Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引2024年08月

2024-08-31 | Weblog-Index


睨み合いの国境越え 2024-08-31 | 雑感
美しい響きをお土産に 2024-08-30 | 音
何処に見出すのであろうか 2024-08-29 | 文化一般
明白にされていく動機 2024-08-28 | アウトドーア・環境
一夏の旅行体験へ 2024-08-27 | 雑感
週明けまでの荷造り 2024-08-26 | ワイン
シーズン幕開けのアイデア 2024-08-25 | 文化一般
否応なく使うただ券 2024-08-24 | 暦
独り立ちできない声部 2024-08-23 | 雑感
涼しい森を想う夕刻 2024-08-22 | 生活
シャムプーの効果期待 2024-08-21 | 音
木霊する時の隆盛 2024-08-20 | 歴史・時事
視界を秋へと拓く 2024-08-19 | 暦
シュヴァ―ルテンマーゲンS 2024-08-18 | 料理
穴が開いて大きくなる 2024-08-17 | 生活
贅沢カイザーフライシュ 2024-08-16 | 料理
夕方に雹が降った翌日 2024-08-15 | 生活
今夏一番の暑さに 2024-08-14 | 生活
一晩の一種の夏バテ 2024-08-13 | 暦
刻まれる夏の想い出 2024-08-12 | 暦
覗き込む深い溝 2024-08-11 | 雑感
我が祖国の高み 2024-08-10 | 文化一般
少しづつ見えてきた今日 2024-08-09 | 雑感
三日間の運動日を経て 2024-08-08 | アウトドーア・環境
ユダヤ人は知っている 2024-08-07 | ワイン
プラズマに曝される先端 2024-08-06 | 雑感
節約には整理整頓 2024-08-05 | 生活
反面教師的大名演 2024-08-04 | 音
初のシャムプーかけ 2024-08-03 | 生活
月末の旅行の準備計画 2024-08-02 | 料理
8月終わりへの準備 2024-08-01 | アウトドーア・環境
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睨み合いの国境越え

2024-08-31 | 雑感
14時過ぎに帰宅した。旅行中二回程微妙なところがあった。なんと復路の二回のドイツ入国の時だ。夏休みで国民だけでなく、多くの観光客などが出入りするのでコントロールしているのだろう。混むときにやらないでもと思うが、先方にすれば効率よく人が捕まる。絶対無駄にならない。スイスからは若い一寸賢そうな南方系の黒髪のお兄さんと眼で通じてしまった。それで分かった。あそこで眼をそらしたら停められておいた。今迄はそこ迄やったことがないからだ。それはアルザスからのプファルツ入りでも同じことがあった。こちらも何か黒髪系でくまさんみたいな若い警官だった。国境の警備とはまた違う警官だ。これも当然のことながら睨み合って其の儘通された。停められると色々あってもこちらはそんなことでは負けない。

なによりも往復で途中給油無しに792km走れた。計算からすると800km走れた。今迄の最高記録ではないか。復路は下りなので通常は飛ばすことで燃費は悪くなる。しかし、夏休み帰りの車が多いのかいい加減に交通量が多くてストップアンドゴーはないものの出来るだけ定速で走れた。その代わりブレーキは往復で20回以上は強めに踏んだはずだ。平素は交差点でしかブレーキは掛けない。

数字からすると往路も100キロ7.7リットルだったが復路には一時7.6まで下げたが、最終的には8.0までだった。だから決して760km程度のミュンヘン往復と比較して良くはない。それ何に何故?更に宿泊所から駅前駐車場への30kmの往復二回が含まれている。

技術的に考えられるのはエンジンオイルではないかと思う。最近は減りが少なくなっていて、更に若干多めに注油しておいた。それが効いて滑らかな回転が得られたように思う。路面も乾いていて、減り加減のタイヤとの相性も良かったのではないか。残すは最後の外国旅行で、往復で五回の国境越えだ。今回と同様に往路はフランスに入らない方が躓きがないだろう。

復路のその買い物も無事適った。今晩の夕飯用のキッシュ類である。チーズも一つ買いブルゴーニュだけでなく、グルナッシュのロゼを購入。3ユーロ程度のビオワインだがカンカンに冷やして夏のなごみを惜しみたい。今日は何処も可も30度を超えるようなカンカン照りだった。

宿泊所に庭を掃除している地元のおばさんと挨拶した時に、暑いねと話したら、影ならいいわという。選んで恐らく私の部屋を掃除するのを待っていたのではないか。車が熱くなってというので、地下が一杯だったからねと。小奇麗なおばさんなのだが、言葉から典型的な中央スイスのそれだった。アーヴィダルーガとは言ってたら吃驚したかもしれない。

国境を抜ける時の為にTシャツの上にシャツをしっかり羽織っていいた。それどころかスイスから出る時にはボタンも締めた。そういうのもにらみ合い迄の推測で、ビジネスマンか商用で、それでもマフィアではなくという微妙な印象を車と共に与えたと思う。車の細かなところはじっくりと見ない。印象でしか見ない。新車になっても遊び車や特別ゴージャスでないというのも重要になる。さもなければマネーロンダリングと思われる。それでなければただの遊び人でしかない。



参照:
美しい響きをお土産に 2024-08-30 | 音
何処に見出すのであろうか 2024-08-29 | 文化一般
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美しい響きをお土産に

2024-08-30 | 
久しぶりに美しいベルリナーフィルハーモニカーの響きを聴いた。カラヤン時代以来一番美しかったかもしれない。ラトル時代にも「パルジファル」や「ファウスト刧罰」の響きも美しかったが、「我が祖国」の特に最初の二曲の響きは特筆すべきものだった。見るからに前日のブルックナーとは異なり奏者にとって身になり血となった表現がなされた。あそこまでなると指揮者も余分なことはしないでよくなる。最も満足すべき状況だろう。それもこれもやはり会場の音響が物を言った。欧州でも一二の音響の会場でひらいた。今年になってから定期演奏会そしてプラハで二回演奏しているので、ザルツブルクを含めて七回目だろうか。それに引き換え表プログラムのブルックナー交響曲五番は三回目だった。七回目は米国ツアー前のフランクフルトの壮行演奏会で聴くことになる。その差はとても大きい。(続く

