Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2014年12月

2014-12-31 | Weblog-Index


竹取物語の近代的な読解 2014-12-31 | 文化一般
経験値を上げるお月謝 2014-12-30 | ワイン TB0,COM2
源流へと戻っていく 2014-12-29 | アウトドーア・環境
揉み上げの恐怖に克つ 2014-12-28 | 生活
栗ザウマーゲンのXマス 2014-12-27 | 暦
実感のスキー靴の歴史 2014-12-26 | アウトドーア・環境
私のメリークリスマス 2014-12-25 | 暦
古の文化の深みと味わい 2014-12-24 | 文化一般
初めてのツアースキー靴 2014-12-23 | アウトドーア・環境
熱すぎないシュニツェルのうまさ 2014-12-22 | 料理
香り豊かな記念撮影など 2014-12-21 | 文化一般
安倍が欧州に教えること 2014-12-20 | マスメディア批評
制限が必要な暴走? 2014-12-19 | 歴史・時事
自覚ない殆どの日本人 2014-12-18 | マスメディア批評
旅行の計画を定める 2014-12-17 | 生活
暈けた写真を撮ってみる 2014-12-16 | 雑感
ゴミ箱を上手に扱うため 2014-12-15 | ワイン
日本右翼保守政権の計略 2014-12-14 | マスメディア批評
十分検討に値するやり方 2014-12-13 | 文学・思想
戦後レジームからの抑圧 2014-12-12 | 歴史・時事
ブレンナーへと馳せる想い 2014-12-10 | 生活 TB0,COM2
週末明けの陽当たり 2014-12-09 | 暦
ネット相性診断を試す 2014-12-08 | 生活
中庸な炊き具合の加減 2014-12-07 | 料理
左手の筋の疲れにも注目 2014-12-06 | 雑感
外国人に手厚い社会保障 2014-12-05 | 文学・思想
初雪初積雪の冬真っ只中 2014-12-04 | 暦
逡巡もしおどきの生活 2014-12-03 | 料理
ライフスタイルの充足感 2014-12-02 | 暦
ありのままのワインの年月 2014-12-01 | ワイン
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竹取物語の近代的な読解

2014-12-31 | 文化一般
楽劇「影の無い女」の二回目の体験だった。リヒャルト・シュトラウス作曲ホフマンスタール作のこの楽劇は、大成功作「ばらの騎士」がモーツァルトの「フィガロの結婚」に対比しているのに対して、「魔笛」に対比しているもしくはそこから「ファウスト」に対応しているのはよく知られている。それではなぜお手本ほどには成功していないのか?本当ならばドイツ語の歌芝居の流れをたどれば「ばらの騎士」よりも容易だったのではないか。しかし実際には、竹取物語がベースになっているメルヘンに拘わらず理解が比較的難しいと考えられている。実際に開演一時間前から始まったのオリエンティーリングでも益々哲学的な考察へと傾いていった。バーデン・バーデンのそれに比べるまでもなくこの劇場の解説はややこし過ぎる。それはどのような楽劇の台本にしても読み解きほぐすのがあまりに容易ならば、誰の関心も薄れてしまい再演などはされないのは当然であるとしてもである。なによりも音楽的な魅力が無ければ音楽作品は成功しないのであり、その音楽的なつくりもある程度時代を超えていないと劇場のレパートリーとして残らない。その意味からこの楽劇辺りが、作曲家記念年での一つの試金石となっているか。

記念年ということで、復刻上演的な意味合いから、この楽劇と後の楽劇「アラベラ」などの上演が目に付くが、今回20年ぶりほどでミュンヘンに駆け付けたのはバイロイトで体験したペトレンコ指揮の音楽への魅惑が大きかった、そしてハムブルク歌劇場の日本公演でのこれが体験として深く残っていたからである。つまり、この楽劇の核心は掴めているつもりだったのだが、その後にメディアで聞いたサヴァリッシュ指揮の録音やカール・ベーム指揮のヴィデオなどでも、それ以上の体験も理解の深まりもなかったのも事実である。

立見席からは指揮者どころか、舞台の中央も全く見えないのでその演出に関してはなんとも論評できないが、少なくとも三幕だけは空いていた席に滑り込んだので、十分に体験できた。ハイライトとしてこの楽劇の出来の真価は最後の情景に集約されるが、登場する二組の夫婦の対比と変容が組み合わされるその音楽的な成果を確認できただけでも十分であった。その二組とは皇帝と皇后であり、染物屋とその女将なのだが、各々に新たな次元へと突入するのは「ばらの騎士」における三者三様の歌声として真骨頂を示すものよりも、複雑になるのは決してその人数の問題ではないであろう。

「ばらの騎士」よりも明らかに複雑なのは、そこでの架空の肉感性よりもメルヘンでありながら可成り時代的な課題をそこに含んでいるからではないだろうか。今回のプログラムにも記載されているように、当時の戦災の人口的な変化や医学的な中絶が議論となった文化的な背景は、古き良き時代への意識よりもフロイトや同僚のマーラーの交響曲の意識が背景にあるからだ。それは、作曲技法的にみても、肝心の複調など多層性がそこで現出することになっている。この楽劇が他の大成功作品よりも厄介な理由はそこにあるのだろう。ホフマンスタールもその音楽を指して「重く暗い」と評し、アドルノに至っては「フィナーレをしてけばけばしい」と非難する。

実際に作曲家自身もその頃になって自身の舞台作品におけるマンネリ化に留意をしていて、この三幕の完成度にも半信半疑の感じを抱いていたようだ。要するに、作曲家自身もライヴァルのグスタフ・マーラーの交響曲を強く意識していたのは確かであり、音楽的にその台本の内容に匹敵する真面目さを以て創作に挑んでいた様子が読み取れる。管弦楽法ひとつをとってみても、ソロとテュッティーの掛け合いや使い分けそして何よりも転換へと軌道を外す和声展開など、それなりの意欲を示しながらも、そうした音楽的な工夫が十分に熟れていないと感じられるのは、飽く迄もこの作曲家が追従者と言われるその作曲であるからだ。つまり同時期のアルバン・ベルクら新ヴィーン学派との差異でもあり、ミュンヘンの保守性というようなものをそこに重ねてもあながち間違いではなかろう。

その多層性は、昨年度上演されたツィンマーマンの「ディ・ゾルダーテン」にも一種共通するのかもしれないが、この楽劇上演を体験して、嘗ての体験では分からなかった最重要点であった。既に三十年近くも前のことなので細部に関しては思い出しようがないのだが、その演出ともども今回のものに比較するとあまりにも単純化されていたのではないかと感じたのである。なるほどその時もとても強くカソリック的な世界観に打ちのめされる気持になったのだが、このミュンヘンでの雰囲気は大分異なったのである。その多くはご当地の文化圏を客観的に見れるような場所柄ではないからなのだろう。ハムブルクのフォン・ドホナーニの演奏は素晴らしかったのだが、肝心の多層性と肉感性では程遠かったような印象が強まった。

