Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

瀟洒で尚且つの感情表現

2024-12-09 | 
天気は回復した。それでも床から離れ難かった。灼けた腕は軽く筋肉に乳酸が残っている程度であるが、軽い疲れになった。ランニングだけは週三回でも習慣づいているので疲れは感じないが、肉体労働は慣れていないとやはり疲れとして感じる。それを習慣付けるだけの時間も価値もない。

SNSで流れて来た「くるみ割り人形」のパデュデユからそのヴァルトビューネでのアンコール全体を聴こうと思った。指揮者のペトレンコは二回登場しているが、ピアニストのトリフォノフが前夜のハムブルクで故障したということでキャンセルとなって全てのプログラムが意味を無くした。然しこのアンコールは見事であった。

他の演奏なども比較してみたが、やはりその歌い口が見事で、きっちりとアンコールの為にしっかりと付けている然しその背後にはその復活祭でバッチリと練習を積んだ「スペードの女王」がある。逆にそれがあったからチャイコフスキーのこのバレー音楽の短い曲をここで披露したのだろう。その感情表現やそのアーティキュレーションは見事にフィルハーモニカーの血と肉になっている。

そういう指揮は彼のムラヴィンスキーには出来なかったことは直接比較した交響曲五番や六番二楽章で確認済みで、その及ばなかったのは瀟洒で尚且つその感情表現である。そしてその任を継いだヤンソンスが2002年に同じヴァルトビューネで同曲を指揮している。これまたロシア帝政の最後を継いだムラヴィンスキーと比較するとまさしくプロレリアータの文化表現として最大公約数的な音楽表現がそこで為され誰にでもどこでも演奏可能なカラヤンサウンド並みの音響として目されている。それてもその他のソヴィエトの音楽家のそれと比較すると高品質なのでザルツブルクでもミュンヘンでも日本でもウケたに違いない。それに匹敵するような指揮者がソヴィエトには育たなかったいうことの裏返しでもある。

そしてNASを探すと実況中継とアーカイヴ化された二種類の映像があった。どうもデジタルコンサートホールでのハイレゾでは観ていなかったようだ。年末までの券が残っていおるのでいつ使うか。年末の中継はTVと両方あるのでどのように使うか。新年になれば大分使えるただ券がある。

車の登録がまだ済んでいなかった。理由は支払い遅行などで流された時に未登録なら損失無しになるが、登録済みならそれだけで10%ぐらいは経済的な損失が出るからだろう。そこで心配になるのは予約番号が念のために第二希望を探しておいた。丁寧に探すとい英語的にはもう一ついい文字列が出て来た。独逸では異なる英語の意味になるのであまり人気がないのだろう。現在はチャットの省略語が沢山あって、二文字となると結構な意味が見つかる。



参照:
全面対決の終焉のレーベル 2022-06-14 | マスメディア批評
験担ぎの三位一体 2024-11-05 | 雑感
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歴史的交響楽ホールの実践

2024-11-29 | 
承前)ボストンの批評ではテムポ以外にも拘りがある。それは楽器配置で、左右に広がった第一と第二ヴァイオリンである。それは前回の同地でのコルンゴールトの交響曲でも同じだったが、今回はブルックナーの時代の配置であって好ましいと書かれている。

ここでも繰り返して言及しているが、その配置であるとワインワード型のホールであるベルリンの本拠地では音抜けしてしまう。下手奥のコントラバスのチェロを後ろから支えるその低音の跳ね返りの十分ではないからだ。これは本年一月にも通常配置では確認したが直接の音が前に出るだけになる。すると中域のヴィオラと含めての和音の底となっていくだけである。

然し世界的にも有名なボストンのシンフォニーホールとなると、シューボックス型で舞台が枠に囲まれている。写真や録音で知る限りよく鳴るホールで、現地で体験した人などはそのものボーズのスピ―カーのようだという。つまり、音に包まれる感じが強いのだろう。その前に演奏したカーネギーホールでも中域が張った感じがするが、ここはより箱が鳴る感じらしい。

すると左右に大きく広がる音像は望まれるべきものであり、掛け合い、そして音が上手に重なるので、筆者が好ましいと書くように、そのい会場のアコースティックと共ブルックナ―の描いた音像となる。

フィナーレのおどけたクラリネットで、第九交響曲様に前の楽章を振り返ったあとで、フガート主題が始まるのだがそれをして、トリオにおける「子供の情景」のようだとしてそのコミカルさを指摘。三主題から一楽章の主主題が重ねられて、対位法の花火のコーダへと。

ここでペトレンコ指揮は早く祝祭的だ、変ニの第二の主題は弾み、その中間のそこかゆっくり目には殆ど目をくれない。ヘ短調の第三主題は荒れ狂う。そのしゃっきり感はフーガの様相を性格づけていて、更に息づくことで、コラールでの休止をよりドラマティックにしていたとする。主題が戻ってくることで、二つのフーガ主題を聴き分けられるようにして、展開部の終わりでは棘の効いたリズム十分に流れを堰止め無い。コーダでの次から次への投下で変ロ長調の主題へと終末的な祝祭に至る。

そこでの管弦楽団の演奏を称して偉大という以外に付け加えることはないとしている。それでも最後のコーダがもう一つ大きな音でもよいのではないかとしている。ペトレンコ指揮のブルックナー解釈は、最初に書いていた様に月並みな誰でもやるような演奏実践の常套手段には組せずに、ブルックナーの本質であったと結論付ける。それはそのテムポ運びであり、重量感であり、対位法的な扱いであり、構造的な描き方であり、その個性であるとしている。

そしてペトレンコ指揮のベルリナーフィルハーモニカは、水曜日のブルックナー五番で歴史上最も優れた楽団がやるべきことを正しくやっているとしか言わざるを得ないと結んでいる。



参照:
暗黒の歴史を払拭へ 2022-11-15 | マスメディア批評
祝祭的でないブルックナー 2024-11-24 | マスメディア批評
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音楽芸術の時空の流れ

2024-11-20 | 
久しぶりに薬を服用した。忙しいので早く治したいからだ。午後も少し横たわっていたが、夕方も走るほどには到底回復していなかった。前夜の事を思い出せば急に起きていられなくなったので38度超えていたと推測しなおしたが、39度になれば口を濯ぐ余裕もなくベットに向かっていた筈だ。40度を超えると殆ど倒れるようになって、ベット這って行くような感じになるのが今迄の経験である。

