判の良かった未知の指揮者である程度の者だったのはヤルヴィぐらいか。日本で成功している指揮者は、伝統的に劇場指揮者とそのクラスの指揮者が殆んどである。



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ルツェルンの最初の夜

2019-08-27 | 
ホテルはかなり快適だ。今までで不満は夜中の空調の低い音だけで、それだけ静寂ということである。なるほどあまり近代的なホテルには泊まらないので、カードを刺しての点灯とかが解らずに人に来てもらったりしたが、これは自分が如何に鄙びた安宿ばかりに泊まっているかということでしかない。格好が悪いのでドイツではスイスほどオートメーション化されていないと話しておいた。予定通り早々と湯沸かし器テストなどでの問題は無かったが、これは誤算だった。

ネット回線も早い。理由ははっきりしていて、この宿がそもそも通常のホテルではなく、ある会社のゲストハウスを空いているときに開放しているに過ぎないからだ。だから朝食を頼んでいなくてもコーヒーの飲み放題など嬉しいサービスも有る。

それに村自体も湖よりは大分高台で涼しい。更にその村の牧草地の中に建っている。与えられた部屋が二階で北向きで更に気持ちが良い。反対側は山が見えるかもしれないが今回はどうでも良い。

コンサートの後で駅でヴォルヴィックを購入して、ついでに熱いチキンの足も買った。持ってきなヴィーナーと一緒にホテルに帰ってディーナーとした。帰路は駐車場からの出だしでチューリッヒ側に進んで、無理なUターンで戻ってきたが、どうもベルン行きの高速も手前で降りるようになっていて、少し戸惑った。むしろ地道の10kmが遠く感じた。慣れの問題だろう。今の雰囲気からすると今後定宿にしたい感じである。

じゃがいもサラダは少し塩気が薄すぎたが、肉毛のお陰でじゃがいも六個分を平らげた。お陰で持ってきたリースリングを半分以上飲んでアルコールが残っている。今日は比較的オフなのでマティネーの後は涼しいところで音楽勉強をしてゆっくりとする。

往路、アバド指揮ルツェルンでのラ・メールを流していた。ホテルについて早速楽譜も流した。映像を見ると当時パユやマイヤーなどが乗っていてベルリナーフィルハーモニカーとマーラー室内楽団の合同の感がある。因みにそのパユが独奏するマーラー室内管弦楽団を初めて練習で聴いたが、行かない本番が今日なので改めて触れよう。アバドの指揮の良さもあるが、92年頃昔のルツェルンの会場で同様なフィルハーモニカーの演奏会での薄い印象とか掛け合わせた。こちらは同夜のゲヴァントハウス管弦楽団演奏会の準備であった。

その前にペトレンコ指揮の第九初日の演奏をイアフォーンで聴いたが、とても感情的に揺すぶられた。なるほど生放送を観ていても興奮したが、新聞評も出たので、生で聴く前にもう一度振り返りたい。その影響で音楽的な感受性がリフレッシュしたような気持ちがする。生放送を観ていて発狂しそうになったというファンも居るがなるほどそうした要素をこの演奏は持っている。そして更に良くなるであろうところも更に見えてきた。



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三本足プラグは必携

2019-08-26 | 生活
旅行の準備である。ホテルの自動チェックインのシステムを調べておいた。やはり誰かいる方が手っ取り早い。あとは道筋であるが高速からルツェルン手前10㎞ほどの所で下りて10㎞ほど地道を往復することになる。コンサート会場から車で30分ほどであるが、通勤の渋滞を避けないと酷い目にあう。

まず最初の日の夕飯が気になるところだが、21時半に終わるので、手頃なところでさっと済ましたいところだ。昨年は欲張って難民になって仕舞った。ホテル周辺もまだ事情が分からず22時過ぎになると厳しそうだ。駐車料金は四時間分払うか七時間分払うかだ。車庫入れは17時半が目標だ。すると四時間は厳しい。

いっそうの事、アイスボックスは火曜日の朝までは効くので、夜食を持参してホテルで片づけるのもいいかもしれない。いつものピクニックに加えて、冷えたワインと夜食にするためにジャガイモサラダを作り、ヴィーナーでも持ち込むか?すると予定していた湯沸し器に加えて卵茹で器を持参するのも方法かもしれない。365Wなので全く問題はない。寧ろ湯沸し器はヘアードライヤーよりも大きいので昼間にでも試しておくべきか。そこで必携品はスイス向きの三本足アダプターだ。序でにスイッチ付き三又を持って行こう。