ミュンヘンの歌劇場はやはり香りが違う。このような出し物の場合、お当地ものであることを感じるのは、そこに社会文化的な基盤があるからなのだが、舞台上で示される二組の夫婦関係や、この楽劇の中心課題でもある近代社会的な構造をも自らの文化圏のそれとして引き寄せられる想像力が全く違うからなのだ。東京でハムブルクの上演を体験した時に、ほとんどの入場者はその本質的なものを感受していないと悟ったのだ、それが今こうして中欧に暮らすことになる確信に繋がったのである。

丁度同時期に完成された「アリアドネ」のプロローグの楽屋落ちの効果が絶賛されるのだが、ここではそうしたロールプレーを使った劇場空間への認識よりも、舞台上での出来事への内省的な効果が狙われている点では、ある意味より普遍的な効果を上げたのは「ばらの騎士」なのかもしれない。しかし、それがややもするとミュージカル的になりかねないのに比べて、寧ろここではとても近代社会的な議論が展開しているのである。

つまり生殖、結婚、生活、決して順不同ということではなく、なにも決してここでは婚前交渉が扱われているのではないが、最新のハリウッド映画でも遠く及ばない現実性が劇場空間に展開されるものとして、当然のことながら大変な税金を投資してでもこの歌劇場が運営されている由縁なのである。そして、隣の室内劇場での芝居のボート・シュトラウスの作品に決して引けを取らないということをここでも示さなければいけないのである。

さて、今回第三幕で初めて、キリル・ペトレンコの指揮ぶりを眺めることが出来た。なるほどと思う適格な指示は、その拍打ちとともに印象に残った。どうして限られた練習時間であれほどまでに楽譜に新たな光を当てて音化することが出来るのか不思議に思っていたが、とても合理的な指示を与えていたということで、疑問が解けた。前任者のオペラでも交響的に鳴らすケント・ナガノの時は結局ミュンヘン訪問はならなかった。しかし今回訪問が叶って、なるほどその絶大の信頼感や人気が全く異なっていると改めて実感したのである。


Trailer DIE FRAU OHNE SCHATTEN – Conductor: Kirill Petrenko


"Hörst du mich, Barak" (Finale Act 2) from DIE FRAU OHNE SCHATTEN - Conductor Kirill Petrenko

参照:
心躍らされるお知らせ 2014-09-23 | 雑感
意味ある大喝采の意味 2014-08-06 | 文化一般
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経験値を上げるお月謝

2014-12-30 | ワイン
摂氏零下二桁へと冷える。今年で最も寒い日かもしれない。それほど前のシーズンは暖かかった。十月に出かけたバーデン-バーデンの近くの花崗岩の岩場の周りで情報を得た滝が気になる。200KM先まで確かめに行くにはまだ早いと思うが、100KM先なら問題がない。それならばフランスに正月の食材を買いに行く気持ちにもなる。これを逃す手はないだろう。シュヴァルツヴァルトの国道500号が雪がなく空いていれば問題がなく到達できるだろう。序に小さなスキー場で滑って来れるかもしれない。

さて滝について調べてみた。名前も知らなかったので、適当に検索するとそれらしきものが出てきた。その名前で検索するとYOUTUBEにも動画があった。Wikiでは分からない滝の様子は写真や動画で見るのが一番だ。バーデン・バーデンに住んでいた作曲家ブラームスも訪れたという嘗ての観光対象らしい。

最初に見つけたのはその谷を下から上へと登りながら撮影した動画で五つに分割してあって、75分ほどもある。適当に検討をつけて観たが、結局肝心の滝の大きさは分からなかった。ハイカーの視線が全く異なっていて、遊歩道の足元や石垣などが多くて、時々瀬や苔むした木にクローズアップする。一般の歩行者はこんなものかなと思うのだが、ドイツでは滝が珍しいので、この人のあまりにも下向きの視線は珍しい。撮影機のファインダーの影響だろうか。

夏の撮影だが沢の水量はとても多く、流れも速い。これが全面凍結するとなると可成りの冷えが必要かもしれない。だからアイスクライミングの対象としてはどこにも触れられていない。調べてみると冬の情景の動画もあった。相変わらず水量が多い。

但し一番大きな滝は奥に入っているので綺麗に映っていない。そもそも水量が多くてなかなか近づけないのかもしれない。だから記録も無いのだろう。これが完全凍結するようなことになればザイル無しでも登れる傾斜で結構面白いかもしれない。明日にでも見学に行こうかと考えている。

クリスマスに開けたようで、先日ご進物になったガイスボェール2012年物と2009年物の感想を聞いた。前者はとてもバランスがとれていたのだが、香りがもう一つ出なかったということと、後者は崩れていて苦味が感じられたということだった。2009年のこれを今頃飲んだら当然のことだろうと感じた。だから二年も前に直ぐ飲める楽しめるものとしてご進物に使っているのだ。やはりハムブルクあたりの家庭では、フランスのワインに関しては分かっていても、リースリングに関しては分からないようだ。その証拠につまらない評価本を見てコメントしていたようだから。その評価本自体が、ミニジョンソンのように飲み頃について触れているならば少なくとも下らない点数よりは賢いのである。逆に言えば、リースリングの飲み頃を言い当てれる専門家は殆どいないということでもある。私なら二三年も試せば毎年そのリースリングの将来性は予想できるのである。

兎に角、2009年産の弱い酸で中途半端なリースリングでは瓶熟成などは忘れた方が良いのである。だから、私のところにある2009年物はフロインドシュトュック、キルヘンシュトュック、ペッヒシュタインなど特別なミクロクリマの物しかない。それでも最初の物は難しいと思っている。要するにあの暑い夏の葡萄でも朝晩冷えるような地所で尚且つ日焼けしていないようなものでなければワイン蔵の肥やしになるだけなのだ。だから本格的なワインショップなどと同じで、受け取る人が何も考えずに開けて飲める飲み頃の高級リースリングしかご進物にしないのである。それが、どこで覚えたかおかしな評価本などを頼りにする中途半端な知識や経験しかないものだから、瓶熟成などと難し過ぎることを考えてしまうのだ。

特に日本などの環境を考えれば、リースリングなどは寝かすものではないのである。赤ワインならともかく、リースリングで上手く瓶熟成などは忘れた方が良いのだ。お店で販売される時にすでに十分に落ち着いてしまっている。後は冷やして飲むだけなのだ。などと書くと、送ってきてすぐ開けてしまう人も少なくないので要注意だ。ワインも人と同じように旅行疲れしているからだ。

さて、2009年産と2012年産のどちらの方が価値があるか?熟成度の高い前者が評価されているのは仕方ないとして、リースリングとして瓶熟成させて楽しめる辛口のものはどれぐらいあるだろうか?2010年よりも数は多いかもしれないが、2008年や2013年などとは比較にならない出来の年度である。2010年の大晦日も大雪だった。



参照:
グローセスゲヴェックス解禁日 2012-09-03 | 試飲百景
週の始まりの肌寒さ 2013-09-17 | 生活
アイスクライミングの醍醐味 2013-02-24 | アウトドーア・環境
体が焼けそうな花崗岩 2014-10-20 | アウトドーア・環境
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源流へと戻っていく