22時30分ほどに床に入って、結構苦しく、何も出来ないので1時過ぎに目が覚めて、結局2時ごろまでは熟睡できなかった。その時刻に録音とかがあると、ベットにいても前夜の苦しみの中では何もできない。投薬するものももう一度その頃にもう二錠摂るようにする。

録音の準備をする前に一昨年の生中継の音を聴いてみた。相変わらずマーラーの七番の出だしは早いが、それとどうようになかなかラフな音が出ている。最後の生の印象はその前のやはり壮行演奏会におけるアルテオパーでの響きである。比較するとやはりより乾いた響きで、この名ホールの響きが感じられる。

そう言えば先の評でのアルテオパーの音響の特徴を近接録音としていたが、なるほどカーネギーホールの場合は舞台の枠内は後ろからの跳ね返りがあって、雛壇との距離感がある。アルテオパーの場合は最上階に行くと距離があり過ぎて、視覚と若干ズレる傾向があって、左右からの残響が多くなり、平土間は上からの残響が邪魔になる。その分音響的に広がりもあるのはそこでの録音でも分かる。

それにしてもマーラー七番に続きブルックナー五番を合衆国ツアーに持って行くのはとても素晴らしい。さぞかし我々の様に両方を聴く人が少なからずいると思う。こうして両方を聴き比べるととても重要な視点が得られると思う。

日本から持ってきて貰っていた薬を飲んで解熱と胃の調子で体調は改善した。録音の準備はしていたのだが、直前になって、記録するNASが夜中にシャットダウンするのを思い出して再駆動したりして慌てていると、AACの直波の記録が上手く行かなかった。更にラディオ放送の最初のジンゲルから暫く落ちていたので楽屋袖の話しからしか聴けなかった。オンデマンドで聴けるから構わないのだが、若干慌てた。

寝室に音を出すようにしていて、結局最後まで小さく音を流していた。その印象ではとても早いテムポに感じて、ティムパニーが不自然にな鳴っていた。テムポに関してはなるほどその音響の中におらずに音を細部からしっかり追っていないと、流れてしまうように聞こえるのが分かった。この仮説は他の人の評を読んでいて感じていて言及している事なのでそれを証明したことになる。

普通は流れが速いと細部が聴きとれない様に思うのだが、音楽はやはりその時間の流れがその創作の中にあって、決してユークリッド時空での座標にはないことが分かる。恐らくその感覚というのは浪漫派以降の音楽に共通するもので、それを如何に演奏実践の中で表現するかに関わるのだろう。



参照:
本物のブルックナーの響き 2024-11-19 | 音
歴史上唯一無二の可能性 2024-11-18 | マスメディア批評
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本物のブルックナーの響き

2024-11-19 | 
ある年齢の自殺者が多いことは承知していた。その多くはホルモンなどの更年期障害とばかり思っていた。然しどうもそれはあまり正確でないと分かったのは最近のことである。要するにカマキリと同じような習性が人間にもあって、家族などの為に進んで食われるというのが全く分からなかったからである。特に公務員や会社員が懲戒などにされる前に退職金などを確保する為に喜んで自死するというは全く分かっていなかった。それゆえにキリスト教などでは十戒で諫めているのだろう。要するに最終的には経済的な自己犠牲である。

日曜日の就寝迄の時間を寛ごうかと思っていた。寝室のフィンにお湯を通した。煎茶を飲んで、暫くすると座っているのもつらくなって来た。急に熱が出てきたようで、口を濯いで転げる様にベットに入った。夜更けに急に熱が出たのは久しぶりで印象としては37度5分は越えていたと思う — 殆ど起きていられなかったので、今迄の経験から38度は出ていただろう。頭痛もするが、その他の症状は殆どなかった。

書き物を検索すると前回は二年程前に熱を出していた。それもコロナ禍以降初めてで、コロナ期間はそうした症状が出ないのが不思議なぐらいだった。恐らく今回もインフルエンザでスーパーかどっかでうつったのかも知れない。流石にこれでは走れないかもしれない。寒い中を走ると体力ともダメージがあるので、なんとも言えないのだが、新陳代謝は健康回復に一番早い。小水も黄色くなってきたので回復する筈だが、昨晩の様な床での苦しみは嫌である。病院のベットなどに寝ている人は大変だと思う。

今晩はニューヨークからの生中継がある。20時からなのでこちらでは26時になる。そこから一時間半は最も眠い時間帯である。熱心に聴くのは難しいが、録音だけはしっかり録っておきたい。オンデマンドよりもいい条件でということだ。一つはAACのm3u波で長めに録音しておこう。もう一つはPCで録音、未明3時半過ぎに終了させるようにタイマー作動か。

どちらにしても翌朝が辛くなる。特に熱でもあるとなるとぶり返す。なんとか投薬などで上手に体調を整えようと思うのだが難しい。

上の放送局WQXRに限らず合衆国からのストリーミングは音も精一杯の音量にしてあって、今回の様なブルックナー交響曲ならば前回のマーラー七番よりもよく鳴るのでさてどうなるか。カーネギーホール自体も舞台が枠に囲まれているので、収録もそこでの鳴り響きが強く、冒頭からのあれだけのダイナミックスがどのようにマイクに乗るだろうかと思う。

ブルックナーの交響曲五番変ロ長調の本質的なその創作意思を理解するのは南独の聴衆にとっても決して容易ではない。それどころか正しく演奏されることが殆どなくて、今日に至っている。合衆国においてはやはりここでも前回のマーラーと同じくショルティ指揮シカゴ交響楽団が得意に演奏していた。

ショルティ指揮は、それでもマーラーの時のよう正統的な演奏を示したわけではない。当然のことながらペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの演奏で、その記念年を祝福すべく、合衆国で漸く本物のブルックナーが鳴り響く筈である。



参照:
歴史上唯一無二の可能性 2024-11-18 | マスメディア批評
ニューヨークタイムスの耳 2022-11-14 | マスメディア批評
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時とは不思議なもの

