Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2022年12月

2022-12-31 | Weblog-Index


バイエルン料理に舌鼓 2022-12-31 | 料理
デジタルアムプで年末調整 2022-12-30 | 暦
暮へのお片付け 2022-12-29 | その他アルコール
デリケートな差異の吟味 2022-12-28 | 料理
どんなに酷い目に遭っても 2022-12-27 | 生活
第二祝日の不可欠の厄落とし 2022-12-26 | 女
幕が閉じてのその熱気 2022-12-25 | 音
飛行機旅行ボイコット 2022-12-24 | マスメディア批評
年末年始の買い出し 2022-12-23 | 暦
主役を担うのは歌える歌手 2022-12-22 | 文化一般
図書館付随会場の音響 2022-12-21 | 音
雪模様のミュンヘン旧市街 2022-12-20 | 雑感  
名伯楽が残していくもの 2022-12-19 | 音
眠くなる「ローエングリン」 2022-12-17 | 雑感
若干残る未知の要素 2022-12-16 | 雑感
11歳クララに教えて貰う 2022-12-15 | マスメディア批評
回答が出される週末 2022-12-14 | 生活
なによりも陽射しの恩恵 2022-12-13 | 生活
なによりも良かった沈黙 2022-12-12 | アウトドーア・環境
光背を負うたその芸術 2022-12-11 | 暦
とんでも仮説のおやじ 2022-12-10 | 生活
体現された自由への飛翔 2022-12-09 | 女
待降節から大晦日へ 2022-12-08 | 暦
旦那のコンセプト 2022-12-07 | 文化一般
再訪問は未定の「魔女」 2022-12-06 | 文化一般
ビキニポール踊り予約 2022-12-05 | 生活
初日迫る「魔女」に想う 2022-12-04 | 女
インタヴュアーの実力 2022-12-03 | マスメディア批評
あまり立派でない素材 2022-12-02 | 文化一般
みんなみんな狼だか 2022-12-01 | 文化一般
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バイエルン料理に舌鼓

2022-12-31 | 料理
ザルツブルクから来年のプログラムが届いた。ざっと目を通しても新しい発見はなかった。同時にエアールの音楽祭から夏のプログラムも届いていた。こちらも全く関心を呼ばない。

本年はどちらも行かなければいけなかったのとは大違いである。そして偶々両日で両方共を満喫、その間に小さな山に登れたのもよかった。

そして美味い魚屋ビアーガルテンも見つけてご満悦であった。再来年以降も様子を見なければいけないが、現在の芸術監督の下ではあまり期待が出来ないかもしれない。

外食としては眺望よしで上のが挙げられるが、クリスマス前のミュンヘンでの食事もよかった。なんといっても借景の劇場を正面に見乍で、少し時間をおいてのビールも美味い。

キュッファーグループのシュパールテンでバイエルン料理を出すレストランである。初めて正面に見える上階のオペルンシュテュ―ベに入ったのだが、これは価値があった。なによりも日曜日のお昼過ぎでも空いていたのがよかった。混むので上階を開けているのだろうが、折からの雪模様で常連客が少なかったのだろう。通常ならば予約が必要だったかもしれない。

メニューの一皿が少し高めであり、出しているものがこてこてのバイエルン風だったのでそれ程入る気が起きていなかったのも事実で、こうしてゆっくりと開演迄の早めに一杯ならばなんとかなった。そもそも朝起きしていて、前夜のパイの一部を食してアパートメントをチェックアウトして、マティネーコンサートを終えて、食事処を探していたのだった。劇場地下の駐車場に停めても料金が掛かるので他所を探したのだが、これといった店は見つからなかったのである。

兎に角足元が悪いものだから、駐車場の出口に近い此処に入ったに過ぎなかった。しかし、一皿の結構な価格でいい素材のものがあり、比較的安めな牛の背肉の焼き蒸しのオクセンバッケルにしたのだった。これが付け合わせのジャガイモのピュレ―を含めて、バイエルン風の若干甘いソースにしつこくならない味付けでとても良かった。この手のものは肉のどこか一部が匂うことが多いのだが、ビールに漬けてあったのか、とても円やかであった。

ビール一杯で愉しむのであるから、それ以上の欲は出せなかったのだが、コーヒーの後のバイエリッシェクレームも自家製のようで、これまたダルマイヤーのお持ち帰りのものとは違って、チーズクリームのように美味であった。

ヘレスが5.90ユーロ、コーヒーが3.90ユーロ、肉が29ユーロ、デザートが13ユーロで、51.50ユーロであった。チップを入れて55ユーロ払った。駐車料金は、14時2分に入って、19時31分支払いで、26ユーロ。日曜日としては決して安くはないと思うが、イザールフィルハーモニーでの駐車が10ユーロと、何とか許容可能な額で済んだ。

Spatenhaus an der Oper




参照:
天使が空から降りてくる 2022-08-02 | 雑感
デリケートな差異の吟味 2022-12-28 | 料理
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デジタルアムプで年末調整

2022-12-30 | 
年末調整で初荷を発注した。年内に届くことはなくても年始ならば構わない。なによりも2022年会計で落としてしまうことが重要。本来ならば11月中に発注するつもりだったのだが口座が閉鎖などになったりで遅くなってしまった。

投資目的は幾つかあるのだが、一つは昨今のデジタルアムプ素子を使って、印象を得ることである。TDA7498と称するSTマイクロエレクトロニクスのアムプチップがある。160ワットの出力も驚くのだが、Dクラスということでとても効率がいいらしい。

手元に使いたいスピーカーとしてオーラトーンのキューヴが二つあるので、これを鳴らしてみたいという希望もあった。スタディオモニターとしての卓上での鳴りは知っているのだが、その昔は通常のアナログアムプで鳴らした音しか知らない。真面に鳴っている印象が無く、自身でも真面に使った記憶がないのである。本当ならばバンバンとパワーを入れても潰れないということだったのだが、そのような使い方は要らないので、小さな音でも綺麗に鳴ってくれないかと思っている。

