Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

冬籠りへの準備計画

2020-10-17 | 料理
聖マルティンの日にはまだ遠い。10月には軽くカモの胸肉の燻製を食した。今年は11月の寒い11日になる。子供たちの提灯行列に参加したのは一度しかないが、今年は限定されるだろう。この週末は夏時間最後の日曜日で来週の日曜日は冬時間になる。結局今年は日曜日はパン屋は開かず仕舞いで日曜日の運動は限られた。

冬時間までは頑張りたいが、冬籠りの準備を来週から始める。ノートブックも新規出来ていないが、まだ処理速度が遅いと感じることはない。ドッキングステーションの威力が大きいだろう。寧ろストレージに使っているNASの容量をどのように都合付けて行くかを計画しなければいけない。

あと心配なのはヒーターが充分に機能するかどうかで、ボイラー交換前に壊れられると堪らない。安定しないだけで寒い夜を過ごすことになる。昨晩は上掛けを被って就寝したがやはり明け方は寒かった。もう少しカヴァーを重くなっても厚めのものにして保温性を高めよう。

来週後半あたりが乾燥しそうなので窓掃除の最後の効果的な週になるだろうか。上手く終わると室内も明るくなり、新年を気持ちよく迎えるようになる。年内の陽射し効果は限定的であるが年明けからが全く変わる。

録音していた幾つかを聴いた。先ずベルリナーフィルハーモニカーの定期をヤノスキーが振ったもので、ブルッフとブラームスが演奏されていた。指揮者が何が出来るのか出来ないのかは昔からその録音等を聴いている人は知っていて、最近のバイロイト音楽祭デビューでの指揮も一発芸を身につけたぐらいでしかなかった。しかし失望させて呉れたのはコンツェルトマイスターのアンコールで、ああした客演指揮者の軽い演奏会と言ってもまるで学芸会のようにバッハを弾く意識にはたじろいだ。やはりどんな一流のコンツェルトマイスターでも結局頭が悪い連中だなと思うだけだった。

週末は、ベートーヴェンの変ロ長調弦楽四重奏曲大フーガ付きの勉強である。今のこの難しい時期にこうした機会を五月に続いて迎えられるだけでもよしとしたい。さてどこまで分析的にお勉強できることだろうか。五月の演奏を思い起こすと一筋縄では到底いかない。



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篭り部屋での最初の夜 2016-10-15 | 生活
アラテデスコの響き 2020-06-25 | 音
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11月8日から変わる規制

2020-10-16 | ワイン
水曜日に州や大都市の代表やらがメルケル首相に諮問した。その結果は既に出ているような指数35と50を過ぎた時の対応だ。その中で個人的に興味があるのは二点、一つはマスクを人が寄って若しくは長い間寄る場所では義務化するという点ともう一つは危険地域からの宿泊の拒否の二点である。

更に危険地域から帰国の規制では48時間ルールに代わって10日間ルールが11月8日の一週間先から適用される。つまり10日間該当地域に滞在した者となっている。その入国後の五日以内にPCR検査を受ける。無料ではなくなって有料になのは現状通りで、検査によって10日間の自己隔離を短く出来る。

先ずマスクの件は、35を超えた時点で効力を発揮して50を超えた時点では催し物も100人以下となる。それ以上は特別な許可が必要とされる。つまり此の侭ならばフランクフルトのアルテオパーでのベルリナーフィルハーモニカー公演もバーデンバーデンでの公演も特別な許可を新たに必要とする。但しケルンとは若干異なるところは500人を収容するようになっていることで、実施の為の席替えなどは必要ない。それはベルリンの場合も問題になるところで、11月からも流石に500人も入れられないだろう。

その時にはマスク着用が義務付けられる可能性がある。そこでその場合の為に絹のマフラーを発注した。少なくともマスク着用しているよりも気分よく座っていられるものである。運動着の時はいつもスカーフを使っているが、それは後ろで結んでいるので流石に目障りだから、お出かけでも使えるものが欲しかったのだ。30㎝x180㎝で鼻から顎まではしっかり隠せる。先ずは生地であるが、化学処理したツルツルのものでなくて起毛風のものがあったのでそれを選んだ。理由は鼻にかけておいても滑り難いだろうという推測からである。但し上手く抑えれないと息が上にあがって眼鏡が曇る。それはサージカルでも押さえ込みが上手くいかないのと同じだ。少なくとも口元のフェースマスクは音が変わり、更にマスクとしては認められない。しかしスカーフ等は有効なのである。先ずは届いてから吟味しよう。

宿泊の件は、一部の州では禁止に反対していて、例えばラインラントプファルツなどは既に断念していて、今週初めから多くの見慣れぬ番号の車がザウマーゲンを買いに来ていたので気が付いた。水曜日にはメルケル首相の元で一致しなかったので、11月8日にまで暫定的実施された州があった。その一つがバーデンヴュルテムベルク州で、早速マンハイムの行政裁判所で一先ず法的に整っていないとして州の出した禁止処置は失効した。

兎に角、このような状況では、楽しみにしているベルリナーフィルハーモニカーの国内ツアーも確実という事は何一つない。準備をしておくなりの対応が関係者ならずとも求められている。

先日久しぶりにブルゴーニュを空けた。何時スーパーで購入したかは覚えていないが、今年は日曜日にしか通ていないので買い物はしていない。昨年の復活祭時だろうか?スイスへの帰りに一度立ち寄ったか。来月は土曜日だからスーパーが開いているかどうか。先ずはこれを飲んで次の買い物を予想しておいた。悪くはなかったが、もう少し熟成感も欲しかった。今晩はこれから1995年のボルドーのメドックを開ける。



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クレッヅマー風の音楽も 2019-07-15 | 雑感
十日間での結果を見る 2020-10-15 | 雑感
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十日間での結果を見る

2020-10-15 | 雑感
このところの欧州、ドイツの第二波の勢いは凄い。明け方に寒くて何度か目が覚めた。外気温は摂氏五度ほどの様だったが寒々した。まだ夏時間である。紅葉も未だで、これで急に冬らしくなってくるのだろう。小雨が降っていても例年と比較すると乾いた感じが強い。するとウイルスは飛び回る。恐らくこの感染の強さは気候にも関係しているだろう。

多くの人がウイルスを巻き散らかしているので追跡調査が難しくなる。地元のワイン街道でも一挙に指数47と危険地区認定に迫った。調べてみると、圏外からの生徒がワイン街道北の端のグリューンシュタットの学校に通っていてそこで感染を広げたようだ。その生徒は家庭での大宴会から感染したようで、酒を飲み交わさないでも酒席にいたりすればまたは家族が感染すれば直ぐに感染する。

