Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2020年3月

2020-03-31 | Weblog-Index


顔にぶら下げる何かよりも 2020-03-31 | 女
コロナ対策違反罰金表 2020-03-30 | 暦
可能性の為の検査機器 2020-03-29 | 雑感
魔法の花園の風景 2020-03-28 | マスメディア批評
賞賛に値する社会的芸術 2020-03-27 | 文化一般
文化的生活への寄付 2020-03-26 | 文化一般
政治的パフォーマンス 2020-03-24 | 歴史・時事
コロナ聖火台を仰ぐ 2020-03-23 | 雑感
公演再開を大胆予想 2020-03-22 | 暦
感染拡大を止める手袋 2020-03-21 | 生活
肺癌のようなコロナ空咳 2020-03-20 | アウトドーア・環境
大戦以来のドイツの危機 2020-03-19 | 歴史・時事
まさにコロナ陽性症状 2020-03-18 | 生活
「連帯への憧憬」 2020-03-17 | 歴史・時事
想像する本物のパトロン 2020-03-16 | 文化一般
日常の生活への架け橋 2020-03-15 | 文化一般
決して一人にはしません! 2020-03-14 | 女
鏡を覗くとそこにゾンビ 2020-03-13 | 生活
出口の見えない洞穴 2020-03-12 | 雑感
胸に痞えが残る日々 2020-03-11 | 歴史・時事
覗き覗かれているのは誰 2020-03-10 | 文化一般
方舟の縁に右手で掴まる 2020-03-09 | 雑感
遂に感染者が出た我が街 2020-03-08 | 歴史・時事
朝起きに抜け殻をみる 2020-03-07 | 文化一般
小作り顔の「苦痛の母」 2020-03-06 | 文化一般
ラストチャンスを活かす 2020-03-05 | 雑感
若い女の園の寝椅子 2020-03-04 | 女
鏡の前に裸で立つ 2020-03-03 | 生活
滑らないことはない話し 2020-03-02 | 雑感
見えてくる対コロナ戦略 2020-03-01 | 歴史・時事
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顔にぶら下げる何かよりも

2020-03-31 | 
オーストリアでは禁止されていたマスクが義務になったという。ドイツではロベルト・コッホ研究所がその効用に関して推奨していなかったが、買い物中の義務付けも議論されるようになった。コロナ感染が拡がって買い物客の一部が感染しているとすれば飛沫予防にそれは有用かもしれない。既に肉屋では漸く着用したと書いたが、スーパーがどうなっているかだ。先ずは売り子と従業員だと思う。それでもマスクに余裕があるならば店頭で配ればよい。

既に手袋に関しては書いてあったが前回は見つからなかった。しかし八百屋では使えた。しかしこれも余分に取れたものを回して使っていたのではあまり衛生的に良くない。つまりその場で新しいものを取らないと駄目だ。マスクも一回のみのものにすればいいのだろう。

聞いた話では女性用の生理用品を縫い付けるとあったが、其の侭口に貼って仕舞えと聞いた。どうも上手くいくようには思えないが、男性であるのでその辺りはどうもよくわからない。飛沫予防だけならば医療関係者にウイルスを避けられるものを回すべきで、素人は使い捨てで充分である。

そもそも肉体的や手からの感染が殆どの感染経路であって、空気感染はそもそも適当なマスクでは防げないとすれば、マスクの為に他の条件を守られない方が感染のリスクが高くなるとするのがコッホ研究所の見解で23日付けのサイトでも繰り返し主張している。

早速ARDは夕刻ベルリンや各州の反応を伝えて、義務化は当分有り得ないとした。理由はベルリン政府も「オーストリアでのそれは医療用でもなんでもなく」、「やっている感だけの誤った過信を警告」して、もし必要なら半分以上が感染した時点だとしている。マース外相は「効果が無かったら何かを顔にぶら下げているだけ」と、またバーデンヴュルテムベルクのクレッツィマン知事は、「数があるならば買い物に使えばよいが、マスクは必要なところに集中するべきで、義務化は考えない」とする。また医療団体は「注意する心理的な効用」もしくは「マスクは近ければ近い程保護する」と他人にはあまり影響しないという専門家的見解を示す一方バイエルン州の知事は出来る事として興味を示す。

月曜日のネットコンサート、違法すれすれのミュンヘンの劇場からのそれだ。スター歌手ヨーナス・カウフマンが出る予定だったがお休みで先の会に出るという事だった。代わりに入ったのがユリア・フィッシャーで、カウフマンよりも大いに期待した。その通りチャイコフスキーとグリークでいい演奏をした。ご本人も好きな会場でそしてこうした機会だからこその集中した演奏をした。初日のゲルハーハーのそれはまだ観ていないが、これだけの演奏をして貰えば無料では済まない。曲の構成とかその主題の作り方など本当に安定していて、同じミュンヘンのリサ・バティアシュヴィリとはまた違うドイツを代表する演奏家には違いない。

日曜日の自宅からのゴルタ・シュルツの感極まってのアカペラの歌声、最後のサムウェアーサムタイムで締めたそれも気持ちのよく伝わる歌声だった。本当に何時かヴァルトビューネで歌って欲しい。ペトレンコ指揮のバーンスタイン、そして彼女が歌うガーシュインなどなかなかどうしてその楽譜に立ち還っての試みは得難いものだ。



参照:
再び求道的な感じ 2019-09-08 | 女
可能性の為の検査機器 2020-03-29 | 雑感
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コロナ対策違反罰金表

2020-03-30 | 
感染病法を根拠として禁止事項が決められた。ラインラントプファルツに比較して違反の多そうなバーデンヴュルテムベルクでは罰金などの一覧表が公表された。

先ず二人以上の屯しているのが見られたなら、一人当たり100から1000ユーロの罰金、床屋やバーなどが未だに開店していたら2500から5000ユーロ、禁止されている老人ホームや病院に出かけたら250から1500ユーロの罰金、もし発病していれば2000ユーロ。繰り返し半には25000ユーロまでの罰金となっている。

自室に五人以上集まれば250ユーロから1000ユーロ、ドライヴ、旅行禁止に違反すれば250から1000ユーロ、通勤許可書不携帯で100から500ユーロ、店内で1.5m原則を守らなかったら250から1000ユーロの罰金。

勿論、他人に故意に伝染させようとすれば五年までの禁固刑である。

地元のプファルツについては知らないが、似たようなものだろう。そして比較的厳守されているというのだが、感染の広がりだけは凄い。

最初のうちは色々と感じたが、スーパー等での店員のマスクを除けばあとはこれ以上はそれほど方法が無いというところまで来ている。

その印象が数字に表れてきているかもしれない。バーデンヴュルテムベルクの各地区が急に人口比で上昇してきた。地元は完全に二十傑から落ちた。バーデンバーデンが並んできた。その変化の差はどこから来ているかというと最初の感染が何時頃始まったかの差異である。我々の所は市民の努力でこれで頭打ちとなるかもしれない。同時に集団抗体が出来上っていることを望みたい。老人ホームなどの危険領域はあるが、上手く行けば我々がバリアになることが出来るかもしれない。

