Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引2024年01月

2024-01-31 | Weblog-Index


パンコウの金魚鉢 2024-01-31 | アウトドーア・環境
「世界十傑の美しさ」の街 2024-01-30 | アウトドーア・環境
憑かれた様にケーテンへ 2024-01-29 | 雑感
演奏されない第三交響曲 2024-01-25 | 音
陽光に包まれる一時 2024-01-24 | 生活
欧州文化での進化 2024-01-23 | 文学・思想
第二次ベルリン紀行準備 2024-01-22 | 生活
有機初摘みダージリン 2024-01-21 | 生活
取りかえせるか人生双六 2024-01-20 | 雑感
二元性のジャーナル 2024-01-19 | 音
先祖代々の家訓かな 2024-01-18 | 生活
19世紀のイタリア旅行 2024-01-17 | 音  
異なる境地に至る学び 2024-01-15 | 音
意識的に忘れた録音 2024-01-13 | 歴史・時事
全量注入予定の不凍液 2024-01-14 | 生活
意識的に忘れた録音 2024-01-13 | 歴史・時事
日帰り旅行の空気圧 2024-01-12 | 雑感
新モデルの車を試乗 2024-01-11 | 雑感
マントルピースに窓の氷 2024-01-10 | 生活
ベルリン地方の歴史音楽 2024-01-09 | 文化一般
朝が起きれない日々 2024-01-08 | 生活
非合法的な自由な発言 2024-01-07 | 文学・思想
無料VPNをインスト-ル 2024-01-06 | ワイン
ステレオタイプは不可 2024-01-05 | ワイン
偽りの無い熟成過程 2024-01-04 | ワイン
赤飯擬きで祝う 2024-01-03 | マスメディア批評
シャンペンの泡の様に 2024-01-02 | 音
言葉通りの「お試し」 2024-01-01 | 音  
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パンコウの金魚鉢

2024-01-31 | アウトドーア・環境
今回の旅の主目的とは別の興味があった。ベルリンのパンコウ地区への立ち入りだった。東ベルリンは壁の向こうで観光したことがなかったからで、当時もパンコウなどの奥には通常の観光ヴィザで入れたのかどうかは知らない。誰かを訪問とかそうした目的なしには難しかったと思う。それ以外で留学生などがそこに住居が宛がわれたのかどうかも分からない。

一般的にはホーネッカー書記長などの党幹部の住居があったりと特別な地域となっているのだが、中心地のミッテとその周辺事情との差異や境界がよく分からなかった。今回は嘗て厳しい検査を受けたフリードリッヒ駅から10キロほどの距離の住居での宿泊で未知の領域だった。壁がなくなってからも可能な限りクーダムへの郷愁を立ち切って東側で宿泊しようとしていたのだが、漸く叶った。

結論からすれば、やはり東ベルリンの奥は深く、違う世界を覗けた。例えば宿泊したところのオーナーは70歳過ぎでそこで生まれてずっと暮らしていると語った。近所の人の様子もそれに近くてとても均衡していて近所付き合いもしっかりしていた。昨年外国人居住区のようなドイツで最も多様化されているとされるノイケルンの近くに出かけたことから考えれば全く正反対の居住区である。

今回の宿は、実は都心部に住む嘗ての官僚の所謂週末の郊外別荘だと思っていたのだがそうではなく、息子であったオーナーが若い頃に離れとして住んでいた所のようで、母屋も含めて自身でリフォームしてきたところの様だった。近辺には新しい金の掛けた新築の家も建っていたが、多くは自然を生かした如何にもそれらしい家並みで、それでも畠はなかった。

都心部へのアクセスは渋滞さえなければ数カ所角を曲がれば20分も掛からずに車で到達できるのだが、その交通量から40分ほどを近回りしながら走る所であった。列車も近所の駅に行くまでに距離があり、最低自転車がなければ生活はし難そうでもあった。昨年ポツダム近郊で泊った時にも平地なのでサイクリングには好適ということだった。

途中にはやはりサブカルチャーも感じさせる庶民的な街並みもあり、近くには泳げる湖がありで、恐らく戦前ならば田舎だったのだろう。庭には、80センチ幅ぐらいの溝が掘ってあり、その上に小さな太鼓橋が掛かっているのだが、木の手作りなので滑るからゴムの足拭きのようなものが着けてある。そこを渡ると膝がガクガクする。何よと尋ねると金魚が二三匹いるんだぜと答えていた。まさか森鴎外の影響ではないと思うが、さて。

それどころか自分で作った家と柵の間に木造の箱がおいてあってブルーシートを被せて何を貯蔵してあるのかなと思って訊ねると、プールだというので驚いた。また子供向きのお遊びかと思って話を聞いていると、夏はそこで泳ぐのだと語った。怪訝な顔で聞いていると、腰にバンドを巻いてゴムに逆らって泳ぐことで健康維持するんだと、ほら此処にバンドがと見せた。

西ドイツで同じような試みがあったのかどうかは知らないが、なるほどこれならば東ドイツでも自宅でプール遊びが出来ただろうと思った。まるで巨人の星の養成ギブスのようなものであるが、まさかそれでは金メダリスト大量養成はしてなかっただろうなとも思った。



参照:
「世界十傑の美しさ」の街 2024-01-30 | アウトドーア・環境
空気配送郵便チューブ 2005-10-28 | テクニック
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「世界十傑の美しさ」の街

2024-01-30 | アウトドーア・環境
火曜日以来久しぶりに走った。これだけ休むのは何年振りか。パンコウの宿の鏡が下からの光で目の下の隈が見えなかったのだが、帰宅後にも若干変わっていると思った。隈自体はあるのだが、肌の感じや色合いが改善している。走り続けることでストレスが溜まっていた可能性もある。眼鏡の問題は改善された筈だがそれでも目の疲れはある。しかし今回の旅行でなにか変わった感じがするが具体的にはよく分からない — モニターを観ている時間は少ない。

