やはり疲れた。以前からなのだが、試飲のあとは摂取アルコール量以上に疲れる。肝臓への負担が大きいのではないか。通常の悪酔いとか飲み過ぎとかとは異なる疲れがある。帰ってから一杯引っ掛けるのも量に影響している。半日アルコールに曝される。酔わないように努力しているのも何か負担になるような気がする。更にリースリングの場合は酸が口中を攻撃する問題もある。しかし最近はそれを感じることが無くなったのは、ワイン酸としてこなれた酸のリースリングが主になって、リンゴ酸が残るようなものは少なくなり、また試飲しない事にもあるかと思う。要するに安物のワインは試さない。
文学者レッシングに「ワインへ」と題した素晴らしい言葉がある。
「ワインよ、飲むとなれば、若い時には何ごとにおいても冒険心に誘い、為になるようにその価値が分かるようにしてくれたならば、謂わば大人にしてくれる。
ワインよ、これからも飲めば、大人として嗜むなら、笑いを齎すものであり、死や偽りから解放して呉れる、誉れ高い、愉しみである、謂わば若くしてくれる。」
まさしく何ごとにもおいてであって、経験値が高くなると取捨選択も可能になって、がむしゃらにというのは流石になくなってくる。それでもちょこちょこと新しい情報が入ればそれなりに注意はするのであるが、適切な判断も比較的早く下せる。一番心強いのはやはり他人の評価がとても為になることで、そこからはかることが可能になっているということだろう。やはり、対人での情報収集がそれらの基礎になっている。
メディアでの録音批評などが余り為にならないのはそれ以前の制作の表裏があるからであるが、それと同時にやはりライヴでの他人の感じ方とか捉え方が最も重要なのであって、それが全てだからである。コロナ時代に観客のいない公演などを経験することからその意識は舞台の上と下でも明白になった。そうしたセミナー的な経験がなによりもの糧になる。
週明けの演奏会のオーボエの為の七曲は殆ど記憶にないが、ざっと洗えるだろうか。サンサーンスはなんとなく想像はつく、デュテュユーも聴いたことがあるかもしれない。サンカンは名前から想像するのみ。シュニッツェラーは世界初演、ドビュシーのサクソフォーンの為の曲も覚えがある。最後のチャディニッツェは独初演なので当然知らない新曲だろう。ボッザもその名前と曲名「田園ファンタジー」作品番号37からガッツリと想像。初演以外は全て楽譜も落とせた。
それよりも週末のブラームスのドッペルコンツェルト、マルティヌーの交響曲三番、ドヴォルジャークの「スケルツォカプリッチオーソ」が気になる所。最初のはムーティが日本デビューの時の曲で、生では今まで聴いたことがないかもしれない。ドヴォルジャークも何回も聴いていてもこれという記憶はない。
ネットによって学ぶ質と量が全く変わった。それ以前は世界に極一部の人にしか共有されていなかった情報が即座に手に入る。それゆえに余計に上記のようなセミナー形式のそれの意味が余計に価値をもつようになっている。
参照:
背筋が伸びる気持ち 2024-09-22 | 雑感
永く記憶に残る熱狂 2024-09-19 | 音
文学者レッシングに「ワインへ」と題した素晴らしい言葉がある。
「ワインよ、飲むとなれば、若い時には何ごとにおいても冒険心に誘い、為になるようにその価値が分かるようにしてくれたならば、謂わば大人にしてくれる。
ワインよ、これからも飲めば、大人として嗜むなら、笑いを齎すものであり、死や偽りから解放して呉れる、誉れ高い、愉しみである、謂わば若くしてくれる。」
まさしく何ごとにもおいてであって、経験値が高くなると取捨選択も可能になって、がむしゃらにというのは流石になくなってくる。それでもちょこちょこと新しい情報が入ればそれなりに注意はするのであるが、適切な判断も比較的早く下せる。一番心強いのはやはり他人の評価がとても為になることで、そこからはかることが可能になっているということだろう。やはり、対人での情報収集がそれらの基礎になっている。
メディアでの録音批評などが余り為にならないのはそれ以前の制作の表裏があるからであるが、それと同時にやはりライヴでの他人の感じ方とか捉え方が最も重要なのであって、それが全てだからである。コロナ時代に観客のいない公演などを経験することからその意識は舞台の上と下でも明白になった。そうしたセミナー的な経験がなによりもの糧になる。
週明けの演奏会のオーボエの為の七曲は殆ど記憶にないが、ざっと洗えるだろうか。サンサーンスはなんとなく想像はつく、デュテュユーも聴いたことがあるかもしれない。サンカンは名前から想像するのみ。シュニッツェラーは世界初演、ドビュシーのサクソフォーンの為の曲も覚えがある。最後のチャディニッツェは独初演なので当然知らない新曲だろう。ボッザもその名前と曲名「田園ファンタジー」作品番号37からガッツリと想像。初演以外は全て楽譜も落とせた。
それよりも週末のブラームスのドッペルコンツェルト、マルティヌーの交響曲三番、ドヴォルジャークの「スケルツォカプリッチオーソ」が気になる所。最初のはムーティが日本デビューの時の曲で、生では今まで聴いたことがないかもしれない。ドヴォルジャークも何回も聴いていてもこれという記憶はない。
ネットによって学ぶ質と量が全く変わった。それ以前は世界に極一部の人にしか共有されていなかった情報が即座に手に入る。それゆえに余計に上記のようなセミナー形式のそれの意味が余計に価値をもつようになっている。
参照:
背筋が伸びる気持ち 2024-09-22 | 雑感
永く記憶に残る熱狂 2024-09-19 | 音