ミュンヘンの放送局が先日の募金集めの為に様々な音楽家をスタジオや家庭などを繋いでチャリティ-コンサートとしている。恐らくスタッフも入れて五人以内は許されているのだろう。募金は金曜日までに六十万ユーロ集まったとしていて、まだ四十万ユーロを集める。一部観ていて面白かったのはミュンヘンの妹とリオンのヴィオッティー家の居間を結んだ家族そろってのアカペラだった。

夜中にボストンからの放送を録音していたので夜中に目が覚めた。一時から三時目での録音だったが、その間に夏時間に変更になって、四時過ぎに録音を終えた。お蔭で二度寝して朝食は正午前になって仕舞った。夏時間早々からの寝坊だった。



参照:
真剣みが加わるお勉強 2019-03-27 | 文化一般
可能性の為の検査機器 2020-03-29 | 雑感
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可能性の為の検査機器

2020-03-29 | 雑感
肉屋に立ち寄った。初めてマスクをしていた。また支払いの時に防御グラスが間に挟まるようになった。余裕が無かったので「マスクで安全になったね」とは呟かなかったが、言いたかったのは「遅い」ということだ。せめて一月お前に始めていたらこんなことにはならなかった。それも地元の市で北イタリアからウイルスを持ち帰り、幼稚園で感染を招き、そして隣の町へと飛び火して、さらに広がって行ったかに見える。そして死者が出た。幼稚園は閉じられたので、最初にお店で抑え込んでいれば家族からの感染以外は喰い止められたはずだ。一人のおばさんは鼻を出していたが、其れでもしないよりは遥かにマシなのだ。

前日比で17%も上昇していて、州全体の12%を遥かに超えている。人口比でトップに出たかと思いきやモーゼルのコッヘム・ツェルが14でトップに出た。ここも天気が良ければ観光客がやって来て飲み食いをするところなので、感染が広がったのだろう。91人程度感染しているので、死者が出るのも時間の問題だろう。

調べていたら地元にも外出禁止の次の公共の場立ち入り禁止が出ていた。当然だと思う。つまり用事が無いところをうろつけない。私の様に走るところが決まっていて、周遊コースが決まっていれば問題が無いのである。外出証明を持ち歩く諸外国とはまだ違うところであるが、一部の跳ね上がり者を除けばそれで何とかなる筈なのだ。あとは従業員などは雇用主からの証明書を用意するとか、例えば医者通いならば予約の紙を持っているとかで事足りる。今後の展開は分からないが、焦点は産業をどこまで止めるかに依るだろう。個人の生活はこれ以上はそれ以上には差はない。

その前に立ち寄ったパン屋は少し早めだったので一人で外で待っただけだった。入って買い物をしていても動きが無かったぐらいで、ある程度時間を選べばよいことになる。森も誰もいなかったが峠から降りてくると爺さんの歩きと三人組陣営の走りとすれ違った。連中も元気一杯で問題の本質がもう一つ分かってい無いような感じだった。

十時半近くになって、ミュンヘンのオパーフェストの残券が売りに出ていることを知った。勿論開催の可能性が薄いのだが、興味本位で入ると百何番かの待ち番号を貰えた。先ずはキューヴィエ劇場のコンサートを見た。適当な席があったので購入しておいた。また「ファルスタッフ」の初日も立見席があったので購入しておいた。これらのティケットが活きるのは、何らかの奇跡でフェストが開催となって、初日が華々しく祝われる時なのだが、オペラ新制作の初日へは少なくとも一月以上前から準備が進められるので、6月初めから制限が解かれるときである。逆算すると5月に訪れる山がまた何らかの奇跡で想定を遥かに下回る重篤者しか出ずに、尚且つ感染の広がりが予想を超えて集団免疫がある水準に達しているという場合だろうか。つまり二次の山も予想範囲に収まるという状況である。

4月からボッシュ社の小さな部門が僅か6週間で開発したコロナ感染テスト機「ヴィヴァリティック」が普及する。その場で2時間半の待ち時間で判断が下される。そして連邦政府は片っ端からテストをして感染を把握する心算らしい。恐らく任意の抜き打ちでのテスト結果を集計すれば4月中旬には感染率が計算されるだろう。最初の山の予想値を正しく算出すると同時にその先若しくはそこへの対応の資料となる筈だ。上手く行けば4月19日頃に一寸した目星がつくかもしれない。多くの事が計算予測可能となる。



参照:
夏時間の終わりの気持ち 2015-10-26 | アウトドーア・環境
文化的な企業家の歴史 2012-01-03 | 文化一般


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魔法の花園の風景

2020-03-28 | マスメディア批評
新聞は一面のトップで今後の展開について敢えて振っている。しかし政治家の姿勢はそれどころではないとなっている。当然だと思う。フランクフルターアルゲマイネ新聞が経済システムの崩壊にも杞憂するのは当然だが、この時点で経済危機で人が死んでしまうというのは全く当たらない。迫る医療危機とは話しが全く異なる。

その経済欄では日本のお花見の様子を伝えている。そこで数人へのインタヴューの内容が名前と共に載っていて直の声が聞ける。代々木公園にはコロナ騒動での自粛が書かれている先にピクニック風景が広がっていて、殆どの人が若いので自らは恐れていないとの声を聞く。ジンの間に消毒液が添えられていると書く。消毒液は確かに日本の大きな特徴でラインラントプファルツ州もBASFに商店用のそれを発注したというが未だにそれを見ない。使い捨て手袋よりもアルコールの方が問題が少ないと思われるがさてどうなるか。

反対に四週間の自粛から急にレストランなどの予約が進み人込みが増えたと報告していて、週末の花見風景へと一気に流れる一方、東京の都市封鎖への示唆でコロナ騒動初の買い漁り騒ぎが起きたとしている。

花見客の中の渋谷の占い師は、日本人の日常の振る舞いから他所の国よりも上手く抜け切れると語るが、その仲間の一人は「政府が殆どテストをしないから数字が全く意味を持たない」と怒りをぶちまけた。

在京ドイツ大使館の一人は、テストにおける高い闇値について、日本は特定のコンタクトのあった明らかな疑いがある重病人しかテストしておらず、これまでに二万五千件しかテストされていないことに触れる。そのことを厚生省の代弁者であるヤスヒキ・サハラは、「手間の掛からない人を皆テストする必要などないのです。」と語り、特に多く肺炎が発生している訳でもなく、死者も届けられていない事を証明とする。

そして過去五日間の三割が外国帰りによってもたらされていて、欧州からの入国を禁じたと報じている。

安倍官邸の指図での坂本フランクフルト総領事による新聞社本社殴り込み事件以降は日本の記事に関してはこの新聞の行間を読み必要がある。この場合は、フクシマ禍の時とは異なって、在京大使館もそれほど情報を持ち得ていないのかもしれない。あの節は後にドイツ全権大使が語ったように合衆国からの情報を取っていたようだった。それと同じような状況は少なくともこの記事から読み取れない。