一つは走らないで運転時間や座っている時間が長くて腹の辺りが張って来ていた。しかし体重は心配していた様に増えてはいない。理由は外食が一回だけで、夜食にはなったが、食事量が増えた訳ではないからだろう。決して体調によくはない生活だったが、久しぶりに走ってみるとそれなりに体調は悪くないと感じた。

ニエンブルクへのアプローチでは、予てからでかけてみたいと思っていたユネスコの街クヴェドリンブルクに立ち寄った。その東フランク帝国の城としての建造された威容を誇る聳え立つ城とその街は日本では世界の美しい街10傑に選ばれている様だ。そしてローマドイツ帝国時代に市として成立しているのはワイン街道の我が市と似ている。そして王の居城として中世の発達規模も大きい。それはスパイヤーの為のワインを作る街との差は大きい。東フランク帝国が如何なる力を持っていたかがよく分かる。

最近はドイツ国内に限らず、車で行けるような欧州はどこに行ってもそれほど旅ごごちはしないのだが、このハルツ山脈の北側は初めての地でありこんなところにこんなものがまだという驚きがあった。

南側のアイゼナッハからエアフルト、ヴァイマール、ライプチッヒだけでは中央ドイツと言われてもそれほどの中心だと思わせることがなかったのだが、やはりこうしてフランク帝国の権勢を見せられるとなるほどと感じた。やはりプロテストタント文明だけではケチ臭いということになる。

この辺りは街から街へと面白い。ケーテンではインフォメーションで街も綺麗で次の機会に見学だけでなくて宿泊してもいいかなと語ってきたのだが、宿泊した街もそのアプローチが赤塗りの塗装とぼこぼこ石畳の嘗ての東独其の儘で朽ちている分味わいが深かった。

東独自体の観光はどの程度の規模で為されているのかは知らないのだが、今でも手つかずのところと可也整備されているところがあって、優先順が低いところは可也残されているという印象がある。

こうした文化財を見るにつけ、長く支払わされている東独支援の税金はいつかは観光でも取り返せるという認識に至った。地域でも様々な運動もあるようで、合理的な形で維持されたりしているようなので、おかしな投資で一挙に取り返すというような感じがないのがよい。それでも可能な限りの小さな投資が成果を上げてきているのは、ニエンブルクの宿でも分かった。現金しか受け取らなかったことに気が付かなかったので、鍵を貰う時に電話で話すとあとで送金して貰えばよいとなった。帰宅後に送金するということで請求書を送って貰った。



参照:
憑かれた様にケーテンへ 2024-01-29 | 雑感
母体より出でて死に始める芸術 2017-05-30 | 音
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憑かれた様にケーテンへ

2024-01-29 | 雑感
ベルリンのパンコウのアパートメントを10時30分に出た。ワイン街道の自宅に戻ってきたのが17時30分過ぎで、8時間掛からなかった。日曜日で渋滞がなかったのが大きいだろう。

前夜にフィルハーモニーからの帰りに20リットル入れて、帰宅途上で一番安そうなポツダムのアウトバーンを下りたところで満タンにしたので効率がよく、まだ大分残っている。満タンにすればドイツの一番遠いところまで走れるぐらいにはなっている。電気自動車が500kmというのは現状ではどうしようもない。

復路は最も早い経路を取ったが、往路は途上で一泊して寄り道して、それでも満タンの燃料で十分だった。旅にはハプニングが付き物なのだが、復路はトイレに一回以外は、二三回車を停めて目を瞑った。それでも合わせても経緯時間は30分ぐらいだったか。兎も角天気が良かったので、運転していてもぽかぽかと気持ちがよくなって、睡魔に襲われた。また南西に向かって走るので太陽が眼に入って眩しかった。昨9月も日曜日にミュンヘンに向かったので、快適に飛ばせたのを思い出す。

前回とは異なって厳寒なので、食料を運ぶのも難しくなく、前日に宿泊して観光としたのがとても価値があった。そのお陰で結構不幸が続いたのだが、一寸憑かれたような感じもあった。

途上で泊まったニエンブルクの宿の隣がお城で、なんとそこはケーテン候レオポルドが参加した結婚式に来ていた大バッハと出逢った所というのである。まさかそのようなところで一夜を明かすとは思ってもいなかった。全く知らなかったのだが、なんとなくの感じがあって、ネットで見つけて吃驚した。

抑々そこに来たのはブロッケン現象などで有名なハルツ地方を近くで感じたかったからだが、谷に入るのにナヴィが動かなくなって余分に走った。結局ザルツギッターから戻ってくる感じになって大回りとなった。魔法使いの意匠が道標にも使われていた。気候現象と同じく、山は霧に包まれていて東西に尾根が伸びている様だ。ゲーテが「ファウスト」で「ヴァルプルギスの火祭り」としても描いていてとても有名である。


そうなると全く予定に入っていなかったケーテン訪問を外せなかった。そこからの街道が一部閉鎖になっていて、迂回路を走っていて間違って、脇道を突き当りまで走って仕舞った。道脇のあざを使って転回しようと思うと泥濘に落ちた。結局予定していたケーテンの街でのブランチとコーヒーを断念することになった。

結局自動車クラブをを呼んだり近所の人が警察を呼んだりで、若い警官三人の男女で押してくれたが、数十分間レッカー車が来るのを待つことになった。普通は起きないことであるが、それでもケーテンを通るので一時間程街を見学することになった。すると今度はベルリンのパンコウの宿には到底14時には着かないことになった。



参照:
小夜曲と火祭りの喧噪 2022-11-24 | 文化一般
火曜の夜の乱痴気 2007-02-21 | 暦
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演奏されない第三交響曲

2024-01-25 | 
久しぶりのマーラ―交響曲三番。何故あまり演奏されないか、その答えは、特にこの交響曲に特徴的な創作家の回想の構造となっているからのようだ。

