Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2008年11月

2008-11-30 | Weblog-Index



パリへと航空郵便を発送 [ 雑感 ] / 2008-11-30 TB0,COM0
ろくなことはない万引き [ 生活 ] / 2008-11-29 TB0,COM2
とても そこが離れ難い [ 音 ] / 2008-11-28 TB1,COM2
石きり場、転落注意 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-11-27 TB0,COM0
フランス風名産品の味 [ 料理 ] / 2008-11-26 TB0,COM0
初雪後の陽射しの中で [ 暦 ] / 2008-11-25 TB0,COM0
更衣室で呟く前大統領 [ 生活 ] / 2008-11-24 TB0,COM0
塀の中に零れる泡銭文化 [ マスメディア批評 ] / 2008-11-23 TB0,COM2
折伏に負けた互助の心 [ 生活 ] / 2008-11-22 TB0,COM2
押し寄せる不景気の煙 [ 雑感 ] / 2008-11-21 TB0,COM0
胃に沁みる夕べの祈り [ 料理 ] / 2008-11-20 TB0,COM3
神の手に手を出すな! [ 生活 ] / 2008-11-19 TB1,COM1
朝から一杯、力を誇示 [ ワイン ] / 2008-11-18 TB0,COM0
女性的エレガンスを求む [ 試飲百景 ] / 2008-11-17 TB0,COM2
分かりの良い下らない人 [ 雑感 ] / 2008-11-16 TB0,COM4
忙しい時はいやに忙しい [ 生活 ] / 2008-11-15 TB0,COM4
如何わしいワインのかい [ ワイン ] / 2008-11-14 TB1,COM2
脱いだ下駄箱の靴がない [ 雑感 ] / 2008-11-13 TB0,COM2
鎖国ありえるデジタル界 [ 雑感 ] / 2008-11-12 TB0,COM0
無成長経済は可能か? [ マスメディア批評 ] / 2008-11-11 TB0,COM0
年間一千五百万円不要 [ 料理 ] / 2008-11-10 TB0,COM6
I'm asking you to believe [ マスメディア批評 ] / 2008-11-09 TB0,COM5
柔らかいゴムの心地よさ [ 暦 ] / 2008-11-08 TB0,COM0
初冬の力強い気持ち [ 暦 ] / 2008-11-07 TB0,COM5
自信と確信へ超克の勝利 [ 歴史・時事 ] / 2008-11-06 TB0,COM6
ネットでも価値ある買物 [ 生活 ] / 2008-11-05 TB1,COM2
私の一週間の仕事表 [ 生活 ] / 2008-11-04 TB0,COM9
ボルドーの最も美い一角 [ ワイン ] / 2008-11-03 TB0,COM2
抑圧から解放される為 [ マスメディア批評 ] / 2008-11-02 TB0,COM5
観光地で銭を潰す楽しみ [ 雑感 ] / 2008-11-01TB0,COM4
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パリへと航空郵便を発送

2008-11-30 | 雑感
社会学者アドルノを引き立てたのは、映画評論の創始者クラカウワーだとは良く知られている。今週、その二人の往復書簡集が発売されて話題となっている。様々な二人の見解が読み取れるらしい。ヴィーンにて博士号修得後アルバン・ベルクの弟子となり作曲家として修行を始めるころの裏話なども面白いようだ。なるほど当時の写真をみると後年からは考えられないような美青年振りで、厳つい如何にも青年趣味のある粘着質の顔の親仁と幾ら親しくても肉体関係には及ばなかったのは納得できる。

久方ぶりにパリのケネディー大統領通りの住所に物を送ったが、日常茶飯に郵便物を世界中に送っていた頃とは違って、ルーティン作業になっていないせいかエアーメールのシールを貼るのを忘れた。誰もが欧州内で何をエアメールかと思うだろうが、貼っておくと早く優先して配送されると言われたものだが、今でもやはり効果はあるだろうか?

金曜日にしか発送出来なかったので、月曜日にはまだ中央舎の郵便受付に到達しているかどうか分からない。相手方のデスクの上に廻されるのは水曜日ぐらいだろうか。電子メールを貰ったのが先週の木曜日であるから、二週間後にやっと手元に渡るという欧州時間そのものである。こちらから送りつけるのとは異なり、むこうから要請があるのは、いづれにしても喜ばしい限りだ。

そのような事をやっていると流石に待降節突入で、加入している協会からの払い込みの通知が郵便桶の入っていて僅かばかりとは言いながら、昨年よりは増えている感じで貰うものは少しでも多い方が嬉しい。協会の集金体制がドイツ国内だけでなくフランスなどを含む外国にも広がった影響があるのだろうか。

パリにもご無沙汰しているので、また用件を作って出かけたいものである。そう言えば、より近いミュンヘンにすら何年も出かけていないような気がする。個人的事情と燃料費高で全く動かなくなってしまっていた。
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ろくなことはない万引き

2008-11-29 | 生活
万引きの世界調査の記事が載っている。万引き防止のシステム会社が資金を出したようである。ドイツにおいてもこれほどの被害が出ているとは思わなかった。道理でスーパーでのチェックが厳しい筈だ。

従業員による千ユーロ以上の誤魔化しの多い北米と、ドイツなどとは状況が違い客が物を持ち去る場合の被害が多いらしい。百貨店などでは衣服類に磁石が埋め込んであるのは知っているが、食料品などはなかなかそうしたシステムがつけ難いようだ。

ドイツで最も盗まれているのは、ワインやシュナップス類というから恐れ入る。なにやらこちらにも容疑がかかりそうになる筈だ。そして、化粧品、女性衣料、香水類と続いている。女性が主には違いないのだろうが、盗まれる剃刀などは男性ものだろうか女性ものだろうか?

