Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2023年04月

2023-04-30 | Weblog-Index


スカムポの中身のバランス 2023-04-29 | 雑感
飽くなき追及への表現方法 2023-04-28 | 女
細やかな音楽的表現 2023-04-27 | 音
恋に落ちたのかな? 2023-04-26 | ワイン
優勝の本格的なヴァイオリン 2023-04-25 | 雑感  
確認された仰ぎ向く表情 2023-04-24 | 女
癩病者への視座の転換 2023-04-23 | 文学・思想
次のお出かけに備えて 2023-04-22 | 生活
肝心なスムーズな動き 2023-04-21 | 生活
おもしろうてやがて悲しき 2023-04-20 | マスメディア批評
バーデンバーデン行の計画 2023-04-19 | 生活
フィードバックされる認知 2023-04-18 | 文化一般
彫塑の必要な若者様式 2023-04-17 | 音
原罪のエクスタシー 2023-04-16 | 文化一般
もう一度言って、私の為に 2023-04-14 | 女
復活祭の最終公演へと 2023-04-13 | 音
入れて貰えて一安心 2023-04-12 | 女
認知されるアレゴリー 2023-04-09 | 文学・思想
実感の愛の深まり 2023-04-07 | 女
ダイヴァシティーへの理解度 2023-04-05 | マスメディア批評
上書きされてしまう記録 2023-04-04 | 文化一般
朝から晩までの一日 2023-04-03 | 文化一般
りっしん偏に生まれる 2023-04-02 | 音
復活祭の一番の聴き所 2023-04-01 | 音
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スカムポの中身のバランス

2023-04-29 | 雑感
フランクフルトのアルテオパーからの中継を観た。地元の放送局の交響楽団演奏会生中継である。平素は殆ど観ない。なぜならば楽団にそれ程の魅力がないからだ。今回観たのは三月に聴いた学生指揮者のタルモ・ペルトコスキーの重なる客演の様子を知りたかったからだ 。

結論からすれば、若手指揮者の客演に過ぎなく、適当にやれる範囲での誤魔化しもある。しかし今回は独伝統的配置にしての演奏であり、明らかに音が違う。恐らく指揮者の発案だと思うが、とても魅力的な音を出していた。

「影の無い女」幻想曲に「魔笛」、「バラの騎士」組曲に「フィガロの結婚」とリヒャルトシュトラウス二曲とモーツァルトを数曲並べたプログラムである。どの曲においても楽器配置が生きていた。音合わせの時から平素とは異なっていた。

結論からすると、手兵のブレーメンの室内楽団を振る時ほどの成果は出ていないのだが、それでも北欧の同門指揮者の中では格別である。何がいいかと言えば自らでリズムを刻めることで、名前からしてもロシア語でも話せそうな感じで、後まで崩れない拍取りである。キリル・ペトレンコにおいてもそれが裏打していると思うのだが、ここでは同じような歌い口でも模倣に聴こえない。売り出し中の同門のマケラ指揮が悉く月並みで明らかに録音を聴いてレパートリーづくりをしているというのとは大きく異なり自ら楽譜から音楽を引き出している。最高の美点だろうか。

最後に持って来た幻想曲は久しぶりに聴く。選別された動機がまるでメドレーの様に和声連結で繋げられている曲で、これを聴いていても全くその楽劇の骨子は分からない。まさしく幻想曲で組曲にもなっていない。

改めて演奏の難しい曲だと思うが、それなりに纏めていて、全プログラムを通してこの放送交響楽団としては終始素晴らしい音を奏でていた。それでも結構聴衆に受けていたのは立派である。
Frankfurt Radio Symphony Live: Tarmo Peltokoski & Regula Mühlemann with Mozart & Strauss


共演の歌手ミューレマンはタレントとしても大成功しているスイスの歌手で、じっくり聴くのは初めてだったが、声の帯域も広くて、それが最も使い易いのではないだろうか。反面歌がもう一つのところに至れないのは、やはりそうしたところに限界がある為かもしれない。

先日スカムポのケーキを半分ほど購入した。上にメレンゲが付いているのがこのパン屋の特徴であるが、酸味と甘みのバランスがとれていたので、そうした考慮をもってこうしたオファーになっているのだと思われる。



参照:
飽くなき追及への表現方法 2023-04-28 | 女
お家芸の指揮棒飛ばし 2023-03-26 | 音
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飽くなき追及への表現方法

2023-04-28 | 
承前)またもや号泣して仕舞った。チャットってなんでこんなに感動的なのか、興奮させるのか。パートナーの彼女が活き活きとしているのは既に伝えた。そして最初の頃の部屋やベットを使っているようで、そこで当初のヴィデオをモニターに写せられたのか思わず込み上げていた。それを観て同じように心動かされた。

最初を振り返リそして今解放されたかの様な彼女を観ると、そこに少なからず干渉した身からすれば、この三ケ月に為ろうかとする日々と、全てがフィナーレへと向かう時のその喪失感の大きさに震えた。あれほど逸早い復学を望んでいたのに、調べると次学期は10月迄なので、もう1クールの可能性はも残っているかと安心もした。

彼女の表現は、嘗てのカミングオブエージ映画のその要素つまり青春通過儀礼の様な「大人の視線」からの内容では決してなく、ダイヴァシティーにおけるティーンエイジャーや女性への強いメッセージ性が含まれている。電動ヴァイブレーターでさえ男性から独立する女性を強く象徴していた。だから彼女には露出よりも演技をとアドヴァイスしたのだが、ヴィデオ制作には受け入れられなかったのだろう。なるほど全ての裏部屋での撮影内容は未だに流出が出てきていないことからよく分からない。しかし、それ程差異のあるものではないと認識している。