すると朝食用に紅茶のティーバックとハーブティーを少々、翌日にスーパーでアイスや食材など適当に買う。エンメンタールの裾になるのでチーズはいいのが入るだろう。パン屋は地元の人に聞いてみないとどこが手作りか分からない。ナイフは車に収めてあるヴィクトリノックス、それ以外にボールを持って行くと野菜を洗ってサラダに出来るかもしれない。アルミフォイルとキッチンペーパー、紙の皿、フォークとナイフ以上。

お泊りセットに、タブレット以外にPCを持って行くかどうかがカギだが、滞在期間中に重要な生中継が無いならば要らない。そこでルツェルンのプログラムを見ていたら、友人が出るコンサートがあったので出かけることにした。メールを送ったらそれならという事になった。リサイタルでもないのでどういう反応をするかなと思っていたので、それはそれで楽しみだ。

今回は早めに燃料を二回に別けて入れた。一回は満タンで森まで走って損をしたが、許容範囲だ。リットル1.349で43リットル入れた。58ユーロと前回の40ユーロで、満タンで往復できる可能性は強い。向こうでどれぐらい走るかによる。山の上に行くとか湖畔を走るかすれば給油が必要だ。会場とホテルの間は五回ほど余分に走る。つまり50㎞余分に走るならばなんとかなるか、合わせて770㎞であるから、一度現地で給油しなければいけないだろう。



参照:
来夏の宿を予約する 2018-10-30 | 雑感
厚切り咬筋と薄切り肝臓 2005-12-01 | 料理
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お前はアホかの今は昔

2019-08-25 | マスメディア批評
暑くなりそうなので早めに走り終えた。車中の放送が昨晩のベルリンのフィルハーモニーでの報告をするところだった。待ってはいれなかったので、車を離れて森へと入った。その内容はまだアップされていないが、それほどの批評ではないと想像する。どうも毎年初日は政治家やらドイツェバンク関係の招待が多くて聴衆の質も高くはないようだ ― 今年はG7でメルケル首相は来ていなかったらしいが、バーデンバーデンのパトロン代表の元副首相ショイブレ博士が居たらしいので少しは我々の為になるかもしれない。

そのような塩梅だから首都には芸術を理解できない下らない輩も多く、ジャーナリストもそのような話題を書いて糊代としている。何処の首都でも結局は取巻きは多くとも一流人は比率からしすればそんなにいない。終演後にレセプションが開かれて、そこの話しで、ペトレンコ自身が「前任者サイモン・ラトルの就任コンサートの会場に居た」とあったらしい。勿論「その時に17年後に継ぐなんて言ったらお前はアホか」とされたただろうと引用されている。

その範疇ながらも少しだけ面白い表現を見かけた。rbbの記事だがペトレンコの指揮姿をして江南スタイルとまで書いたものが出てきた。なんでもいいが、そこまでしてポピュラリティーを目指す必要があるのかなと疑問に思うところである。

昨晩の録音録画は一先ず順調に行ったようだ。しかしラディオの方や雑音が第九の後半で聞こえるようになる。原因は不明であるが、中々ストリーミングの難しいところだ。そもそも中継を聴き始めたのが実際の中継が終わってからであるから確か二楽章だったと思う。結構時間を掛けてARDのどの曲から受信しようかと調べた。ホーム局で品質の良いSWR2はHPの衣替えでよさそうなリンクが消えてしまった。以前はAACでも出しているので嫌いなMP3を録音する必要もない。しかしどうも容量が小さくなって使い難くなった。探すとWDR3が最も容量が多そうでそれを試した。音質自体は悪くはない。以前はここもMP3で320kbps出ていたようだが、どうもそこまではなさそうだ。

さて生中継のDCHの方は映像こそ光量も落としてあってそれほどでは無かったが、配信も比較的安定していた。最後の拍手時に小停電になったようで音が途切れたが、画像は終止順調に流れ、音質も満足のいくものだった。映像はアーカイヴになれば充分な品質であり、とやかく言うまでもない。

さて今晩はどうなるか?rbbは公共放送局なので容量は大丈夫だと思うがどうなるだろうか。天気も最高気温摂氏29度で20時には24度まで下がる晴天だ。ブランデンブルク前でのオープンエアーの第九生中継へと否が応でも期待が高まる ― オンデマンド提供中

芸術監督ティーレマン問題は、SWRの報道によると、バッハラーが例の「ローエングリン」や「エレクトラ」案を拒絶したとある。それならばもうこれでティーレマンは辞任するか、それとも「魔弾の射手」か「オランダ人」を受け入れるかしかないのだろう。恐らくこれでティーレマンが辞職、スュターツカペレドレスデンはザルツブルク復活祭で指揮をする指揮者を探すとなる。