兎に角、その被害額は、一消費者辺り年間で52ユーロ余分に補填して支払う勘定だから馬鹿にならない。

スーパーのレジで手提げ袋の中を見せても、冬のコートのポケットに押し込んでしまえばなかなか発見し辛いと思った。店内のVIDEO監視システムは経費が高くつくので、日頃行っているスーパーにはなかったような気がする。

それならば、そこのスーパでポケットに入れて誤魔化したいと思うものは何かと考えると、高級スコッチぐらいだろうか?しかしポケットに入れるには箱付きで大き過ぎる。まさか、チーズや肉類をポケットに入れる気もせず、長いままのスパゲティーなら袖にも入らない。

トイレットペーパーなどは幾らあってもよいとは思ってもこれは隠しようがない。お菓子類などはその場で我慢できずに封を開け購入前にむしゃぶっている者がいるのを見るとなんともやるせない。

電球はかさばるので厭だが、電池などは結構高価であり適当に持ち出すのも良いかも知れない。しかしそれほどの倹約はちょっと工夫すれば出来るのである。

僅か売り上げの一パーセントの盗難が大きな影響を与えるほどの価格競争をしているスーパーマーケットで、それほどの盗みを働くよりも廉いものを見つける方が断然お徳なのである。どうせろくなものはないのだから。

二ユーロ少々の焼き豚の塊の残り半分とその焼けたラード部分が週末の献立の材料である。料理がなかなか愉しみな材料である。
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とても そこが離れ難い

2008-11-28 | 
もう少しセンチメンタルな気持ちになるかと思ったが、決してそのような会ではなかった。今後ともこれほど長い期間に渡って舞台の上と客席側で対峙し続けるピアニストはいないだろう。アルフレード・ブレンデルは、特別な演奏家であった。

プログラムがつまらない感傷を起こさせない大変粋なもので且つ大変真面目なものであった、だからこれはこれで、いつの機会であっても素晴らしい演奏会であった。惜しむらくは、二十年ほど前はまだまだ多かった戦前世代を知っている聴衆というのが少数派になり、ヴィーナークラッシックが殆ど文化的な意味を持たない聴衆が増えたことであろう。このピアニストの引退に、氏の個人的な決心とは異なる、その時代の終焉を感じた。こうした演奏家に付きもののまるで天然記念物を評するかのような形容詞「最後のなんとか」とは全く掛け離れた、それである。それは、クラウディオ・アラウがリストの直系であったとか、アルトューロ・ミケランジェリが、ルービンシュタインがホロヴィッツはとかではないのだ。

満を侍したかのように、賢明で秀逸した楽器使いでもあるアンドラーシュ・シフのベートーヴェンの全曲録音が発売されているが、もしくはアルフレッド・ブレンデルを傾倒して踏襲するかのようにこれらのプログラムを演奏する者もいなくはないが、その意味するところは全く異なると言いたいのだ。

そのクラシックなプログラムとは、演奏会を聞く前から、ハイドンにおける減二度を軸にする所謂ナポリ六度により変化する幻想ソナタ風の二つの主題をもつ二重変奏曲ヘ短調Hob.XII:6に、モーツァルトの晩年の歌劇に相当するような肌理の細かいこれほどない程の洗練した情感の移り行きをソナタKV533/494の変ロ長調二楽章アンダンテの短調への変化に味わい、更にベートーヴェンの幻想風Op.27,1と呼ばれる月光ソナタと対を為す曲において、プログラムの最後を飾るシューベルト遺作変ロ長調D960の転調の妙に、前のカデンツァ構造の面白さを対比させるかなどと十分にわくわくとさせるものであった。

そして、当夜そこに沸き出でるものは、 ― 普段は訪れない最後に見ておけという物見遊山の聴衆の動き回り立てる音のけたたましさに ― 疾風怒涛でも後期の俳諧でもないハイドンの真面目な表情の世界そのものである。つづくモーツァルトにおいては、理想的な空間での素晴らしい録音に比較すると、楽器の相違すらそのヘ長調の響きにはもうひとつという感じで、特に大ホールでの左手はどうしてももそもそとしてしまう。それは、なにも今回に限った事ではないのだが心なしか左手の打鍵の速度などが嘗てのそれではないと感じたといっても、昨年の今頃氏の引退を予想した永年の聴衆として許される発言だろう。なるほど、今回はシューベルトを含めて、嘗てないほどに音を外していたが、そんな低俗なことよりも現代に受け継がれ発展した楽器を未だにいかに芸術的に鳴らすかに職業的使命を賭けたピアニストとしては、むしろそうした体力的な衰えこそが引退を決意させたに違いない。