その学校の陽性の女子生徒が80人もの接触者がいるとなって、担当局は週末返上でタスクフォースで対応したというがとっても人手不足を訴えている。そのような生徒が何人もいれば直ぐにお手上げになる。ラインラントプファルツの方針としてクラスター潰しで対応していくという事で、実際に今迄の勃興に対して叩き潰してきたのは数字を見ても納得している。しかしそれにも限界がある。先ずは人と人が近づかないことでしか塞ぎようがない。

フランクフルトなどの大都市になると、追跡調査も大変なので軍が協力しているというが、手が回らくなったところでロックダウンしか方法は残されていない。どこでやるかだけだが、ヴィーンの様に医療機関が危なくなってきてからでは被害が既に出ていることになる。

バーデンバーデンも今回初めて春の水準を大きく超えて指数47となった。クラスターが生じたからだと思われるが、小さなクラスターなので壊滅は可能だろう。市は当面は制限をしないという。直ぐに更なる感染を防げるならば数字は制御しやすい。同様な例が欧州最高の新感染指数876を叩き出しているヴァティカンである。その意味からも状況が悪いのはベルリンの中枢ミッテの112.5でこれはある意味ヴィーンよりも質が悪いかもしれない。中央政界や役人やロビイストなどは外出禁止になる。

指数50で危険地域という事に疑問の声も上がるというが、十万人に100で住民に対して千人に一人の陽性者である。つまりホールなどに千人が入場すると間違いなく一人は陽性者でその十倍以上は感染者となる。そのような人が隣にいるとなると感染する確率は高い。マスクをしようがしまいが隣にいて会話を交わしたり前を膝をすり合わせて通り過ぎたりすればクラスターを生じる可能性は強い。

ミュンヘンの歌劇場がザルツブルク方式をモデルとして、特別に500人の入場者で公演をしていたが、客席に一人、舞台裏に三人の陽性者を既に記録している。幸いクラスター化は起きていないようだが、そうしたところで一席おきに実験的に入れたりするのは矢張り危ない。10月14日から指数50を超えて再び公演中もマスク着用になったというが、休憩時間にマスクを取って飲食をする一方公演中にマスクをさせるのは非合理的である。ベルリンのフィルハーモニーも同様な処置を取ることになっているが、恐らく夢物語に終わるであろう。早めに減員した方が公演を守れるだろう。エアロゾール感染対策に殆ど効果が期待されないようなマスクをしているのはただの馬鹿者である。

基本は、50を超えて対策を打って十日後にも増加が止まらなかった場合、更なる厳しい対策をする。メルケル首相はマスクしか頭にないようだが、接触を避ける事しか方法はない。催し物も更に規制して行くという。また企業への一時金は2021年6月末まで続けるというような話しになって来た。要するに来年の夏までは正常化しないことを前提に対策が検討されている。



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淘汰されていく市場 2020-10-14 | 文化一般
魔よけのような光 2020-10-11 | 文化一般
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淘汰されていく市場

2020-10-14 | 文化一般
車中のラディオでマクロ経済の教授が話していた。コロナ禍で社会的な政府が必要性に皆が気が付いて、自由経済のその力だけでは何も出来ないことが分かったと。要するに市場経済のメカニズムを上手く取り込む政府が必要なのだと語っていた。確かハムブルクの大学の教授だと思ったが、必ずしもSPDのブレインという感じではなかった。

先日から何度も触れていた詰め込み過ぎのケルンのフィルハーモニでのベルリナーフィルハーモニカーのツアー公演が販売を中止した。火曜日に発表された基準ではケルンでは公演が出来なくなったからだ。つまり新感染者指数が十万人中に66人に達しているケルン市では一切の興行が不可能になるか室内250人まで若しくは野外で500人までの催し物しか許可されないからである。あと三週間では不可能。

因みに同州の都市ではデュッセルドルフも55で駄目である。アーヘンなども直に越える。ドルトムントはまだ余裕がある。

既に販売されていたのが半分も売れておらず300人前後の売れ行きだったのでそのままの開催もあり得るたかもしれない。丁度オーストリアのフォアアールベルクでの状況に似ていて至近の演奏会は既に中止されている。本来なら定員半分の800近くを入れようとしていたので、その半分も売れず更に削減しなければいけなくなった。初めから500人ぐらいで販売していれば良かったのだが、こうした地域は必ず感染が広まってロックダウンの恐怖に曝されるのである。ヴィーンに続いてベルリン、ケルンなどは自分の手で自分の首を絞めているようなものなのである。

驚いたことにザルツブルク郊外の祝祭にも使われるハ―ラインの谷で結婚式披露パーティーから大クラスター化したようで、州自体が一挙に50を超えて、ロベルト・コッホ研究所の危険地帯なろうとしている。一週間以内に抑えられなければ、オーストリアのスキー地帯は壊滅の危機に曝されるかもしれない。

しかし慎重にしていても徹底出来ないフランクフルトなども危ない。数字からすればまだヴィーンなどの半分であるが、既に60を超えて危険地域になっている。ここ十日ほどで効果が見られなければ同じような処置となる可能性がある。

バーデンバーデンは市自体が小さいので問題にはならないが、バーデンヴュテムベルクも34と微妙なところに差掛っていて、注意を要する。なんとここワイン街道も最高の34に至った。直ぐに落ちる可能性もあるが、35を超えると街中でもマスクとなる。そんな場所があるのかどうかは知らないが、兎に角宴会やパーティなどは中止である。自宅で飲む場合も一人酒か家族以外はもう駄目である。店仕舞いも早くした方がいい。

興行においてもリゾート観光にしても一度離れると戻ってこないものもある。要するに淘汰されていくことになる。



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音楽会マスク着用様々 2020-09-20 | 雑感
あまり信用出来ない人々 2020-10-13 | 雑感

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あまり信用出来ない人々

2020-10-13 | 雑感
オーストリアから手紙が来た。入場券が入っていると思ったら入っていなかった。ネットと同じ延期になる通知で、最低公演日前には知らせるべきものだろう。しかし電子メールでの通知にしなかった理由は分からない。そして間に合うように新たなティケットを送ると書いてある。

更にネットと同じ延期情報と共に断り書きが付いている。それによると再び若しくはこのまま250人体制が続いた時の非常処置としてプランBを既に練っているという。そして言及のあった全てをブレゲンツの祝祭劇場で行うとある。それが謎だったのだが、大ホールを越えて演奏されるとある。更に最終日日曜日の都合を開けておいてくれと書いてある。一体どういうことだ。

