Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引2023年12月

2023-12-31 | Weblog-Index



机上の年末整理など 2023-12-31 | 文化一般
ヘテロセックスの暴力 2023-12-30 | 文化一般
厄落とし年末調整 2023-12-29 | ワイン
明けるのか大晦日 2023-12-28 | 文化一般
栄養満点のフルーツパン 2023-12-27 | 暦
エントロピー制御の作曲 2023-12-26 | 音
AIに分からせるには 2023-12-25 | 文化一般
見識に根ざした表現 2023-12-24 | 歴史・時事
高い環境への意識 2023-12-23 | 文化一般
必然な歴史的な協力 2023-12-22 | 歴史・時事
大洪水の後で鳩は 2023-12-21 | 文化一般
クリスマスに向けて 2023-12-20 | 暦
バーンスタインのメロドラマ 2023-12-19 | マスメディア批評
BePhil番組をネット鑑賞 2023-12-18 | マスメディア批評
不死鳥の音楽的シオニズム 2023-12-17 | 文化一般
人類共生を訴える声明 2023-12-16 | 文化一般
年末年始の発注を纏める 2023-12-15 | 生活
究極のフェティシズム 2023-12-14 | 文化一般
演奏会と劇場での相違 2023-12-13 | マスメディア批評
資料整理の枝払い 2023-12-12 | 雑感  
変わるヴェクトルの大小 2023-12-11 | 音
社会文化的な意味あい 2023-12-10 | マスメディア批評
やるべきことを達成 2023-12-09 | 音
アシスタントとしての実力 2023-12-08 | 音
くっつかない米粒ヌードル 2023-12-07 | 料理
若い時からの伝記 2023-12-06 | 文化一般
新鮮で刺激的な展開 2023-12-05 | 音
放射冷却の待降節初日 2023-12-04 | 暦
凄まじい肉感的な音響 2023-12-03 | 音
セカンドフラッシュの濃く 2023-12-02 | 生活
黴取り処理で備える 2023-12-01 | 生活


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机上の年末整理など

2023-12-31 | 文化一般
本年は週末が年末で若干余裕がある。片付けものは殆ど済んでいるが、部屋の本年中のプログラム類が積んである。これを仕舞い込みたい。シーズンを重要視しても夏前には到底そのような片づけをしている余裕がない。だから先ずは片付けたい。

積んである理由には、感想を書いておいて、続きとしてあることが多々ある様に続きを書くためにとおいてあるのだが、ものによっては本格的な資料調べをしないと分からないこともあり、また何を調べたら答えが出るのかが分からないこともあって、なかなか終わりまで行かないことも多い。

そこで本年の公演などの重要なものを採り上げて、その終止符が打たれているのかどうかを確認する。

なによりも演奏会では、ミュンヘンのイザールフィルハーモニーでのクセナキス「シェンジェ」1977年は特筆される。20世紀後半の創作を通常の演奏会で歴史的な大管弦楽団が決定的な演奏をするなどは予想していなかった。一般的に創作百年が転機になるが、これによってベルリナーフィルハーモニカーのメインレパートリーが後期浪漫派からその後百年に延びる可能が広がった。この演奏に関しての記載は終止符が一旦打たれている様である。

その前には、ルクセムブルクのフィルハーモニーでのシェーンベルク「管弦楽の為の変奏曲」で、前のブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」と別のプログラムのレーガー「モーツァルトの主題による変奏曲」からシェーンベルクプロジェクトそしてブラームスの四番へのシーズン後半へと繋がる。

同時にボッフムのヤールフンデルトハーレでのステンアンデルセン「トリオ」も恐らく今世紀前半を代表する創作での再演の大成功で、歴史的な価値があった。来年はパリなどでも演奏されるようだが指揮者などは異なる。そもそもクリックトラックの間を三人の指揮者が変わり番こに振るということで従来の感覚では指揮者の実力が示せ得ないものなのだがエンゲル指揮は見事だった。

そこで音楽劇場公演となると野外劇場どころか街までを劇場効果に巻き込んだメシアン「アシジの聖フランシスコ」は復活祭の「影のない女」と同様に個人的には運命的な作品であり、体験できた意味が大きい。その意味からすればヘンツェ「メデューサの筏」もベルリンのあるべきテムペルホーフ飛行場での公演がベルリンの街への再訪の契機になったこと以上に大きかった。まさしくその通りの内容だったことが、10月7日以降にその近くの交差点で起こっていたのだった。

室内楽や器楽音楽では、コロナ後の企画の問題もあってか、近場でこれという演奏会はなかった。せめてものトリアノフのラフマニノフ協奏曲ぐらいだろうか。来年は既にピアノや弦楽四重奏団やリーダーアーベントの券を購入した。ある程度の満足は叶うかもしれない。コロナ発病が初めて美術館を訪問した。ファイニンガーの展示会は取り分け勉強になった。



参照:
二極化によって描かれるもの 2023-11-14 | 文化一般
音の摂理とその奔流 2023-09-22 | 音
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ヘテロセックスの暴力

2023-12-30 | 文化一般
出かける用事がないと起きられない。二度寝して仕舞った。そしてお天気が良いとそのうちにと思って一っ走りする。疲れて早く寝れるといいのだが、夜は夜で活動となる。

イヴの魚のテリーヌは今年も悪くはなかった。以前は三種類ぐらい売っていたが、今年は一種類しかなかった。注文しておかないといけないのかもしれない。リースリングを食事に合わせるのは容易ではないが、こうした白身のものはやはり合う。

頭は年末の献立へと移るのだが、手軽で無精が出来て飲めるものが欲しい。結構素材はあると思うのでなんとかなるだろ。

シュトットガルトの劇場での新制作「影のない女」の三幕を観た。そして幾つかの初日の批評を読んだ。一番気にしたのは三幕の皇帝と皇后のペアーデュオをその前の水子の歌からカットしたことだ。それを知ってから三幕を観ると予想通りにこの楽劇の核を抜いていた。ここは特にカトリック圏においては大きな意味を持つところで、上野の文化会館でハムブルクの劇場による上演に接しなかったら移住はしていなかったところでもある。

その代わり妊娠によって得られるのはローズマリーの赤ちゃんの様に怪物でしかない。それも男性二人が妊娠をしている。様々な解説が為されているが、演出は多くを「魔笛」に依っていて、それの現代版となるが、皆目分からないというのが実態だ。上演上の問題の多い楽劇で途方に暮れるとあるようにお客さんはブーイングも出来ていない。

