Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2011年2月

2011-02-28 | Weblog-Index



切手の図柄に思いを馳せる 2011-02-27 | 雑感 TB0,COM0
非人間的な近代と優しい新環境 2011-02-26 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
癌治療に漢方を組み合わせる効用 2011-02-24 | 数学・自然科学 TB0,COM0
支払いや配送システムが決め手 2011-02-23 | 雑感 TB0,COM0
現地都市からの地震被害情報 2011-02-22 | 雑感 TB0,COM0
サッカー場規模の表面積の吸着力 2011-02-21 | テクニック TB0,COM0
起きていられなくなるほどの運動 2011-02-20 | 雑感 TB0,COM0
西欧の視座を外から再確認 2011-02-19 | 文化一般 TB0,COM0
力関係を体現した名スザンナ 2011-02-17 | 女 TB0,COM2
たらふく食べれる中華和食 2011-02-16 | 料理 TB0,COM2
麺無しのパン食の火曜 2011-02-15 | 生活 TB0,COM0
冬の練成週間を終えた疲れ 2011-02-14 | 生活 TB0,COM0
節約の結果としての公共料金 2011-02-13 | 生活 TB0,COM0
イスラム社会の民主化を読む 2011-02-12 | マスメディア批評 TB0,COM2
果ててしまった金曜日の夜 2011-02-12 | 生活 TB0,COM0
郷に入るユンカーの領地にて 2011-02-11 | 雑感 TB0,COM0
岩場には摂理があるのだから 2011-02-10 | 雑感 TB0,COM0
私小説的な環境認識の把握 2011-02-09 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
肯定に満ち溢れる朝食の悦び 2011-02-07 | 料理 TB0,COM0
幸福と感じるライフスタイル 2011-02-06 | 生活 TB0,COM0
先ず体感することが一番 2011-02-05 | ワイン TB0,COM0
情報の共有と議論の為所 2011-02-05 | 雑感 TB0,COM0
二月中旬も見えてくる週末 2011-02-03 | 生活 TB0,COM0
PCに秀でたオーナーの自誇自縛 2011-02-02 | 試飲百景 TB0,COM0
視点の相違を実感する視野 2011-02-01 | 雑感 TB0,COM0
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切手の図柄に思いを馳せる

2011-02-27 | 雑感
先日三種類の切手を購入した。一枚は生誕二百周年の作曲家フランツ・リストのものでこれに関しては改めて紹介する。その他の二枚の一つは、ロマンティックな画家カスパー・ダフィート・フリードリッヒの有名な「雲海のさまよい人」の図柄でドイツの絵画シリーズのものである。御馴染みの図柄なので、このような切手は何度も見たような覚えがあるが、具体的には思い出さない。

説明に書いてあるように、さまよい人であるよりもその市民的な服装から中立的な観察者であると、殆ど自然科学者的な視点も想像させてくれるのだろう。それよりもなによりも足元の岩山の向こうが見えないことからの誰もが感じる興味をそそる向こう側にこちらの視点が集まるのは仕方が無い。しかしこうして改めてみると後ろに引いている右足に重心が乗っていて可也の安定感があるのにも気付かされる。これで前に出している左足にが曲がっていなくて、左方向にストックが突かれていたら間違いなく不安な情景となったに違いない。確かロケーションの場所はザクセンアルプスの雑食砂岩のバスタイかどこかの岩頭だったように思うがどうだったろうか。

もう一つは世界文化遺産シリーズから奈良の薬師寺の図案のものである。天武天皇の后である持統天皇の病気払いに建てられて、680年から十七年も掛かって塔まで完成した説明してある。何度かは訪ねたことがあるが全く忘れてしまっている。TVショー等で有名だった高田好胤管主のその姿だけが記憶にある。しかしこうして立派な説明を読むと、西塔の再建など偉業をなした管主となるので、歴史は作られるのだろう。なるほどそうした再建がなされてから一度も訪れていないので、一度はと思うがいつのことになるだろう。最近は、ネットでもディスカヴァリー・ジャパンというバナーを見かけるので欧州からの旅行も容易くなるのだろう。しかし、その距離感などを考えるとゆっくりと旅行して歩くというのはなかなか当分は実現しそうに無い。
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非人間的な近代と優しい新環境

2011-02-26 | アウトドーア・環境
承前)先の記事に関して、色々と考えることもあり人に問いかけてみたりしている。また、リンクを送った患者の旦那からはまだ反応がない。必ずしも人を惑わすような内容ではないのだが、こうした高級紙としてはある程度当事者に語りかける内容ともなっているにも拘らず、やはり読者層を標的としているのでそれほど素朴な考え方には対応していないかもしれない。

「試してみる代わりに専門的に、世界観の代わりに科学を」として、「非人間的な近代医学と優しい自然治癒療法」を組み合わせるとする考え方はポストモダーンの流れの中での典型的なものの一つであろう。こうした考え方をするにはなるほど自己の視座が築かれている必要があり、それは最も従来の宗教観とは遠く、近代科学信仰とも一線を隔しているに違いない。