参照:
歓喜へ歌への対照と構成 2019-08-24 | 音
ダブルヘッダ 2019-08-23 | マスメディア批評
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歓喜へ歌への対照と構成

2019-08-24 | 
一日中血圧上がりっぱなしだった。しかし無事乗り越えた。なんと言っても合唱付き楽章に尽きる。なるほど一楽章の弦楽器の柔軟性は樫本の業であり、四楽章でもフレージングの弓の扱いが聞いているだけで確かで、あの月並みなメロディーが新鮮に意味を持って聞こえた。何よりもそれによって自然なアゴーギクのダイナミックスへと大きな弓使いを、それゆえに切れば切るほど律動感が発生する。樫本がマイスターを務めることは分かっていたが、二番にスタブラーヴァを入れたのは意外だった。なるほど最後のオープニングコンサートであるから、特にベルクが入っていたのでぜひ入って貰ったのは分かるが、もう一つのプログラムのシェーンベルク・チャイコフスキーと掛け持ちになる。

二楽章はもう一度聴き直さないといけないが、基本的には拍を合わせる事での凝縮感が、頭を合わせたフルトヴェングラーなどと同じで、見事だった。三楽章の弦などはもう少し繰り返すとよくなるだろう。フルトヴェングラーの場合は、その和声のヴェクトルを重視する訳だが、ペトレンコの場合はそうした圧縮無しに正しい音を合せることと自由自在に歌わせることが出来ることから、同様の効果が生じている。

木管楽器陣のアンサムブルも復活祭の延長で見事になっていて、金管との合せも更に改良されていて、フィラデルフィアとまではいかないでも、もう一息である。それにしてもベルリナーフィルハーモニカーの弦の強い線の歌はこの曲には無くてはならないと思う。昼間の放送でもフルトヴェングラ―の戦前の録音との比較が流されたが、明らかにそこへと戻っている。

ルル組曲は、全く全曲演奏とは異なった。何よりもテムピを押さえているので完璧に演奏させられていて、システム間の出入りが、あるがままで、稀に見る演奏となっていた。しかしこれこそ繰り返さないとまだまだ本領発揮とならないだろう。しかしこの精度での上演は不可能で、組曲は別と考えるべきだろう。曲説明は先日ミュンヘンで挨拶したクラースティンク博士が担当していたが、そのドラマテュルギ―とは少し違うと思う。その話しの終わりに組曲を交響曲として更に歌曲付きの交響曲からマーラー、そして第九と繋ぐのは一寸違わないか。キリル・ペトレンコのブレーンでもあるので間違ったことは話していないと思うが、さてどうだろう。ペーターセンの歌も到底舞台の上では無理な精度で、初登場で十二分にその実力を示したと思う。

合唱付きにおいても「ミサソレムニス」同様に見事な歌で、それどころか映像を見ていると、合唱に合わせて口ずさんでしまっている。表情の豊かな人だから考えていることがそのまま出てとても面白い。兎に角、器楽的にも歌える人で、中々比較できる歌手はいないと改めて思った。ペーターセンに見つめられていたバスのユンも準備万端で最高の歌唱を聞かせたのではなかろうか。ブレゲンツでの「千人の交響曲」ではそこまで立派な歌では無かった。

23時過ぎの批評にもあったように、二楽章がそのもの戦争シーンだとするのも、例えばブルックナーの蒸気機関のカムとの対照でもあり、当然四楽章と対照となっている。まさしくクラーシュティンク博士が述べていなかったドラマテュルギ―であり、一楽章冒頭のフォルテと共にとても強い対照の構成を示したことになる。ペトレンコ自身による解説では、英雄交響曲を逆転させた形で、英雄を奪い逆行させたのがこの一楽章となる。その意味で四楽章が大成功しているのだが、通常の演奏ではその対照が疎かにされている。まさしくミュンヘンのミサソレムニスの演奏からそのような明白な対照と構成が示されると予測していたところである。

総じてフィルハーモニーの聴衆は、ブレゲンツの千人の交響曲の時の様に本当のスタンディングオベーションまでには至って無かった。様々な理由は考えられるが、マーラーとベートーヴェンではやはり古典の曲はより古典的な教養も必要という事ではなかろうか。

これでブランデンブルク門でのオープンエアーでの第九に関してはなんら心配もいらない。それにしてもこれほど明白に歌詞が歌われたことは無いのではなかろうか、初めてその言葉が聞き取れた。放送合唱団も想像していたよりも遥かに良かった。