八百屋に出かけた。一週間前は通常通りだったが、先ず入り口に使い捨て手袋が置いてあった。がっさっと掴んだので戦利品が大分出来た。中の通路は細いので人の入れ違いを避けるようにしなければいけなかった。それほど混んではいなかったがそれでもタイミングを計らなければいけなかった。購入の所には防御グラスが付けられていて、四角い枠が描かれていた。一先ず売り子との直接接触は避けられる。但し売り子が感染していないとは思われないのでそれ程意味はないだろう。但し皆が配慮することで更なる感染は避けられるだろう。

土曜日からペトレンコ指揮「パルジファル」がオンデマンドになる。その前に復活祭でのラトル指揮を経験したのでその音楽的な感興に関しては一長一短があった。それほどラトル指揮のベルリナーフィルハーモニカーはいい音を出していた。しかし、舞台は演出が悪かったとは言ってもとても印象に残っている。クンドリーのシュテムメも良かったが、カウフマンも悪くはなかった。パーペのはまり役でもあり、いいアンサムブルを聴かせた。音楽的に魅力が薄いと感じていて、ペトレンコの指揮もこうした晩年の作品になると物足りなさもあったが、公演自体の印象は矢張り深みがあった。久しぶりにじっくりと観るのがとても楽しみだ。



参照:
感染拡大を止める手袋 2020-03-21 | 生活
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音



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賞賛に値する社会的芸術

2020-03-27 | 文化一般
早速寄付を済ました。少額ながら公演中止で戻ってきた金子もあるので、又先を見込んで手早く送金した。折角こちらが求めていたようにキリル・ペトレンコが顔になって募金活動をしたのだから、直ぐに反応をして上げないといけない。謂わば、真っ先に券を予約するのと同じ心理だ。だからそれと殆ど同じような額で、今回のペトレンコの自腹を切っての募金行動への共感を示すだけである。

つまり音楽会で例えば昨年の第九演奏の後にスタンディングオヴェーションをしたり、またはより近いのは昨年のブレゲンツでの「千人の交響曲」演奏後の喝采だろう。よくやってくれたなという賞賛がそこにある。支持や共感のその先にある賞賛である。

バーデンバーデンの復活祭の中止が決まった時、何らかのメッセージが出るものと予想していた。その時に要職を兼任するペトレンコには救世主的な役割を期待していたが、まさしく今回の行動は文字通りの救世主で、ブレゲンツの「千人の交響曲」演奏会等でも助っ人に入っていたようなフリーランサーにだけでなくて、先行き不安な聴衆にとってもどのような形になろうがその時が来たならば高尚な芸術的な営みがなされるという希望の光にもなっている。

自分自身の寄付金額は、時間を掛けて、戻り券の総額を計算してというのならもっといい数字が出ただろうが、それでも募金予定総額の何パーセントも出せる訳ではない。早く対応するのが何よりもだと考えた。

今回は独管弦楽団協会が受け口となっている。通常の福祉年金などは芸術家基金がその他の年金の様に機能しているが、今回のような欠落を予期しているものではない。今回の募金活動がクリスマスの募金活動などと異なるところはそこにある。善意の基金というようなことではなく、非常の緊急援助となる。今後のコロナ禍の行くへを予想をするのは最初の山場を抜けないことには出来ないのだが、長く影響の出る若しくは大きく変わって行くパラダイムシフトとなることは間違い無い。今回の寄付活動が只のヒューマニズム溢れる支援だけでは無い事が明確というのはそういう意味である。

ニューヨークフィル演奏会のために予約していた良さそうなアパートメントをキャンセルした。とても残念だ。そしてその代わりにワインの試飲会に行くような状況でもなくなった。予約したのは二月の末だったので、こんなことになるとは全く思ってもいなかった。あの時はアジアから来る伝染病を如何に食い止めるかでしかなかったからだ。まさかこれほど早く広がるとは思ってもいなかった。もちろんニューヨークヘもである。

#MusikerNothilfe



参照:
文化的生活への寄付 2020-03-26 | 文化一般
宇宙の力の葛藤 2019-05-20 | 音
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文化的生活への寄付

2020-03-26 | 文化一般
歯医者の帰りにスーパーに立ち寄った。懸案の入り口規制はしていなかったが、店内にも二メートルラインを方々に引いて間隔を空ける目安にしていた。それでも通路が狭かったり買い物車が停まっているとどうしてもすれ違いは起きる。それでも否応無しに気が付くのでやり方は悪くない。レジには四角の箱が先週も描かれてあったが、それに加えて境の防御グラスが設置されていて、手前の並ぶところにも線が引かれて間隔を空ける様になっていた。これでどれほどの感染防止効果があるかは分からないが、間隔を空けることは守られる。

同時に野菜置き場などは使い捨ての手袋をするように奨めている。八百屋がどうするかも興味深い。また魚や肉やチーズのカウンターの手前に箱が並べられていて近づけないようになっている。相変わらずペーパー類は売り切れていた。石鹸は同じ薬用が残っていた。中々いい石鹸である。また米もどんどん出ているようで売り切れが多発している。輸入にたよるキュウリなどは高騰していた。先週買い忘れた缶詰のキドニービーンズは購入しておいた。

その他では価格が高いとヌードルも売れていない。矢張り安いものしか買い漁らないようだ。勿論私も買わなかった。次の安売りを待ちたい。

さて歯医者の方はカウンターの前に椅子をおいて距離を取っていたが、治療は近づくしか方法が無い。以前以上に手袋を取り換えている感じはある。ゴーグルもしたままになっていた。電話で話したように仮のブリッジが良くなくて、歯茎の傷が治っていないので、本ブリッジの装着を待つとというのが伝わっていなかった。だから苦情だけはしておいた。そして本ブリッジを仮につけて二週間待つことにした。悪いアイデアではないだろう。若い女医さんもいい経験ではなかろうか。だからつけているうちに外れる危険性はある。飲み込んでしまわないようにしなければいけない。

しかし何よりも歯茎から痛みが消えることが重要だ。やはり仮のものは歯茎に馴染みが良く無いようで傷か治らないようだ。確かに本ブリッジの収まりは良い。暫くして違和感が無くなればいい調整になるだろう。

歯医者に出かけるアウトバーンはある程度の交通量はあったがとても早く着いた。日曜日の午前中ほどではないがそれに近い感じである。パン屋で外に並んでいるのなどを見ると春で良かったと思う。冬ならば凍えてしまうだろう。木曜日も寒いが晴れそうなので適当にパン屋に寄って走って来れそうだ。