有り得るのは、大ホールで演奏して他の空間へ中継される若しくは野外劇場を使うという事になる。それならば会場に250人、更に野外に500人その他の部屋に入れて900人程は可能だろうか?しかしこの寒い雪が降ろうという時に野外は座るだけでも無理だろう。一体どのように席分けする心算かは知らないが、この人達を全く信用できなくなってきた。面倒で、有料になるが電話しなければいけなさそうだ。

昨晩も考えていたのだが、48時間ルールを適用すれば通常のお客さんは危険地帯でも入って48時間以内に引き返せば問題が無い。指揮者はオーストリアのパスで滞在してもPCR検査を五日ぐらい後にすれば構わないのだが、その間は動けない。

キリル・ペトレンコ指揮CDボックスを再び最初から聞き始めて、再び比較してみたくなった。先ずはSACDの「悲愴」である。やはり音がけばけばしく喧しくてあまり聴いていられない。なるほど音質は悪くはないのだが、なぜか嘗てのサイモン・ラトル指揮のハイレゾの音にも似ていて喧しい。SACDのグラスマスターと今回のCDが異なるのは当然として、それならば当時DL出来た192kHzハイレゾファイルを再びPCで流した。つまりSACDマスター作業で何かが変わったのかどうか?

結果は当時DLしたマスターとされるハイレゾファイルとの差はDSD変換しないでも殆ど無かった。音の傾向は喧しい。それならばという事で大きさも編集も全く同じように思われる新たなファイルを聴いてみた。やはりこれが音楽的で深みがある。

つまり今もDL可能だろう「悲愴」192kHzのマスターとされるファイルは見かけ上は同じだが二種類存在することになる。殆どイコライザーを弄ったような差があってどのように差が付いたのかはよく分からない。

所謂編集作業のポストプロダクションをやり直せばマイクのミキシング等も変えられるが、そこまですると最初から傷等の編集のやり直しになるので有り得ないだろう。有り得るとすればCD五枚を揃えるための音量などの調整となる。あまり故意の調整は考えにくいので、あるとすれば、以前の「悲愴」のマスターリングのファイルのコピーなどが煩雑に扱われていて、今回は時間を掛けて行われたことぐらいしか考えられない。兎に角、音質は遥かに良くなっていて、実演でも問題になっていた総奏での「潰れ方」も良く聴き分けられる。ダイナミックスレンジは下の方に拡がっていて静かな落ち着いた音響となっている。とても満足だ。

月曜から一っ走りしておいた。予想に反して雨が残ったので、鬱陶しかったが、火曜日以降の都合などを考えると中々出かけられないので、なんとか済ました。これで先週の月曜日から五日走ったことになり体調を保てそうである。

ショスタコーヴィッチの第9と「メタモルフォーゼン」の楽譜を何とか準備した。前者は初めてお勉強する曲で生では聴いたことが無い。ショスタコーヴィッチの交響曲は4番と8番と11番しか聴いたことが無いと思う。5番と6番は、不明で、記憶にない。「メタモルフォーゼン」も記憶にない。シェンベルクの「浄夜」も楽譜を見た覚えが無いので先ずはダウンロードしておく。



参照:
千人収容の夢物語 2020-09-27 | 雑感
強制退去のつがい 2020-10-09 | 雑感
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魔よけのような光

2020-10-11 | 文化一般
再びペトレンコ指揮ボックスを鳴らす。再びのCD演奏である。使っているプレーヤーは自動的にDSD変換される。PCから192kHzをDAコンヴァーターを通した時のようにデジタル出力すればPCMとしても再生可能だが、ハイレゾをPCMダイレクトで再生したのでCD再生はDSD変換を其の侭デフォルトとする。

最初のCDのべートーヴェンの交響曲七番の一撃からして音の立ち上がりも切れも緩やかになっていてスピード感が異なる。少なくとも音響の優れたホールではこのようには丸くはならない。但しこれはこれで音として流しておくにはとても気持ちが良い。DCHのネット配信の音響に最も近いが低音がよく出て引き締まっている。ある意味高音とのバランスがとても美しく高級装置でのLP再生のようだ。フォルテもフルに鳴り、ダイナミックスレンジはとても広い。

ザルツブルクの復活祭のコロナ対応が発表になった。オペラ「テュ―ランドット」は舞台を排してコンツェルタンテ上演になるようだ。既にどれぐらい出ているかは知らないが、1400人入れるというから一席おきに座ることになる。モデルは夏のザルツブルクという事でそれよりは確実に実行可能で安全だろうという事だろう。恐らく同時期のバーデンバーデンも検討に入っていると思われるが、半分を何時から入れられるかは不明である。寧ろ危険な層にワクチンの第一次配布が行われてそれなりの効果が表れたならば制限を取り外せる筈だが、どうだろうか。やはりドイツの方が判断が難しいのは舞台上での間隔もあるために、そちらから片づけて行かないと奈落が使えないことになる。

新たにバーデンバーデンの祝祭劇場再開の案内ヴィデオが出ている。駐車場は変わりなく、入り口でヴィデオ監視でマスクの着用有無と共に体温測定があって、マスクを忘れた人はサージカルを2ユーロ、ロゴ付を8ユーロで購入可能となっている。以前と変わらずロビーで駐車料金を支払える。更にここの特徴は直営の飲食が出来ることで、またクロークも使える。人の寄るところは空港のように整理されていて、ざっと見た感じではとても綺麗に処理してある。五百人の入場では問題は起こらないだろう。
Willkommen zurück!


バーデンバーデン祝祭劇場再開公演のノイマイヤーバレー公演の生中継も観たがお客さんも入り方もいい感じで空気がよさそうだ。タイトルにもなっている舞台上の常夜灯は北アメリカの劇場で魔よけのようで、コロナの機にも夜中も灯されていたというので制作されたようだ。中々その最初の挨拶が良かった。ノイマイヤー氏の仕事はマーラーをバレー化するというので、ルートヴィッヒスブルクの音楽祭で観戦して、その期間にサイモン・ラトルがバーミンガムの管弦楽団を指揮してマーラー作曲十番のクック版が演奏された。今でも記憶に残る演奏会だった。

ベルリンのフィルハーモニーの年末までの公演の一般売りが始まった。最初からいい席は出ていたので、定期やスポンサーなどに出る数が多いことが分かる。それでも普段ならば別枠のジルフェスタ―コンツェルトも大分買えた。これなどは毎年行く人が決まっていてヴィーンのノイヤースコンツェルトとよく似たものだろう。要するに今そうした市場、多くは世界各国からやってくる人たちの市場が無くなったところでの状況を観察できる。そういう客層ならば余計にマスクなどはしては御免だと思うのではないか。しかし意外だったのは、既に10月末に演奏してツアーに出る演奏会も結構な数が既に出ていたことだ。勿論この最終日の二回は録画や録音がなされることは分かっていて、名演奏が繰り拡がられることが予想されている。ツアーの後でフィルハーモニーで再演されるのは、バーデンバーデンでの歌劇とか殆どその機会はなく、いつも生煮えの演奏に慣れているベルリンの聴衆にはまたとない機会である。