参照:
オペラが引けて風呂と酒 2019-07-11 | 歴史・時事
次元が異なる名演奏 2019-08-18 | マスメディア批評
宇宙の力の葛藤 2019-05-20 | 音
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ダブルヘッダーの予定

2019-08-23 | マスメディア批評
アマゾンから今日中に発送のお知らせが無ければ、土曜日には配送は難しい。チキンレースである。なれば発注をキャンセルしてやる。今時在庫があって一週間先にしか配達しないというなら潰れてしまえ。幾らでも代わりの良心的な業者は存在する。向こうの罠に掛からないように発注状況も見ない様にしている。それにしてもあれ程までに会員にさせたいのには罠がある。上顧客に対してああした態度を取ることが許されない。

ミュンヘンから早速ティケットが届いた。日程が決まったので気になっていた他の日程を再びチェックした。ミュンヘンでの前後のゲルハーハーの歌う「ヴォツェック」とフォークトの歌う「ローエングリン」は、「死の街」で配券された入場料の高価さ183ユーロに、断念した。これ以上劇場に献金する必要も無く、宿代までを入れると大変なことになる。ストリーミングで無料で見るのが一番お得だ。月曜日19時始まり22時終了ならば、何とか日帰りで安全に帰宅できるだろう。

そこで気になっていた12月の日程が空いた。フランクフルトのオペラである。もう行かないと六月に言っていた舌も乾かぬ間であるが、マルヴィッツ指揮のCDの出来に彼女が新シーズンに二回振る新制作の一つに出かけたくなった。もう一つのバリコスキー演出の「サロメ」は来年の日程に拘わらず殆ど売れてしまっているが、暮れと年明けのフォーレ作曲「ペネロープ」は比較的良い席が空いていた。しかし問題は殆どミュンヘンの日程と重なっていて、そちら如何でダブルブッキングになりそうだった。だから買い控えていた。そして改めて見て行くと、ダブルブッキングになる筈の同じフランクフルトのアルテオパーでロンドンフィルハーモニーが指揮者ユロスキーとの最後の欧州ツアーの12月15日は、市立オペラ劇場の方では15時30分に始まって18時頃に終了することが分かった。つまり一度フランクフルトへと車を走らせれば両方行けることに気が付いた。東京の音楽ファンがよく書いているダブルヘッダーと言うやつで、フランクフルトでは初めてだ。

終了時刻から開演時刻まで一時間を切っており、車で移動して距離的には数分だが駐車場の出し入れで20分以上考えておかないと駄目である。地下鉄も歩くのも11分ほどで、自転車だけが車よりも早い。さてどうしたものか?

いよいよベルリンでの祝祭的演奏会が迫った。ここでその中継の体制をもう一度まとめておこう。あまりにも様々な情報が出ていて混乱している向きがいるようだからだ。

先ず、23日(金)19時からフィルハーモニーでお披露目演奏会が開かれる。それに先立ってデジタルコンサートホールでは18時半前から中継が始まる。更に20時過ぎから独公共放送網ARDの各局ラディオで時差生中継が始まる。前者は有料、後者は無料で双方ともネットで流される。

翌24日(土)20時16分過ぎから、ブランデンブルク門の仮舞台でオープンエアーが中継される。20時からDCHで、又時刻通りにrbbTVが中継を始める。前者も後者も無料でネットでストリーミングとして放映される。

過密と過剰による転送障害なども予想される。23日のDCHも限界ではないかと思われる。どこまで流れるか期待したい。放送の方は九局ほどに分散されるのでこちらは問題が無いであろう。しかし曲によってネット配信の質が異なる。

24日に関しては、両ストリーミングに分散されるので、どちらが有利かは何とも言えない。rbbの方は公共放送なので前者の私立のものとはサーヴァーの容量が全く異なる筈だからだ。また後者は昨年お経験からすると生中継直後にオンデマンド化されるので比較的容易に観れる。音声48kHz,192Bits出ていたので、生中継は可成り音質も良いのではないかと予想される。



参照:
ブランデンブルク門を臨む 2019-08-21 | 歴史・時事
聴衆の一体感を再確認 2019-08-17 | マスメディア批評
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プログラミングの決定権

2019-08-22 | マスメディア批評
ザルツブルクの復活祭芸術監督ティーレマンがザルツブルク州に書面を出した。その内容が火曜日に地元紙で公開された。7月29日付けの書面である。

