Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2010年6月

2010-06-30 | Weblog-Index



みっともない未開な文化 2010-06-30 | マスメディア批評 TB0,COM0
身丈にあうものを選ぶとは 2010-06-29 | 女 TB0,COM0
言わずもがな、波打つ眼窟 2010-06-28 | 試飲百景 TB0,COM0
中途半端な印象の大韓民国 2010-06-27 | ワールドカップ06・10 TB0,COM2
疲れが溜まる夏至のあと 2010-06-26 | 暦 TB0,COM0
クレージーでそれほど悪くない 2010-06-25 | ワールドカップ06・10 TB0,COM0
本能に従って進むもの 2010-06-25 | 料理 TB0,COM0
一寸走って、身体を解したい 2010-06-24 | 生活 TB0,COM0
夏至明けのブランチ狂想曲 2010-06-23 | 暦 TB0,COM0
ビザンチン十字架のお守り 2010-06-22 | 文化一般 TB0,COM0
思う存分飲み食いしてみろ! 2010-06-21 | 生活 TB0,COM0
ついでに注文した電池 2010-06-20 | 雑感 TB0,COM0
戦犯探しに熱心な国民性 2010-06-19 | ワールドカップ06・10 TB0,COM4
体を痛め易い人、痛め難い人 2010-06-17 | 雑感 TB0,COM0
医療現場の芸術の素材感 2010-06-16 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
スカンポンなカメルーン西瓜 2010-06-15 | ワールドカップ06・10 TB1,COM0
シティーでの雨降りシャワー 2010-06-14 | 生活 TB0,COM0
陶酔の中で和声学を学ぶ 2010-06-13 | BLOG研究 TB0,COM0
社会史は天災を忘れない 2010-06-12 | ワイン TB0,COM0
ライン河の辺の湖にて 2010-06-11 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
人柄が表れる発送確認メール 2010-06-09 | ワイン TB0,COM0
フランス風な響きのある生活 2010-06-08 | 生活 TB0,COM2
ぱりぱりとした朝飯前の運動 2010-06-07 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
小恥ずかしい音楽劇仕分け法 2010-06-06 | 音 TB0,COM0
狐につままれたような気持ち 2010-06-05 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
批判精神無しに何を語っても 2010-06-04 | BLOG研究 TB0,COM2
暫らくご無沙汰しているうちに 2010-06-03 | 女 TB0,COM0
普通の国のまともな大統領 2010-06-02 | 歴史・時事 TB0,COM0
独社会を写す大統領の嫌気 2010-06-01 | 歴史・時事 TB0,COM0
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みっともない未開な文化

2010-06-30 | マスメディア批評
あれだけ戦略的にみっともない試合するなら、なにがなんでも勝たなければいけなかった。真珠湾攻撃の様にである。今日は最初から選手の顔付きが太平洋戦争で犬死した玉砕集団の様になっていた。PKでの失敗を攻めるべきではない。攻められるべきは、なすすべのなかった敗軍の将であろう。玉砕するならもっと格好良く散るべきだろう。そもそもPKなどに勝算など存在するものか?仁王立ちにオリファー・カーンが護っていればその威圧感だけでお守りにもなるだろうが。

戦略的に徹底出来なかったのか、とても困難があったのは想像出来るのだが、ギュンター・ネッツァーが予想する様に、このような試合をしていたのではパラグアイがスペインやポルトガルに勝てる訳がないのは素人にも明白である。

「ワールドカップ史上最低の試合」を先のカメルーン戦に続いて更新した日本チームであるが、勝てば官軍であった。なるほど、中田や中村にかわって熱心に本田を売り込もうとした業界にも少しは冷や水を浴びせかけられるであろう。メルセデスでもなく、VWでもなく、アウディーでもなく、ホンダがあると言われたが、その六億円以上の価値は既に嘲笑が投げ掛けられる。

前回のドイツ大会よりも遥かに個人的な技術もチーム作りも、イヴィッチャ・オツィームから引き継いだ岡田監督によって進化したには間違いないが、これだけ勝てない試合を見せられると素直には認め難い。