一楽章の冒頭のブラームス交響曲一番四楽章の歓びの動機でありシューベルト交響曲の大ハ長調の冒頭であってもそれがどのようにかがそのものが謎解きにならない限り分かりにくい。そこに次から次へと繋がる恐らく子供の時に耳にしたであろう軍楽や、葬送のマーチそしてトロンボーンのレチタティーヴがこの楽章における「パンの目覚め」て、「夏が行進してくる、バッカスの行進」となるとその大古感はとても個人的な観想でありついていけない。勿論そこにはアーニム・ブレンターノの「不思議な魔法の角笛」やニッチェの「ツァラストラ」真夜中の歌に準ずる。

そして後半部になる二楽章のメヌエットがネオロココで「花が私に語りかける」となると、その趣味性が問題となる。つまり、マーチ・民謡・歌となるアンチ交響曲構造がこの交響曲の形式となっている。交響詩三楽章「森の動物が語り掛ける」、そして四楽章の「オーメンシュ」がヴァ―クナーにおけるエルダの地叫び、そして子供の世界の先にフィナーレとして歌が連なる。アンチオペラとしてリゲティ「グランマカーブレ」が有名であるが、同様なのである。

いつものバーデンバーデンでのシマンスキー氏のレクチャーでは、これが美学的に説明されていた。つまり19世紀の浪漫派の歴史の中では交響曲は主要な創作から外れて、メンデルスゾーンの「スコッチ」や「イタリアン」の様に絵葉書交響曲になる。つまり後期浪漫派の中でのブルックナーの九番のような調的な先鋭性からするとこの曲におけるニ長調の全音階的なそれはメタ交響曲つまり交響曲の為の交響曲でしかなくなる。例えばショスタコーヴィッチのソヴィエトの墓標としての交響曲の手前であるかもしれない。

そこで今回安く購入しておいた評判の良いアバド指揮ヴィーナーフィルハーモニカーの1982年の制作録音を聴いた。没後10年らしいが素晴らしい演奏だった。参考にバーンスタイン指揮の二種類の録音を少し流した。何故アバド盤が素晴らしいか、それは上の「記憶」になる前提となる回想世界がそこにあるからだった。バーンスタイン指揮盤に致命的に欠けるものだ。

そこで当晩のチェコフィルの演奏はその意味からボヘミア出身のマーラーの音楽世界とは無関係だった。少なくともあのような音楽伝統はヴィーンの宮廷劇場監督のそれではない。正直ボヘミヤとモラヴィア音楽文化に関してはよく分からない。しかしこの首都の名門がドイツ人指揮者と外交問題に発展するような問題を起こして、そして海外ツアーなどではお国ものしか演奏できないことは明らかだった。

指揮者ブシュコフと楽団との関係性も明らかに始めからロールプレーをしていて、それ以上には一歩も動かないことがよく分かった。ラトルが振ってもそれは変わらない。要するにローカルの文化圏でしか存続しない。そのローカルは帝都ヴィーンとは異なるだけで、その弦楽の伝統などもピンとキリの話しで、管楽器陣もこれでは難しい表現などは不可能だ。ペトレンコ指揮フォアアールベルクの下手な管弦楽団でも少なくとも何をやろうとしているかはしっかり補えられたが、この楽団の横着さはヴィーナーフィルハーモニカーの様に商業価値でも測らないことで、最早何ら意味をなさない。世界一流へなんて夢は昔から幻だったのだろう。スークのヴァイオリンやスメタナ四重奏団とは違うのは当然。



参照:
指揮科教授のバイロイト 2019-08-19 | 音
特産の弦の表現力 2023-09-12 | 文化一般
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陽光に包まれる一時

2024-01-24 | 生活
久しぶりに気持ちの良い陽光となった。暖かくとも駐車場の圧雪は氷り、しかし谷道は少し残る足跡が凍っていた。車も少し走らせられたので良かった。エンジンオイル果たしたので不凍洗浄液と燃料を満タンにしてもう一度確認すれば、恐らクベルリン迄到達できるだろう。昨日まではオイルも汚れと塊があったので作動に不安があったが、温度も高くなれば好転すると思う。

久しぶりに急坂も走れて、これで今週はあまり時間がないが、旅行中に今回は街は少し歩く。とはいっても長く歩ける靴を持っている訳ではなく、森に入る時間も無いだろう。精々、ベルリン到着に時間が余ればベルリンより北側の郊外を散策したい。

金曜日に生中継ラディオ放送がある。留守録音で上手に録れるのかどうかは自信がない。なぜならば早く出るつもりだからだ。オンデマンドは残るかもしれないが、持って行くミニノートブックで何をするか。

衣装は二種類となって、街歩き用にも今回は必要だ。幸いベルリンも金曜日に雨が降る以外は少し肌寒いぐらいなので精々手袋を持って行くぐらいでいいだろう。コード類も標準でカメラの充電池も二つフルにしておけばなんとかなるに違いない。GPS時計と髭剃りは充電の準備もしておく。眼鏡ハードケースも必要だ。

あとは肉屋で缶詰と車内で齧るものを調達しておくのと、パエリヤとザウワーボーネンを作って運ぶ準備をしておかないといけない。

宿の情報なども必要なものはDLして、演奏会の入場券などもプリントしておいた。到着時刻等も連絡しておいた。

その他の事務関係の片付けられるものは片付けた。旅行に出ようと思うとこれが結構面倒である。月曜には新たな件があったので、それだけで一時間程は費やされた。普段は時間がありそうなのだがこうして開けるとなるとなんだかんだと野暮用がある。

それでも短く集中して音楽のお勉強もするとやはりそれなりに車中で視聴していくだけの土台が出来上がる。さらにデジタル化されていない書物などにも目を通しておきたいと思うと中々時間が余らない。

本当ならば折角初めてのエルツ山脈の麓を通るのだから、あの周辺のプロテスタントの街にも寄ってみたい。しかし季節だけでなくて、兎に角無駄な時間がない。一度通っておくと身体で距離感が覚えられるので、又行きたいと思うのか遠いと思うのかはなんとも言えないのだが、今後の参考にはなる。