先ず、2022年以降の全体のプログラミングの決定権は、支配人に就任するバッハラーではなく、芸術監督にのみあることを明白にして、保証することを求めている。具体的には、「ローエングリン」をべチャラ、ジャクリーン・ウェグナーにエルザ、パンクラトーヴァにオルトルート歌わせるとするもので、2023年はカタリーナ・ヴァークナー演出の「エレクトラ」でパンクラトーヴァを使うという構想である。つまり今の時点で主要歌手と契約してしまわないと機会を逃すという事である。ざっと見る限り対抗馬のバーデンバーデンでは不要な陣容である。そもそもこれはバイロイトでの陣容ではないか。

それに対してバッハラーは、地元紙によると、ロマンティックオペラに限定してウェーバー「魔弾の射手」とか「タンホイザー」とか「オランダ人」を提案しているようだ。それに対して、例のジャーナリストのテイール氏などは「イタリアからのお客さんにはドイツ語台詞のものは拙い」とか書いている。つまり、今年の「マイスタージンガー」などの様に受けるものは受けるが駄目な演目は駄目だと。私などは、どこまで本気か知らないが、その器量にあった作品をやらせて最高の力を発揮させるのがプロデュースだと思うので、その提案は確かだと感じた。

そしてティーレマンは書く、芸術的な責任をもっている指揮者のプログラミングに対して外からちょっかいを掛けさすなどは以ての外だと続ける。

そこでいつもの根拠のない話が繰り返される。つまり「ペトレンコと一緒にべルリナーフィルハーモニカーがザルツブルクに戻る」という事で、それも不思議なことにいつも同じように「バーデンバーデンでは手に余るようになる」という予測が繰り返される。それどころか、「バーデンバーデンではフィルハーモニカーがギブよりもテークしているからだ」とおかしな根拠となる。勿論バーデン・バーデンは最初から喜んでこの条件を受け入れている。要するに、フィルハーモニカーは、合意したプログラムを最高度の音楽的な水準で示すために準備して、オペラ上演に日程を割くという事でしかなく、祝祭劇場がお膳立てを整える。つまりフィルハーモニカーにとってはザルツブルクに戻る必要などは全くないのであり、この契約条件は前任者ラトルの口からも発せられていて、悪い条件提示しか出来ないザルツブルク側が発する根拠とはなりえない。それどころかティール氏も、ザルツブルクはカラヤン時代にはベルリン市からの助成が出ていたが、それが無くなったために公的な援助を受けられなくなったとある。出て行くだけの要因はあった。

兎に角、9月17日にザルツブルク州の臨時総会が開かれるので、そこでこの問題について議論されるとしている。

余談ながら、指揮者のネルソンズのボストンでの契約が2022年に終わるとあった。そこで契約延長しない可能性は強いと思われる。ボストンはロート氏などを既に試している。もう一人の大物指揮者のヴェルサー・メストと共に去就が注目される。



参照:
新支配人選出の政治 2018-11-13 | マスメディア批評
敵はバイロイトにあり 2018-11-14 | 文化一般


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ブランデンブルク門を臨む

2019-08-21 | 歴史・時事
ベルリンで月曜日から練習が始まった。キリル・ペトレンコ指揮就任演奏会の練習である。その状況は今日明日にでも放映されると思うが、今回は二日目のブランデンブルク門での大イヴェントにも注目が集まる。

火曜日のベルリナーフィルハーモニカ―の支配人ツェッチマン女史の会見では、その準備に二年間も費やしたとあったようだ。NDRの楽団担当だったツェッチマンにとっては、今回放映パートナーのrbb支配人シュレジンガー女史は謂わば同僚だったようで、二年前から相談していたという。この間乗り越えて解決しなければいけなかった事項は35件に及んで、警察、消防など主に安全対策などの面からのお役所仕事の様である。だから当初から「新指揮者ペトレンコのお披露目の為には大規模な催しとしたい」と語っていた。曲目に関しては千人の交響曲ぐらいかなと思っていたが、第九だったのである。しかしそれもブランデンブルク門でとなるとオープンエアーでも通常とは異なる。

当日は三万五千人の聴衆が詰めかけると見込まれ、更に晴天が予想されている。全ての人が無料で、A3サイズ以下ののみの大きさの持ち込みと必要な手荷物検査の上、18時から場所取りが出来るようだ。しかし、その大きさから折りたたみ椅子などは持ち込めないので、演奏が始まる20時16分までは立ち通しとなるらしい。これは当夜のrbbTVで晩の「ターゲスシャウ」が終わって、rbbが「ブランデンブルク門へ」とアナウンスすることを以って始まるからのようだ。会場へはペットボルトなどは許されてもビンは持ち込めないので、そこの売店で補給するようになっている。様々な情報を総合すると、地元放送局などでも応募募集しているようにVIP席は設けられていて、門のところに若干座席を作るのだろう。

