Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2022年7月

2022-07-31 | Weblog-Index


ブラームスの弟子筋 2022-07-31 | 文化一般
下から目立つ大きな十字架 2022-07-31 | アウトドーア・環境
ムード溢れる環境 2022-07-29 | 音
護身の為にもYouToo 2022-07-27 | 女
お品書きから推敲 2022-07-26 | 料理
三種類の新たな図柄 2022-07-25 | 生活
度重ねるブッキング 2022-07-24 | 女
切れる接種有効期限 2022-07-23 | 暦
ガマ口の重力落とし 2022-07-22 | 雑感
ミュンヘンでの新制作ベスト 2022-07-21 | マスメディア批評
来週のピクニック準備 2022-07-20 | 雑感
アンサムブル劇場とは 2022-07-19 | 文化一般
午後の計画をプロデュース 2022-07-18 | アウトドーア・環境
立ち眩みでメガネ屋へと 2022-07-17 | 生活
前乗りの費用の値踏み 2022-07-16 | 生活
コロナ禍以前の水準に 2022-07-15 | 雑感
雄叫びが上がる合格 2022-07-14 | 生活
ブリッジを一年間架ける 2022-07-13 | 生活
ラトルを際立たせる名前 2022-07-12 | マスメディア批評
暮れないミュンヘン 2022-07-11 | 雑感
オープンエアーの季節 2022-07-10 | 暦
短冊が叶う七夕祭り 2022-07-09 | 暦
独連邦共和国の夏休み 2022-07-08 | 暦
歴史的に優位な音楽語法 2022-07-07 | 音
込み上げてくる苦み 2022-07-06 | 音
意向に配慮せざるを得ない 2022-07-05 | 歴史・時事
作品再演の普遍的価値 2022-07-04 | 文化一般
映るアラトスカーナ 2022-07-03 | アウトドーア・環境
垂れそうにない蝋燭 2022-07-02 | 生活
サウンドデザインの仮定 2022-07-01 | 文化一般
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ブラームスの弟子筋

2022-07-31 | 文化一般
キリル・ペトレンコもブラームスの交響曲指揮で苦労をした。ミュンヘンでは第四交響曲で木管楽器が付いていけなかった。ベルリンではコロナ配置で早々とシュタインバッハ演奏実践を断念していた。今年の交響曲二番でもベルリンのフィルハーモニカーの伝統と自らが後任指揮者であったマイニンゲンでのブラームス指揮直伝での其れとの折衷案に妥協した。

それを前提としてまた並行して、ティテュス・エンゲル指揮での全四曲に「アルトラプソディ―」と「ネニエ」、「パルゼンの歌」と「運命の歌」の合唱曲等を加えたプログラムで嘗てのビュロー指揮でのベルリナーフィルハーモニカーを倣って立奏で演奏しようという試みだった。

さて結果からすると第二回目の交響曲二番三番しか聴いていないが、立奏は早々と断念した様だった。コンツェルトマイスターリンに立奏はお手の物のフライブルクのバロックアンサンブルでお馴染みのカタリーナ・シュライバーをガストマイスタリンに迎えたのだが、現実的な解決法としてそれをしなかった。

そこに逆にこのツィクルスの価値があったと思う。実際は客演指揮で短期間でシュライバーの演奏実践をブラームスにおいて徹底することなどは出来ていなかった。更にそこで求められていた弦の優位はそこ迄の菅の音圧などがなければ意味をもたなかっただろう。その楽器もナチュラルなものであれば更に威力を発揮する。それはそれでまた別の問題も生じる。そもそも英国人指揮者がガディナーが時間を掛けてアンサムブルを作って来ていてもレコーディングの様には上手く捗っていなかった。

それならばこの企画は失敗したか?そもそも名曲なんか指揮しないエンゲルがこの交響曲をそれを室内管弦楽団で指揮するとなればそれなりの企画は必至だった。そもそも何をこのツィクルスで示したか。三分の一以下しか聴いていないので結論は出せないが、同じ現実的な解決法を採ったにも拘わらずペトレンコよりも多くを示せていたのではなかろうか。勿論示すべきは嘗ての演奏実践を模倣する事ではなくてブラームスの創作の世界をである。


幾つかの具体例を示す前に、先ずは今回の訪問を個人的には指揮者の将来を占う絶好の機会と捉えた。個人的な繋がりもさることながら、世紀の天才指揮者がこれまた商業メディアとの繋がりをけり続けた可也急進的な立場同様にエンゲルも特別な活動をしてきていた。そこでこうした名曲を指揮して何を示せるかとの興味でしかなかった。

その点では、音楽劇場指揮者の第一人者として、この様なプログラムの演奏会でもしっかりと山を作って来て、満席の三分の一も入っていない聴衆を魅了した。それもオペラに於いて、例えばフランクフルトの「サロメ」に於いてもそうだったように、交響曲二番のフィナーレの盛り上げ方は驚愕で、嘗てこの曲を得意にしていたベーム博士指揮を超えるものでテムポ設定と自然なアゴーギク、そしてその指揮に改めて感心した。かねがね、嘗てのブラームスの直伝のシュタインバッハの弟子クナッパーツブッシュと比較していたのだが。(続く



参照:
お品書きから推敲 2022-07-26 | 料理
立ち眩みでメガネ屋へと 2022-07-17 | 生活
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下から目立つ大きな十字架

