Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2020年6月

2020-06-30 | Weblog-Index


紫の華には猛毒が 2020-06-29 | 雑感
フランクフルトへと 2020-06-28 | マスメディア批評
マスク着用のあれこれ 2020-06-27 | 雑感
訪れた夜尿症の朝 2020-06-26 | 生活
アラテデスコの響き 2020-06-25 | 音
奈落拡大計画の実験 2020-06-24 | 文化一般
すわ、コロナ吐血か 2020-06-23 | 雑感
やっぱりガダニーニだ 2020-06-22 | 女
大司教区からのお達し 2020-06-21 | 生活
落ちてくる音楽素材 2020-06-20 | アウトドーア・環境
スイスイと滑るように 2020-06-19 | 雑感
テーブル予約をする 2020-06-18 | 生活
厚かましいネット配信屋 2020-06-17 | 文化一般
Muss es sein? Es muss sein! 2020-06-16 | 文化一般
差異を見極めて行く 2020-06-15 | マスメディア批評
お見通しの僕の思惑 2020-06-14 | 女
バルコンで過ごす準備 2020-06-13 | 生活
怖くないコロナ第二波 2020-06-12 | 雑感
薄氷の上での千羽鶴 2020-06-11 | 文化一般
手袋つけての館内移動 2020-06-10 | 文化一般
大胆不敵なヴィーナー 2020-06-08 | 雑感
植民地主義意識の開放 2020-06-07 | 歴史・時事
言質を取るということ 2020-06-06 | 女
コロナ対策でモーツァルト 2020-06-05 | マスメディア批評
ムジカヴィーヴァの経験 2020-06-04 | マスメディア批評
奈落を平土間へと拡張 2020-06-03 | マスメディア批評
デルジェスの音を堪能 2020-06-02 | 文化一般
中々エレガントな趣 2020-06-01 | 料理
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紫の華には猛毒が

2020-06-29 | 雑感
夜中に目が覚めた。それほど水分を摂った訳では無かったが、ヴァイツェンビーアも利尿効果に寄与したかもしれない。三時前だったのでその後は眠りが浅くなった。中々起きれなかった。最近は早起きしないでいい時は中々起きられなくなった。土曜日の放送が終ってから眠くなって、堪えられないようになった。夏の朝起きは早いのだが、夜起きていられなくなる時も多い。

朝起きして喉に若干の痛みがあったり、耳朶が瘡蓋状になったりと、やはり何かおかしい。夏風邪でもない。その傾向は二月から一貫していて、洟ぐずぐずなどは一度も無く、花粉症気味の時にくしゃみが出ていたぐらいだ。特に皮膚が乾くという事はないのだが、喉の感じも乾くという印象でもないのが特徴だ。

1973年7月「ばらの騎士」の中継録音放送全曲を聴いた。発売されている製品は7月13日となっているが、BRでは一切言及がない。当然編集はされている。既にネットにあった当該のSACD版を聴いていたのでその差は音響的な差だけかもしれない。比較していないので分からないがラディオ放送としてはそれほど悪くはなかった。しかし、オリジナルの磁気テープをデジタル化して読み込んでという再生ではないと思う。販売されているSACDを使ったと思われるが一度確認してみなければいけない。兎に角、放送で流れた演奏はそれなりに大劇場の音響と雰囲気を伝えていた。

演奏はやはりよかった。歌手陣は特に主役の伯爵夫人が1972年初日シリーズのギネス・ジョンソンでは無かったりと、今でもあるバイロイトやザルツブルクの音楽祭出演の都合でキャスティングが変わる。そのこともあって、同じ制作の再演が1979年に映像制作化されている。1972年のオリジナルキャストでの録音等は無いようで、1973年のオパーフェストのこの録音が記録として残ることになった。

なにが良いかというと、やはりカルロス・クライバーの指揮で、管弦楽も素晴らしい。再演の方は確認していないが、これだけ準備しての演奏は難しかったのではないかと思う。この演奏の即興的に思えるような演奏もその楽団の反応もみっちりと準備していないとついてこれないものだ。同時に本当に細やかなシュトラウス演奏の伝統が満ち溢れている。ある面、ここ数年間キリル・ペトレンコが同じ制作を再演していた時の演奏と多くの共通点さえ見つかるのである。これに比較される指揮はクライバーのそれでもあまりないように思う。確かにこの演奏を聴くと天才的な演奏行為で、フォンカラヤンの後任と目されていたのも良く分かる。

同じ座付管弦楽団での演奏会も経験したのだがここまでのヴィッドな反応は出来ていなかった。スカラ座の楽団でのオペラもこうしたしっかりした枠組みから食み出すようなその生命感と同時にスタイルの正統性というものまでは感じられなかった。やはりこの若い時期の指揮は特別に良かったのではなかろうか。

先週ザウワーランドの森で写した花はローターフィンガーフートと呼ばれる花らしい。どこでもありそうなのであまり気にならなかったが、毒性のある花らしい。食には適さない。致死性があるので触るのも良くないのだろう。なるほど紫でも珍しい色合いで、中の彩もけばけばしい。

バイロイトの管理局の新理事になったフォンヴァルテムフェルツ氏へのインタヴューが興味深かった。その任務の内容は、辞める取締役の後任人事と劇場の大改修の管理という。またそれに関連してカタリーナ・ヴァークナーの健康状態について、一時は生命の危険があって人工心臓によって持ち直したという事だった。そして個人的に話したという。そして生命力も回復していい方に向かっていると答えた。要するに心不全で危篤であったという事らしい。話した内容も何もないので、ICUで意識はあって反応は出来るという状態という事だろう。補助的な人工心臓かまたは心臓移植が出来るような病状かは分からないが、到底通常の職務には戻れないと考えるべき状況だろうか。

そこでインタヴューアーは、今後ヴァークナー家がいなくなるバイロイト祝祭劇場というのは考えられるかという質問をして、それに対してはヴァークナー家の誰かがいればそれ以上のことはないが、さもなくば第三者でと話した。また元祖音楽監督クルスティアン・ティーレマンの任期が切れるがの質問には、彼以上の経験がある指揮者が殆どいないのは間違いないが、それを決断するのは監督のヴァークナーであって、何よりも回復を待つしかないと再三に亘って繰り返されたことを再び補足した。要するに時期が来れば、今後の人事へと大きく舵取りがなされる。



参照:
フランクフルトへと 2020-06-28 | マスメディア批評
スイスイと滑るように 2020-06-19 | 雑感

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フランクフルトへと

2020-06-28 | マスメディア批評
金曜日の中止になったオペルンフェストの特番は面白かった。今回目玉となる1973年「ばらの騎士」と2006年「ラトラヴィアータ」の前宣だけでなくて、関連周辺話題にも振って如何にもオペラファンを喜ばせる内容だった。その一方でオペラオタクから玄人までに聞かせる番組内容になっていた。劇場も聴衆も地元のメディアもオペラを取り巻いてとても程度が高い。これだけの内容を消化できる街は世界に殆どないと思う。