2024-11-03 | 
承前)フィナーレでのゆったりしたテムポ運び。同時にその儘のアンサムブルを大河の如く、たゆたゆと流すその指揮、誰も出来なかったことのようである。リズムを保持してゆったりと時が流れて行かなければその創作の意思は通じない。

同様な経験は楽劇でも演奏会においても時々ある。恐らく多くの聴者にとっては意識が薄くなる所とも思われがちではあるが、実際にそのように書かれて目した効果と気が付くこともある。一方で多くの演奏家、この場合は指揮者などは取り分けフィナーレで大きな効果を上げようと苦慮して何かを仕掛けてくることも、若しくはそのテムポのリズムの維持が難しくなることもあるだろう — ペトレンコは緊迫とは反対に然し何時もの様にダイナミックスを丁寧に、そしてデュナ―ミックをアーティキュレーションとして丁寧に指揮していた。

「ばらの騎士」のフィナーレは、クライバー指揮の様に誤って演奏し続けられてきたのだが、作曲家と直接の繋がりのあるベーム博士の指揮録音などを改めて聴いてみても、やはり三重唱においてもポリリズム的な扱いも叶わずその後もシステムが多くなると読み切れていない感が強い。硬直した不器用そうな弾かせ方によりフレージングの不確かさもあり、それとは違って1928年3月の作曲家自作自演指揮のミラノでの公演ではさぞかししっかりと演奏されていただろうと思われる。今回のペトレンコ指揮がその意思を繋いだと批評された所以でもあろう — 96年前に聴いた人が両者を比べた訳ではなかろうが。
[High quality]R.Strauss - Der Rosenkavalier Act-3/Karl Böhm & Staatskapelle Dresden,Irmgard Seefried


リズムを崩さずにテムポを保ちながら繋がって、その魔笛風の二重唱が楽劇となりヤーヤ―のヨーデルへと運ぶからこそ、そこで懐かしい時の知覚が戻される。同じような劇場での進む時が流れるのは、メシアンの「アシジの聖フランシスコ」でのフィナーレでも共通している。ヨーデルでその虚の時がアルムの草原での幻覚か幻聴のような世界への認識が表徴する。ばらの騎士オクタヴィアンが登場した世界が響く。

永遠の時、歴史の時、そして最後のエピローグを挟んで聴衆は今の時に戻される。モーツァルトの「コシファンテュッテ」は愛の学校の副題を持ったが、正しくここでは時の学校で、当時の非ユークリッド空間認識への芸術が繰り広げられることになる。

この「音楽の為のコメディー」の本質はここにしかなかった。既にこの楽劇の初演にも立ち会ったマンのその創作における認知としての論文に関しては既に言及した。そこに「魔の山」の中の一節が取り挙げられている。主人公とそこに暮らす従兄弟のヨアヒムの会話からである、「そう、時間とは不思議なもので、それを時間で以って取り扱うのは難しい」の節である。

ホフマンスタールのテキストとしては、「時は特別なもの」としてマルシャリンによって発声される。

既に書いた、それをペトレンコが、それをプロジェクトーをも使って表現したクッパ―演出に沿って、正しく楽譜を音化した方法をである。これにて、20世紀の音楽劇場の起点にあったこのコメディ劇を100年以上の時を経過して漸く表現した。音楽劇場指揮者としてのペトレンコが初めて大成功した制作再演であった。(終わり)



参照:
細やかな音楽的表現 2023-04-27 | 音
四半世紀を越える感興 2024-10-28 | 雑感
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音楽の為のコメディー

2024-11-01 | 
承前)イタリアの批評でも取り上げられていたシュテファン・ツヴァイク「昨日の欧州」を摘まみ読みした。演出に関わる件よりもホフマンスタールとの仕事そしてザルツブルクでの「エジプトのヘレナ」の稽古、そして何よりも「無口な女」での仕事の進め方にが詳しい。然しなによりも「ばらの騎士」に関わるのは、シュトラウスが語るヴァ―クナーの楽劇について語り、モーツァルトの音楽作りへの示唆、そしてこの楽劇の位置づけを本人が語る引用である。

彼はよく分かっていて、芸術的形式としてのオペラは既に終っていて、それは誰も超えることの叶わないヴァ―クナーが頂点だったようで、「しかし」と口を挟んでバイエルン風に大笑いしてから「その彼を回り込むことで助かったんだよね。」語った。

正しく、これは既に言及した「ばらの騎士」の構想そのものであった。如何にヴァ―クナーの楽劇を乗り越えるかは「サロメ」と「エレクトラ」で踏襲して、そして迂回するとなる。

この「音楽の為のコメディー」の真意は明らかだったにも拘わらずどうして100年間真面に上演されることがなかったかとなる。初演後半世紀ほどしてカルロス・クライバー指揮にてオペレッタ風に上演されたのもそうした上演史の一コマであったことがまたこうして明らかになった。

そして、クライバー指揮が今回のペトレンコ指揮の大成功を評価する場合に最も反面教師としてその音源が参考になった。ペトレンコ指揮は落ち着いた深い拍を取っていて、ひたひたとその移り変わりが感じられる音楽になっていた。

そのクライバーが同じように1976年4月にミュンヘンと同じ演出でエヴリン・リアーとハンス・ゾーティンの出演のキャストで公演されたが、最後には大分空席が出来ていた様に全く成功していなかったようである。1961年のベーム指揮に続く公演なので比較的なじみの演目である筈だが、そうした無理解は今回の公演でも変わらなかったというのは共通した感想のようである。やはりテムポ設定や演奏に合わした指揮が上手に出来ていない。

スカラ座の日本初引っ越し公演でのその指揮からすれば決してスカラ座で成功していなかったわけではなかったのだが、やはりミュンヘンでの指揮のようには上手く行かなかったのに違いない。
Evelyn Lear; B. Fassbaender; L.Popp; K. Ridderbusch; "DER ROSENKAVALIER"; (C Kleiber '76); R Strauss


二幕のヴァルツァーにおいてそのアウフタクトの取り方の特徴に気が付いて、それをしてパロディーとしてのヴァルツァーと認識をさせ、同時にそのアンサムブルへの息を整えていた。独墺系の指揮者では取り分け目立つ場合もあるのだが、指揮者エンゲルが語った指揮の先生イムジンの上への振りで柔らかい音を作り、そしてコリン・デーヴィスの奏者に合わさせる呼吸の指揮を魅せた。それがあの羽毛のような響きとそして何よりもフィナーレでの天下一品の演奏となったのである。それでもあの呼吸感とかの決まり方はルツェルンでのアバド指揮しか思い浮かばない。