木曜日は8時前にパン屋に出かけて昨年とは異なるものを購入、7km先であるが巧二閉鎖がなかったので街には早く着いたが駅前通りに出るまでに時間がかかった。それでもそれほど時間がかからずパンのスイート類を購入で約25フランケン。ドイツの二倍以上の支払い。

二日目も特設駐車場が空いていた18時過ぎで6台分である。やはり昨年までとは違う。その証拠にやはり観光客も少ないが、招待様も少なかったのだろう。勿論コロナ期間中の人数とは異なりのだが、サイドバルコンがかなり空いていた。支配人が変わることで引き継ぎが敢えてなされないのかもしれない。

買い物も初日に済ましていたので、駐車料金とプログラムとダブルエスプレッソ以外には支出は一切なかった。所持していた20フランケンは温存した。燃料は残りが30リットルを割っていて、通常は帰宅できない。復路で安いところで入れることを考えなければいけない。目がしょぼしょぼしにくいのと、何よりも運転するときに楽である。もう少し試してみたい。

旅行日そして催し物、宿泊所に戻って夕食で、やはり寝不足になった。朝がスッキリ目が覚めない。今回は目薬を持参したので車での運転や日差しを受けての疲れにいくらかは効いたと思う。音楽会でも

因みに宿の部屋は昨年と同じだった、昼になると郵便局がやってきて、部屋の窓の前に車を停めて、配送していく。結構時間をかけている。冷蔵庫は冷凍室もついていて使いいい。小型オーブンも、電子レンジもついている。昨年はその横においてる扇風機を使ったが今年は要らない。昨年と比較して大分鈴うしい夏である。

宿から駅前駐車場までの四回も往復すると流石に走り慣れた。距離は30KMを越えるのだが、自宅からハイデルベルクを比較するとそれほど遠くは感じない。理由はわからないが、渋滞さえなければ通える距離である。

今回始めて旅行でシークレットシューズを使っている。最大で1.5cmしか大きくならないが、それ以上に気持ちが違う。矢張り姿勢が変わるだと思う。女性でハイヒールでないと歩けないというのがあるが、なるほどと思う。



参照:
何処に見出すのであろうか 2024-08-29 | 文化一般
見事な素材とその出し方 2023-09-01 | 雑感
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何処に見出すのであろうか

2024-08-29 | 文化一般
旅先で保険会社からメールが入っていた。スパムかと思ったが気持ち悪いので開けると、1月のベルリンでの事故に関するもので、当方に100%責任があるので支払わなけばいけないというものだ。当方の警察からの文章の受取りも貰っていない。調べたというから知っている筈だが、先ずは帰宅後それをメールでもう一度示して異議としておく。全てを承知ということならばこちらも自動車クラブ経由で弁護士を立てないといけない。その弁護士保険に入っている。先ずはそれからだろうか。

一方、ルツェルン迄の旅行は予定通りに捗った。敷いて言えば腹が減って早くから握り飯を食べていてフランスへの下り口を見逃していた。それでもカールツルーへ経由で燃費を7.7にまで抑えられたので良かった。国境では道路税を未払いの車に人手が必要で、少し手前で購入した我々の列には誰も来なかった。要するにフリーパスであった。その分、通行券を購入したりトイレに行ったりで手前で10分ほど時間を取った。

道中にブルックナーの初日のラディオ録音を通したが、やはりまだ落ち着いていないところが多かった。生で聴いてから語れることがあることは間違いがない。余談ながら、車の調子は良いながら、路面の音やその他で結構邪魔になった。ノイズキャンセルの効き方がおかしかったのか。

その後にdchの我が祖国を流したのだが、こちらの方は全然そうした外の騒音が気にならずダイナミックスレンジゆえの相違ではないかと気がついた。

朝一番で部屋の鍵のコードも部屋番号も知らせてきたので、地下駐車場に外で15分ほど待って、周りの写真を撮ったり、搬入する荷物を整理していたりしたら時間になった。地下駐車場は昨年よりもホテルの領域が狭まって、他のアパートメント用が増えている感じがした。しかし一番に入ったので、一台しか先約の客の車はなかった。

案の定、22時前に戻ってきたらもう場所がなかった。やはりアパートが増えて、ホテル用の場所が減ったようで、外に停める。荷物を下から運ばないでいいので、その点は都合がいい。コープでお土産のワイン二本と冷えたビールにチーズや朝食用のビュンドナーフライシュや果物類を購入したからだ。

一日目の客の入りは今一つだった。ブルックナー交響曲五番ではスポンサーがつかないということで、なんと最近には珍しく18時過ぎでもP2が空いていて、ホールの真下に駐車できた。何年ぶりのことか。なぜならばベルリナーフィルハーモニカー演奏会の晩はスポンサーに抑えられるからだ。そうした客層が少なくて、地元の若しくは質の高い客層が寄っていたことは分かった。それは珍しく、ステーア女史のレクチャーが満員御礼だったことでも分かる。所謂観光客が少なくこの難しい交響曲をを聴いてやろうという人が集った。一昨年のマーラー七番などとは比較にならない関心の高さだった。

これはとてもカルヴァン派の多いそしてオーソドックスユダヤ人コミュニティーの大きいチューリッヒの近郊ということからしても、取り分け興味深い。それはレクチャー骨子が如何に主題的な限定から変容が起きているかなどを認識させるに十分で、カトリック的な視座を客観視するものでもあった。それ故に昨今のブルックナーの解説においては欠かせない神秘主義への言及はなかった。彼女はベルリンのフィルハーモニーでもレクチャーをしているように、南ドイツの人ではない。