先ずは試しに、其れの為に使う旅行用に購入したDACにヘッドフォーンをつけて聴いてみた。デジタルコンサートホールの通常の再生とハイレゾ再生での差異が通常のウィンドーズPCから明らかに再生されたので、アムプさえ質が良ければハイレゾ再生が楽しめると想定した。11月の米国ツアー向けのプログラムから例えばモーツァルトのヴァイオリン協奏曲をハイレゾ再生しても弦の合奏が弓の切っかかるような音まで再生されていて、意外に思った。勿論ソリストの響きもよく分かる。

つまりそこからラインアウトで出して、アムプのラインインに入れられば可也の音質が得られる筈なのだ。電力消費量は、これである程度篭り部屋で聴けるようになれば、メインシステムからサブのアクティヴに送って鳴らす必要が無くなり、電力を節約できる筈だ。デジタルコンサートホールのハイレゾがある程度の音質で再生されれば合格で、その他の日常のラディオネット放送とかはそれで足りるようになる。

DACもアムプも中華製の安物なのだが、それでハイレゾ視聴まで出来たらやはり凄いことだと思う。必要なので改めてバナナステッカーというのも発注した。嘗てはこうした接点を増やすものはオーディオファンには忌まわしいことであった。

その他にもDACとアムプを連結させるミニプラグとRCAプラグの接続ケーブルも発注しておいた。適当なものは手元にあるのだが、この手のプラグも嘗ては真面なものを使うこともないほどの使用法であった。

確かに高級ヘッドフォンでも最近は通常のステレオプラグではなくてミニプラグにも対応しているものが多い。小型の高音質オーディオ機器が流通していて、それが更にデジタル化したことで、スタディオデジタルのHiFiが本当に手軽にヘッドフォーンを使えば耳に出来るという今日の技術的な成果は甚だしいことだと思う。



参照:
暮へのお片付け 2022-12-29 | その他アルコー
どんなに酷い目に遭っても 2022-12-27 | 生活
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暮へのお片付け

2022-12-29 | その他アルコール
暮へのお片付けである。多くは継続となりそうだが、〆る所は〆ておきたい。陽の入りまでに一っ走りした。途中で行き苦しくなったので減速したが、心拍数165ぐらいであるから大したことはなかった。それに気が付くだけでもまだましで、体調が不完全な状況では仕方がない。

今年の11月は天候が良くて軽く超えたのだが、意外に12月が色々ときつかった。朝起きるのが辛い日が多く、もう少し太陽が欲しいと思う。当時も過ぎて新年になれば陽が長くなるのが何よりもの滋養である。

帰って来て、残っているグランクリュをアペリティフとして、いつもの安物のヴァイツェンビーアを空けてから、先日貰ったケラービーアも開けた。アルコール度も高く、高級なのでそれだけ飲み応えはあるのだが、口が今一つでもう一つはっきりしない。

前回のオミクロン症状の時にはなかったのだが、今度は結構口にも来ていて、それ以前のような可笑しな感じではないが、影響は長引いている。更に夜中の三時頃になると咳き込みだすのも変わらない。ここまで恢復してきていてもその特徴が続いている。

ということでドイツ全体としては新たな波がやって来ても患者数も減少を続けているようで、亡くなる人の数も減らない。しかし、社会全体における意味合いは最早無くなっていて、感染する人がいても影響も少なくなってきている様である。

コロナ規制の全廃が議論されるようになって、時間の問題で、「自己責任」と主張する政治家も出てきた。一方接種を政策をよりどころとしながらも、その効用は一定程度しかなかったことはその死亡数の下げ止まりで明らかとなっている。

個人的にはタブレットに入れてある電子パスのアプリケーションを消去してしまうかどうかぐらいで、興味が薄れてしまった。未だフランスなどは接種三本を原則としているのでそれらが廃棄されるのを待つだけである。

毒消しを兼ねてBGMを鳴らすようにしている。暫く厄介で止めていたが、デジタルコンサートホールのただ券で流してやろうと思った。そして年内のそれを使おうと思ったら駄目だった。理由は、恐らく一度同じキャムペーンのものを使っていたからだと思われたので、別のアドレスで試して見ると使えた。人によると何種類も使ってい要る様なのだが、二種類でも十分で、それ以上には要らない。

土曜日のジルフェスタ―コンツェルトは、TV中継でも一時間遅れであり、ラディオ生中継もあるので、どちらでもいいと思っている。アーカイヴになるとハイレゾになるのでそちらの方が愉しみである。

プログラムの頭には、ヴェルディの「運命の力」序曲があって、ムーティが日本初公演で指揮した曲で十八番でもあった。これも今や片足をイタリアに着けるペトレンコがどのように指揮するのか。「オテロ」公演においてはその音楽性を満喫したのだが、こうした初期中期の曲ではどのようになるのか。その他、プログラム自体が興味深い。



参照:
デリケートな差異の吟味 2022-12-28 | 料理
年末年始の買い出し 2022-12-23 | 暦
 
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デリケートな差異の吟味

2022-12-28 | 料理
先週金曜日以降身体を動かしていない。それでも第二祝日に初めて鱈腹食った。グランクリュワインも空けた。動けなくなってベットに向かった。

やはり未だ体調が全快ではない。口も良くなく、味覚は限られていた。そして満腹と同時に疲れも感じた。結局長くベットに居座った。明けも陽が射したのでここら辺りで軽く走っておかないと病気になる。

まだ咳に少しラッセル音が混じっていて、咽喉だけでなく気管支へと炎症が広がっていたような気配がある。オミクロンであろうがなかろうが、これここ暫く流行っていたウイルス性の感冒であったことは間違いない。

メインは恒例の栗ザウマーゲンであったが、突き出しにしたサーモンのロールが思いがけず美味であった。中身はクリームと辛子の二種類なのだが、両方とも美味く、辛子は絶妙であった。その美味さはやはり素材のサーモンの質に関わっていることはよく分かった。平素購入するような安物の燻製ではやはり駄目なのだと今更ながら思う。

態々海のものをミュンヘンでと思わないので買ったことはないのだが、また機会があればクリスマス時期にでもダルマイヤーで購入してみたくなった。屋台で購入したスパイヤーの魚屋にこの程度のものが入るならば、嘸かし美味いだろうと思う。あそこの店でもあまり記憶がない。三月には時間がなさそうだが六月にはレストランで試して見れるかもしれない。