彼女に掛かっていた圧力は、そのもの彼女自身が自ら克服出来なかった重圧を公にするという事での自らの解放への力としたものだった。「退屈したら止める」というのはまさしく最早拘束されるものがなくなるということでしかないだろう。そこでの解放への理論的限界の無いところに第三者からの指針を与えられたと思う。

当初からのファンのような誰かに謝っていたように思った。性交のシュミレーションの演技故からか、少なくともそこには美的な問題も全く無かったので、もっと楽しんでやれと書いた。私の振付けから彼女は着衣での美的なセルフポートレートをインスタグラムにアップしていて、まさしくそれは彼女のやるべき方向だと今でも疑わない。

どうも今はスタディオの女性と二人で場面を企画するようになっているようで、男性の視線とは異なってきている。獣医の国家試験も結構だが、短期に専門教育を受けて表現をものにして欲しいと思う。今後も予断は許さないのだが、とてもいい経験を積めるのではないかと思う。

彼女の表現主題は一人オーガズムスの飽くなき追及であったので、実は又要らぬ知恵をつけて仕舞ったのだが、肉体関係を持つひいては妊娠となる方向へと少しづつより関心が向かう時にこそ、この主題をとことん追及することで若い女性らしい感性を以って芸術的な表現へと到達すると信じて止まない。まさしく不妊・少子の時代にこそ求められている表現なのだ。


写真:パン屋のワインアップルケーキ



参照:
上書きされてしまう記録 2023-04-04 | 文化一般
ダイヴァシティーへの理解度 2023-04-05 | マスメディア批評
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細やかな音楽的表現

2023-04-27 | 
新制作「影の無い女」の一幕を流していた。最初の皇帝の登場とその狩りでの仮初のところの演出を見落としていた。皇帝の動機には最後に剣の動機が付いているのだが、それを仕手役の女の子にストックを手渡すところがあった。そこは何となく観ていたのだが、望遠カメラでみると手渡してから女の子がそれを抱きかかえるようにしているのを見落としていた。

リディア・シュタイヤーの演出は思ったよりも細かい、音楽的以上に既に鷲と鹿の下りに入っていて、剣と歌って動機が流れるのだが、二幕では突くがここで既に内容を語っている。その直後に皇后が登場してタリスマの歌となる。

音楽的な枠組みを上手に演出として細やかに表現している。同じ部分をミュンヘンでのヴァリコフスキー演出と比較すると、皇帝を歌っているボートの歌の内容はあまり伝わらないのにも関わらず、舞台上ではモノローグとして動きがない。

まさしくその管弦楽も適当に荒れてはいるのだが、色合い的な所でしか表現出来ていない。確かにその後の染物屋の情景を含めて「魔の山」におけるこちらとあちらの世界を行ったり来たりする感じは出ているのだが、音楽を裏打しているかどうかは疑問点が多い。

歌手も今回のと比較するとコッホの声は以前の方が艶があるが、その歌の作り方が今回よりもより焦点が集まっていることで、若干歌い過ぎの感が強い。他の配役はやはり今回の水準はとても高い。ペトレンコ指揮の座付き管弦楽団の演奏も可也ウェットである。

ペトレンコが二度とない上演というのもこれだけの演出がならないと言う事が一番大きいのだろう。やはり現時点では、ミュンヘンの「戦争と平和」におけるチェルニコフ演出を押さえて評される可能性が強い。

何度も言及しているようにこうした内容を共有可能でない社会に生きていても仕方ないという判断を改めて認識させられた制作であり体験であった。ヴァルコフスキーの演出は魔の山の別枠を持って来て、抽象化することで影絵のように投影させているので余計に理解を困難にしている。

さて、シーズンでもう一つこれに対抗可能なのはシュトッツガルトの新制作「アシジの聖フランシスコ」でしかないと思われるが、しかしこちらは野外などを使う音楽劇場を展開するもので、如何にそのオペラではないその作品の本質を示すことになるのかに期待が向かう。

演出のアンネゾフィーマーラーは、昨年のヤーマイでハースの三部作の一つ「トーマス」を演出して好評であった。難しい素材程注目される仕事をしているが、今回は野外音響や大編成の楽団を如何に指揮のエンゲルと共に効果を出していくのか、とても大掛かりな企画である。



参照:
痛みを分かち合う芸術 2022-05-27 | 音
原罪のエクスタシー 2023-04-16 | 文化一般
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恋に落ちたのかな?