SF作りにしたのはヘテロセックスにおいても妊娠の行為自体が暴力的なものであってと、ある意味女性への視線を投げかけてはいる。つまりそれだけの為に手の込んだ設定をしている。怪物が核の汚染によって生じたとすればさらに馬鹿らしいのでブーが起きやすかったであろう。つまり適当に成功へととの演出で、それは指揮者にとってもコンセプトとなっていて、到底客演のエンゲルのような音楽劇場の第一人者でないことも分かる反面、比べる迄もなくバーデンバーデンでのペトレンコ指揮とは比較のしようがなく、音楽的に振り切れていない。特に三幕始めの最も美しいデュオでもテムポ運びが緩んで仕舞う。ドイツの劇場では屈指の指揮者ではあるが、故ザヴァリッシュなどにも似てもう一つメリハリがつけられない。それでも先行したリヨンでの「75名の室内楽編成」上演の指揮ルストーニよりははるかに素晴らしかったのは当然だろう。

どの新聞も書くことがあまりないのでいつも以上に奈落と歌手のことに多くを割いているが、一致するところはロールデビューとなったブルンスへの評価で、恐らくもう少しベルリンなどの小さなところで歌ってミュンヘンでもデビューするだろう。ヘルツェリウスに関しては必ずしもいつも力強いわけではないとしていて、あの唱法では表現に限界があることを示している。

シュトッツガルトのような客演を抑えるアンサムブル劇場で99名の奈落と舞台上の五人の主役他多数の脇役を纏めた手腕の音楽監督としては評価したいが、同時にそれ以上には指揮できていないのが確認された。
Stream: Die Frau ohne Schatten | Staatsoper Stuttgart 三幕2時間7分から



参照:
明けるのか大晦日 2023-12-28 | 文化一般
原罪のエクスタシー 2023-04-16 | 文化一般
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厄落とし年末調整

2023-12-29 | ワイン
新車の試乗のアポイントを取った。新春である。雪がなく雨が降らないことを願っている。五時間半ほどと言ったが、数時間の時間を取ってくれたのでなんとかなるだろうか。

今年最後の記念写真撮影があった。アウトバーンに入る前の自動車専用道路なので50kmの所を誤差入れて20km速度超過にはなっていない筈だ。金で済めば厄落としになるが、ナヴィを稼働していたら申し少し先にブレーキを踏んでいただろう。不定期カメラ設置場所でそれを狙っている。

クリスマスのリースリングはガンツホルン2014年産となった。食事のザウマーゲンの栗が甘かったので本当はもう少し旨味があるものの方が良かったかもしれないが、三本購入の内の二本目で、ソロソロ片付けても良いものだった。要するにそれ程力があるリースリングでもなく、比較的早い時期から楽しめたものだった。四年前に開けた時と比較すると明らかに果実香が引っ込んでいた。

次に問題になるのは年末年始のグランクリョで、その前に赤スレート土壌のフリューリングスプレッツヘンを開けたので、もう一息海鮮ものなどに合わしやすいスレートもののザールかナーヘのリースリングで良いかと思う。メニューを考えてみないと分からない。

暮れにもう一本開けるとなれば、上の二種類を開ければなんとか年を越せるであろうか。シャムペン替わりに軽く若い一本をそこに加えても良し。もう一度走るのでそれに缶ビールで飲み代はあり、それ以上は飲まないということでもある。

会計の〆で本年購入したワインの価格がやはり1000ユーロを軽く超えていることが分かった。平均を25ユーロとすれば40本になる。在庫は決して増えてはいないので、それぐらい消費していることになる。月に換算すると3.33で4本ならば話しが合う。週に一本は間違いなく明ける。シーズンに纏めて飲んでも若干増えるぐらいだろう。全体のアルコール消費量としてはまずまず健康的ではないか。

価格を落とすと結局量が増えるのは分かっている。つまり現在の味わいから落とすとなると飲むのもありがたく亡くなる。喉越しで飲むほどではないが現在十数ユーロするリースリングとなると、アルコール度も薄く一気に飲んで仕舞う。毎晩となると飽きが来て勿体無い。そういうものである。ワインと価格はとても興味深い。

年末調整で購入できるものは購入したいと思ってネットを観る。以前ならば音楽メディアなども購入していたが、中々これというものも見つからない。一月のシェーンベルクのオラトリオの楽譜も見たが60ユーロ超えていたのでその代わりにはならない。それ以前に年内に会計処理するような入場券類もあまり見つからない。年末の支払いは自動車保険とかそういうものもある。

ベルリンのデジタルコンサートの無料券の一部を溶かした。新年迄使える。その後一月前半分と更にその後の期限が1月15日迄なので、それも上手に使って出来るだけ先に使いたい。1月13日の「木彫りの王子」の生中継とそのアーカイヴ化、1月27日の生中継は観れないのでそのアーカイヴ、2月16日のシマノフスキ―協奏曲生中継迄が先ずは観なければいけないプログラムである。その後はバーデンバーデンの復活祭に移る。



参照:
暖かく且つ拘束感も無い 2019-11-06 | ワイン
反動で動き出す週末 2015-09-21 | 試飲百景
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明けるのか大晦日

2023-12-28 | 文化一般
大晦日にミュンヘンから世界に向けてオペレッタ「こうもり」が劇場サイトと独仏TVでは時差生中継でカウントダウンに合わせて放送される。この新制作はコロナ期間中に室内楽編成で為された「バラの騎士」に続いて、大ヒット制作であったシェンク演出クライバー指揮のそれをバリコスキー演出ユロウスキー指揮で塗り替えることになる。

新シーズンのプログラムが発表になった時にで出かける演目候補として印を付けたのだが断念した。勿論その序に立ち寄るところもなく、一月の旅行を考えると時間的にも余裕がない。その計画に比較すると全く重要ではないと見做したからである。

初日の晩に開放されていたトレイラーやメーキングヴィデオを観ると失敗しそうな感じであったのだが、初日の評判や批評などを読むと新体制になってから最も大きな喝采があったとしている。
Trailer zu DIE FLEDERMAUS

OBSERVATIONS: DIE FLEDERMAUS - Behind the scenes


敢えて詳しくは批評を読んでいないが、二人を交えたインタヴューを観ると、そのコンセプトと狙いは明らかで、如何に効果を上げるかだけである。個人的には何よりも音楽的な享受が無ければ価値がないので、先日のフラウエンキルヒでの演奏会は評価してもユロウスキー指揮でどこまでという不安は払拭できない。

そして指揮者自身もこの「こうもり」がそのカラヤンでもなくクライバー指揮によってなされたものであり、その流儀は自発的に見えながら実はよく計算されていたものであって、演奏者は皆同様にその奥義を明かしているという。まさしくミュンヘンの座付き楽団が2004年に亡くなる指揮者によって取り分け戦後に見捨てられていたこの作品を蘇生させたとなる。
J. シュトラウス:こうもり (C. クライバー, 1986年)【全曲・日本語字幕】