大抵の食事は経験がある筈なのだが、こうしたデリカテッセンの限られたよりどりは分からないものがある。キャビア―にしてもただ本物だけではなくて高級品となるとやはり違うのだろう。なにも無理して散財までしてとは思わないのだが機会があればとは思う。

ダルマイヤーのエティオピアクラウンを開けた。やはりコーヒーの原点で、高度二千メートルにまで上る栽培地からの豆ということで、ワイン栽培で考えればその斜面のマクロ気候が呑み込める。確かにしっかりした味質でハーブの味わいもとなる。

味覚に取り分け秀でている人間でもなくても、高級ワインのその吟味とか、その特性が自然に根ざしているものをああだこうだと語っていると、如何に芸術や音楽分野での横着な仕事や糊を凌ぐだけの仕事に我慢できなくなることか。これは何も贅沢趣味とかを良しとするものではなくて、職人技やその姿勢を注視して評価するものでしかないという事である。

来る日曜日にヴェルサーメストがノイヤースコンツェルトを振る。15曲中14曲迄は始めて演奏される曲らしい。シュトラウス家とランナーの印刷された楽譜をハイドンの交響曲同様に買い集めていて、お呼びが掛かったら演奏したと思った曲が集まっていたらしい。民謡などを研究して、マーラーのその異質感とは異なりヴィーナーヴァルツァーの土着性をそこに見て、その二拍目の打ち方についても言及している。つまり、短過ぎれば機械的になり、長過ぎては趣味が悪くなるという事だ。フィルハーモニカーの中にもその二派が存在するという。まさしくそうした吟味こそが芸術足り得る姿勢に違いない。



参照:
切れる接種有効期限 2022-07-23 | 暦
今年も栗入りザウマーゲン 2016-12-27 | 料理
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どんなに酷い目に遭っても

2022-12-27 | 生活
クリスマス二日目にしてやっと落ち着く。恒例の栗ザウマーゲン実際は小ぶりなので栗膀胱詰めを食する。ワインは2019年産ガンツホルンを冷やしている。今年は新しいパン屋で初めてクリスマスシーズン用のパンを購入した。ただのブドウパンであり、酵母も使っているような感じだ。なんとなくそこの部落の雰囲気が分かる。何を隠そうトラムプ家の在所である。ワイン街道でもこちらが済んでいるところはもう少し都会的なのだが、二つ三つ部落が離れているだけで違う。確か、ヴァイオリンのヒラリーハーンの在所も隣ぐらいの筈だ。

フランクフルトからの帰りに可也短縮ルートを取れた。特に市街地をいかに早く抜け出すかで、今迄の中で一番いいルート取りに近かった。21時10分頃に車庫出しで、帰宅で車庫入れ済ましたのが22時12分。嘗ての夏タイヤで踏み込んでいた時と変わらない。未だ一筋道を間違ったが、劇場から其の儘マイン河を渡ってしまって河畔のマイカイを通れば一番早いというのが実感できた。しかし次にフランクフルトの劇場に行くのは未定で、芝居は行ってもオペラは来シーズンが最初だろうと思う。

しかしこれほどオペラ公演で痛い目に遭っても、凝りもせずに三月にはまた出かける予定だ。夏までのシーズン終わりまでに八晩ぐらいは予定に入っている。抑々オペラ公演に拘るようになったのも、移住する切っ掛けになったハムブルクの劇場の「影の無い女」公演であり、ザルツブルクに通うようになったのもマンハイムの程度の低さを痛感したからだった。だからあまりにも程度の低い公演に出合って苦境に追い込まれると余計に燃える。まさしくベートーヴェンのこの音ではないと宣言する気持ちになるのである。殆ど狂ってしまう。

なんだかんだとは言いながら経験値が上がっていって、そして益々その理想とするところのハードルが高くなる。如何にオペラ公演を成功させるのは難しいかということで、如何にいい聴衆を唸らせれるか。何も舞台上の歌手だけでなくて、奈落だけでもなく劇場が全て上手くやる時に超名演となりえる。所詮コンサートとはそのお膳立てが違い過ぎる。

次のコンサートの予定も二月になると思う。但し演奏会の場合は美術展などと同じように情報を常時集めている訳ではないので、近辺で意外に出物があり得るので、都合があっていいものがあれば結構簡単に出かけられる。

先ずその前に、デジタルコンサートホールのただ券を有効に使うと同時に、今後の状況分析や傾向などを観て行き、ルネッサンスから同時代の音楽まで、劇場音楽から器楽音楽を越えてあらゆる音楽への視野をもう一度取り戻しておきたいと思う。ここ数年あまりにも保守的な世界に浸かり過ぎていたので、本来のニュートラルな線に戻しておかないといけない。

ドイツでは既にコロナの最後の流行が始まっているようで、それでも患者数は伸びていないということで、集団免疫が確立されたという見解が出されてきている。我々も少々の咳が出ても頑張って出かけて、ウイルスを撒き散らしている。マスクをしている人は今でも見かけるが、お年寄りを含めて自信を以ている人が増えてきていてなによりである。中共ではこれから大嵐を迎えようとしているらしいが、そこで少々の変異株が生じようが、我々が恐れる必要は無くなったということなのであろう。



参照:
第二祝日の不可欠の厄落とし 2022-12-26 | 女
寒さ疲れが出てくる頃 2021-11-25 | 生活
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第二祝日の不可欠の厄落とし

2022-12-26 | 
今迄で複数回出かけたオペラ公演は数えるほどしかない。一番数を出かけたのは復活祭「スペードの女王」の四晩、その他は、同じ復活祭「オテロ」、「トリスタン」、「マイスタージンガー」、「サロメ」、「神々の黄昏」、「ジークフリート」と「三部作」とミュンヘンのペトレンコ指揮の二回ぐらいだろうと思う。そしてフランクフルトの「マノンレスコー」再演再訪にはそれなりの期待があった。