2022-07-31 | アウトドーア・環境
インの谷が広がるローゼンタールから見えている山容。翌日のマティーネ―の後に頂上を目指す山カムペンヴァントである。標高は1664mしかないが頂上に立っている十字架が一番大きいのと、この様にどこからでも目立つ山というのでハイキングの目標になっている。更にゴンドラの山上駅から標高差は300m程なので足元がしっかりしていれば気楽に登れる。しかし流石に30ユーロ近く払って大した運動にもならないなら意味がない。そこで標高の一番高い駐車場から歩くことにした。午後の短い時間に高度差800mの運動ならば満足だ。

乗り越えなければいけなかった課題は、真夏の午後の低山登山で暑い、陽射しが強い事、そして雷雨が予想されている事の二つだった。念のためにヘッドラムプは持って行ったが、日焼け止めクリームを忘れたのでニヴェアのスポーツ用の強力な50番∔を13ユーロで購入、それをマティネー前に購入する事だった。

演奏会が終わって車を出したのが13時ごろで、一旦通り道のアパートに戻って着替えて少し腹に物を詰めて、クリームを塗布して、行動食を持って出かけた。ナヴィ通りに上の駐車場に着いて歩き始めたのが14時24分で、コース所要時間は四時間半だから下りてくると19時ごろである。雷雨予想は16時過ぎから出ていた。念のために携帯傘は持ったが、強い雨をやり過ごすのは岩小屋か森林しかない。結構面倒である。だから17時迄には森林限界よりも下に戻るのが基本だった。

結果は頂上到達二時間で、暑くて森林の路も険しくて走れなかったが、速足ノンストップで、頂上でも30分ほど粘れた。天候は薄いガスがかかって来ていたが、落雷の様子は無かったからだ。下りは海抜840mまで一時間半で、走れるところは走った。

結局駐車場近くのレストランでヴァイセで喉を潤し、アパートに戻って、シャワーなどを浴びてアペリティフかとなったら降ってきたのだった。短い限られた時間の割には久しぶりに本格的な持久運動が出来てよかった。また山道も石灰岩質の為にアルプスの高山のアプローチ路に似ていて、歩き難い。走れたのは主に林道のようなところとアルプスのアルムの山道ぐらいでしかなかった。それでも心拍数169まで上がっている。軽い荷物を担いでいた影響もあると思う。

頂上から下りて来たすれ違った婆さんは「道ではなく登路だ」と言ったのは、頂上岩壁は我々専門家でも手を使わなければ上り下り出来ないだけでなく森もそれなりだったからだ。裸で走っていた爺さんもいたりだったが、頂上を空荷のラッシュで攻めていたのは若いお兄さんだった。

ハイキンキングをしている人たちには成程スリル感あり、なによりも眺望が素晴らしいので人気があるのは分かった。



参照:
ムード溢れる環境 2022-07-29 | 音
前乗りの費用の値踏み 2022-07-16 | 生活
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ムード溢れる環境

2022-07-29 | 
承前)シュタインバッハの拘りは更に良く見えてくる。交響曲三番へと話題が移って行く。やはりその拘りどころが面白い。その前にお弟子さん指揮などを考えて、相違点も大きいとは思うのだが、何か共通点のようなものも見えてくる。特にフリッツ・ブッシュへの影響は大きかったようで、そしてブラームスの薫陶から学んでいる。

さてこれらの英語訳が出たのは2004年で、現在は2011年の改訂版が出版されているようだ。つまり、この内容を把握して演奏実践に移しているその代表的なものに2008年に欧州でツアーに出たガーディナー指揮の演奏会があった。だから今回もその立奏したフランクフルトでの演奏会も思い出しながら旅のお供にもその録音を聴いて行こうと思ってはいる。しかし、どう見てもシュタインバッハのコメンタールが活かされているとは思われない。

シュタインバッハは、英雄的な一楽章の主題に拘って、滞在したベルヒテスガルテンのヨーデルであることから、ベートーヴェンのような変ホ長調ではなくヘ長調であると書いている。ブレヒテスガルテン迄出てくるのは、作曲家ご本人に直接確認したとしか思われない。勿論どこに滞在したかの旅行節話ではなくて、その主題に関しての問いかけだったのだろう。

新古典主義的なブラームスにおいてはその音楽的な構想から純音楽的なアイデアを重要視するばかりに、そうした文学的であったり絵画的な要素は疎まれる事が多いのだが、ブラームスの滞在した地を次から次へと訪れるとそこの環境でのムードが音楽に紛れもなく反映していることを感じると思う。そこそこの環境であり、丁度アルピズムの創成期での紀行文などを思い出せば、ここではまさしく音の絵葉書となっている。

独墺ロマン派後期の特徴をその形式性とすればまさしくブラームスが伝統を継承しているというのはまさしくその通りである。つまり例えば二楽章の最後のエピソードの峰の高みへと包まれる美しさにおいては最早対位法的な緊張感は違う目的に収束してしまっている。

同時代の対抗勢力であったブルックナーの交響曲に於けるそうした視座の広がりは、楽匠ヴァ―クナーに於けるザッハリッヒ的な視座とも異なり、飽く迄もカトリック的な神の創造物として蒸気機関のピストンなどと同等の描かれる。しかしブラームスの於いては、まさしくその場の空気感ごとに伝える迫真迫る写真やヴィデオのようなものでおある。要するにブルックナーのような確信を持った自然との対峙ではなくて飽く迄もその環境での反照でしかない。