日本においても、最近嘗ての霊感商法や規制が厳しくなった眉唾物の自然治癒商品に加えてさらに歴史的背景もあるホメオパティーなども問題になったようであるが、上の書物ではスイスでは公的となっているルドルフ・シュタイナーの人智学医学を紹介して、それを必ずしも端から否定していないようだ。察する所、これはまさに科学ではなしに世界観の問題であり、精神がそこでは重要となるように思われる。そしてやはり人智学的なものをドイツではなかなか排除できないに違いない。

ルドルフ・シュタイナーの農業であるビオ・デュナミをみれば分かるが、そもそも科学的には証明が不可能に近いものを重要視していることから、こうした人智学自体が近代社会へのアンチテーゼとして生じたことが一目瞭然であり、それについては中身を議論の仕様がない。中国の風水なども近代には関係ないが良く似たものである。

そもそも健康とか病気とかとは異なり、「フィット」とか好不調とか呼ばれるものは心理的な尺度であって、一種の精神論の範疇を超えないので、やはり人間の認知力にも関わっており教育などにも大きく作用される事案であろう。ここでも日本のクライストチャーチ地震に纏わる恐らく連日のように繰り広げられている「お悔やみジャーナリズム」で商売ができるマスメディアを支えているのがそうした教育でありそうした認知力をもった視聴者となる ― 序ながら一度はゆっくり訪ねてみたいと思っているニュージーランドのその「暢気な人々」の話を聞けば、ドイツや日本などと違って壊れたらそのままでむしろテント生活を続けてしまうかもしれないという社会らしい。これも一種の脱近代なのだろう。

「臨終で可能性がなくても汗を掻くぐらいに心臓マッサージをして初めて親族は納得する」と外科医が語ったことを思い起こせば、殆ど可能性がなくても少なくとも最後まで苦渋の救出活動をして見せることが本当のお悔やみになるのである。朝鮮半島の泣き女とは些か異なるが、こうしたところにとてもその固有の文化を感じるのである。そうした歴史的な解析を許さないほどのもろもろの心理的な文化背景と近代的な社会や文化的思考との組み合わせ方の妙が関心ごとであるのだ。

医療や医学に戻れば、前近代的なあらゆるものを再び科学していくことで新たな可能性がそこに見出される可能性は零とは言えないのだが、ライフスタイルとしてのポストモダーン思考が人間を退化させることがないようにやはり教育が重要である。民間療法を包み込むような形での今回の提案を治療統合化とするためには、それだけ経済的にも豊かで高い教育を受けた構成員の社会が必要となるのだろう。そして、その各々の構成員、要するに其々の遺伝子相違を踏まえたオーダーメードの治療法の進展が医療の最前線であると書かれていた。それだけの余裕が社会にも求められており、そのためには何が必要かとなるのだろう。



参照:
西欧の視座を外から再確認 2011-02-19 | 文化一般
郷に入るユンカーの領地にて 2011-02-11 | 雑感
医療現場の芸術の素材感 2010-06-16 | アウトドーア・環境
万世一系、無窮のいきほひ 2010-01-17 | 歴史・時事
『西宮の山岳信仰』 西宮市立郷土資料館 第26回特別展示 (NEXT DREAM 記憶と記録)
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癌治療に漢方を組み合わせる効用

2011-02-24 | 数学・自然科学
一昨年亡くなった合衆国の遠縁の医師が1980年代前半に訪日した折、医療現場における東洋医学の情報を集めていた。そのときの印象から、近代医学と東洋医学の関係やそのあり方に興味をもっていたのだが、同時にその相関関係については明白なイメージを持てずに来た。しかし、その明快な回答が新聞の文化欄を飾っている。

筆者は、今週出版される新刊本を共著したエッセン東病院の医師で、乳癌などの専門医のようである。要するに癌の化学療法などと両立させるための総合的なオンコロジーとして自然治癒法や針や指圧やヨガ、薬草などの効用を捉えていく臨床医学である。

その基本になっているのは、乳癌などの新しい治療法、特に遺伝子の型に応じてホルモン療法や化学療法の効果や副作用を予め予測する方法やその他患者の各々に応じた最も効果のある療法を目指す医療現場の日常にある。その反面、1971年のリチャード・ニクソン大統領の「癌との戦い」宣言にも拘らず、2006年での癌死亡率は僅か18%低下しただけで、心肺系の64%、肺炎・インフルエンザの58%に比べるほどの成果は上がっておらず、ドイツにおいて女性の60%、男性の53%しか五年以上の癌生存率しか獲得していない事実がある。早期発見や治療への厖大な研究費用などに比べて、一部の患者グループにのみ効用があると限定されているのが癌治療であるとしている。つまり、乳癌においてはなるほど早期発見の効果は幾らかは上がっていても、既に遅いステージにおいては生存率は20%にしか至らない事で、大腸癌や前立腺癌の転移の段階においては過去四十年間治療実績は好転しておらず肺癌における10%においては沈黙せずにはおられないとする ― この一連の考え方は実に大切で、膨大な医療費に対早期発見費用を計算する公的健康保険制度や科学振興という営利ではない事業に対してであるからこそ、最も必要なのはその投資額に見合う経済的効率であるからだ。要するにあまり効果の無い早期発見の医療などは営利的な経済しか考えていないからではないかと疑惑が生じる。