その背後にあったシュトラウスのドラマテュルギーの作風が、ここではその時制の認識としての音楽を醸し出したのであった。(続く



参照:
独語圏からの物見雄山 2024-10-30 | SNS・BLOG研究
退屈だった古典曲カセット 2024-04-17 | 音
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直行座標系逸脱の刹那

2024-10-29 | 
承前)刹那、仏教用語で最も短い時間の単位とされる一瞬である。この楽劇では一幕の三部にマルシャリンの言葉として時が語られて、「その中では何も変わらず気が付かない」と歌う。ここで鏡を見てとかのト書き通りの舞台となるので、その時13回チェレスタとハープが刻まれて、その台詞へと舞台が変わっていく。

ホフマンスタールのそのテキスト自体が風通しよく解釈を許すものであるとして、シュトラウスのそれでよいのかと疑問を呈していたのがミュンヘン在住のマンであったという論文がある。そこで興味深いのは、「魔の山」の時間の進み方でありそこでのナレーションの在り方がオックスフォードの学者によって論じられている。

そこではあの長い文学作品での最初のあまりにも引き延ばされた時間感覚である。あまりにも長い。この先生も何回も読み始めてそして断念した口かと面白くなるのだが、とても重要なことを記述している。

つまりダヴォースのサナトリウムに着いたカストロフを語るナレーションの時間よりもそこで起こっている時間が逗留の経過に伴いどんどんと短くなってくるというのである。その一方で語られた時間は、読んだ人の脳においては刹那の時でしかなくなるという。それに対して音楽的ナレーションはその演奏されるなり楽譜化された時制となる。勿論それを破るセリアルの音楽となると所謂カーテジアンの座標系から逸脱する音楽表現が為される。

そうした美学的な考察からもどって、「魔の山」の創作時期とサナトリウムでのSPレコードの楽興の時が描かれている風景を思い出すことでその時代背景が実感できるかもしれない ー 大戦の塹壕の泥濘にシューベルト。余談ではあるが、クッパ―の演出においてはオックスと「魔の山」のサナトリウムでのペーパーコーンやマダムショウシャそしてマルシャリンなどが決して無関係でないことに気が付く。

刹那、それが今回のペトレンコの指揮で表出したそのトリックを探し出そうと、今回は封印していたオットー・シェンク演出を初演指揮したカルロス・クライバー指揮で1973年6月13日のライヴ放送録音からフィナーレを流してみた。週末まではHiFiでは音を流していなかったのだが、既にスカラ座でのそれは定着したと自信を持てたので漸くこうして比較試聴することが可能になったのである。

予想通りテムポも全く異なり、その基本姿勢は1963年のリハーサル似通っていたザルツブルクでのカラヤン指揮のそれを更に自由自在にしている。最後のデュオにおいてもクレッシェンドと共に加速してと、カラヤンのやり方と違う方向へとヴェクトルが向けられている。

カラヤン指揮以上に大成功したのはその活き活きとした音楽の進め方であり、響きはより色彩的に出ているので激しいものとなっている。典型的なのはオクタビアンを歌うファスベンダーのヴァ―クナーばりの歌い方であったり、現在からするとあまりにも時代がかったゾフィー役のポップの歌声である。マルシャリンのヤーヤ―もとんでもないニュアンスでしか発せられていない。抑々あの追い込むようなテムポで指揮者は何を表現したかったのかあまりにも不明でしかない。(続く



参照:
四半世紀を越える感興 2024-10-28 | 雑感
拙いシェンク演出よりも 2024-10-08 | 文化一般
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形而上への一瞬の間隙

2024-10-27 | 
承前)三幕後半からフィナーレをどのようにジャーナルするかとても梃子摺っている。そこが今回の公演でのハイライトだったからだ。同じようにそこでも成功していたカラヤン指揮の映像をミラノまで持って行ったにも拘らず今漸く摘まみ食いをしている。成功していた理由は明らかで全体の流れを19世紀の楽劇風に山を作っていたからだ。

序にミュンヘンでの新しい演出の映像も観るが、指揮が何一つ描けていない。時計が強調されてもそこにあるのはトリオにおいても各々の時の流れが明白でない。それはなにも今回のミラノでのペトレンコ指揮がそこで取り分け分離したような明晰さを要求したからではない。寧ろそこはミュンヘンでの古い演出で振った時の方が明確であったろう。

その問題を論文などに目を通すと、時の音楽芸術としての評価に関わるようだ。今回の公演でそこが上手く行くと確信したのは実はカラヤン指揮ではクライマックスに持ってきていた二幕のタイトルロールのばらの騎士が登場する場面である。カラヤンは前後をあまりに整えて最高のマニエーレンで指揮している。なるほどそれは銀で作られ香りのついた薔薇のロココの人工性が表現されるのだが、ペトレンコ指揮の場合は時が止まる時間性をそこに集中させた。演出の骨子であったことも間違いなく、そのような形而上の世界はシェンクの演出では描かれる空間すらなかった。

言葉を換えると非連続性であったりカタストロフの則ち深淵がそこに開く。永遠性こそはフィナーレでの最後の歌詞である。夢か現かの問いかけがこの作品のモットーであった。二幕での一瞬の閃きはフィナーレにおいては、マルシャリンの逡巡にそして有名な台詞Ja,Jaに発生する。

カラヤン指揮で大成功したシュヴァルツコップに言わせると「世界の痛みがそこに」となる様で、ベルリンで成功した演出家ハラーは若い人の好きなようにのようで、実際にベルリンでの演出もマルシャリンの突き放したような演技になっている。それを含めてマルシャリンは諦観を表す存在だと今迄思い込んでいて、それは一幕での経年での加齢に表れる不可逆の条理に対する諦観であると思っていた。

然し今回の演出と指揮は明らかに二幕のそれ以上に形而上への呟きとなっていた。それは前後のテムピ設定のみならずまさにアーティキュレションの見事さで、時の流れの間隙としていたのは間違いない。