その最もの成功例がミュンヘンでのクライバー指揮であったことはその映像からも疑いの余地がないだろう。そしてそうした伝統を如何に繋ぎ乍ら、今日新たな制作とするか。それは同様のバリーコスキーにとっては「バラの騎士」よりも容易であることは納得できる。芝居的な作り方で台詞の会話に更なる意味掘り起こし、後につけられた台詞役の狂言回しを駆使することが可能だからだ。

しかしそこで話しの上手いユロウスキーの説明するのを聴いても短いセクエンスを観ても期待を膨らます程の情報は得られない。なるほどクライバー指揮を研究したことも、過去にグライボーン音楽祭でも経験があることは分かったのだが、モーツァルト並みの管弦楽法、リヒャルト・シュトラウスが学んだのはリヒャルト・ヴァ―クナーではなくてヨハン・シュトラウスからだいうのくを聴いてもなんだかなとしか思わない。
DIE FLEDERMAUS - Vladimir Jurowski und Barrie Kosky im Gespräch


現在YouTube公開中のシュトッツガルトの「影のない女」は二幕の終わりまで流した。歌手陣に関しては大きな劇場では声が届かない人が多数であるが、その分言葉のイントネーションを活かした陣容で、それに当てはまらない復活祭での大歌劇とは一線を画す。それ以上に深い奈落で音楽監督のマイスターは上手に鳴らす反面、飽く迄も歌手の表現力以上には管弦楽で語らすものはない。
Stream: Die Frau ohne Schatten | Staatsoper Stuttgart


この楽劇が難しいのはその分厚い管弦楽から音楽を引き出し切ることであり、如何に復活祭におけるペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーが記念碑的な音楽を奏でていたかが反面教師となって理解されよう。更にこの演出では観ていても到底核心には迫れないような気がしする。何が何だかよく分からない。まるで演奏会形式の意味不明である。
Festspielhaus Baden-Baden: Strauss: Die Frau ohne Schatten (Trailer)




参照:
戦後に初演された楽劇 2023-08-21 | マスメディア批評
注目する親子関係 2020-07-07 | 文化一般
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栄養満点のフルーツパン

2023-12-27 | 
果物パンは安くなかった。しかしクリスマス中楽しめた。そして栄養満点である。朝食の足しになるだけでなく、赤ワインにも良かった。ステーキ用に開けた2003年産のシュぺートブルグンダーで、今世紀のドイツの赤では指折りの完熟年度である。こうして気候さえよければブルゴーニュに劣らない。バリック三分の一新樽熟成も最早意味のないほどの自然な熟成となっていた。もう少し新樽率が高ければそれなりの深みが出たかもしれないが、食事に素直に楽しめて文句のつけようがなかった。ハーブ香もあり、未だに新鮮味も楽しめた。

壊れたカセットデッキの蓋を開けて調べた。予想通りメインの起動メカニックのVベルトが伸びて仕舞っていた。それを直せば元に戻る。カムなどが折れていないので、交換のベルトを準備すればよい。しかしメカニック部を外さないと交換が難しそうでよく調べてみないと手順が分からない。応急処置としてベルトを切断して短縮して瞬間接着剤で必要なテンションを獲得すれば直ぐに使える様になる筈だ。その為にはベルトを切断しなければいけないので覚悟しなければいけない。そして急いで使う必要がないので、応急処置でしかなく先々の修理の仕方で決断しよう。応急処置でも数年は使えるような気がする。ベルトは表面に傷などもなく経年変化もミニマムで比較的しっかりしている。四十年程使用している。

クリスマスの午前中に走った。腹いっぱい食べ過ぎ飲み過ぎで身体を動かしたかった。雨も止んで、陽が少し射したりした合間に片付けた。車庫に行く前に近所の電気親方オヤジと挨拶、引き返し点から谷に下りてくるときに自転車のオヤジと挨拶、帰って来て車庫入れの時に階下に住む男女ペアーに挨拶で三回も挨拶は結構多い。

日本でも新年の挨拶は面倒で、どちらかというとこちらでの殆ど宗教性のないそれの方が手軽に挨拶できるのだが、クリスマスは若干苦手である。特に明けてからのはなんとなく苦手なのは復活祭の挨拶も同じだが、それよりは少し気軽か。しかしどちらにしても日本の神道のそれが嫌で逃げてきている者にとってはやはり億劫だ。勿論教会にでも行ってしまえば共通認識でなんとも抵抗はないのだが、慣習になっているようなのが一番苦手なのである。

森では夜半からの強風で、寝室にいても被害が出ただろうと思っていたが、林道に一本若木が倒れていて、障害物越を余儀なくされた。流石に走ると快便で、その前に体重計に乗ると74.9㎏と限界域に近づいていたが、心身ともにすっきりした。これならばまた二日目に食べ放題が可能だ。それでも一日は新たなワインも開けることなく空腹気味で就寝する。身体を動かさずに過ぎると心臓にも堪える感じで全然健康的ではない。疲れたためかまた朝が厳しかった。空腹ならば早く起きれると思ったが必ずしもそうはいかなかった。

休み明けから今度は年末年始の準備で、年明けを計画しなければいけない。なんだかんだと忙しい。結局年末年始でゆっくりできるのは限られた時間しかない。以前はこうした祝日時には暇そうなときがあったのだけど何が一番違うかと考えている。これでスキーかどこかに遊びに行こうと思えばどうしても疎かになることも多い。



参照:
南独のもの北独のこと 2011-11-25 | 料理
カロリーだけでなく栄養も 2017-12-12 | 生活
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エントロピー制御の作曲

2023-12-26 | 
承前)10月21日に初演されたのはヴェルクミュラー作「シュリマーゼル」であった。翌日の(1時間16分から)演奏中継録音が放送された。初日のコンサートの三曲中この曲だけは言及は放送を待ってと思っていた。そしてその価値はあった。当日のメモは一行しか書き込まれていない。フリーイムプロヴィセーションとリズムの対比という意味合いだ。短縮してあって自身の前半の文字が読み取れなかったのだが、間違いない。

なぜこうなったかは明らかで情報量が多過ぎた。三部に分かれたタイトルが付けられた30分程の曲乍ら何回も録音を流さないと聴き取れない。勿論流していだけでも分かるのは、特に一部などは同じ指揮者エンゲルがドナウエッシンゲン音楽祭で2020年に初演した「ザブレードダンサー」などと似ていて、やや月並みな始まりである。エンゲルに言わせると「ボレロ」の様に始まってとなるが作曲家によると地震が起きる感じらしい。それどころかややもすると伊福部の「ゴディラ曲」みたいな展開をするのだが、そこからのイムプロヴィセーションはまさしく献呈している6月23日に亡くなったフリージャズのブレッツマンのそれを想起させ、より複雑なリズムの組み合わせへと進む。
Michael Wertmüller: The Blade Dancer (2020)