参照:
強制退去のつがい 2020-10-09 | 雑感
プファルツ風ポテトサラダ 2020-08-13 | 料理
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身体に力が漲るか

2020-10-11 | 生活
何とか一週間を乗り越えた。最後の峠攻略もゆっくりながら軽く走れた。未明に出かけて、パン屋に立ち寄り、日の出の7時9分を車で待っていた。夜半には雨が降っていたものだから足元は悪かったが、気温は摂氏二ケタを維持していたようだ。下りてくると大分人が入って来ていた。

二月初めから体調が悪かったので八ヶ月間ぐらいもう一つ優れなかった。ここに来てすっきりしたのでコロナへの免疫が出来た気がする。勿論五月過ぎには健康だったのだが、身体に力が漲るというかそういうものが無かった。どうなに肉食してもティーエイジャーのように周りのものを辺り構わず破壊したいような衝動には襲われなかった。ホルモン障害では片付かないあの生気が感じられなかったのだが、今週になってから何かが変わって来た。それぐらいでないと日の出前に待機などは出来ない。もう少し筋肉がうずうずするようになれば先ずはボールダリングにでも出かけないと仕方がないだろう。

今週は夏の間に購入した長袖のパジャマの袖に手を通した。サイズを落としてMにする不安はあったのだが、Lにするとゆったりするのは間違いないが、足首などが絞ってあっても、もう一つだらける。洗濯をしていないので、その後にまた変わると思う。34ユーロは安くはないが、このタイプは今や特別仕様になるので大変お買い得だった。これもゆったりだけで無く気持ちの良い睡眠に貢献してくれたと思う。これからは更に冷えて来るが、快適な睡眠は健康に重要である。

来週宿泊予定だったフォアアールベルクの宿をキャンセルした。来週までも無料だが、11月末に同じところにとってあるので嫌な顔をされてもいけない。しかし現在の状況では宿泊客も少ないと思う。特にフェルトキルヒは指数90で危険地域だが、ホテルに地域もブレゲンツも50以下になった。一日に30人程の新感染なので頑張れば未だ潰せる。適切な処置さえすればまだスキーシーズンに間に合う。

次のコンサートは来来週だ。ベルチャ四重奏団演奏会だが、ホームページを見てもプログラムが発表されていない。大フーガ付きに合う他の作曲家で「インミステリアウスカムパニー」がタイトルだから、何になるか?ベートーヴェンとヴェーベルンなども演奏していたが、ミステリアスとなると違うような気がする。シュルホーフでも浮かばない。スラヴ系の曲で何かあるだろうか?三年ほど前からやっていて、間に色々な曲を挿んで、終演後に種明かしをして論議するという企画のようなのだが、その評が見つからない。

どうもドナウエッシンゲンで初演されたゲオルク・ヌスバウマーのQuartettQuartettという作品で偶然性で弾いて行くという曲のようだ。それをどのようにベートーヴェンに挟んでいくかだが、これは遥かにドルトムントでのベートーヴェンマラソンよりも面白い。

厳しい制限の始まったフランクフルトの街中の様子を電話で聞いた。目抜き通りのツァイル周辺でもざっと二割ほどがマスクをしていないという。その殆どは男性という。確信犯にしか思えないが、警察が片っ端から罰金を取って行く状況にはなかったようだ。連邦政府は自治体の治安官を解放する為に警察力の動員を支持した様だが、この週末にはまだ本格的には稼働していないようだ。まさにそうした二割の人間が感染数を増やしていて、それらの数によってロックダウンへと向かう。周知の問題はあるものの十日ほどの限定での制限なので警告無しで即刻罰金をどんどん取って行かない事には効果などは生まれない。50ユーロ徴収されてもなんとも思わない連中がいるのだろうか?マスクを携行していなければ、警察官の後ろに行商人を連れ歩いて押し売りしてやればよい。

バーデンバーデンのベルリナーフィルハーモニカー国内ツアー演奏会は売り切れた。エルフィーもアルテオパーも売り切れた。しかしケルンは半分も売れないかもしれない。四分の一も入らないのにマスクをしてどうするのだ。ベルリンのフィルハーモニーも売り切れるかどうか怪しい。



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千人収容の夢物語 2020-09-27 | 雑感
しっぽりとした夜 2020-10-03 | 生活
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ハイブロウなCDボックス

2020-10-10 | 文化一般
ペトレンコ指揮五枚組CDボックス。装丁は芸術的だと思ったが、ブクレットはまだ目を通していなかった。まず最初にキリル・ペトレンコの楽曲の紹介がある。今迄も座付管弦楽団との欧州ツアーそして日本ツアーなどに同様の文章が出ていた。

今回のエディションは、現時点での協調作業のスナップショットとしての記録であると、同時にゲマインシャフトへの起爆剤でもあるとしている。

次期シェフに推挙されてからの最初の「悲愴」は、お互いの緊張の中での、その高まりがここでも感じられると思うとして、それはエネルギーの源泉のように今日に迄効している、そして、その時は自分自身を育んだロシア音楽をプログラムに挙げることも将来を示すものとしてとても大切だったと回顧する。そしてこの間に五番も取り上げて、更に四番を以ってチャイコフスキーの後期の交響楽に弧を描いたいと期待する。サローンに於けるロマンティカーの後塵としてからチャイコフスキーを解放して、彼のパーソナリティーの分裂を音楽表現した、彼の恐れや希望を音にして、幸せな人生を全うとすることを不可能とした運命へのそのような抗いに突き動かされるとしている。

フランツ・シュミットの四番は、ヴィーンでの学生の時代から好きな作品に含まれて、そして不公平にもあまり演奏されない作品の中の一角を占めていると語り、シュミットはマーラーの対極にある作曲家で、チャイコフスキーのように彼の音楽は個人的な様相を示していると。この四番は、惜別の音楽の様で、殆ど管弦楽のレクイエムであって、トラムペットで始まりトラムペットで終わる、「あの世に持って行く音楽」とシュミットが書いている。長い間楽団でも演奏していなかったので、楽団にもベルリンの聴衆にも知って貰いたいと思っていたという事で、この盤によってより広い音楽愛好家の心を揺るがすことを嬉しく思うと書いている。