それと平行して、「生存の可能性を高めるのはただ唯一、本人が置かれた厳しい状況に自ら反応できるか」であり、多くの末期癌患者などでも決して余命を楽しむためになにもしないということは無いのである。そうした近代医学では治療効果が疑わしい状況では余計に民間医療的な方策を主治医に隠れて行っている危険な一般例を挙げている。ヴィタミン剤やグレープフルーツなど本来の治療の効果を打ち消してしまう悪例や、誰もが見聞きしている如何わしい法外な価格のまやかし商品などである。同時に、新陳代謝活動においては、医薬よりも瞑想などの方法が効果があり、癌細胞の壊死に関わるコルティソール、免疫導引ツィトキーネなどに影響を与えるMBSR(Mindfulness based stress reduction)法などが心肺系だけでなく消化系の強化などを託しているように、総合的な見識が必要とされる。

それ故に、近代医学以外の療法をどのように組み合わせた治療法が可能であるかというのが今回の新刊であり新聞記事である。そこでは、そうした教科書外の効用を科学的に網羅することが肝要で、実際に中世以来のフォン・ビンゲンで有名な薬草の効果などが厖大なデーターベースとなって利用されていて、飽くまでも科学的な実証がその利用の基本となっている。それは、今世紀のはじめ頃から盛んになったハーヴァードのメディカルスクール、ニューヨークのスローンケッタリング記念センター、マヨー病院などの実践がドイツでのそれのお手本となっており、ハイデルベルクのドイツ癌センターにおいても既に四百種類以上の漢方薬がテストされて、多くは限定的な効果が確認されている。そしてそこから総合的な効用が導き出されるのだが、それにはまだまだ研究が必要となる。治療においては癌細胞のその伝播のメカニズムの方へと関心が移っているので、こうした漢方薬もそうした全体的な効用がより重要になっているというのである。

この記事を、乳癌で治療を行っている妻を持つ友人と手術をしない肺癌を化学治療している友人に知らせてやりたい。医師二人がVIDEOで語るように「近代医学は非人間的で、自然治癒法は人に易しい」という組み合わせであるようだ



参照:
Keine Tabus mehr im Kampf gegen Krebs, Gustav J.Dobos und Sherko Kümmel, FAZ vom 21.2.2011
Gemeinsam gegen Krebs“, Verlag Zabert Sandmann
ビール消費と癌予防効果 2006-06-07 | その他アルコール
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支払いや配送システムが決め手

2011-02-23 | 雑感
楽天がドイツ・英国でネット販売を展開しようとしていると日本のサイトで読んだ。なるほど英国は孤立しているのでその価値はあるかもしれないが、ドイツだけでは以前から展開していた大手を吸収しないと難しいだろう。もしくはEU内共通のプラットホームにしないと難しいだろう。

倒産しかけている大手はいくつかあるので問題は無いが、ドイツのアマゾン自体がフランスの会社であり、元々殆ど自己仕入れは出来ていないので、既に日本における楽天の立場を築いている。ここニ三年の傾向である。それでも、ロギスティックの問題から送料などであまり利点が得られずに、今以上に業績が好転する様子は無い。

そこで期待されるのはEUの大陸を統合した販売で、それが完成すればアマゾンの業績は倍増するだろう。しかし現実では、比較的好調な小規模なネット販売の専門店とオークション売り上げの税金の徴税が厳しくなって伸び悩みのeBayなどの組み合わせで、恐らく日本で楽天が行っている分野は全てカヴァーできているので全く新味はない。要するに単独参入は不可能であろう。

よって、大手の通販業者で、将来共にあまり可能性のない業者を吸収することでアマゾンに対抗できるような状況になるかもしれない。先日もネット販売と購入の話題が出たのだが、既に十二分にそれを利用している者はなにも今更そうした大きなプラットホームを必要とせず、支払いや配送などで余程の利点がない限り市場が拡大することもないだろう。
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現地都市からの地震被害情報

2011-02-22 | 雑感
クライストチャーチの地震は映像で見る限り、神戸の地震以後では最も激しい被害が出ているように思われる。マグニチュード6にも拘らず、都市型地震の典型であり、恐らく震源の距離も深さも可也近くて浅いのだろう。所謂日本の震度表示で行くと神戸のそれに近いのかもしれない。