よく考えてみれば、ミュンヘンの劇場の聴衆の玄人筋の割合は高く、その他の常連さんもとてもオタクだ。番組にもクナッパーツブッシュ指揮で舞台に立っていた人も番組に出ているのがまさにそれだ。

土曜日放送の「ばらの騎士」で世界に名を馳せたブリギット・ファスベンダ―の話しは何度も繰り返されている内容だったが、電話の向こうで話すのを聞くと同じ内容でも活き活きしてくる。指揮者のカルロス・クライバーとの最初の仕事はシュトッツガルトの劇場での「ばらの騎士」で脇役を歌った時で、その後1972年になってオクタヴィアン役に際して指揮者が受け入れたから印象は悪くはなかったのだろうと笑わせた。1961年からそこのメムバーとして殆どのシュトラウスのオペラを歌っていたので、劇場に伝統として残っているその精妙さなどがよく分かっていたと語る。

作曲家に薫陶を受けた歌手がまだいて、ハンス・ホッターやクルト・ベーメなどが歌ってと、その精妙でリズミカルに鮮明な音楽を学んだと言う。それどころか練習ピアニストなどは作曲家直々のテムポ指示を受けていた人たちだった様だ。そこにカルロス・クライバーが現れ、新制作の稽古をつけて行った。その奔放な指揮振りでどの公演も新鮮に初日のような音楽をしたという。その裏では楽屋に名刺に添えて「君はどうしてああしたのだ」と書き於いた。意味を尋ねると「君は八分の一のアウフタクトで歌った。あれは四分の一だ。」と直させたという。楽譜に眼を落とすことなく振ったことなど、そしてゾフィー役を務めたルチア・ポップとの関係への証言となる。

仲も良かったファスベンダ―には楽屋でもポップ自身が語っていて、一時同棲をしていたこともあって、仕事場でも決して問題は無かったのだが、後年クライバーが最後に指揮を下りることになるポップが伯爵夫人を歌う練習時には指揮台と舞台の上でもいざこざがあってポップが涙していたと語る。

新制作「ファルスタッフ」でタイトルロールを歌う予定だったヴォルフガンク・コッホがヴィーンの自宅で電話に答えた。準備も何もなしに自宅で料理をしてワインを二本ほど開けてという生活は得難いものと語っていた。又半年もの休憩で声を作っておく必要もないので練習もしないでいると話している。一度レストランで、非番のアニヤ・カムペとマネージャーと奥さんと一緒に入って来て、白ワインやら赤ワインを発注するの一部始終を見ていたことがある。あの時は「パルジファル」の新制作週間だったと思う。その人物像を垣間見たので全く其の侭の話しだった。

そして最後に肝心なことが質問された。新制作「ファルスタッフ」新シーズンに順延になって近々実現するかという問いに対して、上手く嵌め込めそうだと答える。期待するが、保証は出来ないけどと。なにかというと、プランにはキリル・ペトレンコの名前が出ておらず、指揮者不明になっている。それが意味するのは、日程などを審査するとベルリナーフィルハーモニカーのアメリカツアーがキャンセルになるかどうかに掛かっているとみて間違いない。既に肝心のカーネギーホールはキャンセルされたが、フロリダは駄目だとしてもシカゴやボストンの日程がまだ残っているからだ。これらが中止に決まれば、十月末から十二月中間までは新たにプランニングが可能となる。

先ずは「ファルスタッフ」の稽古を始めておいて、その間にベルリナーフィルハモニカ―とのアルテオパー公演やバーデンバーデン公演をこなせば、新制作公演が可能となる。同じ演出家の既に練習を終えている新制作「フィデリオ」も公演できればコロナで失ったものの多くを取り返すことが可能となる。さて何が実現するか?



参照:
政治的パフォーマンス 2020-03-24 | 歴史・時事
蝙蝠食べるジキル博士 2020-02-01 | 生活
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マスク着用のあれこれ

2020-06-27 | 雑感
ベルリンの状況が悪くなってきている。この一週間で十万人中14人新感染とドルトムントを越えてデュセルドルフの19.1に近づいてきている。ロックダウンの基準は50であるが、押さえておかないと危ない。人口規模の似ているラインラントプファルツ州といい勝負をしてきたが、ここに来て状況は大きく変わって来た。人口構成も異なり若い人も多く断然人口密度も高い。しかしなぜ今までいい勝負をしてきたかはただ単にアルプスのスキー場から遠かっただけなのである。

そして緑の党の尽力で独連邦共和国中唯一買い物のマスク着用が免除された。これは成果だと思ったが、この夏の暑い時期になって肝心の公共交通機関でも九割から七割へと着用率が落ちて、街中では無着用の若者への「盆暗」という叱責がそこら中で聞かれるようだ。マスクにはそれほどの効果はないが、多くの人が車よりも公共交通機関を利用する大都市に於いてのマスク着用率の低下は何でもない弛みでしかない。なるほど写真などを見ると、ここワイン街道などの郊外部では路上でマスクなどをしている人はいないが、市街地となるとそれを着けて移動という事になるのでどうしても路上でマスクをしている。暑い時にはやっていられない。そこが最も異なる。

最初にマスクを徹底したのはヴィーン政府だった。その時は非科学的と思ったのだが、しかし最も早く解除になったのもヴィーンで、この手の規制は早く行って早く止めるのが賢い。そして市民も早く習って慣れる。やはりベルリンの拘りは間違いだったのだろう。市民の心掛けが最も重要なのだ。

その正反対にあるのがバイエルン州である。マスクはワクチンか効果的な治療法が開発されない限り義務化は引っ込めないと豪語する。そのミュンヘンのオペラの演奏会の入券に並んだ。その大劇場の収容人数を100人に限定してある。月曜日のコンサートである。流石に人気テノール出場でキリル・ペトレンコ監督としての最後の指揮として予想以上に多くの人が並んだ。

予想としてはそれほど多くは無いが三四百番で冷やかしが抜けることで席が取れる可能性があれると考えていた。寧ろ席についてものマスク着用という事で、また遠くはるばるという事で手に入らないで欲しいと思っていた。しかし自動的に与えられた待ち番号が790番、そして数の減り方が遅かった。これは駄目だと思っていたら、十数分ほどの760番ぐらいで、先ずは残券僅かになって、750番ほどで売り切れになった。つまり並んでいた人に殆ど冷やかしがいなかったことになる。やはり人気が高く、ミュンヘンの地盤の大きさを感じた。