「ヨーロッパ人の感覚からすると、なぜ岡田監督は指示を出さなかったのだろう」の疑問への回答は知りたい。

田中の本田への縦のパスなどが、「全く、未開なサッカー」と呼ばれてもそれは仕方ないであろう。

どうもサッカーにおいても、特にプロフェッショナル業界の商業主義が蔓延っている限り、まともな批評も批判も無く、そのサッカーと同じようにマスメディアは未開に留まるのは、全く他の芸術文化分野と全く同じでかわらない。「戦える普通の国」となるには先ずジャーナリズムがまともでなければいけない。


追記:TVを観ていたら独日協会で知っている顔が見えたが、わざわざ出かけたのだろうか。なるほどドイツチームはまだ残るので旅行の価値はあるだろう。しかしあんなものを応援していて恥ずかしくないかな?それとも皆で渡れば怖くない?

追記2:ネット投票で日本チームが世界を驚かすとかなんとかあったが、なるほどそのサッカーのあまりのみっともなさで世界を驚かしたと言うのだろうか?片腹痛い。ドイツ人も馬鹿だが、日本人はそれ以上に大馬鹿である。



参照:
なにもかもが安物臭い経団連 2010-01-24 | 文化一般
辺境のとても小さな人々 2007-04-11 | マスメディア批評
漂白したような肌艶 2007-04-02 | 暦
スカンポンなカメルーン西瓜 2010-06-15 | ワールドカップ06・10
クレージーでそれほど悪くない 2010-06-25 | ワールドカップ06・10
中途半端な印象の大韓民国 2010-06-27 | ワールドカップ06・10
戦犯探しに熱心な国民性 2010-06-19 | ワールドカップ06・10
駒野は悪くないよ (「断想」    _since 2004)
史上最低の試合? (FOOTBALL JAPANの社長ブログ)
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身丈にあうものを選ぶとは

2010-06-29 | 
今日は大変暑かった。朝早く、スーパーに行くと、注目の売り子の女の子がやってきた。プロポーションと言い、そのシルエットと言い、ドイツ女性にしてはなんとも不細工なティーンエィジャーなのだが、愛嬌だけでなくはにかむ雰囲気などの気立てで注目株なのだ。それが今日はまたまた綺麗になっているので驚いた。化粧などに時間をかける様になったのだろうか、艶っぽくなって、これならば直ぐに良い若い男が現われるだろう。上手くできたもので、先ずは一安心だ。思わず「綺麗になったね」と、いつもの様に声を掛けるどころだったが止めた。職場ならセクハラになるのかも知れないが、結構一寸した知りあいに思わず声を掛けてしまう正直な習性がある。基本的には、誰でもある程度の信頼関係があれば、褒められて悪い気はしないものだ。

レジに行くと今度は、同じような年頃のブロンドの女の子が座っていたが、見た目の悪くない彼女も結構ぼこい顔をしている。それが、この朝から暑苦しい日に、胸元を広く開けているものだから、此方もポロシャツのボタンを緩めて、鯉の様に空気を貪る。丁度、レジの角度というか、あれは具合が良過ぎる。しかし、その胸元は大きさの割りに全てが重力に素直過ぎて、折角の若さが失われてしまう様でいけない。この暑さで敢えてだらしない緩い格好をしているのだろうが、やはりブラジャーで形を整えるか、少々金を掛けても魅せて欲しいものである。若い女性にこそ、シェープアップ代わりに運動をして、身体も心も引き締めて欲しい。ボーイフレンドを差し置いて要らんこと言うなと叱られるかも知れないが、言うまでもなく私の目がそれを語っていたに違いない。

そんなこんなで、夕立が来るまでが今年で最も暑い日々になりそうだ。集中力も落ちてきたので予てから気になっていたザイルの注文の準備をした。先ずはおさらいで登攀ザイルの種類やメーカーのコンセプトなどを読んで勉強する。何よりも困っていたのは用途に合わせた製品の調達であり、その点は流石に伝統あるスイスのメーカであるマムムートなどの説明は、此方の知りたい、シングルロープ、ダブルロープ、ツィンロープなどの現状の使い方が細かく説明してある。結局、先ず一本を使うにはシングルロープの細手のものが一番都合が良いと確信する。アメリカのメーカーのものを買うと思うが、メートル当たり53Gは、六十メートルでも3.18KGにしかならないから、嘗てのラップトップ並みの重さとなる。五百グラムでも軽くしたいのが我々の感覚である。軽い登山靴の重量であり、道具類もそうだが、五百グラムの食料となると結構食べ甲斐がある。