南半球の遠方であるので、国際的な救援活動なども北半球よりも時間が掛かるのかもしれないが、早めに動くことで一人でも多くの生存者を救出できるだろう。

寝起きに第一報を聞いて、関係者の所に電話を入れた。南島に住んでいる者は具体的には思い当たらないので緊急性はなかったのだが、都市での地震となると通常の地震の場合とは大きく事情が異なる。

犠牲者の数や被害の大きさだけではなく、大都市での災害はブラックホール的な要素があるので、その情報の内容や伝達には経験からも大変関心を持って、それを吟味するようになった。
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サッカー場規模の表面積の吸着力

2011-02-21 | テクニック
周知の如く、トヨタや日産が、其々ハイブリッドや電気駆動の分野で世界をリードしている。それに対して、ダイムラーやBMWといったドイツの企業は水素の利用に余念がない。その最大の利点は、容易な原料の調達や環境への配慮だけでなく、総合的なエネルギー利用のシステムからも重要視されている。

所謂エコエネルギーと呼ばれる風力や太陽熱に代表されるそれは天候などに影響されるだけでなく、核エネルギー発電も同様であるが電気として貯蔵するコンデンサーの貯電量が限られていることである。そこで最も利用価値が高いのは、各家庭で大きな電力エネルギーとして貯蓄できる自動車であり、電気との変換の容易なガスによるエネルギー利用の乗り物である。つまり、自動車のエネルギーとして、そうした貯蓄の出来ない電気を利用する方法が、エコエネルギーの実際的利用として重要な課題となっている。

水素利用の自動車は、その液体化やその高圧縮などによって、爆発の危険性もあることから、その気体自体を如何に効率よく移動させることが出来るかが悩みの種であった。そして合衆国のガイドラインによると2015年までに重量比9%の貯蔵率が自動車に課せられたのである。要するに、ある重さの量を移動させる場合、それに見合った気体の貯蓄が出来ない限り、その移動距離も効率も実用に至らないというものでもある。ちなみに五百キロの移動距離を獲得するためには四キログラムの水素が必要となりそれを貯蔵するために最低四十四キロ以上のタンクの重量が概算できる。

そして今回サイエンス誌に掲載された最新論文が注目を浴びることになる。キャリフォルニア大学のロスアンジェルス校のオマール・ヤギグループの研究は、従来から推し進められていた通称MOFと呼ばれる有機金属の枠に如何に多くのガスを詰め込むかという課題を、殆ど実用化可能の域にまで実現させたということである。

そのMOF-201と名づけられた錫の軽金属素材は、一グラムあたりの表面積が6240平方メートルとサッカー場の広さほどになり、上のガイドラインをやや下回る8.6%の貯蓄率を達成している。具体的には、この枠組みを液体窒素で零下196度まで冷却することで、大量のガスを吸引させている。そこでは、素材内側に弱い吸引力が働いて気体分子を引き付けるようになっている。要するにファン・デア・ウァールス力がそこに働いていて、その多数の穴に気体分子が吸着する。

当然の事ながら冷却の手間やコストは無視出来ないが、他の多くの試みや方法に比べると、この方法は多くの点で利用価値が高いといわれている。その一つに、他の方法では熱の出し入れが多いのに比べて、ガス自体の吸入に時間が掛からないことある。もう一つは、水素ガスに限らず、メタンなどの既に問題解決済み以外の気体においてもこの技術が応用できることである。

将来の自動車に思いを馳せれば、内燃機関の利用と電気駆動のハイブリット技術が合わさった所にあるのは間違いなく、現行のそうした技術が総合された水素自動車であるに違いない。



参照:Bald auch Erdgasautos mit größereb Reichweiten, Uta Bilow, FAZ vom 16.2.2011
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起きていられなくなるほどの運動

2011-02-20 | 雑感
月例ハイキングであった。寒の戻りで、雪が降り続いていたので、湿り気も高く、寒かった。一般公募とは言いながら、殆どがアルパイン協会の支部の者で、いつもの顔ぶれで二十二人が参加した。昨年の同じ時期に計画されたものが、氷結した雪で計画変更で敢行できなかったから、その繰り返しであった。

二万三千歩、四時間足らずの十五キロの行進は、年寄ばかりの参加者とは言いながらそれほど容易ではない。可也疲れた。金曜日のクライミングの疲れも残っており、更に下痢症状がニ三日続いているので、今ひとつ力が入らない。腹具合はそれ程酷くはないのだが、その原因は先日の気温急上昇に起因する食中毒などが有力である。牛乳・生水もしくは豚肉の古いものを食したことは間違いない。

一時間に四キロの行進速度は標準的で、早くもなければ遅くもない。それで雪の中を休憩時間をいれて四時間半以上戸外でいることだけでも結構体力を消費する。なるほど若い者には体力トレーニングにはならないが、こうして長い時間歩くことだけでも可也のものである。足を速めたり、遅めたり自由自在な老夫妻がヒンターテュクスのスキー場へと一週間続けて滞在するとか言っていたから、なるほどとその二人の小柄な老夫妻の運動能力を思って納得がいった。やはり若い頃から引き続き、激しい運動をし続けていたような人の運動能力は、運動不足解消に体を動かしているような老人の運動能力とは雲泥の差がある。