初日の旅行距離は500km程なので、少々疲れるぐらいで到達するが、二回ぐらいは休むことになるだろう。やはり握り飯でもある方が早く出てしまうので助かるだろうか。そもそも初日にどれだけゆっくりできるかどうかまだよくわからない。しかし雪も夜半にちょこちょこ降るだけそうなので、氷点下にも下がらず不凍液の濃度も今回は半分で十分そうだ。これだけでも助かる。



参照:
楽聖のアッカンベーる 2023-01-27 | 音
取りかえせるか人生双六る 2024-01-20 | 雑感
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欧州文化での進化

2024-01-23 | 文学・思想
資料音源などを調べている。先ず、ブーレーズ指揮BBC饗の録音は使い物になりそうにない。もともとブーレーズ指揮シェーンベルクは不評であったのだが、この録音に至ってはバランスがとてもぎこちない。なぜこのようになって仕舞ったのかは、ギーレン指揮SWR饗の名録音と比較すると、やはり声楽の扱い方ではないかと思った。それ程ギーレン指揮の器楽声楽のバランスが絶妙で、もしかするとこの指揮者の代表的な録音ではないかと思うぐらいだ。勿論、ペトレンコ指揮は全てにおいて軽く超えてくるだろう。

PDF化されているプログラム冊子を読むと最後にベルリナーフィルハーモニカーで指揮したのは1985年6月のドホナーニのようで、その前にはギーレンが1970年2月が初めてだったらしい。

やはり難物である。音楽的に詳しくは更に見ていくとして、解説のクラスティング氏がユダヤ人がプロテスタントに改宗して、更にユダヤ教に戻った過程をユダヤ人の視線から捉えていてとても興味深い。勿論ここでは作品の旧約聖書のモーゼの章のエザウの兄弟葛藤のことから創作の宗教性への言及となる。

非宗教的なリベラルな家庭から23歳で急に離脱して、その後カンディンスキーの影響などを受けたようだが、大きなきっかけになったのは1921年6月ザルツブルクに近いマット湖でユダヤ人逗留者が締め出された事件に遭遇して、欧州人として育ったのにドイツ人でも、欧州人でも殆ど人でもないと初めて気が付いたのだというのである。それによってユダヤ人は国が必要と考えるようになって、シオニズム同等の考え方にいたり、自身の政党を作る準備までしたとある。

ここでは、既に1912年に構想があって、1917年から準備を始めて、1922年に殆どのスケッチを書き終えた作品における宗教性が語られている。無神論者がどうしての説明となっていて、このことがこうして書かれているのを初めて読んだ。

古代宗教を残す一神教の源泉への触れることは難しい。そこに全ての根源があるからだが、シェーンベルクのその宗教性としてここで描かれていると同時に、ここでは一つの未完の作品の中にその音楽的な芸術的な進化が観察されるということになる ― その音楽的な姿を見届けるというのが今回のベルリン紀行の個人的な目的である。

そして上の解説文から分かるように、そうした進化論的な干渉が現実世界ではシオニズムからイスラエル建国へとの政治歴史にも観察されて、それがまさしく今日の世界であり、それは同時にこうした精神社会的な芸術行為に反映される。

このプログラムは早くから、先日のデュテュユーなどのプログラムに続いて演奏されることになっていた。10月7日のハマスによるテロ事件とは一切関係がない。しかし、それはなにもそれ以前から何一つも変わっておらず、何故アンチセミティズムが欧州社会の大きな問題になるのかは、ここに説明されている — ポストコロニアズム的な見解は一つのイデオロギーでしかない。

ソヴィエト出身の指揮者ペトレンコが宗教については今迄十分に考えて来なかったということで、この楽曲について語っていたのも当然のことながらこうした欧州文化の根幹に触れるという意味でもある。



参照:
世界の実相が描かれる 2022-03-06 | 文化一般
拍手喝采する意義 2023-11-22 | 文化一般
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第二次ベルリン紀行準備

2024-01-22 | 生活
旅行の準備である。今回は最近の傾向としては四泊五日になったので長旅となる。荷物は冬季でありそれなりに増える。服装もコートと普段着と部屋着で寝巻を入れて三種類は必要だ。靴も二種類といつもの宿泊靴、走る場所もないので運動着は要らない。一日は街を歩いて身体を動かす。車中で20時間近く過ごすことになる。

車中での参考音源を準備しなければいけない。その他資料や入場券類も整理。食料は徐々に決まりつつあるが、いつもの缶詰を購入して、ザウワーボーネンとパエリアを準備。チーズとバターとユ―グルト、お茶類を準備。ワインは二本持って行く。

髭剃り器充電コード、洗面具セットとバスタオル一枚。小銭は準備してあるので、車の燃料を前日には満タンにしておく。

旅行初日は9時に出れば何とかなりそうで、まだ明るい内に到着する可能性が強い。翌日のベルリンへもチェックアウトの10時に出れば途中でゆっくり休んでも14時にはパンコウにチェックインとなるので、こちらは余裕が出来る。演奏会場に18時過ぎ入りに荷解きしても十分な余裕がある。旅行日に早起きしても16時にエルツのザール河沿いに着けばゆっくり休める。夕食も近所で可能かもしれない。

旅行用のミニノートブックと携帯DACを持って行くのでそれも整理しておきたい。タブレットも場所を空けておかないと作動が不安定になる。

ベルリン市内では自転車が一番良さそうなのだが明るい季節でもなく雨もありえるので同じ所要時間でも車で乗り入れる。駐車料は地価の高いミュンヘンよりも安そうである。ミュージウムインゼルも外からだけで中には入ったことがない。近くに駐車するならばチャンスである。

観光は街を歩くと足も疲れて辛い。靴もすり減って良いことなしである。音源は、個人的にはシノポリ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの演奏の録音が最初であった。ブーレーズ指揮ではBBCでの録音が「ヤコブの梯子」と共にあった。序ながら探していると、シカゴでの「変奏曲」もあったがこれはすっかり忘れていたが、今更聴く必要もないだろう。