やはりそこから導かれるのは、FAZ評の根幹になっていたように、ブルックナーがアカデミックな教育を受けることなく、ヴィーンの大学での教職の座を確保するためにもこの交響曲において如何に持てる技巧を駆使したかとなる。ペダンティックなるがゆえのこの交響曲の難解さであり、生前には二台のピアノでしか演奏されなかった原因でもある。そしてブルックナーの交響曲の事始めはリンツでの「タンホイザー」上演に接してのことであったと話された。(続く



参照:
事件の真相は現場にも無し 2024-02-24 | 雑感
夜の歌のレムブラント 2022-10-22 | 音 

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明白にされていく動機

2024-08-28 | アウトドーア・環境
リッター162,9セント で満タンにした。18時16分の会計だった。当日の近所の最低価格で先ずは良し。宴会入れた価格が高めで167,9だったが、110ユーロ程で750km程走れたらそれは悪くない。宿から駅前駐車場に二往復するので70km程余分に走るためにどこかで少し入れないと帰れない。新しい車なら830kmは越える筈なので、無給油で更に充電満タンでその後急いで給油しないでも困らない筈だ。今年も良ければ来夏も泊まれるアパートメントである。エンジンオイルも前回のヴュルツブルクから帰宅後に多めに補充して今でもオイル棒の半分少しのところにあるので余りエンジンを回さなければ往復は問題がない筈だ。

インスタグラムのことを言及したら練馬区の国道沿いから不正アクセスがあったようだ。そもそも写真もここに出しているようなものが殆どで、電信内容も個人情報は殆どない。先方のサイトにはそこからアクセスできるのだが400人以上のフォロワーがいて商売用の写真は殆ど消去して仕舞っている。昔のお客さんの為に連絡用に置いてあるに過ぎない。個人的な通信内容は読めるが、成り済ましにでもならない限りあまり面白くないだろう。抑々ストーカー防止に殆ど情報は出していない。パスワードがどのようなものであったかは記憶がないのだが、変えろというので変えておいた。

涼しくなってきたのでワインを開けているが、九月の買い付けのための確認のようなものが多く、これ以上寝かす必要のないものを飲み干して、新たに買い付けするという算段である。中途半端に開けて旅行に残りを持って行かないといけないかなど、若干の問題もある。スイスのワインを滞在二夜で開ける迄の余裕はないかもしれない。スイスであまり無駄に金を落とさないように留意しよう。

ルツェルンの音楽祭からのお知らせで、ブルックナーの1880年のスイス旅行に関する記事のリンクがあった。有名なモンブラン見学への旅行記からの引用で、興味深いのはチュリッヒのグロースミュンスターのオルガンを弾いて、そこからヅルヒャー湖のラッパースヴィルから船で対岸に渡ってジュネーヴへ、そして帰りにルツェルンのリギ山のまだ新しいケーブルウェーで上がって、上のホテルで一泊したらしい。そうした情景やらそこへのアマルガウでの17歳の女性とのストーカー文通が「トリスタン」アダージョに、また彼女を見かけた駅での交響曲六番のフィナーレのイタリアン交響曲に続く列車の揺れとなるらしい。

ベルリン初日での五番のFAZの批評を読むと、五番においてはヴィーンの対位法の音楽教授へのキャリアで、あまりにも評価されずにアカデミックな拒絶からの深い後悔の念を以って、それが希望や絶望、歓喜や悪夢としてではなく世界観として音楽にしたのはブルックナー以外にはいなかったとなる。それをして、余りにもペダンディックな対位法的な作品で以って、とことん書き上げたのがこの交響曲であったとなる。それは些か、ペトレンコ指揮では、神は何処にといわれるほどに、あまりにも内面的で且つ感覚的な作曲家の意思が表れているのではと感じさせる点と共通している。そもそも音楽の動機は理念的なものでもあるのだが、そこには列記とした創作の動機が存在するのは当然なのである。まだ合わせて先ず夏に六回演奏されるところで、動機群の整理が為されて、聴衆よりも先に奏者がそれを身に纏うことでより創作意思が明白にされてくるだろう。



参照:
一夏の旅行体験へ 2024-08-27 | 雑感
写真整理で色々と考察する 2013-07-24 | アウトドーア・環境
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一夏の旅行体験へ

2024-08-27 | 雑感
週が明けた。いつものように怠い。然し、旅行迄に片付けることを片付けるしかない。帰ってきたら月末で、何も出来ない。

ジャガイモサラダと豆煮もやらなければいけないが、最も気を遣うのは価格の乱高下が激しい燃料を如何に安く満タンにするかである。底値がはかれないので困っている。原油価格が上がってもドルが弱くなっている。

現在リッター162セント迄落ちているのだが、150セント台にならないかとひそかに期待している。前回入れたのが167であったから、50リットル入れたとして4ユーロ安くなる。一寸した額である。

宿泊の宿から連絡が入っていた。入り口を開ける為のコードはチェックイン時刻に発信するということで、タブレットで受けてやらなければいけない。タブレットには課金しておいたから使える筈だが、いざとなった時に電話番号と予約コードだけは書き留めておかないと時間の無駄になる。

一年前の旅日記を読み返すと、全く同じ感じで出かけて、早めに到着している。感じからするとチェックイン前に既にコード番号は届いていたらしく、宿泊所前で待っていたのを思い出す。掃除の人などがいた。最初は駐車場入れなどが分かり難かったのだが、それは問題がない。玄関脇の前回よりも少しでもいい部屋ならうれしい。

「我が祖国」のベルリンでの演奏はまだ観ていない。金曜日に無料券を溶かしてから48時間以内には時間がなかった。仕方がないので火曜日の夕方に再び無料券を使うと、木曜日の公演前ぐらいまではそれが使えることになる。金曜日のアーカイヴはその時点では間に合わないだろうが、もう一枚を残しておけば一先ず足りる。

会計士のところに書類を送ったのだが、既に着いているだろう。メールで連絡事項もあるのだが、明日にしておいて、昨年の会計処理も段取りをつけておかないといけない。面倒なことはどうしても後回しになるが、残っているとどうしても余分な時間を得られなくなるので早めに処理をしたい。

