(承前)二回目の靴使用後に入浴。一寸疲れが出たかもしれない。何年かぶりに太ももにも筋肉痛があった。同じコースを走っていながらそれを感じるということは明らかに負荷が掛かっているところが違うということだ。それ以上に腹筋や腰の裏にも筋肉痛がある。恐らく運動の質が向上したのだろうと思う。ここ一二年下着が小さく感じるようになっていた。一時はウエストが小さくなったことからサイズをXXLからXLへと下げてLへと向かっていた。しかし今は再びXXLが必要になって来た。然しジーンズのサイズは下がる一方だ。要するに体形が変わってきている。腰の筋肉が張るようになったのは急坂を駆け上るのを週に三回、ほぼ毎週最低600m程即ち200階建てぐらいを往復しているので三年程で筋肉が付く。これは今後健康上も宝物になると信じている。まあ、少なくとも今まで膝も腰も逝かさずに走れたのが宝。
散髪に行って、すっきりとしているが、何時もの様に疲れも出る。それらが重なった。気温の低下と雨勝ちも辛かった。しかし天候回復で再びとなる。夏布団も寒くなった。殆ど変わらないのだが冬支度することで、寒ければベットカヴァーも掛けれるようにしておきたい。暖房を入れるにはまだ二月ほどあるので、窓掃除などを含めてとても賢くやらなければいけない。
先日のベルリンでのブルックナー五番とリーム曲のプログラムの批評がヴッパータールの新聞社から出ている。ペトレンコの元アシスタントのハーンが音楽監督をしている街である。ベルリンでのフェストのブルックナーを幾つか聴いたようだが、カトリックとしてその19日のブルックナーの合唱で全てを終えると書いて、先ずは「インシュリフト」における孤独な鐘の音から力を貰うグリゴリアン調のコラールまでと様々な音楽を小編成乍激しくそして暗く、感動的に力づよく演奏したと評する。そして最も難しい五番の交響曲を三年前に振ったブロムシュテットの様に「しばしば指揮者が陥るような抹香臭さ」を避けて、感動的に指揮したペトレンコを称える。その労作は、訓練された聴者にもそして演奏する世界的トップの管弦楽団にすら気が抜けない。そのような早いテムポの指揮であるが、なるほど抹香臭さ以上に分析的ではあるのだが、冷たいことは瞬時もなく、取り分け第二ヴァイオリンに対しての細やかな要求を何度も求める一方、全体を失うことのない演奏とした。そして、ベルリナーフィルハーモニカーがブルックナーの演奏に悦びを見出した初めてのことであり、最後には大喝采となったと結んでいる。
さて、その最終日前日にラトルがアカデミー楽団を振り、その前夜はデュークへセレモニーの夜だった。そしてそれへの評は間接的乍既に紹介した。そして更に番組で同じ評価が放送されただけでなく、とても親切にエンゲル指揮に関してそこで話されていなかったことが番組のHPに書き込まれている ― こうして皆が大成功を歴史的に記録していくのである。後半が前半とは打って変わって大成功したのは、ティテュス・エンゲルがビッグバンドと管弦楽団の音響差を潰していくのではなく、その差異を絶えず取り出して尚且つ協調させていく指揮をしたからだと態々付け加えて呉れている。
「ジャジーなメロディーが声部間を移されて、通常は慣れていない筈のソロのコンツェルトマイスターリンから各楽器へとスイングして、立ち上がったオーボエのグルーヴへと、そして繰り返し、全管弦楽団が電光の如くのエネルギーを以ってクライマックスへと向かう。この祝祭の夜の記憶は、いささか爺臭さに陥いった前半からとは変わる後半の熱狂と共に永く残るものだろうと結んでいる。
参照:
Eine Berliner Bruckner-Premiere, die begeistert, Alexander Schulte, Westdeutsche Zeitung vom 18.9.2024
Jazz-Party mit Anlaufschwierigkeiten, Jakob Bauer, RBB24 vom 17.9.2024
デュークの律動的力強さ 2024-09-17 | 音
追想の音響への眼差し 2024-09-16 | 音
散髪に行って、すっきりとしているが、何時もの様に疲れも出る。それらが重なった。気温の低下と雨勝ちも辛かった。しかし天候回復で再びとなる。夏布団も寒くなった。殆ど変わらないのだが冬支度することで、寒ければベットカヴァーも掛けれるようにしておきたい。暖房を入れるにはまだ二月ほどあるので、窓掃除などを含めてとても賢くやらなければいけない。
先日のベルリンでのブルックナー五番とリーム曲のプログラムの批評がヴッパータールの新聞社から出ている。ペトレンコの元アシスタントのハーンが音楽監督をしている街である。ベルリンでのフェストのブルックナーを幾つか聴いたようだが、カトリックとしてその19日のブルックナーの合唱で全てを終えると書いて、先ずは「インシュリフト」における孤独な鐘の音から力を貰うグリゴリアン調のコラールまでと様々な音楽を小編成乍激しくそして暗く、感動的に力づよく演奏したと評する。そして最も難しい五番の交響曲を三年前に振ったブロムシュテットの様に「しばしば指揮者が陥るような抹香臭さ」を避けて、感動的に指揮したペトレンコを称える。その労作は、訓練された聴者にもそして演奏する世界的トップの管弦楽団にすら気が抜けない。そのような早いテムポの指揮であるが、なるほど抹香臭さ以上に分析的ではあるのだが、冷たいことは瞬時もなく、取り分け第二ヴァイオリンに対しての細やかな要求を何度も求める一方、全体を失うことのない演奏とした。そして、ベルリナーフィルハーモニカーがブルックナーの演奏に悦びを見出した初めてのことであり、最後には大喝采となったと結んでいる。
さて、その最終日前日にラトルがアカデミー楽団を振り、その前夜はデュークへセレモニーの夜だった。そしてそれへの評は間接的乍既に紹介した。そして更に番組で同じ評価が放送されただけでなく、とても親切にエンゲル指揮に関してそこで話されていなかったことが番組のHPに書き込まれている ― こうして皆が大成功を歴史的に記録していくのである。後半が前半とは打って変わって大成功したのは、ティテュス・エンゲルがビッグバンドと管弦楽団の音響差を潰していくのではなく、その差異を絶えず取り出して尚且つ協調させていく指揮をしたからだと態々付け加えて呉れている。
「ジャジーなメロディーが声部間を移されて、通常は慣れていない筈のソロのコンツェルトマイスターリンから各楽器へとスイングして、立ち上がったオーボエのグルーヴへと、そして繰り返し、全管弦楽団が電光の如くのエネルギーを以ってクライマックスへと向かう。この祝祭の夜の記憶は、いささか爺臭さに陥いった前半からとは変わる後半の熱狂と共に永く残るものだろうと結んでいる。
参照:
Eine Berliner Bruckner-Premiere, die begeistert, Alexander Schulte, Westdeutsche Zeitung vom 18.9.2024
Jazz-Party mit Anlaufschwierigkeiten, Jakob Bauer, RBB24 vom 17.9.2024
デュークの律動的力強さ 2024-09-17 | 音
追想の音響への眼差し 2024-09-16 | 音