2014-12-29 | アウトドーア・環境
承前)スキー靴の歴史的な流れを見た。もちろん私自身は肝心のアルペンスキーの技術的な流れを追うだけの知識も経験も無いので、用具から一瞥するだけである。その点、登山の技術は後追いするだけの経験もある。それでも、同じアウワー親方に見せて貰った鋲が打ってある鋲靴に関しては殆どわからない。岩登りの問題点や雪の上での問題点などは話したのだが、経験がないとこれもどうしても表面的に過去を擬えることでしかない。

スキーの場合は、滑降技術も用具とともに変化して行っているので更に難しい。少なくとも今世紀になってからはカーヴィンスキーが技術的に開発されて、嘗ての足首の操作や角付けの方法が必要なくなってきている。するとどうしても靴にも要求されることが全く変わってきていて、私の使っていたスキー靴はそれ以前のものとして過去の遺物になってしまっているのを再確認したのである。

具体的には、サイド方向の支えなのだが、これが効かないと内足に乗れないから当然であり、今回比較したフリーライドのラングの靴も長めに支えてあって、膝から下がぐらぐらしないようになっている。そのためか、こうした歩ける靴も重量が増していて、とても驚いた。昨今の工業製品で新モデルが重くなっている商品などはとても珍しいのではないか?それもスポーツ用品なのである。これを思うと、フリーライドとは聞こえが良いが、益々アウトドーアの本筋から離れて行っているのではないかという疑惑である。その歩けるというのも、ロープウェーの頂上駅から歩きだして、スノーボーダーと一緒に200Mも登れば、降りて来るというものなのだ。

まさしくその靴の重量化にも増してこうしたスポーツの在り方に疑問を徐々に強めたことから、スキーツアーへの傾倒が強くなったのであるが、こうした感覚はなにも個人的なものではないと思うようになってきた。大雑把に自然回帰とかなんとかがいえないのは、そもそもスキーと登山の源流は深く繋がっていて、更にアルピニズムと呼ばれるものが近代的な思潮であり、そうしたツーリズムと深くかかわっているからだ。それでもあまりに観光事業化されたスキーなどがその価格の上昇とともに若者の感心をますます失っていくことも事実であろう。そうした基盤が弱体化すれば、業界をリードするようなオリムピックやその他の競技への感心も減少していき、こうしたビジネスモデルも成り立たなくなるのである。

今回、アウワー親方が引退して、初めて甥御さんのところに出かけたのだが、嘗てと比べるとやはりそのアルペンスキーへの意味合いも変わってきているようで、決してツアースキーの靴などが副次的な意味を持っていないことは確認した。我々都市圏の愛好家と違って、アルプスの谷での動向は大分早く進行しているので、ハッキリとスキーと登山が分化していくその源へと戻る雰囲気は感じることが出来たのである。我々登山畠の者からすれば、決してアルペンスキーは遠い存在ではなかったのだが、あまりにもこの間スキーが独自の発展をしてきたことから遠のいてしまったのかもしれない。

そもそもオフピステにおいてどれほどの滑りができるかの議論であり、そのスキー靴の発展はやはり注目される。勿論十分な市場が発展してそれなりのスキーツアー人口を集めないといけないだろうが、軽くて硬性の高い機能的な靴が手頃な価格てどんどん発売されるようになれば、必要なだけの高速ターンなどは可能な靴が出て来るに違いない。重量では一足1000グラムぐらいになれば先ずは十分だろう。スキーツアーの競技もあるようで、そのような向きには軽く早く登れる靴が発売されている。しかしそうしたものはバックルが少ないタイプで、決して固めのスキー板を操るには不適当なものなのだ。

最後の写真は、オーストリアの歌手で2006年にトリノでスラロームと複合で銅メダルを獲得したライナー・シェーンフェルダーの靴である。大阪のレクザム靴がオリムピックの表彰台に上った最初の成果だった。その金具の錆び方などにその滑りを思い描くのだ。あのサストリエのコースは、ヴェンゲンなどに比較すると、それほど難しそうな斜面とは思わなかったが、オリムピック競技となると飛んでもない氷の斜面に難しい旗門が待ち構えているのだろう。

今回入手した靴は植物樹脂を使ったpebaxRnewと称する素材を使っている。三割ほど排出量を減らして自然に優しいのは当然として軽量化がはかられているという。数値的な資料はないので詳しくは調べられないが、これで耐久性さえあればよいのだ。



参照:
初めてのツアースキー靴 2014-12-23 | アウトドーア・環境
昔の名前、今の名前 2006-03-06 | 雑感
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揉み上げの恐怖に克つ

2014-12-28 | 生活
金曜日に頑張って山の上まで走ったのは、週末の積雪が予想されたからだ。その通り、10cm近い積雪となって、足元が悪く、不要不急の外出は避けたい。多くの家庭では、祝日の買い物を済ませてあるので、それはそれで都合がよかったのかもしれない。それでもパンだけは取りに行った。流石に走りは断念した。今は降りやんでいるが、もう少し降りそうなので、条件がそろえば日曜日に雪の中を走りに行ってもよいかと思う。

計画通り年末の買納めに外付けハードディスクを発注した。東芝製の1TBの製品である。USB2.0でも3.0でも使えるとなっているから、SAMBAサーヴァーとして問題なく使える筈だ。そこにデーターを入れる準備に600GBのHDの250GBのデーターを整理している。つまり最初から四分の一ほどは埋まることになる。

数年前には1TGなどの大きさを考えたことはなかったが、フィルムなどはブルーレイ対応のデーターが簡単にダウンロードできるようになっているご時世だ、何時までこれも余裕があるかわからない - それどころかこうしたデーターの中には商品化されたブルーレイやDVDにあった技術的な不備が修正されているものもあって、趣味のアマチュアの方が人件費を計算する焼き直し業者などよりも技術的に良い仕事をしていることも無いことはない。ネットを検索していて、8GBなどとなっているが、特に古めのアナログ映画で、そこまでの大きなデジタルデーターが必要なのかどうか疑問である。高画質モニターに合わせたのだろう。つまりかつては考えられなかったようなデーターがネットで自由自在にDL出来るようになっている。なるほどアナルグからデジタル化するに際して高精度化すればするほどデジタルの質は良くなるが、どこかで修正していく必要がある。その意味からはLPや写真をデジタル化してしまって、オリジナルを廃棄してしまったりするとその時点での解析度に留まってしまうので、逆に将来からするとアナログよりもデジタルの方が情報量が少ないということになる。

それでもである。同時に今回初SACDを同時発注した。二枚組で8.97ユーロであるから文句はない。ドレスデンの教会で録音されたリヒャルト・シュトラウス管弦楽曲集である。最近はいくつか安いシリーズも出ているが、中々所望の商品が見つからなかったので、これにした。年末の楽しみである。

話題となった北鮮の金を扱った映画「ジィンタヴュー」のそれも転がっていて驚く。このような按配だから、DVDやブルーレイなどが売れるとは思わないのだ。その一方、かなり多くな保存スペースがないと映画などをネットでみるのも難しい。要するに1TBはマルティメディアを考えれば必要最小限の容量となりそうだ。