二人の支配人が窓から門を覗く写真を見るとアドロンホテルのその向きの部屋は皆観覧席となりそうだ。さて肝心の音響は、勿論PA無しには放送もPVも不可能であるが、rbbが責任を以って執り行う。60人体制で、60本以上のマイクをぶら下げて、11台のカメラが投入される。昨年のベルリナーシュロースの中庭での中継からすれば、勿論今回の方が遥かに条件は厳しいが、大いに期待できる。これで分かるように、例えば先月のミュンヘンでのアメリカンプロの節は弦楽器にミニマイクが付けられたが、今回は正攻法な集音となるようだ。施設する総ケーブル長は五キロメートルにも及ぶらしい。

そうした中で態々アルバン・ベルク作曲「ルル」組曲から演奏されるというのが俄かに信じられないのだが、これはなにも歌うマルリス・ペーターセンが得意としたルルの役の歌を歌わせるためだけに選曲されたものではないだろう。その心は、未完・補完版オペラ「ルル」を纏めた組曲の構成にあると見る。期待は膨らむばかりである。こちらまでが武者震いをする。

ベルリンの壁が崩壊して30周年。あの時、指揮者ペトレンコはシベリアの故郷の小さな町に居たのだろう。ツェッチマン女史はアビテュアーに合格して丁度アメリカに居たらしい。そしてそこでニューヨークタイムズのインタヴューを偶々受けたという。私も報道で冷ややかに見ていただけでベルリンには敢えて近寄らなかった。あの時のバーンスタイン指揮のそれとは今度は何もかもが違う。

もう一つ、この計画でキリル・ペトレンコが支配人に尋ねたようだ。「国立図書館に入れるかな」と、そしてそこに手書きの総譜の一つがあって、そのコピーも備に調べたという。その結果が出るかどうかは聞いてみないと分からないと報じている。ツェッチマン支配人は、自らのキャリアーにおいて最もやりがいの仕事の一つと語る。さて何もかも成功へと導かれるか?

ミュンヘンからコルンゴールト作曲「死の街」新制作初日の当選の知らせを受けた。最高金額公演なので他の公演日に比べて同じ席でも40から66ユーロも高い。何か特別にお土産がある訳でもないが、しかと見届けたい、音楽監督としては最後から二つ目の初日である。もうあとは初日だけ行ってもいいぐらいだ。



参照:
イヴェントの準備をする 2019-05-16 | マスメディア批評
聴衆の一体感を再確認 2019-08-17 | マスメディア批評
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予備の電球を探す作業

2019-08-20 | 生活
ルツェルン滞在の準備である。車の車幅灯、前の左側が切れている。全く走るには問題が無いが、そこは国境を超えるので、直しておかないと停止させられると面倒だ。少しでもその不安要素を無くして置かないと話しにならない。近所でも買えるだろうが、早めに確かめておかないと発注するようになると間に合わない。それよりも以前にネット発注した節に電球を二つ購入した覚えがある。それが使えれば完了だ。

先ずは電球が切れているのかどうかを確認する。流石に車も廃車間近になると大抵の所は自分で弄っているので、問題なく電球にアプローチ出来た。取り外してみるとなんともなっていない。ハイビーム灯だと直に気が付いて、その下の電球を引っ張り出すと切れていた。

しかしその電球の予備がどこにあるか?先ずは車のダッシュボードを探してみた。探しているうちに包んであってもそんなところでは壊してしまうので、きっと違う場所に違いないと気が付いた。そして頭の中で思い描くと、仕事机の封書箱に違いないと思った。ビニールのプチプチで送ってきたそのままに入れたことを微かに思い出した。その箱をひっくり返してみると案の定出てきた。一球はそれを注文した時に使った。恐らく反対側の車幅灯なのだろう。

早速、ガレージに戻って試した。なぜならば他のものを急いでアマゾンに発注したいからで、旅行に間に合わせたいものばかりである。すると何もなかったように点灯した。これで修理は終わりだ。序でにエンジンオイルをチェックする。下に垂れている訳ではないが、徐々にエンジンオイルの消費が激しくなってきた。最後に購入したのが4月で、その後一リットルを消費したことになる。燃えてしまった分も大分あるのだろう。廃車まで繋ぐだけだ、九月には一度点検させる。

