ハイドンも流石に当代切ってのハイドン指揮者だけあって、その(創世論に関してもの)ユーモア感覚やベルリンのフィルハーモニカ―の弾かせ方も的を得ていて気持ちよい。本当にそれが幸福というもので、それがライフスタイルというものなのである。やはりこの指揮者とこの楽団の演奏は制作録音しないといけない。今回も欧州中で多くの客演をするのでその準備は出来る筈だが、儲からないのでその心算などは無いのだろう。
Sir Simon Rattle rehearses Haydn's Creation with the OAE
In Rehearsal: Simon Rattle and the Berliner Philharmoniker (Haydn: Die Jahreszeiten)
日本でペトレンコ指揮「ルル」のDVDが発売となっていて、そのフロントの舞台写真の光景は記憶に無かったのでがせねたかと思っていた。しかしベルエア―の発売で本物らしい。同じような映像はARTEで流れたものなどメディチTVなどのクレディットがついているものが沢山あるが、なぜ今「ルル」発売なのかは分からなかった。
Kirill Petrenko conducts the final scene from LULU
第1曲はそのもの「ドリーム」で、3曲目の「アメンシュ」はドイツ語だが英語の不定冠詞がついているイディッシュ語のようだ。アメリカのアクションアーティスト、スティーヴ・ベン・イスラエルに捧げられている。ラグタイムやジャズ即興風がまたとてもユダヤ風だ。前半最後の「失われたイリュージョン」が一番素晴らしかったが、英国のピアニスト、イアン・ぺースの委嘱作となっている。
Steve Ben Israel & Baba
後半は、最前列で一緒に聞いていたレヴィットが今度は壇上に上がる。上体を屈めた姿勢が印象的だったが、ペダルを含めてとても拘りのピアニストだった。流石に作曲家のピアノとは楽器が変わったかと思わせるほど違うが、この春に先行してキリル・ペトレンコと共演したカナダのアムランなどと比較するとピアノの名手であるよりも拘りの音楽家であって、少しピーター・ザーキンをイメージさせた。なるほど「ドイツのピアニスト」としては、ブッフビンダーやシュタットフェルドまでを含めた中で、第一級の名人であることは間違いない。キット・アームストロングなどとは違って完全に完成しているのも全く異なる。
Igor Levit - Rzewski's Variations (Gramophone Classical Music Awards 2016)
FREDERIC RZEWSKI The People United Will Never Be Defeated! Pt.1/5
Hamelin - Rzewski:The people united will never be defeated!
それでもフィナーレ第8曲のフォークソングのウッディ―・ガスレーの「ウェークアップ」などでの変奏などはとても見事だった。後半最初第5曲目の「ベルズ」の鐘の余韻のような響きの制御も聞かせどころで、勿論リズム的な精査が流石である。第6曲目の「蛍も」黒澤のそれを印象させるが更に心象世界は広がっていて、中々怖い曲だ。第7曲の「廃墟」もトレモロなどが多用されるがより対位法的にも複雑になっていて全曲の集大成のようになっている。このような曲のこのような演奏を聴けば、この作曲家のピアノ作品がこうして一流のピアニストで弾かれるべきなのも分かり、この若いピアニストがこの作曲家に傾倒したのもよく分かった。そして二部はハイデルベルガーフリューリングなどの委嘱で2015年初演のレヴィットに献呈されているとは知らなかった。
Woody Guthrie - Wake Up
暴言を吐いた人物が、ドイツからのまたはオーストリアの旅行者なのかまたは東欧からのそれなのかも分からないが、少なくとも連邦共和国民ならもしかすると滞在地での法の隙を知っている法律家なのかもしれない。典型的なAfDの支持者層であり、二流指揮者クリスティアン・ティーレマンらのPEGIDAも皆同じ穴の狢である。そしてこのようなことが合衆国でもなく西欧で発生することは恥でしかなく、ヴァージニア州知事のように「恥じろ、出ていけ」 ― Schäme dich!Raus!と叫ぶべきなのである。実際その場にいたら、言葉が出なくても、少なくとも大切な証拠となるVIDEOを回す位のことは出来るではないか。
Virginia governor tells white supremacists to ‘Go home’
Golda Schultz @SchultzGolda 4. Aug.
Just #thankyou #petersellars for helping me find the #beauty in the #pain #clemenzaditito #GoldenMoments #blessedbeyondmeasure
やはりザルツブルク音楽祭の「ティートの寛容」は本当のイヴェントになったと思う ― 何十年ぶりのことだろう。そしてこの公演だけは最初から唯一注目されていたプログラムだった。ピーター・セラーズのインタヴュー等は見ていないが、とても今日現在をその透徹した芸術的な視線で制作しているからこその成果で、合衆国が世界が良く見える舞台だった。当然のことながらトーマスをザルツブルクに推薦したのはセラーズに違いない。するとその演技を歌を度外視にしてもう一度見てみなければいけない。そもそもここではあの三流の音楽を消して耳を塞いでオペラ鑑賞しなければいけないのだ。3Sat放送分をもう一度落として比較してみよう。
La clemenza di Tito 2017
しかしこの5月25日の新制作公演は、初日からとても評判が高く、その新聞記事の内容も覚えている。それでもバイロイト体験する前であるから、なぜこの曲がケント・ナガノ指揮で演奏されなかったのかと残念に思ったぐらいだった。ケント・ナガノ指揮ならば出掛けていたかもしれないということになる。今手元にあるのは、DLした4.93GBの5月31日上演のストリーミング録画である。音質的にはもう一歩もの足りないので、生で体験できていない分を埋め合わせることは叶わない。
Prelude of Bernd Alois Zimmermann's DIE SOLDATEN - conductor: Kirill Petrenko
クリーゲンブルクの演出も上出来で、また主役のバーバラ・ハンニガンも素晴らしく、誰がその代わりに歌えるのかも想像つかない ― 本日朝のラディオではルールビエンナーレでのメリザンドの歌唱と演技が評価されていたが、女性の非をも扱っている演出としていた。ツィンマーマンの戦後の多層的な音楽は、指揮者オクサーナ・リニヴをアシスタントとして高品質な演奏が繰り広げられている。新聞批評にあったように「そのシーズンにあった(世界のオペラ劇場での)新制作とは距離を置いて断トツの上演だった。」というのはとても上手に表現されていたと思う。要するに座付き管弦楽団がこの作品を演奏する場合の模範的上演ということだろうか。今回は、トレーラーにあるのと同じゲネラルプローベ時の映像などが新たに見つかったので、再度全曲を流してみた。
Kirill Petrenko conducts the final scene from Bernd Alois Zimmermann's DIE SOLDATEN