一番の問題は、しなやかにしてある直径比35%の外皮率で、普段の石切り場でトップロープなどで使う消耗なのだが、直径九ミリで使い難いから、「しめしめ、使用を倦厭されるに違いない」ことも計算に入れている。兎に角、人のザイルばかりを使っていて「買え買え圧力」が強過ぎて、かたちだけでも買っておかないと人間関係上すこぶる具合が悪い。此方は、使い方が異なるので、奴らと同じようなニシキヘビのようなものを購入する必要がないのだ。どうもそこが分からない者もいるようで、「今にみていろ、首を長くして、待っとけ」というと「新素材とか特別なもの買うのと違う?」と見透かされた。私が購入するザイルは、一体どんなものが奴らにとっくりと拝まさせてやらなければなるまい。意外に価格差は、その重量差の大きさに比べて大きくないような気もする。二割方軽くなっても、二割も高くならないのである。
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言わずもがな、波打つ眼窟

2010-06-28 | 試飲百景
六千八百歩、六キロを一時間かけて歩いた。途中の三十分間に渡る登りもテンポを落とさずに登りきると結構良い運動になる。そこへ至るまでの下りも重めの靴でバランスを取りながら谷へ降りて行くので良い運動になった。どうしても早めに勝負をつけたいと思って平地コースを走ろうと言う気持ちが湧くが、そこはじっと我慢してジックリ歩く方が運動になる。

今日は昼から飲んでやろうと、ジャガイモを茹でポテトサラダの準備をしている。グリーンアスパラガスの入っているミニザウマーゲンに、先日購入した南ワイン街道のレープホルツ醸造所の新商品「ナッウーアシュプルング」を開けようと思う。

五月の講話会に参加出来なかったので、六月の終わりになってやっと出かけた。グランクリュの予約もあり、また先日の雹の被害が気になってその被害状況を訊ねた。親仁さんは、斜面の下の部分を中心に2.2ヘクタールやられたと語った。リースリング以外のブルグンダー種などが植えられている場所である。不幸中の幸いでカスターニアンブッシュやゾンネンシャインなどの一級地所は殆ど被害を受けなかったようで、先ずはリースリングの壊滅は避けられた。エゴで言わせて貰えば、ガンスホルンさえ問題なければあとはどうでも良いのだが、そのような顔はしないが経営状況を考えるとやはり被害は大きいであろう。

2009年産の話を伺ったが、氏に言わせると2009年はとてもミネラル風味豊かなリースリングが出来て良年だと言う。2008年の初めから開いていたものに比べて、将来が楽しみで、2007年産は2009年と2008年の中間ぐらいだとの評価である。

「昨年購入した2008年産のガンスホルンはまだまだ寝かしておきたいが、貝殻石灰のゾンネンシャインは飲み頃ですか?いつ飲みました?」

「此間も飲んだけど、良いよ。何だね、三年目までに飲むか、あとは五年以降に飲むかだよ」、

「谷ですね。四年目の」、

「穴だよ」。

なにせ此方の居所を知っているものだから、以下の話で警戒していたのだが、一寸はこれでそれが融けただろう。

「2009年産は香りが拡がらないようで、酸が弱いからか、あとに苦味もありますよね」、

「そんなことはないけど、家のはさ。ほら葡萄を浸けておくからさ」と、上体を少しそりかえって「我が醸造法」を語るのだ。

「それは分かてってますけど、この新しいのはド辛口で、以前の雑食砂岩カビネットとは違いますね。既に開いている感じがしますが、どうなるのでしょう?」、

「この二つはさ、片方が従来どおり果実風味で、もう一つはご指摘の様に塩味の辛口だから、それは今後も変わらないよ」、

「なるほど、味筋としては、ガンスホルンですよね」、

「ほぉ、そうだな」と眼鏡の奥がゴールのネットの様に波打った。

素人さんが勉強し過ぎると、加減を知らないものだから、玄人さんが困る。その反面、ここの醸造所を訪れる殆どが評価本頼り、ここにやってきて御茶を濁してブルグンダー種のワインなどを購入していることに、レープホルツ氏は内心ヘキヘキしているに違いない。金儲けであっても、職人としてはやはりそれではつまらない。2008年産のガンスホルンがまだ売れ残り、比較的日本などへと輸出されるのをみても、レープホルツのリースリングなどは本国ですらほとんど理解されていないのが証明されている。