なによりも並行上演の「魔女」におけるアスミク・グリゴーリアンの芸風の変化からこれはどうしてもと思った。結論からすると指揮者が遅刻で指揮者無しの公演で、いつもは超一流指揮者の公演しか出かけないのだが、二流でも三流でもない指揮で鳴らされて酷い目に遭った。それだけは、既にその手の三年前の映像であのヴィオティとは明らかに異なエう録画が出ていたので避けたく、人に譲る予定でいたのだ。しかし時既に遅し。

プッチーニの総譜を一通り見ておいても全く役に立たないどころか、如何に舞台の声以外はカットするかだったが、あまりにも難しい。序ながら一流指揮者に着いたアシスタントではなくコーチとか言う所謂コレプティの纏め役のような指揮を初めて聴いたが、なるほどその部分部分が音出しできるようにいつもの仕事になっていて、それが全く場面場面で繋がらないのだ。まるでオペラガラを観ているような感じである。そして何よりも酷いのはその人がピアノを弾いたらこうなんだと分かる、歌手が音を取り易いような音だけを出すのである。二流指揮者なら貶して終わるのだが、抑々指揮の目的が違う。悪いのは、ペトレンコならリニヴやハーンが控えていたような優秀なアシスタントではなくこうした劇場裏の人材に頼るしかなかった音楽監督ヴァイクレの程度の低さであり、その様な体制を作っている支配人の責任である。

そのような状況で折角の演出があり乍らもそこで音楽が何かを語る訳ではなく、テムポ取りで制限された歌手の歌でしかなかった。その中で二人の主役は初日シリーズと同じように自らの歌を示せてはいたと思われるが、もう一つの大きな関心ごとであったグリゴーリアンの歌に関しては、確認できたことはあった。少なくとも三年前の声が出ていないことを確認した。その時に初めて聴いたのだったが、嘗てのマリアカラスでも聴けなかったそのリリカルな声はもうなかった。

今夏のザルツブルクの「三部作」において、ヤホが得意とする「修道女アンジェリカ」の高音にはバイエルン放送局では既に批判があった。勿論書き手はザルツブルクでの「サロメ」は何回も聴いていたと思われるが、要するにその時の声は失われていたということだったのだろう。個人的にも最もドラマティックな「外套」のジョルジェッタが最も声が合っていて、その前は「エレクトラ」であったので、どうしても確かめておきたかったのである。

そして本人が最近語っているように、「もはや自身を守る必要がなくなった」というのはこれだと分かった。長く売れないようにして守ってきたリリックな声は既に失われていた。来年はマクベス夫人、再来年はイゾルテということで、ドラマティックな声ならば最早聴く必要はないだろう。確かに歌も技術的にも上手になっていて、それは大喝采ものなのだが、世紀のソプラノとしての価値はないかもしれない。前回はフレーニよりも遙かに良かったが、今ならばフレーニの方が素晴らしい。来年は復活祭前にシュスタコーヴィッチの交響曲14番の歌を聴く。



参照:
初アスミク・グリゴーリアン 2019-10-11 | 女
ビキニポール踊り予約 2022-12-05 | 生活
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幕が閉じてのその熱気

2022-12-25 | 
初めての「ヘンゼルとグレーテル」公演、家族連れと一緒になってドキドキもしながら感動した。一人席が最後まで売れて行ったので、家族公演とはしながらもどの程度の家族が訪れているのかは分からなかった。感じからするとハイティーンの同伴を含めて思いのほか家族が多かった。すると、態々選んだ席である最前席の後ろの二つも婆さんと孫に座られてしまった。予想通り、話しっぱなしで袋をガサガサもやっていた。咎めることも出来たが、あくまでもこちらが家族公演に混ぜて貰っているという立場で押し通した。そのお陰で最後の最後まで自然に盛り上がって頂いて、劇場の大半の感覚を身近でも感じられたのがなによりもだった。

更に思いがけなかったのは、奈落の中に恐らく子供ガイダンスに申し込んだ子供が指揮者の横に壁に背中をつけて36人程ずらっと並んで座った。若干不安な気持ちはしたのだが、全く何事もなく一度の休憩を挟んで最後迄盛会となった。

特に気になったのは指揮者の右手の右方に座る子供が気にならないかなと思っていたのだが、写真を再確認すると最初から座っていて、もしかすると指揮のエンゲルの子供でないかと思った。それ程全く気にしていない振り方をしていたのだ。

音楽的な詳細よりも演出のそれを語るよりもなによりも最後の幕が閉じてから主役二人が現れるまでのその劇場の熱気が凄かった。今迄この劇場で幾つもの超名演公演を体験した筈なのだが、聴衆が若干違ってもその高揚感というか終始感というかあまり感じたことがない雰囲気だった。どちらかというと幕袖から二人を出す為のスポットが当たるまでにも可也の拍手が続いていて、平土間からは奈落の中もよく見えなかった筈なのだが、あの感じは忘れ難い。こちらは上から客演のエンゲルと第一級の面子を集めた世界最高の座付き管弦楽団との挨拶を観察していた。

コンツェルトマイスターも「ローエングリン」では定年も遠くないヴォルフが入り、こちらには今後を担うシュルトハイスが受け持ちサブにおばさんがついて、後ろにはキムさんとアメリカ人と、まるでペトレンコ時代の再来の様な顔ぶれで、木管も山賊兄弟が入ってと殆どベストメムバーに近かった。一体劇場がこうした公演をどのような枠組みでやっているかがよく分かる面子で、トラムペットに音を外すロータリーのオヤジまでで入っていて、エンゲルの楽器でもあるコントラバスも女性の人が入っていたりで、こういうところは自身の家族サーヴィスもあるのかなとも思わせた。

しかし、期待されたホルンにベルリナーフィルハーモニカーでの客演でもお馴染みの名人のデングラーが入ることはなかった。少し残念に感じたのだが、この演出を観るとそのホルンの響きというのは一般的な森の象徴的なものとは狙いが異なると直ぐに合点がいった。それほど朗々と鳴らすような音楽ではなく、その点では九月に演奏された「魔弾の射手」におけるパロディー化などが必要なあからさまな独ロマン主義とは一線を隠すものであったという事だ。その作曲年度や初演からして当然至極のことなのであるが、古典的とされるようなグリム童話の如き演出がなされるときに、そうした音楽芸術的な本質を外れて、非常に低俗なメルヘン子供向き劇場作品となってしまうということでもある。(続く)
HÄNSEL UND GRETEL, Sonntag, 18. Dezember 2022, Nationaltheater.BSO, Titus Engel