出し物は異なってもヴィースバーデンでの発売やフランクフルトを見ていると中々売り切れない。それどころか充分に入ら無いような催し物も少なくない。やはりペトレンコへの支持がとても分厚いという事だろう。説明書きを見ると、特別な指示が無い限りマスクを着用となっているので、実際には演奏会中は外してとヴィースバーデンのようにアナウンスがあるのかもしれない。生中継のカメラが回る時にだけマスクをしていればバイエルン州知事ぐらいは騙せるだろう。兎に角、熱心な聴衆が少なくとも百名ほどは会場に配置されるのでとてもいい演奏会になると期待している。

ルツェルンのミニ音楽祭の予定が出た。なんと初日は二日続けて地元在住のブロムシュテット翁が指揮をする。祝祭管弦楽団への93歳の指揮デビューである。そして、35人ほどの小編成の管弦楽団に伴奏されるのは前夜もハムブルクからの生中継でショパンを弾いていた79歳のマルタ・アルゲリッチである。そして初日、二日目とベートーヴェンプロが中継される。何たることだろう。そしてその他、バルトリの管弦楽伴奏のコンサート、ただ一人スイス国外から登場のイゴール・レヴィットが昨年に続きベートーヴェンチクルスをやり終える。計9回のコンサートである。

三日目のコンサートに寄付者として招待された。今後期待するのは入場者では無くて舞台上での編成の大きさと九月以降のその進展という事になるのだろうか。なぜ催し物期間を短く終えるかというのは、今後の可能性へと開いておいたという事かも知れない。会見での質問に答えて、刻々と状況が変わるが、長期的な見通しで計画しているとある。そこに期待したい。



参照:
400人規模演奏会の準備 2020-05-28 | 生活
ザルツブルクの突破口婆 2020-05-26 | 女
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訪れた夜尿症の朝

2020-06-26 | 生活
先日スーパーに行くと、手提げ篭が置いてあった。二ヶ月ほど撤去されていた。理由は距離を開けるためにワゴンが強制化されていたからだ。次回にはどうなっているか分からないが、空いている時刻は可能なのだろう。そもそも距離感は皆が身体に沁みている。特に暑い時には手早く済ましたい時には篭が早い。

完全に夏モードになって来た。先ずは夜中に窓を開けて就寝するようになった。そして半袖パジャマに着替えた。更にハーブテーを二リットル冷蔵庫に入れた。更にバルコンに机を出して、日除けを張った。普段着は猿股になった。完全な夏である。

それでも涼しいうちに走って、少し汗を掻く。今年初の棒々鳥は美味かった。しかし上手く噛めなくて腹が張った。火の通し方が悪かったのだろう。固くなりすぎた。腹が張ってビール一杯しか飲んでいないのに倒れるようにベットに向かった。

二リットル近くも水分を取ると夜尿症になる。何度トイレに向かったことだろう。窓を開けてあることもあって眠りが終始短かった。汗を掻くと眠れない、こうなるとまた眠れない。

月曜日から流れているハムブルクのマーラー「大地の歌」プロジェクトをスイスのベックメッサーことニフラー氏が新聞で評価している。ハムブルクの交響楽団のマルティメディアプロジェクトで、最終日にはカムブルラン指揮でシェーンベルク編曲版をフォレらが歌う。ヴィースバーデンでの経験からライヴでなければいけないがストリーミングを否定する訳ではないと語る。Momento Moriが主題ともなっているようだが自分で観てみないと評価は出来ない。数々のマーラー映画がその基本にあるという。

要するに通常のストリーミングとかライヴとかのその意味がここからも浮かび上がってくるという事だろう。シュトッツガルトでリハーサルをしていた指揮者のヴィオッティが空の客席を死としていた。聴衆よりもなによりもライヴを欲しているのは演奏家に違いない。音楽が創作者によって書かれて、そしてそうしたライヴの時がそこに空想されている。音楽が時の芸術である限りは、そこにしか生は無い。

ハムブルクはまだまだ厳しい状態のようだ。バイエルン州は知事の妄想から客席でマスクを着けたままである。それでは芸術活動が成り立たないことを教えてやらなければいけないだろう。車中のラディオは、先日世界的に話題になったドイツェオパーベルリンの駐車場での「ラインの黄金」に関しての支配人へのインタヴュが流れていた。あれはニューヨークタイムズも取材したぐらいだったがあくまでも緊急的対処方法だと語る。つまり、入場者制限が掛かるところで楽劇をピアノで伴奏したりというのは非常手段でしかなく、経済的にも芸術的にも価値のあることでなければならないと語る。つまり、秋の新制作「ヴァルキューレ」はニナ・シュテムメやリセ・ダイヴィドセンを迎えての公演に代わるものでは無いとする。そしてそれが必ず実現可能とは言えないと語った。

パン屋に行く前に車を出そうとするとご近所さんが暑くなったと語った。夏日和だよというと、よくないと、心肺系に良くないという。まだ60歳代の人だと思うが、そうなのかと思った。ここの所の気温の変化は比較的大きい。個人的にはまだまだ過ごしやすい。少なくともここ数年、朝一番で汗を掻くようになってから、夏の午後の数時間以外はそれほど暑さを感じなくなっている。



参照:
BやCの為のAプラン 2020-04-26 | マスメディア批評
「憎悪され、愛されて」 2018-10-02 | 文化一般




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アラテデスコの響き

2020-06-25 | 
承前)ベルチャ四重奏団の大フーガ付きが聴衆に意外に受けなかった。その理由を探るためにアルテミス四重奏曲の録音を聴いてみる。その演奏はキリル・ペトレンコなどのそれに共通する正確さがあるのだが、既に言及していたように深いリズム取りが出来ないのでせかせかした感じになったり、技術的な限界が多々見える。違った意味でラサール四重奏団自体にも技術的な問題があった。

ベルチャのヴァイオリンはその点創造的な飛翔もあり、殆ど幻想的と言えるような弾きっぷりなのだが、そこには違和感を覚えない所ギリギリのアーティキュレーションがあり、それは音響として解決される。比較的近い例はやはりガダニーニを弾いていたギドン・クレメルでこれまたシニトケでもバッハでも同じように音響の中で解決されていた ― シューベルトなどは最早発音していなかった。ベルチャの三楽章のアルペッジオなども殆ど即興的な風合いがあってすこぶる見事だった。そしてそれを受ける面々が合奏として音楽をどんどんと広げて行く。なにもジャズのコンボではなくても、同じ楽想を綴って語り合って行くという事はそういう事なのである。

比較対象に改めてアルバンベルクの録音を鳴らしてそのアーティキュレーションを確かめる。前者の大フーガ付きはザルツブルクでも聴いた記憶があるのだが、こうして最初の録音を聴き比べると、先ずピヒラーの第一ヴァイオリンを思い出して、流石にキュッヒルのように下品ではないが安定さに欠いていたのを思い出した。そしてベルチャが如何に明白に動機を弾き切るか、そして可成り限界まで挑戦すると必ずヴィオラなどがサポートにすっと入る。やはりとても室内楽として見事だった。