車輛の税金も200ユーロ程が、6月頃に時期が来ていて、毎年のように遅れるが、今年は8月までで強制徴収で脅かされたので掃っておいた。最後の額になるが、どうしても催促などで4ユーロ多く払ってきた。来年は廃車になるので、来年はまた異なる額になる。基本はハイブリッドで40ユーロへと大幅減額となるのだが、計算して貰わないと端数が分からない。

チャットパートナーに一言書いておいた。ここ暫くなりが潜んでいるが、外国旅行でもしているのではなかろうか。例の学校先生風と一緒に稼いだ金で動いている感じもする。近くまで来ているなら声を掛けてよとも言いたくなるが、一度本格的に外国旅行を体験してしまうと、ああいうタイプの人はなかなかじっとできなくなるだろうなと想像している。



参照:
想定内外の旅絵日記 2023-08-31 | 雑感
週明けまでの荷造り 2024-08-26 | ワイン
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週明けまでの荷造り

2024-08-26 | ワイン
雨が降って一挙に晩夏らしくなった。荷造りの準備である。古い髭剃りの旅行専用としてのデビューで、見ると放電していたので、フル充電する。念のためにケーブルを偲ばせていくかどうか。二泊でミニノートブックを持って行くかどうか?最近使っていないので持って行ってもいいが、でなければタブレット用にキーボードにするか?どちらも最近は使っていないので持って行けるように充電して、荷物の量などに応じて選択すればよい。スイスはEUでないのでYAHOOなどが入るので、そこから日本の放送などを聴いたりするにはPCの方が使いいい。その前に音楽ファイルを整理しておきたい。

夕食、ピクニックの準備も週明けにする。乳酸豆を煮込んでパックして冷蔵庫へ、ジャガイモサラダも作って仕舞って持って行けるように冷やしておく。アイスバインの缶詰は冷やしてある。バターは残り少なくなっているので、それを持って行ってもよい。紅茶はティーバックをハーブティーの詰め合わせと一緒に十分な量を。果物やプチトマト、蕪類も早めに洗って、また茹で卵も三つほど準備。ピクニック用の握り飯は二号の手配を考えておく。

往路は宿まで320kmで3時間20分ほどで着くが、途上スイスの道路税ヴィニェッテを購入して、検問で停められると、4時間以上は見ておかないといけない。渋滞で4時間半として、チェックイン14時なので10時までに出れば、何かあった時も対応可能である。

なかなかそういうことはないのだが、14時にチェックインするとして、そこから駅前駐車場まで35kmを40分の距離なので、17時30分ぐらいに出れば逆向きラッシュ時刻でもなんとかなる。演奏会前にゆっくり出来れば最高だ。往路の車中での試聴で気になったところの楽譜を見ておくとなによりもすっきりする。

昨年の宿の写真を確認する。気になる冷蔵庫の写真などはないのだが、朧気乍ら思い出す。食事は持って行った煮凝りなどを食していた。今年は似てる様で若干違う。一番異なるのはキュウリや蕪以外には新鮮な緑を持って行かない事だろう。

然し初日からチーズを購入してきているので、これも早めに駅で購入しておく方が都合がいいだろう。それ以外にもパイのようなものを購入しているが、豆に合わせたものがあるのかどうか、オードブルのようなものの方が、面白いかもしれない。

持ち込むリースリングは決めたが、出来るだけテッシンのワインを購入して飲めるだけ飲んでおく方が得な気がする。精々持ち帰るのは二本ぐらいだからだ。昨年は一本はアスコーナの2020年物のメルローを購入しているが、それも美味かった。今年は予定通りならば、10月には現地に向かうので、それ迄のお勉強にも購入する。然し調べてみると宿泊予定のコモの国境沿いよりも遥かに手前のルガーノと峠との間のベリンゾーナにワイン産地があるので直接の買い付けは難しいかもしれない。なるほどあの辺かというチェネリ山地の谷間である。アウトバーンからも見える登ったアルプスの谷最長の32ピッチルートがある所の手前か。



参照:
シーズン幕開けのアイデア 2024-08-25 | 文化一般
旅絵日記一時帰宅編 2023-09-02 | 雑感
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シーズン幕開けのアイデア

2024-08-25 | 文化一般
ベルリンの新シーズンが始まった。中継を食事の傍ら流していた。ラディオでは指揮者ペトレンコが短く楽曲を語っていた。放送で注目された最後のコーダーでのフルートを浮かび上がらせるところは、まさしくその話しのフーガを経て最終的な浄化である。それを長い一晩の舞台神聖劇にしたのがヴァ―クナーであった。まさしくフルートの木管群。

ヴァ―クナーにおいては、ブルックナーから直接総譜を献呈されていたりして「あのトラムペット」と呼んでいたようだ。この五番とその交響曲三番とは校訂時期も重なり繋がり深い。それ以前に最終フィナーレで最初からの動機が回帰してくる方法など、既に「ラインの黄金」で試みていることから、時代の趨勢としての偶然ばかりとは言い切れないブルックナーのアイデアとの共通性もある。

楽器配置は予想通り独伝統的な配置で左右にヴァイオリンが別れて、左奥にバスが入る。この形でしかこの交響曲を鳴らす方法はないと思うが、コンセルトヘボ楽団のみならずチェリビダッケのミュンヒナー、ヴァントの放送交響楽団などもアメリカン配置を取っていていかにも鳴らす為のアンサムブルが厄介だということらしい。

確かに支配人が当日ラディオの前宣で語っていたが、ベルリナーフィルハーモニカーの指揮者ビュローが「ブルックナーは半分天才で半分阿保」揶揄した様に演奏のことなどよりも理念で筆を進めて仕舞って、結局修正に奔らなければいけなかった。

初日の放送でいつものように緊張でとちったりする奏者もいて、尚且つ最初から最後まで通して管楽器陣が特にソリスティックに音楽を為していくことも困難で、ある程度ルーティンにならなければペトレンコ指揮の細部に拘る音化は叶わない。そういうとても密な楽譜となっている。