参照:
主役を担うのは歌える歌手 2022-12-22 | 文化一般
雪模様のミュンヘン旧市街 2022-12-20 | 雑感
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飛行機旅行ボイコット

2022-12-24 | マスメディア批評
漸く投薬無しに喉の炎症が収まってきた。しかし最後の夜なのか咳が激しかった。それ程ではないが痰も出て、変な腫れ方は治った。当初の五日間よりも楽な感じだから直ぐに治ると思う。これで週末は大丈夫か。

幸い雨勝ちで湿気も高く、気温も摂氏二桁へと上がっている。これで劇場でも咳が出ないならば嬉しい。折角マスクを外してもハンカチで口を抑え込んでいる様では情けない。

日本では来秋の東京でのコンサートをキャンセルした演奏家が飛行機旅行拒否を理由に挙げたことから話題になっている。ドイツの音楽界ではその宣言を最初にした大物はミュンヘンの音楽監督ユロウスキーだった。ウクライナ侵攻前からモスクワでのポストを捨てて後任に譲り、今後ロシアでは当面仕事をしない、そして環境の為に止む得ない場合を除き列車で移動すると語っていた。野鳥の会の環境保護団体に属している特性からすれば当然の宣言であったかもしれないが、トレンドの一番乗りをするその先見の明がこの指揮者を芸術家としている。

ロシア情勢に関しては、作曲家の隣の席に座る母親の腹の中でショスタコーヴィッチの15番交響曲初演を体験していて、その家族ぐるみの関係からもソヴィエトロシアの名門芸術家家庭出身であり、彼の地のユダヤ人社会からのその情報源などは今でもピカ一だと思われる。ロシア芸術家のボイコット反対署名も率先して行い、私も末席乍署名させて頂いた。

ここでも再三言及しているかもしれないが、兎に角口が巧くて、その指揮よりもあまりに冴えているのが残念なのであるが、指揮者として世界の頂点に立つ音楽監督としてそうした知的な秀逸さは必要とされる要素である。特に音楽劇場の指導者としては、第一人者のティテュス・エンゲルが語るようにそうした高等教育は仕事に役立っているという様に、必要とされる素養なのである。序に言えば、教育も知能も低い指揮者はそんなことも分からないものだから、オペラの演出はなどと恥とも思わずに戯言をぶちまけている。無知とは怖いものである。

そのユロウスキーが11月の「エレクトラ」再演に先駆けて、近郊のテュツィンゲンで講演をして、個人的なことも語っている。我々と同じように壁が開く前の1989年にドイツに移住していて、ペトレンコと同じ状況である。但し双方の家庭環境には甚だしい差があって、実際にユロウスキー家の場合は弟は侵攻後もノヴォリビルスクに留まっている。要するに将来的にもロシアでも影響を持ち続ける可能性が強い。

母親はキエフの家庭出身で、その祖父はナチスドイツのバビヤールの1941年の大虐殺で亡くなっていると語っている。そして、ウクライナとの戦いは中東戦争のように今後長く続くと考えていて、容易ではないとしている。そしてロシア内部では敵を仮想する事での一体化が謀られて1930年代の米国でのレッドパージのようになるだろうと予想している。

抑々劇場や映画においてのプロパガンダは進んでいたのだがロシアの音楽界では影響は少なかったとしていて、それでも侵攻前に上の様に決断をしている。それでも侵攻自体は青天の霹靂であって、だから紛争が長引く予想も外れるかもしれないと期待している。



参照:
Erschreckend, wie sich Geschichte wiederholen kann, Robert Braunmüller, AZ vom 15.12.2022
バイロイトのアンデルセン 2020-08-11 | 音
独大統領の不可解な演奏会 2022-03-28 | 文化一般
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年末年始の買い出し

2022-12-23 | 
アトフェントカレンダーも終わりに近い。もう幾つ寝るとである。今年はベルリナーフィルハ―モニカーのデジタルコンサートのクイズを答えて二日券を集めた。20回以上貰ったので、40日分ほどあるのだが、1月15日までに使わなければ無効となる。その前に年内有効のただ券が一週間分あって、年末までに使わなければ行けない。つまり今日辺りから使っても15日までは入れることになる。大当たりはしていないが、先ずはこれが使える。

時間との戦いとなるのだが、今年未だアーカイヴとして観ていないものを先ずは流す。しかし殆どを観ていて、コルンゴールトの交響曲の米国ツアーに持って行ったものを観たい。その前のダラピッコラのプログラムも放送でしか聴いていない。ペトレンコ指揮以外では殆ど匹敵するものがないが、先日のヘンデルも未だ入っていないようであり、何よりも期待した「スペードの女王」が入っていない。また年末のジルフェスタ―は生ではTV中継を観るので、アーカイヴ入りまで待つ。要するに時間もないがあまり観るものがないということになる。そもそも演奏会中継は観ない。

今年は初めて暮のジルフェスタ―コンツェルトが日本でもオンタイムで観れるようになったらしい。今迄はNHKが買い取っていたことから一月に放送されていたようで、あらゆる可能性は地域ブロックで邪魔されていたらしい。その様なこともあり、同時に日本ならず世界中で視聴されることになるのは喜ばしい。特に本年は人気テノールのヨーナス・カウフマンがペトレンコの指揮でベルカントを歌うようで、その指揮のみならずベルリナーフィルハーモニカーが如何に瀟洒にイタリア音楽を奏でることが可能かが期待される。復活祭における「スペードの女王」やマーラーの交響曲七番など最早行くところに敵無しのようにどのような音楽を最高の演奏が可能となっている。その点においてカラヤン指揮のイタリアものなどはそのチャイコフスキーと同じでお話しにならないものとなることだろう。