それでも、ベートーヴェンが作曲二年後に速度をアンダンテからアレグレットへと上げてソナタの終楽章に組み込んだ ― ほとんど原曲に戻ったような速度感で弾かれるとき ― ロンド主題のあの軽やかさとまろやかさを、なんと形容すれば良いのだろう!そしてシューベルトの第四楽章の慈しむような足取り。そして第二楽章の交差する手によって齎される多声の隙間から、また第一楽章での主観から客観へと渡された存在がやっと姿を垣間見せるとき ― それはまるで霧の中を向こうからやってきた影が自らのそれとはたと気がつくときのように ― 、私達はマルティン・ハイデッガーが止揚した問いにはたと出くわすのである。

それは、その六の和音の上でのホルンのオクターヴであったり、同時に二度の音程の異名同音への長調・短調への転調が、近世以降に発展して来た西洋音楽の偽りのない究極の存在として、十二音平均率という究極の楽器にて奏でられる ― 特にシューベルトにおける大会場を変調させ鳴る響きに ― このヴィーナークラシックのプログラムに発見する存在なのである。

そして今、三十年以上前に壮年期のこのピアニストが響かせたシューベルトのこの曲が語っていたまたは欧州の音楽文化の真髄を啓示し続けたフランクフルトの会の真の意味が、ここにあからさまにされたのである。

間際に会場に押し寄せた聴衆の教養や、ベートーヴェンの同じ曲などで子供のように力むマウリツィオ・ポリーニの打鍵や一生涯なにもはじまらない稚拙なランランや、そのようなものに感心する一生涯なにもわからない老人の存在についてなにひとつ語る必要はない。こうした音楽芸術が、芸術が存在したことさえ示せたならば、それだけでなに一つ加えることなどないのである。

ヘルダーリンから一節を繰り返して挙げればそれで事足りる。

「とても そこが離れ難い
源泉の辺に留まっているものよ」

(さすらい IV、167)

"Schwer verläßt
Was nahe dem Ursprung wohnet, den Ort"

Die Wanderung IV, 167.

ベートーヴェン、リスト、バッハ-ブゾーニの三曲のアンコール曲をもって、このピアニストの歩んできた芸術家としての一筆書きのような軌跡がこうして閉じられ、そこに離れ難い存在を見いだすのであった。



参照:
Alfred Brendel: Zu meinem Programm (Frankfurt, 25.11.2008)
十分に性的な疑似体験  [ 音 ] / 2008-08-06
モスクを模した諧謔 [ 音 ] / 2007-10-02
明けぬ思惟のエロス [ 文学・思想 ] / 2007-01-01
大芸術の父とその末裔 [ 音 ] / 2006-11-24
本当に一番大切なもの? [ 文学・思想 ] / 2006-02-04
少し振り返って見ると [ 雑感 ] / 2005-10-08
勲章撫で回す自慰行為 [ BLOG研究 ] / 2008-07-26
世界を見極める知識経験 [ 文学・思想 ] / 2008-07-3
形而上の音を奏でる文化 [ マスメディア批評 ] / 2007-12-21
趣味や自尊心を穿つ [ 生活 ] / 2006-02-26
Phantasiestücke oder Das Ende vom Lied, Julia Spinola, FAZ vom 15.05.2008
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石きり場、転落注意

2008-11-27 | アウトドーア・環境
雪が残っていると流石に誰も登っていない。仕方ないので操業中の石切り場の方へと足を伸ばす。コンテナほどの砂岩が沢山切って並べてある。それをどうやって切り落とすのか一度みてみたいと思うが、電気鋸のような音が下から響いている。

あれでは砂岩とは言え鋼鉄の消耗も機械の消耗の激しいだろうからコストが馬鹿に出来ないだろうと思う。水圧で切るのか、何かで切るとしたらやはり高くついてしまうのだろうか。

いつも登っている石切り場の上には、転落しないようにやはり柵が張ってあって、尚且つ「下で人が登っているから物を投げないように」と注意書きが書かれている。

なるほど他の場所とは違って上にハイキング道路が上にあるのは気がつかなかった。温度は低いが陽の射す中を二時間ほどゆっくりと歩く事が出来た。二週間ほど風邪気味だったのがこれで吹っ飛んで呉れると助かる。
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フランス風名産品の味

2008-11-26 | 料理
トリノで毎年デリカテッセンの博覧会「サローネデルグスト」が開かれているらしい。所謂スローフードを掲げているデリカテッセンの博覧会である。確かチャールズ皇太子が音頭を取っていたような気がする。

最近は国外からの展示者も増えているようだがやはり地元のイタリア勢にはかなわないと言う。ドイツ人は車などには金を掛けても食事となると財布の紐は堅い。

その反対がフランス人やイタリア人なのだろう。なるほどいつもに肉屋には自家製のザウマーゲンなど以外にはドイツ風やオーストリア風のものよりもイタリア製のサラミなどが並ぶ。

先日は、パンに塗る手作りのフェット煮込みを買った。ストラスブルク風ガエンツァ・リレッテと呼ばれるアヒルの肉を油と煮たものである。ドイツでは豚のそれが一般的であるが、これはフランス風で流石に高価であった。
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初雪後の陽射しの中で