Ifukube Akira - Godzilla Medley

Peter Brotzmann Trio, Cheltenham 2-05-08


該当プログラムの他の二曲においてはジャズバンドと交響楽団や合唱との受け渡しが面白かったのだが、このヴェルトミュラーの作曲になると最早そうした奏法的な変化だけではなくて ― ビッグジャズにもクラシカルな奏法を要求 ―、ミニマル音楽でも重要な要素であったずれ感のような効果が時制の錯綜を生じている。

なるほど新しい音楽ではまだまだ音楽学的に新たな試みがあり、また反対に今年初めに聴いたような若干フルクス的な荒っぽい方法での伝統的な新しい音楽も創造されているが ― 今回の放送で初めて気がついたのだが、ヴェルトミュラーは故シュリンゲンジーフの2008年のガン闘病後の映画の音楽を担当していた ―、ここではそうした形式やジャンル的な制約を超えた新しい音楽の試みとなっていて、成功している。まさしくヘブライ語のタイトル通り、時制を超えた感情が迸り、部分間で大歓声を受けた要素でもあろう。

しかしそれゆえにこの複雑な構造は一度聴いたぐらいでは捉えきれなかったのも致し方ない。エンゲルもインタヴューで語っているように最初から最後まで気を緩めるところがない難曲となっていて、その効果が覿面だ。2023年に聴いた演奏の中でミュンヘンでのペトレンコ指揮クセナキス作「シェンジェ」が頂点だったと思うが、ボッフムでの三曲のプログラムはそれに匹敵していた。

こういうグルーヴする曲の場合、それに複雑な部分が連なると最早耳に入らなくなるとことがあって、何時も中々難しい。それは往々にしてビッグバンドやジャズのイデオムなどを入れ込むと決まっての傾向であって、ここにもエントロピーの法則が働く。そこでエンゲルが言及しているのも頂点を幾つも上手に作っているという意味合いでのその構成でしかない。その意味でこの作曲家は天才かも薬中かもしれず、そしてエンゲルはまさにそのドラマテュルギーを最初の譜面読みからしっかりと分析している。

エンゲルは殆どの作曲家との繋がりの中で指揮活動をしていて、特定の作曲家との仕事は数少ない。しかしこの作曲家とは音楽劇場作品を含めて今まで何度もの大成功をしていることからすれば、やはり相性の合う作曲家なのだろうと思う。



参照:
対象への認知の距離感 2023-10-08 | 音
生きているだけでいい? 2023-10-04 | 文学・思想
挙動不審者たちの巣窟 2023-10-03 | 歴史・時事
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AIに分からせるには

2023-12-25 | 文化一般
久しぶりに目が疲れた。理由は分からない。最近は眼の下の隈を修正する為に眼に回りの筋肉を鍛えている。それで調子はよくなってきている。眼鏡の為に悪くなってきた状況は一年以上掛かっていたのでそれなりの時間は必要だと思っている。可逆なものは大分あるだろう。少し原因らしきがある。

最近は就寝前にAIで画像生成させている。宣伝でタイムラインに入っていた小さな無料アプリケーションを使うことで「世界美女図鑑」を無料で日毎制限の四通り八種類まで試す。最初に見本に出来ていたのが、車中のバックパッカーの娘ということでニコニコしたブロンド娘で大抵の人には感じが悪くないカワイイ写真だった。先ずはその写真のプロファイル化を試みて、リヨンの生物系の学生でグルノーブル周辺通過中での写真とそれを想像した。

次にその想像したプロファイルを入れてみると大分違った。先ずは表情が固くて愛想がなかった。背景などは近かったが、顔つきももう一つだった。そうなると色々と試して美人を発掘しないといけないとなった。つまりプロファイルを作るのが味噌である。勿論無料版は動画ではなく写真であるから、どういう場面でどのように撮影された風にイメージするかが重要だ。春に試みた一種のポルノ監督と同じような作業になる。それよりは簡単だが、難しいのはこの場合は英語で的確に描き出す力が必要になる。

背景のどこから来たとかどこでとかの状況説明はそんなに難しくはない。難しいのは表情とか顔つきとかを書き出すことで、AIに分からせないといけないことだ。どんな表情を求めるかそれを考えるだけでも明白にこちらが把握するのも難しい。

また状況では少なくともこのサイトはノーヌードのようでビキニ指定でも生成されない。そこで色々と工夫をしてサウナとかヨガとかレオタードで肉体感を出せるようにした。そして民族人種的な設定は表面的には反映されるが、細かなところまでは難しく、眼の色や髪の色などはその都度設定しないと駄目であり、どこに文化的な設定の基準があるのかも分かりにくい。

セックスチャットとの関連では、確かに動画までこれで全て賄えるというのは可能であり、それに近いサイトもあるとも耳にした覚えがある。サイトの運営者にとってはサーヴァーをフル活用するならばそちらの方が儲かる。犯罪や搾取も発生しない。そしてお客さんも喜ぶ。

しかし実際に人に特別に惹かれるようなところはそうしたところではない。実はこれも音楽芸術にも当てはまるものでもあるのだが、あまり合理的な反応やピンポンだけでは成り立たないということだ。

例えば上の言語化のなせるものならばそれはそれで明確化されているのだが、そこ迄に至らない感情とか意識が生じていて、そうした表現の発露が芸術表現ということになる。そうした表現はたとえファジーな要素をアルゴリズムで加味しても方向性が定まらない。それがまた表現の形式感とは異なるものであるというのが重要であろう。

プロファイルの言語化自体もまさしく文学であるから、決して状況設定だけでは終わらない要素である。まだしばらく眼の下の隈が治りそうにない。



参照:
対象への認知の距離感 2023-10-08 | 音
社会文化的な意味あい 2023-12-10 | マスメディア批評
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見識に根ざした表現

2023-12-24 | 歴史・時事
週末に合わせて、水曜日に走っておいた。なによりも晴れ間があったからで、陽射しがあった。それでも気温摂氏8度ぐらいしかなく、薄く汗を搔いて逆に冷えたのかもしれない。今週は暖かったこともあり若干身体が安心したようで体温調整が上手く行かなかったかもしれない。色々と事務仕事で片付けたかったこともあったのだが、身体が重くて朝が起きれなかった。見ると冬至ということでなるほどとも思う。つまりこれから一日一日と陽が長くなる。

翌土曜日は買い物の最終日で朝早起きして市に向かった。8時25分頃が陽の出だったので、市から以前走っていた森に向かうとして、8時前に家を出た。幸い駐車スペースが開いていて、すんなりと目的の魚屋露店に向かって、魚のテリーヌとニシンの煮凝りを購入した。これだけで前菜として十分である。