歌手のストロヤノーヴァの場を作る存在感は圧倒的なのだが、それは細かな演技指導の賜物であり、それ以上にペトレンコ指揮における微細な棒捌きの音楽的な成果以外の何物でもなかった。彼が世紀の指揮者であることはこの十年間でそれに疑念を持つことは一度もなかったのだが、今回の様に音楽劇場の指揮者としての洞察力で演出に則ってこれだけの深淵を刹那を表出させたことは未だ嘗てなかった。音楽劇場指揮者として超一流であること確認した一瞬であった。まさにこの楽劇が現在も公演される芸術的価値がそこにしかなかったことを認識させた。(続く



参照:
百年祭記念の映像制作品 2021-02-25 | 音
二十箇月の感傷旅行 2024-10-26 | 女
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移り変わる刷り込み

2024-10-23 | 
承前)ペトレンコ指揮のその効果はトレイラーの音楽だけでも分かる。メータ指揮の時は三幕フィナーレのトリオの部分が使われていた。そこのテムポや音楽づくりがペトレンコ指揮での骨頂だった。然し今回は冒頭の寝台のホルンの部分が使われていた。そこは20世紀後半のクライバー指揮で有名なところだった。勿論それを聴くと全く狙いが違うことが推測されるだろう。如何にこの楽劇の本質が理解されずに100年以上経ったのかがそこに彼のオットーシェンク演出と共に反面教師としてクライバー指揮が記録されることになった。あの演奏では到底フィナーレ迄の創作のコンセプトが示せなかった。
ペトレンコ指揮のトレイラーDer Rosenkavalier - Trailer (Teatro alla Scala)

メータ指揮のトレイラーDer Rosenkavalier - Trailer (Teatro alla Scala)


その如何にレヴュー劇にならずに指揮出来るかを今まで誰も克服できなかった。作曲家自身もドレスデンの初演からあれだけ成功してしまうと最早不可抗力でしかなかっただろう。そうしたエンタメ感覚は、今迄経験した白黒映画から何回もの公演での経験からも抜け出せなかった。

ペトレンコ指揮のミュンヘンでの公演もあの演出ではフィナーレへと月並みな認識の刷り込むから抜け出させるものではなく、寧ろそうした先入観念から効果を上げる演奏を不可能にしていた。明らかに演出がその心理を表現するには大まかで、恐らくト書きにそこまでの指針を示せなかったのであった。

恐らくその背景にはこの楽劇が、マリアテレージア時代を舞台にしながらその百年後の世界を描いているという、モーツァルトのオペラのパロディーであったという構想自体にあったのだろう。要するに楽劇とは為されているのだが、次の作品の「ナクソスのアリアドネ」に見られる楽屋落ちのように音楽劇場構造を明白に出来なかった成功の裏の失敗があたっと見做すことが出来よう。

それを音楽的に細やかに引き出すことが不可能だったことがある反面、それはなにも楽譜上での細部を音化するというような単純な処方箋ではなくてというのが批評にもあった真意である。それは三幕の一場での舞台裏での所謂バンダのサローン音楽が演奏されるところでもその意味が納得される筈だ。要するにこの楽劇がヴァ―クナー流の劇場を世界化する楽劇を超えたメタ楽劇であるという大きなメッセージにもなっている。

そのような楽劇の構造からベルリナーフィルハーモニカーが史上始めて演奏したラトル指揮でのそれが慣れないことが逆に月並みなイメージへとの収斂がなかったことで想定以上に成功していた。やはり劇場の慣れた楽団であればあるほどそうした刷り込みから抜けるのが難しいことか。

三幕でのオックス男爵は作られたコメディー役とは離れてその人物像を細やかに演じて歌うことによって、そのややもするとスラプスティックな景となりがちなのだが、どこにマルシャリンが登場して、フィナーレへと導いていくように、劇的にもとても効果的であり、観衆の心理やその視座を定めるに取り分け重要な場面であることを今回の舞台とそしてその奈落と舞台裏の音楽が効果満点に伝えていた。今回の様にフィナーレへと定まっていく公演は未だ嘗てなかったであろう。(続く



参照:
苦労して獲得するもの 2015-03-30 | 音
テレージア公に抱かれる 2024-10-22 | 文化一般
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娘ゾフィーの音色

2024-10-19 | 
承前)一幕では最終景があったのでマルシャリンがカーテンコールに出て来た。出来は十分で妥当な拍手があった。それでもそこに大きな山がある演出ではなかった。少なくともペトレンコの指揮においても幕切れはミュンヘンの演出に比較すればすんなりと流された。

同様な状況は最初のファーニナル家の状況や娘などの期待やそのハレの感じがザルツブルクの映像に観られるように丁寧にマリッジブルーまでが綺麗に描かれる。それが銀の薔薇を持った婚姻の使者オクタヴィアンの登場へと導かれる。

聴きどころでもあるのだが、やはり今回ゾフィー役のデビューとなったサビーヌ・デュヴィエルの歌が注目された。なによりも地声も素晴らしいフランス人で、歌唱も透明なコルラテューラを素晴らしく歌い、ここ数年のこの役の歌唱としては秀逸だったのではなかろうか。どうしてもその役柄の見栄えと歌から若い歌手が歌うことが多く、技術的に歌唱の卓越にも至らない場合が多いからだ。それは演出が細やかに為されていて、本来の歌詞の意味とそして何より音楽が正しく演奏されているということに他ならない。

何故ミュンヘンでは新しい演出によって十八番のシュトラウスの楽劇が再生ィーンなどでは観光客狙いに宝塚のようなレヴュー以上にはならないシェンク演出が残されているかという意味の本質である。その分その続きにじっくりとした情景が続いているのだが、残念ながら上手が見えない席だったので仕方がない。

隣のミュンヘンからのおばさんも全く同じ考えで何度も来るようだったが、その都度向きを変えると話していた。勿論キャンセルの可能性も考えて安くていい席を選んだというのも全く同じだった。しかし何よりも天井桟敷こそがブラヴィーもブーも掛る通の場所で、明らかに主のような人が陣取っていた。