ガンスホルンとピノノワールを一本づつ注文して、秋に取りに来る事にする。今年は二十年際のお祭りである。跡継ぎの息子がスケートボードで玄関でうろうろしているかと思ったら、試飲室に入ってくるので声をかけておいた。車のプレートを見たのだな、なかなかこいつ、親仁よりも勘が良いぞ。しかし、ドイツ語のブログならここまで直裁には書くまい。

「2009年産で、特にお奨めあります?」、その野暮な問いには流石に具体的に言及しなかった。言わずもがなである。それでも2007年産のムスカテラーに日本で舌鼓を打つ話を聞いて満足そうであった。こうしたオフの地域のエコ農業に転換した小さな醸造所にとってはこうしたお商売も大切である。

2009年の酸の質について触れたが、秋も十分に分解させることが出来、量感は変らないからと、あまりそれには配慮していない様子であった。



参照:
社会史は天災を忘れない 2010-06-12 | ワイン
気象温暖化の具体的な影響 2009-11-15 | アウトドーア・環境
6月27日は大事な日 (ドイツ日記 Les plaisirs et les jours)
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中途半端な印象の大韓民国

2010-06-27 | ワールドカップ06・10・14
オリヴァー・カーンは、韓国1ウルグアイ0を予想していたが、またもや予想が外れた。ウルグアイが最初から攻めるので何時まで続くかと語っていたが、韓国の護りの弱さを突かれたのだろう。

韓国人としては、システムは優れているのかも知れないが、「アジア人の遠慮深さ」と指摘される様に、嘗ての我武者羅な覇気のようなものを感じない。なるほど攻撃的なチームなので、戦略的に逆を突かれたのだろう。

敗北後のTV宣伝に現代工業の車が紹介されていたが、今一つパワーもなさそうで逆効果である。穿った観方をすれば、国自体がその成長を終えてしまって、大企業こそ世界市場で立場を築いたが、今後どれ程の可能性があるかはなんとも言えないのと、こうしたナショナルチームの感じと良く似ている。端的に言えばプラトー現象から伸び悩みで先が見えるどころか、先があまりないと言う感じだろうか。

韓国はEUにおけるポーランドのような立場をとることも出来ないのが苦しいところだろう。実際、流通している韓国製の商品も購買対象として比較審査をするのだが、それほど魅力的な商品もなく、未だに購入したことがない。その商業上のプラスアルファーで市場占有率を伸ばしているに過ぎないので、その商業的な対象とならない限り今後とも琴線に触れる商品はないだろう。

なるほど、韓国チームは勝ち抜いてきただけ強いのだろうが、もう一つ監督の試合への戦略などが明確に見えてこなかった。そこに敗因もあったのだろうか。そう言えば、ゴールキーパーの前へ後ろへの様子を見て、出るなら取る、さもなければ退くとどちらにもつかないのがキーパーとして何時も致命傷になると解説していた。
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疲れが溜まる夏至のあと

2010-06-26 | 
水曜日からの疲れが残っている。グッスリと寝たので早朝に目が覚めた。暑くなりそうな気配であったので、急いでパンを買いに行き、体解しに歩いた。第三のコースは全長5.6KMで、最初の部分は走れる。パンを買ってそこまで行くと体が目覚めてきたので、ゆっくりと走った。それでもいつもの距離を四分近くは走っただろうか。

歩数を補正すると七千歩である。つまり、一歩当たり八十センチとなる。恐らくその辺りが妥当な数字なので、再び歩幅を修正して入力する。一時間程歩いて、三百キロカロリーほどの消費である。

足の裏の当たりは大分良くなったが、ウエストバックを着けて走るとどうしてもバランスが狂う。下肢がこりこりになっている。腰から背中もこっている。贅肉は落ちるだろうが、徐々に疲れが溜まるといけないので少し怠けたい。

それにしても、ワイン地所では盛んに水やりなどの光景が見られるのだが、山の中は道が川になって入る場所がある。先日の嵐の時の雨か気温の変化による出水かは判らないが、かなり顕著な現象である。本日は夕立となったが、それほど今年は雨が降っていない。