自分自身はどうかと問えば、これで十五キロほどの荷物を担いでいる普段の少々のトレーニングとは比べられない運動量となり、とても皆についていけないだろう。鍛えているように見えるといわれる今日この頃であるが、老人と揃って何をしているかと嘲笑されてもその実質は全く異なる運動内容となっているのである。昼飯に飲んだ二杯のビールが全身に廻って起きていられなくなるほどなのである。
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西欧の視座を外から再確認

2011-02-19 | 文化一般
ユルゲン・ハーバーマスが、自由ベルリン大学で名誉博士号を授与された三島憲一教授の業績を詳しく紹介している。丁度先日のエジプト騒動の話題の続きである。要するに近代化が伝統的な社会にどのように伝えられて近代化をなすかであり、それは現在のイスラム問題や中華主義問題に共通しているものであり、こうした学術的な解析が注目される所以である。それ故に今回の授与が日本学の範疇を大きく超えることになるというのは理解できる。

日本の明治維新やそれ以前の三つの教えの伝播については今更繰り返す必要が無いと思われるが、そこで求められる解釈学的な歴史認識を以った三島氏の論は、もちろんハーバーマス氏らが係わっていたような合衆国で六十年代から盛んになる前からのマックス・ヴェーバーの資本主義論の日本での展開を土台にして推敲されているという。つまり、「プロテスタンティズムの(資本主義への)影響」のその対象を宗教的社会から文化的社会へと視座を変換させてしまうと、その(近代)文化の内包する本来は広範な政治文化から切り離すことの出来ない過激性が、こともあろうに支配機構を補充するとする説である。言い換えると、ヴェーバーらが示したような古い西欧の文化的信条の背景無しに、近代化の支配的構造の導入が十分に受け入れられるかという疑問に集約される。

そこから氏の社会学セオリーは、閉じられた統合性の中で文化的な伝播があまりに大きく羽を広げ過ぎないかという危惧にあるらしい。これは、同時にポスト植民地主義の影響を如何に解決していくかという近代化に伴う最も厄介な問題であるが、現在のグローバル化の世界は幾つもの共通の座標系に立脚することから、各々独自の文化的な源泉を廻るその近代化と伝統との議論において、どのように自己投影されて行くかが、三島氏の研究課題となっている。つまり、文化を導入する側が自己解決する問題としても、そうした像は他者に投影されることで初めて確認されるのであろう。

そうした視点のあり方として、当然の事ながら、戦後の否定的弁証に顕著なような「西欧的な啓蒙」は自己中心文化主義と見做され、それ自身が矛盾を導いていることを指摘して、日本は植民地化されていないにも拘らずそうした影響下に陥っているとする見解である。そこでは、「勝者を真似た視座」でそれが正しかろうが誤りだろうが行動することが要求されてるということである。現実には、自己喪失と自己主張が綯い交ぜになったところに日本の西洋化が反照されているとなる。

軍事力と帝国主義が、文化的、宗教的な自意識と世界観への不均衡な形で影響して、それが底の浅い上っ面なものとなったことが現在も課題となっているというのである。それは本年百五十周年を迎えるプロシア帝国と日本との関係においても考察されるのだろうが、そこでは「欧州の」と同様に「他者のアイデンティティー」への捉え方が、上記の視座となっているというのである。

その視座への疑念は、なにも日本にだけ向けられているのではなく、ドイツ連邦共和国が誕生した1945年に遡って問いかけることで、初めて「全体の閉塞」を避けられるということになる。要するに、ポスト植民地主義の後遺症に対する処方箋としてだけでなく、戦後民主主義の強烈な洗礼を被った日常を再確認することであるとされる。

トーマス・マンばりの母国語であるドイツ人が出来ないような正確なドイツ語を駆使する三島氏には1982年に初めて訪れた不案内な国での五週間の滞在でお世話になったと、その異文化交流の仲介の業にとても感謝して、今回の名誉博士号の授与に親密かつ精妙な賛辞を送っている。



参照:
Er zeigt auf unseren blinden Fleck, Wie Kenichi Mishima die Welt bewohnbarer macht, Jürgen Habermas, FAZ vom 18.2.2011
Habermas's Laudatio for Ken'ichi Mishima (Political Theory - Habermas and Rawls)
イスラム社会の民主化を読む 2011-02-12 | マスメディア批評
力関係を体現した名スザンナ 2011-02-17 | 女
視点の相違を実感する視野 2011-02-01 | 雑感
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力関係を体現した名スザンナ

2011-02-17 | 
アレクサンダーからルチア・ポップが出てきたので、序につまみ食いしてしまった。このオペラ歌手については、比較的馴染みがあるのだが、パリでの有名なストレーレル演出のスザンナには驚いた。なるほど当時はベームの指揮においても決り役であって、かなり歌い込んでいることは誰でも分かったが、比較的古典的な演出では今ひとつ分からなかった表現がこの演出では大変納得できる。