さて個人的には一幕から二幕へと独語歌唱としても立派なものが割愛されない歌詞から浮かび上がってきたのだが、その点においてはやはりこのゾフィーでは明らかに物足りなかった。ミュンヘンなどで歌うならばもう一息の指導が必要だろう。隣のおばさんはザルツブルクでピション指揮で素晴らしいヘンデルを聴いたということで、ピション指揮バッハのフランクフルトでの評価も伝えておいた。

そしてオックスとオクタヴィアンの果し合いから最終景のオックスのヴィーナーヴァルツァーとなる。ここでヴィーナーフィルハーモニカーよりも本物の演奏をすると楽団はないと思っても仕方がないのだが、ヴィーナーシュニッツェルならずコトレットアラミラネーズの差異はとなる。

確かにヴァルツァーにおいてもそのアウフタクトに間を置く必要があったのが見られた。なるほどそれは致し方がないのだなと感じさせるところで、ミラノではカリッとしたシュニッツェルは食せないだろうと思わせる。

然しそれもこの創作の中でヴァルツァー自体がパロディーの衣装として扱われている以上何もそうした間が必ずしも否定的にならないのではないか。(続く
Der Rosenkavalier - Interview with Krassimira Stoyanova - Günther Groissböck (Teatro alla Scala)




参照:
持ち交わす共感のありか 2024-10-14 | アウトドーア・環境
再演「ばらの騎士」初日へ 2024-10-11 | 文化一般
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ゲットーの光の影

2024-10-18 | 
週明けのベルリンの新聞にエンゲルがインタヴューを受けていたようだ。中身を読めなかったのでそのままにしておいた。見出しも「テレージアンシュタットのゲットーに収容されていた作曲家の音楽」となっている。一番有名なウルマン、今年ハイデルベルクで聴いたパヴロハースの作曲にしても私が知るエンゲルのレパートリーではないので不思議に思っていた。

10月13日に催し物があったようだ。80年前にゲットーが設置されたらしい。その演奏会でエンゲルが講演していて、その内容があがっていたので読んだ。

ベルリンからユダヤ人がドレスデン近郊のゲルニッツとプラハの間にあるテレージアンシュタットに送られるにあたって停車駅があったのがクロイツベルクのメッケルンキエツで、そこの一番線が記念碑となっていて、分岐器が設置されている。

エンゲルは自らクロイツベルクの住人と語り、テレージアンシュタットでの音楽活動についての興味を持ったようである。そこでの音楽活動としてナチのSSの宣伝フィルムが有名で、戦前から成功していて戦後に世界的に活躍するカルル・アンチェル指揮でのハース作「弦楽の為のファンタジー」の初演風景が残っている。それに関する戦後のインタヴューでの映像で、初演の翌々日には家族諸共バラバラにアウシュヴィッツに送られて二度と相まみれることはなかったと語っている。

"THE FUHRER GIVES THE JEWS A CITY" WWII GERMAN PROPAGANDA FILM 19064


そこでの活動は、然しエンゲルが語るにはユダヤ人の芸術家にとっては最も可能性があった事には違いないとしている — その証拠として、そこでの映画ではナチの勢力圏ではメンデルスゾーンもオフェンバッハもユダヤ人の音楽として演奏禁止されていたものが演奏されている。即ちナチの影響下においては所謂頽廃的音楽とされたものは演奏されなかったので、その分そこでは例えばジャズのイデオムが使われたという。

それに並行してナチ政権下では20世紀のオペレッタの損失があったという。そこに文中リンクを張っているように奇しくもエンゲルの繰り上げミュンヘンデビューとなったレハール作曲「ジュディッタ」について触れられている。そのことをしてベルリンの今閉鎖へと圧力が掛かっているコーミッシェオパーが評価されている。然し同時にそれが創作へと繋がっていないことを婉曲的に指摘する。

前者のジャズのそのリズム的なビート感覚が亡命ユダヤ人で戦後の新しい音楽を導いたアドルノによって誤ってファシズムを意味する行進曲と捉えられたことによってダルムシュタット楽派を代表とする戦後の音楽においてそのリズムまでがセリアル化されて、あまりにも聴者にとってはとっつきにくい音楽へと突き進めてしまったと論じている。

これは同時に今日性のある分かりやすく新鮮な音楽劇場の可能性を失わせた二つ目の要因と共に挙げられていて、テレージアンシュタットで仮想の輝く光のその音楽活動から当時の独墺音楽界の影を捉えることになっている。

こうして観察するとエンゲルの活動が決して摘まみ食いを適当にしているのではなく一貫した音楽的な興味からの厳選となっていることに気が付く。20世紀の前衛音楽に対比するものがそこで試みられていたボヘミアの民謡やそのミニマル的な扱いとなると、ここ暫くペトレンコ指揮でのその音楽的な課題と共通していることが明白に言葉として発せられていて、感心するばかりだ。



参照:
Eine untergegangene Musikkultur, Titus Engel VAN vom 16.10.2024
Gedenkkonzert am 13. Oktober 2024, 19 Uhr, im Forum Möckernkiez, Möckernkiez e.V. vom 13.10.2024
とんだプログラム間違い 2024-04-11 | 文化一般
奇想曲の深い苦み 2024-10-04 | 音
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羽根の生えた軽やかさ

2024-10-16 | 
承前)ミュンヘンでのペトレンコ指揮「ばらの騎士」は必ずしも大成功していなかった。その理由は2017年の評に書いてある。そのシェンクの演出に問題があったことは余りにも明白だった。そして読み返して意外に思ったのはあの時でもまだミュンヘンの座付きは克服していなかった。

先ず今回のスカラ座の楽団は、管の色合いが異なり、全てにおいて色彩的であったことだ。これはミュンヘンの影を認識させる響きとは全然異なり、ヴィーナーの倍音成分の多い響きとも異なり、なによりも明るい。

管はもとより弦の奏法が異なるのは、今回ソロを弾いていたドイツで学んだアバドチルドレンのスカラ座二代目の友人のその演奏でも馴染みなものであり、特に一幕における叙唱風の沢山の短縮化されない歌詞へのつけ方で大きな意味を示した。

たとえミュンヘンの楽団がどんなにペトレンコ指揮で統制されていてもあのような弓使いの軽やかさはその伝統的な特徴からは離れる。それを軽やかに羽が生えたようになりながらもしっかりとリズムも刻みそして何よりも声に寄り添う能力はヴィーンの劇場では到底叶わないものだった。