水曜日からまさしくベルヒテスガルテンとキムゼーの間の街で過す。木曜日には午前中にブラームスの第二交響曲とこの曲を聴いてから少しだけ高みに上がる予定をしている。



参照:
三種類の新たな図柄 2022-07-25 | 生活
前乗りの費用の値踏み 2022-07-16 | 生活
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護身の為にもYouToo

2022-07-27 | 
2022年バイロイトのヴァ―クナー音楽祭初日「トリスタンとイゾルテ」を合わせて20分ほど音を流した。指揮者は急遽休演で指揮したリンツの指揮者でバイロイトのエジプト公演などに同行していた人のようだ。但しその音響は明らかに練習をつけていたシュトッツガルトのコルネリウス・マイスターのもので、そこ迄やれる指揮者なのだと改めて感心した。奈落の中でのその指揮や方法などには好き嫌いがあるとされているが、成程徹底していないと出来ないことだと思った。その本人は更にコロナ陽性で降りたフィンランド人指揮者に代わってこれまた新制作「ニーベルンゲンの指輪」の指揮をする。

「トリスタン」自体は、ショルツ首相も来ないことから前首相のメルケル夫妻などが招待客として招かれていたが、少なくとも音楽面では可也程度が低かった。歌手陣は批評などでもドイツ語テキストをしっかり歌えるツェッペンフェルトとアイヒの二人が絶賛されていたが、最初から主役の二人の歌唱を考えれば二流以下であった。それでもバイロイトデビューのマイスターは何とかものにしようとしていたようだ。

上のアイヒにしてもミュンヘンのような大きな劇場では声が通らないと準主役を歌ってもあまり評価されない。しかしバイロイトの小ぶりで奈落の屋根が被っているような劇場では正しいドイツ語のアーティキュレションが活きる。逆にバイロイトで言葉が分からないような歌手はドイツでは三流の小屋にしか出られない。成程管弦楽団は寄せ集めながらいい指揮者がしっかり練習をつけていれば、可也の実力を示すので一流劇場程度の力を示す。そこで今回は急遽駆け付けた指揮者が何とかそれに乗っかった感じで切り抜けた。嘗て日本の大植が振って、その前奏曲から聴衆を凍えさせたが、今回はそのような事はなかったのだが、程度は三流小屋程度の指揮だった。

前座番組には、今回話題になった痴漢行為の対象となりえた歌手のペトラ・ランクが出てきて話していたが、雰囲気からすると指揮者ティーレマンから何か被害に遭ったような印象はなかった。またこの件が何回もTV報道などに出ているのを観ていて事情が見えてきた。

実はもう一つの問題が隠されていて、まさしく問題となった練習において、ナチとの関係があったバイロイトでは「指導者」を「守護者」とそのヒトラーを表す言葉が書き換えらて上演されているのだが、オリジナル通りにフューラーで歌われていたという事実が報道された。これでカタリーナ・ヴァ―クナーが護身を考えても問題となるPEGIDAのティーレマンを切ってしまおうと思ったのだろう。だから自分が胸を触られたと貴重な証言をしたことになる。特に自身も亡くなった父親を継承するために腹違いの姉とツもの界などで人気のあったティーレマンを初代音楽監督として迎えたのだった。そしてそれらの立場が自身の権力構造の中で邪魔になると先ずは姉を追放したのが2015年。そして昨年から小致死に賭けて音楽監督を事実上解任。更に政治的にもバイロイトの祝祭劇場から排除するために今回のような形になった。コロナ故に音楽家など関係者には事件を重大視した連邦担当大臣など政治家面々を迎えてはならないとお達しも出したのだった。



参照;
立ち眩みでメガネ屋へと 2022-07-17 | 生活
バイロイトからストリミング 2021-05-27 | 文化一般
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お品書きから推敲

2022-07-26 | 料理
今日は朝から一番暑いと感じた。気温からすればに今夏二番目にはなると思うが、空気が温まっているので、暑い。ラインラントプファルツ州は夏休みでベストチョイスである。他の州との関係もあると思うが、よくやった。

暑い中を緩々と旅行の準備である。先ずは荷物を仕分け。若干検討しなければいけないのはザルツブルク初日の録音の準備で、宿で流せておけるように調整をしておかないといけない。WLAN機能が悪ければ失敗するだけだ。やはり旅行用に携帯DACを購入しておくべきだったかとも思う。

一番苦慮するのはアパートでの食事の準備である。メインと前菜、デザートは往路のミュンヘンで調達する。初日の一食と翌日の現地のパン以外の美味いもの、二日目の夜に温められるもの、三日目朝食に合わせて、更にアパートの冷凍庫が上手く機能していれば、三日目の夕食難民になった時に腹に入れるものを調達する。

バターとコーヒーミルクの少々は持って行く。更に必要なのが、洗った生野菜である。二食分は何とかなる。それ以外では紅茶のティーバック、塩コショウとオリーヴオイルだけは持って行く。更に果物類の積め合わせ。そしてなによりもワインである。一本はこちらから冷やして持って行く、二本目をダルマイールでジルファーナを購入するか。