何はともあれ、まだ年内に配達されるようなので、年末年始はしこしことこうしたデーターを整理し続けることになるのだろう。バックアップを年に一度ほどは管理することは大切なことであり、データー量は動画などを中心に増大としたとはいえその扱いは遥かに楽になったのも事実である。

先日、ドイツの60年代の最高に成功したウド・ユルゲンスが、ツアー中のスイスで心臓発作で亡くなった。ここでも何度も扱っているように、日本では1967年の大ヒット曲「別れの朝」の作曲者としても有名だが、八十歳の現役は素晴らしいとしか言いようがない。それほど集客量も落ちることなかったのだろう、生涯現役の芸能人も珍しい。

雪は美しいと近所の醸造親方はいったが、濡れた雪の時特有の気候は決して良くない。日本の雪国に共通するもので、我々慣れていない者はどうしても頭が重くなり、鼻にかけてもとても調子が悪い。

新しい髭剃りの方は、どこまでも深剃りが効きそうなので、誰かが書いていたように時間短縮とはなっていない。忙しければ適当なところでやめればよいのだろう。まだその辺りの按配は皆目わからないが、髭が固いので、それほど剃れるという感じは最初からない。但し手持ちの形状などから、ジレットの髭剃りのような上向け下向けの剃り方が出来るので、電気でありながらそれほど違和感がないようになっている。その点、フィリップスのそれも特殊であるが、ブラウンのそれでも可成り違うという印象はある。その点で、後発メーカーながらパナソニックはなかなか良いところをついてはいると思う。それが剃り残しへの安心感のようなものに結びついていて、結局はこうしたものは心理的な使い心地が追及されるものだということだろう。本当は万遍なく剃れているならば、少々短い長いなどの差異は無い筈だからだ。その点、最も気に入ったのは揉み上げ処理で、綺麗にトリミングできるのだ。決してフィリップスやブラウンでは経験しなかった良さである。要するに、トリミングしないと一体どこまで剃ったらよいかわからなくなる揉み上げの恐怖がこれによってなくなるのである。



参照:
初雪初積雪の冬真っ只中 2014-12-04 | 暦
煩わしい新手のスパムメール 2014-12-11 | 雑感
小型外付けHDDへの期待 2010-08-12 | テクニック
私のメリークリスマス 2014-12-25 | 暦
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栗ザウマーゲンのXマス

2014-12-27 | 
クリスマスの祝日第二日目、山へ駆け上った。40分6030歩は今年のワースト記録かもしれない。先日ティロルで歩いた場所を重ねながらゆっくりと走った。あそこでも林道があって小屋があるところから上は急に厳しくなった。雪の量だけでなくて、空気が薄くなってきたからだ。略海抜2000メートルぐらいだった。やはり低いところで余程トレーニングを積んでおかないと息が上がる。降りてきて67分、とても良い運動である。

先日、運動不足で71キロまで体重が落ちていたが、こうして走って、ザウマーゲンを食らうと再び太り気味になる。クリスマスにかけては三本のグロースゲヴェックスを開けた。一本目は2010年産のマンデルガルテンだった。高級ワイン協会会長のクリストマンのもので、私自身の好みとしては重く、果実味が、その古典的な還元法の醸造法でヘキヘキしたが、十分の尾を引く高級ワインであったことは間違いないだろう。そして地所特有の独特のテロワーは紛れもなかった。そして2010年産が失敗していなかったことは特筆に値する。

2010年産は、我が家恒例の栗入りのザウマーゲンに合わせてイェズイーテンガルテンが祝日に開けられた。そのマルメロのような果実味と2010年特有の酸がとても美しく融合していて、栗の味に最高だった。今まで飲んだ2010年産の熟成リースリングとして最高傑作だった。その喜びの裏側には、同じ作り手のワインは二度と巡り合えない悲しみが走った。フォンブール醸造所の今世紀の頂点だったろうか?

ここに三年は何とかごまかせるが、その先は我が家のクリスマスのディナーに関わる。本当に栗ザウマーゲンに合うイエズイーテンガルテンは今後検討がつかない。今まで高価で購入できなかったビュルクリン・ヴォルフ醸造所も植え替えで先十年ほどは入手できない。フォン・ブール醸造所は親方が変わったので期待できない。フォン・ヴィンニゲン醸造所は論外だ。バッサーマンで我慢するか、新しく地所を獲得したモスバッハ―も最低五年ぐらいは待たないと期待できない。さてどうしたものか?

イヴにはロベルト・ヴァイル醸造所のグレーフェンベルク2011年を開けた。問題の多い過熟成の葡萄でもある程度繊細なワインを期待したからである。しかし結果は、2010年のアルコール13.5%のイェズイーテンガルテンの繊細には遠く及ばなかった。要するにフォン・ブール醸造所のグローセスゲヴェックスはこの時期ドイツでも上位に入っていたことを意味する。そして価格は10ユーロほど安かったのだ。



参照:
気の遠くなるような企業 2014-07-12 | ワイン
胃袋がザウマーゲンに 2012-12-27 | 料理
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実感のスキー靴の歴史

2014-12-26 | アウトドーア・環境
ツアースキー靴は使ってみないと分からない。少なくとも一シーズンを履いてから再調整することになっている。それまでに、ネットに書かれているような靴の問題点、つまり滑降と歩きの切り替えやバックルの脱落などが2015年モデルでは起こらないことを祈る。恐らくこうした成形などの経験の薄いスカルパ社が学ばなければいけない事なのだろう。

歴史的に見れば同じ工房から登山靴もスキー靴も生産されていたのだ。それが変わっていく流れを身を以て体験している先代のアウワー親方に聞くことが出来た。短い時間だったけれどもとても素晴らしい歴史を感じることが出来たのだ。大阪のメーカー「レクザム」の関係で日本のスキー雑誌などでも取り上げられた親方であるが、ご自身がスキーを始めたのは1947年だったようだ。現在75歳とすれば、八歳の時だ。その頃の靴の感じが最初の写真である。

勿論手縫いで作られていて、親方に言わせると、40時間の労働は欠かせないので、今なら4000ユーロ以上はするだろうという。100ユーロの労賃を取るわけではないだろうが、材料などを入れれば可成りのものであることは間違いない。

紐締めのその靴の感じは、兄が使っていたスキー靴に似ていて、日本では1960年代も木の板にごついバネの締め具がついていたようなシステムがまだ初心者向けには使われていたのだろう。少なくとも1960年代初頭までは紐締めがワールドカップでも使われている。

ここで比較のために紹介しておきたいのがアールベルクのレッヒ出身のオトマール・シュナイダーの靴である。これも親方が手を加えたらしい。滑降の名人として、カール・シュランツの先輩格の薬剤師は、1952年にはオスロオリムピックでスラロームで金メダルを獲得して、滑降で銀、更に射撃で銅を獲得している。2012年に亡くなった英雄は、射撃では1970年代まで現役だったようだが、スキーでは1960年初めまでだったので、写真の靴はその頃の靴だろうか?これも次回に尋ねてみなければいけない。金具の締め具が光輝く。