それにしても、ストレーレルの演出の芝居やオペラを「シモン・ボッカネグラ」などを除いて十分に体験できなかったのは残念であるがこうしてVIDEOで観てもやはり素晴らしい。どこに視点が据えられているかが常に興味を引く演出で、そこで描かれているものが、そのものモーツァルトのものでもある。

それはその音楽表現を汲み取れば、証明されているので、この場合スザンナのその歌が描いているものを理解しようとすればするほど、途轍もなく奥行きが深まり且つその劇場空間に向けられた(我々の)視線が更に問われる。繰り返すだけに終わるがモーツァルトの天才というのはそこにあって、こうした音楽劇が生まれ、こうしてそれを見つめる視線が存在すると言うのがまさに奇跡的なのである。

ルチア・ポップのデビューの当たり役である「夜の女王」をシュヴァルツコップは「奇跡の動物」と些か意地悪な言い方をしたようであるが、上の演出でのその表現は殆ど奇跡的なはまり役となっていて、中欧から東欧にかけてのとても一筋縄ではいかないような社会や構造が当時の革命後の天才作曲家の視線と重ね合わされているのがこれまた奇跡的な成功となっている。伯爵とのデュエットは圧巻である。

おまけに比較的晩年のインターヴュー画像を覗いた。なるほど、晩年にリヒャルト・シュトラウスやシェーンベルクだけでなく、シューベルトなどまでも歌曲を熱心にリサイタルで聞かせていたが、このインタヴューにあるような心境のみならず、歌曲に於いても独自の視座を披露していた。死因は胃癌だと思っていたが、脳腫瘍とあると余計になるほどと思う。十五歳下のザイフェルトにもケルビーニに対するような力関係があったのかと思うとこれまた興味深い。とても記憶に残る東欧女性であった。モニカ・レヴィンスキー事件が起こるのはまだ先の事である。



参照:
Non so più,
Porgi Amor,
Voi che sapete,
Venite...,
Susanna, or via sortite,
Act II 2nd trio,
Crudel, perchè fin'ora,
Susanna non vien... Dove sono,
Sull' aria,
Deh vieni non tardar,
Duet Figaro&Susanna & Final,
Lucia Popp Interviewfragments 1987,
Lucia Popp's Sense of humour (Deutsch & English).
Lucia Popp - Strauss' Vier Letzte Lieder - Fruhling,
Lucia Popp - Strauss' Vier Letzte Lieder - September.
Lucia Popp - Strauss Vier Letzte Lieder - Beim Schlafengehen,
Lucia Popp - Strauss' Vier Letzte Lieder - Im abendrot (YouuTube)
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たらふく食べれる中華和食

2011-02-16 | 料理
なんちゃって日本食、第二段である。称して照り焼きダックライス。これにはヌードルヴァジョンもあるがこれで十分だろう。北京ダックの切り身に照り焼きソースがたらしてある。ライスは焼き飯よりは軽く、卵が入っていないのであっさりしていて、食べ残しを再び食卓に使っている感じは少ない。

味付けは照り焼きソースの甘みが気持ち悪いが、そもそも丼ソースとかお好みソースとかはあんな味ではないのだろうか?何よりも量が多く、なかなか食べきれない。そして価格は十ユーロを割っている。

ビール一杯とチップを入れて14ユーロで、たらふく食べた。価格とそのオリジナリティーで先ずは合格。中華和食として食べられないことはない代物である。
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麺無しのパン食の火曜

2011-02-15 | 生活
今日は少しは用事をこなせた。いつもの月曜日と火曜日の感じであるが、昨日の今日なので大分体が楽で、気持ち良く雑用が捗る。大抵は、一日に一度は麺類を食するのだが、今日は新鮮な温かなレヴァー団子があったので、それをパンに乗せるだけで十分に美味い。

そうした昼食や朝食の手早さは、やはり時間の短縮になり、午後の体の重さを避けてくれる。必ずしも暖かいものが欲しいと思わない気候となっていることも大きい。

夕食は、これまた昨晩の残りの茸入りの米があるので、それを炒めて、ハヤシカレー風のトマトライスしようかなどと考える。よって、ヌードルはお預けである。そもそも安い手頃なスパゲティーがスーパーで切れていて、更に安い米も切れているとので倹約家の皆はどうしようかと考えている。そこで新鮮なパンやケーキ類に走るのだが、それはそれで高価になるとしても、それなりの利点があって、嬉しかった。

次にスーパーに行ったときには、上の二つにコーヒーの安売りを探し、40Wの小型電球、歯間糸などを忘れずに購入しなければいけない。更にオリーヴオイルと向日葵オイル、そして料理用の白ワインも欠かせない。なんだかんだとスーパーで購入するものは途切れないものである。