初日にはピクニックで何を持って行くか?地元の高級肉屋で買っていくかどうか。出来るだけミュンヘンで投資した方がいいような気もする。上のお品書きでやはり問題になるのは炭水化物でパン以外をどうするか。基本はジャガイモサラダを持って行くのが一番いい。それだけでメインも活き、腹の足しにもなる。ソーセージだけでワインも飲める。

ブラームスの交響曲二番のシュタインバッハ校訂に目を通した。ざっとした印象では事細やかに演奏実践に口を出している。確かにブラームスのリズムとかシンコペーションとかヘミオラとされるその書法から注意しなければいけないアーティキュレーションやなど間違いのないような説明となっている。つまり、作曲家の記譜では足りないというのか、誤りを犯しやすかったということなのか。

因みにコメンタールを纏めているのはヴァルター・ブルーメはシュタインバッハの弟子ながら友人となっていて、最近まで毎日眺めていたフィルップスブルク原発の町出身1883年生まれで1933年に亡くなっている。シュタインバッハはケルンのギュルニッヒ管弦楽団の指揮者であったので、その弟子にはクナッパーツブッシュやブッシュ兄弟が挙がっている。(続く


写真:シュタインバッハ指揮の座っている1899年のマイニンゲンのカペレ。



参照:
三種類の新たな図柄 2022-07-25 | 生活
見えなくなった水蒸気塔 2020-05-16 | アウトドーア・環境
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三種類の新たな図柄

2022-07-25 | 生活
シュタインバッハのコメンタールを読み始めた。先ずは前書きから大雑把に交響曲二番と三番をスキャンのように流していく。細部以前に先ずはその視座を掴みたい。そこからコメンタールしなければいけなかった当時の演奏実践状況が見えてくるのではないか。引いては作曲家ブラームスが置かれていた環境やその意図が浮彫になる筈だ。

大前提には、シェーンベルクの言説「ブラームスは、伝統を継承したが、バッハに直接還っていたならば、先駆者になっていただろう。」があるからだ。それどころか1933年には、自身の変奏曲を指揮したハンス・ロスバウトに充てて、「ブラームスは私の上の世代では直接の感化を受けているのだが、今はそれに対する反応と引用でしかない。」とも書いている。

記念切手を注文した。三種類の新たなものを見つけた。一つは遺伝のメンデルの生誕二百年、もう一つはイスラムとの対話800年で、アシジのフランシスコがエジプトのスルタンに合いに行ったお話しである。もう一つ、ニーベルンゲンの伝説から竜と戦うジークフリードである。

こういう図柄を見れば直ぐに分かると思うが、万が一楽劇「ジークフリート」でこのような衣装が舞台に現れたなら、到底真面目な楽劇になりようがないということぐらいはどんなに自然主義の素朴な人でも分かるだろう。そもそも竜なんてどこにも存在しない。

ザルツブルク行の衣装はほぼ決まった。簡単のサマージャケットにする。なによりも涼しさと快適性を優先したい。ザルツブルクの初日は久しぶりであるが、高価な席でもなくて、余り目立たないので、それで構わないだろう。その前日の午前中にもそれを使えるのが都合が良い。それも二日間しか着ない。

今必要書類を整理するとザルツブルク郊外の宿は14時からチェックインできることになっている。オペラは18時開始だから16時まで午睡可能だ。キムゼーの宿が11時チェックアウトなので、途上でゆっくり昼食を摂りたい。60km一時間の距離なので、キムゼーの湖畔でフィッシュレストランを探しておこう。そこでヴァイツェン一杯ぐらいなら完全に醒めると思う。金曜日の公演後は降っていそうなので可能性が限られる。嘗ては公演後に自宅まで走らせる前に中華料理などによって一杯引っかけた勢いで500kmを駆け抜けた。いざとなれば車を横付けできる様な店か、駐車場のトンネルを通って濡れずに行けるような店があるのかどうか。

キムゼーの宿には早く入りたいが、ミュンヘンでの買い物を入れて6時間以上は見ておかないと駄目だ。9時に出ても15時には着かない。さてどうしたものか。



参照:
前乗りの費用の値踏み 2022-07-16 | 生活
トウモロコシはまだか 2020-08-08 | 生活
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度重ねるブッキング

2022-07-24 | 
ミュンヘンのお宿を三泊分ブッキングした。オペラとコンサートを上手くコンビネーションしての計画だ。土曜日に10月の新制作「コシファンテュッテ」が発売されることから、年内のミュンヘン行の全体像を纏める必要があった。三泊で二回の往復で更に日帰りを合わせて、三往復の計画を立てた。

部屋を予約しておいて必要な券や残券を漁ることになる。三泊三往復で出かけられる催し物は劇場と演奏会を合わせると最大6催し物である。宿泊料は220ユーロ程、燃料代は安くなっても320ユーロぐらいになるか。合わせて550ユーロ程か。入場券を加えるとやはい1000ユーロとなる。その価値があるのかどうか。

一般販売に並んだ。待ち番号は1233番だった。予想外に待ち人が多かった。入場した時は35分を経過していた。今迄の経験から入っても完売に近い待ち時間だった。初日の席が殆ど残っていた。ペンデレツキ作品指揮でそれなりの成果を出した、しかし「バラの騎士」通常編成版は批判された音楽監督の指揮。ミュンヘンの聴衆の信頼を得るまでには至っていないという事だろう。