時代が行き来するのは歴史家の特権と考えて、再び少し時代を遡って、1950年代をみる。先ごろ亡くなったトニー・ザイラーの時代である。実際にシュナイダーの次の金メダルを取ったのがザイラーでコルティナ・ダムベツィオであった。その頃のフィルムを見ると確認できるだろうが、基本は紐締めの靴だろう。その頃の靴が一枚目の写真だ。形の美しい機能性を感じさせる靴であるが、なぜこの靴が興味深いかというと、最初のプラスティック成形の靴、1967年のラングの靴に似ているからだ。

この間のスキーの歴史を考察すると面白いのだろうが、少なくとも私にはわからない。ここで、ヒントになるのがアウワー親方が謂うように、滑降におけるクラウチングスタイルの発達などで、フランスの名人キリーらの新しいテクニック上の発展がそこにあるようだ。(続く



参照:
初めてのツアースキー靴 2014-12-23 | アウトドーア・環境
直ぐに氷柱を登りたい気分 2012-11-28 | テクニック
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私のメリークリスマス

2014-12-25 | 
久しぶりに地元で走った。前日に百姓パンを予約しておいた。だから、慌てなくてもよかったのだが、イヴの夕食を考えると偶々水曜日に出るマーケットのテリーヌを買いたくなった。それならば、朝早くに買って、パンを取りに行って、走ればよいと思った。しかし実際には、パンを取りに行くと、焼き立てで切れないという。それならば、そのままでよいとなって、裏からお姉ちゃん親方が焼き立てを持ってきてくれた。本日分の白いパンやクロワッサンを合わせて買って、いつもの駐車場に停めると、まだ外は真っ暗だった。暗くて先は見えないが、走り慣れているところなので、ゆっくりと走った。走り出す前にどこかでバンダナを落としていることに気が付いたが、先ずは沢の奥まで往復する。往路からの折り返し点でも真っ暗で万歩計が見えないので、そのまま戻ってくると、28分5680歩であった。おっかなビックリ足を進めているのだから仕方がない。それでも汗をしっかりと掻いた。その足で、バンダナを落としただろうパン屋に戻りと、そこで拾っておいてくれた。

そして急いで、家に戻った。12月の始めに日本から送った小荷物が届かないからだ。そして、朝食をしていると、十時過ぎになって郵便屋が来た。まさしくその小荷物だと分かったので、「クリスマスプレゼントだ」と言うと、配達のおじさんも喜んでいた。ドイツポストもこの忙しく過剰な時期に労使の紛争が起きている。完全に通常の仕事量を超えているので、荷物は全て郵便配達とは別な人が来るようになって一月ほど経つ。本来は、朝の九時過ぎにまでで配送が終わるのだが、今は全く異なっているのだ。

まさしく自分で購入したプレゼントで、ミスタービーンの自分へのバースデーカードのようなあんばいだ。早速、箱を開けて肝心の髭剃りを使ってみる。充電していないので暫くすると電源が切れた。それでも最後まで同じように動くようになっているのは確認できた。そしてブラウンのそれともフィリップスのそれとも全く異なることも気が付いた。もう少しやかましい音がするかと思っていたらそれほど悪い感じではなかった。テクにクスの技術が反映しているとは思えないが、なんとなく共通点もあるラジオのような音だ。野菜を買いに出かけて戻ってくると完全に充電で来ていた。とても早い。兎に角、剃り込む音がしなくなるまで剃った。明日朝の剃り心地や剃り時間が楽しみだ。

これでブラウンとお別れできる、洗浄機で掃除をして片づけておこう。壊れないままお蔵にするのは初めてだが、それほど使い心地が悪くなっていた。最後のころにはヒーターで温めて使っていたが、幾ら電力があっても剃りが良くないのだ。幾ら替え刃を替えてもよくないのだ。当分はブラウンの髭剃りは買わないであろう。そもそもブラウンの商品はもはやちっとも良くない。それでも、パナソニックの材質感とはプラスティックなどの成形が違う。米国のメーカーになった今でもドイツで材料を調達しているからだろう。

今年は短い旅行があったお蔭で、なにかメリハリが効いて、逆に落ち着いたイヴを迎えることが出来た。それもなんとなくいい気持なのだ。例年ほどクリスマスストレスがなかったのはなぜなのか?体重を測ると71KG台に落ちていた。ここ暫くほとんど食事をしていなかったからだろうか?運動などよりも何も食べないで健康なのが最高のダイエットだ。ここ暫く暖かいのもよい影響をしているのに違いない。



参照:
税引き後のインフレを実感 2014-11-26 | 歴史・時事
羽毛のような剃り心地 2014-11-19 | 生活  
土壌の文化性の問題 2012-12-26 | 文化一般
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古の文化の深みと味わい

2014-12-24 | 文化一般
旅行に行けば文化を語らなければいけない。終演後のカーテンコールに答えて呼び戻らされたあとに司会者が出てきてマイクを握った。「皆さんにサプライズがあります」と話し出すから、何事かと思うと、当夜染物屋バラックを歌っていたヴォルフガンク・コッホが宮廷歌手に選ばれたのだという。なるほど当夜の出来以上に一際拍手が大きかった筈だ。そして司会者が「連邦共和国になっても幸いなことに宮廷音楽家の称号は残った」と語ると、こちらはなるほどと思わざるを得なかった。
Kammersängerverleihung Wolfgang Koch


今回の小旅行でどうしても感じてしまうのが、そうした文化である。近代の文化よりもそれよりも古い文化の分厚さのようなものを感じるのはどうしても関西出身の人間の素直な気持ちである。ミュンヘンそしてハプスブルクのインスブルックへと思いを馳せると、どうしてもそこに円熟した文化を感じるのだ。

食事ばかりを語るようだが、ブレンナー峠の北斜面で出会ったこのリンゴのパイも、まさしく文化としか言いようがないのだ。食文化である。そのに詰まるケシの実の味わいは、アップルシュテュードルなどの甘い美味さとは異質の香りなのだ。だからトラミナーなどの白ワインに合うのだ。パン屋で日曜日のパンを購入するときに「どちらから?」と尋ねる売り子が勧めてくれた名物である。

ダールマイール本店のクリスマス前のデリカテッセンの数々も結局はこうしたところに繋がるのだ。更に言えば、ミュンヘンの歌劇場などのオペラ上演が、メトロポリタンのそれとどこが違うかといえば、こうした文化的な底流がその町や地域に香りとして漂うかどうかのその差であろう。

やはり、バイエルンからハプスブルクの南へと延びるあの文化圏はとても楽しく謳歌されるものに違いないのである。天候ひとつをとっても。我々の住むところでは雨が降り続いたりしていても、南へと抜けるあの谷には北側ではありながら強い陽射しがさんさんと輝いていた。これだけでも素晴らしいではないか!