如何にもエンタティメントなプログラムに見えて、嘗てのカラヤンが自家薬籠中としたのに対して飽く迄も本物を聴かせてくれるかどうかが、半ば片足をイタリアへとつけているペトレンコ同様にフィルハーモニカーにとっても大きな挑戦ともいえるのだが、上手くいかない手はないと考えるのはよく分かっている人たちの共通するだろうか。

クリスマスの生活の買い物は概ね済ませて、イヴに朝一番でマーケットに行ってテリーヌがあるかどうか、その足で八百屋に廻って必要な野菜類を購入、そして肉屋で注文のものを受け取る。これでクリスマスを越えて、あとは年末に足りないものを買い足せば終わりである。

要らぬことに捉われて予定していたことが殆ど出来なかった12月であるが、来年へと継続していくしか方法がない。何とか多くが年末に解決して欲しいものである。

咽喉風邪は未だに完治しないのだが、対炎症剤も減らしながら、何とか終わりに向かって欲しい。クリスマス年末年始に高級なグランクリュワインを開けようと思うと口が完璧になって欲しい。なによりも望まれるところである。



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主役を担うのは歌える歌手

2022-12-22 | 文化一般
ミュンヘンの「ローエングリン」の指揮からロート氏が下りた。漸くかという感じである。幸か不幸か、同時上演の「ヘンゼルとグレーテル」も18日に最終公演が終わっていて、代わりにティテュ―ス・エンゲルが入らない。バイロイトではなくダルムシュタットでカールオルフ作「寺子屋」を初演指揮したトリンクスが振る。ずっとバックアップに入っていたのかどうかは知らないが無難な人選であろう。シュトッツガルトの音楽監督マイスターが振るような軽めのヴァ―クナーが振れる者は誰が入ってもロート指揮よりは安定するかもしれない。

初日のストリーミングを見ていての感想とバルコンから近くで指揮管弦楽を観ながら、真っ直ぐの位置で歌手の声を聴いていても、その印象は殆ど変わらなかった。それで先ずは、ダイナミックスレンジは思っていたように上に伸びていたが、しかしピアノはそれ程丁寧な仕事ではなかった。

ロート指揮が目指していたのは自身で読み込んだそのヴァ―クナーの響きであって、中期の作品では下手するとごうごうと鳴るだけの如何にも二三流の小屋の音になる所が流石にオペラの殿堂ではそうはならないのだが、BR放送の批評の様に全く意味のない音響となっていた。

ご本人は尊敬するフランス人のピエール・ブーレーズ指揮の様な成功を望んでいたのだろうが、やはりはそこ迄精緻に指揮を出来る人とはなにもかも違う。タイトルロールを歌うフォークトは風邪で降りてしまったようなのだが代わりに入ったテノールは立っているだけ笑いを誘うデブでしかなかった。それ以前に悪役の代わりに入っていた喜劇の上手いガントナーが主役の座を受け持った。また当初キャスティングされていたマルリス・ペーターセンに代わって入っていたオーストラムも声が出るだけでそれ以上では全くなかった。ロシア語でのグレゴーリアンに代わったステヒナ程度の代役。声はあってもそこ迄の音楽表現の可能な程度の歌手ではない。

それで何が明らかになったかというと、ガントナー自体は手慣れた歌手であって更に飛び入りしたので好きな様に歌わせて貰っていた。芝居も抜群で、歌唱もきっちりと纏めてくる。何よりもこの人からのみ真面な独語歌唱が会場に響いた。他のバスの北欧のカーレスというバスではお話しにならない。その点はメゾ転向へと動いているカムぺの歌はそれなりの説得力はあった。若いショイエンの歌も研修生上がり程度だった。

つまり、如何に指揮者がいい加減なアーティキュレーションで振っているかであって、ガントナーの歌を潰す程では勿論ないのだが、どうしても従属的につけていくことだけになる。そもそもその指揮が歌につけているというよりも楽団が幾らでも出来るというに過ぎない。抜群の座付き管弦楽団で、歴史的ではないかと思われる水準になってきている。来年もほぼ同じ面子で二回程オペルンフェストシュピーレで上演されるが、それ以上のモノとはならないであろう。

流石にリベラルなミュンヘンでも一幕演奏終了と同時にブーも聴こえた。指揮に対するものだと初日のそれからも感じた。2014年にペトレンコがバイロイトで指揮した時にも下手なイントネーションではブーを飛ばしてやろうと思っていたが、そうはならなかったのだった。ヴァ―クナーは叙唱があろうがなかろうが語りが重要になるので、真面な指揮が出来ない人が振るととんでもないことになる。(続く)



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眠くなる「ローエングリン」 2022-12-17 | 雑感
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図書館付随会場の音響

2022-12-21 | 
咳が本格化してきた。夜中に外に聞こえるような咳が出た。恐らくウイルスも居心地が悪くなってきたのだろう。未だ老廃物として一挙に出てしまう感じはないが、解放性になって来て、時間の問題である。ドイツにおいてもオミクロンではなくてその他のウイルスと感冒で医療状況は嘗てないほどに盛況とされていた。要するに予想外の状況で、最早ポストコロナであると明白になった。

同時にラウターバッハ保健相が警告していたように、こうなると多くの人が職場から離れる。対オミクロン接種をしていてもあまり効かないうえに、その他が多いとなるとお手上げだ。しかし社会の多くではコロナ期間中にそうした業務形態にも慣れて来たのではなかろうか。今迄で問題になったのは小児科緊急のスタッフだけだった。

週末には、歌手や指揮者が変わらない限りは再びフランクフルトに出かけるつもりであるが、この忙しい時にお勉強する時間も中々ない。なによりも未だ体調が完璧ではないので仕事量が落ちている。

承前)イザールフィルハーモニー初訪問はどうだったか。結論からするとシューボックスとしてはその伝統的な音のバランスは得られていなかった。恐らく設計者の音楽芸術的な視点ではそうした和声の織りなす重なりがあまり重要ではないのだろう。その代わりにピアニッシモでも粒立ちが立つようには聞こえるのだが、如何せん反射が十分ではないのでサラウンド感が足りない。どうしてもアンサムブルにも気を使わなければ意味がないとして、この歴史的な交響楽団にはとても良い条件とはなっていると思う。恐らくタッパも低く、一人当たりの容積もそれほどではないので、そうした解決法が取られているのだろう。