結局室内交響曲は手元のブーレーズ指揮マールボロ―祝祭楽団のCDのリッピング。普段はコピーなどしないので、方法を探していて、CD焼きのソフトをインストールしているのを思い出した。それで無事に該当トラックをコピー。除けておいて完全に忘れていたギーレン指揮「ヤコブの梯子」もコピー。これで両曲とも未圧縮素材を準備。更に後者では、ナガノ指揮2003年のベルリンでの録音、ドホナーニ指揮の1983年クリーヴランドでのライヴを車中で、ブーレーズ指揮1993年ベルリンの座付き楽団を振った実況中継と出発前にBBCでの制作録音を聴いておけば事足りる。前者はプリントの楽譜をあるので、精々DCHのラトル指揮の大編成版をDLしておけば、それで十分ではないか。

兎も角、月曜日火曜日で、一通り頭に入れておけば車中の長い旅が有効に活用される。運転以外は耳は集中できるのが良い。さて準備の時間が十分にとれるか。



参照:
いざ芸術島に渉るか 2023-09-13 | 文化一般
故コール元首相のご愛好 2023-09-14 | 生活
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有機初摘みダージリン

2024-01-21 | 生活
発注していたSDカードが届いた。無事初期化も出来たので問題なく使える筈だ。少しでも早い転送速度を感じられればうれしい。

序に発注したダージリンのファーストフラッシュを早速淹れてみる。見本は網のボールで淹れているが、対象比較の為にご愛用のティーバック袋を使う。色は誰かが書いていたように緑ではないがピンク風である。香りは沸き立つようではないがしっかり液面に浮いているような感じで、簡単に上に抜けない。味はうっすらと渋みを感じさせる方向で、セカンドフラッシュの様な発酵感は少なく、結構植物感がある。清涼感にも繋がるから夏場にもいいだろうが、それ以上にミルクには合いそうである。飲み干したカップにもねっとりと香りが残るのが面白い。ドンゴロスというか独特のあの英国の匂いに近いものがある。

ドイツでのブレンドであるが、これは英国風である。好きという人と両方いるのはこれゆえだからだろう。発酵が薄めということか。前々回購入していたファーストフラッシュがどちらかというと味のはっきりした薄いダージリンの感じであったので、こちらの方が好感はもてる。あと口の切れもいい。所謂薄いさっぱり紅茶味だ。要するにドイツは味濃い目のリプトンみたいな紅茶が好まれると思っている。

バーデンバーデンに出かける前にスーパーに寄った。変わり映えしない買い物であるが、ベルリンへはもう一度パエリアを持って行けると思う。ジャガイモサラダの方がいいのだが、冬で温めるとそれ程おいしくはない。まだ米類の方が前回同様にオーヴンでも温めやすい。傷みにくくワインがあれば夜食としても楽しめる。いつものサヴォワのチーズも購入したので一つ持って行けば、朝食のパンに合わせられる。バターだけ持って行けばいいだろう。

出かける前にエンジンオイルを点検するとやはり汚れが上についていた。温度のせいもあるだろうが、やはり少なすぎたのだろう。フィルター交換をしていないのでどうしても汚れが固まりやすくなる。ベルリン行前にバーデンバーデン往復で様子を見れたのは良かった。100㏄に加えてもう少し200㏄加えておけば往復で1800kmぐらいは走れるのではないか。不凍液は春までの分は十分にあるので、洗浄液は零下30度ぐらいまでには備えておこう。

マグデブルクのアパートメントはキャンセルしておいた。詰まらない街なので出来るだけ泊りたくもない。エルツ山脈の街も雪さえ積もっていなければ問題なく到達できる筈だ。

しかしそれでもバーデンバーデンからの帰りは雪が全て霧になっていた。ああなるといつも通ている道でも全くオリエンティーリング出来なくなるので未知のところに宿を求めて車ではいるのは大変だ。

暖かくなってくるようだが、やはり旅行にはジャージの夜具を持って行くことにした。自宅よりも寒いことは普通はないが、ガウンも何も無しにうろうろしているには暖かい寝巻の方が都合がよいだろう。

あとは長い車中の移動で如何にシェーンベルクをお勉強するかである。耳だけで可能なことを最大限利用したい。



参照:
セカンドフラッシュの濃く 2023-12-02 | 生活
迎へ酒の酔いがまわる 2023-09-20 | 料理
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取りかえせるか人生双六

2024-01-20 | 雑感
タイヤの交換が済んだ。雪の為に配送が遅れて、約束を30分ほど遅らせたことになるが、無事済んだ。但し価格は聞いていたものではなくて、200ユーロと80ユーロ程高価になった。先ずは新モデルそのものの製品で格安ものではなかった。その分手数料は古タイヤ消却も含めて安かったのだが、仕事もただの交換程度で残念だった。早く手配して早く交換可能して待ち時間もそこで見ながらで超高速だったことが幸いか。念の為に自身で全ての空気圧を燃料を入れる序に調べておきたい。

価格はベルリン行中に寒い中を調べる無駄な時間が掛からない事だけだが、勿論車がなくなれば二日もレンタル出来ない価格でしかない。なんとか一日でも長く乗り繋ぐだけである。そうなれば安いものである。

結局以前計測したスタンドに空気圧を測りに行った。正確に前輪2Bar、後輪2.2Barにしておいたので燃費はよくなると思う。タイヤの片減りはもう最終シーズンなのでどちらでもいい。二月少し使うだけだ。

木曜日はしっかりとした積雪となったので、また気温も低かったのでいつものところは走らなかった。その代わり年に一二度のワイン地所の本格的積雪を歩いた。走るために上着を抜くのも億劫だったからで、その代わり50分ほど歩きまわった。なによりも気が付くのは歩く速度が速くなったこと、そして坂の上りでも負荷をあまり感じなくなったことで、やはり坂上りの習慣が大きいらしい。尤も距離は若干伸びたが登高距離はいつもより短かった。

土曜日のマーラーの三番は全くお勉強できていない。どこかで時間を取らないといけない。前回聴いたのはもしかするとサロネン指揮ロスフィルかもしれない。何故四半世紀も聴く機会がなかったのか?規模も大きく、少年合唱が必要なので演奏回数も少ないのかもしれない。この間で話題になった演奏は、ルツェルンでのアバド指揮とか、ペトレンコ指揮のお披露目演奏会とかになるだろうか。それ以外では十八番にしているサロネン指揮とかメータ指揮になるのかもしれないが、よく分からない。そして結構忘れていて、どのような構造の曲だったかを思い出している。バーデンバーデンへ行く前にはスーパーに立ち寄るので、来週の旅行も考えて、買い物メモも付けとかないといけない。間に合うか?