聴者数が入っていないホールの響きはもう一つのエベーヌ四重奏団が弾くと残響過多になって同時に奏者がサウンドチェックで経験からしっかりと合わせて来ないと駄目なものだった。方向としては大阪のザシムフォニーホールのそれにしっかりと中域が出るもので、チェロも過不足なく発声される。まさしくこの二つの四重奏団の経験の差が顕著なところで、ベルチャがその環境に合わせてしっかり鳴らしきったのは見事としか言えない。

なるほどそのヴァイオリンの楽想の描き方は明白で意味づけがとことんなされていて、これだけの歌い口は他に知らないが、違和感へと進む前に合わせが来るという、まさしく楽聖が狙ったその四重奏曲の構図が語られる。四楽章のアラテデスコのヴァルツァーもとてもいい乗りで、続くカヴァティーナも優れていた。敢えて言えばそこが音響として解決されてしまう事が正しいのかどうかという音楽的な美学的な疑問は生じる。言うなればハムマークラヴィーアゾナータにしろ決して意味づけが容易では無いのでそれを其の侭というような演奏実践が通らない一方、楽想の受け渡しとしてその展開のヴェクトルが問われることになる。それが和声的な流れとしても必ずしも音響的に解決され得ないという事になる。

そうした感慨が大フーガになれば解決されるという構造も存在していて、そのことが認知されるという事ではベルチャ四重奏団の大フーガ付きは一つの回答かも知れない。あのごつごつの密なフーガが有りの儘に音楽されるというのは矢張り圧倒的だ。実は先月まではその演奏はArteにあがっていてダウンロードも出来たのだがあまり関心が無かったので観逃してしまった。ヴィーナーコンツェルトハウスの映像で出来たら再確認してみたい。(続く)



参照:
落ちてくる音楽素材 2020-06-20 | アウトドーア・環境
スイスイと滑るように 2020-06-19 | 雑感
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奈落拡大計画の実験

2020-06-24 | 文化一般
ミュンヘンのオペラの奈落拡大計画を読んだ。工事は大分前からやっていたが、最終的な目標が書いてあって、既に音響実験はしているのだろう。先ずファクトとして、1.5mの間隔を取りながら一人当たり7平米を確保しながら新シーズンをどのように進めて行くか、その問題は管弦楽団にあって、先ずは50年前に設置されたピットの壁が取り外された。

通常111人入る世界でも最も大きな舞台の奈落として100平米を客席四列分拡張することで170平米とした。しかし上の衛生条件では通常の人数も入らない。そこで管弦楽団を奈落では無く上に出すことで音響的に解決する方法が取られる。

因みに来週月曜日の二種類のアンサムブルの設置図が示されていて、キリル・ペトレンコが指揮することになる。30人近い管弦楽となっている。カウフマンは張り出し舞台で歌うのだろうか。

指揮者は当然のことながら歌声とのバランスをとることは要求されるが、この方法が当分のコロナ基準の中では最も芸術的な可能性がある解決法としている。その他のシールドの聴覚への悪影響など憂慮すべきことだとしていて、この月曜日のバロックコンサートでのテスト結果などから、この解決策で新年度は公演が進められる。客席は2100なので、恐らく三分の一原則で800席ぐらいの公演が続くのではなかろうか。

一方ベルリナーフィルハーモニカーの支配人ツェッチマンがインタヴューに答えて、8月25日以降は学校でもソーシャルディスタンシングが廃止されるので状況が変わってくるのを期待していると発言している。そして音楽界はツーリズムや飲食業のように充分に妥協がなされていないと苦情する。インタヴュアーがそれはヴィースバーデンに登場した歌手のフォレが飛行機内の様子を示した写真のようなことを言うのかと追い打ちする。

そしてザルツブルクではより制限の緩いオーストリア対応でやるのかと尋ねると、「それは自らがシャリティで検証結果を出したように、ドイツの基準に従う、なぜならばここの保険でそこで勤めているからだ」と明晰な回答としていた。

シュヴェービッシュの新聞だからか、復活祭に関しても言及していた。「フィデリオ」を楽しみに、それ以外の全体にもと発言していて、こちらの関心をぐっと掴む。折からベルリンの歌劇場が8月31日に「フィデリオ」でオペラ上演を再開すると聞くと、11月のアメリカ旅行中止の節はその他のマーラー交響曲六番や「ミサソレムニス」は不可能なので、「フィデリオ」の方が可能性が歌手のスケデュール以外は演奏の可能性が高くなってきたというのもある。

当初の予定としてニューヨークから飛んできた21日、22日、23日の週末が小さなフェスティヴァルとして予想された。直後の翌週に「サロメ」の舞台稽古などが予想された。祝祭大劇場が空くのは16日からで一週間と週末が使えるのだろう。

その日程ではマルリス・ペーターセンは11月13日までマリエッタをブルッセルで歌う。マチュー・ポテンザーニもシカゴオペラがキャンセルでフリーに、ヴォルフガンク・コッホも15日までで新制作をミュンヘンで終える。タレク・ナズミは21日からマクベス。ハンナ・エリザベートミュラーだけがヴィーンでアラベラ。キャスティング一部変更でなんとかならないものだろうか。演出は力のある人なら何とかなる。合唱の扱いだけは工夫しなければいけないだろう。

それにしても新シーズン年内は活動しないロンドンの交響楽団の入場券を未だに売り続けている祝祭劇場は如何なものだろうか?それでも現金では返さないとすれば詐欺に近く不誠実だ。



参照:
奈落を平土間へと拡張 2020-06-03 | マスメディア批評
大胆不敵なヴィーナー 2020-06-08 | 雑感
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すわ、コロナ吐血か

2020-06-23 | 雑感
ドルトムントに出かける前に出血した。軽く胸が悪くなったと思って歯磨きしようかと思い泊と鮮血が出た。愈々肺炎かと思ったが、吐血というほどの量ではなく結核の様でも無い。浅い感じだったので喉の奥ぐらいか?思い当たることはないが、コロナで喉の奥がやられている感じは無いことはない。それほど酷い咳をした覚えもない、また胸に来ている感じもそれほどでは無かった。但し三月初めに気持ち悪くなった時と若干似ていて、あの時は間違いなく気管支辺りで出血していたと思う。間違いなくコロナの症状だった。喉の少々の傷だと思ったので無理して吐き出してしまう心算も量も無かったが、流石に本格的な吐血となれば医者に行く。ある意味原因は分かっているのでそれほど悪い病気ではないだろう。