それに引き換え、私個人はバッハラー・ペトレンコ体制の時以上に通うことになっている。現体制を支援したい気持ちがあるからでもあるのだが、上の様に序に演奏会迄を考えると出費が増える。もう一泊を節約するかそれとも往復を減らすか検討したい。いずれにしても来年はシーズン終わりまでミュンヘン往復は一度ぐらいしか予定していない。精々旅行の途中に序によるかワイン祭り間の避難に使うぐらいだ。

古楽器演奏指揮で有名な指揮者アーノンクールの奥さんが亡くなった。アリス・アーノンクールという名のヴァイオリニストで旦那さんの姓を使っていた。新聞記事によるとバリバリのヴィーン子でホッフェルナーという名前で、若い頃には名ピアニストフリードリッヒ・グルダと共演して、パリでジャック・ティボーにもついていたらしい名人であった。

旦那が亡くなるまでの63年間の婚姻中にも仕事が出来るか家庭との両立などキャリア女性としての問題を最初から解決しなければいかなかったようだ。しかし、現実にはチェロを弾いていた旦那の楽団の第一ヴァイオリンを率いているだけでなくて、後に指揮者として活躍するようになってからも、例えばチューリッヒの歌劇場ではコンツェルトマイスターリンとして旦那の指揮を支えた。

それどころか全ての練習にも客席に座っていて、旦那が必要としていた忠告を与え続けたと昨年も語っていたらしい。この才能ある音楽家がいなければ旦那のあそこ迄の業績はなかったと思われている。赤ん坊を片手に洗濯機もない生活からずっと旦那の仕事を支えていたと語っていた。享年91歳。



参照:
切れる接種有効期限 2022-07-23 | 暦
正統的古楽器演奏風景 2005-11-13 | 音
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切れる接種有効期限

2022-07-23 | 
ペルーアマゾナスのコーヒーを開けた。流石に酸味が効いていて、夏らしく清々しい。紅茶で言えばアッサム的な清涼感がある。高地での有機でフェアートレード製品だ。キャラメル香も成程薄くある。柑橘系風味とフローラルさが嬉しい。ミルクを入れても入れなくても、冷やしても楽しめる。生産地重視をしたが図星の夏向きだった。これに比較すればケニヤの紅茶風でより強めだが、暑苦しくはなく柑橘風味もあった。

さて、来週買うとしたら残暑から秋を考えたい。蜂蜜風味のコロムビアピンクはどうだろうか。そしてコスタリカの柑橘にチョコレート風味か。ブルーマウンテンはこれらの四倍の価格だが、通常のプロドーモの倍の価格で購入できるこれらでお勉強すれば、何も無理して高価なものに拘ることがないのがよく分かる。本当にいいお勉強が出来る。

ザルツブルク行の準備が進んでいる。週末と週明け二日で出かけると、帰宅する週末が月末だ。なんだかんだと時間に追われる。先の準備をしておかないと駄目である。それ以前に既にブラームスと「三部作」のお勉強で8月31日気分になっている。

その前に、秋からのミュンヘン行を考えておかないといけない。10月26日からの劇場の三大氏神の一つモーツァルト「コジファンテュッテ」をどうするかに尽きる。音楽監督ユロウスキーが上手に振れるかどうかである。上手にということは少なくとも前任のペトレンコが新制作「ティテュ―スの慈悲」での成果よりは上まわなければ意味がないという事になる。とても高いハードルで、比較対象を変えれば精々ザヴァリッシュ程度にはモーツァルト指揮で成功しないとならない。正直キャストとか演出の名前を見ても半信半疑だ。英国のグライボーン音楽祭でやった程度では到底駄目なのだ。

秋の計画は、11月のベルリナーフィルハーモニカー米国新シェフお披露目ツアー壮行演奏会以外には考えていないので、10月をどうするかだけである。シュトッツガルトもフランクフルトもこれといったものはない。

同時に9月にはルツェルンに二回で向いて、その後は開けてある。オミクロンは可也感染拡大していると思われるのだが、科学的、感染防止的な所見からはもはや接種証明システムは無効になって必要なくなるとされる。9月には有効期限が完全に切れるので、そうなればアプリケーションを消去するだけだ。一体どれだけの税金を投入したのだろう。

現在導入がドイツ政府で考慮されているのは1Gシステムで接種の如何に拘わらず大規模催し物に入れないとしている。抗原検査に何の意味があるだろうか。オーストリアのように全員PCRシステムを取っていたところとは事情が大きく異なる。



参照:
ガマ口の重力落とし 2022-07-22 | 雑感
来週のピクニック準備 2022-07-20 | 雑感
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ガマ口の重力落とし

2022-07-22 | 雑感
発注した鍵入れが届いた。なんでもないものに見えるかもしれない。しかし鍵社会のドイツでは結構大切なものである。殆ど財布やカード入れに相当する重要さである。先ず鉤の数々がないと日常生活が成り立たない。それをどのように持ち運ぶか。私のように車人間でも剥き出しでは携行不可である。

種類は幾つかあるのだが、手が塞がって取り出せるのはこの方式しかない。ガマ口のところに板バネが入っていて、それを開くことで中身を重力でに落として取り出せる。その板が革袋を破って出て来て使えなくなる。中の鎖等は幾らでも直せるのだが、革破れは直す価値がない。