車のラディオはヴィーンからの放送が流れている。ブレンナーからミュンヘンへは峠を越えて、北進することになるが、必ずしも悲観的な雰囲気はない。横風も厳しく、それほど飛ばせないのだが、町の中心部へと凱旋門を潜って真っ直ぐに伸びるかのようなブロードウェー感は、ヴィーンやベルリンには求められない秩序感と安心感である。アウトバーンがここでも素晴らしい。

実際には、ナヴィに駐車場の住所を入れていなかったので旧市街環状を殆ど一回りした。土曜日の買い物客が溢れていても、パリやヴィーンのようなカオスはなかった。マンハイムよりも走りやすいぐらいだ。ベルリンは大き過ぎて、このような走り方は出来ない。そしてレジデンスの庭先を過ぎれば、何度も歩いたレジデンス界隈だ。勘を働かして、劇場の裏側から出たところで右折すると広い広場に出た。満車の赤ランプが点きぱっなしであったが、様子を見ていると列が伸びている訳でもなく、そこに入っていく車もあった。劇場などに必要がある人を優先にしている雰囲気で、実際は待ち時間なしで入ると、十分に空車スペースがあった。



参照:
熱すぎないシュニツェルのうまさ 2014-12-22 | 料理
香り豊かな記念撮影など 2014-12-21 | 文化一般
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初めてのツアースキー靴

2014-12-23 | アウトドーア・環境
今回の旅行の主目的はツアースキー靴だった。登るスキーを使うためにはそれなりの装備がいるが、靴はとても重要である。登るときに使い易くて、下りのフリーライドも楽しめるものでなければならない。親方のところに行って最初に問題になったところがそこで、一体どれほど登りに重点を置くのか、カーヴィンを楽しみたいのか、それともということになった。

実際に登るスキーを使ったことがないので、締め具やスキーなどは特定出来ないのだ。だからと言って今持っているスキー靴で試してみる気も無い。兎に角、重く固過ぎるのだ。これでは200メートルも登れば疲れてしまう。だから、軽いものが欲しかった。軽ければアイスクライミングにも使えるのだ。勿論ビックウォールへのスキーでのアプローチにも使いたい。

一方には、フリーライド専門の歩けるラングなどの靴がある。これはとても長く、固く、重い。今使っているスキー靴よりも重い。なるほど上に上がって処女雪の豪快に滑り降りて来るスノーボーダーのような使い方は出来るだろうが、私には使いようがない。もう一方の最軽量の靴は、バックルも殆ど省かれていて、そしてシェルも薄く、一足1KGほどなので登山靴に近い。片手で楽に転がせる重さだ。しかし、豪快に新雪を滑りまくるようなものではなくて、スキーで登山をして滑って降りて来るというだけの使用しか考えられていないようだ。

私の希望からすると、決して態々スキー板をもって雪の深い頂上に登る気などはさらさらなくて、飽く迄も滑りが楽しみなので、これでは駄目なのだ。そこで中庸な選択として、一足1500Gで柔らかめのスキー板である程度滑れて、ピステでもまあまあ楽しめるいわれるスカルパ社のマエストラーレを選択した。滑降と歩きの切り替え装置などいろいろと問題もあったようだが、2015年モデルは幾らか改良されていることを期待する。兎に角、軽く、これでスキー滑降できれば万々歳だ。アイスクライミングにも足を上部に上げるようなものでなければ問題なく使える。その重量は嘗ての本格的な革製のクライミングシューズと変わらない。また、流石に山靴の会社なので、底がヴィブラムになっている。その分重量は増えている。反面インナーの底敷は、最新式のものを3Dで作ったので、軽量化が果たせている。嘗てのコルクを削ったものとは全く重量が違う。

特徴は4バックルで、通常のスキー靴と同じで、その中では最軽量のものだ。対抗のラスポルティーヴァ社が金具を省いた同タイプのものを出しているが、ワイヤーが直に出ているので氷対策などが必要だろう。その点、このバックルは問題がないと思われる。合わせもカヴァーするタイプなのだが、バックルを〆てみるときっちりとした締り感があって、また爪先などのコントロール感はとても良い。更に予想以上だったのは、サイドの支えが良くて、カーヴィンで乗れそうなことだろう。現在の靴がカーヴィン以前の靴なのでそれが出来なくて、この十年間はスキーを止めていたのだった。

勿論、通常のスキー靴からすれば大分薄く硬性も全く足りないので、高速ターンなどが出来るわけではない。しかし、そもそもそのようなターンが出来るような技術を持っているかといえば疑問なのだ。意外に自分に合ったスキーが出来るのではないかと考えているがどうだろう。少なくとも技術的にスキーが上達すれば、これで十分な筈だ。但し、素材が弱いだろうから加水分解で本当に分解するようなときも早く訪れるかもしれない。最近の高級商品は自動車でもスポーツ用品でもなんでも高性能な分、あまり長持ちしない傾向は、ここでも共通するかもしれない。商品価格の半分に相当するチューニング代金なので、通常の靴よりは五割増し高価なのだ。そんなに早く壊れてくれると困るのだ。



参照:
旅行の計画を定める 2014-12-17 | 生活
生気漲るカーヴィンスキー 2006-01-18 | アウトドーア・環境
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熱すぎないシュニツェルのうまさ

2014-12-22 | 料理
とても良い宿だと書いた。靴親方のところで話すと、「あそこは食事が良い」と、地元の人らしく知っていた。屋号のヴィーナーホッフに因んでヴィーナーシュニッツェルを選んだ。ドイツではこれが食べれる店は少ない。更に上手に料理している店は近所の一軒しか経験したことがない。それは殆どの店でヴィーナー風のトンカツしかやっていないからだ。本物の小牛は料理にもコツがいる。

しかしオーストリアでは大抵はある程度以上のものが出る。だから決して珍しくはないが、同じように女将お勧めの鹿肉よりもこちらを選択した。価格も10ユーロと安くオーストリアの白ワインが楽しめるからだ。勿論白と言えばグリューナーフェルティルナーである。それがグラスヴァインとして二種類あった。そしてティロルヴィルツシャフトヴァインと下線で強調してあった。「一体何のことか」と聞くと「ティロルの飲食団体向けの特製ワイン」だということでアペリティフのビールに続いて、食事にはこれを合わせた。

シュニッツェルはどこでも何故かサラダなどは別料金なのだが、ここではパセリ粉吹きジャガイモだけはついていた。サラダにパンが欲しかったのでそれを貰った。これまたクンメルなどが入っていて日曜日のパンに欲しかったので何処で買うのかと質問すると、あとで教えてくれると言ったが、「靴マイスターのところに行くなら、隣に良いパン屋があるからそこで買えばよい」と教えてくれたのだった。

さて、甘みのあるビールで喉を潤して、ワインを試す。なかなか酸があって新鮮なのだ。尋ねてみると配達は六月頃で、新酒だと分かる。2013年だから酸があるのだろう。そしてキリリとしていて、なんとなく花崗岩的なミネラルも感じられる。恐らく一本6ユーロほどの蔵出し価格なのだろう。これをクオーター楽しんだ。面白いのは、ここでもヴィーンのザッハーレストランと同じようにもしくは日本の喫茶店と同じように水が提供される。その水が軟質でなかなか美味いのだ。聞くと谷の左岸からの湧き水だという。石灰の岩壁があるぐらいなのにとても良い生活用水を使っている村である。これは最後にお替りした。