ルディ・シュテファンをまだ十分に知られていない評価されていない重要な作曲家だと考えていて、彼が第一次世界大戦で28歳の命を落とした時に二十世紀初期の有望な作曲家のキャリアーが唐突に終わりを迎えた。残念にも僅かの作品しか完成させなかったが、その全ては音楽的に最高水準だった。彼の音楽の名前が忘れ去られることの無いようにと願う。

ベートーヴェンの音楽は、ベルリナーフィルハーモニカーにとって本質的であり、楽界が記念する250周年に於いては取り分けである。第九交響曲には人類のその偉大さと危うさに棲くう全てがある。遠くはるばるに人類の正直な姿を伝えるならば送るべきなのはこの作品だと、デモーニッシュなもの戦闘的なものも深く戴く愛と同時に内包している。それは人間的なそして破滅的な人類の終生の生性である。ベルリナーフィルハーモニカーの指導者として自身の時代をこの作品以外で始めることなどはないとはっきりしていた。幸運にも、その少し前に七番の交響曲を録音していたことから、ここで協調の重要な柱の一つとしてこれを選択するにあたったと全曲についての言及を終える。

各曲には初演の日時場所、フィルハーモニカーにおける初演日時や指揮者、また楽器編成が記されていて、資料的な価値だけでなく、メインストリームのメディア商品から大きく隔てている。それどころか、続く各曲の解説も全体の交響楽の歴史を俯瞰する中で六曲を結び付けていて、全体のプログラムをコンセプト化している。そして続くエッセイは、社会学的な見地からオペラと交響楽演奏会そして近代音楽のフォームとしての交響楽と弦楽四重奏を対比させながら、その中にオペラ劇場の奈落から舞台へと上がったペトレンコと、その管弦楽団と指揮者のあり方、更にこのコロナの時代を暗示考えさせる高尚な文化エッセイとなっている。

私の知る限り、このボックスは、今までベルリナーフィルハーモニカーが呈示した最も新鮮な記録であるとともに、最も高尚な制作となっていて、全体として知的な好奇心をも決して失望させることは無いだろう。



参照:
本物の一期一会の記録 2019-05-13 | マスメディア批評
満足度が高いこと 2020-10-05 | 文化一般
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強制退去のつがい

2020-10-09 | 雑感
連休分を取り返した。月曜日、火曜日、木曜日と走った。土曜日には晴れるので摂氏一桁台が予想されるがさっと峠を攻めれば完了である。四回の総距離を合わせても大した距離ではないが、雨の合間に上手く走れた。なによりも体調が上がって来たのがいい。週末は晴れるので、月曜日に三年ぶりぐらいにボールダーに出かけれるか。散歩がてらに岩肌を触るだけでもいい。

ペトレンコ指揮CD五枚組、192kHzハイレゾ聴き比べも最終曲となった。「悲愴」である。これもCDでは昨年出ていたSACDとは当然ながら別のグラスマスターを使用していた。そして終楽章の繋ぎに余白を入れて素人の仕事ぶりを明らかにしていた。折角キリル・ペトレンコが指揮生活で二度目の拍手無しは二日以降だったのだが、酷い編集となっている。その事には目を瞑るとして、ここではそれらを無視してマスターの音質だけに集中する。

なんと全く同じ四つのファイルの様だが音が異なる。ざっとした印象ではやはりそのSACDとCDとの差と同じように昨年のものは音が賑やかで、今回のものは落ち着いて且つ深みがある。要するに細かなところまで立体的に聴こえる。デジタルファイルに伴うオカルトに寄与しないが想像される相違はコピー時における転送速度等に係るエラー数だと思う。明らかに今回のマスターリングは丁寧に行われていて音質はとても良い。それがオリジナルとされる42Bit192kHzでも確認されるようだ。

そしてこの節は標準配置で。その後の独伝統配置のペトレンコ体制へとはまだ動いていなかった。鉄のカーテンを引いて、アカデミー生などを締め出して練習を行ったのだった。その音響の相違が、これまた客演自体

時代のラディ・ステファンの作品、そしてこの「悲愴」、更にその後の過程へと三種類に異なっているのが聴き取れる。その後の復活祭においても全奏の鳴りがまだまだ定まっておらず翌年になってもまだルツェルンで足りない部分とされたその音響がここに克明に記されている。我々がベルリナーフィルハーモニカーに何を求めていたか、パユなどを筆頭にして木管グループなどが修正にいとまの無かったその合奏がハイレゾによって聴き取れるに違いない。

バーデンバーデンの祝祭劇場は再開に漕ぎつけた。ハムブルクのノイマイヤーバーレー団公演で「ゴーストライト」という作品だ。公演前の記者会見で支配人スタムパとジョン・ノイマイヤーが揃って、その内容などに触れた。光は矢張りコロナ時代の希望でもあるらしい。土曜日の公演は独仏文化放送局ArteとSWRで生中継される。ノイマイヤーのバレーは一度観たことがあるのだが、久しぶりに感染したいと思わせる。

記者会見では感無量のスタムパ支配人の言葉が語られていて、芸術の無い祝祭劇場なんてとこの間の苦労が伝わった。私などはSWRのHPにある復活祭の知らなかった「フィデリオ」のポスターなどに胸が一杯になってしまう。

ハトを追い払うのに余念がない。暫くさぼっているとごそごそと音がする。そして脅かすと飛んでいく。当分は繰り返していくしか仕方がない。もう少しいい場所を見つけて貰うようにする。強制退去をお願いしたツガイが不満そうにこちらの様子を窺っていた。



参照:
ナイトガウンも必要に 2020-09-28 | 生活
テーブル予約をする 2020-06-18 | 生活
ミュンヘンでの期待 2020-10-08 | マスメディア批評
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ミュンヘンでの期待

2020-10-08 | マスメディア批評
大分体調が戻って来た。これでコロナ2.0を克服できただろうか。連休の関係で先週は充分に走れていなかったが、月曜日で取り戻して、このままいくとご和算となりそうだ。後は天候次第である。やっと下半身に力が入るようになってきた。整腸作用が利き出したのかもしれない。

ペトレンコ指揮のCD五枚組、シュミット作交響曲四番に続いてシュテファン作「管弦楽のための音楽」である。これのハイレゾ効果は大きい。音楽的にはCDでも堪能できたのだが、192kHz再生するとその後のペトレンコ体制への移行時との音響の差がよく分かる。その点でも貴重で、そしてヴァイオリンのソロを弾いているスタブラーヴァが素晴らしい。ご本人にも会心の出来だったろう。