先日バイエルン州の座席でのマスクに対しての懐疑が書かれていた。要するに知事の勝手な解釈でマスクに拘っているだけに過ぎないという事で、当然ながら折角友人でも催し物をやっても聴衆の集中力も下がり平常化へと繋がらない。そこまで言うなら記者会見でも何時でもマスクをしていなさいと言わざるを得なくなる。実際そこまでしていないに違いない。一体どういう気だ、余程恨みでもあるのだろうかと思うほどである。

ドルトムントでは二回目のコンサートの時の後ろの列の爺さんが婆さんと並んで咳をしていた。なにも口に当てていない音だった。ああいうのはとんでもない。そもそも人口密度の多いルール地方は市街地の歩行者天国でもとても密だ。あれでは中々撲滅は出来ないと思った。地方によって差がある。矢張り州によっても差があり、あれ程酷い死者を出した地区があっても四百人も早速入れるところは考え方が大分違う。

コロナ以降初めてのレストランも入り口にレセプションが設けてあって、まるでフランスのレストランのような感じだった。動線はハッキリしてあったが、帰りに入り口から出して貰っていた老夫婦が居た。マスクは椅子に座るまではバイエルンでもそれ以外には方法が無いが、ここでも一体ゾーダーはなにを考えているのかと思わせる。小さなレストランよりも空調の効いている大ホールの方が間隔が取れている限り安全だろう。

結局15ユーロで肉のカルパッチョを取った。サラダからも水が出て若干じゃぶじゃぶになっていた。パンも小さな切れ端でお代りする程の事も無かった。量感としてはビールをヴァイツェン二杯とピルツ一杯で2.5l近く飲めば腹が膨れた。結局30ユーロ支払った。宿泊所へはタブレット任せだったが、往路も迂回路で山を越えなければいけなかったので違う方向からの帰宅だった。

カトリックの研修所にもビールも自販機で売っていたが流石にそれ以上は必要なかった。やはりマスクをして入場を待っている様なことをしているととても喉が渇く。スイスのようにデモにもマスクを義務付けないとかのように、夏は外すべきだろう。少なくともマスク義務がある限り、商店やレストラン等は人が入らない。劇場や音楽会の場合は座るまでならばそれほど問題はないのだが、入場の整理が素早く出来ていることが前提だろうと思う。要するに早く来た人は早く座ってマスクを外せる様な状況でないと駄目である。 

出かける朝にバルコンに黒い鳥が飛び込んできた。怪我をしていたようで飛び出そうとして糞をばら撒いていたが越えられずに態勢を何度か直しながら壁た鉢に寄りかかるようにしてじっとしていた。鉢に水を差したりして帰って来てからのことにした。帰宅してみると死骸はなかった。恐らく回復したのだろう。宿泊所のテラスで鳥の囀りを聞きながらその鳥の事を思い出していた。糞だけは早速清掃しなければいけなかった。



参照:
大司教区からのお達し 2020-06-21 | 生活
400人規模演奏会の準備 2020-05-28 | 生活
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やっぱりガダニーニだ

2020-06-22 | 
放送で聴いた通りベルチャ四重奏団は実力があった。人気は分からない。ドルトムントのフライヤーにあったように東欧を逆に売り物にしている。これは英国を本拠地とする四重奏団の伝統かも知れない。先ず思い当たるのはチリンギアン四重奏団などが比較的有名だった。アマデウスの弟子筋のようで、アルマニア系というのでハチャトリアンなどと同じだろうか。ベルチャの場合はルーマニア系で確かにあの周辺の人の音楽性などに共通するものがある。今調べるとバーゼルでもグシュタートでも弾いていたようだ。

楽器はなにかガダニーニ風の音がしていたがその割にはよく鳴っていた。名前から風貌から何か分厚そうで押しの強い音が出ると思っていたが、確かにそうした傾向もあり乍もそれこそ東方ユダヤ系の厭らしさが出るようなそれが留まっている。室内楽奏者とソリストとはまた異なるので、四重奏団としてそこが完成している。創立メムバーとされるこれまた東欧のヴィオラ奏者チョルツェフスキーのサポートが見事で、アルバンベルク四重奏のココシュカを思い起こさせるが、その職人的な合奏芸術以上に重要な音楽的主張になっていると思った。この人がいなければここまで成功していなかっただろう。今後もこの人がいなくなると駄目かもしれないと思わせる。因みに楽器はアマティーを使っているようだ。もしかするとベルチャもアマティーかも知れない。調べてみると、ガダニーニ1755であって、やはり勘違いさせるほど良く鳴らしている。

ベルチャのお蔭でなくて彼のお蔭で第二ヴァイオリンの形も出来ている。チェロも室内楽らしく面白いチェロ奏者で、胴音とならないところで上手にコントロールされていて、この二人の掛け合いを聴いているとボロディン四重奏団などのリズム的な張りを思い出した。とても微妙なのは作品によるシステム間の和声関係だけでなくて、息の合わせ方で、ベルチャの歌い方が微妙に様式を形作るようにしているのは下支えと掛け合いがあるからで、まさに弦楽四重奏というのはそのように書かれているのである。

そうした掛け合いの妙という事ではアルバンベルク四重奏団よりもよい。なるほどラサール四重奏団やらアルテミス四重奏団のような合理性や精妙さとは異なるのだが、そこが面白いところで微妙なのだ。そもそも第一ヴァイオリンの節回しを其の侭第二ヴァイオリンが呼応することは可能でも、木霊なら木霊でその効果というものが目されていて、実際には音楽的な呼応がなされているので、まさしく受け渡しの仕方だけなのだ。コピーのエラーよりも対話による発展がその要旨であることを考えれば、どんなに拙い節回しでさえそれを複製再生して行くというのが如何に詰まらないことになるかは至極当然の摂理でさえある。なるほど若い四重奏団などがコンクールに出ればそこまでの受け渡しなどが出来る筈も無く綺麗にシームレスで仕上げて行くしか方法はないのである。しかし、プロの一流のそれも超一流となればそれだけではお話しにならない。

今回は二回のコンサートで「セリオーゾ」と「大フーガ付き」の二曲しか演奏しなかった。そして、前者は大きな喝采を受けていたのだが、最後の曲は受けが悪かった。理由は分からない。ドルトムントの聴者は前支配人スタムパがどれだけ人々を育てたかは分からないが、程度はアルテオパーやバーデンバーデンなどからすると大分落ちる。よく分からないようにスタンディングオヴェーションをする。先のN響客演時のそれや地元紙の批評などを読んでいれば如何にその程度が低いかが分かる。

なるほど「セリオーゾ」は音響的に圧倒だった。エマーソン四重奏団やジュリアードのものと比較しても多様性としてもその劇性もさることながら音響的に豊かさが見事だった。なるほど分かり易い。最初の動機だけで会場の空気が変わり聴衆が息をのんだ。一体それまではなにだったのかと思わせた。