2008-11-25 | 
昨晩は余所の地域に一日遅れて初雪を見た。朝には残っていた雪も午後には消えてぬかるみながら散歩日和となった。山の上は大分積もっていたようだが、この辺りにあまり雪がまわないのは、西側に屏風のように立ちはだかるプフェルツァーヴァルトのお陰だ。

精々600メートルにもみたない森であるが、北海・パリを抜けてやってくる湿った空気も向こう面の上昇気流で雪を落とし乾燥した空気をこちら側に落とすに違いない。

天気配置によってその条件は変わるが、パリから殆ど一日遅れでやって来る天候は、この屏風のような森にぶつかってからワイン街道へと降りてくる。だからこの地方は一年を通して最も気候が良い。もっと涼しいところも、もっと暖かいところもあるが、それとは少し違う。

ダイデスハイムの地所ヘアゴットザッカー周辺を散歩すると、陽射しの中を早速枝刈に興じている地所が多かった。毎年のように、これから新春を通して枝を揺らすのどかな音が方々から聞こえる。
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更衣室で呟く前大統領

2008-11-24 | 生活
線路が二方向から合流している。大変な量の水が右側の地下水道へと注ぎ込んでいて、次のトロッコに乗らなければ、その濁流に水道へと流されてしまうであろう。

人が溢れているので、トロッコが合流するどちらからかのトロッコに直ぐ乗らなければ乗り残される。プラットホームを向こう側に廻ったりこちらへと戻ってきたりと、乗り遅れないように右往左往する。

暫らくしてカーヴして入ってくる方からトロッコがやってきた。狭いプラットホームとトロッコの隙に挟まれないように急いで我々は車両に乗り込む。五人ほどの仲間なのだが、トロッコ最後部の車両のチューブ式車体に仰向けとなりまるでボブスレーのように身体を重ねる。

直ぐに水の中を滑るように、地下水道のチューブの暗闇の中へと吸い込まれて行き、速度を一気に加速させていく。様々な不安が過ぎるが他になすすべがない。

仲間の一人が長いスカーフを巻いていて気になっていたのだが、そのスカーフが二百キロも出ていようかとするトロッコの車内から外へと吸い込まれて行き、それがどこかに引っかかったかと思う一瞬もなく、彼の首は外へと引っ張られて無残にも吹っ飛んで逝ってしまった。

そうなると我々の不安はいよいよ募り、チューブの最後部の血生臭い首無し遺体を知り目に、なにやら喉を潤すものがいる。その男の使っている紙コップがこれまた都合の悪い事に速度が出ている車内の吸引力から前車両のチューブの中へと液体ごと吸い込まれてしまったので、喧々囂々と前車両の見ず知らずの乗客たちと一発触発の険悪な雰囲気となる。

今度は、我々の仲間の誰かがタバコに火をつけようとして、本人が突然酸素が強制供給されて充満している中部の中では爆発の可能性しかない事を悟り、そっと微笑みながらタバコを折る情景が、今度はこれだけの乗客の中に必ず同じような事をする馬鹿者がいるに違いないとまたまた心配になってしまうのだ。そしてびくびくと体を堅くする。

そうこうしている内にスロープの角度が弱ったのが減速へと至り、徐々に水量も減って乾いた地下構内へと辿り着いた。そしてそこで、仲間とは皆別々にされて、濡れた冷たい服を脱いで所持品と一緒にズタ袋に入れて審査官の前で名前や生年月日を申請させられる。

すると各々知らないものが年齢層が重ならないように、手く選別配合されて五六人のグループが形成される。そして、そのチームでなにかをさせられるのだが、もぞもぞと低く口元を震わせながら小高い声で書類に目を伏せながら各人を確認して行くのは前プーティン大統領である。そして、それがセレクションであったと気がつくのに時間は掛からなかった。

その決して目を合わせない虚勢を張った男は、敢えて不明瞭に発音する確認作業に、生来の賤しさを示していた。我々は各々の年代に別けられてきっと生体移植のために臓器を剥ぎ取られるのだと直感した。後ろづさりに後ろ手で境の戸口を開き出て行こうとするプーティンの声は聞き耳を立てても徐々に理解できなくなって、声が薄れていく。

あまりの恐怖心に暫らくは、目を覚まさずにその情景を思い浮かべていた。
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塀の中に零れる泡銭文化

2008-11-23 | マスメディア批評
音楽ファンや劇場訪問者がお世話になっていたのは労音や民音だけではない。なんといっても90年代は、アルベルト・ヴィラーの名のついていない大掛かりで話題となった新上演は少ないぐらいである。

メトロポリタンオペラ、コヴェントガーデンやザルツブルク音楽祭に通ってこの人のお写真をみた事が無い者は居まい。彼の潤沢な寄付が無ければ我々の入場券は更に高くなっているか、あまり人の集まらないモルティーエ時代の伝説的な上演は間接的にしてもそもそも成立しなかったのではないかと思われる。

そのパトロンの趣味の良し悪しなどよりも ― どさ廻りのゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団とか趣味の悪い連中がそこに集まる ― 金を出して呉れることが先決だったのである。このほど、彼の投資会社アメリンド・インヴェスティメント・アドヴァイサーズ・インクテットにおけるパートナーのギャリー・A・田中と共に詐欺容疑で逮捕されニューヨークで公判中であったが有罪となり、長期の服役となりそうだ。