金曜日は陽射しが強かったので日暮れまで走っておいた。以前のパン屋に通っていた時に走っていた一番長いルートを選んだ。石砂利を林道に引いてから走り難くなっていたので、根雪があってその上に乗っているときに走ってみたかった。ジープの轍の上を走ったが結構走り易かった。なによりも急坂に慣れていて、足にはあまり来ない。息遣いは適当に抑えれば走れる。最高記録31分ぐらいのところを43分ならばまずまずだと思う。

郵便桶にルートヴィヒスハーフェン市から郵便が入っていた。直ぐに例の記念撮影の件だと分かった。開けずに指で分厚さを測る。異議申し立てや犯人特定の聴取でないことは分かった。分厚さが違う、精々振込用紙だと分かった。

帰宅後に開けてみると写真付きで、誤差3キロ引きの9キロ超過で時速59キロでの警告金であった。要するに点数にはならない。中程度の駐車違反並。80ユーロぐらいは覚悟していたので、50ユーロ程プラスでタイヤの料金の一部を取り返せた感じである。これで燃費さえよくなれば。



参照:
長い旅の終わりに 2023-09-24 | 雑感
氷点下の峠を攻める 2016-12-03 | アウトドーア・環境
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二元性のジャーナル

2024-01-19 | 
承前)二楽章の調の長短の妙を味わった。そしてモデルとなった「テューレの王」のツェルターはメンデルスゾーンの先生で偲んだのであった。同時にナポリ周辺での感興がそこに添えられる。ムーティ指揮での秀逸はやはりそこでのヴァイオリンのカンタービレであり、バスのリズミカルな支えが如何にも旅人のそのデュアルな視座を明らかにしつつ、目前の環境に心象風景を浮かび上がらせる。その和声的であったり律動的な精妙さはまさしく19世紀のモーツァルトである。

著名なユダヤ人学者モーゼス・メンデルスゾーンの孫として豊かなメンデルゾーン銀行の家庭で育ったプロテストタントの作曲家は、そうした素性から飽くまでの品の良い作曲家であるという評価があって、現在でもそれが継承されている。そのように、次の三楽章での鳥の掛け合う囀りに続く、トリオのホルンとファゴットの掛け合いがこれまた絶妙であり、カトリック教会の鐘とかとされるのであるが、明らかに二重構造の中にあるのはその長短の構造からしても明らかだ。

モーツァルトの「フィガロの結婚」などにおいてもその舞台が南欧であるほどに余計にそうした文化的な二重構造が聴こえてくるのだが、メンデルスゾーンにおいてもここではゲーテの「イタリア紀行」に従うと同時に、そこに明らかに異なる視線の存在を感じさせる。

終楽章のサルタレッロの踊りこそはまさしくイタリアの舞曲であり、ゲーテが彼の地での感慨を綴ったような観察者のジャーナルであるとともに、それによって初めて自己への客観性が得られる。そこに有名な「外国語を理解しないものは母国語も知らない。」という名言が浮かぶ。

ナポリ出身の指揮者ムーティがこの曲を十八番としたのは勿論その故郷南イタリアの舞台があるからであるのは当然として、やはりこうした視線の錯綜が取り分け興味あるものであったことを示すに足るのはその多層的でジャーナリスティックな演奏実践であったことでよく示された。例えばダイナミックスのつけ方で、それが遠近法にもなるという、まるでベアヴァルトの交響曲のような効果となる。

音響的な美しさは最終的には感覚的なものであったとしても、そこには芸術たる節度があってこそ初めてこうしたデュアリズムの構造が浮かび上がる。それはその清潔で明晰なアーティキュレーションとして、メンデルスゾーンの質の高さが示されることになる。

ここまで聴くと、翌日の二つ目のツアープログラムにあるプロコフィエフ交響曲五番が如何に立派に演奏されるかが十分に想像できた。

そして一曲目のグラス作曲「オクタゴンの勝利」は、白銀分割のカステルデルモンテの城をイメージしたもので、作曲家自ら献呈した指揮者ムーティが子供の頃に家族とともに遠足に出かけてその壁を攀じたという追想をインタヴューした印象として語られる — 映画「薔薇の名前」のロケ地でもある。これ程素晴らしい最後のシーズンオープニングのプログラミングはなかったであろう。そこでハープを含む八種類の楽器群がミニマル音楽をアンサンブルする。その終わり方もいいが、中々味わい深い作りになっていて、楽器法的にも興味深い作品である。(続く)



参照:
引き出しに閉じる構造 2007-01-11 | 文学・思想
「ある若き詩人のためのレクイエム」 2005-01-30 | 文化一般
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先祖代々の家訓かな

2024-01-18 | 生活
散髪をした。これでカーニヴァル迄気持ちよく過ごせる。床屋に出かける時に滑りそうになった。美容院では朝から予約キャンセルの電話が鳴り続いている。年寄りは歩くのも不安だろう。車に乗るのも控えるように警報が出ていれば仕方がない。しかし心配していた店側の人は問題が無かったと語った。アウトバーンは開いていて、脇道を注意するだけだったとして、氷の雨ではないからねと答えておいた。それでも車はしっかり氷が着いていたようだ。前日から1ユーロ値上がりしたということで、聞いてから余計に出しておいた。次からは小銭か釣りを考えなければいけない。

そろそろ来週への準備である。ピクニックなどを考えておかないといけない。その前に週末にフランスで買い物をするので、その都合も考えておく。そしてその前にタイヤを交換することにした。