しかしフーガ付きの見事さはある水準以上の演奏を体験すると更に奥が出てきてしまって、また実際に重要な動機やその意味合いを巡って行ってと後期の四重奏曲への大きな視座が啓けてくる。そうなるとどれが如何とは中々言えなくなってくるのだ。ある水準の演奏に達すると余計に作品と聴者の間での論議が演奏実践を通じて為されていくというのに等しい。(続く



参照:
大司教区からのお達し 2020-06-21 | 生活
ドルトムントに電話する 2019-05-17 | 生活
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大司教区からのお達し

2020-06-21 | 生活
ドルトムントから帰って来た。ミュンヘンよりは30㎞ほど近い。日曜日の午前中に出たからからかスムーズに走れた。途上のザウワーランド地方でアウトバーンから降りて、山の中を走った。用を足すにも金を払ってマスクをするぐらいなら森を探した。

朝食をテラスで存分に摂ったのでまた100㎞も進んでいない所なのでピクニックには早かったが、偶々湖の標識を見たので、出かけてみた。流石に日曜日で水泳やウォータースポーツに沢山の人が集まりだしていた。

ドルトムント市街地もそうだが郊外地に行っても人が多いと思うのは矢張りルール工業地帯ならではだ。湖の形は嫌に長くて細いところもあるので帰宅後に調べてみると谷をとめた貯水池ダム湖と分かった。二千五百人の沢山の村が沈んだと書いてある。ルール地帯の水瓶のようだ。

泊まった宿は大司教区のアカデミーハウスだった。だからセミナーらしきも入っておらず、空いていて気持ちよかった。山影にあるのも気持ちよかった。ドルトムント市内にも近く、空港にも近い。興味深かったのは、その大司教区パーダーボルンで、ケルンにも遠くない。なぜそこが大司教区になっているのかは知らないのだが歴史だけでなく信者数が多いに違いない。

宿泊施設のオーナであるから当然かもしれないけれど、コロナに対する方針がお達しとして渡されていて、なるほどそういう新たな日常などは信者にしてみれば信心でしかないかもしれない。なるほど日本などで自粛でも同じような生活態度が期待されるというのは信心である。

朝食は空いているという事とそもそもが研修所のセルフサーヴィスという事でストレスなく上手に行えた。キッチンも改修中という事で、フランスやそれを真似した東横チェーンのようにレセプションの横に設置してあって、そこに向かうと人がやって来て、好きな分を上手く都合してくれる。要するに通常のセルフのレストランに近い。そこからテラスに向かうか、室内かへと自分で運ぶ。トレーを戻して終わりだ。内容は充実していた。

その他も人が少ないこともあってストレスが無くて、通常のホテルでは割りが合わないパーソナルと客数の関係だった。同種の宿泊施設はフランスでも宿泊したことがあるが、多くは共同部屋だった。ここはセミナー向きなので個室ばかりの感じである。

今回はコロナ後に初めての宿泊という事で手探り状態であったが、面倒なのは室内マスクというそれだ。外食も始めだったが、入り口出口の規制と動く時はマスクというのがやはり面倒だ。冬は色々な方法があるが、夏は矢張り鬱陶しだけなので、幾ら慣れても経済への影響は決して少なくないと思われる。



参照:
彼方の閃光を目指して 2019-09-09 | 生活
南仏か、高地ドイツか 2018-10-05 | アウトドーア・環境
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落ちてくる音楽素材

2020-06-20 | アウトドーア・環境
音楽素材を集めている。出かけるときに携行するものである。四時間近く車に乗れば大分聴ける。先ずベートヴェン作曲弦楽四重奏曲作品18-2ト長調はアルテミス四重奏団のCDをコピー、11番「セリオーソ」エマーソン四重奏団の実況、そして確かめるとなぜか12番変ホ長調作品127が再び入っている。

本当に予定時間90分内で可能か?演奏者は二つの四重奏団が代わる代わる入れば殆ど連続演奏も可能だろう。音資料は急いでアルバンベルク四重奏団をダウンロード。

そして作品130ロ長調大フーガ付きはエベーヌ四重奏団、作品135ヘ長調はジュリアード四重奏団とする。

エマーソンは実況ゆえか可成り分厚い響きで、曲に合わせたとは言いながらデリカシーがあまりない。どんな大ホールで演奏するのだろうか。実際にルートヴィヒスハーフェンなどで聴いた時も大オールだった。同じところで弾いた東京四重奏団よりは良かったのだが、この映像はあまり良くない。

ジュリアードの1960年の録音は嘗て言われていたような木で鼻を括ったような演奏では無く柔軟性もあって決して悪くはない。そこでエベーヌの演奏を聴くとなるほど言われているような腕はあるのだがアーティキュレーションが全く良くない。勘違いして大フーガはまだ聴いていないが、そちらの方が山なのだろう。アンサムブルも感覚からすれば、新しい方からアルテミス、アルバンベルク、ジュリアード、エマーソン、エベーヌの感じだ。2004年にミュンヘンでARDコンクールに優勝しているというから、そのアンサムブルを見極めたい。

なぜ世界的に人気があるのかは実演で聴いてみないと分からない。半分を別けて演奏するベルチャ四重奏団の方は先日聴いたシュベルティアーデの実況録音からすると悪くはなかったのだが、さてどうだろう。

先日ベルリンから生放送されたセレナーデの演奏会のインタヴュー部分を無料で観た。キリル・ペトレンコがプログラムについて語っているが、興味深かったのはドヴォルジャークのそれは新版で初めて演奏したという事で、楽員も今までとは違うと話していた。なにが異なるかは作曲家自身が最初の校訂楽譜に書き込んで行ったダイナミックスなどを再び書き加えたというものらしく、新しいものを使うともう元へは戻れないと話していた。

そして二曲とも交響的な作品で、モーツァルトの木管合奏の「グランパルティータ」のここかしこに第一ヴァイオリン第二ヴァイオリンを聞くというのだ、同様に弦楽のセレナードにホルンやティムパニーが聞こえるという。またもやとても面白い話をしてくれた。この指揮者がどのように楽譜から音楽を読み込んでいるかが想像できる話である。

更にベートーヴェンの四重奏曲でも感じたのだが、古典派のモーツァルトにおける民族音楽的な要素に関しての質問に対して、例えば当時はまだヴァルツァーではなかったレントラーにしても明らかで、しかしそこは直截なものでは無くて、丁度ミュンヘンではベルリンよりもそうした音楽が環境の根底にあるという事と似ているというのである。これはシューベルトやマーラーなどにおける引用とはまた異なってとても重要な話題だと思う。



参照:
スイスイと滑るように 2020-06-19 | 雑感
Muss es sein? Es muss sein! 2020-06-16 | 文化一般
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スイスイと滑るように