ペーター・アレクサンダーが逝去したとある。これを読んでいて知る人は殆どいないかもしれないが、ドイツ語圏では最大物エンターティナーだった。日本でもポリドールの売れっ子として紹介されていたのだろうが、LPなども輸入物でなければあまり出回っていなかった。NHKのドイツ語講座などでも取り上げれていたように思うがそれを覚えている人は少ないだろう。



参照:
Peter Alexander ist tot, ZDF
GOODBYE MY LOVE = Mireille Mathieu & Peter Alexander,
Weihnachtslieder mit Mireille Mathieu und Peter Alexander,
Udo Jürgens in der Peter Alexander Show,
Lucia Popp, Iren Sheer und Toni Marshall,
Peter Alexander & Lucia Popp - Operette auf den Arm nehmen (YOUTUBE)
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冬の練成週間を終えた疲れ

2011-02-14 | 生活
一週間のトレーニングウィークが終わった。流石に月曜日はお休みにした。疲れが残っている。先週の月曜日から日曜日まで、月曜日、木曜日、日曜日と合わせて十八キロを駆け、水曜日と金曜日で実質二時間近くクライミングした。

日曜日には仕上げとして八キロコースを駆けたが、川沿いの道は12分で走り切り、出だしが良かった。下着代わりのTシャツを着けていなかったので、ズボンがずり落ちて具合が悪かった。山登りの部分は駆ける余裕がなかったのだが、35分を切っていたので、最終的に一時間を切ることは予想できたが、下降の韋駄天走りが12分でまずまずだったが、最終的には59分でやはり伸びなかった。

疲れが残っている中での成果として、昨年秋の50分からすれば大分遅い、それでも走っている時間は二十三分と比較的早く走行している。歩くのが遅かったのだ。それにどうも下りに時間が掛かり過ぎている。靴を重くしてから下りが大分遅くなっている。

いづれにしてもこの結果が現在の基礎体力の指標であり、秋の時期のそれに近づいているので、ここから秋までの底上げこそが課題であろう。疲れが残っているのは当然であろうが、肩が凝ってどうしようもない。あれほど腕を振って運動しているのにも拘らずである。ここまで疲れると飲酒もすすまないので健康には良いのだろう。



参照:
ダイナミックなザトペックそう法 2010-09-06 | 生活
インターヴァル晩夏代謝訓練 2010-08-01 | 生活
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節約の結果としての公共料金

2011-02-13 | 生活
役所から公共料金の換算票が届いた。最も注目は電気である。ドイツにおけるそれは年々高くなっており、ガスへの転換が進んでいる。特に個人的には昨年の今頃冷蔵庫のサーモスタットを直して、更に屋根裏部屋を積極的に使うようになって省エネルギー体勢に入ったからその結果は分析の価値がある。

先ず、倹約した量はこの期間約270kWhとなっていて約一割方を節電したことになる。冷蔵庫の修理は二月の終わりであるから、年換算の六分の一ほどの影響しかない。ざっと月当たりの節約量を計算すれば、平均22.5kWhで一日あたり0.75kWh、時間当たり31 Wである。日平均消費量8KWの所帯で、一割の節約である。丁度電球を一個減らした感じであろうか。

これが十ヶ月で達成されていたとすると、月当たり27kWhの節約、日当たり0.9kWh、時間当たり37.5Wとなるので、本年度は年間では約328KWの節約が可能だろうか。しかし、昨年の八月からの屋根裏部屋生活の効果も含まれているので、年間を通して350KWぐらいの節約が可能となるだろう。一昨年に200kWhの増量がその冷蔵庫に起因していたとすると、大体それぐらいの量の差異となるだろう。

つまり、大胆予想目標は、年間総量2850kWh、一日平均7.8kWh、一時間当たり325Wとなる。冷蔵庫のコムプレッサーが120Wの出力であるから、観ないTVのスタンバイも切っているので、あとは調理器具や洗濯機の高能率化しかないだろう。

いづれにしてもまだ実績が足りないので昨年度の還付金は戻るが今年度も据え置き料金で、月々70ユーロと変わらない。丁度嘗てDMで支払っていたときと同じような額になる。当時は安いと思ったがドイツも電気が高くなったものだ。

ノートブックやワークステーションの使い方もあるが、固定資産税年間約二百ユーロ相当の床面積百平米ほどの住居としてはまあまあの消費ではないかと思われる。



参照:
薄暮に冷蔵庫から射す冷たい光? 2010-02-28 | テクニック
一日17時間稼動の労働コスト 2010-02-24 | 生活
タイマー仕掛けの冷蔵庫 2009-12-11 | 生活
寝る子は育つ肌寒い日々 2010-08-17 | 暦
期待膨らむ冬に向けた環境 2010-08-30 | アウトドーア・環境
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イスラム社会の民主化を読む

2011-02-12 | マスメディア批評
エジプトの民主化は始まったばかりである。その今後を考える重要な参考となる記事が水曜日に載っていた。前大統領がハイデルベルクの癌センターで再治療を受けるためにと、亡命する必要が無かったことだけでも比較的順調な出だしとも思われる。