主な容疑は、ニューヨークの個人不動産への資金を書類偽造して横領していたとされる。今回の金融恐慌程ではない2000年におけるハイテクニュービジネス崩壊が投資の失敗を招いた結果のようだが、これは文化行政との絡みで考えるべきなのだ。

金を出しても「顔」を出すなとは批判しても、それはあれだけの資金援助をしたパトロンはかのルートヴィヒ二世バイエルン国王のように扱われたくても、それは当然であると思うが、どうだろう?そんな事は問題ではなかろう。

つまり先頃もモルティエー博士が計画していたメトロポリタン歌劇場に対抗するニューヨーク市歌劇場構想は、経済危機の大波を受けて頓挫してしまった。つまり泡銭の援助では、こうしたもともと泡銭が落ちない真っ当な公演や文化事業はやはり賄えないという事になる。つまり、堅牢な経済的後ろ押しがあってこその将来に繋がる文化事業であるという事を認識すべきなのである。



参照:
Schludig: Ein New Yorker Gericht verurteilt den Sponsor Alberto Vilar wegen Betrug von Jordan Meijas, FAZ vom 21.11.08
続・お大尽がこけた - 共犯者は数学博士のタナカさん (ロンドンの椿姫)
折伏に負けた互助の心 [ 生活 ] / 2008-11-22
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折伏に負けた互助の心

2008-11-22 | 生活
先日お客さんを連れて久しぶりにイタリア料理屋を訪れた。二件目の兄貴の経営する店は一年前に出来たようだ。なかなか良い感じにしてあるが、食事を楽しむというよりも親仁好みのサロンのようなカフェー風の店である。

弟に譲った方の店では、特別お品書きなどがなかなか魅力的であるのとは幾分違う。兄貴は十年ほど前から熱心な法華経者でそのときから可笑しな事を質問されたが、今回はお仏壇をみせて貰った。日本からの竹で出来ている言う立派なものである。

朝に夕なに三十分づつ南無妙法蓮華経と唱えると力を貰うと、本当は一時間やらなければと言いながら、真面目にやっているようだ。日本にも是非行きたいという。池田大作先生に会うのだという。戸田や牧口が日本の飢餓の時に創立したという説明だ。

日本では、子供の時にロッテに勤めていた父親の居る家庭と、乗用車の運転手の家族などがその団体に加入していて、廻していたその資料取り上げて、それに目を通して内容を思い存分楽しんだ。初めは「学会に行く」と聞いて、てっきりこのような人も趣味で学問をやっていてアマチュアーながら「学会」に属して学術論文を発表しているのだと勘違いした覚えがある。

その二家庭を知っているだけだったが、しかしドイツでは、上の者以外にBASFを定年退職後暫らくして愛妻に亡くなられ悲嘆に沈むところを折伏にやられた親仁さんに、創価学会の評判を聞かれたことがあり、公明党を軸にその政治力を説明したことがある。彼は、近所の噂を聞いたことのある日本人女性に勧誘されて ― その折伏の経過が口止めされているかのように殆ど語られないのを不思議に感じた - ビンゲンにあるヴィラ・ザクセンに連れて行かれ、まるでモルヒネ療法の末期患者のように逝かれていた。そうなると何を言っても手遅れで、なにも恨まれてまで新興宗教に口出す馬鹿もいまい。そもそも、元々が創価学会向きの夫婦であったのも分かっていた。

ウィキペディアを読むと特に日本語のそこではかなり厳しい批判がドイツのメディア記事として載っている。しかし、ドイツ版はそれに比べると比較的落ち着いていて、藤原弘達や日本共産党のような天敵がいないという証拠なのだろう。しかし、ネットでビンゲンの近くには共産主義者の独日団体が存在しているのを確認したことがある。

日蓮上人自体の危険性やその教義から批判すればなるほどと思うのだが、所詮ドイツにおける布教活動は精神的な互助だけであって日本のそれのように経済的政治的な組織とはなっていないのだろう。上のイタリア人の信仰などをみるとなかなか通の趣味という感じも拭えない。どんな趣味でも道具を買ったり、場所を借りたり、月謝を払う必要があるからお布施を取られても似たようなものだろうか?
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押し寄せる不景気の煙

2008-11-21 | 雑感
いよいよ実質経済に強い影響が出てきたようである。プファルツにとっては最も重要な経済主体である化学最大手BASFが来年一月までの生産縮小計画を出した。

 デュポンやダウケミカル、セラネーゼなどの競争相手が同じく売り上げの悪化を示している一方先月までは十分な収益が発表されていたのだが、ここ暫らくで急激に供給過剰状態となり注文などが激減したという。

誰もが考えるように自動車業界へのプラスチック、触媒、塗料の需要のみならず、建築業界へのコンクリート附加材、塗装材、断熱材も落ちているようで、繊維関係でも合繊材料や染料も落ちている。アジア市場によって維持して来た売り上げも単価の下落からあまりそれを補填する事が出来ず、今回は本来ならばガスやオイルのエネルギー部門で営業上の悪化が避けられたのだが二重の売り上げ低下要因にはなすすべがない。その分、運転経費の削減は当然の事ながら計算できる。