一寸見た目にはロゴの様に組み合わせて行けば済むようにも思うのだが、それではそこにはやはり音楽はない。フィルハーモニカーが語るように身体全体で感じてとそのシステムの意味が感覚的に会得できれば正しいバランスで正しいアンサムブルが可能になるに違いない。彼のチェリビダッケが極度の緊張を奏者に強いて初めてそこから出てくる音楽をというのとは異なるものも、如何にも自主的に音楽することでの演奏実践という意味では似ている。

然し、ベルリンの新フィルハーモニーでは音は聴けてもその交わりのアンサムブルは壁がない為に発散されて音楽とはならない。特に低音が下支えしないので同じ対位法的な書法でも本来の響きとはならない。毎夏の演奏旅行ではシューボックス型のルツェルンでしかこうした伝統的な配置での正しいバランスが得られないのである。初日の中継での最も欠けた点はまさにそこであり、そしてそこに作曲家が描いた響きがある。

観客にはメルケル夫妻以外にもノーベル文学賞のヘルタ・ミュラーやブラント元首相の末っ子の俳優マティアス・ブラント、バレンボイムなどがいて、ペトレンコを囲んでの会食が目撃されている。



参照:
否応なく使うただ券 2024-08-24 | 暦
独り立ちできない声部 2024-08-23 | 雑感
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否応なく使うただ券

2024-08-24 | 
シーズン初日である。19時前から中継が始まるので、それまでに用事を終えておかないといけない。今回はやはりDCHの中継もオンタイムで観たい。とても細かな仕事が要求されると同時に大きなアーチで圧倒的なフィナーレを迎えるかどうかは必ずしも成功は約束されていないからだ。どの程度の成果が初日からなされるか。

当地の一時間遅れで実況中継するラディオ局では公演を前に支配人のインタヴューが朝から流れたいたが、どうももう一度通し演奏があるらしかった。ブルックナー交響曲五番は年内に何度も演奏する為にペトレンコのやることははっきりと分かっていると練習風景を観ての話しだった。

本日、日曜日のザルツブルク、そして水曜日のルツェルン、土曜日のロンドンと同じプうログラムが演奏されて、9月13日、14日にとベルリンでもう一度演奏される。漸く五年目にしてベルリンでペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの本領が発揮されることとなるだろう。

さて、否応なくただ券を使うことになる。9月15日までに溶かさなければいけない三日分があるので、先ずは48時間分を使い、同時にもう一つのプログラムである「我が祖国」のアーカイヴを観る。お勉強期間は土曜日、日曜日、月曜日、火曜日の四日間なので、週末にこの二曲の演奏をざっと吟味して、残り二日で重点的にとなるだろうか。

その次はアーカイヴ化されるのを待つ。来週水曜日頃にアーカイヴ化されれば、二枚目のただ券をとかして、往路でそれを流しながら車を走らせられる。勿論「我が祖国」も旅行中に流せる。水曜日に間に合なかったら、使わないで9月に集中して使える。

幸いなことにここ暫くの燃料の料金は10セントほど落ちていて、70リットル入れると7ユーロ違う。会場でのプログラムとコーヒーぐらいは出る。来週明けに満タンにするように廉い時に入れたい。

その他では月曜に走りに出かける以外は余り車を動かさないで済むのかどうか。6月のヴュルツブルク以来の遠乗りとなるので、少し緊張する。

気温が再び上がって摂氏30度を越えようとしているのだが、時間が許せば中継前に走って来て、涼めるか。すると土曜日の朝はゆっくり出来るので、ブルックナーの五番のお勉強に間違いなく時間を費やせる。

旅行準備も兼ねて洗濯機を回せば僅かばかりの荷造りも叶おう。当日にゆっくりと早めに出ようとすれば、週明けに仕事を片付けられる。幸い月内は天候が安定しているようで、ルツェルンも週末明けまで降るようだが、その後は心配が要らない晴天となる。薄い軽快な服装で出かけられる方がやはり楽である。



参照:
独り立ちできない声部 2024-08-23 | 雑感
涼しい森を想う夕刻 2024-08-22 | 生活
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独り立ちできない声部

2024-08-23 | 雑感
運動したので眠くなった。早めの夕食で横になって一眠りした。ヴァイツェンビーア一杯でも効いた。眠たくなる天候でもあった。21時ごろに起き出して、若干片付けるものを片付けた。それでもお茶も飲むことなく、いつもの時刻にはまた眠くなった。夜中にトイレに立ったが、可也よく眠れた。

よく不眠などのことを聞くが、確かに自分自身も早朝に目が覚めた夏や窓を開けての頻尿の時期もあったのだが、基本運動することで不眠はありえない。就寝時刻と朝起きの問題とはまた別である。身体にある程度の負荷を掛けても眠くならない人がいたらなりたい。脳に負荷を掛けても同じ結果にはなるのだが、やはり緊張が勝って緩和するのが難しくなるのが身体への負荷とは異なる所である。そこからどうしても眼精疲労の問題を考えてしまう。

承前)ギュンター・ヴァント指揮NDR交響楽団演奏のブルックナー交響曲五番の後半を流した。前半同様に良かったが、三楽章になると対位法的な扱いが指揮も追いつかず楽団も限界に突入するようになる。それはヴィオラの対旋律を強調して振ったりするので余計にその限界が明らかとなる。本当はもっと上手にバランスもとりたいのだろうが、どうしてもそのようになってしまうのだ。これは逆に明日期待されるものがはっきりしてくる。いつものように一楽章から上手に進めるだろうが、二楽章が先ずは完成しているだろう。勿論三楽章もフィナーレも成功する筈だが、重ねるごとにアメリカツアーへと進化してくるに違いない。