来週はまた忙しそうなので、あまり飲む元気はないが手ごろな手持ちが無くなってきたのでワインを試飲してきた。
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クレージーでそれほど悪くない

2010-06-25 | ワールドカップ06・10・14
「特別な民族」と日本贔屓のオリバー・カーンの戦前の予想は完全に裏切られた。当然のことながらデンマーク勝利を予想したのだが、フランス、イタリアに続いて急遽帰りの飛行チケットを用意しなければならなくなったデンマークチームの状況に失望している。

川島を評して、「それほど悪くないゴールキーパー」で、右へ左へと執念深い姿勢に自らを重ねてか「クレージーなタイプだ」と語る。

セットプレーを十分に活かした日本チームに対して、加齢で遅いデンマークが負けたのは、八年前から成長し続けている日韓両国チームを観ていてそれほど驚かないと言う。

一つ目でのフリーキックでの(壁に居た遠藤?)のフェイントで、彼に言わせると最初の重心移動の方向で、― たとえ故障上りでなくとも ― 流石のデンマークの名人キーパであっても取れないと、その先行失点の心理的影響の大きさを指摘して、その後のキーパーの不安定感を説明する。二つ目のそれの真ん中に作っている壁では駄目だと解説する。また三つ目の失点に関しては、トーマス・ゼレンセン自体は経験も十分で良いキーパーだが、元々ロングシュートには難があったのだがと。

この独第二放送の長谷部へのインタヴューでは、ドイツ語の質問の「AUSSCHLAGEN」が判っていなかったのは仕方ないだろうが、なんだかんだとドイツ語を使って答えるのは立派なものである。

なによりも、尻上がりに自信を付けて来ている日本チームとクレヴァーな戦略が決まる岡田監督の顔付きが俄然立派に見えてくるから不思議なものである。四年前とは大分異なる。なるほど病に倒れた前任者の教育も活きているのだろう。



参照:
戦犯探しに熱心な国民性 2010-06-19 | ワールドカップ06・10
スカンポンなカメルーン西瓜 2010-06-15 | ワールドカップ06・10
本能に従って進むもの 2010-06-25 | 料理
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本能に従って進むもの

2010-06-25 | 料理
デンマーク産の豚肉ミンチを簀巻きにして食する。ワインは一昨日届いたナーヘのシェーンレーバー醸造所のグーツリースリングである。なかなか食が進みそうである。

葡萄地所を二千五百歩ほど二十分ほど炎天下の中を歩いて来た。今日はそれ以上する元気はなかったが、腹が減っている。

日本のネット情報によるとトヨタ社のテストドライヴァーがニュルブルクリンクの近くのドイツの国道で亡くなったと読んだ。テストドライヴァーとドライヴしたこともあるが、非常に安定したハンドル捌きや丁寧さを感じた。どうも今回の死亡事故は左カーヴで対向車が左から突入して来たようだ。一般道路であるから百キロ少々のスピードであるが、正面衝突となると死亡事故になる。しかし、正面衝突は大抵運転手が意識を失うなどの場合が殆どで、対抗車の運転手が死亡していないということは、BMWが上級クラスのものかトヨタ車があまりにも弱ったかの場合しか考えられない。寧ろテストドライヴァーの方に何か体調の異常があったのだろう。

車中のニュースでアウトバーンA61のルートヴィッヒスハーフェン交差で車運搬トラックとガスを積んでいたトラックが事故を起こして、ガスポンプが爆発して、一人死亡三人怪我と聞いた。更に爆発の危険性から全面的に閉鎖されていたようだ。その影響か近くの国道が渋滞していた。

ドイツにおける車の死亡事故は、ヘリコプター搬送のお蔭で減少していて、高速道路ではなかなか起きないと思われるが、一般国道は中央分離帯が無い分、上記した様に正面衝突の可能性は残されている。しかし、運転者に意識があれば本能的に回避をする訳で、トンネルの中ぐらいでないとなかなか死亡事故は起きない筈である。
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一寸走って、身体を解したい

2010-06-24 | 生活
先週に続いてかなりきた。岩登りは、軽く走るよりも、簡単に全身に効くことを再認識する。夜八時半に部屋に戻ってくる階段を登ると、まるで四十キロ歩いた後の様に、脚ががたがたになっているのを知る。十分に足で立てなくて、凹角を登った先週ほどではないが十二分に上体を使った筈だが、それでも特に膝から下がかちこちになっている。