2020-06-19 | 雑感
ピクニックの準備である。先ず気温はそれほど高くないので、アイスボックスを持ち込めば24時間ぐらいはひんやりしている。土曜日の朝はパンは確保する時間が無いので、精々ソーセージぐらいを取りに行くぐらいか。朝食もゆっくり摂る時間は無く、やはりそうなると握り飯だろうか。二号を炊いて、そこにゆで卵とチェリートマトにはつか大根ぐらいか。果物は葡萄を購入しておいた。

いつものように駐車場を調べる。街中なので幾つかの候補があるが音楽会割引が効くのは三カ所だ。一番安いところで、二回分の音楽会とその後の食事の三時間以内を凌げれば最も安上がりだ。試してみる甲斐はある。食事予約が21時30分からで23時にガレージが閉まるので間に合うことは間に合う。

また新たな座席券を見ているとグループ別けが無い。グループごとに入場を容易にするという事だが、恐らく室内楽で元々中会場ベースで販売していたのだろう。記憶はないがそうなると四百人も入れないで、二百人ぐらいに削減してあるかもしれない。要するに上は全て閉めておける。経済的にもパーソナルも削減出来て、音響的にも苦情が出にくい。行ってみないと分からない。

今週になってから話題になっていたキャンセルとなったバイロイト祝祭のオープニングコンサート開催が正式に否定された。同地フランケンの他紙が水曜日の議論という事で質問すると代行代表がコンサートは開かれないと否定した様だ。夏の間に地元の人や観光客への小さなイヴェントは考えているようだが、それも後日発表という事で、どうもそもそも水曜日の議論なども無かったかのようだ。

要するに今回の情報も秋に契約の切れるクリスティアン・ティーレマン元祖音楽監督が流したフェークニュースであるという事が知れた。カタリーナ・ヴァークナーが倒れてから二度目のフェークニュースで、その前の一月までも契約延長の話し合いがもたれておらず、なんら発展的な関係は既に切れていた事がカタリーナの言葉から知られていた。

四月におけるティーレマンのインタヴューでの虚言「カタリーナ・ヴァークナーは幸福だと語っている、重篤などとはばかばかしい」の真意が分かるようになってきた。まさしくカタリーナが重病になって幸せに感じていたのは、話し手本人だったのだろう。ついつい本心が出てしまうのだろう。

満タンにした。朝一番で峠攻めで走って、下りてくるとライヴァルの婆さんにあった。火曜日の最低価格からは14セントほど高い。55リットル入れたので差額は7,70ユーロとなる。仕方がない、早めに準備を済まして、お勉強に集中できる。シャワーを浴びてから燃料を入れに出かける前にエンジンオイルを点検した。最低線の所にあったが、残りを全て入れておいた。久しぶりに少な過ぎない入れ方になった。燃費は少し良くなるかどうか。

道中のお勉強にする演奏録音が決まらない。弦楽四重奏団の演奏はどうしても技術的なことに耳を奪われるので、内容を吟味するとなると様々聞いてみないと分かり難い。比較して聴いてみないといけない。

作品18-2ト長調の録音を探した。聴いてみたいのにはジュリアードとかがあったが楽章ごとしかなく携帯には向かない。そこで思い出したのはCDのアルテミスの演奏で入っていた筈だとプレーヤーの横を見た。二枚組に入っていた。じっくり点検するとやはりいい。ベルク四重奏とは弟弟子になるのだが、ラサール四重奏を継いだのはこちらである。女性の交代で受け持つ第一ヴァイオリンも上手い。アンサムブルも流石だが、若干拍が軽く滑り過ぎる。もう少し出来ているとよかったのだが、ダイナミックスなども手元のものと異なって最新校訂版が効いているのだろう。総体的に中々いい出来だと思う。エマーソンとかその他がどのような演奏をしているかも聴いてみないと分からないが、全盛期のこの四重奏団は実力に反してあまりにも人気が無さ過ぎたと思う。一度は生でデュテュユー氏とツェンダ―氏の二人の後ろで彼ら両故人の作品を聴いたことがあるのだが、他の作品の当時の録音も聴いてみる価値がありそうだ。



参照:
重篤のバイロイト音楽祭 2020-05-27 | 女
厚かましいネット配信屋 2020-06-17 | 文化一般
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テーブル予約をする

2020-06-18 | 生活
週末の準備を始めている。久しぶりの泊りがけだ。最後に泊りがけで出かけたのは二月のハムブルクだった。三件ほど宿泊をキャンセルした。そして一日だけ代わりに部屋を予約した。49ユーロで朝食付きだが、平時ならビフェだった。せめてテラスで食事が出来たらうれしい。天気は良さそうで過ごし良さそうだ。それでも衣裳は夏ものにしておこう。

コンサート後の食事の予約もしておいた。確認のメールには予約は負債の約束だとまで書いてある位だから、店仕舞いで出さないという事はないと思う。この点ではエルブフィルハーモニーよりははるかに良い。そもそもコロナ開放後も飲食店は予約が基本になっているから初めての外食になる。大したものは期待しないが、こちらから持って行くピクニックだけでは物足りない。何よりも喉が渇きそうなので、其処で潤おせるのが重要だ。

燃料も満タンにしなければいけないが、火曜日の最低価格には戻らない。そこで差額を出来る限り抑えて、数ユーロの差額だけに抑えたい。週末までの最低価格を狙う。現金は50ユーロほど出してきたので、まあそれで何とかなるだろう。駐車場料金がどのように払えるかだけだ。

エンジンオイルも足しておいた。もう一度点検して100㏄足せば十分だろうか。ギアが固まってしまう事が続いている。固まるとエンジンが掛からない、通常は少し電源を切っておいとくと離れるようだが、それでも噛んでいたので試しに強制的にNにして掛けると始動した。当日途上最低一度は直ぐに掛からないとコンサートホールへの到着が遅れる。特に宿泊所にチェックインしてからそこから出かけるときのスタートはそれほど余裕が無い。事情を色々と想像して対処策も練っておく。音楽のお勉強よりもこうした雑多なことがとても多いので本当に面倒だと思うのだが仕方がない。

いつもキッチンの窓の外の煙突の所にハトがやって来る。群は避けるようにしているが、いつも同じ奴が来ているようで、今回はツガイが寛いでいた。何だかんだと呼びかけていたのは知っていたが、足でも立っておらずに座り込んでいた。

十月のマーラー交響曲九番演奏会のプログラムが発表になった。月は指揮者ペトレンコが唯一開けているので分かっていたが、通常は二三回に練習日の四日ぐらいの日程なのだが、公演を両拠点で二回づつ行うことになっている。恐らく入場削減も考慮しているのだろう。それ以前に十月の時点でマーラーの交響曲を演奏できる環境にあるかどうかは疑わしい。昨年の「千人の交響曲」ほどではないが、とても難しいだろう。解決策として他のプログラム演奏の可能性もあるかもしれない。



