「ドイツの恥」と名指しされたAfDへのフランクフルターアルゲマイネ紙の攻撃は激しい。今回も文化欄にカールツルーヘの元憲法裁判所判事の投稿が載っている。どうもAfDがイスラムは連邦共和国基本法に反しているので教義を変えなければ認められないと求めたらしい。それに対しての反論である。法的な議論なので要約は出来ないがその論理に沿って読んでいく。
先ずは、そもそも基本法はイスラム教にそのようなことを求めるようなものではないとして、その反対に宗教の自由とあらゆる信教の自由を保障するものだという。それはなにも各々が一つの宗教への信仰告白を指すだけでなく、その告白の中身、信心との関係を自ら定めることをも指している。
国は、ある宗教を定める権利を有せず、禁止も出来ず、その基本法のもとに信心に応じての宗教的義務に従うことや、またはそれを間違いと見做すことも許されるのである。それどころか、迷信と闘う宗教的義務を守ることも可能とする。
もし、基本法とその宗教的教義の合意が必要となればドイツのキリスト教は大変なことになるという。その真実の唯一神とその教えに従うとすれば、先ずそれ以外の神を認めることが不可能となり、最初の掟に逆らうことになるからだ。カトリックにおいても女人禁制や妻帯の禁止などがあるので、これは民主的な基本法に反する。それぞれの国の憲法に準ずる国際宗教は不可能となる。
国は、信教の自由だけでなくて、それが土着民のものであるか、移民のものであるかに係わりなく保護義務を持っており、それが国の価値観に準ずるか背くものかであるかには係わりない。つまり、信教の自由は、公共の場からの排除しようとする第三者からの保護のみならず、それどころか宗教への世俗的な原理主義を取り除く。国は、真実に関与することなく、そうした分に関与しないために、あらゆる真実への権利を堅持する。
そこで信教によるどんな確信が民主的な国の受け入れられるのか、もしくはなにが禁止されるかの問い掛けがある。信教共同体が自ら定めた信心とは、共同体がそれをなんら限りなく実現化可能にするということではない。掟に従って生きるということは、信教の自由の基本法のもとで権利化されている。その権利は、他の信教やその共同体、また重要な公共財と、一般的法との衝突となり得るのは、信教の中身の自己規定がその制約よりも尊重されるからである。多様な宗教の社会では、信教の自由とは、その真実が一般的な規約とならない限りであるということになる。
宗教共同体の絶対的な権利は、公共に対してではなく、共同体における内部において権利を持つのであって、自由意志のもとでそれに従う限りにおいてである。世俗の国は、その強制力を宗教的な規定の実行に用いてはならなく、自由意思による服従も限界を設定する。つまりその限界は、基本法が譲れない基本規定としてそれによって引かれていて、それは何はともあれ人間としての尊厳ということになる。宗教がこの権利に衝突することを求めることは内的関係において認めることは出来ない。宗教がこの最高規約に背くとき、国は信者を宗教共同体から守る義務が生じる。
それ以外にも、信教の求めることが一般的な法規に抵触するとき、その問題は一方に有利になるように解決されるでもなく、また信教の自由のもと、宗教共同体の有利に解決されてもいけないとなる。信教の自由が基本法の唯一でも最高規範ではないからだ。他の基本権と同様に制限があるからである。信教による一般的法規への抵触があるとき、公共的な利害と信教の自由が秤にかけられることになる。宗教に譲歩することもあるということである。
その基本法は、信教の自由、思想の自由、報道‐、表現の自由との関係において特に微妙なこととなる。それらは信教の自由と同じく、その基本的保護を受けている。宗教への保護は、それに対する批判を免除するということではない。情報化の社会でより重要となる。宗教が公共の秩序に影響を与えようとすればするほどその衝突は増える。それは、それらがその人々の信教によってその人々の尊厳を傷つけられない限りにおいて、風刺などにもあてはまる。つまり信教は基本法と合意する必要などなく、同時に宗教が求める全てが基本法のもとで実現化されることではないとなる。
こうして法学者の見解を読むと、AfDの主張はごく一般人の感覚に近いのであるが、その矛盾を指摘するにはこれだけの見識が無ければいけないことになる。それ故にAfDを支持して支持される政治家の生半可な教育程度では十分に議論が出来ない。ポピュリズムが世界を席巻するのも無理が無いのである。要するに高等教育を受ける大衆が増える中で実際に学術的にものにできる割合は限られていて、修正主義者などに代用される似非エリート層が社会を席巻しているからである。
参照:
Grundgesetzlich irrelevant, Dieter Grimm, FAZ vom 22.4.2016
四月天気に狂わされる 2016-04-23 | アウトドーア・環境
なぜ頭巾先生は駄目? 2008-12-20 | 文学・思想