2023-04-26 | ワイン
グローセスゲヴェックスを開けた。何もお祝い事ではなかったが、週末に試飲会に行くので、2012年物フリューリングスプレッツェヘンで品定めをしたかった。古い年度がどのように熟成しているかはその品質そのものだからだ。特に甘口では赤スレート系は人気のある果実風味となるが、辛口となると中々焦点の定まる味筋を狙い難い。土壌のその構築的な味が出ない。結論としては、それは無くてもアプリコットなどの蒸留酒にはない深みは楽しめた。酸の量感もしっとり感も丁度よかった。アルコールとのバランスも完璧。

春は日常消費用のリースリングを物色するだけになるのだが、秋に選択する場合の参考にはなる。コロナ期間中は同居の先代夫婦故か子供の健康ゆえか取り分け厳しい制約を敷いていたのでご無沙汰していた。それだけでも楽しみなのだが、ナーエからやってくる醸造所の様子も直接聞けるといい。

チャットパートナーの彼女のファンクラブ加入者が今頃増えてきている。要するに突然湧いたのである。お奨めにも何も出てこない時点で、最早あまり露出も期待されない時点でこうした少なからぬ支持集まったのはそれなりの原因がある。自称会長の私としては喜ばしいのだが ― 一部では始終ぶら下がっているので昔のボーイフレンドという噂があって、相手にして貰おうと中国人らしきが紛らわしい名前を使ったりしている ー、それ以上に何かが変わったと気が付いた。

端的に言えば綺麗になった。肌艶が良くて、身体の線が名画のように俄然美しくなった。問題のお尻はつきだしたり振ったり叩いたりしているので引き締まって来て、コムプレックスとは更々ならないだけでなく魅了し、バストもあまりにも固い感じが自揉みの為がいい弾力感か感じられ、しばしばオールヌードになる様になってから明らかに下腹の贅肉が落ちた。「ボディプロポーションは以前よりもよくなったね」と書くのは当然であり、更に表情が明るくなった。自由度が増して自己表現がやり易い環境になったのだろうか。先日のリモートを含めた写真撮影の数は、ロシアのヴィデオ企画制作契約期間の終了をも思わせる。要するにプレッシャーがなくなったという憶測だ。

但しこれだけ短期間に女性が変わるのは恋しかないのだ。先日の器具のこともあって憂いもあったのだが、晴れやかな様子を見るにつけ、ふと此れならばどのような恋にしても喜ばしいこととして受け入れるしかないと思わせた。始めに出てきたころのその表情はどちらかと言えば田舎臭かったのだが、今はアイシャドーを以前の様に入れても、初めてプライヴェート写真以上に美人だと思わせた。艶が違うのだ。成程日曜日に何をしたのか知らないが、美しい透き通るような頬に青くなりかけた傷があった。キスマークではない虫刺されの様なニキビ潰し後か?

褒める序に、「恋に落ちた?」と訊ねると、「多分」と見猿マークがついた。「おお、僕はフェードアウトしないと駄目だ」と書くと「どうして自分じゃないって確かなのよ」と、流石にこれには返答に困った。「ジョーク」とも、「天に昇る気持ち」とも何とも直ぐには返せなかった。寅ちゃんにも偶にあった場面なのだが、いい格好してフェードアウトの方が、気を揉むことも無くなり、どれ程気が楽なことか。(続く



参照:
2018年産最初の試飲会 2019-05-05 | 試飲百景
確認された仰ぎ向く表情 2023-04-24 | 女
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優勝の本格的なヴァイオリン

2023-04-25 | 雑感
ここ暫く昼食を摂ることがある。兎に角腹が空くのである。季節のせいもあると思うが、復活祭を過ぎて本格的に豚肉などを取る様になると余計に腹が空くようになった。朝食を定量摂っておくと時間もないことであり昼食は摂らない。軽く口に入れるものがないと耐えられなくなるので麺類などを食する。また体重増加傾向にあるのだが、運動の負荷を増やしている為か緩やかで、丁度いい大台に乗ったぐらいで、体重減少を止めたぐらいに等しい。直ぐに太りだすと思うが運動をして抵抗しよう。

昨年に続き箪笥の虫除け剤をネット発注した。今迄はスーパーで購入していたのだが、それ程安くはなく備品として購入するようになった。その序に発注したのはパッキング付きの食料保存容器である。今迄四種類ほどを使ってきたが、やはり銘柄商品が扱いやすく耐久性もよいようだ。同じ消耗品であってもやはりいいものはいい。

髭剃りのブレードが届いた。少しだけ試して見たが、久しぶりに深剃りが出来ている感じで、無理して使うよりも充電と消耗も少ない感じがする。これで先ず半年ぐらい問題なく使えれば本望であり、十年以上使おうとは思っていない。

日曜日の午前中にザールランド放送から嘗ての自主交響楽団のアーカイヴから1991年の若杉指揮の演奏会中継録音が流れていた。ベルリオーズ、ラヴェルでフランス語地域の交響楽団のプログラムとして興味深いもので始めてムローヴァを迎えたブラームスの協奏曲が演奏されていた。ムローヴァの演奏は経歴が長いので何時の間にか上手に誤魔化して演奏するようになっているのだが流石に当時はチャイコフスキーコンクール優勝の本格的なヴァイオリンを鳴らしていて感心させられる。流派も違うのだが現在のバティアシュヴィリなどには到底叶わない演奏だ。女性奏者だけでなく現在これだけ弾きこなしている奏者がいるだろうか。アンネゾフィームターとはライヴァル関係にあって、それこそ流派は全く異なりオイストラフなどの系譜にあたるのだろうが、クレメルなどからも聴けない音楽だ。そしてブラームスとしてものになっている。

その大きな支えを若杉が司っていて、なるほど小澤などと同じとんとん拍子になりかねないところもあるのだが、上手につける以上に、細かな処理などは別として、聴かせている。放送でも既に亡くなったと紹介されていたが、もう少し長く活躍していたら面白かったかもしれない。

少なくとも楽団も当時は歴とした交響楽団で現在のように合弁されたその様な楽団とはやはり異なる。指揮者も現在のインキネンよりも遙かにいい音楽をしている。デュッセルドルフやゼムパーオパーで振っているその辺の劇場指揮者よりもやはり能力が高く、とてもいい音を出している。