それにしてもこのヴァント指揮のフィナーレへのテムピの繋ぎ具合は見事で、その基本となるアゴーギクを規則的に処理しているからだろう。その反面、和声的には上手くいかないの技術だけではなく、読み込みに限界があるとはならないか。なによりも楽団が最早fffの音を出せなくなっているのにもその読みの欠如が察せられる。分からないことは出来ない、それは仕方がない。しかしこれをペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーが上手に処理すれば、空前絶後の成功となって、その五番によって新たなブルックナールネッサンスが訪れるのではないかと思う。今から来週水曜日が待ち切れなくなって来ている。

その前にカラヤン指揮の録音を流した。一楽章で明らかで、八番の演奏よりも明白にその演奏ではこの曲の本質が分からない。対位法的な面白さも楽器間の受け渡しにもあるので、ただ単に和声的に繋げるだけでは意味がなく、そこに置いてあるアクセントをも無視していては作曲家の相違すらつかめない。その意思は八番のハース版の様に容易に誤魔化せない。カラヤンはザルツブルクというリンツにも遠くない街の出身であるが、それどころかカトリックである筈なのだが、ブルックナーの想いはこれでは全く無視されていることになる。ペトレンコは、恐らく独伝統的配置で左右にヴァイオリンを別けて、真ん中に低音と中音を響かせるのではないか。それでこそ対位法的な受け渡しが為される筈だ。

旅行に出かける前の最後のケーキをパン屋で購入した。ベリーとチェリーの二種類であるが、後者は独り立ちが難しい。ドイツのケーキとしてフォークが差し込んであるのが話題になるが、独り立ちできないものは最初から倒してしまうかフォークで支えるしかないのである。



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涼しい森を想う夕刻 2024-08-22 | 生活
木霊する時の隆盛 2024-08-20 | 歴史・時事
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涼しい森を想う夕刻

2024-08-22 | 生活
森の中は涼しかった。敢えて陽射しの当たる場所に出かけたのだが、座って冷たいものを飲んでも風が吹くと涼しい正午過ぎだった。峠族めいた自転車を含めた通りも少なかった。やはり暑い時の方が動きが活発になるようだ。摂氏20度にまで上がっていなかった。

週末にかけて再び気温が上がり、来週も晴れ間が続きそうだが、同じように出かける時間がない。そして8月も終わりである。妙に喪失感があった。夜中にぱらついたようだが、乾燥して、夕方には夕焼け小焼けである。

例年ならば夏の疲れのようなものがあって胃腸の調子を壊しているのだが、今夏は夏太りすることもなく、身体的には悪くない。なので余計に秋を感じるのかもしれない。

来週の宿泊に備えて小別けのバターなどを見たが価格も高く更に賞味期限が短かったので購入の価値はなかった。必要ならば切って二日分だけを持ち運べばよい。

夕食用のエンドウ豆の乳酸漬だけは購入しておいた。ジャガイモも購入したのでこれで二日分の夕食の材料は抜かりない。

宿の引き落としは週末になると思う — 22日になった。一泊120ユーロなのでもう少し安いところがないか探したが、真面なところはなかった。やはり夏のスイスは高価である。

峠への坂も車の走りがいいように感じた。シャムプーしたぐらいで何も変わらない筈なのだが、実際に静かだ。エンジンの開発の人達から学んだのはメカニックが壊れる前の異音などへの注意であるが — これは家庭電化やオーディオでも同じ —、それからすると今何か悪い兆候は皆無で、気温ゆえにクーラーが弱くしか動く必要がないからかもしれないが、外気温が落ちているだけでも水冷も容易で静かになっているのかもしれない。

PCもより静かになり夜分も窓を閉め切るようになって、とても落ち着くようになった。どうしても一年前を思い出し比較したくなる。可也記憶が薄くなったが、そのプログラムを確かめると、とても細かな音楽的な感興が次から次へと浮かんでくる。

昨年は初日の「英雄の生涯」を復活祭で聴いていたというのもあって、余計にレーガーに関心が移るとともにもう一つのプログラムへのお勉強も進んでいた。今年は僅か二曲しかないのだが、より深く入る方へと興味が移っている。

ルツェルンだけでなく引き続いてルクセムブルク迄旅行した為に、そしてベルリンからミュンヘンへと走った為にとても動き回った8月と9月であった。それだけでなく8月はとてもその為の準備をしていたようだ。しかし今年は違う。今年は生活態度も気持ちも全然違う。

ボルダーで簡単な隣の試していない所も足場がよくなっていたので挑戦した。何とかなりそうである。もう一つの苦手な場所も身体の動きは分かって来た。解決に迄至らなかったが、其の儘引き続き森を走って来て身体が解せた。午後でも涼しいところだから走る意欲が湧いた。これで金曜日のベルリンでの初日までに丸々お休みで木曜日をお勉強に費やせるか。



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初日へと期待が膨らむ 2023-08-26 | 女
聖アントンのコラール 2023-08-28 | 生活
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シャムプーの効果期待

2024-08-21 | 
走り下りて来てシャムプーをした。車のシャムプーの続きで、ボンネットとAピラー、既に行ったライト以外のグリル横、ルーフの前面、そしてトランクの蓋と番号札回りの背後。15分も掛からなかったと思う。錆で酷いところの近くは出来るだけ触らない様に、まだ目立つ様にならない様にで、側面は殆ど無視。

ボンネットも数カ所の飛び石傷以外は綺麗で、乗用車で錆びるところと汚れるところが十分に把握できた。ルーフも雨中走らせると汚れは取れる。まだ終えていないガラスの部分は涼しくなったら別のクリーナーで磨きたいからだ。新車になるとガラスの面積が増えるのでそのことも考える。

水洗いしていないのでまだ輝いていないが、一度洗車出来ると綺麗になるだろうか。これで国境などで怪しいとは思われないだろう。綺麗なところが目に入ると、傷んでいるところはあまり目につかないと思う。新車では使えない柔らかいたわし面がついているからか指先程度の家事用の使いさしスポンジでこんなに早く拭けるとは思ってもみなかった。濯がないのも楽だ。