愈々キリル・ペトレンコが間接ながら口を開いた。既に始まっていたドイツ管弦楽協会の寄付活動に文化大臣ギリュッタース女史と名を連ねて顔になった。ベルリナーフィルハーモニカーとして、「我々固定給があって、恵まれて、蓄えもある者は皆、この劇的な状況で生活の基盤が崩れようとしているフリーランサーの人をこのキャムペーンで支援出来る。寄付をしよう、我々の皆が知っているそして愛している文化的な生活を保持する為に呼びかけよう!」と、ツェッチマン支配人、首席指揮者ペトレンコとベルリナーフィルハーモニカー団長バーダーの連名で呼びかけた。

既に16日から寄付活動は始まっていたようで、管弦楽団や放送局などから25日現在420千ユーロが集まっているが、更に百万ユーロ集めたいという。それによって復活祭までに該当する申請者一人当たり最高500ユーロまでの一時金を渡したいとしている。

キリル・ペトレンコは高額の寄付をしたが、その寄付額は口外しないでとの申し出があったとされる。さてどれぐらいの寄付をしたのだろうか?五万ユーロぐらいしたかもしれない、いや二つのポジションからすると十万ユーロか。そのように聞かされると、こちらも知らない顔をしている訳にはいかなくなる。とは言っても期限がある事なので、戻ってくるだろうティケット代でまた寄付などとは関係の無いところからでも少しでも払っておくしかないだろうか。

偶々、ペトレンコがバイエルンの音楽監督という公職とベルリンのフィルハーモニカーのシェフだったということで、当然の事であるかもしれないが、先ずは現時点では最も価値のある仕事だと思う。

本日から始まったドニゼッティのオペラのオンデマンドだが、今まで保持していた録画コピーよりも音質が遥かに良かった。44kHzで128kbs出ているので生程にはよくはないが、明らかに再評価出来るだけの音質だ。既に一回流したが今まで気が付かなかった素晴らしい演奏もなされている。あまり大きな話題にはならない新制作だったが、こうして流してみると全然悪くない。

#MusikerNothilfe

参照:
政治的パフォーマンス 2020-03-24 | 歴史・時事
想像する本物のパトロン 2020-03-16 | 文化一般


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政治的パフォーマンス

2020-03-24 | 歴史・時事
ルツェルン音楽祭のティケットを購入した。残しておいた一枚で、金券を貰っていたので差額残りを10フラン出しただけだ。それでもうら悲しいものがあって、夏の音楽祭の中ではオペラ公演が無いだけで最も中止にならない可能性がある八月中旬に始まる音楽祭だ。但し、観客を入れるにしても間引きをしなければいけないことは確実で、健康状態の悪い危険な観客には遠慮してもらうにしても、客席数を半分には出来ないだろう。観客数千人までの上演となろう。

プラハの春が取り止めになるニュースから、オランダの六月までの集会禁止、つまり五月のアムステルダムでのマーラーフェストの中止の事実上の決定、またニューヨークフィルのシーズン終了宣言で、またメーデーのベルリナーフィルハーモニカーのイスラエル公演の難しさからして一連のマーラー演奏公演全て取り止めとなるだろう。折角とっておきの席を予約したのに残念だ。

また五月の予想される患者数のピーク時に公演再開は有り得ない。またミュンヘンのオパーフェストは練習期間も他の夏の音楽祭同様練習時間が取れないのでこちらもシーズン終了となるだろう。

週明けは冷えた。零下になった。しかし陽射しがあるとショーツが気持ちよい。しかし上着はTシャツだけはまだ駄目だ。森も平常通りで助かる。もしぞろぞろと新顔が現れると道を開けるだけで大変だ。パン屋も時間をずらすと子供が並んでいたりするだけで、又天気がいいと外で待っているのも気持ちが良い。婆さんが出て来たときの出口でのスレ違いが少し気になったが限界もある。それぐらいでは感染しないだろう。

月曜日の夜にミュンヘンの劇場から中継があった。人数は減らしてあるが、それが見出し通り生中継っだったとしたらリハーサル等を含めて違法の集会行為があったことになる。一日二日のタイムラグを突いているのかもしれないが、明らかな政治的なパフォーマンスだった。週末の話し合いの前のバイエルン州の外出禁止は批判もあった。特に知事が嘗てのシュトラウス知事の影を使ったというものだ。恐らくそれに対しての批判的なパフォーマンスだった。ミュンヘン中でのその辺りの按配は他所からは分かり難い。同じことをここでも平時に書いた覚えがあるが、なるほどなと思うところもある。

その趣旨は別にしてラフマニノフのトリオも弾き慣れているようで、又本来ならばベルリンで「フィデリオ」の練習に入っていたアンナミュラーが、又ナジが中々感動的のヴォルフやシュトラウスを歌っていたが、やはり異様な感は免れなかった。

しかし連邦共和国からの視線からすると支配人バッハラーが司会までしてのその主張は理解し難かった。そこのフリーランサーへの寄付まで重ねるとなると、何かチグハグ感が免れない。第一の山を出来る限り少ない死者数で乗り越えた後での議論は沢山ある。しかしここでは寄付を集めるならば、やはり音楽監督の威光を使うべきで、ペトレンコ自身の意志としても過去のアーカイヴを流すなど何らかのアピールが出来ないのだろうか?先ずは水曜日からペトレンコ監督指揮の四つの目のドニゼッティ「ランメルモールのルチア」がオンデマンドで二週間解放される。音質等はオンデマンドなのであまり期待できないが、初めての人もまた今迄はネットには不完全なファイルしかなかったので貴重である。改めて評価してみたい公演だ。



参照:
コロナ聖火台を仰ぐ 2020-03-23 | 雑感
卒業宣言をする価値 2019-09-18 | マスメディア批評

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コロナ聖火台を仰ぐ

2020-03-23 | 雑感
頂上往復コースを走って来た。スピードは確かめるまでもなく遅いが、前回はシカゴ響などを聴いた週だった。つまりコロナに感染する前で、その二週間以内に高熱を出した。パン屋が冬休みだったからだが、今回は土曜日が雨降りで峠攻めを走れなかったからの代わりだった。高度差もあって距離もあるので前夜にはビフテキとジャガイモで準備をしておいた。そこまで準備をすると嫌でも走らなければいけない強迫観念になる。

八時前に谷の駐車場に車が停まっていたが、往復で三件の単独男性とすれ違っただけだ。最初の爺さんはハイキング風、二人目はMBX、三人目の剥げの爺さんは走りだった。急坂なので普段から運動をしている人に違いない。見かけない顔だったので平素はサッカーでもしているような感じだった。

天気は快晴だが、その分山沿いでは雪などと寒の戻りもあってか呑気そうに散歩は下部のワイン山にもいなかった。ローカル局が各々伝えるように土曜日は雨降りで、そして車通りも少ないので、徐々に市民の意思統一が出来てきているようには思える。あとは跳ね上がりものなどに高額な違反金などを科せばなんとかなるようには思われるが、最初が大切だから二週間ぐらい外出禁止にしても良いと思う。兎に角仕事を出来るだけしないことが大切だ。