腰から背中に掛けてもきているのは独特の姿勢で重労働をしたからだろう。登り続けた一本が長かったのもその理由だろう。一度も登ったことのない石切り場の手ごわい場所をザイルのトップで二本も登らされると全身に力が入りっぱなしになるのも仕方が無い。

正直、先週末からの運動の疲れが残っているのか、朝晩の冷たい空気の寒さが身体に応えているのか、身体に覇気が無い。太陽は気持ち良く注いでいるのでもう少し全身に力が漲っても良いのだがそうはならないのである。

しかし、二週間続けて技術的に限界域を探るような登攀を続けているので、このまま続けれると間違いなくグレードアップ出来ると感じている。一寸走って、身体を解したい気持ちが強い。
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夏至明けのブランチ狂想曲

2010-06-23 | 
夏至の夜は暗くなると起きてはいられなかった。雹の被害のあった南ワイン街道を夕方視察に行き、一寸試飲して、スーパーに寄って帰ってきた。

夜中に目が覚めて、再び夜明けと共に起き出した。全く予定はなかったのだが、涼しいく天気が良かったので万歩計を持ってパンを買いに行き、5.1KMを歩いた。登って下ってで、五千五百歩だったから、一歩の歩幅は平均92CMとなる。恐らくこれが正しいのだろう。すると先日の八千五百歩の走行距離は7,9KMとなり、道標にある8.2KMに近くなる。現在入力してある歩幅が65CMなのでこれを90CMに修正する。ということは、1500歩で歩く距離は1350M、そこを1100歩で走ると一歩の蹴り巾は1,35Mとなる。そこまで伸びているかどうかは疑問だが、下りなのできっと伸びているのだろう。

いづれにしても51分間をゆっくり登り下りしたので、十分に腹が減った。予想消費カロリー183キロカロリーを補給しようと、サクサクとしたパンで、レタスを挟んでの朝食を楽しみにしていると電話が鳴った。そうなるとなかなか食事にあり付け無い。次から次へとパンを急いで齧っている内に昼になって仕舞った。夜明けから休み無しである。

忙しい時は、なんら関連もなく皆忙しい。これも天候のためか。



参照:
思う存分飲み食いしてみろ! 2010-06-21 | 生活
ついでに注文した電池 2010-06-20 | 雑感
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ビザンチン十字架のお守り

2010-06-22 | 文化一般
写真は、1992年エバーバッハ修道院の屋根組み修理中に偶然見つかったビザンチン帝国の十字架である。二つの部分が中空になって溶接されているその中には本物の聖遺骨が納められたと考えられている。

表面の長いガウンを羽織った十字架のキリストの頭にはギリシャ語でXクリストュスと書かれ、太陽と月が図示されている。そして右手と左手の横に、其々マリアとヨハネが描かれている。そして後になって上部にANO1680が新たに書き加えられており。嵐のあとの修理時に棟上に納められ、更に66年後に発見された場所へと再び移されたと予想されている。

つまりこれはスペイン十字架と呼ばれる御神体を納めた霊験豊かな天災などからのお守りとして天井裏に収められたと考えられている。いずれにしてもこの青銅の十字架は、九世紀から十二世紀に掛けてのビザンチン文化圏でのそれであり、胸から下げてペンダントとして用いられたものである。

残る疑問は、この十字架がシトー修道会のエバーバッハへと持たさされたかであり、聖戦の時期にラインガウへと運ばされたと想像されている。
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思う存分飲み食いしてみろ!

2010-06-21 | 生活
本日は八千歩、走った分を補正して八千五百歩、朝飯前に走り歩いた。時間にして五十分である。気温は漸く二桁と肌寒いが、乾いていてとても気持ちが良い。実は本日二つほどハイキングのプログラムがあったのだが、ワイン祭りの通行事情もあって双方とも断念して、それ以上の集中した運動を目論んだ。つまり先日から始めた八百メートル走と、急坂登りを組み合わせた。距離も十分であり、帰ってきたら流石に腹が空いた。