そして今年初めて並びのパン売りの露店を覗くと半分切りがあったのでそれを購入、更に切ってあったフルーツパンを購入。合わせて9ユーロ超で、魚の5ユーロ超よりも高かったが、フルーツ6ユーロは仕方がない。

8時35分には走り始められたのも如何にすんなりと事が進んだかであるが、心拍数をあげないように166最高で沢沿いをゆっくりと往復した。それでも最後にダッシュをかけるとそれなりの運動になる。何よりも下半身から力を抜いて走れるので、坂の上り下りとは腸の活性化がまた違う。ただ帰宅時にはやはり心拍数が上がったので朝の運動はやはりあまり良くない。

新聞文化欄に75周年記念のRIAS室内合唱団がヘンデルを歌わないというのが目を引いた。読んでみると、予想通り旧約聖書の脱エジプト記からのオラトリオを通年ならば新年の演奏会で祝祭的に歌うのだが、その内容を精査すると「力による解放」ということで、現在のウクライナ侵攻、そしてガザやイスラエルでの市民への攻撃を鑑みると不適切だというのだ。それは一方的な力が働いているからということらしい。これは見識で、芸術とはそういう見識に根ざした本当の表現でなければいけない。

木曜日は21時からルールトリエンナーレの演奏会実況中継録音が流された。前日初日にボッフムのホールで聴いたものの二日目公演であった。まず最初の曲のソフィア・グバイドリーナの「レヴューミュージック」は貴重なもので、全曲録音としては唯一のものだろうと放送で紹介されていた。その一部はYouTubeにあって皆がそれを聴いていたのだった。

一部繰り返しになるが放送で指揮者のエンゲルが改めて話しているのは、1970年代にモスクワの新劇場の為に放送局から依頼されて結局劇場は完成しなかったようだが、当時の西側のレヴュー音楽を研究しての作品であった。その取り入れ方が見事なだけでなく、それでも最初と最後に教会の鐘やベルなどが鳴って、典型的に彼女の精神的な音楽と早い切れ替えが腕を見せていて指揮者自身にとっても大発見だったと喜んでいる。

またここでも単なる初演だけでなく、あまり顧みられなかった新しい曲の再演などでエンゲル指揮で歴史に残る演奏が繰り返されている。グバイドリーナファン必聴の演奏録音である。三回目のフランスでの演奏も録音が残されているのだが、一寸聴いた印象から初日から後やはり細部の彫塑が深くなっている印象がある。(続く



参照:
対象への認知の距離感 2023-10-08 | 音
Play Bigの新たな指揮者像 2023-07-20 | 文化一般
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高い環境への意識

2023-12-23 | 文化一般
木曜日19時からミュンヘンのフラウンキルへからの生中継があった。市役所の裏側の二つ玉葱の教会で、観光地ミュンヘンを体現する。

今年500周年を祝った催し物の最後を飾った。音楽監督ユロウスキー指揮でバッハのト短調ミサ曲が司教臨席の下で演奏された。二時間ぐらいの距離であったら出かけたかもしれない。プロテスタント音楽の家元のような大バッハがザクセン宮廷に就職活動の為に書いたカトリックのミサ曲である。

オルガンに合わせて音取りをしてテオルベやナチュラルホルンなどが活躍する。始まり前の挨拶で何故締めくくりに本拠の劇場ではなく、区画外れのこの教会で演奏するのかの説明があった。それは事の初めには当該楽団は宮廷だけでなく教会で演奏していたからだとして、当時のルッソーらが音楽監督であったということである。

そこで演奏された音楽はその後のバロック音楽ではあるがそれなりに配慮した絞った楽器編成で教会の音響がマイクを通して拾われていたのだが、音楽的には面白かった。

20時過ぎには番組が終わったので、なぜ早かったのかはもう一度内容を確認してみなければいけないのだが、ユロウスキーも21時から今度はケルンから中継録音が放送された指揮者エンゲルと同世代で、コンセプトに合わせて音楽を作ってくるところも共通している。そして二人とも美学を学んでいる。

こういう傾向がなぜこの世代に共通しているかは改めて考察するとして、この二人に共通しているのは新しい音楽を多く指揮していることで、勿論そうした音楽創作上のコンセプトだけでなく、演奏の場とかそうした環境への意識が高い。

例えばウクライナ侵攻後の露西亜人音楽家排除への反対アピールを前者が主唱して、後者も十番目ぐらいにサインをしていたことでもそれは証明されている。因みに長くご無沙汰していた後者からベラルーシでの釈放を求めての署名活動のメールが回ってきたことで久しぶりの関係が構築されたことも記憶に新しい。

さてそうしたコンセプトの上での演奏ではあるのだが、そこで決しておかしなことをやらず、イデオロギー的なことをそこで強調しないのもこの指揮者がバイエルン州の音楽監督に任命された所以である。その点もエンゲルも共通していて、決して音楽や演出を曲げるようなことはしない。

そこを例えば音楽劇場の演出などで考えて貰うと分かりやすいが、一時持て囃された音楽劇場演出などはまさしくその作品の歴史的背景どころか、その音楽の本質を無視してでも自らの主張の道具化するようなものが多かった。所謂レジ―テアターという悪い印象を与えた原因になったものである。

そしてそうした音楽表現もすくなからずあった。そして今も存在する。芸術音楽において、もしその様な枠組みでしか影響を与えないならば、そのような古典などは最早ゴミ箱にし捨てるか、エンタメに利用するしか役に立たないのである。



参照:
変わった指揮と座付き楽団 2023-10-14 | 音
ロマティック交響曲トリオ 2023-09-11 | アウトドーア・環境
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必然な歴史的な協力

2023-12-22 | 歴史・時事
チャリティー公演中継中にノーベル平和賞ノミネートが発表された。寄付金の窓口になっているイスラエルの女性の草の根運動団体二つである。翌朝のラディオ番組のインタヴューに答えている。それによると政治的にはユダヤパレスティナの各々の連邦を目標としているという。

10月4日にイスラエルでスペインなどの大使も参加しての大きな催し物があったようで三日後に虐殺事件が起きた。しかしその翌日からパレスティナとの連絡を再開していたと語る。そこにしか解決策はないのは明らかだ。

抑々ベルリンから行った若い娘らが殺害されたのもそうしたベルリン名物のラヴパレードを真似た催しものを狙った軍事行動でだった。そうした軍事行動に陰で資金援助をすれば、イスラエルも大軍事行動を起こすだけの切っ掛けが出来る。まさに日本の企業が安倍政権の下で軍事的契約を結んだ背景がそこにあった。

対決には解決も希望もないというのが水曜日の催し物の趣旨であり、ブレヒトの詩にもバッハマンのそれにもあるべき姿が示唆されている ― ノアの箱舟で最後にハトが葉っぱを咥えている、岸は近い。奇しくも故バーンスタインに纏わる映画がハリウッドで制作されているのも偶然ではないだろう。イスラエルの状況はなにもここ数年それ以前以上に悪化し続けていたので当然の帰着となっている。
Maestro | Official Trailer | Netflix