そこで最も手っ取り早い方法が人員整理であるが、本拠地ルートヴィヒスハーフェンの労働協定では2010年までは解雇が出来ないこととなっている。つまり今回も、先ずは休暇やフレックスをいれた就業調整で、全200プラントの中五分の一にあたる40プラントを止めて、25プラントの能力を落とした人員調整とする。従業員数にして全三万二千人中五千人がその人員に当たる。

全世界四百箇所に及ぶ九万五千人の従業員の二万人がこの人員調整に当たり、80プラントが操業停止、そして40箇所の工場で生産調整が行なわれる。2001年から2002年への生産調整と比較されている。

さて、GM倒産の悪影響を逃れるためにソーラーシステムのボンの会社ソーラーワールドが将来のエコ自動車開発を目指してオペルの身請けをGMに打診してデトロイトから即断わられたようである。勿論実際にそのような買収が成功したかどうかは大変窺わしい話であるが、経済文化的には十分なアドバルーン効果があったであろう。
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胃に沁みる夕べの祈り

2008-11-20 | 料理
滞在中の友人が日本へと飛び立つ前に夕べの祈りの食を準備した。なんでもないコールドミールつまりフェスパーテラーと呼ばれる冷たい食事である。もちろん冷たい食事は、ドイツでは夕餉の一般的な形式なのだが、最近は日によっては火を使う食事をする家庭も少なくはない。

こうしたなんでもない典型的なドイツ料理は良い材量がないと楽しめない。事の初めの土産に貰ったアルゴイの山チーズ・アルゴイヤーベルクケーゼに何を加えるか?燻製や干しものはつき物で離独を前に是非楽しんで貰いたいものである。飲み物も欠かせないが、先日あまりに長持ちの強いワインしか飲んで貰っていないので、軽いワインを飲むのにも丁度良い。

いつものデリカテッセンの肉屋でお母さんに色々と僅かづつ揃えて貰った。先ずは血のソーゼージ・ブルートヴュルストの薄切り、豚の胃に詰めたニコゴリ・シュヴァールテンマーゲンの薄切り、更に豚の油の乗ったイタリア製サラミの超薄切り、手作りのミートローフも味が凝縮しているというので加えて貰う。支払いの時にお母さんが再確認しなければならないほど安いのだ。それに、スーパーで購入したウナギのテリーヌとサケのテリーヌを一つづつ加える。

パンは最近買い出した手作りの特製パンで所謂百姓パン・バウワーブロートに近い。本当はシュナップスを引っ掛けても良いのだがワインを吟味する。軽いワインつまり日常消費のワインは、この11月となると新酒の出始める来年一月から比べると大変選択の幅は小さい。

春から飲んでいた本格的辛口ミュラーカトワール醸造所のグーツリースリングは流石に味気なくなってしまっている。そして、一押しのフォンブール醸造所のヘアゴットザッカーも先月飲んだ時点で谷に入ってしまっているので得策ではない。そこで最近購入したゲオルク・モスバッハー醸造所の2007年産グーツリースリングキャビネットを先ず開ける。

友人の感想のようにこの街道のあり触れたワインが上品になっている美味さを確認。そのアルコールの11.5度の飲み易さを感じたようだ。酌が思いのほか進むので、同じキャビネットでも一年落ちの2006年産のフォン・ジムメルン醸造所バイケンキャビネットを続いて抜く。

これはすこし早めの熟成が特徴で年内に飲んで仕舞いたいワインである。風引き中なので今一つ多彩な香りはもう一つ分析できなかったが、その大変ワインらしい繊細さを楽しむ。友人に言わせるとプファルツのように押し付けがましさがない上品さという事になるが、それがモーゼルワインのようなスレート臭さも無く、雑食砂岩のあまりにも華やかな果実風味も邪魔しないラインガウの土壌の良さである。苦味やら燻製風味のあるフェスパーテラーにはやはり合う。

そうして飲んでいる内に簡単に一人一本づつ開けてしまったので三本目を地下蔵に取りにいく。先日から話題となっていたザールリースリングである。シュロースザールシュタイン醸造所のそれであるが、本当なら出して比べたかった少々谷のコンディションが予想される残り一本しかないキャビネットではなく、まだまだ成長中の古い木に実った葡萄から作った2007年産シュペートレーゼ辛口である。

前回開けた時点よりも更に糖分が落ちてきていて、その分酸の強さが目立つようになって来ている。味見だけのグラス一杯が胃に沁みた。プファルツとラインガウとモーゼルの三種を十二分に体験して貰えただろう。満足である。



参照:
肉屋の小母さんの躊躇 [ 料理 ] / 2006-02-18
素晴らしい前菜の愉悦 [ 料理 ] / 2008-07-08
充血腸詰めがつるっと [ 料理 ] / 2006-02-16
グラスに見るワインの特性 [ ワイン ] / 2005-04-28
2006年産の良い地所 [ 試飲百景 ] / 2007-09-27
ラインの穏やかな中庭 [ 試飲百景 ] / 2006-09-11
地所の名前で真剣勝負 [ 試飲百景 ] / 2006-02-06
バイケンでぬかるむ [ ワイン ] / 2008-09-18
いつの間にさくらに変身 [ 試飲百景 ] / 2008-09-21
中庸に滴る高貴な雫 [ ワイン ] / 2008-09-03
香りの文化・味の文化 [ ワイン ] / 2008-06-07
継続的に体で覚えるもの [ 生活 ] / 2008-08-28
昼から幾らでも飲める味 [ ワイン ] / 2008-08-11
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神の手に手を出すな!