発注したものの中に二種類の接着剤が含まれている。一つは木工プラスティック用で、厨房辺りを宇個し直しておかないといかない、もう一つは靴底の接着用で、これも靴を買いに行く時間が無いからだ。応急処置で普段履きを部屋用靴と共に持っていく心算である。街をふら付くことも無いと思うが、今回は一日余裕の日がある。出来れば山の上に上がりたいが時間などがもう一つ分からない。

序でにキャノンのプリンターの三色色物インキを発注した。黒と交互に購入していたが、如何も最後に購入したのは2017年6月のようで二年以上購入していない。固まってはいないのかもしれないが、全く使えなくなると面倒なので購入しておく。

通常ならば木曜日に届く筈なのだが、一つだけ時間が掛かるとして一週間もかかるような嘘情報を流して来る。本当にそうならばキャンセルする。これほどのお得意さんでも会員にしようと圧力を掛けてくる。24日までに届かないなら要らない。アマゾンがその気ならこちらも他所で買ってやる。

ルツェルンと言えば、ハイティンクが最後のコンサートでヴィーナーフィルハーモニカーを振る。個人的には昨年二回も聴いたので、あまり関心は無いのだが、それでも売り切れていた残券が出るとなると興味を引く。150フランの券が出た。直ぐ売れたようだが、半分の価格なら冷やかしに買っていたかもしれない。



参照:
週末の片づけもの 2019-08-10 | 生活
許容範囲だろうか 2018-12-13 | 文化一般

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指揮科教授のバイロイト

2019-08-19 | 
2019年バイロイト音楽祭のプログラムをぱらぱらと見る。150頁近くあるが三か国語なので内容は薄い。肝心の演出に関しては関心零なので、指揮者ブシュコフのインタヴューを読む。中々興味深い。要するに彼の指揮した演奏を彷彿させる受け応えをしているからだ。取り分け重要なのはテムポに関しての質問とその指針について指揮科教授らしい答えを示している。

先ず、実演を聞いた私の印象は、拍をそれほど数えてはいないが、ブーレーズよりもペトレンコよりも遅いという事だった。ここで記されている数字は、全曲ブーレーズ、ペトレンコ、其々3時間38分、3時間50分に対して、4時間14分で、大体予想した通りだった。因みにトスカニーニが4時間42分で、序でにラトル指揮がコンサートで3時間39分で、私の印象からすると復活祭上演ではもう少し長くかかっていただろう。

要するにブュシュコフ指揮は明らかに遅い。しかし原典、つまり前世紀の初めごろまで祝祭劇場使っていた楽譜を参考にすると、その後は段々と遅くなってきたと言明する。それがクナーパッツブッシュ指揮やトスカニーニ指揮の演奏だったのだろう。指揮のシュトラウスが「私が早くではなくて、皆が遅くなったのだよ」と語っているという。同時に楽譜の細かなところに注目して冒頭の一弓の四拍、もしくは最初の五小節に亘るフレーズに注目する。若しくはどの言葉が正しく発せられるかによって、それを基準として全体のテムポが定まっていると、正しいテムポはどこを基準とするかの教育者らしい発言となる。勿論、その時の歌手の歌に合わせて変動するものでありということで、メトロノームなテムポがどこにあるかということになる。

同時にダイナミックスへの言及になって、ポコフォルテがフォルテがピュウピアノがどこに掛かっているかをつぶさに判断して、更にどの楽器がメロディーラインをそれの音程の高低によって出し方が変わり、同時に歌手の声が浮かび上がるように配慮するという。何か手の内を明かしているようなお話しなのだが、こうした具体的な話を読むと流石に教鞭をとる人だなととても感心する。

そうした舞台の上とのやり取りと出し入れで、音楽を作っていくのがよく分かる演奏であった。そしてその面白さは転生して行く音楽にあって、小節内でも起こる変容に言及する。自身のメモを読むと、最初のアンフォルタスの出だし後の管弦楽の受け渡しなどとても見事であって、放送で是非確かめたいところが幾つかあった。

そして、この指揮者が最初に「パルシファル」を祝祭劇場で経験した逸話が、全く私が言及していることに相当する。前から三列目に座っていたようで、2004年の私よりも前かもしれないが、つまり最初の音が出る前から振動を感じてどこからともなく始まるというのだ。これは私が言及した箱鳴りにも相当していて、前記したようにこの舞台神聖劇へのスタンスは、祝祭劇場でのその体験がどこに行っても付き纏い、それに限りなく近づけようとしたとある。それはある意味ラトルが、バーデンバーデン祝祭劇場の親切な音環境にバイロイトを意識しながら指揮したことともあまり変わらない。

