デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



『ジャン=クリストフ』の読書は、最後の第4巻に差し掛かっている。
以前に、作品に登場する絵画として『よきサマリア人』のことを書いたが、作品には他にもクラナッハやシャルダン(芳香剤じゃないぞ)、そしてラファエロの絵などが、譬(たとえ)として登場している。
ロマン・ロラン全集版の第3巻の終盤では、クリストフとかつての教え子グラチアが思いがけない再会を果たす場面がある。
みやびやかな貴婦人たちに取り巻かれて、彼女はすわっていた。片方の肘を安楽椅子の腕の上について、少し前かがみになって、頭を手で支えて、聡明な、かすかな微笑を顔にただよわしながら、人々の話に聴き入っていた。彼女の顔だちは、ラファエロの描いた『聖体論議(ラ・ディスプータ)』のなかで、なかば眼をとじて自分自身の心へほほえみかけているあの若い聖ヨハネのそれに似ていた……
ここに登場する『聖体論議(正確には「教会の勝利」)』(1509)という絵は、ローマのバチカン宮の署名の間にあり、結構有名な作品かもしれない。


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では「なかば眼をとじて自分自身の心へほほえみかけているあの若い聖ヨハネ」とは、この中のどの人物か。
キリストの弟子の一人聖ヨハネは、あくまで伝説上では新約聖書の「ヨハネの福音書」を書いた人物とされている(聖書成立の歴史研究では福音書の成立に関係していないであろうとされている)。
私は、キリストが両腕を軽く広げている列の左から三番目の人物が、彼ではないかと思っている。ペンを手にして何かを書こうとしているし、なにより半ば眼を閉じ、自分にほほえんでいるかのような表情とは、まさにあんな表情…。
正直なところ、作家ってこんなところに着目するのか!と舌を巻いた。絵の理屈をのべたがる私のような輩は、美術全集か何かで絵の成立過程や中に登場する人物の中にラファエロが紛れてないかとかそんなことばかり考えてしまう。小説では「絵の理屈」などではなく、数行の人物描写の中でさりげなく、観光客があまり着目しないところ、なのにそう言われると絵の印象が倍加するようなことを盛り込んで、グラチアという人物の人となりまで浮かび上がらせている。
てなわけで、今日これからやることは決まった。図書館で大きい画集を繰って、「彼」を探す。とはいえ、二本目の親不知抜いたばかりだから、自転車を全力で漕いでは行けないけど…。

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