こうしたアンサムブルはなるほどアバド指揮のロッシーニで聴いたものであり、現在のシェフのシャイーのそのトレーナー能力のお陰であることは全く同じなのだ。もしかするとペトレンコ自身も今こそアバドの跡を継いでの仕事が出来ると考えているのかもしれない。

同時にスカラ座からこうした嘗てクライバー指揮で経験したようなダイナミックで力動感溢れ大きく波打つ音楽はシャイー指揮では到底不可能なもので、トレーナー指揮者であることを確認させてくれる。ある意味それ程現在の状況があの当時の全盛期を超えているかもしれない。それ程真面に振れる指揮者が登壇してなかったということだ。

なるほど今回の公演最後の拍手においてもとても大きな成果を上げていたオックス役第一人者のグロイスベェックの歌唱に対して少なからずにブーも混じっていた背景がそこにある。ミュンヘンなら大喝采で終えていた、恐らく最も喝采を受けた筈のその歌唱も、イタリアにおいてはジャンニスキッキのマエストリのようなベルカントの声を望んでいるのだろう。

映像等では確認していたのだがマルシャリンを歌ったストヤノーヴァにはダイナミックスが欠けていたと思うのだが、一つには演出と指揮者の制御も効いていた可能性がある。それゆえに明らかにクライマックスは最終幕にもってこられ、シェンク演出のドラマテュルギー上の問題が明らかにされる。

こうなるとどうしてもベルリンでのメータ指揮のニールントの歌唱と比較して、技術的にもそれゆえに独語歌唱も優れているのだが、明らかに劇場の大きなミュンヘンではやはり厳しいだろう。その分より精査な歌唱と上演となった。(続く
Der Rosenkavalier - Trailer (Teatro alla Scala)




参照:
持ち交わす共感のありか 2024-10-14 | アウトドーア・環境
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音
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春夏秋冬の祭典

2024-10-09 | 
承前)ムストーネンは指揮者でもある。後半のバッハのあとの二曲目が当初のバシェヴィッツの弦楽のための協奏曲から変更になってギナステラの弦楽のための協奏曲となった。コントラバスで高域で演奏させて、ヴィオラに繋ぐなど、殆ど武満徹の様な非常識な楽譜を1966年に書いているので、1916年アルジェンティン生まれだが、音楽的には似ている。指揮は、敢えてギリギリのテムピを狙ってくるようなところもあり、チェロなどは明らかに挑戦スタイルになっていた。そうした手法ばかりではよくないのだろうが、少なくとも客演であそこまで一生懸命弾かせれば先ずは偉いのではなかろうか。この選曲などからムストーネンの作品を聴かないでもほぼ見当はついた。作曲の先生がラウタヴァーラというのも納得である。

そのピアノといい、和声の積み重ねの中で音楽を奏でていくのではない、やはりシベリウスなどからの独自の音楽話法が支配している様に思われる。そこからあのフィンランドのパメラ門下の指揮者がどれもこれも駄目な理由がそこにあるのがよく分かる。

さてお目当てのヴィヴァルディ作「四季」である。イムジチを聴いたことがあるのが思い出せないが、今回三四半世紀も経て漸くこの曲のヒットの秘密を認めた。四季感以上にやはり描写が巧い。それを弦の新しいテクニックを駆使してということでやはり他のヴァイオリン協奏曲集に比較しても表題的内容がぎっしりと詰まっている、

ヒットの頃にはヴィヴァルディがオペラ作曲家であったというプロフィールはあまり知られなかったのだが、現在では全曲録音などもぼちぼちと出ていて、こうした表題的な意味もより詳細に想像できるようになって来ている。音楽に歌詞が付く価値はやはり大きい。

然しその様な解説がなくても春夏秋冬の各々三楽章のその場面は分かる。今回のヤンセンの演奏はどちらかというとヴァイオリンの技術的面をより洗練させて音楽化する傾向が強く、敢えて表題的に合わせた演奏はしなかった。それでも春の鳥の鳴き声の模倣でも若いコンツェルトマイスターリンが応えてもやはり全然その歌の巧妙さが違う。そして舞曲的な扱いも巧い。顕著なのは夏の嵐なのだが、やはりそれはあまりにも激しく最早46歳なのだが元気があり過ぎる。それ程しなやかではないのでどうかと思っていたら、成程ドライヴ感が可也強く、音楽的にそこまでやる必要があるのかどうかとは感じた。それは平素からより大きな会場で弾いているからではないかとも思う。

その様な演奏なので、秋におけるワイン祭りで酔っぱらって落ちていく雰囲気も決して強調されることはない。それでもここぞという技巧が挟まれる時には鮮やかに弾き切る。そうなると余計に狩りにおけるホルンの歌などのしっかりした音楽要素が浮かび上がる。冬などにおいても三楽章など表題から離れるほどに音楽的な面白さが浮かび上がるために見事な出来となり、熱狂的な反応となった。

ヴァイオリンの演奏はソロ演奏から協奏的なものまで様々な演奏を聴いてきたが、やはりこれだけの音で中会場でこのクラスの演奏家が弾くと全然異なることを感じ入った。同じように素晴らしいホールで数年前にチューリッヒでモーツァルトの協奏曲を聴いた時はこれ程に素晴らしくはなかった。楽曲による差も大きかったのだろうが、本人の演奏も明らかによく鳴っていた。(続く)



参照:
音楽後進国ドイツの野暮天ぶり 2017-08-01 | 雑感
玄人らしい嫌らしい人 2019-01-18 | 音
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拓かれる新エポック

2024-10-07 | 
承前)前プログラムから記録としてきた。そして今回の演奏会で可也重要なことがあった。それはプログラムに「楽章間での拍手を控えるよう」にと明記してあったことだ。これは初めて見た。なるほど最近は楽章間での拍手が復活してきていてトレンドにさえなっているからだが、それ以前はマナーとされていたことである。

これはとても興味深く、必ずしも主催者のアルテオパーの見解とは思われなく、楽団の指揮者の意向と考える方が自然かもしれない。抑々19世紀の演奏会における浪漫派からの流れでは一興行内での継続した時間の流れの演出が大きな意味を為した。然し、それ以前の古典は音楽においては必要ならばアタッカと称して三楽章と四楽章を続けて演奏する指示を譜面化した。ベートーヴェンの運命交響曲に有名だ。