恐らくこの指揮者はこの二十年でブーレーズ、ペトレンコと並ぶ名指揮者だとは思うが、結果は両幕中間部ミステリウムでの舞台に合わせた外しなど、あれ程クールで早いペトレンコ指揮に比べても効果が出ていなかった。余りにも配慮した演出の責任かそれとも教師然としたこの音楽家の限界か。逆に同じテムポでも深く掘れるか掘れないかなどよっては楽団がどれぐらいの力量かなどで全く効果が変わる。如何にベルリナーフィルハーモニカー級の楽団がこの作品には必要か?(続く)



参照:
アホをギャラリーする 2019-08-17 | 文化一般
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
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次元が異なる名演奏

2019-08-18 | マスメディア批評
20時15分を待って、3Satを観た。三カ国参加の放送局であるから、当然のことながらARDは自局のサイトでも中継している。それどころかZDFでも同じように中継していた。ドラマなどをやっているときにその質をつまり音質の品定めをした。数値的には同じようなもので若干3Satが落ちていて、あとは耳で比較するとZDFが上シャラ系の音がしていたので、それに決めた。録画と録音は別のネットで同時に進めた。BBCのプロムス生中継は断念した。ミュンヘンの後任のユロスキー指揮のロンドンのフィルハーモニカーは12月に聞く予定になっていて、興味あるプログラムだったが別に再放送でもいい。

実際録音してみて、オンデマンドのMP4とは若干異なるかなと思ったが、所詮はTVの副音声で、印象からするとAACの音質で、128kBit出ているかどうかだった。要するに先日前半が放送されたラディオとは明らかに音質が悪かった。しかしあまりあるのが視覚的情報の動画で、何回も観ると更に色々なことが分かるだろう。バイヤー氏の制作姿勢は、指揮者と楽員との繋がり方に主点が置かれていて、一寸したドキュメントになっていた。実際にユジャ・ワンの部分はインタヴューとロケを入れて別枠でポートレートが制作されていて、それもとても秀逸だった。

お目当てのフランツ・シュミット交響曲四番を観た。やはり記憶にあった以上に凄まじい演奏をしていた。音楽表現へと全身を投げ打っているベルリナーフィルハーモニカーの表情が備に捉えられていて、南ドイツ新聞はこれのことを書いていたのだと分かった。自分自身の席からは視力のこともありそこまで細かな表情などは窺えなかったが、音楽的には本当に満足だった。定期公演での演奏とは一つも二つも次元が異なっていた。映像を観てもこの日にここまでの演奏が出来た状況はそれほど浮かばない。

ユジャ・ワンのピアノと管弦楽の絡みでも近接マイクを通したものは異なり、会場ではピアノがどうしても埋まる傾向にあったので、録音を聞くと想定以上にいい演奏をしていたことに気づいたが、それ以上に一曲目の「ラペリ」からとても完成度の高い演奏会となっていた。ペトレンコ指揮演奏実践では、復活祭における「悲愴」と、また座付管弦楽団とのボンでのチャイコフスキー交響曲五番を挙げたいが、この演奏はフィルハーモニカーの歴史の一里塚となっていると思う。終演の喝采に映されたヴォルフガンク・リームが奥さんらしき人の横で両手で眼を押さえているのが印象的だった。

秋のコルンゴールト作曲「死の街」の券を発注した。初日に当たるのではないかと思っている。なんといっても高い。それはそれでいいと思う。初日は、「ルル」、「サウスポール」、「パルシファル」で、それでも一時は、中継放送もありその演奏の質などを考えて、初日公演を避けていた。しかしここに来て、ペトレンコ指揮での初日は「サロメ」などにみるようにとても質が高くなっている。放送も雑音交じりのBRクラシックは留守録音で充分で、金額は嵩むとしても少なくとも歌手が日程を合わせてきていて、あの独特の緊張感は得難いと思うようになった。理想は、放送二回とは別にもう一度生で聞くことであるが、もうそこまでは求めない。当たるとすれば月曜日ぐらいにお知らせとなるだろうか?

その演出のストーンは、ザルツブルクで「メデー」を演出したところで、その批評などを読んでいるとどういう方向に行くか何となく分かった。復活祭の「フィデリオ」演出のコレツニックがオパーフェストで「ファルスタッフ」を演出する。ミュンヘンは規模も大きいだけに目ぼしいところは直ぐに手を付けている。



参照:
聴衆の一体感を再確認 2019-08-17 | マスメディア批評
芸術を感じる管弦楽の響き 2018-09-02 | 音
励起させられた覚え 2019-08-02 | 音
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