お向かいの役所は締めてしまった。五千人足らずの市に三人も感染者を出しながら徹底的な対処をしなかったので、もう感染は完全に広がってしまっただろう。だから責任隠しの夜逃げだと思う。因みにこの地区ワイン街道北部は83人の感染に一週間で十倍になっている。当然だろう。もっと早く規律を出しておけばこうはならなかった。

日本の聖火リレーの様子を見ているともう喜劇である。フクシマの放射線がコロナを殺しているならば興味深いが、聖火と共にコロナが東京へと練り歩く。そしてコロナ聖火は一年間半程そこで燃え上がる。ベルリンオリムピックはレリ・リーフェンシュタールの記録映画として歴史的に残されたが、二回目の東京オリムピックはアホの聖火が歴史的に灯され続くのだろう。人類史上またとないような馬鹿の代名詞になるのではなかろうか。

土曜日の晩八時から流された「ばらの騎士」はこの種の中継録画放送として秀逸だった。新聞評などは読んでいたが、実は肝心のメータ指揮への評価は二分していた。理由はテムポの設定とか恐らくその指揮のコントロールにもあったのだろう。しかしこの何日目かの映像と編集してあるだろうそれを観ると、非難の鉾先が間違っていたのではないかと確信した。楽劇「ばらの騎士」は初演当時から大成功した様にシュトラウスの楽劇で最も大衆的な内容の出し物なので、今迄のフォンカラヤンやクライバー指揮の成功に更に何かをすることなどないのである。要するに出し物として芸術的な寿命が切れていてお払い箱となる。

しかしここで演出も中々拘ったものだったが、やはり指揮は秀逸だった。2017年のペトレンコ指揮のシェンク演出もベーム指揮のそれのように苦み溢れていたのだが、メータ指揮の様な全体像は描き切れていなかった。ヴィーナーのレントラーなどの扱いもグスタフ・マーラーの書法を想い来させるような味わい深い響きをベルリンの座付楽団から引き出していた。そしてどこまでも流れて仕舞わないのはロート指揮のシュトラウス管弦楽曲などに通じるもので流石に直系の弟子だと思わせた。

一幕のトリオだとか普段は芝居の中で流れてしまう場面も音楽が雄弁に語るのでその意味がよく通り、三幕へのフィナーレへと運びもあり、これだけ充実した最後のトリオは初めて聴いた。ややもするとレヴューや安物の映画音楽などになって仕舞いがちな楽劇であるが、どうしてその音楽的な表現が高度なものとしていた。歌手陣もベストメムバーと評価されていたが、ニームントの歌もその指揮そのものであり個人的な歌唱よりもとても音楽的になっていた。オクタヴィアンのミッシェル・ロジーアというメゾも声も張りがあって、選んだ仕事しかしていない。ゾフィーのナディン・シエラもプロポーションが良くて、丁度アンサムブル全体としてはミュンヘンとは落ちるのだが、そこの再演よりは流石に熟れている。

しかし何といってもペトレンコ指揮で聴いたギュンター・グロイスベックのオックスはこんなに良かったかと思うほどで、これもメータ指揮とハラーの演出の勝利だったと思う。ペトレンコの指揮ではそこまでよくなかった。流石にこの辺りの曲になるとペトレンコでは描けない世界があり、それは六月に予定されていた「ファルスタッフ」でも先日のメータ指揮と比較して物足りなさがあったかもしれない。あの軽やかなステップ感と同時に渋味など中々ペトレンコ指揮でもない。改めて、メータの巨匠ぶりに驚くと同時にニキシュ指輪を誰に引き渡すのだろうかと気になる位だ。叶わない四月のヴィーナーフィルハーモニカーのツアーの座席からの夢を見そうである。



参照:
肺癌のようなコロナ空咳 2020-03-20 | アウトドーア・環境
公演再開を大胆予想 2020-03-22 | 暦




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公演再開を大胆予想

2020-03-22 | 
朝一番でパン屋に出かけた。降雨で走れなかったが、早めに買い物を済ましておきたった。案の定、木曜日にはなかった店内入場制限がついていた。三人だ。生憎一人遅れて、三人の中で一人軒が無かった。しかし直ぐに入れた。この調子ならば次に来るときも早起きして来たい。

その足で肉屋に寄るとこちらは通常の人は八時過ぎにしか来ないので七時半前には誰もいなかった。すんなりと買い物を済まして完了である。

ニュース映像などを見ていても安売りの大量商品ディスカウントを専門にしているアルディなどのスーパーでは大量買いで物不足が起きている。しかし高級店や価格の高めのものは普段買わない人は矢張り買わない。その点では何一つ平素と変わらない。

今週末日曜日にベルリンに各州の知事が集まる。ベルリンの外出禁止の集会の人数オヴァ―ではないかと思うが、そこで今後の処置の是非が話される。バイエルン州などの出した令やラインラントプファルツの意向を見ても私の生活に関係するものはあまりない。寧ろテレワークとか森の中での走りなどは奨励されているもので、作曲家のグスタフ・マーラーではないが「私の時代が訪れる」となる。これでベーシックインカムが敷かれると今まで以上に創造的な生活が可能となる。

久しぶりの新聞の三面記事を覗くとコロナ対策のグラフが載っていた。所謂一人の感染者が何人にうつすかの数による予測値である。そのもとになっているのが中共の資料ということであまり信用できないようだが、ないよりはましとなっている。そのうつす人数を1.1から3としている。自分自身を考えても私のような社交的でない人間でも2ぐらい簡単に達成できそうだが、実際に感染する時期が限られているので、そのようなものかも知れない。何よりも気を付けている。1.1でも一年ほど患者が増え続ける。因みに患者の入院期間は20日とされている。そうした対応を今の様に1.5mほどの距離を取らして外出禁止にしていくと2から0.9に下げれるようだ。

その目標値が叶うような社会規律が徹底するような法的対応を週明けからやれば患者数は一万人ぐらいで頂点が六週間後ぐらいに表れて、秋には静まっている。感染力はそれぐらいあると予想するが、どちらにしても落ち着くまでには七カ月掛かっている。10月15日である。

テュービンゲンのクレヴァックの予測によると秋にはワクチンを一万程製造して試せるというので、結果が良ければ年内には制圧の目星が付くだろう。

バイロイトの音楽祭は劇場を掃除をしてとかまだ気楽なことを語っていて、もう一つのザルツブルクの音楽祭も一週間の休みの後でとか述べていて中止の意向は示していない。しかし、上の時間軸からすると、5月はまだまだ頂点でそれを乗り切れるかどうかが分からない。医療崩壊無しに乗り切れたとしても、百日で状況が落ち着いているケースはないので、夏のオペラフェスティヴァルの中止は避けようがない。但し150日先の場合は可能性があるので、ルツェルンの演奏会の場合は開催は有り得るが、新シーズンの開催などと同様精々制限付きの演奏会の開催が可能となる。しかしワクチンか有効な治療法が定着しない限り次の山を築くことになるので向こう十カ月ほどは公演等の開催は制限付きでも可成り厳しいだろう。