ルクセムブルクに出かける前にスタンドでタイヤ圧を計測した。左前が1.9で、右前が1.4Barで、確かマイスターが先週水曜日に1.7にしておいたと語っていたので数日で0.3低下したことになる。そこで敢えて左右とも標準圧の2.0Barまで上げて、そして遅くなった帰りに態々午前様で同じスタンドに立ち寄って計測する。左は変化なしで、右は1.9に落ちていた。これでは数日間の旅行を検査無しには走り通せない。それだけで面倒なので、早速発注したのだった。恐らくそれまでに再び目視で分かるようになるのではないか。正直、空気が抜けていないと間違って他のタイヤを替えられてしまうかと不安に。

月曜日にカメラの64GBのSDカードが一杯になった。急いで発注した。倍の額で128GBの記録速度200MB/sがあったが、ヴィデオレコーダでもないのでいらない。140MBでも十分早い。

これで土曜日のチェコフィルの写真を撮れる。SDカードを消去して初期化してもやはり信頼性に欠けるのではないか。64GBでも写真だけならまだまだ使えただろうが、思っていたよりも早かった。マイクロになっているのをカメラで使ったことがないので、どうなんだろう。

ベルリナーフィルハーモニカー日本公演のオンデマンドを無事に流す。最初の時に流した時は、オーディオはディレイになるシステムなので、これで映像と合わせて聴けるようになった。これからじっくり流したい。

モニターでスクリーンショットも撮れなかったのでNHKのコピー防止の新システムかなと思ったが、理由は分かった。その背後が透明になるようなシステムでクロームなどでは自動的にそうなるようだ。解決法は分かった。今迄に出合わなかった透明人間方式なのでちょっとびっくりした。モニターで観ているそれは幻なのかと考えてしまった。

ネット世界には様々なものがあり、またデジタルメディアも様々なコピー防止策が取られているがどれもこれも破られる。だからソフトの商品に金を支払うつもりも今後ともない。宣伝等も極力抑え込む。先祖代々の家訓である。



参照:
2019世紀のイタリア旅行 2024-01-17 | 音
虹の架かるレーマーベルク 2023-11-10 | 雑感
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19世紀のイタリア紀行

2024-01-17 | 
ムーティ指揮はコロナキャンセル直前の前回のツアー以来だった。殆ど前回の並びの席で今回も聴いた。シカゴの弦楽陣がよくなっていた。尤も前回は「オランダ人」序曲、ヒンデミート「画家マティス」と新世界だったが、今回はグラスの新曲に続いてメンデルスゾーンの「イタリア風」であった。

なるほどシカゴも人数を絞って中規模迄刈り込むんでいたからだが、久しぶりにフィラデルフィアを超えて大管弦楽団でベルリナーフィルハーモニカーに匹敵する弦楽陣の表現力を聴いた。前回とは大違いであり、恐らく通常以上の準備も出来ていたのだろう。ベルリンでその規模でどこまで行くかは若干疑問がある。

この曲で今後これだけの演奏が聴けるかどうかは疑わしかった。どれぐらいに素晴らしかったかというと、通のお客さんから私を含めて第一楽章のあとにブラーヴォ―が飛んだのだ。交響曲で曲間に拍手したのは初めてだった。

一楽章でのその響きの素晴らしさは、コーダ部では拍手が来るだろうと思っていたぐらいだから、どれだけ特別なことだったか。管楽器の所謂混合音色がその滲んだ音響を響かすだけでなくて、そこには蒼空があって、そして趣があるのだ。だからシカゴのあの乾いたつるつるしない澄んだ響きが清涼感を与え、制御された金管のエッジが通る。

ムーティの指揮は自由自在の制御からのピアノとのダイナミックスが遠近法感を与えていて、そしてその天性の活き活きとしたリズム感をカラヤンを模倣するルバートによって、和声的な陰影を余すことなく伝える。嘗てアバド指揮ではそうしたイタリア建築におけるニッシュの光と影のコントラストのようなものが語られていたのだが、ムーティ指揮においてはそこ迄は至らないべたな色彩感しか語られることはなかった。

ここ数年の欧州での指揮においてもどちらかというとその思わせぶりなそぶりゆえにその音楽の深みを削いでいた様な評価が多かった。それゆえに今回の楽曲への熟知ぶりととても丁寧な仕事ぶりは驚愕であって、これだけの演奏をしたイタリアのマエストロを知らない。ジュリーニ指揮にはこのような天性のものはなかった。

こんな枯れて渋い音色を出しつつ対位法的な扱いで更にその和声的なぶつかりあいも得も言われぬ興となっていて、尚且つ活き活きとしたリズムがそこに刻まれる。このような音楽を初めて聴いた。

二楽章の主題はツェルター作曲の歌曲「テューレの王」似の旋律とされて、作曲家がイタリア旅行前に亡くしたその作詞家ゲーテを思いを寄せ偲ぶアルプス以北の芸術感が語られている一方、当日未明に昨年のシーズン初日として実況中継された録音を聴いて、ムーティ指揮ではそれは明らかに異なるなと感じていた。実際にナポリ地方の印象がそこに重ねられるとなる。

やはりそれにおいてはその長短の調性の扱い方などもどうしても19世紀のモーツァルトと呼ばれたように、この作曲家の作風でもあるのだが、より注目したいのはその美しさの構造となっている事だ。一般的には第三交響曲「スコッチ風」が代表作とされるようなのだが、そこではこれ程の音響とはなっていない。(続く



参照:
シカゴ交響楽団のサウンド 2020-01-25 | 音
独墺交響楽の響き 2021-11-24 | 音
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異なる境地に至る学び

2024-01-15 | 
週末はペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの中継を観た。一つは生中継でベルリンから、もう一つは昨年の11月の東京からの二種類である。

前者は、デテュユ―の交響曲とバルトーク「木彫りのプリンス」のプログラムである。初日の地元の批評では大絶賛されていて、首席指揮者に就任してから最も素晴らしい演奏会だったともあった。