2008-11-19 | 生活
心理的な荒廃は思いのほか進んでいる。オペル救済問題は、先週のワシントンでのG20でまでメルケル首相が持ち出した話題であり、殆ど政治的修羅場となって来ている。その歴史的な背景については何度もここに書き連ねている。

歴史ある大建築会社をゲルハルト・シュレーダーが夜中のフランクフルトにやってきて救済したその会社は今はない。シュレーダーのそうした介入こそ批判の対象なのである。

そしてGMが倒産しても、アダム・オペルは存続すべきなどという声がドイツでは叫ばれるようになって来ている。メルケル首相は、クリスマスまでに判断を下すと言っているが、それまでGMは存在する事はないということであろうか?現在は欧州GMの統帥であるフォルスター氏がオペルの社長時代に幾らかは品質向上が図られたが、もう一つのドイツ自動車会社が必要とは誰も思わない。

現在従事しているオペルのエンジニーア七千人がGM傘下のサーブやシボレーの小中自動車を開発して、グループ内の研究機関として重要な一役を担ってきたのであるが、ドイツにおいて彼らの新就職先すら保障されないだろう。優秀な人材はもはやオペルやGMなどには少ないに違いない。

今や世界に車は満ち溢れている。石油を使わない移動手段ならまだ市場は大きいが、さもなければ今や過剰している。現在滞在中の友人は、よいワインを買ったのだが、買物が趣味の彼は金を出せば楽しめると考えている大馬鹿者のようだ。如何に日本人の感覚が荒廃して来ているかがこれで知れる。彼は、殆どバブル期には海外にいたのだが、それでもその後にそのような荒廃が進んで今や殆どゾンビとなってしまっているとは思わなかった。

金を出せばなるほど程ほどのものが買えるが、実際にその価値があるのか分からずに消費している事が罪なのである。そういう人間こそが、一体どれだけの価値かも分からずに時間を惜しんで働いているのは、そのゾンビ的な性格から当然であるだろう。ゾンビは疲れを知らない。ゾンビによって実の無い価値が生み出されてゾンビのための市場が出来てゾンビから実質経済は弾き出される。そして、何も何十万人も配下に置くマネージャーでなくとも、ゾンビ集団は隣人を次々とゾンビにしていく。そして町中はゾンビが蔓延して、自らがゾンビになっていることにも気がつかない。

日本国の景気対策に国内消費などというが、FAZ経済面が伝えるように未だにリベラリズムの古着をしっかり羽織っているという有様だ。道路一つまともに作れず、狭い場所に電柱建て益々太い電線を這わせて、何一つ経済高成長時代に社会資本を充実させられなかった三流国である。その生活環境や政治家がだけが三流なのではない、その文化がそれを支えている国民が三流なのである。

オペルが潰れると、関係する車部品会社やソフトウェアーなどの関連会社は連動して倒産して行くと予想されている。そのような事が判っているならば、無駄な一千億円を銀行からオペルに融通させるような ― つまり来年の選挙にて労働者や地域産業から賛辞を期待するような ― 政策よりも、むしろ失業や再雇用の制度にその資金を使うべきである。



参照:
2005年選挙投票前予想 [ 歴史・時事 ] / 2005-09-18
架空のクラフトマンシップ [ テクニック ] / 2005-01-13
自宅よりも快適な車内 [ 文学・思想 ] / 2005-02-04
覚醒の後の戦慄 [ 歴史・時事 ] / 2005-10-15
マイン河畔の知識人の20世紀 [ 文学・思想 ] / 2005-02-04
ど真ん中にいる公平な私 [ 女 ] / 2007-12-04
滅多にやりませんが (Mani_Mani)
Externer Schock von Patrick Welter, FAZ vom 18.11.2008
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朝から一杯、力を誇示

2008-11-18 | ワイン
昨晩は、ザウマーゲンの夕べであったが、今日はシュペートレーゼの朝餉であった。沢山の強いリースリング試飲の後であったので十分に食べきれなかった昨晩の残り物を温めると、急に昨晩開けたミュラーカトワールの2006年ものが気になり出した。

あまり評判が良くなかったからである。これは朝からもう一度確認してみないといけないとグラスに注ぐのであった。朝から飲むのは流石に殆どないが、風邪を直して貰ったお薬であり、ぶり返す前にもう一度飲んでおかないといけない。

確か高級ホテルなどの朝食にはシャンペンが置いてある。それならリースリングも悪くはない。きゅうと引っ掛けるとやはり元気になってやる気が出るのだ。お薬である。

お味の方は昨晩、2005年の評判の高いものとは違って2006年特有の早い熟成を考えて半年ほど早く開けたのだが、思いのほか熟れ感が少なかった。その分些かぶかぶかしている割には名地所ビュルガーガルテン特有の薔薇の風味がなかったのである。