どちらにしても外出禁止を出すならば5月の山を越えるまでに元に戻すと新たに恐らく更に大きな山を作ることになるのではなかろうか。あと2カ月ほどは世界の状況はこのまま変わらないという事だろう。火星まで飛行することを考えればとても短い時間である。



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感染拡大を止める手袋 2020-03-21 | 生活
出口の見えない洞穴 2020-03-12 | 雑感
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感染拡大を止める手袋

2020-03-21 | 生活
月曜日に買えなかったものを物色。先ず入り口の入場規制は無かった。だから結構人々は近寄る。ざっと見て行った。果物や野菜類の品揃えは変わらずバナナも普段通りだ。その他気が付いたものは無く、スペイン産など全く変わりなく入荷している。価格も通常通り安売りにもなっている。

魚なども入荷状況は悪くなかった。お目当ての安物米は入荷していた。更にレンズ豆も買っておいた。キドニーは忘れたので来週物色しておこう。麺類はもう一つ欲しいものなかった。所謂ハムスターカウフにはなっていない。今回口中の消毒液をもう一瓶購入した。

但し、石鹸は殆ど売り切れていただけだが、トイレットペーパー、キッチンペーパー、鼻噛みの棚は完全に無かった。ビールも購入、レジが空いているのを見て並ぶ。足元には二メートル一メートルほどの黄色い枠が書いてあった。これは中々いい。レジはマスクはしていないが、手袋はしている。見ると前に並んでいるおばさんも同じ手袋をしていた。

手袋で感染の拡大を止めるのは売り子とかそういったことをする時ではないか。マスクに関してはお客さんどころか売り子でも見たことが無い。本当にマスクに感染を抑える効果があるかどうかは日本で感染の拡大状況から証明されることになるだろう。

車中の放送はYouTubeが需要の増大から流すヴィデオの質を落とす予定だとのニュースがあった。ネット放送とかに期待していた向きにはそれも徐々に絞られていくという事である。つまり到底ライヴのそれに代わるようなものには成り得ないという事を示している。

また、フライブルクでは既に公共空間への立ち入りを禁じていて、準外出禁止となっている。土曜日にはメルケル首相が外出禁止のあり方について決定するというが、実際に自粛が守られていないということで仕方がないという見方と同時に、一律の外出禁止などはすべきでないという地方自治団体辺りからの声も強い。そもそも初期において地方自治毎の外出禁止に踏み切っていれば、大事なことにならなかったのではないか。隔離する人数や地域を限定すれば全面的なサポートが可能だが全土になると何もできない。

地元は54人になった。即ち十万人当たりに42.2人の感染率だ。もう少し増えると死者が出るかもしれない。因みに州で二人目が亡くなったところの感染率は49人で迫っている。11人の死者を出しているバーデンヴュルテムベルクでの最高感染率の地域で137人なので可成り悪い。

我が市にも老人ホームがある。我が市も最初の三人が見つかった時にもう一つ強い対処をしておけば広がりを抑えられたのではないか。隣町などは陽性の子供が通っていたバレー学校も其の侭営業されていた。そのような事では伝染病は抑えられないのは当然だ。

2017年産の「ゲリュンペル」を開けた。まさに「ごみ箱」の通りの土壌であるが、まだ二年経っていないので酸も適当に立っていてよかった。マグナム瓶のオファーも受けたが、長く寝かしてという感じでもない。適当な果実風味とのバランスもよい。複雑過ぎない飲み飽きしない酸である。

ルツェルンの音楽祭からの知らせでは、コロナ騒動での万が一の場合の入場券の引き取りに言及してある。こうして先に言及されるとそれはそれでなんとも遣る瀬無いものがある。



参照:
肺癌のようなコロナ空咳 2020-03-20 | アウトドーア・環境
まさにコロナ陽性症状 2020-03-18 | 生活
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肺癌のようなコロナ空咳

2020-03-20 | アウトドーア・環境
閉店処置が出て初めての外出。先ず車の通行が平日としては少なかった。マンハイム方面から入ってくる車も無く、平素はやはり何か営業の車が多いのだと分かる。人通りも少なくてそれは効果が認められた。朝一番で出かけるつもりだったのが遅れて、銀行で現金を下ろして洗濯屋にシャツを引き取り、パン屋に向かうと誰も並んでいなかった。これはとてもいい。そしてそれほど売り切れてもいなかった。森に入ると天気が良いにも拘らず駐車場の車もそれ程多くは無かった。

パンツを脱いで、今年初めてTシャツとショーツだけで走れた。森の中の冷っとした空気がとても気持ち良かった。体調も上向きで呼吸器系が大分良くなってきた。走ってくる人と挨拶しても知らないような顔も見かける。

月曜日と同じく肉屋に立ち寄ると誰も並んでいない。入り口に店内二人規制が書いてある。漸くである。偶々一ペアーしかいなかったので入って行った。これなら売り子が二人でも余裕がある。しかし時すでに遅しで、我々の地域では倍増以上の48人陽性で十万人あたり36人を超えた。

大阪から入ったニュースによると大阪兵庫で3700人の陽性が予想されているのでその半分である。因みにドイツ平均では16人ぐらいだ。つまり平均の二倍がこの辺りで実質な感染率は何パーセントかに至っている印象がある。二桁はまだだとは思うのだが、我が市だけを考えると二割ぐらいは感染しているかもしれない。兎に角外出中の咳を我慢する。この空咳が馴染みが無いのはよく肺癌の咳だとか言われるあれだからだろう。出かけるところに一階に住んでいる乳癌を病んでいた女性がバックを引きづって戻って来た。あまり近づかないようにした。今頃病院か静養所からか知らないがこんな街に戻ってくるのは危ない。

つまり兵庫大阪で予想されているのはその倍の数字で、イタリア化に近づいていることを示している。ついに出て来たかという数で、日本にも非常事態宣言が月末ぐらいに出るのではなかろうか?それでもイタリア化が防げるならばいいのだが、とても心配である。

19時からメータ指揮の「ファルスタッフ」の映像が流れる。ヴィーンの歌劇場で2015年の公演だ。同じ頃ミュンヘンで指揮した「仮面舞踏会」より大分いい。集音状況は変わらないようだが、全く響きが違う。超一流指揮者とその辺りの指揮者との差が歴然だ。ベーム博士からニキシュ指輪を受け取った時はその意味が分からなかった。当時はポストカラヤンの一人であったからで、どうしてと思っていた。しかし今こうしてその指揮振りを見るとベーム博士以後の唯一の巨匠に値する指揮者だと確認できる。本当に素晴らしい指揮である。

券を購入したヴィーナーフィルハーモニカーの演奏会は全く可能性が無い。いつ返金されるかだけだ。奇跡が起こって欲しいと思うが、このままであればメータ氏が復帰する可能性も無くなるかもしれない。だから貴重な映像だろうか。21日にはベルリンでの「ばらの騎士」が同様に無料で観れる。名残惜しくなる映像の数々だ。