その意味するところは、その新しい響きであり、戦後の同時期の前衛とは一線を画していて、ブーレーズの様にはならなかった作曲家の作風である。その細やかな演奏は、昨年の九月の音楽祭におけるイレーッシュの作品の世界初演の様子を思い起こさせる。その曲を演奏する為にあれほど面倒な事をしてと思っていたが、そうした骨の折れる「練習」は決して無駄にはなっていなかったという事だ。

ぺトレンコ指揮のプログラミングはこうしたカリキャラムが構成されていて、演奏会を開きながら聴衆を含め皆が学ぶようになっている。そうでなければこうした演奏は不可能だった。当地のラディオは初日のお客さんの反応も絶賛していた。

そして詳しくは機会があったならと思うが、交響曲第一番の一楽章「パッサカリア」はブラームスの第四番の四楽章から続いている。その四番は東京公演からの中継録画がNHKで初放映された。サントリーホールでの11月24日の実況中継録画であった。

こちらの方は、ネットで特殊な条件で観た為に結論的な事は今は語れないのだが、その映像に合わせたミキシングが為されていて、音だけを聴くと違和感があった。なるほど杮落とし後に反響板などが修正されたというが、舞台上の音がよく聴こえる。反面当時日本で信じ込まれていた二秒という長い残響がホールトーンとして録られていて、その影響をあまり受けないようにサブのマイクロフォンが強く捉えられていて、メインとの間で違和感が生じている。しかしこの映像はこの週は見逃し配信されているので繰り返し再生することになると思う。

カメラアングルは多くの奏者を抜くようなコンセプトでそれなりに音楽的にという意思が制作者にあったのだろうが、なによりも全体的な纏まりが悪かった。ベルリンのフィルハーモニーを手本としたといわれるのだが音響は全然異なる。このホールでは到底メインのマイクロフォンでは十分な音は録れないのだろう。

ベルリンの生中継の為に曲目解説でペトレンコが語っているのだが、こうしたベルリナーフィルハーモニカーが今まで一度も演奏していないにも拘わらずとても重要な作品であるのとは反対に、「英雄の生涯」の様に楽団の肉と血となっている曲を指揮する場合は異なっていて、それでもアジアツアーで最後にはまた異なる境地に至って自らも学ぶことがあったと態々付け加えていた — 明らかに日本での反響などを意識している。

そしてバルトークのバレー曲などは、楽劇「影のない女」のおとぎ話と同様に舞台化するのがとても難しいが、それ以上に音楽自体が語るものが細やかで遙かに超えているというのである。先日シュトッツガルトとの音楽表現比較で私が述べたことそのものの事であり、ペトレンコは私が書いたものを刻一読み込んでいるとしか思われない程である。まさしくこれこそが音楽的な内容でその表現の目的。



参照:
意識的に忘れた録音 2024-01-13 | 歴史・時事
机上の年末整理など 2023-12-31 | 文化一般
コメント (2)
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全量注入予定の不凍液

2024-01-14 | 生活
月曜日の演奏会の楽譜を準備した。メンデルスゾーンの「イタリア」とシュトラウス交響詩「イタリアから」である。最初の曲のグラス「オクタゴンの勝利」は未明にシカゴから放送されるのを録音して車中で聴いていくしかない。

それ以外の参考音源はまだ決まっていない。「シュトラウス」の方は流石にその音楽語法はもう分っていて、改めて模範演奏を探す必要もないと思う。なによりもムーティの十八番なので、その演奏歴の中からエアーチェックも持っているが比較対象になりそうな演奏を探してみたい。メンデルスゾーンの方は曲を改めてお勉強してみないと分からない。

三曲とも車中で流すが走行時間からすれば一回流して、二回目も流せるので一部繰り返しで十分な時間はある。時間的余裕をもって、開演の一時間半前の18時に車庫入れとして、2時間ぐらいの道程を3時間見積もればなんとかなるだろう。

お昼をゆっくり摂ってから出かけられて帰りは午前様にならない。夜食を考えておけば良し。恐らくイタリアンヌードルになるのではないか。カルボナーレがいいのか、トマト仕立てがいいのか。

天候は、気温も摂氏零度前後で、少し雪が降るぐらいで積もることはなさそうなので、タイヤの調子等問題が無ければ、それ程大きな問題とはならないだろう。

土曜日午前の状態は、目視等では空気漏れなし、恐らく計測しても正常値だと思われる。確かに冬タイヤは斜面の下の方が潰れている傾向がある。燃料は入れられなかったが、数十キロでも荷重しておいた方が分かりやすいか。現在の走行感は冬タイヤとしては張り過ぎな感じで、11月に交換した時よりも圧が掛かっている。

床屋の予約とか寝具の交換とかを考えているが、目安は復活祭の3月末、その前は2月12日のバラの月曜日、その日辺りから即ち謝肉祭で冬は終わる。すると寝具も厚いと場合によっては雨が降ったりで足の裏に発汗したりでジャージの寝具ではなくなる。要するに替えるなら今しかない。

ジャージに取り替えたのでそこにベッドカヴァーを組み合わせるとかなり暖かいだろうなと思う。この冬は寝室の暖房を切ったのだが、寒さはあってもなんとかなっている。強いて言えば朝が起きにくかったぐらいだろうか。これでそれも改善されるか。

散髪はベルリン行にさっぱりしたいのだが、予約の日程を決めかねた。なぜならば来週は土曜日にお出かけがあるので、その前ならば水曜日ぐらいが都合がいい。しかし、厳寒と雪が予想されていたりで決心がつかない。更に車のタイヤのことが気がかりなので、週頭は開けておきたい。

それでもベルリン行の週は寒気が緩む予想となっていて、それならば降雪も限られていて、エルツ山域に宿泊可能かと思う。そしてベルリンの週後半は暖かくなりそうだ。すると余計に散髪が必要になる。

車の洗浄液は、現在の儘来週をやり過ごして、その次の週の野外駐車の時に購入した不凍液を残りの殆ど全量注入して、薄めて行けば事足りると思う。



参照:
セカンドフラッシュの濃く 2023-12-02 | 生活
朝起きラディオ放送録音 2023-11-18 | マスメディア批評
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