日本で逸早くハイレゾダウンロードした人が苦情していたチャイコフスキーの第五交響曲を次に聴く。成程と思った。スタブラーヴァ―がコンツェルトマイスターを務めていることで、ダイシンらの微細な表現は不可能である。CDで鳴らしていればそれほど気が付かない面もあるかもしれないが、ベルリンでの定期では一番苦労していた曲の一つであった。アーカイヴに残った演奏も生中継の晩は選ばれなかった。こうして編集されたものを聴いても、その後の復活祭、更に夏のツアーと改善されて行った面がまさしく一本調子に聴こえるかもしれない。この時だけはホルンにデングラーが入っていたのだが、その後はドールが受け持った。

復活祭の一晩目は第二楽章、三楽章が秀逸だったが、二晩目は第一楽章からよくなった。夏のルツェルンでは終楽章もものになっていた。この曲はバイエルンの座付楽団でもボンでも聴いていたのでその変化はよく分かる。ある意味、十年後ぐらいに再演となるとより素晴らしくなっていることが予想される演奏である。

月曜日のミュンヘンでのコンサート評が載っていいる。次期音楽監督ユロスキーの指揮でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と第二交響曲、そして新しいブレット・ディーンの曲をナチュラルホルンやトラムペットで演奏させて、協奏曲以外は立奏させて、効果を挙げたというものでアーノンクールとブーレーズの遺産を継いでいるとしている。

そして何よりもヴァイオリン独奏のツィムマーマンが先日のベルリンに続いて名演奏を繰り広げたようで、楽団と一緒になってテュティも弾くだけでなくて、その音楽的な構造へとバッハ、モーツァルトへと迫っているという事だ。先日呟いた「この独奏者は曝け出す」の意味はベルクでの全く異なる様式での独奏だったが、その「歴史的に合わせる」という事ではとても興味深い事なのである。その節はペトレンコが精妙に付けていて、どこからどこまで独奏で伴奏なのかというような野蛮な話しではなくなっていたのだが、ここでもそのことが為されていて古楽器の合わせでデリケートに鳴り、一方でここでツィムマーマンが世界最高のヴァイオリニストとされているのでその出来の良さと、今後への期待がとても想像できる。

来週からの「ヴォツェック」の再演のお知らせもあったが、券が売れ残っている。そして本人の最新のインタヴューでこの作品とも深い繋がりと同時に、カルロス・クライバーがエーリッヒが振ったこの劇場での指揮を誇りに思うとして、それを穢さない指揮をしたいとしている。そこで語られたようにザルツブルクでの指揮やその放送中止更に商品化は知っていたが、アスミク・グリゴーリアンの名前が出てきて吃驚した。全く気が付いていなかった。本当にその公演が良かったのかどうかは新聞評を読んでも分からなかった。ネットで少し覗いてみようと思う。
Alban Berg, Wozzeck, M. Goerne, V. Jurowski, W. Kentridge (Teaser)




参照:
Aufstand, Reinhard J. Brembeck, SZ vom 6.10.2020
天使が下りてくる 2020-09-21 | 文化一般
間隔のある受け渡し 2020-09-19 | 音
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192kHz再生での違い

2020-10-07 | 
引き続きペトレンコ指揮ボックスを流している。ブルーレイはまだ再生出来ていないが、ハイレゾダウンロードを始めた。これが結構時間が掛かる。形式や大きさは選択可能なのだが、192kHzのそれもWAVファイルを狙うと、お目当てのベートーヴェン交響曲七番だけで2.387MBとズィップになっていても大きい。更にサーヴァーもゆっくりなので二三十分掛かる。それでもFLACよりも気持ちが良い。開けると各楽章ごとに分かれていて2.6GBになっている。

お目当てだったのは、この曲の時間当たりの情報量がその移り変わりの変化の大きさにあるので、CD再生では若干タイムラグ感がある。音響の断章というか断面の鮮やかさが出て来ない。どんどんと再生して行っているのでBGMとして仕事しながらなのだが、ハイレゾで流しながら食事していると、其処で演奏しているような感じになって来て落ち着かなくなってきた。コロナ再開でアムステルダムのコンセルトヘボーでは平土間にサローンのようにテーブルを並べていたが、こんな演奏をされたら飲食どころではない。

要するに生に近づいて来た。しかし最終的にルツェルンそれに追いつかないのは余計にその演奏から知れた。やはり左奥に位置するコントラバスなども必死で音を出しているのとシューボックスで打ては響くような合わせ方との差である。これはこの曲においては大きい。残念ながらベルリンのフィルハーモニーでの演奏にはこうした限界がある。フォンカラヤンが轟轟と鳴らして全体で仕上げて行った背景はそこにあって、前任のサイモン・ラトルが頻繁に昼食に誘われるような幻想に追いやられた背景がある。

そして、そのラトル指揮での音源が同じ192kHzで再生されても質が上がれば上がるほど音の肌触りがツルツルになって愈々ととっかかりの無い音響になって行く。まさしくこの七番はラトル指揮で聴いた最後のベルリナーフィルハーモニカーの音響だったので、ここで鳴っているその音響こそに意味がある。

どうしてもミュンヘンでの引継ぎでの会談後のラトル卿がペトレンコの人間性について魅了されていたことの一部始終を思い起こす。なぜ同じレパートリーを矢次早に繰り返したのか、それをどのように話したのかは疑問だった。しかしこうして録音を聴くと、数か月前のバーデンバーデンでの演奏での音響との差にその会談内容が浮かんでくるようになる。ラトル卿は、フィルハーモニカーとの関係を伝授したというようなことを語っていたが、ペトレンコのそれからして可成り音楽的な単刀直入な話しに及んだのではないかと思う。「人間性は最高で、音楽も、…」の意味はそこにあったのではなかろうかと思うようになった。

結論として、ペトレンコ指揮にして初めて192kHzのハイレゾのそれの価値が生じたといっても良いだろう。今回のCDプラスハイレゾ商品化判断に私自身少しでも声を出せて後押ししていたことは自負してもいいだろう。これで確実に日本などでのペトレンコ体制でのベルリナーフィルハーモニカーの意味が知られていない地域での注目度が変わると思う。

音楽的に生を聴いて、よくお勉強していたならば今回の音響でその評価や効果に関してはそれほど変わらない。強いて言えば、シュミットの交響曲四番が弾き始めで定まらない楽員が数か月後のツアー時の演奏とは大分異なるのだが、ここでの音響を聴くとまさしく生演奏での弦楽合奏の襞も良く聴こえて、ベルリンからの演奏中継での物足り無かった分を大分補っている。改めてハイレゾ再生でその他の曲も比較してみよう。