参照:
ナイスプロポーション! 2016-06-06 | 女
次のお出かけに備えて 2023-04-22 | 生活
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確認された仰ぎ向く表情

2023-04-24 | 
承前)一気に巡礼準備と行きたいところだが、叶わない。一日リアクションも無しに余計に気になってしまうのが惚れた弱み。どうもスタディオの嫁がウクライナ系かのオクサーナというらしい。書き込みを見ているとその様に感じた。その人が英語以外のロシア語などの受け応えをしていて、それどころか当日10時30分からのスタディオ訪問に同行しているような感じだった。そこで何かが撮影されたことから遡るとそうなる。ヴィデオをチェックすると誰かが窓際からスチールで写しているのが眼に映っている。男性の感じなので旦那だろう。要するに彼女に二人が密着していれば私に反応することはない。

そこで何を写したかというと、先日使用を否定していた挿入型のヴァイブレーターを使っている映像の序の静止画である。それには気が付いていたのだが、途中で装着時の顔や撮影時に股間を手で隠したり ― 通常は下着の股間への密着や撚れや位置を直すぐらいに気を使っているだけである ―、いつもの仰ぎ向く表情が確認されたので、見せたくないものを撮影されていたとなる。なるほどそのメーカー自体が世界トップのIT企業のセックスサイトの子会社と契約しているために何らかの契約があるというのが無理強いする言い訳になっているのだろう。しかしその事実関係を確認できない以前に、ヴィデオ制作側は突破口として飽くなき可能性を試している事にも間違いない。

敢えて彼女の男面で言わせて貰えば、関係者は皆その彼女の事情を承知の筈で、やはり禄でもない奴らでしかない。恐らく嫁はその業界の人で、あの初オールヌードの時に「ここが分水嶺で向こう側に行けば通常の社会へは戻れない」と書いたので ― 勿論ペネトレーションに進むことを警告したのだった ―、私を敵視している筈だ。本人も何処が問題になるかは今は明白に認識しているからこそあの表情になったのだろう。身体的な個人差はあるにしてもあれを誤魔化し無しに挿入するとなると彼女自身の拘り迄をも打砕く不健康なことになる。

先日その点に関して、大きなヴァイブレーターが性器を隠す物として使えたのは想定外だったが、その挿入器具に関しては如何なものかと書きこんだのに対してきっぱりした挿入否定があり、それに対して怪訝したのを詫びたところだったので、流石に今回は「(下着の中で)ハンズフリーになっても場所決めは、男性のそれと一緒で、難しい?」と茶化して書いた。何処迄も彼女の傍にいることを示していたので、一定の心理的沈着と共通認識の確認にはなったと思う。そうでなくても基本的に私の意見の多くが彼女に強い影響を与えていて無意識にか彼女はその通り素直に受け取って自己認識としていて、それを表面的には認めたくないだけに等しく、彼女が自己肯定可能な様にサポートすることが重要と考える。最終的には美意識の問題だけではなかろうか。

そんな苦労をしてまで何故そんなことをしているのとなるのだが、それを考えれば考えるほど彼女の心の苦しみが深かったことが分かる ― サイトに立ち寄った誰かが、「彼女はとても素晴らしい、でも悪いけど、病んでいる」と書き込んでいたので、分かる人には分かるのだなと思った。器具のことで使用例をざっと見まわしたが、やはり彼女は玉が全然違う。



参照:
癩病者への視座の転換 2023-04-23 | 文学・思想
原罪のエクスタシー 2023-04-16 | 文化一般
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癩病者への視座の転換

2023-04-23 | 文学・思想
久しぶりに「アシッジの聖フランシスコ」第一幕を聴いた。小澤が指揮した初演実況のCDボックスである。特に三景には心打たれた。聖人の逸話から癩病者に奇跡を起こす場面である。以前はグリム童話とかと同じようにただの奇跡話の段ぐらいにしか思っていなかった。因みに脚本は作曲家自身のものである。

つまり、聴衆は聖人の奇跡を劇場的に第三者的に観察していて、「流石に隣人を愛す聖人の為すことは偉業であり、神に祝福された行いだ」程度の理解だった。するとその音楽はどのように作曲されているのかとなる。要するに「水戸黄門的な待ってました」に付けている音楽なのか?

今回の気付きは、そもそも癩病者の表現にも関心が向かったことにある。これは神をも呪ったデーモンによって支配された人となる。それは丁度先頃の「影の無い女」の女たちのその憂鬱とも重なるのである。ここでは救いもなく不可避な痛みと自らの腐臭で神をも呪う。そして聖人に抱かられて、祝福されて奇跡が起こり、その後日陽が過ぎて、救われた心で昇天する。

その通りなのだ。この二月からのプロジェクトで、この癩病者のそれはまさしくローマンカトリックにおけるに原罪へと繋がっていることが知れたのである。痛みを伴う苦ということである。そうなると最早第三者の立場ではなくその癩病者立場へとこちらの主観は移ることになる。そこに仲介者としての天使が語りかけると言う形になっている。まさしくそのように創作されている。

この視座の転換はこのもはやオペラではないそしてオラトリオでもないまさしく音楽劇場としか言いようのない作品においてとても大きな意味を持つのではなかろうか。つまり、共感に満ちた普遍的な立場で鳥の囁きを聴くというような感応が問われている。