EUは難民対処に加盟国各国のより厳しい合意に取り付けた。ドイツ連邦共和国は歴史的に受け入れを制限できずに来たが、これによって節度ある受け入れと拒絶と同時に経済難民を避けて必要な人材の移民に同時に法を整備できる。

嘗てのバルカン半島でセルヴィア人によるアパルトヘイト政策は、欧州の陸続きでは二度と悲劇を繰り返させないとして、軍事攻撃へと決断を促したが、世界は広い。イスラエルのガザでのアパルトヘイトは予定通り虐殺へと向かっているが、そのような破局への状況の種は至る所に存在している。

先日残りのコーヒーを開けた。年末年始で楽しむためだ。エティオピアの西ショアという地域でバイエルン州の援助でダルマイヤーと新たにコーヒー栽培がなされている地域のようで、このコーヒーもまだ何年目ぐらいだろうか。確かに濃いのだが、若干粗さのような味わいは木が新しいからではないか。2013年から開墾から始めたようで、マラリヤなどの多発する地域で、貧しさからの脱却への産業となっている。近年百年間はコーヒー栽培をしていなかったとされる659キロ平米メートルの土地に年間平均1050ミリの降雨量があると記載されている。今年から商品化されたようで、中々ワインでも最初のリリースから試すことはそんなに多くないので、偶然とは言いながら面白い。

キャラメルとか、野生ハーブとか書いてあるが、やはりミルクを入れた方が良さそうで、場合によると砂糖もいいのかもしれない。忙しい時であるとじっくり試してみる余裕はないが、年末年始となるとチャンスだと思っている。それほど複雑な味ではないが、確かに手作り感の野趣に富んでいる。



参照:
大洪水の後で鳩は 2023-12-21 | 文化一般
感受性に依存する認知 2009-01-03 | 文化一般
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大洪水の後で鳩は

2023-12-21 | 文化一般
ベルリンからの生中継を観た。なによりも先々週深刻な体調を理由にベルゲンでキャンセルした指揮者キリル・ペトレンコが元気そうでなによりだった。当夜に定期公演のリハーサルを控えている八十過ぎのピアニストのアルゲリッチが盛んな拍手で迎えられてこれまた元気そうに音楽をしていた。前日のラディオ放送でチェロ主席のクヴァントはベルリナーフィルハーモニカーにイスラエル人が何人いるかということを質問されて、従兄弟さんが誘拐拉致されていた首席ヴィオラ奏者のグロースと今回演奏する辞めたコンサートマスターのブラウンシュタインを挙げていた。ユダヤ系の奏者は何人かいる筈だが、二重国籍でもなくイスラエル国籍は限られるのだろう。

そのアミハイ・グロースと支配人ツェッチマンへのインタヴューが水曜日に流れていたが、毎日一回の食事、そして週一回のシャワー以上に酷かったのは家族の安否が分からないということであったと語っていた。そして今回のチャリティー公演への主唱者となっていた。社会の要求は10月7日のイスラエル市民へのハマスによる虐殺攻撃事件直後に始まっていたが、やはり極東旅行中の親戚の釈放などを契機として比較的短い期間に計画された実態は支配人のWhatsappグループによるオーガナイズということに表れている。

そして最後まで小さな変更はあったようで、今シーズンのレジデンス音楽家に選ばれているリサ・バティシュヴィリまでが飛び入りで出てきていた。コロナ期間中には馬鹿な音楽家たちと連邦政府に補償金を求めるということで大臣に名指しで叱責されていたが、その後のウクライナ侵攻で同様の被害者となったジュージア人としての主張に続き、今回も減点を少しは回復したと思う。

なによりも終曲のブルッフの「コルニドライ」は原曲のチェロでミュンヘンのヘルマン・レヴィ記念の際にペトレンコ指揮で聴いたが、今回はその楽器へのアレンジも異なり、とても素晴らしい感動的な演奏になっていた。しかし、決してシェーンベルクが批判したような絵にかいたようなユダヤ趣味にもなっておらず、ソリストとの深い協調作業が伺われる。それゆえにだろうグロースの演奏も決してヘブライズムや浪漫的なシオニズムのパトスとなっていなかったことをとても評価したい。そしてペトレンコがグロースに与えた音楽的な意志はとても甚大だったと思う。日本公演ではこうしたペトレンコの音楽的な大きさが一つも述べられていないが、その芸術性やユダヤ人としての偉大さは最早歴史上の人物に近いと思う。

そのフィナーレ前に女優のマルティナ・ゲデックによる朗読が最も心動かされた。最初にナチによって亡命を余儀なくされていたブレヒト作「来るべき者に向けて」と題する三部からなるデンマークの土地に因むスヴェンボール詩集からの詩である。それに続けてバッハマン作「洪水の後にが」読まれる。その二つで意味するものはとても大きい。それを聞いて在ベルリンイスラエル大使は何を考えたのだろう。ここにこの催しものの全てがあったと思う。

木曜日は、9月のボッフムでの演奏会から長大なステンアンデルセンのトリオを除いて、二日目の演奏中継録音が西部放送協会から流される。これも初日しか聴いていないので金曜日でより発券状況の進んでいた二日目がどのようになっているのか楽しみである。より大きな反響があったのではなかろうか。特に二曲目はユダヤ人の心理的な感覚に深くかかわる新作の世界初演だった。今年亡くなったジャズパートナーのペーター・ブレッツマンに捧げられている。


BERTOLT BRECHT
AN DIE NACHGEBORENEN

1

Wirklich, ich lebe in finsteren Zeiten!

Das arglose Wort ist töricht. Eine glatte Stirn
Deutet auf Unempfindlichkeit hin. Der Lachende
Hat die furchtbare Nachricht
Nur noch nicht empfangen.

Was sind das für Zeiten, wo
Ein Gespräch über Bäume fast ein Verbrechen ist
Weil es ein Schweigen über so viele Untaten einschließt!
Der dort ruhig über die Straße geht
Ist wohl nicht mehr erreichbar für seine Freunde
Die in Not sind?

Es ist wahr: ich verdiene noch meinen Unterhalt
Aber glaubt mir: das ist nur ein Zufall. Nichts
Von dem, was ich tue, berechtigt mich dazu, mich satt zu essen.
Zufällig bin ich verschont. (Wenn mein Glück aussetzt
Bin ich verloren.)

Man sagt mir: iß und trink du! Sei froh, daß du hast!
Aber wie kann ich essen und trinken, wenn
Ich es dem Hungernden entreiße, was ich esse, und
Mein Glas Wasser einem Verdurstenden fehlt?
Und doch esse und trinke ich.