車中のニュースではルフトハンザも殆ど飛行機を海外から持ち帰り、先ずは5%のみの運航となるようだ。長引くと国の保護なしには運営できなくなるとコメントが出ている。ドイツでもベーシックインカムの話しが出たようだが、期間などが分からないのでそこまでの構造転換へとはまだ動けないようだ。



参照:
大戦以来のドイツの危機 2020-03-19 | 歴史・時事
巨匠指揮者の動向 2020-02-25 | 文化一般
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大戦以来のドイツの危機

2020-03-19 | 歴史・時事
毎日が酷い状態だ。先ず地元の陽性感染者数を確認する。19から35人に跳ね上がっていた。肌で感じたままだ。偶々ベットで聞いた日本の国会風景でまさしくそれと同じ空咳を大臣がしていた。余程健康状態に自信があるのか、「こんな唾を飛ばすような議会で一人も感染者が居ないなどおかしい」と豪語していた。それで終わる人もいれば亡くなる人もいる。

これ程距離の離れているときに同時にシュトッツガルトの議会でも日本の国会でもそしてここワイン街道でも同じように咳をしている。これは流行り病以外のなにでもない。

ロベルト・コッホ研究所とあまりにも酷いノルトライン・ヴェストファーレンの水曜日の記者会見を聞いた。前者は、今後二週間の社会的な活動の低下を果たせない場合、先二三カ月で一千万人二感染するという厳しい判断を下した。

その場合に治療の必要なつまり人工呼吸器の必要な患者が通常の三番ぐらいの数になるので医療機関は最低二倍の容量を準備することを呼び掛けた。その過程でパーソナルも足りなくなるので引退した人だけでなく新たな要員を養成する必要があるとした。

また同時に待たれるワクチンは来年の春には間に合わない危惧を示して、終結までには二年は掛かるだろうとの見解を示した。

ワクチンに関しては午前中にシュトッツガルトでクレッチマン知事がトラムプが買収したとされたテュービンゲンのクレバック社のハースCOEと会見して「希望の星」と語った。既にEUは百億円相当の開発援助を提供している。

コッホ研究所は、世界情勢としては相変わらず危険地帯として武漢や韓国の一部、カリフォルニア、ワシントンとニューヨークをドイツの小さな町ハインスベルクと同様に挙げた。

その街の感染をどうしようもなかったラインラントヴェストファーレン州は、イタリアの様に人工呼吸器が取り合いになるようなことにしない為と自らの初期活動を棚に上げて協力を呼び掛けた。所謂コロナパーティーなどというラインの河原でのパーティなども駄目だという程度の低い州である。早めに街を閉鎖にすれば少しは違っていただろう。

閉鎖と言えばそれぐらいの生活の支給を出せるベーシックインカム制度ぐらいにしないと今後乗り切れなくなるのではなかろうか。兎に角自宅で外出せずにという生活が大切なのだ。マインツにおいてもお店は閉まったが、開いている昼間からビールを飲みながら病院関係者が「今迄にあらゆる菌と付き合ってきたから全く怖くない」と気炎を上げるのを見るとこれはもう外出禁止しかないと思わせる。誰もそんなおっさんのことなどは考えていないと思って、次の爺さんが「怖くないよ」とか言うのを見ているとこの人達はなにも理解していないと思う反面、その潜在的な恐怖心でいざとなると、つまり病院に運ばれて呼吸器も受け取れないと思うとパニックになる人たちだ。

メルケル首相から国民への呼びかけがあった。ポイントは、コロナ禍を第二次世界大戦以降の一番に深刻で最も手ごわい全市民に突き付けられた課題としたことである。その前に真剣に受け取ってくださいと語り掛けたのだが、さてどれだけの効果があっただろうか。やはり話術としては分かり易く、民主主義から連邦主義を画面を通じての呼びかけとして、そのプロセスつまり戦略の考え方を語ることで示している。しかし、そもそもそれが分からない人が多く、理論的な構築が出来ない市民には高踏的にしか響かないのではなかろうか。やはり彼女の演説は教養のある層や最低高等教育を受けたぐらいの社会のリーダー層でないとその真意が伝わり難いかもしれない。楽劇などの観戦をバイロイトで語るときはその様には思えないのだが、やはり程度が高い反面具体的な面がどれほど印象に残ったかは分からない。精々距離をあけろぐらいだった。また孫と祖父祖母をスカイプで繋いだりということも織り交ぜたのだが、もう一つ具象性が浮かばなかった。上述した様に州によってその首長によって市民の意識は大分異なる。だからこその呼びかけだったのだが、さてドイツ中でどれほど真意が伝わったことだろうか。

中々覗く時間も無いのだが、ヴィーンの国立オペラの「ラインの黄金」を一通り流した。先ず音が悪い。これを有料で出しているのかと思った。更に演奏も加わってバスが潰れるような昔風のジンタのような音を刻んでいる。指揮はバイロイトでもまたマンハイムでも振っていて日本で人気のフィッシャーだが、バイロイトの時には感じさせなかったほどの鈍い指揮をしていた。歌に合わせるのか、練習をしない楽団に合わせるのか知らないが、程度が低い。当然歌もそれ以上のものは聞こえなかった。これならばマンハイムでもヴィーンでも変わらない。民族楽器風のホルンやチャルメロが聞こえるだけが違うだけだ。よくもこんな動画を自慢で出すなと思う。



参照:
「連帯への憧憬」 2020-03-17 | 歴史・時事
決して一人にはしません! 2020-03-14 | 女
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まさにコロナ陽性症状

2020-03-18 | 生活
週明けから体調が良くなった。二か月半ぶりだ。そして気温が上がり街でも空咳が増えた。咳が急に出て開放性になった。これがコロナウイルスならば間違いなく爆発的に感染する。バーデンヴュルテムベルクでも養護ホームで17人の感染。どんどんと問題のあるグループへと感染が広がっている。亡くなる人が増えると思う。

地元でも感染者18人だ。それでも十万人に14.3人ペースなので国内水準の中程度である。我が市に限れば上位になる筈だが。そしてパン屋でも入り口を開けたままメートルほどの距離を取って並ぶようになった。やっと徹底してきたようだが、おかみも空咳をしていた。そして肉屋に寄るとメートルの間隔を空けて入り口から列が食み出していた。並ぶつもりはないので店仕舞い前に立ち寄る。情報番組などで告知が徹底したのだろう。

しかしそういう時は近所ではもう終わったと思う。同じ空咳を皆がし出した。シュトッガルトからの会見生中継でも記者席からもクレッツィマン知事からも同じ咳を聞いた。思いの外早く感染が広がっている。しかし死者数は抑えられている。

車中の放送は、日常生活の制限は正しい方法でここ二週間ほどで成果が出るだろうとしていた。またフランスへと国境を超えることを禁止すべきだと同じ専門家の主張を紹介していた。二週間で成果が出るならば、同じような事をシュトッツガルトでも語っていたので、心配は要らない。コッホ研究所は、ドイツ全土を危険度ハイにして、最高のヴェリーハイのハンスベルクへの手前となっている。つまりこのままならば成果と言ってもコッホ研究所が言うような医療の能力の倍の百万人の患者数を抑えられるという事か?つまり感染上昇率を下げるかどうか?