今回の神経質すぎるともされるケント・ナガノ指揮の演奏には相性がよく、あまり振り切れていない指揮者には厳しい結果になっているのだと思われる。ミュンヒナーフィルハーモニカー自体はもう一つのチェリビダッケが振っていた修復中のガスタイクの会場へ戻るようになれば、この会場を新会場のヤンソンスザール建設中止となったラトル指揮BR交響楽団が本拠地として借りるという構想になっている。問題はバックヤードが足りないという事であるが、放送交響楽団は放送スタディオもあるのでここに移動して本番を行えば事足りる。

ラトル指揮BR交響楽団がここで演奏して、どこまでその精緻な面が活かせるか、又は総奏で割れない音響で効果が得られるかはよく分からない。今回のグリークの協奏曲のピアノが最初から音を割っていたのは跳ね返りが全く足りないと感じたからなのだろう。勿論ラトルは経験豊かな指揮者であるから、そこまで馬鹿な音は出さないに違いないだろうが、元々総奏で痙攣してしまって豊かな音が出ない指揮であって、それが此処では余計に分析的に聴かれるとなると結構厳しいと思われる。

席は金網に囲まれた動物園席を避けて、丁度仕切り壁の隙間から見通せる安い席が最高であった。次回は初夏になるが、その時は今回よりも悪い。しかしその次は最高と思われる席を確保している。市立図書館に付随する会場の音響に関する評価は定まったが、駐車場の新設などまだ進行形のものもあって、そうしたアクセスや使い勝手に関してはまだ改良される。(続く)



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雪模様のミュンヘン旧市街 2022-12-20 | 雑感
若干残る未知の要素 2022-12-16 | 雑感
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雪模様のミュンヘン旧市街

2022-12-20 | 雑感
週末のミュンヘン行の成果は大きかった。咽喉の痛みも会場での咳は抑えられなかったが、それ以外では大きな障害となることは無かった。なによりも雪とはならずに、殆ど乾いた路面を走り遂せたことが大きかった。

反面、初めて出かけるイザールは別の靴を使うだけならず、旧市街中心でも履き替えずにの歩行は無理だった。あそこまで積もっている市内は初めてだった。履き替えた靴でも二度ほどは人が声を上げるほど転びかけた。やはりオペラ大劇場の地下通路は有難い。

往路の状況は良かったもののやはりヴァ―ケーション初日の交通量はあったようで、30分ほどは北シュヴァルツヴァルトのアウトバ―ンで釘付けとなった。お陰でミュンヘンで10リットル使い給油を余儀なくされた。それでもアウトバーンから昔ガルミッシュパルテンキルヘんへと抜けるのに使ったパーシングのより西方のホテルには14時15分頃には到着して、地下駐車上にもすんなりと入れた。結局無料扱いだった。ホテルのシステムは比較的よく出来ていて、14時30分過ぎには荷物の搬送も終わり着替えとなった。

但し予想以上にオペラ座の駐車場までの所要時間が長くて、往復するには若干遠かった。アパ―トメントの用具類はアイロンまで揃っているものの調理器具などは若干古臭くて長期滞在まではと感じた。最大の利点は地下駐車場とのアクセスで、寒さもなく、車もそれ程冷やすことはなかった。しかし不凍液の濃さは走行中の洗浄で零下20度ぐらいまでは必要だった。

パーシングの街並みは大学病院もあって馴染みがあったが、今もあまり変わっていなかった。但し道路整備で嘗てスキー行に泊まったホテルなどは分からなかった。ミュンヘンの幹線道路は、大なり小なり一度は通っていて、そこに入ると何となく記憶が戻ってくる。結構車で走り易い大都市だと思う。旧市街の環状外の道路は南北感が比較的はっきりしているからだろう。

想定が足りなかったのは雪だけでなくて、旧市街が込んでいることと、クリスマスシーズンの兼ね合いで、足元が不自由で、ダルマイヤーに入ったのが16時半を越えていて、買い物が十分に出来なかったことだ。例えば冷蔵庫に残っているザウワークラウトに合わせてのソーセージ類は買えなかった。コーヒー二袋と、ジルファーナ―、スイーツ四個、夕食用のフィレ肉パイ、三種類のテリーヌを購入して急いで劇場に戻った。アイスバックをホテルに忘れていたが、必要もないほど駐車場が冷えて雪の欠片が落ちていた。

次のミュンヘン訪問は三月の予定で、その後は五月。今年は四回とキャンセルもあって少な目だった。四半期に一回ぐらいは丁度いい。それでもペトレンコ時よりも増える傾向。来年一杯では既に四回はほぼ決まっている。行けるときに行っておくがやはり重要だと思う。

ホテルへの帰路は筋を間違えたりしたのだが、それでも比較的すんなりと車庫入れして、地下の自動販売機でレーヴェンブロイの瓶ビールを購入。先ずは咽喉を潤わせた。23時過ぎまでうろうろしているほどの寒さでもなく、翌朝のチェックアウトが早かったので何とか早めに夜食を平らげた。



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若干残る未知の要素 2022-12-16 | 雑感
暮れないミュンヘン 2022-07-11 | 雑感
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名伯楽が残していくもの

2022-12-19 | 
ミュンヘンから帰宅したの日曜日の23時過ぎ、途上摂氏零下六度ぐらいまでしか遭遇しなかった。しかし帰宅しても零下二度ぐらいだった。手っ取り早くお土産のテリーヌを一切れ食して、また咽喉が厳しくなってきたので投薬して就寝。疲れも薬の効能もあってか比較的熟睡した。ほぼ六時間おきのロクソニン二錠になっている。

タブレットを見ていると、ベルリナーフィルハーモニカー日本公演の情報と共に、ヴィーンの湯浅氏の逝去が伝えられていた。個人的な知己はないものの間接的に「熱心な人」として認識頂いていたので、急逝の報に驚いた。