普通は少々緩んでいても使えるのだが、例えば中に入れている車の鍵が知らぬ間に出ていたりすれば、もう駄目だ。ポケットが破れるなどよりも危ない。同様な例のカード挿しが緩々で落ちてしまうぐらいにヤバいのだ。財布なら高価なものもあるが、鍵入れは12ユーロで十分である。その様なものケチって酷い目に遭いたくない。序に新しい車の大きめの鍵も予想して大きめにした。

2022年7月20日は一番暑い日になったと思う。まだ小さなピークはありそうだが二週間ほどで夏が明ける。本夏は湿気が少ないので8月は早く冷えるだろうか。朝早めに少し走った。谷底は空気が冷たかったが、上部では熱気があった。何とかそれでも適当に走破した。

久しぶりに室内の熱気が籠るとなんとなく懐かしい匂いがする。どこでという印象はないのだが、暑い時の感じだ。湿気がないので余計にそれを感じるのかもしれない。そして夕立がやってきた。一挙に外気温が下がり、熟睡できると思う。これだけで明日が違う。

ブラームスの交響曲二番のお勉強を始めた。本格的には初めてなので先ずは従来の楽譜を見る。それでもマイニンゲンの立奏の写真が思い浮かぶと、従来の演奏実践は明らかにデフォルメがキツイと感じる。

そういう時に頭に浮かぶのはベーム指揮の演奏である。更に2008年にエリオット・ガーディナー指揮でのブラームスのツィクルスである、我々のバッハの会が主催したので一日は出かけたのだと思う。立奏であったが、その時のブログやプログラムにもう一度目を通しておきたい。

肝心のシュタインバッハのコメンタールの論文のコピーを貰った。それに目を通す前に先ず現行の楽譜から感じた印象も纏めておく方がいいと思う。



参照:
目の鱗を落とす下手褒め 2008-10-07 | マスメディア批評
個性が塗り潰された音響 2008-10-03 | 音
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ミュンヘンでの新制作ベスト

2022-07-21 | マスメディア批評
車中のラディオが伝えていた。子供の言語は既に体内で形成されていると。つまり母親が話す言葉のリズムが母国語化するという話しである。これで分かると思う。日系の音楽家も多いが、すると例えば母親が日本人でドイツ語が母国語でない限り、本格的には独墺系の音楽が母国語ではありえないという事だ。少し思い出すと成程と思えないだろうか。

ノイエズルヒャー新聞がドルニー体制最初の一年を振り返る。リヨンでの成功は其の儘ミュンヘンでは使えないが、その意志は全く変わっていないとみている。日曜日で最後の初日を終えた。しかし劇場の氏神であるリヒャルト・シュトラウスの「カプリッチオ」は2013年の焼き直しらしいが、新シーズンではよりミュンヘンの常連さんを喜ばす演目が入ると紹介している。

反面、オペラ通にとっては最初の「鼻」、「ジュディッタ」などは月見草のような日陰の存在のレパートリーの発掘であって、そうしたものを紹介したと、若者や普段は劇場を訪れない層への働きかけもなされ、教育効果が目されているとしている。

特に「ジュディッタ」に関しては、その頭脳派のマルタ―ラー演出が起毛のような肌触り感覚をあたえたようだ。しかし、創造力を掻きたてられた「ブルートハウス」や「ルードンの悪魔」を筆頭にベストの制作のなかで「ピーターグライムズ」、「鼻」などもこの劇場のスタンダードレパートリーとして定着するかどうかは疑問としている。

ミュンヘンはリヨンの劇場とは異なり、その規模は世界屈指であり、リヨンなどのシーズンの企画では済まないからで、その意味からブーもなく熱狂的に受け入れられた「ルードンの悪魔」初日も満席ではなかったとしている。実際に座席占有率は90%に至っていないらしい。

そこで前任者のバッハラーの魅惑的な美意識と飾り立てられた料理は決して味わえないのだが、意味のないことをすることが最終的帰着でないことは明らか。その様に、インターネットプレゼンテーションはドライで、とげとげしているのだが、まだその告知されているデジタル企画はまだ実現されていないとする。

上述した様にマルタ―ラーのあの知的な芝居が起毛効果を上げるようであるから如何にそのミュンヘンの現体制の出しものがドライで同時に美学的にも刺激的で尚且つ都会的なのかがよく分かる。

五月に為された再演「薔薇の騎士」を待たずの結論だったが、どれ程うまく演奏してもその演奏の限界が見えているということなのか。そのようなことであれば「コシファンテュッテ」も前途多難。



参照:
München ist nicht Lyon. Wer hier wie dort die gleichen Opern zeigt, darf sich nicht wundern, wenn er es sich mit den Deutschen verscherzt, Marco Frei, NZZ vom 18.7.2022
「シーズン最高の初日」の意 2022-05-24 | 文化一般
アンサムブル劇場とは 2022-07-19 | 文化一般
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来週のピクニック準備

2022-07-20 | 雑感
12月のフランクフルトでのアスミク・グリゴーリアン主演チャイコフスキー作「魔女」の席を確保した。残念ながらいい席は買えなかったが、先ずは初日をじっくり観賞としたい。

その前に九月に初録音のラフマニノフの歌曲の夕べもあるのだが、翌日にルツェルンなので断念した。また12月はフランクフルト滞在の様で初日シリーズで観た「マノンレスコー」も歌うのだが、こちらは指揮者の実力も分らないので様子見である。