ギュンター・ヴァント指揮のブルックナー五番を試してみた。キリル・ペトレンコが「抹香臭くないブルックナー」と言及しているのだが、想定以上によさそうである。ハムブルクの放送交響楽団を振った1986年の中継録画である。これを選んだのは、指揮者がまだ若いのとケルンの放送局での録音や晩年のベルリンなどでのそれが一般的によくないことを知っていたからだ。まず最初の半分を聴いてみて、指揮も演奏もそれらよりも遥かに良い。そして放送中継録画を其処まで導いたディレクターの腕の良さも際立つ。

総譜のシステム間のバランスも絶妙に収録されているだけでなく、とても上手に熟している。この指揮者が駆け出し頃にケルンの音楽監督としてアロイスツィムマーマン「ディゾルダーテン」上演拒否など悪名が轟いていたのだが、この恐らく絶好調時期の指揮は自らが分からないことは指揮出来ないような拘りの準備が整っていたようだ。

それらによって得られるのは、先ずは動機の律動処理へのブルックナーの拘り、それが対位法的に組み合わされた時の扱い、つまり明晰なアーティキュレーションと相まって動機の意味とその目的が明確にされることである。楽曲の構造とは創作者がどのように筆を運んでいるかに全てがあるので、即ち何を創作のまさしく精神的動機にしているかということでしかない。それは細かな総譜上にある指示であり、テムポ運びがそこから自ずから定まってくる。

なるほど、創作の意思をどのように読み取るかは最終的にはそうした一つ一つの積み合わせて行かれた合理性から理解されるもので、決して上からのイデオロギーではない。ペトレンコが評した言葉もここでは取り払われて、その演奏実践に全てが語られる。

金曜日に初日を迎えそこから生中継される演奏に注目したいが、こうした参考音源には理解を深めるお勉強になるものもある。その違いは何かというと、総譜に書かれていることが音として表現されているかどうかである。さて後半でそしてフィナーレでその意味合いをしっかり明かしてくれるか。(続く)
Bruckner: Sinfonie Nr. 5 mit Günter Wand (1986) | NDR Elbphilharmonie Orchester




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リツイートされた影響 2018-05-14 | SNS・BLOG研究
刻まれる夏の想い出 2024-08-12 | 暦
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木霊する時の隆盛

2024-08-20 | 歴史・時事
今週末ベルリンの新シーズンが始まる。ブルックナー交響曲五番が演奏される。それまでにお勉強しておかなければいけない。今更フルトヴェングラーの録音を聴こうとは思わないのだが、やはりカラヤンの録音をどうしようかとも考える。もう一つは嘗てペトレンコ自身がインタヴューで「抹香臭さを徹底排したギュンターヴァント指揮」と言及したそれをどうしようかとも考える。それ以前にまだ交響曲の構成が呑み込めていない部分もある。涼しくなって意欲が出てくるか。

カラヤン云々は、独墺系レパートリーの演奏実践とすればどうしても比較対象にならざるを得ないから、その時代性の認識となる。本人のキャラクターもあってその芸術的な本質が中々誤解されて、ブルックナーなどでその時代の鏡となっていることが理解されにくい。

そのブルックナーの演奏実践に関しても取り分け正統的なものとはされないのだが、それでも戦後の録音だけを鑑みてもとても時代を反映している。1957年の教会でのEMIの録音のフルトヴェングラー時代の響きを思わせる録音と1976年のペンダゴンマークの付いた新フィルハーモニーの響きを意識させるそれとの相違は第八交響曲で明らかだ。

今回車輛の発注に際して、その歴史の具体的な変遷をトータルコンセプトや技術やデザインなどから垣間見ると、まさしく戦後のカラヤン指揮ベルリナーフィルハーモニカーの変遷も良く見えて来た。1944年9月に廃墟化していく首都ベルリンでシュターツカペレを放送のために振った録音というのもあって、今回改めて聴き返して比較する時間はないのだが、この指揮者がブルックナーで示したことはやはり興味深い。

各々の時代の高級乗用車を見ると、そうした音の印象と何ら変わらない。例えば戦争末期にはまだあのナチの高級将校たちが乗っていた明らかに回顧的な幌付きの大きなクラシックカーのような車はまさしく軍事的利用だけでなくナチのイデオロギーをも反映していた。5トンもあるような8気筒のエンジンで230馬力あったようだが、タイヤのゴムの耐久性から最高速は時速170kmから80kmに落とされていたようだ。

実際に上の1944年の録音を聴けば楽器の具合も悪いようで流石の名門楽団も本来の音を出していない。然し、次の1957年の録音は見事で、なるほど現在からすると技術的には問題もあるのだが、ブルックナーの響きとして違和感はあまりない。北独逸の楽団の響きとしてはそれ以上のものは求めることが出来ないであろう。

既に経済は戦後の復帰から経済成長へと進んでいた時期で、1955年頃からデザイン的にも遅れていた車輛が現代化すると同時に量販車も6気筒まで使われたシリンダー当たりの圧縮比も上がり120馬力を目指していた。ラジエターの水冷やブレーキの空冷の強化などが為されて、それなりの世界競争力となっていたのは、例えば昭和30年代には戦後の米国車モデルから変わってそのドイツ車が街角出も見かけるようになって来ていたのにも伺われる。そのデザインによって記憶に残っている人も少なくない筈だ。

その後1960年代は米国で流行った後部の尾が伸びるスタイルのアメリカの影響が世界を席巻して、1970年代へと流れ込むとなるのだろうか。(続く)
Symphony No. 8 in C Minor: IV. Finale. Feierlich, nicht schnell 1957年録音

Bruckner: Symphony No. 8 - Finale - Preußische Staatskapelle/Karajan (1944 STEREO) 1944年録音




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視界を秋へと拓く 2024-08-19 | 暦
刻まれる夏の想い出 2024-08-12 | 暦
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視界を秋へと拓く