勿論狭いところでこれだけ同じ空咳をしているのだから流行り病には違いない。そこでSWRのページを見ると症状について詳しく載っていた。

先ず、空咳と熱、前者は十日ほど前から、後者に二月の始め、三つ目にのどの痛み、息苦しさ、頭痛、関節痛、疲労感が並ぶ、最初のは今現在、息苦しさは十日前に二日間、その他はこの二カ月続いていた。間違いなく感染したのだが、場合によっては陽性のまま二月も抗体が出来るのに時間が掛かったのだろうか。そして紛らわしいインフルエンザと風邪の特徴を洟啜りや下痢とクシャミとして峻別している。前者の特徴も後者のそれも全くこの二カ月に無かった。

兎に角今開放性になって気分が良くなった。感染力も強くなっているのだろうか?しかし近所の多くの人がそうだ。外出禁止になれば確かに更なる感染は防げる。そして感染の速度が落ち着いてきたところで今度は危険グループの隔離と保護を最重要点に考えればいいのだろうか?

車中のSWRに今回のコロナ騒動での対応をした二人のインタヴューが流れていた。一人はフライブルクのバロック管弦楽団のマネージャーで、年間売り上げが六億円ほどで、シーズンを終えたが本来ならば稼げた七月までの八千万円ぐらいが消えたとあった。そしてネットでの放送で到底その売り上げが上がる訳ではなく、そもそも場合によっては五十人を超える楽団規模での集会は禁止されているのでネットでの中継は考えないとしていた。当然の判断であろう。

もう一人はバーデンバーデンのスタムパ支配人で、電話でのインタヴューは聞き辛かった。内容は表面的な質問で我々が聞きたいことはついていなかった。よく分かっている人でないとインタヴューも儘ならない。復活祭を順延したらどうかという質問には、日程が詰まっているので出来ないと語っていたが、どの時点でこの真っ暗なトンネルを抜けるかでガラガラポンが出る可能性は有り得る。

その意味からはミュンヘンからの放送は、当初の管弦楽演奏会からリーダーと四重奏曲とピアノソロ、コムボと上手に内容を作っていた。この場と出し物に関してはいつも指揮者のロート氏が語っていることでこの間に何か気の利いたプロジェクトを準備してくれると期待している。



参照:
日常の生活への架け橋 2020-03-15 | 文化一般
胸に痞えが残る日々 2020-03-11 | 歴史・時事
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「連帯への憧憬」

2020-03-17 | 歴史・時事
スーパーに出かけた。学校が閉鎖になって子供が多いかと思ったが、それ程ではなく、居てもティーンエイジャーだった。月曜日に買い物をしておこうと思っていた。そして午前中にバイエルン州は「カタストロフ」宣言を出した。詳しくは会見を見ていないが、非常事態宣言の手前の段階を敢えて出したのだろう。

国境線は全面的に固められたが、バイエルン州はオーストリアとの国境は通行量が多いので、州内の動きを抑えることで丁度非常事態を出しているオーストリア側と調合する形になっている。国境に関して記者から質問があったが、当然のことながら交通量の無いところはそれほど変わらない。重要なのは国境から国境へと渡ってくるルートを閉じる事である。

しかし同じように非常事態になっているフランスとプファルツ、バーデンとの国境に比べれば国境の両側での落差は少ない。自由度の落差がフランスとの間の様に大きいと国境で絞る意味がある。それ以前から30㎞圏内でパトロールしていたのを検問所で直接追い返す意味がある。国境を締める意味はそこにあって、物流とか不可欠な通勤とかは通されている。そのような状況は国境を知らない人には分かり難い。

さて急いで購入したかったのは保存の効く食料である。それもいつもご用達の安物の米を買いたかったが売り切れていた。所謂ハムスター買いがそこでも起こっていた。

当然だと思う。そのスーパーに来るような人から15人も陽性者が出ている。いつ死人が出るかどうかの感染度であろう。咳をしていた者もいたが私はじっと堪えた。咳づいたら自分も倒れてしまうかもしれない不安に襲われた。

売り切れていたのは、次にヌードル。要するにドイツも米が頼りだ、そしてヌードル。しかし高価なものはそれほど売れていない。そこで豆類も売れていた。仕方が無いので紙パックのホールトマトを買っておいた。これで二三日分はヌードルで食せる。皆同じような事を考えるようで非常食用にあまり高価なものは買わない。

その他ではやはりトイレットペーパーが売り切れていた。元々購入の予定はなかったので奥の濡れティッシュを見るとジョンソンジョンソンのは売り切れていた。仕方が無いので安いのを購入しておいた。

そして石鹸を見ると愛用商品が売れ切れて一個だけ残っていた薬用石鹸を購入しておいた。こういう時だからこそ今までとは違ったものを試せる。その他では二週間以内に必要なものは無かった。月曜日であるから品薄であったが、客もそれほどおらず並ばずに済んだ。状況によっては週内にもう一度見に行くかもしれない。出来るだけ人と接触したくはないのだが仕方が無い。

スーパーに行く前に八百屋で野菜を見た。卵も欲しかったのだが、ジャガイモも何もかも十分な品揃いだった。多くは近辺の農家から運ばれるものなので営業が停止されない限り大丈夫だ。場合によっては戸外でもやれるお店だ。それに関しては農林大臣クロックナー女史の言う通り全く心配は要らない。

夕方になってメルケル首相の演説が入った。それによると不要不急の商店の閉鎖、あらゆる教会の閉鎖などを要請するものだ。謂わば私の生活は変わらない。

五月のコンサートのチケットを取った。とてもとても楽しみにしていたコンサートだ。しかし、メーデーからのベルリナーフィルハ-モニカ―やニューヨークフィルのツアーなどはほとんど実現不可能になっている。その一つの山であったアムステルダムのマーラーフェストは幻となりそうである。求めた座席を確保しただけに、余計にとても悲しい。

「連帯への憧憬」とバーデンバーデンの祝祭劇場は来シーズンへのモットーを掲げた。支配人スタムパはそれ以上には語っていない。しかし私はこれを今回の復活祭実施断念に重ねる。同じライヴの時を過ごす。様々な感じ方はあってもその時と空間を共有する、それは手と手を取り合った連帯ではなかろうか?誰も今ほどその機会の貴さを思ったことは無いであろう。



参照:
想像する本物のパトロン 2020-03-16 | 文化一般
日常の生活への架け橋 2020-03-15 | 文化一般
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