気温のせいもあり起抜けから胃の具合がもう一つすっきりしなかったのだが、走り終わりごろになるとやはり腹具合が悪くなり掛けた。そして歩き出して息を整える内に腹具合は治った。目的どおり胃の周りの筋肉が作用しているのが良く確認出来る。最も息の上がる坂も運動靴で、既にウォーミングアップ出来ているので、今までに無く息を切らさずに上がれた。脈拍数も上がったまま百二十ほどで十分に安定している。そこまででまだ三十分も経っていない。歩数にして四千歩ぐらいだったと記憶している。

そこが最高到達点だから、そこからは全体に下りになるのだが、最初に走った疲れが足にも来ており、また全身の疲労感も少しずつ出てくる。参加しなかったハイキングでは二時間以上歩くと感じる疲労感であるので、十分に運動量が凝縮されている。心拍数はハイキングで上がる領域ではなく、これも遥かに効果が高い。その割に気候が良いこともあり、普段以上に汗を掻く事も無く、全く苦しさがないのがまた嬉しい。そしてなによりも心肺機能を高め基礎体力をつけながら、内蔵機能をも強化出来ているかと思うと大変得した気持ちになる。ハイキングに行けばなるほどわいわいと食事をしたりでそれはそれで楽しいのだが、運動量以上に飲食をして尚且つ疲れるので運動能力向上の為の効果はあまり高く無い。さらに電車賃も飲食代も入れると十五ユーロ近くなる。美味いワインが一本買える。

手に入れた万歩計には一日に三千歩歩けと書いてある。昔は一万歩と言ったが、なるほど痩せるのを目的とするならばそれぐらいのカロリー消費が必要であろう。しかし減った分だけ腹が空き、その分を食べるのであまり意味が無い。むしろ三十分ぐらいで脂肪が燃えて来て疲れたなと思う頃に止める方が良い。つまり、普通の歩調なら五千歩で十分だろう。歩数だけならば通勤通学する者は行き帰りで十分である。しかし、通常の範囲での脂肪太りなどは寧ろ食欲が満たされている分健康に近い。体重を落とせば健康に近いなどは全くの嘘である。誰だメタボリックシンドロームなどと好い加減なことを宣ったのは?

なるほど、先日医学部教授から貰った「医療カフェー冊子」には、代謝の説明が詳しい。しかしそこでもなんら医学的な結論は出されておらず、不健康状態の科学的解析をしたに他なら無い。実際それほど中年太りをした者は余程の田舎者ぐらいで、最近はそうした者は都会では見かけない。寧ろ都会生活者の問題は、身体を思う様に動かせ無い運動不足に拠る運動能力の低下にあるだろう。上記の冊子にもあるような高齢化の中での転倒や骨折の方が問題なのである。疾病と健康を二項対立させるのは間違いなのである。

究極的に重要なのは思う様に体が動くことで、思う存分飲み食い出来ることに他ならない。それが出来れば文句あるまい。悔しかったらやってみろ!定期検査をしようが、適性体重にあろうが老化すれば発癌もすれば動脈硬化も起こる。遺伝性の糖尿病も避けれまい。これが真実なのである。



参照:
思い切り食べ、思い切り飲む。生きる力としての欲望を我慢しない。 (ザ大衆食つまみぐい )
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ついでに注文した電池

2010-06-20 | 雑感
万歩計を譲り受けた。独テレコムが従業員向けの健康管理として配った物を譲り受けた。時が立っているので電池が上がってしまっていたからそれをネットで注文した。無事、電池交換が出来た。

早速、先日の筋肉痛をこなしにそれを付けて、いつもの往路を走った。千百歩である。復路が千六百歩であるから、歩幅を六十五センチとすると、片道九百十メートルの距離である。つまり走った時の歩幅が八十二センチとなるのでまあまあである。流石に一メートルは無理かも知れないが、もう少し歩幅を伸ばして、テンポを落としたいのだが、やはり左足の着地が上手くいかない。どうも姿勢が良くなくて、体が曲がっているに違いない。足元から矯正出来ないかと思っている。

心拍数は十分に上がったが、先日の筋力全開の登攀に比べると遥かに楽で、昼前で蒸し暑かったに係わらず薄っすらとしか汗を掻かなかった。これぐらいの負荷ならば、気が向いたら気軽に掛けられるのが、丁度良い体解しと、息抜きで宜しい。