Ich wäre gerne auch weise
In den alten Büchern steht, was weise ist:
Sich aus dem Streit der Welt halten und die kurze Zeit
Ohne Furcht verbringen
Auch ohne Gewalt auskommen
Böses mit Gutem vergelten
Seine Wünsche nicht erfüllen, sondern vergessen
Gilt für weise.
Alles das kann ich nicht:
Wirklich, ich lebe in finsteren Zeiten!


2

In die Städte kam ich zu der Zeit der Unordnung
Als da Hunger herrschte.
Unter die Menschen kam ich zu der Zeit des Aufruhrs
Und ich empörte mich mit ihnen.
So verging meine Zeit
Die auf Erden mir gegeben war.

Mein Essen aß ich zwischen den Schlachten
Schlafen legt ich mich unter die Mörder
Der Liebe pflegte ich achtlos
Und die Natur sah ich ohne Geduld.
So verging meine Zeit
Die auf Erden mir gegeben war.

Die Straßen führten in den Sumpf zu meiner Zeit
Die Sprache verriet mich dem Schlächter
Ich vermochte nur wenig. Aber die Herrschenden
Saßen ohne mich sicherer, das hoffte ich.
So verging meine Zeit
Die auf Erden mir gegeben war.

Die Kräfte waren gering. Das Ziel
Lag in großer Ferne
Es war deutlich sichtbar, wenn auch für mich
Kaum zu erreichen.
So verging meine Zeit
Die auf Erden mir gegeben war.


3

Ihr, die ihr auftauchen werdet aus der Flut
In der wir untergegangen sind
Gedenkt
Wenn ihr von unseren Schwächen sprecht
Auch der finsteren Zeit
Der ihr entronnen seid.

Gingen wir doch, öfter als die Schuhe die Länder wechselnd
Durch die Kriege der Klassen, verzweifelt
Wenn da nur Unrecht war und keine Empörung.

Dabei wissen wir ja:
Auch der Haß gegen die Niedrigkeit
Verzerrt die Züge.
Auch der Zorn über das Unrecht
Macht die Stimme heiser. Ach, wir
Die wir den Boden bereiten wollten für Freundlichkeit
Konnten selber nicht freundlich sein.

Ihr aber, wenn es soweit sein wird
Daß der Mensch dem Menschen ein Helfer ist
Gedenkt unsrer
Mit Nachsicht.



Ingeborg Bachmann
Nach dieser Sintflut, 1957

Nach dieser Sintflut
möchte ich die Taube,
und nichts als die Taube,
noch einmal gerettet sehen.

Ich ginge ja unter in diesem Meer!
flög‘ sie nicht aus,
brächte sie nicht
in letzter Stunde das Blatt.


参照:
BENEFIZKONZERT DER BERLINER PHILHARMONIKER, RBB Kultur vom 20.12.2023
人類共生を訴える声明 2023-12-16 | 文化一般
ユダヤの旋律「コルニドル」 2021-07-20 | 歴史・時事
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クリスマスに向けて

2023-12-20 | 
来春の切符を一枚購入した。楽団レシエクルの演奏会で、リゲティの13楽器協奏曲やピアノ協奏曲などをファウストらが演奏するので悪くはないかと思った。何よりも小さなところで良い席が安くがあったので購入しておいた。後半のモーツァルトを捨てても価値があるだろう。抑々この団体は未だ聴いたことが無い。プログラムも興味がなかったからだ。しかしどのような楽器でどのような奏法で演奏するのか興味がある。

実はSWRの次期首席に指揮者ロートが決まったことから、近所での演奏会が増えている。しかしマンハイムでのシェーンベルクの協奏曲は断念した。理由はペトレンコ指揮とは比較に為らないことは分かっているからだ。そして同世代ということで、新しい音楽もエンゲル指揮のプログラムと被る面もあって、どのようなプログラムにしてもペトレンコとエンゲルの間に挟まれて、余程のプログラムでないと期待が出来なくなっている。そういうことで勿論エンゲルのSWR出演機会は減るかもしれないが、バーゼルの楽団にもう少し活躍してもらうと良いかもしれない。エンゲル指揮のバロック楽団はフランスなのでさてどうなのだろうか。

八月に購入したスイスのメルローを開けた。二本目で次にスイスに出かける迄は飲めない。20フランそこそこでボルドーやその他の甘たるいメルローとは異なりナッティな渋みと香ばしさが堪らない。これはスイスのイタリア語地域テッシンにしかない世界一のものだ。来年にでもミラノに出かけるとしたら途中で寄って買付するか。

クリスマスの買い出しが済んだ。いつもの栗ザウマーゲンはこれで取りに行けば問題なく出来る。あとはイヴ用に魚のテリーヌを市で買えるかどうか?その為の現金を下してきた、50ユーロあれば、これで一月の初散髪分も賄えるはずだ。するとそのあとはルクセムブルク、ベルリンに出かける前にもう一度現金を調達しておけば事足りる。

一月のマグデブルクの宿はダブルブッキングになっている。雪の状況がハルツ地方で問題ないと分かれば早めにキャンセルしておきたい。まだ二週間前ぐらいにならないと分からないだろう。明日ぐらいから暖かくなって年明けまでは何とかなりそうだ。

新年第二週にはシカゴ交響楽団の欧州ツアーのプログラムのラディオ中継があって、そして日が明けて演奏会に出かける。そのプログラムのグラスの曲、そしてメンデルスゾーンの「イタリア」、リヒャルトシュトラウスの「イタリアから」をお勉強しておかなければいけない。そしてなによりもシェーンベルク「ヤコブの梯子」である。その間のマーラー三番も見ておかないと、サロネン指揮ロスフィル以降聴いていない。

愈々水曜日は16時からチャリティーコンサートの生中継がある。地元ラディオ局で生ストリーミングもあるらしい。月曜日に情報番組で楽団長のシュテファン・ドールが、催し物のバランスを取る様に苦慮したとあった。そして政党性はないとして、寄付の受付のイスラエルの女性二団体もパレスティナとの間で苦労しながら友好的な関係を築いてきた団体なので間違いないと答えていた。



参照:
人類共生を訴える声明 2023-12-16 | 文化一般
デリケートな差異の吟味 2022-12-28 | 料理
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バーンスタインのメロドラマ

2023-12-19 | マスメディア批評
承前)レコードプレーヤーでマーラーの交響曲「復活」を掛けた。待降節であるから季節外れだ。音楽的シオニズムの具体例として詳しく聴いていくつもりでいた。しかし二三回流しているうちに興味がどんどん薄れてきた。当該LPは1973年のエディンバラ音楽祭での演奏に因むもののようで、1974年制作になっている。最近の関連映画でこの演奏が話題になっていて、この録音はケムブリッシヤーのイーリー聖堂で行われていて、なるほどヴィデオが復興されてYouTubeに上がっている ― そこでカナダの指揮者ネゼセガンがサウンドトラックを指揮しているトレイラーも流れている。