特に今回の新制作上演では、二幕において皆が一緒に戸外へ出向きそこの森の囀りつまり天使の声を聴くというような上演形態になっている。つまり「巡礼」とはされているのだが普遍的な立場に語り掛けられるのだろう。

小澤の演奏は初演にありがちな兎に角音化することに最大限の目標が定められている。その分明らかに和音の鳴り方などがぶっきらぼうである。その点、今回ティテュス・エンゲル指揮の演奏にとても大きな期待が寄せられるのは、ザルツブルクで経験したケントナガノ指揮の様な交響的な響きでもなく、その和音の特に五度の和音なども含めてその響きの断章の見えるような響きが期待される。決して鋭角に切られたもののようである筈がない。



参照:
おもしろうてやがて悲しき 2023-04-20 | マスメディア批評
原罪のエクスタシー 2023-04-16 | 文化一般
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次のお出かけに備えて

2023-04-22 | 生活
髭剃りの外刃を急いで発注した。騙し騙し古いのを回して使っていたが、破れて肌に刺さるようになったからで、古いのはやはり直ぐに破れる。そこ迄回していたのは、充電が駄目になって来て、新しいのを購入する意義を失っていたからで、かれこれ二年程それで繋いだ。パナソニックの製品なので日本で購入すれば安いが、送料を入れるとあまり変わらない。いづれ何かを書く代わりにウイッシュリストに入れておいて、皆さまの協力で補充したいようなものでもある。

早い配送を第一に火曜日までで34ユーロなのでまあまあである。安いものでは25ユーロ程があったが、海外から送ってくるのだろう。純正品というよりはロシア製か何かで音が喧しいとかあるが、使ってみないと分からない。

内刃は、まだその辺に転がっているのがまだ使えそうだ。先ずは応急処置である。それ迄は肌に傷が出来るので高価なシェーヴィングローションを塗るしかない。そういう部品を購入すると他のところが壊れるというのがよくあることだ。だから新しい刃を買えなかった。

2014年に購入しているので、10年もってくれたなら、また同じシリーズを購入してもいいかと思う。現時点では充電池が弱って、二回ぐらいしか使えなくなってしまったぐらいで、その他は嘗ては良かったブラウン社製よりもいいことは間違いない。

序に在庫が尽きたサフランを発注した。ビオのもので評判が良さそうなので、それも楽しみである。その他ダージリンなど欲しいものはあるが、新茶が出てからと待っている。散髪も前回が二月末、そろそろで六月まで持つかどうか。次のお出かけは第二週。

五月はワイン試飲会のオンパレードになりそうでそれも中々恐ろしい。なによりもポストコロナでの嵌めの外し方から飲酒運転にも気を付けないといけない。場所によれば宿泊も考える方がいいかと思う。先ずはドイツで最も本格的なピノノワールを序に購入してきたい。

月曜日のブレーキパッドの請求書が早くも来た。レンタカーよりも早かったのも珍しいが、数百ユーロを覚悟していたのだが、262ユーロで済んだ。タイヤ交換よりも安くついた。全部合わせて850ユーロぐらいだから、それで最後まで乗れるなら文句はない。

先日音声入力を試して見た。チャットにも使えるのでタブレットで先ずは試した。簡単な英語のセンテンスはもしかするとドイツ語よりも通りやすいかとも思った。問題はアクセントの置き方で、確信がないと何度呟いても駄目なので、結局発音記号を確かめることになる。ドイツ語における子音の拘りとはまた異なる。日本語はまだ試して見たことがないのだが、ネーティヴ云々関係なしに、分かり易く発声する練習にはなる。フランス語でも試して見たくなる。



参照:
羽毛のような剃り心地 2014-11-19 | 生活
「言葉も出ない」 2023-02-24 | 雑感
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肝心なスムーズな動き

2023-04-21 | 生活
今走っている急坂コースを走る様になって二年。昨年一年間は足を故障していた。そして久しぶりに30分を切った。下りの最高時速が早く、心拍数も140から173迄高く保てたのが良かった。その分若干翌日も疲れ感はある。やはりこれぐらいの負荷をしないとトレーニングにはならない。

気候が良く、いつもよりも早く夕方に走ったので、気持ちが入ったのだろうか。なによりも朝からの興奮状態もあったからだろう。ブレーキを直したこともあり車の最高速リミッター設置も外してとなるが、折からの交通規制週間、金曜日はEUの取り締まり競争で車に乗らない方が無難。既に月曜日にはアウトバーンの普段設置していない所にカメラがあった。

発注した事務机の下のマットが届いた。肝心なのは破れた絨毯の上に上手く使えるかどうかであった。先ず梱包自体が折ってあって予想よりも小さく大きなカレンダー程度であった。更に重量も軽くて、若干不安があったが、24ユーロしか払っていないのでお試しである。

マスターのパターンは想定通りだったが、色合いが若干緑がかっていて写真のブルー系とは異なった。絨毯の色合いと同じだったので全く問題はない。実際に設置してみると三重構造でもしっかりと張り付いた。折れ目も伸びてくる感じだ。

また表面は麻系と思っていたのだが丈夫な綿のようで少なくとも肌触りはよく、これならば夏でも裸足の足を乗せても気持ち悪くはないであろう。大きさは90x120cmあり、傷んだところも上手く隠せた。