2024-08-19 | 
冷えて来た。朝夕は摂氏15度を切るようになり、一桁に近づいて来る。そうなると半袖では寒くなる。夏のパジャマの買い時でもある。旅行には何を持って行けばよいか分かった。毎年あまり変わらないがすっかり忘れている。部屋着も膝までがいる。靴下も欲しくなる。天気が回復すればまた摂氏30度に近づくが、それはもう超えない。白衣を洗濯したのはベストの機会だった。

窓を一切締めて、一度折りたたんで片付ける心算でいた白衣を羽織らないといけなくなった。雨は火曜日のみで、その後は晴れて朝晩の温度差が大きくなる。木曜日頃を目途に乾いた岩肌を目指す。

するとルツェルンでの衣装もイメージし易くなってくる。それほど暑くはないが、大した席でもないので簡単に済ましておくのも一つだ。すると靴をどのように合わせるかも考える。今回は両日とも休憩がないのも特徴で、前プログラムぐらいである。すると二日目は早く宿に戻れるので、買い物も初日に済ましておいた方がおいいかもしれない。翌朝のパン屋の朝食の為の買い物とワインとなる。

「我が祖国」のお国ものの演奏を観聴きした。N饗でもいお馴染みのヴァツラフ・ノイマンとその前のチェコフィルの指揮者カレル・アンチェルル指揮の演奏でである。特に興味深かったのはノイマンの練習風景と本番の映像で、チェコ語は分からないが、結構重要な話をしている。特に耳についたのが、本来は祝祭的なポルカの扱いである。そのボヘミアの森と平野の中で描かれるのだが、ポルカの根源は圧政に苦しむポーランドを思ってのボヘミアの舞曲ともあるが、スラヴのそれへの連帯は間違いがない。それが示されるとなる。

ノイマン指揮はその話にもあるように素晴らしいと思うのだが、後年にデジタル録音されたライヴなどは聴くに堪えない演奏で、今でもチェコフィルの悪い印象は当時の壊れた様な楽器のその音と技量に源があるのだろう。ドイツでもゲヴァントハウス管弦楽団などをトレーニングしていた指揮者である。それに比較してその前任者の指揮はとても興味深い。とても上手に管弦楽団に演奏させていて、明らかに成功している。

ブルックナーのF-Dur, スメタナのg‐Mollなど調べることが沢山ある。ブルックナ―の方の参考録音はこれといったものはあまり見当たらないが、スメタナの方はDCHのアーカイヴにあるものを観ていないので出かける前に聴くのと、また土曜日に中継されるものが旅行中に観れるかどうかなど考えなければいけない。

先日片付けた筈の昨シーズンのプログラム類が寝室の机を占領して仕舞ていて、最終的整頓がされていない。新シーズンまでに収まる所に収まるか。その後の窓掃除や秋以降の生活を考えると、覚束ない。税務書類整理など会計関係も整えておかないと先に進みにく。整理整頓はそれだけでしかないのだが、やはり大きくは日常生活を越えて人生に関わっているとしか思われない。PC自体がまだ片付いていない。



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シュヴァ―ルテンマーゲンS 2024-08-18 | 料理
夕方に雹が降った翌日 2024-08-15 | 生活 
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シュヴァ―ルテンマーゲンS 

2024-08-18 | 料理
お奨めでヴィデオが流れて来た。日本での試乗ものだが、日本でも四輪駆動の車が発売されていた。興味深いことにステーションワゴンタイプのセミオフロード仕様である。全く調べていなかったので本国でのコンフィギュレーションを試してみると、四輪駆動で且つプラグインハイブリッドは最高級の仕様でしかなかった。

その番組で問題になっているのが後部の添うような動きで、後輪操舵の可能性だったが、実際には最高級の仕様でしか存在しなかった。恐らく日本では1500万円程でなければ売れないのだろう。

そもそもワゴンタイプの車の購入を考えてみたことがないのは今迄運転してみて、後部の引き摺り感を感じない車がなかったからで、真っ直ぐ走ることでしか取柄はないと思っているからだ。すると技術的に如何に後部の振られ方を抑えるかとなるのだろう。それに似たシューティングブレークとかシュトッツガルトで製造していたならば興味があったのだが、結局は関係なしで来た。

試乗で使える車輛が特にその新リリース時期には可也上の仕様のものしかないなど、一体下の仕様ではどのように変わるなどなど想像するしかなかったからであり、どうしても迷った点であった。

総じて市場に合わせてどのような需要に合わせて、どのように製造コストを抑えて競争力を失わない価格でターゲットに示すかが営業上の関心事なのであろう。そしてその大本には全面電化・全自動化への流れにあって、空力特性0,23などの数字が重要になる背景がある。

陽射しがないところで思い切って白衣の熱湯洗濯をした。思い切れたのはその前に黴取りでシャワーカーテンを洗濯して、匂いと共に塩素がゴムなどに残るのが嫌だったからだ。酸性漂白剤ばかりを使っていたがやはり塩素系も上手に使わないと駄目だと思う。これで秋から厨房用も仕事用にも寒い時にも羽織れるものを準備しておける。旅行から返ってきたら秋支度である。

そういえば朝走って下りてきたら、駐車場でおばさんがFKK紛いをしていた。9時を過ぎているのでけっこう人は来ると思うのだが大胆である。最初から女二人でバンに乗ってキャムピングに近いことをしていた感じなのでおかしいと思っていたら、案の定である。こちらは見たくないので隠れて貰った。

少し涼しくなったので本格的にこってりしたものが食せるのが嬉しい。サラダ類は美味くても、やはり冷たいものはあまり良くない。肉気となるとどうしても煮凝りものが増える。シュヴァ―ルテンマーゲンサラタなので通常のヴルストサラタよりは上等の食事である。リースリングよりもヴァイツェンビールで流し込んだ。冬もそれが美味いことも少なくないが、やはり夏の食事であろう。



参照:
氷点下で陽射しが温かい 2019-12-29 | 生活
贅沢カイザーフライシュ 2024-08-16 | 料理
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