民主主義の本質は何処にあるのか、そこで何が達成されるのかが重要であって、民主主義それ自体には殆ど意味がないといっても過言ではない。強権な政治力を持つリーダーが現れて、近代社会の窮屈さから解消してくれれば良いならば、つまり「国民の生活が第一」ならば ― 豚には餌をやっておけば二二六事件などは起こらなかったと言うのである、まさにヒトラー総統が待望された社会背景であった。そこには、伝統的なその社会における市民の生活観と近代的な社会でのそれの乖離があった訳であり、まさにドイツ労働者国家社会主義党の公約がそこに集約されていたのであった。

現在におけるもっとも近代主義的な世界観に反発しているのがイスラム主義であり ― シナ人の中共としての取り組みは同じような反動勢力であり、西欧社会における「緑の革命」などもそれに加えることも出来よう、そしてタリバンや毛主義のポルポトなどもそうしたアンチモダニズムを標榜していたのである。そこで、サウジアラビアとインドネシアの中間にあるモルディブ共和国がイスラム社会でもっとも民主化に成功した国として、その副大統領に始めて公選で任命されたモハメド・ワヒード副大統領がインタヴューに答えている。氏は、ベイルートのアラブ大学を同国最初のアカデミカーとして卒業以降、ユネスコの支援などを受けてシリア、レバノン、ヨルダンやパキスタン、アフガニスタンなど戦時下を含むあらゆるイスラム社会に遊学していることからその事情に精通しているようだ。もともとは、独裁政権の下で家族が追放や拷問などを受ける厳しい環境で成長したようだが、幸運にも学ぶことが出来て、スタンフォード大学でハーバーマスに関する研究で博士号を習得している自他共に認めるモスリムきっての知識人として紹介されている。

結論からすれば、イスラムにおける問題は、キリスト教社会がその解釈学で大きく前進したように、知識人が十分に揃えばその教義を曲げることもサブカルチャー化することもなく、現代との落差を埋めることが可能と言うのである。つまりそれは丁度68年運動における「国と(社会)個人との論争」に相当する「宗教と(社会)個人との論争」を、文化的価値のコンテクストから読み取ることの出来る民主的な社会が必要となるということでもある。

要するに、民主主義とは自由にものを考えることが出来て発言できることで、議論が戦わされる社会制度であると言うことである。その前提があってこそ初めて「人が人らしく活きる」ことができると言うのである。言葉をかえればそれは人権であり、自由であるが、それが必ずしも安物の定義でないことは、歴史的な文化的なコンテストから読み取るべき価値に結びつくからであって、決して社会の規約からの解放ということだけではないことは明らかだろう。

それゆえに民主化は一挙手一投足には達するものでないことは、百年近くのその歴史をもってしても十分にはそれを獲得していない極東の国の実際を知っている者にとっては改めるまでもない事実である。その点を、上の副大統領が力説しており、イスラム社会におけるそれも子供の教育等を通じて中長期的な展望が必要であることは、東ドイツの発展に関しても同様にエジプト問題と同じように論じられていることでも分かる。また、テロの危機という点では、なるほどイスラム原理主義者のそれが現代では代表的であるが、日本帝国軍人の神風行為もナチスの悪行もはたまた左翼テロも米国など世界各地の右翼テロも北朝鮮のテロ行為も存在するのであり、民主化のプロセスとは別問題だとするのが副大統領の見解である。その背景は上述した「軋轢」こそにあると読み取れる。だからこそ論争こそが肝心なのである。

最も恐れるものは、あまりにも急激な民主化と社会の変化に一般の国民の伝統的なライフスタイルの変化が追いつけずに乖離することで、それは上に挙げたような近代化の社会の複雑化として西欧に見られた現象であり、その反動として独裁的な如何にも「土着民」を魅了するような政策を掲げる反動政権が生まれることである。それを阻止するためにも憲法をはじめとする政体の整備が必要となるということであり、同時に経済的にも必要な舵取りが欠かせないのである。



参照:
Nur ein Harbermas kann uns retten, Mohamed Waheed, Frank Schirrmacher, FAZ vom 9.2.2011
情報の共有と議論の為所 2011-02-05 | 雑感
脱構造の日の丸の紅色 2007-12-12 | マスメディア批評
68年への総括の道程 2008-02-20 | 歴史・時事
楽天主義が支配する時代 2008-02-21 | 歴史・時事
受け継がれるモラール 2008-07-23 | 文学・思想
自由主義者の戦後社会学 2009-05-05 | 文学・思想
希望という自己選択の自由 2009-06-19 | 文化一般
ラルフ・ダーレンドルフの死 2009-06-21 | 歴史・時事
知的批判無くては何も無し 2010-07-02 | マスメディア批評
外交官なんて不要か? 2010-12-21 | 文化一般
コメント (2)
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