肝心のシュニッツェルもとてもきれいに出来上がって、そのサクサク感を楽しんだ。そしてありがちな粉の下味付け感が少なくてとても薄味で大満足だった。熱さで誤魔化す感じでもなく、とても落ち着いた出し方で、料理人の自信が伺えた。オーストリアではこれが上手く出来ないと一人前ではないに違いない。ソースの甘みと先ほど飲んだビールの甘み、それでも違和感の全くでないワイン、完璧だ。女将に、日本ではオーストリアワインが政府の後押しでとても高く評価されているので、ドイツのワイン処に住んでいる者としては対抗意識があるのだと話した。

二千メートルの上まで歩いて、走って降りてきて、とても腹が減っていたので、心配だったがたらふく食した。足りないのはアルコールだけなので、八分の一のムスカテラーを注文した。これは女将の好きなワインだということだった。試しに飲んでみたのだが、意見を求められたので、「普通はマスカットの香りだけなのだが、これは果物の皮のエキス感の苦みが気持ちよい」というと、彼女は満足していたが、「それが南ティロルのトラミナーにも共通するかもしれない」というと、「よくご存知ですね」と感心された。ワインはシュタイヤーマルクのものだったが、ティロルの一体感のようなものを少し感じさせた。

食後に再びビールと水を飲んで、腹いっぱいになって、支払いを済ませると、食事は全部で30ユーロを少し超えただけだった。全く問題なく35ユーロを宿代と一緒にクレジットカードで支払った。とても素晴らしい。

なんといっても、ハートマークが宿中に飾られるフランシスコザビエルファンなのか女将の好みの部屋であるが、驚くことにシャワーが浴びられないほど熱い。通常のホテルの水はなかなか暖まらないので、先に水を流しておいて温かみを確認してから使うのだが、このホテルは違う。部屋のヒーターも上階でもアツアツだ。こんなことをしていては商売にならないと思っていると、なんとなく考えた。これほど熱いと長く使える人とはいないだろうと。光熱費だけでなくて、水も節約できるだろうか?流石の日本人でもあの熱さのシャワーを問題なく使える人は少ないだろう。

そのような按配でとても不思議なホテルだった。シーツも穴が開くほど古く、床も一部ギシギシするが、スイスの安宿のような薄ぶれた感じは全くないのだ。初期投資をする余裕がないのかもしれないが、こうした山の中で一泊50ユーロを取れば、これで経済効率があるのだろう。



参照:
酔って帰宅そして昼寝無し 2009-07-15 | 暦
熱いイェーガーテェー 2006-01-16 | その他アルコール
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香り豊かな記念撮影など

2014-12-21 | 文化一般
ミュンヘンから夜中に帰ってきた。一通り予定は熟せた。急いで帰ってきたので、二度も赤色フラッシュで記念撮影をされた。スピード違反である。どちらも可成り下限に近い違反なので、警告金だけで済むはずだ。アウトバーンで時速120キロから100キロへと落とされたところで、前の車がブレーキを踏んだので私も踏んだが、減速が足りなかった。120キロに近いスピードで撮影されたが、誤差を入れると11キロ超ぐらいか。下り坂なのでかなり効率の良い集金をしているのだろう。往きに反対車線で光った場所を考えている内に二度目の撮影があった。これも追い越し車線から戻る形で車の間に流れ入るように加速したので80キロ制限で90キロを超えたぐらいだろう。ここは自動車専用道路だが、誤差を入れると可成り少ない超過だ。それよりも車が斜めなので番号が写っていない可能性もある。

帰宅してシャワーを浴びて、ミュンヘンのダルマ屋ことダールマイールで購入したイノシシのパテとブレンナー峠の下で購入したパイを食した。これについては改めて調べてから紹介しよう。クルスマスプレゼントで貰ったリースリングを開けて、日本などへと電話した。

1955年以来の折からの暖かい12月でかなり気温が高かった。だから小さなスキー場の谷の駅は摂氏三度もあった。ピステは開いていたが、21ユーロの価値はなさそうなので、スキーは諦めた。そもそも今回作った靴では自分のスキー締め具は使えないようだ。色々と知らないことが分かって興味深かった。所期の目的である靴も出来上がり、大体の予算通りだった。宿は思ったよりも良かった。ミュンヘンも久しぶりで、初めてディーナーシュトラーセのダールマイール本店で買い物をして、オペラ観劇も叶った。前回は大分前にシュナイダー指揮のフェスティヴァル中の「サロメ」だった。二十年前ほどだったか?今回は定期の公演だったが、本気度は大分違っていた。これについても改めて纏めないといけない。

兎に角インスブルックの谷は、素晴らしい光景だった。飛行機で降りて来ると素晴らしいに違いない。写真は、現在準備中のジャンプ週間のシャンツェの山の裏側から町の方を望んだ角度だ。中継で上から写される風景と同じ角度である。そこからミュンヘンに向かう谷を越えたところがガルミッシュパルテンキルヘンで、ここでも正月の週間のジャンプ大会が開かれる。作曲家リヒャルト・シュトラウスの別荘のある場所だ。今回はインスブルックの町には入らなかったが、ミュンヘンともどもとても文化の香りがある。

正直ベルリンなどとは程度が異なる。日本でも古都の京都と東京では全く品格が違うのと同じで文化の奥行きが違うのだ。少なくともアルプスに近いとか谷の辺境の都などとは一切いえない古都である。そもそも地理的に文化発展の地勢的な意味があったのだ。東京がベルリンをお手本として近代都市化されたが、やはり本当の都は香りが違うのだ。夜食としたパテの塩気は一寸強すぎたのだが、リースリングには悪くはなかった。



参照:
制限が必要な暴走? 2014-12-19 | 歴史・時事
旅行の計画を定める 2014-12-17 | 生活
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安倍が欧州に教えること

2014-12-20 | マスメディア批評
欧州は安倍に学べるか?と言った社説が載っていた。つまりそのマネタリズムの金融政策から、罵倒されるメルケルの緊縮政策をみて、危機管理とは?、貨幣と景気策とは?、を学ぶというのだ。日本の二十年以上の失われた時に対して欧州のこの十年間は、南欧の金融崩壊ではなくて、ドイツが周りの国に対しての収支超過の破局なのだという。ポール・クルーグマンが強調するように、この間にこの輸出大国の貿易量の三分の一は欧州外へと向かい、その一方彼が推奨する金融政策はそのまま貿易量の増大へと導いたことには触れない。クルーグマンの市場へのドーピング効果は、ユーロ安誘導の金融政策となって、圏外への輸出量を増やし、副作用は危険性を上回ったことになる。少なくとも銀行と投資家は現在のところ流通量の増加の恩恵を与っている。

こともあろうにそのクルーグマンは、日本の失われる時を警告していて、なんとケンジアンの処方をウォールストリートから発信していた。二十年以上も長く激しい金融緩和策がとられた日本は、その結果経済発展することなしに財政赤字が膨らみ、日本はケンジアンの処方を受け入れることはなかった。安倍の日銀は、国債を購入して、円安を誘導している。それをクルーグマンは欧州に勧めているのである。