参照:
満足度が高いこと 2020-10-05 | 文化一般
とても高い芸術的な価値 2020-10-02 | 音

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僅か22ユーロのおもい

2020-10-06 | 雑感
バーデンバーデンでのベルリナーフィルハーモニカーの券が一般発売となった。自らは既に入手したのでその様子だけを窺った。驚くことに最上席は既に売り切れていた。上位から売れていた。価格はなるほど150ユーロとお得感があって、背後にはドイツェバンクのサポートがある。席数が少ないので、定席を持っているパトロンにいい席を散らして配席、そのあとにプレス席、友の会、寄付者への配席となったと思う。その最後の所の予約発売が私が得た券と重なるところだった。

つまり、安い席を狙っていた人は私をはじめとする数人となる。八人ぐらいだった。所謂天井桟敷とか常連さんの層を分厚くすることが大切なのだが、まだまだ足りない。実際にこの格安の22ユーロの席を配券して貰ってから本当にそれでよかったのかと心配になった。理由はそれを狙っている人が沢山いたら、譲りたいぐらいに思っていたからだ。しかし、そんなに多くは無かった。取り越し苦労だった。

勿論玄人筋は分かっている人は、今回は中編成であってあまり遠くに座りたいとは思わない。寧ろ私がアルテオパーでそうしたように、一番高い席で公演を支援しようと思った人もいてもおかしくはない。そういう人は150ユーロほどの寄付ではないものをしたと思う。これも私と同じだ。

兎に角、今回の寄付の集まり方でルッツ教授が言及した様な音楽ゲマインシャフトの存在で、連邦共和国のどこにもない形での意志が示されたということに重きを置かれるべきである。今後の進展はどのようになるかは分からず、不透明さもあるのだが、先ずは11月の演奏会で、そうした意志を結実化されることになるのではないか。

おかしいなと思っていたのはペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーのボックスで、てっきりSACDだと思って聴いていた。しかしどこを見てもSACD表示が無い。前回の「悲愴」はSACDだったので、勘違いしていた。それほどこのハイレゾオリジナルのマスターリングは音が良い。所謂ソニーの商標登録のスパーマッピングよりも高品質である。しかしこれがSACDで無いとなると、ハイレゾとの重なりが無くなる。もう一度一から楽しめるというか、そのオリジナル原音再生に緊張する。

年内の音楽のお勉強の準備を始める。先ずはベルチャ四重奏団の「大フーガ付き」とその他未定の曲。次に「浄夜」、ブラームス交響曲四番、「メタモルフォーゼン」、ショスタコーヴィッチ九番、マーラー九番、あとはなにか来るか?



参照:
満足度が高いこと 2020-10-05 | 文化一般
しっぽりとした夜 2020-10-03 | 生活
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満足度が高いこと

2020-10-05 | 文化一般
10月のマーラー第九公演は11月に延期になった。しかし担当の文化相がヴァケ―ションから戻って来るまで発表とはならないのだろうか。プレスによると11月27日から29日へと其の侭五週間先へと先送りしている。楽団支配人によると、再び現行の入場者制限250人から半数容認へと戻されるのは早くとも10月中旬になるので延期にしたとある。

11月末の日程をキリル・ペトレンコが承知したところまでは分かる、しかし万が一250人で開催することになればブレゲンツでとまで言及しているのは不可解。人数制限という事はコッホ研究所の危険地域認定が外れていないという事だろう。その状況でもペトレンコが承知するとは思えない。認定が外れれば増員は直ぐに可能だろう。

そもそも250人ならばなぜフェルトキルヒでは駄目なのか?容量からすればブレゲンツが大きいので安全なのだが、合わせて1000人しか入れられない。これを四回のコンサートに別けることは全く難しくはない。そもそも250人で売るとなると、其の侭ティケットを先送りは出来ないが、指揮者さえ参加可能ならば開催は可能となる。

12月末のジルフェスタ―コンツェルトまでには四週間近い期間があって、その間に対処は可能かもしれないが、危険地域に公式に訪れるという事があるようには思わない。

来年のミュンヘンでの宿泊を調整した。既に予約していたところよりもいいものが見つかるようになった。市内で二泊で190ユーロだったのだが、より中心部に近く且つ緑の多いところで95ユーロで三ツ星ホテルが見つかった。案の定、駐車料金は一日15ユーロ徴収される。そして古いのをキャンセルして調べると、より旧市街に近いところに116ユーロでアパートメントが見つかった。こちらは有料駐車しても一日7ユーロなので、二日で16ユーロ安くなる。つまり差額は5ユーロとなる。それどころか近所の道端でも停めれると書いてある。評価の数字は4違うので大分満足度が高いようだ。

歩いては旧市街までは遠いが、地下鉄駅へも400Mなので歩け、車よりも早く移動可能かもしれない。なによりもアパートメントで調理器具が付いている。早速ダブルブッキングにしておいた。但しこちらはキャンセルは一月前までで様子を窺わなければいけない。ミュンヘンに本当に出かけれるのかどうかは今後の状況次第だ。

年末までにワクチンも試されるようなので、それで無毒化されれば、一挙に解放へと近づく。その状況も考えて準備もしておかないと良い宿も見つからない。金の掛からないことは小まめに対処しておくしかない。

引き続きペトレンコ指揮SACD*ボックスを鳴らしている。これだけPCオーディオお休みにするのは珍しい。「悲愴」は曲も曲なので殆ど流していなかったが、今回は同作曲家の五番もベートーヴェンも勿論シュミットとステファンも幾らでも鳴らせる。大きな相違は適度な刺激はあっても快適な音響になっていることだろう。要するにバランスがとても良い。装丁のその手触り感と立体感そのものなのだ。インゼルディスク、即ち無人島で一人で過ごすときに持参するべきディスクである。ネット環境の無いヒマラヤでもサヴァンナでもジャングルでも全ての映像も観れる。まさにこれは必携である。
Kirill Petrenko und die Berliner Philharmoniker: Beginn einer Partnerschaft



訂正:SACDと思っていたのはあまりに良過ぎるハイレゾマスターCDだった。

参照:
とても高い芸術的な価値 2020-10-02 | 音
千人収容の夢物語 2020-09-27 | 雑感
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しっぽりとした夜

2020-10-03 | 生活
11月7日のバーデンバーデン祝祭劇場でのティケットが届いた。NEUと書かれていて今まで出ていた他の公演の件などと峻別可能になっている。フル入場から500人へと落とした新たな配券である。当該のキリル・ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの公演は今回が初めての週明け月曜日の発売となる。今回届いたのは先行発売分となる。