先ずは何よりも来週初日を迎えるプッチーニ「三部作」に賭けたい。既にインタヴュ―も出ていて、三つの歌劇を歌うことから三人三様のキャラクターをどのように歌い分けるのかとかの質問が飛んだようである。それに対して、どのキャラクターを歌うかではなくて自分が歌うと、その分け方に関しては演出家のロイに訊いて頂戴といつもの反発心が出ていて頼もしい。これならば初日は大丈夫だ。

そのロイに関しては同じように感情移入をして、指揮者のメストに関しては魔法使いとしているので、その準備が順調に進んでいるのを示している。

前乗りで出かけるエアルの音楽祭にも連絡を取った。コンサート時刻変更に伴い、変更の確認が必要だったからだ。予約した同じ席に座れる。それでよいと思う。実際には大分空いているので、気楽でもある。

これで重なっている宿のキャンセル等も行える。いつものように衣装もマティネ用にも考えて、ピクニックも計画準備である。444kmの走行距離で5時間なので、15時チェックインで、やはり早めに出かけてミュンヘンで買い物で朝早めに出れば、一日移動日。夕方からゆっくりするだけだろうか。来週は天候も落ち着きそうなので、その点でも大丈夫だろう。

燃料は満タンで出かけて、ザルツブルク周辺で再び満タンでよいだろうか。これも安いところを調べておきたい。あとは、アパート近辺でのパン屋も調査しておかないといけない。件数はあるようだが、品質重視で選択する。翌日は朝から動くのであまりゆっくりはしてられないのである。

朝早起きで走ろうと思った。しかし前夜からの熱波で窓を開けて就寝したので上手く起きれなかった。到底無理だった。暑い時には無理をしないでおこう。また来週は長めに幾らかは涼しいところで運動をしようと思えば足を痛めたくはない。



参照:
創作のカミングアウト 2022-05-09 | 文化一般
前乗りの費用の値踏み 2022-07-16 | 生活
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アンサムブル劇場とは

2022-07-19 | 文化一般
土曜日の生中継について言及した。ミュンヘンでのオペラ公開で、普段は劇場に足を運ばない人にもオペラの一端を覗いて貰おうという企画だ。BMWがスポンサーリングをして恒例の行事となっている。ドルニー新体制になってから初めての開催だった。

従来通り、つまりコロナ禍以前通りマックスヨゼフ広場にてパブリックヴューが行われていた。それだけでも感慨深い。昨年は裏側のより広い場所で椅子などを用意してより大規模に開催していたが、今年はより街の人に近い場所で行われた。実際にはアルコールや携帯椅子の持ち込み禁止など可也り制限があったようだ。しかしそれでもより気楽な感じは人数の少なさと共に印象的だった。

支配人の挨拶やインタヴューの節々には、より積極的に大多数へと呼び掛けていこうとする気持ちは伝わった。結果は直ぐには出ない、しかし任期中に「回収」されれば大成功である。

前任のバハラー時代とは何が異なるか?例えば司会にもゴッチャルクのような高級取りの人気者ではなくて、あまり知らないような若い女優さんを起用するなど、より身近な雰囲気を醸し出していた。例えば公演のキャスティング自体も昨年はカウフマンとか大物スター歌手を出して来ていて、それだけで騒ぐ人たちがいる状況とは大違い。

例えばペトレンコ指揮「トリスタン」とかあっても普通の人はそうかと思うだけで、それ以上のものではないので、それほど親しみを与える要素とはならなかったであろう。その点今回は無名の指揮でスターでも何でもなかった。

しかし、世界の頂点にあるオペラ劇場の真価を示した公演となった。先月の「ルードンの悪魔」以来、「ブルートハウス」に続く成功が続いていたが、今回もそれらに続くことになる。

座付き楽団の響きは求められているもの以上で、ヤナーチェックの曲はこれほど密度があるかと思った。それが独特のイントネーションが色合いを定めていて、本当に見事である。今座付き楽団でここまで出来るのは他にないと思う。歌に合わせるだけでなくフレージングを作るのが柔軟で比較の無いほど上手い。

先日のシュットガルトの「指輪」でも示唆したのだが、ペトレンコ時代に出来なかったのはそうしたイントネーションの統一だとされていた。それはスター歌手を優先的に起用するなどでも得難い統一である。その昔は劇場ごとのアンサムブルがその真価を示すような公演形態となっていた。
Bayerische Staatsoper DAS SCHLAUE FÜCHSLEIN (EN)




参照:
午後の計画をプロデュース 2022-07-18 | アウトドーア・環境
引力場での音楽表現 2021-08-02 | 音
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午後の計画をプロデュース

2022-07-18 | アウトドーア・環境
ザルツブルク行きの準備をしている。時間が掛かった。ティロルのエアルの音楽祭での午後の使い方である。何とか目星がついてきた。直ぐに着替えて高みを目指すつもりで調べた。一時間程谷奥に車を走らせれば嘗てザルツブルク滞在の為に使ったティロルの街に近づく。知っているところを再訪するよりももう少し音楽祭会場にもホテルにも近く更に車で標高千メートルまで上がれるところを探した。さもなければ往復29ユーロ程ゴンドラ料金が発生するところが多い。

クレーターシュタイグの出来るところもあるが、道具を調達する気も腕の筋肉付けに行く気もないので、どちらかといえば森の中を走って上がれて尚且つ静かなところがいい。森林限界が1400mぐらいなので頂上を目指す時はカンカン照りになる。