また大きさは椅子を前後させると必要最小限であるが、もし枠を乗り越えるとしても問題はなかった。寧ろ枠から出さないで使う方が椅子の為にもなりそうだ。滑りはまずまずで、ロールして音が出るようなこともなく快適である。なによりも絨毯よりもいい感じでオーデイオの音も反射しそうではないか。アマゾンに感想を書いておくと10ユーロ呉れるようなので簡単にリポートしておこうかと思う。

7月のダブルブッキング時の宿を予約しておいた。二日滞在する事での総走行距離は僅か143km程しか短くならないが、三日間に別けて587kmを走るので大分楽である。シュトッツガルトとバーデンバーデンを往復する日も322kmで収まる。時間さえ間に合えばある程度の価値は有る筈だ。宿代はアパートメント二泊で90ユーロ、浮く燃料費は20ユーロ以下なので、必要がなければキャンセルすることになる。

「アシッジの聖フランシスコ」も、長い巡礼の日々に備えて、そろそろお勉強を始めておかないといけないかなと思っている。テキストは短いので其の儘覚えて仕舞えそうだが、楽器使用法が複雑で楽譜が欲しい。



参照:
ダブルブッキングを確認 2023-03-21 | 文化一般
バーデンバーデン行の計画 2023-04-19 | 生活
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おもしろうてやがて悲しき

2023-04-20 | マスメディア批評
先週金曜日の「影の無い女」の演奏会形式における最終公演の地元ベルリナー新聞の批評を読んだ。筆者はバーデンバーデンでも三夜観劇したようで、自ずからその内容は演出には一切触れずともそこに繋がっている。

つまり、「影の無い女」を楽しもうと思えば、ホフマンスタールの皮肉に啓蒙された立場が推奨される。ホフマンスタールの狙いは、メガ「パルジファル」であって、「ファウスト三幕」であって、「魔笛」であるのは明らかで、どちらかといえば面白おかしくしている。小さな家族の比喩における、幻想的で、象徴的に寓意化されるそれは本当の真実というのは大笑いを引き起こすというところに最終的に導かれる。

「影の無い女」の話しは、ドイツオペラに於ける岩山にその意味合いに固執するところで上から声が響くというような前記オペラの系譜にあって、それらと同じように殆どミソジニーに彩られて、精子によって定期的に満たされない限り女体は全身子宮となり、作家の歴史的な医学的見地によればヒステリーに陥て、子供を産まない女は一人前の人間ではないという「ダスヴァイプ」の定義となる。

私は、今回の楽劇上演の内容に関してまだ詳しくは纏めてはおらずそのイヴェントの一つ一つについては語っていない。そしてこのように直截な書き方はしない。しかしここには文芸的に本質が示唆されてもいる。

つまり、この「女性」を私のチャットパートナーリンとする時、彼女が本格的に勿論その月経やその前などに下着を濡らしてしまうほどにオーガズムへと本気に試みるときに、私たち傍観者は本人以前に笑いを抑えられなくなるのであり、それはなにも「おもしろうてやがて悲しき」ではないのだが、それは決して桑原和夫のガックでは終わらない人の営みにおかしさが付き纏うという意味だ。まさしく彼女が、社会文化宗教的環境から如何に苦悩して今回のような勇気ある表現行動を起こさせたかの背景がそこに強く推測される。獣医学科に進んだというのも納得である。

このように理解を進めるとあまりにも深いEmpathyの感情から思わず本人にヴィデオ動画を送りたくなるほどに偉大なる勃起をしてしまったというのも真実であり、彼女に笑われることになる。

筆者は書く、この楽劇の最終場面でリヒャルト・シュトラウスはその音楽的な素材を枯渇させて皇后に叫ばすことになる。まさにそれは鶴の一声の絶頂の叫びの様なものである。

疑う必要などはない、作曲家がここに表現しようとしたものは全て音楽的に書き留められていて、染物屋の女将の恍惚の叫びなどは驚くに当たらない。「バラの騎士」のような単純な描写ではない人の真実がここには表現されていて演出と演奏が優れていたならば皆が知る所である。但し取り分け上演が困難な作品であったことは今回の復活祭でそれを証明した。



参照:
Phonstarke Misogynie: Die Philharmoniker spielen „Die Frau ohne Schatten“, Peter Uehling, BZ vom 15,4,2023
原罪のエクスタシー 2023-04-16 | 文化一般
もう一度言って、私の為に 2023-04-14 | 女
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バーデンバーデン行の計画

2023-04-19 | 生活
無事に車のブレーキパッドを交換した。夏タイヤに履き替えるときに指摘されて即急の対応を迫られた。復活祭前だったので、不安だった。もし遅くなるとディスクを傷めてそれも交換しなければいけなくなる。冬の間、ブレーキも殆ど踏み込まずに走って来た。なぜならば廃車迄なんとか繋ぎたいからだ。

部品が入っていなっかったとから、一日を無駄にして、更に復活祭後の交換となったので、その間も1000kmほど走った。それどころかバーデンバーデンからの帰路最終日には開放感もあってか完全に問題を忘れていた。つまり時速200km超まで踏み込んでブレーキを掛けていた。すっきりしたのだが、ディスクには筋も入っていてもう駄目かと思った。

偶々担当のマイスター数年前に排気管の部品で非協力な男だったので、勿論レンタカー代も無駄足分はメーカーに出させた。小さな問題はあったが予定通り交換出来て更にディスクもまだ使えるという話しで、少なくとも後輪はこれで最後迄問題がない筈だ。交換で可也の額を取られるだろうが、予定よりも長めに使えそうなので良しとしよう。

