デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



うむ、久しぶりに、これはすごい小説だ、と感じた作品を読了した。越年読書だったトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』である。
作品は1835年から40年余りの話で、ブッデンブローク商会の4代の主を通して、ブッデンブローク家が没落していく様子を描いたものだ。
読了後の正直な感想として、はなっから遠くなってしまっている、このブログのタイトルであるデカダンという言葉の意味を味わえるだけでなく、リアリズムとか自然主義の傑作とかいう言葉が、これほどぴったり当てはまる小説は稀有だろうと思う。この作品の登場人物は本当にきめ細かくリアルで、そのへんに歩いていそうな人物ばかりだし、時代の趨勢もしっかりと考慮・把握して描かれている小説のお手本のような、正直癪だが手放しで賞賛するしかない作品だった。
ただ、私のような者からすれば、この作品の登場人物が自分にも当てはまっていて、正直ゾッとするものを感じた。この小説のよくできている点でもあるから当然なのかもしれないが、登場人物たちの救われのなさを培ったものの一つには、三つ子の魂百までといった、個人の宿命を嫌でも叩きつけられて過ごす特徴がある。孟母三遷の教えを持ってしても、おそらく登場人物の性格や生活習慣は決して激変したりはしない。登場人物が子供の頃から持っている癖や言い回し、そして自意識や執着は、大人になっても、たとえそれが愚かしく決して生活の改善どころか凋落へと向う誘因になっているとしても、無自覚にのさばり続ける。客観的に見ると頽廃へと自分を蝕んでいる姿は憐れに思えてならないが、でもこれも人間の本質の一つで、頽廃趣味や頽廃芸術が昔から存在する理由として考えてもいいのかもしれない。

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トーマス・マンの傑作の一つである『ヨゼフとその兄弟たち』の感想もよろしければどうぞ。

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