ハムブルク市の文化大臣がエルブフィルハーモニーについてインタヴューを受けている。ハムブルクにドイツが誇る観光名所として、ノイシュヴァンシュタイン城、ケルンの大聖堂、ブランデンブルク門と並ぶ港に立つフィルハーモニーになったという。文化担当なので通常の政治家とは異なり全くはったりの無い控えめな言い方なのだが、その年間の入場者数もホール入場者数の五倍になる見物客を入れた訪問客数がエンパイヤステートビルと同規模の観光対象となっているとする。しかし最初なので今後は分からないとしてる。
予想以上の賑わいの中での肝心のホール入場者の質も問題になっている点に関して、休憩後に席が空くのはどこでもあって、シューボックスの暗闇では目立たないだけだという。博士論文ではっきりさせて欲しいというが、ハムブルクの規模にしては選ばれた聴衆でない人が沢山入っているのは間違いないであろう。そしてそうした聴衆の中の二割も再び戻って来れば御の字だがそんなことはあり得まい。要するにその手のポピュラーコンサートなんてそれほど意味が無いのと同じである。
音響の議論に関しては、なんとしても陥れようとする声もあるとして釘を刺している。またカウフマン事件の日にもバーゼルからのお客さんと会場に居て、しっかり歌声も聞こえていたという。しかし、管弦楽団には歌手の配置について会場から特に注意を出すようにしたという事だ。また個人的には金管の上には座りたくなくて、やはり全体像を聞こえる場所がいいとしている。だから特にいい席が買えなくても階上でも音響のミキシングが素晴らしいと勧める。
勿論シューボックス型とワインヤード型のタイプの相違や特徴などが議論されることは歓迎だとしている。それほどエルブのホールがタイプの典型化されるという事であるからだ。
上海、東京へのゲヴァントハウス公演への同行記事が新聞に載っている。興味を持ったのはシナにおける変化に関する言及で、今は表示に注意書きとして飲食禁止、歩き回り禁止、お喋り禁止などがあって、それらが無くなるどころか、とても特記されることになっている。
ショスタコーヴィッチでは最初の低弦で黙らせろと指示した通り、ヴァイオリンが始まるまでに集中した会場となり、チャイコフスキー五番でネルソンズがリハーサルで特に指示した暗いニ長調に静まり返ったという。初めての経験をネルソンズが語っている。そうした上海とは違って売れ残りが出ていたような東京に関しては、その聴衆は十五年以上平均年齢が上で今迄85回も公演している都市はライプチッヒ以外にはないとしている。そして既に伝えられているようにブルックナーの音楽で開放される「日本人の畏敬の念」に関して、そもそもアーノンクールがヴィーンで指揮した時には「オーバーオーストライヒのメランコリーで」と特に指示しなければいけなかったものが、どうして日本でとなっている。
今日は暑くなることが予想されていて、木曜日は祝日なので、早めに外出を済ませておいた。昨晩のケルンのフィルハーモニーからのライヴ中継にリンクを張ると、指揮者控室か練習前かのロート氏が数分以内にリツイートしてきた。あれだけYouTube放送していて視聴者数が限られているに違いない。仕方ないので録画もしてしっかり観た。新曲世界初演も数をこなしているうちに手慣れた指揮者は再演の可能性のあるものも出てこようと言う按配で、それはSWRでも経験豊富な筈だ。指揮には色々と気が付くことも無い事は無いが、それ以上に「出来る係長」と呼ばれるスーツ姿にその赤いタイを押さえる癖までに気が付いて、不必要な些細な事までが気になる。しかし、座付楽団である前提において、なるほどミュンヘンの方が出来ていることもあって、結局個人の実力の差もよく分かったが、ただ感心したのは演奏している楽団の姿勢である。先日チューリッヒでトーンハレを見てきたのでその差は大きいと思った。自身の管弦楽団をここまでやらせるのはやはり得難い実力だと思う。
このギュルツェニッヒ管弦楽団の来年度の券も近く発売される。旅行するなら押さえておかないといけない。価格は最高額43ユーロまでで、もし流すとしてもそれほど問題にはならない。カメラの位置などを研究していると、それでもお得そうなフィルハーモニーでの位置も見えてくる。すると更に安くなる。なにも高い席だけが満足度が高くないといういい例にも思える - 大阪のものの言い草の「高くて美味いのは当たり前」には何時もの様にそこに反語の意味が込められている。兎に角、なんの心配無しに一枚買えそうだ。
参照:
, Hamburgs Kultursenetor Carsten Brosda, FAZ vom 14.6.2019
"Offenbarung am Fuji", Jan Brachmann, FAZ vom 14.7.2019
黒い森近道の成果 2019-06-16 | 生活
エルブフィルハーモニ訪問 2019-01-11 | 文化一般