やはり、収穫時のその悪さは記録に留めてあるが、活性炭かなにかをいれて腐りの匂いを止めたような疑いはぬぐえない。勿論、あの強いワインにあの香りが十分に浮かんでいれば何も格落ちさせて売る必要はなかった筈だ。

そう言えば、これを購入する時にオーナーは力強さを印象付けるために瓶も思いものとしたと語っていた。確かにまだ草臥れる様子はないが、何か完全に欠けているのを知っていたからこそそのような発言になったのであろう。

力を誇示するようなものは人でも物でも何かが欠けていると自ずから語っているようなものである。
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女性的エレガンスを求む

2008-11-17 | 試飲百景
日曜日に試飲できて購入できるところは限っている。最大手しかない。開いている時刻やグランクリュワインの有無は電話で確かめてから、一時半ぐらいに一軒目の門を潜る。

奥には、一グループ八人ほどがいて賑やかなのだが一人で対応しているので、こちらは私が奨める事になる。この友人が嘗て大量に日本へと持って返った2002年当時にはまだグローセスゲヴェックスは一般的でなかったので、今試飲出来て将来の偉大なこれらを買って行って貰うことにする。

12本入りを直接日本へと送らせるので、今から飲めるものから数年間楽しめるもの、そしてあと最低二年待ってようやく味が出てきて、保存さえ問題なければ二十年以上問題ないものの二種類を奨めた。

一番軽いワインのラィタープファードが気に入ったようだが、現在はまだ最も美味いと思われるキーセルベルクは酸が強すぎて男性的過ぎたようだ。それならモイスヘーレのミネラル質と酸の強さは全く駄目である。だからといって、ヘアゴットザッカーに戻って試飲すればどうしても物足りない。

結局、グラインヒューベルは元々気に入りの地所だったようで、エレガントな少々女性的なもっとも良いリースリングを六本選ぶ。

そして、あと六本でフォルストの名門の畑の味が微妙に混ざるプローブスを兎に角買ってもらい、ホーヘンモルゲン、イエーズイテンガルテン、ペッヒシュタインを吟味する。最も気に入ったのは、やはり繊細さの強いペッヒシュタインのようで、まだまだ開いていないが最も綺麗なリースリングには違いない。

その勢いを借りて、二件目へと突入するが、やはり同じように送ってもらう事にして、12本を選んでいく。先ずは、ヴァッヘンハイマーオルツリースリングとルッパーツベルクオルツリースリングの対比である。前者の線がスッキリするものに比べて後者はぼやけている印象を持ったようだ。ザウマーゲンには後者ぐらいで良い。

第二試合は、同じくゲリュンペルとホーヘブルクのプルミエクルュ同士の勝負である。やはりゲリュンペルが好みのワインのようである。

そしていよいよ横綱対決が続く。2007年のペッヒシュタインは気に入って貰うと同時に徐々に土壌の個性が見えて来たであろうか。お奨めのウンゲホイヤーは確かに既に愉しめる要素は高いがあまりにボディー感が強すぎるかも知れない。彼にとっては、大変グラマラスなブロンド美女にぐいっと抱き抱かれるようなもので息が止まってしまうようだ。そこで、2001年産のペッヒシュタインを試飲してその円熟した味をみて貰う。

大変気に入って貰えたようで、そうなれば醸造期間の長い乳酸菌発酵に近い2002年産ペッヒシュタイン、そしてもう一年で瓶詰め二年を迎えて最も新鮮に開いたところを愉しめる2006年産ペッヒシュタインを試飲なくして購入して貰う。

また、今飲める物として推薦の2007年産カルクオーフェンも試飲、購入。

ペッヒシュタイン愛好家は多い。魚料理などにもこれをソースにしても大変美味い。白い花系の香りとその清楚な感じが気に入られる。そして上のように購入して貰えれば、毎年少しづつ飲んで料理に合わせて何時も食卓を飾る事が出来る。

先ずは、2001年、そして2006年を、その後に2002年を飲んで、二年後に2007年を開ければ、既にペッヒシュタイン飲みを自称できるだろう。

一本32ユーロ以上の大変高価な商品であるが、保存さえ上手く出来れば長年に渡って食卓を豊かにしてくれるのは間違いない。二十年後ぐらいの感想をまたゆっくりと聞きたいものだ。

因みにフォン・バッサーマンヨルダン醸造所のペッヒシュタインは、一ヘクターあたり28ヘクトリッターの収穫量で、通常のグランクリュの倍の濃さである。六か月以上に渡るステンレス樽での酵母の中での熟成であるが酵母臭さは皆無である。アルコール度、酸、残糖は、其々13%、リッターあたり7.6グラム、5.7グラムと辛口であるが桃、アプリコット、レモンの隠れた果実風味満載である。

ビュルックリン・ヴォルフ醸造所のものは更に半分の収穫量であるが、さらに繊細且つ力強い。アルコール度、酸、残糖は、其々12.3%、リッターあたり7.1グラム、5.4グラム。価格差で3ユーロ高い。しかし早くから長く愉しめるのはこれであろう。

またまた売り上げに協力させて貰ったが、十分過ぎるほどに強い風邪薬を頂きました。
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