朝日新聞でも訃報が伝えられてようにキリル・ペトレンコに斎藤流の手解きを教授した名伯楽であった。以前は知らないが、ペトレンコが頂点にまで駆け上がったことから、多くの指揮者が自らのプロフィールにYuasaの名前を大きく書くようになっている。しかし、ペトレンコ程にそれを糧としている指揮者もいないだろう。

丁度それは斎藤のもとに集まった多くの日本の指揮者の中であそこまで上りつめたのは小澤しかいなかったのと似ていて、どのような教えもそれをものにするのは本当の天才しかいないという事だ。

ペトレンコが今の様な指揮の技術がなくても実力は示せたには違いないが、到底今の様なキャリアを歩むこともなく、多くの実力派の中で時間を掛けて切磋琢磨していたかもしれない。

その意味では、日曜日のマティネーを振ったケント・ナガノはいい音楽を作っていた。なるほどリヒャルト・シュトラウスの「町人貴族」の組曲などでは当然のバロックの舞曲感覚とかその踊りの特徴のリズム感覚が足りない。勿論その間が和声の色合いにもなる。それが何処迄求められるかが問いかけで、今回もしかすると初めて聴いたかもしれないミュンヒナーフィルハーモニカーがどう表現するかが判断しどころだった。

その点、急遽ピアノの搬入を休憩時間行って、後半に演奏されたグリークの協奏曲で取り分けその交響楽団の伝統を垣間見せた。決してゴリゴリ鳴らすような過去の印象よりもチェリビダッケの薫陶を感じさせるアンサンブルの妙を聴かせていた。

地元放送局の交響楽団を評価する向きは未だに大きく、チェリビダッケ以降のそれがベルリンの同寮に続く伝統的な第二の交響楽団であることを多くの人が忘れているのだが、その個々の技術的な荒さはあるもののピッチも安定していて、明らかに放送交響楽団とは音楽芸術的な格が違った。

「町人貴族」も小編成乍、素晴らしい音色を出していて、特に木管との弦、または金管との絡み合いなど、まさしく作曲家が示したかった音楽がそこにあった。そして聴衆の多くは聴きどころに耳を傾けていて、ベルリンの聴衆よりもやはり程度が高いと感じた。その意味からは、イザールフィルハーモニーはそれほど耳を澄まさせる音響の会場ではあるのだが、同時に予想していたように反射が薄く、コントラバスなどの存在感には薄く、それ程の音楽芸術的なスタイルの伝統化はされていない。(続く



参照:
指揮者の職人的技量 2022-02-05 | 文化一般
禍難の時を踏み越えて 2022-03-31 | アウトドーア・環境
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眠くなる「ローエングリン」

2022-12-17 | 雑感
ロキソニン投与の効果は非常に限定的だった。午前中に投与して、微熱感や倦怠感は直ぐに抜けて昼間は平常通りで、夕方若干咽喉の調子が心配になったので夕食前に再投与した。それは就寝までは問題がなかったのだが、それどころか気持ちよく就寝できた。しかし、一時間程して咽喉の痛みで目が覚めた。明け方かと思ったぐらいだから、深い眠りの後でレム睡眠に入る所だったのだろう。この咽喉の痛みは必ずこうした時に表れる。

残念ながら投薬効果はわずかで、熟睡を妨げられた。しかし痛みの強さや乾きは大分抑えられていて、その後三回ぐらいトイレに向かったが、それでも身体は大分楽だった。これで週末への不安は解消されなかったのだが、方法は定まった。先ずはロキソニンの倍増、同時に投与時刻を就寝時に合わせる。幸い効いているのか朝は結構早く仕事態勢に入れた。10時にはで必要な税務署などへの電話を済ませた。声は出ないがそれは先方も分る筈だ。そこがAIの受け答えとは異なる。

そして投薬も済ませたので、早めの就寝前まで快適な場合問題がない。そこで倍量で何時ごろまで効くのかどうか。夜中に目が覚めても就寝さえ出来ていれば、土曜日のドライヴは大丈夫だろう。「ローエングリン」はどうせ眠くなる。それは仕方がない。夜中には咳が出てもそれ以外は大したこともないだろう。拡散防止のためにはマスクを所持するが、咳してロート氏に嫌がらせするつもりもない。

もう一つの「ヘンゼルとグレーテル」を最後迄見通して、やはり後半は良かった。前半では母親のシーンが鍵になっていたと思うのだが、後半はよく頑張っている。作曲家フンパーティングにも思いがけない成功だったというようなことが書いてあったと思うのだが、中々独創的な総譜を書けているから売れたに違いない。同じ効果を考えるにしても月並みであれば誰も興味をもたない。何よりもグリム的な視野とはやはり異なる視線がそこに注がれているからこそ、名曲になっている。魔女の描かれ方も結構いいのではなかろうか。創作家としてどのようなことを考えていたのだろうと思うところが儘あって、興味が尽きない。

その様な視点からすると、ショルティ指揮で素晴らしい歌唱陣の映像化されたものは明らかに物足りない。半面グルベロ―バのグレーテルなど中々実演でこれだけの歌唱には恵まれないだろうと思う反面、今回のミュンヘンの制作の初期にはミュラーが歌っていて、声もよりリリックでよかっただろうと思った。プライのお父さんもいつものように歌手としてのキャラが浮いてしまっていて、実際に適当にデフォルメして歌い、オペラの真面な再現には遠い歌唱である。そして魔女の場面も盛んに効果が入っていて、何か嘗てカルショ―のプロディーズなどに共通するようで、ミュンヘンの舞台演出が男声が歌ってということで既にその時点で奥行を感じさせる。なによりもヴィーナーフィルハーモニカーのアンサムブルも今一つなので、より使える音源を探してみたい。

「ローエングリン」の四時間を超えるヴィデオは道中持って行くと一度は流せる。何処迄お勉強できるだろうか。二幕三幕をもう一度観ておかないといけない。コンサートの方はグリークの協奏曲位をお勉強しておこうかと思う。「町人貴族」の楽譜を見ても致し方ないような。



参照:
11歳クララに教えて貰う 2022-12-15 | マスメディア批評
回答が出される週末 2022-12-14 | 生活
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