映像も録音も制作編集されている訳だが、その音響から独特な音響で行われていることは分かり、映像もじっくり観てみないといけないと思った。因みにイーリー自体も郊外で田舎町の小さな聖堂なのだが、ケムブリッジのキングスカレッジのクワイヤーなどが録音していたり、小さな音楽祭が開かれたりしていて、出かけたこともあった。そこでなにかオルガン録音のCDのようなものを購入したが探してみないと分からない。

この録音については以前にも触れていて否定的な反面教師面が多かった。一般的な批判点は早くからどこからがマーラーの音楽でどこからがバーンスタインのものかが分からぬという点があって、これの具体的な指摘が意外に困難なのは、バーンスタイン指揮演奏が細部においては楽譜とその内容を忠実にクローズアップしていからで、批判し難いからだ。しかし、そうすることで、クローズアップから引いた時に何事が起こっていたか分からなくなる。要するに一種のモンタージュ映像のような演奏になっていても全体が繋がらない。

特に復活交響曲においてはメロドラマ形式が曲の基本構造になっていて、次の瞬間への繋がりが聴かせどころとなるのだが、その細部への拘りが悉くその転換に影響することになっている。バーンスタインにとっては、マーラーの創作における形而上のトランスするところが全てであり、それがバーンスタインにとっての世界観そのものであった。

しかし、帝国歌劇場の音楽監督でありカトリックに改宗していた作曲家にとってはやはりあくまでも交響曲の伝統とそこからの逸脱は創作であり、そしてその現実の世に作品を問うていることから、芸術としてのバランスがとられていた。

そうした創作の内面を最も上手に表現しているのが、やはりLP時代の決定的名盤であったメータ指揮ヴィーナーフィルハーモニカーの演奏だろう。今回もバーンスタイン指揮の当該のLPボックスとこの名盤を変わり替わりに針を下ろすとその差異があまりにも明白だった。恐らくこのLPは20世紀後半に録音されたヴィーナーフィルハーモニカーの演奏として頂点にある歴史的な演奏だというのが分かる。そもそもヴィーナーフィルハーモニカーで数限りなく経験した生演奏で聴いた演奏でベーム博士指揮以外では、ホルスト・シュタイン指揮とメーター指揮に匹敵する演奏はなかった。

端的に言えば、バーンスタイン指揮の音楽はアングロサクソン的というよりもブロードウェー的でアメリカ的というのに尽きる。その作曲は東海岸の文化として高い価値を持つかもしれないが、その指揮の亜流の幾多のイスラエル人指揮者のそれらとともに歴史的には恐らく顧みられることはないだろう。同じ大衆化の二十世紀の音楽文化としてもやはりカラヤン指揮のそれとは異なる。(続く)
Leonard Bernstein, LSO - Mahler: Symphony No. 2 in C Minor "Resurrection", V. Finale (Excerpt)

Leonard Bernstein: Mahler - Symphony No. 2 “Resurrection”, I: Allegro maestoso [1/5]

Bradley Cooper conducts Mahler’s Second in Maestro | Netflix

How Yannick Nézet-Séguin taught Bradley Cooper to conduct like Bernstein | Classic FM




参照:
交響する満載の知的芸術性 2013-04-03 | 音
真正ハイカルチャー 2022-05-29 | 音
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BePhil番組をネット鑑賞

2023-12-18 | マスメディア批評
11月のベルリナーフィルハーモニカー日本公演からBePhilのフジTVの番組を観た。ネットでオンデマンドしてあって、VPNを中継させることで観れた。CMはカットされているので内実40分に満たないのだが、それなりに見応えがあった。

BePhilと称するフィルハーモニカーが日本で集ったアマチュア―音楽家を97人を集めた楽団にフィルハーモニカーが加わって、ペトレンコもたった一夜の演奏会の後半を指揮するという企画である。1200人もの応募から厳選されただけのことがあって、大編成で立派な演奏をしていた。

番組自体は日本人の好きそうな音楽人生物語となっているが、参加者各々のエピソードを上手に編集して纏めていた。幾つもの様々な取材からこちらも厳選されていたのだろうが手慣れた作り方である。

うなぎパイの販売の情景とか小児科医の病院演奏会の風景とかは誰が観ても其々の音楽との繋がりがよく分かるものである。ペトレンコ自身も珍しく音楽との関りについて短いインタヴューを披露していて、この企画の真髄を語っている。

音楽的に気がついたのは、やはりユース楽団とは異なって瞬発力はないのだが、その編成も相まって重さもあり、なによりも若干イスラエル的な粘りがあった。浪花節に為らないのは指揮が違うからだろうが、やはり日本的な音の出方だと感じた。

勿論ペトレンコはそれにも馴染みがあり、総合的に大変満足だったと思う。なによりもカメラに捉えられる表情はいつもと同じで音楽の表情を其の儘伝えていて、客席に魅せるものではない徹底したものである。嘗て無表情での指揮を試してたことがあって全く上手く行かなかったことなどを語っているが、それら試行錯誤の全てが現在に繋がっている。そしてやはりここ二三年でも指揮に無駄が無くなってきている。

陽射しが燦燦と輝いている。早朝は冷えただろうが、こういう日は室内で温もれて一番気持ちがよい。そしてクリスマスそして年が開けてこうい陽射しがどんどん増えてくる。雪が積もればそれはまた美しく、一歩一歩春に近づく。待降節は春を待つ節でもあるのだが、本年は早くも好天となった。11月の暖房は比較同規模のアパートで607kwhのところが353kwhしか消費していない。11月上旬は使っていないので安心はできないが、その分を概算補正しても月500kwh程にしかならない。因みに2013年に2460kwhとなっているので、残り最長四カ月としてもそれを超えることはないだろう。これだけ陽射しを活かせるようになれば此の侭冬籠りしないでもいける。この春の感じでは大分抑えられたと思う。

クリスマスには暖かくなることは多いのだが、こういう陽射しが射すのは珍しい。それだけ空が乾燥しているということだろう。放射冷却が起きても陽射しが強いならば以前のように北側の寝室に籠る意味は全くなくなった。やはり、こうなったのも窓掃除だけでなくて、気候変動が大きいと思う。以前はこういう傾向はあまりなかった。



参照:
ライフ・ウィズ・ハーモニー~夢の共演 ベルリンフィルと97人のアマチュア奏者~, 配信終了日:〜2023年12月30日 15時59分
喜びの2013年通知簿発表 2014-10-17 | 生活
資料整理の枝払い 2023-12-12 | 雑感
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