しかし森の中を駐車場から森林限界までだらだら歩くようなのも嫌だ。走るにしても知らない林道は方向感を失って走り難い。寧ろ真っすぐと森林限界へと上がって欲しいのだ。殆ど一日時間を費やしたが、ネットハイキングソフトでより詳しい情報が得られた。上手くいけば気温さえ分かれば、究極は20ユーロ払ってゴンドラで上に出てから運動する。しかし腑に落ちない。なぜならば同じ価格でもっといいところに上がれる場所があるからだ。すると精々頂上が2000m越えない前アルプス地域では車を使って、速攻としたい。

もう一つインタールのバイエルン側に1800mを超える頂上と1000mを超える駐車場を見つけた。登りに3時間30分掛かるとなればギリギリである。襷に長し帯に短しである。頂上まで行っても特別感慨も無いものなら態々とも思う。

土曜日のミュンヘンからの中継は素晴らしかった。新制作「利口な女狐」をバリーコスキーが演出した初日シリーズの最後の公演だった。歌手は変わりないようだが、指揮者が変わった。初日はラディオ生中継されてミルガ・グラジュニーテティーラが受け持った。しかしその時からお産で休むことは分かっていた。最初から演出に関しては評価が高かったが、指揮に関しては決して良くなかった。この指揮者のキャリアの終わりを示したい多様な出来で、到底頂点の劇場では活躍できないのを明らかにした。

それは高度な劇場的な物語を作って、波を起こして吞み込んで仕舞うというような音楽劇場的な実力ではない、それ以前に舞台を盛り上げ、その楽団を乗せる事すら出来ていなかった。それ以前にヤナーチェックの音形も綺麗に出せずに、明らかに二流の指揮だったのだ。

そして今回はプラハのロベルト・ジンドラというあの名門プラハの国民劇場音楽監督になる指揮者が受け持った。これが大成功だった。紹介においても歌手がチェコ語は出来ないながらも苦心してものにしてと、今回は本場の指揮の下で安心だと語っていた。それは逆に、ぎこちないなと思わせるチェコ語が続発しても、それが分かるだけの音楽にしていたという音である。ヤナーチェックを再発見する思いだった。



参照:
立ち眩みでメガネ屋へと 2022-07-17 | 生活
前乗りの費用の値踏み 2022-07-16 | 生活
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立ち眩みでメガネ屋へと

2022-07-17 | 生活
立ち眩みで眩暈がした。眼鏡があっておらず、水分補強が足りていなかったかもしれない。早朝軽く汗を掻いただけだが、コーヒーでは癒せない。意識して摂る必要があった。車検切れの警察ではないが、これで先ずは眼鏡店で測定して見てあまりに酷ければ眼科検査の必要を検討してみる機会になった。年内にとは思っていたが、車の運転も危なくなる。なによりも視覚に自信がなくなると身体の動きも悪くなる。

SNS周辺でもまだまだ高齢でない方が亡くなったりしている。発癌から十何年とかの経過が長いか短いかどうかは分からないが、日常生活に負われていてなかなか健康に留意できなかったりと、中年での疾患は厳しいものがある。自分自身でも帰宅後夜中に食事を夜間レストランでタンマリ摂っていた。あとで気づきがなければ今頃何かを併発していて健康体ではありえなかった。例えば40歳から不健康に過ごしていれば十年後に発病、更に十年で寿命は十分にあり得る。

ザルツブルク音楽祭は日曜日にいつも通り「イェーダーマン」で開催される。来週木曜日にはティテュス・エンゲルも小さな演奏会を振る。個人的にはその次の日曜日の「ジャンヌダルク」であったが、予定が合わなかったものの期待されたイザベル・ユペールは下りていて、全く肩透かしである。そして月末金曜日にはアスミク・グリゴーリアンの登場だ。問題なく練習は進んでいるようで期待が高まる。

前乗り迄してティロルの音楽祭に行くことになって、愈々ブラームスの二つの真ん中の交響曲のお勉強へと向かう。第三番ヘ長調は昔ハイティンク指揮コンセルトヘボー管弦楽団で聴いているのだが、第二番ニ長調の記憶が薄い。そもそも名曲演奏会には行かない。名録音の残っているような名曲演奏を聴いても埒が明かないからだ。

今回は、一昨年ベルリンでキリル・ペトレンコが試みて叶わなかった嘗て指揮者自身が音楽監督をしていたマイニンゲンでの作曲家指導での初演などのシュタインバッハ版の演奏実践を踏襲することにある。立奏で行われるとかの表面的なことよりも指揮者エンゲルの名曲での指揮がどうなるかが期待されるところである。ここで示されるもので、今後のキャリア的な可能性の見通しが効くと思う。勿論ある程度期待しているから前乗りして迄して出かける訳だ。

バイロイトでのコルネリウス・マイスターの成功如何も今後の音楽祭の方向性を左右すると思われる。エンゲル指揮の「ローエングリン」も評判が良かったようなので道筋をつけて貰いたいのである。次の「指輪」は再びペトレンコ指揮になるだろうが、音楽劇場指揮者としてやはりそこでのエンゲルの大活躍を期待するのみである。



参照:
前乗りの費用の値踏み 2022-07-16 | 生活
職業倫理の音楽性 2022-02-12 | マスメディア批評
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