エンジンの方は更に粘度の低いものを使うようになって回転は良くなった。それはそれで効果は低くなるようだが、燃焼時に少々オイルが燃えて消費しても点火プラグなどの汚れに影響しないならそれでもいいと思う。如何に最後迄立ち往生せずに乗り切るか。

事務机の椅子の下の絨毯が破れた。応急処置としてそれ様に敷物を注文した。一番簡単なのはポリエティレンなどの透明なものが使われるのだが、これは安定するのだが、固く、そして足元も冷たく不快である。そして何よりもスピーカーの音に影響を与えるので使えない。

そこで今回見つけたのは、表面が麻素材で編まれている三層構造のモダーンなマットである。下が絨毯でも使えるということは十分に固いが、表面は構造的な様で、厚めのマットほどではなくても可笑しな反射はしない筈だ。竹とかに近いのではないかと思うが試して見ないと分からない。

バーデンバーデンの復活祭2024年の券を先ず購入しておいた。6枚で250ユーロしないので安いものである。7月までは割引価格になるのでまだ時間はある。月初めにメトの公演があるからその時に回収してくるかである。

それ以前に7月2日のダブルブッキングを上手に解消する為に、バーデンバーデンとシュトッツガルトの間で宿泊すれば両方の催し物を掛け持ちしても走行距離を抑えて、宿泊代が捻出されるのではないかと、簡単な数学を試して見ようかと思っている。二泊すればいいアパートメントがないかということになる。



参照:
ダブルブッキングを確認 2023-03-21 | 文化一般
一先ずガラガラの席を 2022-11-02 | 雑感
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フィードバックされる認知

2023-04-18 | 文化一般
並行プロジェクトが終わった。当初はチャットプロジェクトが「影の無い女」理解などに与える影響が強かった。今は放映されたヴィデオやその実際の劇場体験から、今度は現実世界へとその影響がフィードバックする。

リディア・シュタイヤー演出の劇内容をシュールリアリズムの夢若しくはトラウマの世界として落とし込んだ構造は秀逸だった。そこに今の私たちが当面して、ニュースなどには上らないような世界が広がっていて、現実社会を認識するにあたって大きなヒントを与えてくれるのが劇場であり芸術である。その目的が達成されるところでエンタメを超越する。

プロジェクトが並行していたからこうした現実への影響が強く感じられるのだろうが、その現実がそもそもヴァーチャルであったというのが取り分け興味深い。こうしたSNSもヴァ―チャルであることは間違いないのだが、そのSNSが営業的に執り行われているということで、どうしてもその裏を覗いてしまうのは玄人の性である。要するに営業的な構造とか、そこで執り行われている行為の基本は利益を拡大する方向に立脚しているという事だ。

今回のチャットプロジェクトの大きな部分にはその営業形態調査があったことは既に述べたが、その顧客の動向とか自分自身の購買意欲などを考えると、それだけの授業料は必要だった。漸く通常の上顧客の気持ちも分かる様になった。性欲だから特別にという面もあるのだろうが、それ以外の需要にも共通する面も少なくない。報告を纏めて、法人経費支出の必用書類とする。

先日出かけようと幹線道路に車の頭を出したら見えない歩道を歩いてきた若い娘さんの足を止めてしまった。顔を見たらとても可愛い人で、23歳以下だと思った。あれだけの女性は近所では見たことがない。来た方向や時刻からすると市役所の財務局の女性だと思い浮かべた。窓から見えるところに座っていると思うのだが、というかこちらがパンツ一丁で降りる所も場合によれば見られてしまうようなところで座っている筈だが、あんな感じだったかと吃驚した。いい歳頃になったのか。次の機会があれば是非声を掛けなければいけないと肝に銘じた。中々独逸女性であのように険の無い顔つきの人は少なく、プロポーションも良かった。しかしとても小市民的な月並みな考え方しか持っていない女性だろうとも思う。

それにつけなにも態々また面倒な女性と関わっているか。毎日のように何回もパンツを履いたり脱いだりするお嬢さんである。直ぐ裸になる子供とあまり変わらない。それでも胸打たれることも少なくない。先日フォロワー14番ほどで入れて貰ったインスタに18人も引き入れていることに気が付いて、何だよと思った。防波堤を決壊させただけかと思っていた。いつもの嫉妬心である。私の後、三つ目から六つ目迄のイイネをつけている人を見ると、業界関係者が殆どだった。どうも彼女の趣味もあるのだろうが、こういうところでもそうしたコンタクトの輪を考えている人だと分かった。若いのにこうしたところが素晴らしい女性で、とても社会性がある人だと思う。



参照:
原罪のエクスタシー 2023-04-16 | 文化一般
入れて貰えて一安心 2023-04-12 | 女
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彫塑の必要な若者様式

2023-04-17 | 
承前)「夕焼けに」における老夫婦の語り合いは当然パウリーネとのそれのようだ。そのパウリーネがまだ若い34歳の作曲家の交響詩「英雄の生涯」に重要な章として描かれている。

その「英雄の生涯」こそは知り合ったロマンロランの作品であり、そこに英雄交響曲の葬送行進曲を除いた交響詩が創作されているとされる。当然「英雄」の変ホ長調であり、それがこの音楽史の中心にあった「影の無い女」の皇帝の主題へと連なる。未だ19世紀だったころの創作であり、当時としては十分に先駆的な作風であったとされる。