安倍は、最近クルーグマンを東京に呼んで、それに従うことにしている。効果が無ければ更に増大させよというのである。しかしその効果は表れていない。日本を救えないアドヴァイスは、欧州も救えないのである。それでも欧州中銀もEUもこれに従おうとしていて、国債の買い付けへと歩みだしている。

クルーグマンの金融政策は、消費あってのものであり、金があれば消費するので成長するという、しかし実際日本ではどうだ。財政危機のその財政をさらに赤字化することで、日本人は安心して生きていくというのである。日本に見るように、金融政策には限度があることが、単純に解決策を見出したい人々にはなかなか受け入れられないのである。

安倍は、先任者たちと同じく構造改革の掛け声だけで手を付けようとはしない。しかし経済の歴史から、行政によって需要に火がつくよりも、リスクを顧みないイノヴェーションの企業家によってはじめて成長がなされること知れるのである。



参照:
Was Japan Europa lehrt, Holger Steltzner, FAZ vom 16.12.2014
自覚ない殆どの日本人 2014-12-18 | マスメディア批評
安倍が解散に打って出る話 2014-11-15 | マスメディア批評
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制限が必要な暴走?

2014-12-19 | 歴史・時事
一泊でも旅行するとなると忙しい。自動車クラブのルートプランナーで確かめると、ミュンヘン経由であると一時間ほど長く時間がかかるのが分かった。二十年ほど前の制限速度の少ない時期ならば血圧を上げて思いっきりアクセルを踏み込めばかなり早く着いた記憶があるのだが、最近は制限速度が増えた。近所の幾つかの制限速度は、私が暴走していたので設置されたようなものも無くはない。

朝一番の待ち合わせ時刻があるので、結局距離の短いアルゴイ経由でインタールに入る。フュッセンの横の新しいトンネルを使ってだ。十年ほど前はトンネルが無かったので町の中を通らなければいけなかった。これだけでも20分ぐらいは早くなったのだろう。それに比べるとガルミッシュパルテンキルヘンからの山越えは町に入らなければいけない。帰りにはここを通ってミュンヘンに入る。兎に角、500KMほど五時間以上の走行時間が計算されているので、朝四時前には出発しなければいけないのだ。

ブログのアクセスを見ると、本文では書かなかったがキーワードとして入れたPEGIDAへのサーチが掛かっている。勿論新語であり、デモのニュースに扱われたことから知られるようになった言葉である。ドイツ特有の頭文字の組み合わせであることが分かっても、一体それが何かを知らずに答えられる人はいないだろう。だから新聞記事にもこの活動の正式名称が出ていたので、私も目を留めた。今連邦共和国の社会問題となっている反イスラム運動であるが、さて想像がつくだろうか?

Pは、政治活動の場合パルタイが多いが、これは党ではないので、正解はパトリオーティシェである。Eは、なかなか想像がつかないが、オイロペアーで、ドイツとかの国粋主義ではないことの言い訳のようになっている。次のGはゲーゲンで打って変わって強い調子になる。Iはイスラミジールングで、デスアーベントランデスであるからキリスト教国のイスラム化に反対している。Patriotische Europäer gegen die Islamisierung des Abendlandesとなる。

もう一つ似たような動きとして、Hogesaが挙げられる。これはフーリガンゲーゲンサラフィストである。どちらも欧州からすれば当然のような主張であり、態々運動をしないでもよいというところが似ているのだ。その意味からは、日本で問題になっている反在日朝鮮人運動とは異なっていて、一般的な主張であり新聞が書くように、フランスやハンガリーのようにドイツでは今までなかったポピュリズムとするのが正しいかもしれない。



参照:
暴走には制限が必要か? 2014-12-12 | 歴史・時事
不可逆な我々の現代環境 2014-10-12 | 歴史・時事
政治への強硬な姿勢  2012-05-10 | ワイン
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自覚ない殆どの日本人

2014-12-18 | マスメディア批評
右翼安倍政権の存続によって、それがなそうとしていることへの危険性について纏めている。先ずは、パシフィズムの九条と基本的人権を消し去ろうとしているのだという。その代りに愛国教育を施し、戦時下の日本の悪行を当たりの良い表現にして教えようとするばかりか、海外にもそれを広げようとする自民党の選挙公約を実施への恐れがこの選挙の勝利によって増したと報じる。

結果を受けて、コロムビア大学のジェラルド・カーティス教授は、選挙を分析する。なによりもワシントンにおける安倍内閣への憂慮が示される。それは「安倍が選挙結果を受けて、以前からの国粋的な過激な言動に弾みをつけるのではないかという危惧」である。「修正主義的な過去への考え方が日本の将来への彼の考え方であるという疑いがある」ということだ。カーティス教授に言わせると、「歴史認識が益々希薄になる」と歴史教科書の非の部分が益々省略されて、安倍は修正主義者を公に起用することで日本社会にも気づかれないうちに日本の過去の蛮行を否定して行っているというのである。

そうした傾向に手を貸しているのは、野党である民主党や大阪の維新の連中などの中に歴史修正主義者が多く居過ぎることで、更にマスメディアは第二次政権発足後には海外からの批判を伝えなくなったことだとする。だから日本は、極東で、アメリカで、欧州で孤立していることをほとんどの日本人は自覚していないのだと書く。

つまり民主党の中の多くの代議士は、安倍の歴史観を共有していて、それが攻撃的な言葉で表現されない限りは、多くの国民が同調していないのにも拘らず、それに従うという。維新の代議士にも当てはまるとなる。だから、国粋主義的な政策の安倍やその一派に強く対抗するのは共産党で、東京の若年層だけでなくて広く支持を集めた結果となったと分析する。つまり安倍の国粋主義への批判とみる。

この記事を読んで、普段は「パシフィズム」に懐疑的な我々でももはや改憲や九条改正に関しては口を閉ざすべきだとする意見が正しいことを確認するのだ。「護憲、九条」は「脱原発」などと同じで当面は悪影響を齎すものではなくて、それを掲げることでオールジャパンの体制を形づくれるといったことになるのだろうか。上にも指摘があったように、経済的なリベラリズムが必ずしも政党の要件として、リベラルとはならない維新などが存在して、そこに抜本的な構造改革へのアイデアがないことが馬脚するようになっているのであろう。

そこでは上の日本のジャーナリズム批判にも共通していて、あまりにも単純なマルキズムか追従者によって日本の学や文化が構成されていることが元凶となっているのだ。そもそも構造改革などでは、正しい現状分析と独創性が無ければできない事であり、日本の官僚組織の程度や日本社会の低脳化を示す無策でしかない。経済政策に関する社説も一面に載っているので、これも改めて纏めよう。(続く)



参照:
Abe will Japans Verfassung ändern, FAZ vom 16.12.2014
ゴミ箱を上手に扱うため 2014-12-15 | ワイン
日本右翼保守政権の計略 2014-12-14 | マスメディア批評
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