11月4日のフランクフルトのアルテオパーは完売した。一般にニュースレターが回ると直ぐに売り切れた。席の選定は無しにお任せだった。最高席しかなかったので前か後ろだけの差であるが、シングル席は殆ど無かった。ケルンのフィルハーモニーの売れ行きを見るとあまり出ていない。高価であるのと詰め込み過ぎのマスク着用がどのように受け止められるか?バーデンバーデンの同じプログラムのエルフィーは616席でもマスクを外せるので安めの席ならお得だろう。空調はエルフィーが上に抜けるだけなので一番効きそうな気がする。

金曜日の18時前にネットが落ちた。IP電話も通じなくなった。その為に二系統を使っているのだが、双方とも落ちた。仕方が無いので携帯電話で事情を調べたのは21時ごろだった。二系統落ちるという事はアパートメントへ通じる回線が遮断されたか、大規模な本線のグラスファーバーが通じなくなったかしかない。後者だった様だ。修復は休日の朝5時過ぎという事だったので、頭を切り替えた。

読書程には落ち着かなかったので、NASに入ってい映画を観た。DLだけしてあったARTE局のフランス語字幕で鈴木清順作渡哲也主演の「関東流れ者」である。清順ファンがいて、以前も同様なものを観たが今回は若干内容が異なった。淡路島出身の渡哲也死去に伴う放映ではなかったと思うが、そういう事になった。渡を子供の時からみていた人を知っていたので何となく身近に感じる。清順はあの当時のヌーヴェルヴァークのカラー映画の美術や若者としての渡を上手に起用していて、周りの配役も二谷英明など北竜二やマムシの川地民夫などアクが強い。北竜二の場合は小津映画でのそれとの差が大き過ぎてあまり同定していなかった。最初は子分想いのおいおいの親分の表情の作り方がこの映画の最高の名演技だった。佐世保の舎弟役の玉川伊佐男の顔には最近も馴染みがあるなと思ったら逃亡中のゴーンであった。この作品の曲が圭子の夢は夜開くのB面だとは知らなかった。

やくざ続きで寅さんの「僕のおじさん」を始めてじっくり観た。1989年の作のようだが、渥美清の表情がもう晩年のそれになっていた。一番打たれたのは、佐賀の街から出て行くときのプラットフォームの光景だった。秋の夕方にはまだならない午後の風景だが、地元の生徒たちの前を通て行く寅さんの背景には小さな山があって、その陽の加減とそれほど乾燥していないような空気感が圧倒的だった。あれは欧州にはない雰囲気で、なんともしっぽりした感じで、その前の十代の男女のデートシーンにも通じる趣だ。

ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーのボックスを引き続き流している。次に興味があったのが、リュディ・シュテファンの録音で、これは珍しい曲だけでなくて、ペトレンコが客演していた当時の音響という事でも注目される。だから今ほど若しくは今後演奏するときほどにはペトレンコサウンドが明らかではないだろうが、それはそれでいい演奏である。スクリャビン作曲の「恍惚の詩」は人気があるが、こちらはあまり語られることが無い。それでもこうやって聴いてみるとやはり名演奏だった。



参照:
とても高い芸術的な価値 2020-10-02 | 音
飲食と同じ芸術音楽需要 2020-09-30 | 文化一般
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とても高い芸術的な価値

2020-10-02 | 
発注したSACDボックス*が届いた。思っていた以上に分厚くどっしりしていた。中味の価値が軽い分装丁などが立派だ。外箱に帯が付いているのは日本の影響ではないか。そこにダウンロードなどが可能なことが表示してあって、一週間ヴァウチャーの表示もある。裏面には、この交響作品が指揮者の心に触れる将来の方向を示す作品とそして二十世紀匠のキーワークと紹介してある。シュミットとステファンの曲が同じ最後のディスクに入っている。

ちらちらとブックレットを見ると想定していたような内容ではなくて、しっかりした解説になっていた。書いているのも聞いたような名前で、恐らく公演のプログラムを書いている人なのだろう。また気が付くのは録音日が指定されていることで、修正しても当晩のライヴという事を強調してある。

早速最初の七番の交響曲を回すと、これまた想定以上に引き締まった音が出て来た。ネットではDAコンヴァーターを通しているが、また使用SACDプレーヤーは殆ど同じコンヴァーターなのだが、こちらの方が遥かに低音が引き締まっている。会場の相違はあるが、フィルハーモニカーの下手奥に並んだコントラバスの引き締まりはルツェルンでも瞠目されたもので、より生のフィルハーモニーでの響きに近いと思う。定位感などは会場の関係もあってあまり良くない。これはダウンロードするハイレゾとの比較になる。

その分、ライヴらしい小さな雑音成分は多く、また会場のマイクロフォンからして制作録音とは比較にならないが、少なくとも躍動感とか表出力としては改めてカルロス・クライバー指揮の制作録音と比較されることになるだろうと思う。ライヴでここまでやれてしまうという事が何よりもの驚きでしかない。

そうしたライヴでもありながら落ち着いた感じは、装丁に良く反映されていて、ローズマリー・トロケルのものは、前回の「悲愴」の駄菓子の付録にあった黄色い立体カードのような装丁よりは遥かに芸術的である。中にある写真なども、日本での写真集とは異なって、必要十分で、なんら欠けた感じはしない。箱のざらついた手触り感などにも拘っていて、コロナ休止期間中の成果ではなかろうか。

兎に角、ハイレゾをダウンロードするとSACD程度では物足りなさを感じるかもしれないが、この音響の「手触り感」は抜群で、中々PCオーディオでは再生し難かった実体感である。久しく感じていなかったSACD*のPC以上を卓越した感じで、改めて「悲愴」と比較して、どこが異なるのかを、今回のボックスの中での「悲愴」と比較してみたい。同じグラスマスターを使っていて相違が生じることはない筈だからである。

拍手も上手く切ってあって、フィルハーモニーが鳴りやむように、恐らくGPのそれが編集してあって、これも美しい。ディスク面も装丁に合わせて黄色ではなくグレーなので落ち着いた印象を与える。これだけでも重なっても今回の「悲愴」を購入する意味がありそうだ。

実際ディスクを見るとプレス工場も変わっていて、新たにマスターを作っている。それどころか新マスターリングをしている感じだ。前回のものには不満もあったのだろう。今回の方が音楽的なマスターリングになっていて、ダイナミックスレンジも広がっている。だから余計にライヴの日時の明記が気になるところだ。

ここまでの印象では、今回のボックスの芸術的価値は可成り高い。こうしたライヴ演奏ものとしては少なくともデジタルディスクではこれだけのものは中々ないと思う。更にみていこう。


訂正:SACDと思っていたのはあまりに良過ぎるハイレゾマスターCDだった。

参照:
ナイトガウンも必要に 2020-09-28 | 生活
本物の一期一会の記録 2019-05-13 | マスメディア批評

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