注文ついでに切れていてなかなか見つからない電池を注文した。所謂ポケコン用の電池である。シャープのPC-1245と称する商品でBASICで小さなプログラムを書けるのが特徴であった。しかし、RAMが2.2キロバイトと限られており、それを保存するためにWAVによる磁気テープへの書き出ししかなかったので、それほど使っていない。寧ろ、関数計算をいれた電卓代わりに使おうと此方に持ってきたのだが、暫らくして電池が切れた。店頭で簡単にそれを購入することが出来なかったので二十年近く放っておいた。

そのお蔭でネットなどを見ると小さな液晶ディスプレーが駄目になるとかいてあるが、未だに完動品である。どのように使ってやろうかと考えている。購入した当時ならば技術計算などに使おうと思ったのかも知れないが、その後そのような機会も今考えればあったのだが、すっかりこうした物の存在を忘れていた。当時はPCもあまり一般的では無かったが、1995年以降はあまりこうしたものを使いこなそうと思う気持ちも失せて仕舞った。それでも電卓を使うことは時々あり、それならばこうしたものをもっと上手く使っても良いかと考えている。
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戦犯探しに熱心な国民性

2010-06-19 | ワールドカップ06・10・14
セルビアに連邦国チームは敗れた。オーストラリア相手に弱いもの虐めであまりにも滑り出しが良すぎたつけであろう。ZDFの解説のオリバー・カーンが言う様に、二人のポーランド人を非難するのは間違いであろう。

なるほど、サッカーは格闘技だと彼が話す通り、クローゼの攻めは正統的なものであろうが、二枚目の黄色で赤色の退場となると、やはりチームが動揺したようだ。その分を一人で背負ったポドルスキーが少しだけ力んでしまうのも仕方が無い。いつも思うのだが二人がポーランドチームにいればドイツチームがここまで勝てたかどうかも分からない。

シュヴァインシュタイガーの情けない敗者の弁を見ていると、如何にもドイツ人はその体格や強い時の圧しに比べて国民性は一度劣勢になると弱弱しい。なによりも、インタヴューに答えるレーヴ監督も顔色悪く、一度鍍金が剥がれると、その台所事情がそれほど余裕がないかが分かる。心理的なものが大きいチームプレーのスポーツに違いない。

毎度のことながら、負けると、国民が揃ってスペイン人のレフリーを挙って批判するところがまたまたドイツ国民の情なさである。兎に角、敗戦の戦犯探しに熱心な国民性であることは周知の事実である。



参照:
スカンポンなカメルーン西瓜 2010-06-15 | ワールドカップ06・10
コメント (4)
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死期を先に延ばす荒治療

2010-06-18 | 雑感
週末に末期癌の治療の現場の話などを聞いた。折角であるからそれについても触れたいのだが、もう少し資料などで勉強させて貰う。それでも最も興味を持っていた点である治療への希望というか、その意志は専門の外科医を通じて、患者のもしくは我々の生きる意志として十分に伝わってきた事だけを予め記しておいても良いだろう。要するに、外科的な処置で死期を幾ら伸ばすか、もしくはそのような面倒な処置をせずに予定通りの死期を待つかという問いかけであった。

先日ラジオで聞いたハノファーの移植外科の心臓手術専門医師の話題で、弁膜手術を最近は殆ど切り開く事もなく内視鏡手術で出血も少なく簡単に済ませてしまう方法があり、その問題が唱えられていた。要するに手術的には患者に負担をかけない合理的な進んだ手術法には違いないが実際には具合が悪くなったり、経年変化も激しいようでかなり危険性もある手術方法であるとの見解であった。外科手術には、患者への肉体的精神的負担が伴うが、実際には外科医に取っての負担も大きいようで、技術があればあるほど複雑な技術が要求されて長時間の手術が必然とされると言う実態がそこにある。

その反面、そうした高度な手術技術を持たない病院や医師は、予想通りの死期を ― 恰も自然死の様に ― 迎えることを患者に薦め、無駄な資金や労力の掛からない死を選ばすということにもなるようだ。それが最近身の回りでも増えており、特に肺癌などは膵臓癌などに比べてなかなかその死期が訪れないのは身近な例を見ていても実証できる。

そこで繰り返される議論が、麻薬などを使わずに同じような条件で半年の命を三年に伸ばせるとすればどうしますかということになるのだろう。
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