これは今回のプログラミングにおいてブラームスのドッペルコンツェルトそして後半のマルティヌーにおいても意味があった。逆にブラームスでは楽章間に拍手が入るようなそこまでの熱演とはならなかった。

大きな理由は二人のソリスツの音量による。特にチェロのガベッタは40歳のようだが小柄で地声も高くとても可愛らしい女性である。そしてその楽器もハビスロィティンガー財団からストラドのドブレスッジア1717年を都合されているにも拘らず、合奏用に1730年製のマテオゴフリラーのものを使っていて、音も鳴らないが特に低い方よりも上の方に輝きがあり軽い音の楽器である。ブラームスにおいても大会場ではバスも鳴らない。所謂胴声のするブラームスでないことは肯定的だったのだが、合わせたフランクのヴァイオリンもグアルネリで中域に寄っている。背後の交響楽団も全く弾けていなかったのだが、これでは会場が盛り上がらない。

それで販促の写真に弓をこちらに向けている表情が写されていて、それが本人の好印象とは異なっていて残念に感じると同時に、やはり写真だけでも攻撃的な印象を与える戦略だったのだと理解した。

音楽的には、ヴィルデ・フランクのベルリンのブラッハー門下でクロンベルクではチュマチェンコに習うなど、可也引っ掛かる弓遣いに対して、チェロもそれほどつるつるとさせることもなくとても上手に処理していて、先入観での南米出身のぺラペラさは最小だった。

そうした純器楽的興味がこのプログラミングにおけるコンセプトの軸に深く関わっている。最後の曲においてもその奇想冗談曲と内容が対象化していて、ブラームスの新古典主義こそがまさしくその対照性の創作であり、マルティヌーも交響曲に取り分けノルマンディー上陸などの時局を含めた時代の気分を閉じ込めてある。

そうした表現は決して人工知能的な再現では不可能なものであって、創造や創作行為が如何に歴史的なコンセンサスの上に培われていて伝統になっているかということをそこに再確認することになる。時代の趨勢ということもあるが、そうしたエポックによって、初めて歴史的な推移が確認されるところであり、それによってまた新たなエピックが生じる。それは必ずしも進歩主義的なイデオロギーとは異にする科学的な視点でしかない。



参照:
春以来のクロンベルク 2024-10-05 | 音
ワクワクの集積オペラ 2020-12-16 | 音
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春以来のクロンベルク

2024-10-05 | 
クロンベルクの「四季」、二部構成の音楽会だった。一部はヴィヴァルディの同曲を中心に据えて、その前にシニトケのコンツェルトグロッソ6番が演奏された。当初のプログラム配置などとは最終迄定まらなかったようだ。一つにはHR2でのラディオ収録の関係もあったと思う。小まめにマイク設置をしていた。二部はバッハのニ短調のドッペルコンツェルト、そして曲目変更のギナステラの弦楽のための協奏曲、最後にピアツォラの「四季」となった。

先ずは誰がどの曲を演奏するかは一部予想するしかなかった。なぜならば二人のヴァイオリニストのジャニー・ヤンセンは今シーズンからアカデミーの指導にあたり、ギドン・クレメルの演奏は春にはアカデミー生と合わせていたからだ。更に、二人のヴァイオリニストが何を弾くかも分からなかった。

予想通りだったのはヤンセンのヴィヴァルディとクレメルのシュニトケとピアツォラだったか。もしかと思っていた共演がバッハで実った。然し結果は予想通りで、第二ヴァイオリンにクレメルが弾くと、到底第一ヴァイオリンを模倣するだけの音が出なかった。協奏曲としても音が消えてしまう。楽団はクレメルの楽団なのだが、ダイナミックスはヤンセンの弾き振りに合わせる。興味深かったのは楽団の中で最も若そうなリガの女性で、オランダでも学んだようだ。彼女がヤンセンに吹っ掛けられるのだが、勿論匹敵するような音も出ない。同じ様に音が出なくてもやはりクレメルは一鎖を聴かせる。演奏者同士でなくてもついつい耳を傾けたくなる。特にバッハの演奏は日本での最初のリサイタルでも独奏をしていたので懐かしかった。

一部一曲目にはクレメルが、1977年に日本初演した「ショスタコービッチの想い出」のシニトケの1993年の作品が演奏された。前年の夏に亡くなり、その年内には創作されていた曲である。個人的には録音テープに合わせての演奏は初めての経験だった。その印象がその後の作曲家同席の演奏会やオペラの独初演などのその作風への認識の基礎になっていた。

そしてそこでピアノと指揮を受け持ったのが昨年日本でも大きな話題になったフィンランドのピアニストのオリ・ムストーネンだった。これがまた激しく、蓋を取ったその楽器からダイレクトな打鍵が楽器の共鳴を許さなかった。日本ではクラシックな曲を弾いたかで「まるで玩具のピアノ」と評された音響であった。聴衆が違和感を持ったのもよく分かったのだが、少なくとも十数年前にペトレンコ指揮でハムブルクで演奏したベートーヴェンはそれなりに素晴らしかった。ベルリンでペトレンコが客演指揮で合わせたフォークトとは比較にならない音楽性であった。

この作品のシリーズはコンツェルトグロッソと称して指揮者ロジェストヴィンスキーに献呈されたがバロック音楽をモデルとしたソロ楽器群と楽団の協奏曲である。そこに楽器の組み合わせによる若しくは楽器の特徴による奏法や音響の面白さがその音楽となっている。当然チェンバロ風の鋭い響きや叩いたりはたたいたりするようなタッチが要求されるところである。

そのあまりにもの素晴らしい響きに対応すべく、クレメルが前々回聴いた1990年代にも劣らない明晰な音を奏していた。それが聴けただけでもこの会に出かけた価値があった。そしてこれ程のピアノを弾ける奏者は本当に貴重で新しい音楽を得意とするピアニストにも必ずしも期待できない音楽性である。(続く)



参照:
セーターに腕を通した 2024-10-03 | 暦
内容的にもぎっしり 2024-09-27 | 文化一般
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