参照:
こんなことあるのか! 2020-02-20 | 音
宇宙の力の葛藤 2019-05-20 | 音

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厚かましいネット配信屋

2020-06-17 | 文化一般
ルツェルンからお知らせが入っていた。月末に8月後半の計画を知らせるという事だが、秋の計画に繋がっているかどうかである。

水曜日にバイロイトから再び発表がありそうだ。7月25日の開幕に元祖音楽監督ティーレマンが指揮して無人で演奏してBRで放送されるという計画らしい。このニュースはバイロイトの地元紙しか出していない。既にキャンセルされた夏の音楽祭だが他の音楽祭等が何かを執り行うという事での企画らしいが、このニュースに幾つもの事が読み取れる。

一つは指揮者ありきで演奏会という事になるので、計画自体が元祖音楽監督筋から出てきていることは推測可能だ。その一方で放送が前提条件になっているのでBRに打診はしてある筈だ。しかしミュンヘン筋からは全く話しが流れていない。

本来ならば最終判断をするのはカタリーナ・ヴァークナーであるが、その任は他の取締役に委譲してある。その決定がなされる。つまり企画自体はカタリーナ抜きを前提としていて、五月に元祖音楽監督が落語のラクダの如くカタリーナの二人羽織をさせたインタヴューととても似ている。明らかにカタリーナ抜きでの動きがそこから出ているのは確かであろう。

結論はどのように下されるかは分からないが、この秋に契約が切れる元祖音楽監督がカタリーナ抜きで行う企画という事で、愈々黄昏の催し物となる。注目である。

Takt1というドルトムントの連中が始めたネット放送局がある。その創立者の一人バーデンバーデンのスタムパ支配人の関係でそこでの公演が幾つか提供された。まともに観るようなものは無かったが、その時に一度登録した。その後再三再四個人名でお誘いが来る。男性や女性や何人もの名前である。更にお試しの誘いもあった。社長のインタヴューをFAZで読んでいたので、妙な気がした。なぜならば追い風と書いてあったからだ。それでも執拗に勧誘があるのは経済的に難しいことを語っている。

確かに一度生放送を観たが、エマールのリサイタルで数人しか観ていなかった。最大で瞬間104人だった。恐らく無料でのガイスターシュピール出演だったのだろうが、104人のどれだけが有料視聴者かと思った。

そして本日入っているメールを見て驚いた。どこかの文章を引用して只で観るなら演奏家援助の為に金を払えと書いてある。何たる破廉恥!こ奴らは、勝手にただで提供していて、金払えというのか、本当に腹立しい。こいつらには肖像権を請求したくなる。そもそもドルトムントの会場の演奏会を無料で撮影して放送するから成り立っているという事業である。それが会場での有料演奏会が無くなったから、無料で宣伝に使うソプラノ歌手のクレメス等の番組を流したという。一体こ奴らはどこまで厚かましい連中だ。こうなれば放送の邪魔をしたくなる。

沢沿いを走っていると結構な年配の老夫婦が歩いていた。間違いなく危険であることは自覚しているだろう。声を掛けて通常以上の間隔を開けているつもりだが、息の流れはどうしても気になる。後ろからと復路で二度すれ違った。復路では横に寄ってくれていたのでスペースは充分に開いた。あれぐらいの気持ちがお互いに大切である。



参照:
無価値なストリーミング 2020-04-21 | 音
演奏会の今後の解決課題 2020-04-18 | 音
重篤のバイロイト音楽祭 2020-05-27 | 女
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Muss es sein? Es muss sein!

2020-06-16 | 文化一般
ブッシュ四重奏団の録音を聴いた。二十世紀前半を代表する弦楽四重奏団とされている。個人的にはその高名よりもお兄さんのフリッツ・ブッシュの方に興味を持っている。本人の書いた本を読んだからでもあるが、音楽的な流派が年子でも違うように印象しているからだ。改めて両方の音楽を聴いてみると思っていたよりも似ていた。兄さんの方が次期のノイエザッハリッヒなどに近いかと思っていたが、中々どうしてフルトヴェングラーのようなスタイルが出来ていないだけだ。アドルフ・ブッシュも大きなフレーズの中で拘りの音楽をしていて、ややもするとその焦点が暈けている。第一ヴァイオリンが優勢なので対位法的なところではどうしても曲の全容が分かり難くなる。

そのアーティキュレーションも不可解なところもあるのだが、SP録音においてはなによりもダイナミックスを録音技術に合わせているところがあってよく分かり難い。ソットヴォ―ツェにしてもドルツェにしても元々ポルタメント気味の演奏からそれら表情に余りコントラストが強くでない。反面一貫性は強いのだが、ベートーヴェンの動機間での叙述法としての表現への疑問は生じた。少なくともこれでは止揚しそうにない。
Beethoven - String quartet n°13 op.130 - Busch SQ


次にアマデウス四重奏団の演奏を聴いてみた。名前の通りモーツァルトの全集LPは手元にあるが、ベートーヴェンのそれも後期のものをどのように演奏するかは知らなかった。やはり第一ヴァイオリンの音楽作りがとても効いている。流派は全く異なる戦後の四重奏団であるが、中々絶妙な四重奏団だ。
Beethoven - String quartet n°16 op.135 - Amadeus SQ Cologne 1955


アドルフ・ブッシュの娘がルドルフ・ゼルキンと結婚したので、孫は先ごろ亡くなったピーター・ザーキンとなる。その前に住んでいたバーゼルでの音楽会シリーズなども今もその軌跡がある。元々は大工から楽器作りとなっていた父親の家庭でズィーゲン生まれとなっている。

兄の指揮姿は、ゼムパーオパーの映像として残っているが、その業績を偲ぶ番組に指揮者コリン・デェーヴィスがそのグライボーンでの体験を語っている。デェーヴィスのモーツァルトはそこから学んだとなり、とても興味深い。
Fritz Busch "Ich verließ das Pult"


ナチ政府を公然と批判して、「我が闘争」などを研究して、沈黙するのではなくそれを攻撃することは権利では無く義務だとまで言い放つ。メトでの活躍の後、死の直前にヴィーンの歌劇場音楽監督への招聘があったとされるが、結局死後カラヤンの手に落ちて、またドレスデンはまさにナチスドイツの音楽化のようなベーム博士が引き続いて黄金期を築いたのは偶然ではないだろう。
Fritz Busch dirigiert die Staatskapelle Dresden in der Semperoper




参照:
植民地主義意識の開放 2020-06-07 | 歴史・時事
ドルトムントに電話する 2019-05-17 | 生活
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