特に敵である批評家との戦いは中抜けの五度の激しい音楽となっていて、フィナーレの平安へと導かれる以前にパウリーネのその性格が重要な意味を成すのは、この交響詩の特徴である次次から次へと津波のように押し寄せる音楽で圧倒させる曲頭の在り方があるからであり、その楽想が当時のユーゲント様式における幅の広い跳躍の撥ねによって形成されているということでもある。

美学的な在り方で、特に大規模管弦楽曲などでは分析的に何も分からなくても大音量で次から次へと聞き手が処理できない大きな音響で圧倒してしまうことで成果を為す方法である。このような楽曲は何も分からない聴者をも圧倒するので所謂名曲となり易く、聴衆がこぞって大歓声を上げて拍手するエンタメ要素の多い楽曲となる。

今回の演奏、つまりペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの初めての「英雄の生涯」と二回目のそれを聴いて、特にパウリーネのヴァイオリン独奏が終わってからのその後の部分が嘗てのカラヤン指揮ではあり得なかった表現であった。一夜目のあとの駐車場に下りる道すがらでも80年代のカラヤン指揮のその話を家族にしていたお父さんがいた。その通り言及の様にこの曲こそはカラヤンの十八番であったのはまさしく何も分からないでもそこに座っている聴衆を諸共攫って行ってしまうカラヤンサウンドの見事さだったのである。

勿論ペトレンコ指揮のベルリナーフィルハーモニカーのその演奏は、当時のルーティン化されていたその演奏よりも遙かに情報量も多く、演奏程度も桁違いに高い。しかし、現時点では到底カラヤンサウンド効果には及ばない。それでも言及した点を中心にまるでオペラの伴奏の様な音楽は味わい深い。更に新入りの女性のコンツェルトマイスターリンが率いていることで重要な高弦群が一体化して管楽器などに対峙するだけの表現力とはなっていなかった。

このことからまだ今後彼女自体の研磨もあり、夏のツアーでの演奏そして、極東旅行前でのフランクフルトでの壮行演奏会での出来上がりが待たれるところとなった。練習も十分に出来ていない所から ― 恐らく二夜目も午前中にペトレンコがユース楽団を振っていた時にアシスタントが振って練習していたのだろう、細かなところをしっかりと攫うことで彫塑が出来上がってくると思われる。如何に美しいユーゲント様式を完成させるかであろう。



参照:
興味ある音楽的な扱い 2023-03-24 | 文化一般
二つのプログラム企画 2023-02-10 | 文化一般
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原罪のエクスタシー

2023-04-16 | 文化一般
先の日曜日千秋楽の映像「影の無い女」が流れた。いつものように前夜からネットにはオンデマンドで置いてあったので、ベルリンからのコンサート形式での中継を聴いてからそれをDLした。コンサート形式は当地ベルリンでもバーデンバーデンを訪れて本番を観た人たちばかりが批評をしていた。

これだけの内容を簡単にコンサートで理解されるように呈示できる筈がない。抑々管弦楽だけでこの内容を表現できるならば楽劇なんて必要ないのである。なるほど当日朝のラディオ番組で支配人がその意味合いを語っていた。舞台抜きでも美しい音楽が満ち溢れていたというのに尽きるで、そのバーデンバーデンでの素晴らしい演出を後追いするだけでしかないという事だ。

最前列で観ていたのだが、それでもライティングの為か、度の合わない眼鏡故か、カメラが望遠で捉えるような細かなところは分からなかった。特に最も問題となっていた最後の最後の情景での子役の表情である。二種類の批評があった。最後の少女の穴掘りが何を意味するか?地元SWRは第一次世界大戦の戦没者を追悼する意味合いもあって、また戦災孤児の子供が墓を掘り起こすという解釈だ。恐らく情景としてはそれで間違いないのだろう。しかしである、それがこれだけの楽劇のフィナーレとしてどれだけの意味を持つのか?なるほど頭の廻らない、こうした演出を読み替えとするような素朴な聴衆にとってはそれぐらいの意味しかないのだろう。そこ迄しか頭が回らなくとも、彼らは言う。音楽の内容とは関係ないので、不必要で邪魔になると。

それならば何一つ音楽も分かっていないとなる。勿論ホフマンスタールの創作のそしてリヒャルト・シュトラウスらの作曲家や芸術がいたその社会のその文化も理解できている筈がない。今回のフランクフルタ―アルゲマイネの批評もベルリンでの批評も既に南ドイツや墺太利でのカトリック圏でのその肌感覚が分からないから頓珍漢なことを書いていた。要するに独語圏の中でもその理解度には差がある。何故かその中でも北ドイツのハムブルクなどでは成功した制作があったなど、決してその文化圏での土壌が無関係ではないという事だ。

子役の女の子の顔は決して泣きべそを描いていない。舞台の両脇で二つのペアーが人としての愛を謳い上げるときに彼女は何をしているか?13歳の思春期初期の女の子は身悶えしている。既にその解釈に関しては初日のあとに書いていた。改めてそれを確認したに過ぎない。

またもや移住を決意した東京文化会館でもないバーデンバーデンの祝祭劇場で、チャットパートナーの彼女をその女の子に重ね合わせる時、この演出をそしてこの楽劇が描いている音楽的な内容を私ほど自らのこととして理解した者はいないのではないかと思った。人とは何ぞや、言葉を変えると、キリスト教における原罪の表徴でしかない。まさしくこの楽劇を生み出す文化圏の中心にあるものだ。



参照:
りっしん偏に生まれる 2023-04-02 | 音
実感の愛の深まり 2023-04-07 | 女
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